ふとした話の中で、ドラクエシリーズの中で最高傑作はどれか?という話題が出た。

私はダントツでⅢ。その場にいたもうひとりの男性もⅢ。話を出した女性はⅡと言ってたけど、この人はふだんゲームをそんなにしなさそうなので、どこまでそこに確信をもってるのかな?と思っていた。

先日このことを別の人に「やっぱりドラクエはⅢだよね」とほぼ同意を求める感じで言うと、
「Ⅱもいいと思うよ」
との答えが返ってきてちょっと動揺した。
まさかの満場一致ならず、である。

ドラクエⅢはよく考えるとシリーズの中でとても異質だ。

それまでもそれ以降も、キャラがきちんとあって、その性格が物語になっているけれど、Ⅲはそれがない。
一応アリアハン(地名)の勇者オルテガの息子という設定はあるけれどⅢの勇者はあくまでも、無色透明だ。

彼は器にすぎない。その性格も、将来ロトの一族の祖となることに(結果的になった)ただの若者だ。


勇者とパーティを組む人たちも、そこに人格はない。あるのは職業だけだ。

彼らがどうして戦うのか。お金のためか名誉のためか。はたまた暇だったからか。その動機はわからないままである。


作り手は、たぶん勇者とはプレイヤー自身なのだから、そこに自分を投影してほしくて器を透明にしたと思う。それはおそらく成功で、だからヒットしたし、シリーズは続いた。

でも、成功したなら、どうしてその後その「無色透明」は継承されなかったのか。

ドラクエⅢが発売された当時、1988年。私は中学生だった。
ユーザーのほとんどは小・中学生だと思うけど、高校生、大学生あたりも入っていたのかな~と思う。

時代はバブル真っ只中で、昭和天皇がまだご存命だった。
日産の「シーマ」が「高いから」という理由で売れまくってた時代だ。
ソ連がまだあった。
「ユンケル」が流行った時代。子供心に、大人はこういうの飲んでがんばらないといけないんだ、大変だなあなどと思っていたけど、あれはたぶん仕事のあと徹夜で遊ぶためのものだったのかも。

ドラクエⅢの時代は、お金が勢いよくぐるぐる回っていた時代だった。

お金はとても貴重で便利なものだけど、お金自体に価値はない。
昔はお金の価値を裏付けるものとして、金が採用されていたのだけど、それはもう停止されている。

お金には意味があるけれど、お金自体に意味がないというのは、ドラクエⅢ勇者の無色透明さとなんだか似ている気がする。

意味があって意味がないものが世の中を駆け巡っていた時代に、無色透明な主人公に乗っかるゲームが流行っていたと考えると、とてもおもしろい。


追記:
これを書くにあたって金本位制度のことを調べていたら、これが停止されたのも1988年だった。これは偶然か?

2017年03月09日
P・キョウ・理想さんの日記