2011年05月06日

がんばるフェスタセサミ!

さて…今日はフェスタセサミの稽古から。

メンバーの中には脱力系のクラウン・Nさんがいる。
いや、本人はいたってまじめで、心優しく、気配りさんの素敵な女性なのだ。
人生においては大先輩である。

そのNさんの創ってきた作品は、どこからがアクシデントでどこまで本気なのかわからないマジックショーで、
なんとも表現しがたい面白さでいっぱいなのだ。

なにせ、Nさんのキャラクターがはんなりと愉快ー。

ものすごーくマイペースに感じるが、Nさん自身は緊張も極限に達しているから本当に人はみかけじゃわからない。

今日のレッスンでは、その作品を整理し、アイディアを付け加えてNさんに提案する。
説明の間中、Nさんは笑うー笑うー笑うー
「センセ、これおもしろーい。」(Nさんはなぜか私のことをセンセと呼ぶ。)
(いえ、これあなたがやるんです。)と、心の中で突っ込みながらー
「ありがとうございます。」と答える私。
説明が終わると、一本の作品を見終わったかのようなNさんの溜息そしてー
「センセ、すごーい!」
(だから、あなたがやるんだってば!)と心の中でバックスラップしー
「おそれいりますー。」と答える私。

突っ込みどころ満載なお稽古場で、笑わないように演出家の役をこなすのも一苦労ー。

最後の各自のジャグリングの披露では、少年A君の華麗な演技に、観客役のメンバーの間からは「あら〜」とか
「まぁ〜」とか、なんだか夕方のスーパーのバーゲンで聞こえてきそうな主婦の溜息が・・・。

ああ、私の突っ込み魂がうずうずする!−ん〜、でも今は我慢だ!

なんだか、メモするところが満載なお稽古場。
毎回ハッピー・・・
っていうか、稽古風景をDVD化したらいいのかもね。ふふふ。





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2011年04月28日

過去・現在・未来

TCLでは劇場における即興術のレッスンが毎回静かに(厳しく?)継続されている。

今日行ったのは「どこから来たか・どこへ行ったか?」という課題。
生徒たちはある場所を設定して登場し、シンプルな演技の後退場する。(セリフは使うことができない)
課題は登場してから退場するまでの演技で、登場する前どこにいたのか、また退場したあとどこに行くのか?
を観客に伝えるというものー。

つまり、肝心なところは演技できないのである。

想像してみてほしいーもし、今までお風呂場にいたとしたらどんな表現をすればそれが伝わるのだろう?
そのあと、自分のベッドルームに行くのだとしたら、何をしてから退場すればそれを想像させられるのだろう?

これは観客の想像力を刺激する内容でもある。
表現者の演技が課題をクリアーすれば、観客はこの人物の今を見ながら、過去と未来を連想することができるからだ。

演技者の選択肢があいまいだったり、演技に集中していなかったり、不安から説明的表現が行われると、演技はわかりにくく、不自然になる。

舞台の上の人物は今を生きていて、観客はその人物に心を寄せ彼(彼女)の感情に心を寄せる。
物語の中の人物は突然そこに誕生したのではなく、ライトインする前にも人生がある。
私たちはそれをストーリーを追いながらも感じ取っていく。
そして主人公と同じ人生を生きた後、暗転・幕切れで彼の将来に思いを馳せるのである。

その人の存在には図書館と同じほどの体験があり、思いがある。
表層に見える今は氷山の一角でしかない。

クラウンにとって対極ともいえるこのレッスンは、ドラマの必須条件だ。
「今」にしか生きないサーカスやイベント系クラウンと、ドラマも演じるチャップリンなどのシアター系クラウンの違いはこんなところにもある。






clown_gigi at 00:01|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)TCL 

2011年04月22日

デッド&アライブ

TCLではこのところシアタートレーニングとクラウニングのレッスンが続いている。

TCLではメイクやバルーン、ジャグリング、アクロバット、ダンス、パントマイムなどのレッスンはほとんどない。
バルーンやジャグリングは自分で練習できるものだし、ダンスやアクロバット、パントマイムなどは専門のレッスンを受けた方が早いー。

TCLでは、劇場のためのクラウンに必要な表現力を研究&開発する場所で、即興と創作が主なレッスンとなる。
正直にいえば、その稽古だけでも時間が足りないくらいなのだ。

クラウニングはいつもきまってデッド&アライブから始まる。
日本語に直訳すれば「死んでる状態と生きてる状態」ってところ?
(辞書で確認するとdead (and) aliveは退屈な仕事・作業/ 単調な/元気のない状態と訳されるみたいだけれど、
まあ、おそらくシンプルな作品ーという意味合いかと思われる。もしくは、演技中に片方のクラウンが死んだようになるので、それを「元気のない状態」と表しているのかもしれないが…)

私にとってこの作品は、二つのまったく違う状態のものが背中合わせにそこに存在することが興味深いルーティーンに見える。動きも一人は死体のようで、もう一人はその彼をなんとかしようと汗だくに動くことになる。二つの動きの温度差がまた面白い。静と動だ。陰と陽ともいえる?

死んでいるクラウンはほとんど表現らしきものはなく、タイミングや体のコントロール、そして何より相手に体をあずけるという度胸と信頼が試される。
演技的に楽しいのはやはり生きているクラウンの方だろう。けれど、観客の心をきゅっと引き寄せるのは、何故か死んでいるクラウンの最後の豹変ぶりなのだ。
彼の飄々とした軽やかさが作品を魅力的にさせるからだろう。

基本的には、どちらがどちらをやっても構わない。が、ベーシックには突っ込みクラウンが「動」を行い、ボケクラウンが最後に勝者となる「静」を行うのが一般的だろう。
けれど作品の中では相手を持ち上げたり支えたりする危険な個所がいくつもあるので、男女差、体格差、を考慮したい。

クラウニングで一番大切なことーそれは絶対に怪我をしない・させないことだからだ。

この作品の素敵なところは、最後に動と静が一つになって退場するところだ。
しかも背中合わせにー
まったく違う二つの個性が苦労し、喧嘩をしながらも一緒にフィナーレを迎えて退場する。
見つけようと思えばどこにでも意味を見いだせる。
シアタークラウンは日常のあたりまえの側面から、宇宙の秘密を見つけ出す目を磨かなくてはならない。

美しいとはどういうことか、
正しいとは?
平和とは?
醜いとは?

言葉でわかったつもりになるのではなく、その本質を自分の個性によってあぶり出し、
他者に伝えられる言葉と体と情熱を保つことー

シアタークラウンの成長は一生をかけても足りないくらいだ。









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2011年04月14日

TCLのレッスン

現在のTCLは前半にシアタートレーニングを行っている。
シアタートレーニングとは、劇場的演技レッスンといえば想像しやすいかな?これは、さまざまな即興を行いながら、劇場で演技するという上でのルールや法則を感覚的に理解してくためのトレーンニング。

言葉一つですら、内から外に出したからには「表現」となるのが舞台。即興の演技ではそれを準備したり、考えておく暇などない。直感的によりよい言葉、態度、表情、角度、立ち位置を見つけなければならず、また、適度な温度で適度な声色を使い分ける必要がある。

それには、客観的に自分を見つめる第3者的な自分の存在も必要だ。
ここで必要なのは3人の自分である。
身体の自分ー心の自分ー意識の自分

身体の形、態度、表情ーが表現したいものを素直に出していること
心が表現したいものを感じていること
意識がそれらのバランスを取り、相手に通じるように自己をコントロールしていること

TCLではここにさらに複雑な課題が上乗せされる。

生徒たちには1枚の紙片が手渡される。
「二人ひと組になって、「ある場所」を設定して、その場所にありそうなものを描いてください。二人でそれを扱いながら、観ている人にそこがどこかを伝えてください。」
稽古場では小道具は椅子以外は使えない。なので、寿司屋をイメージすれば、当然、カウンターもお寿司も、皿も、醤油も、ノレンも、すべて無対象で行わなければならない。
見えないものを見るように演技するのはなかなか難儀なことである。

「観ている人は、何処に何があるのか、作図してみましょう。」

演技が終わったら、それぞれの図面と本人たちの図面を見比べる。
様々な理解の違いがあらわれ、何故混乱が起こったのか、どうして伝わらなかったのか、が客観的に理解される。

ここではダメや良いという言葉が完全だったか不完全だったかという言葉に置きかえられる。

生徒たちは課題を行いながら、演技に必要な条件・法則を理解するのであって、教師から自分の個人的価値を認められたいとか、他者より抜きんでていたいなどの雑念から解放されていく。

作品の意図をくみ取り、自律的な表現を行える力を培うためには、大きすぎる自己愛からの解放が欠かせない。

スポットライトを浴びたい、拍手が欲しいー演技者の始まりはそんな自己顕示欲からの出発がほとんどであるのだから、このトレーニングはそのまったく逆をいくというわけで、中にはトレーニングに抵抗を試みる者もいる。が、自分にとってこのトレーニングが何故必要なのかを理解できるメンバーの開花は目覚ましいものがある。






2011年04月09日

TCL11年度出発!

先日、TCL11年度がスタートしました。

相変わらず少数ですが、前期のメンバーがほとんど残り、来年3月末の劇場公演を目標に自作品を創り上げるという壮大(?)な計画です。

ここでメンバーを紹介しましょう。

I君:初期の頃のセサミメンバー男子(珍しい!)。14年ぶりにクラスに戻ってきた真面目で素朴な青年。(うるさいとは言わないが)声がでかい。

Sちゃん:プロのクラウン活動をしている、若きシアタークラウン界の旗手。小さくて愛らしいメガネ少年キャラがおなじみ。4畳半の世界にこだわりがある(んだと思う)。

Gちゃん:セサミのクラスを受けまくっている情熱家(修行みたいだ…)。幼稚園の先生の資格もあるのに…。おバカな小学男子キャラ。

COさん:パリジェンヌのような愛らしい風貌からは想像できない格闘好き女子。マイミストとしても活躍している。お菓子ならマカロンがお似合い。

Tちゃん:やや不思議ちゃんの男子クラウン。パントマイムとジャグリングが得意だけれど、おしゃべりは苦手…かな?セサミでは1番背が高いんじゃない?

CAさん:独特の世界観でときおり講師を混乱させる変わり種女子クラウン。自称プッツンの彼女…妄想族だがその分スケールは大きい。

という、個性的な6名のメンバーです。

初回の稽古はシアタートレーニングを行いました。
なかなか興味深い発見などありましたので、次回お知らせしたいと思います。

これからは折に触れ、クラスの内容、生徒の関わりなどをアップします。是非、彼らの成長を一緒に応援してあげてください。

また、クラスは始まったばかりです。まだまだ中途から参加することも可能ですので、レッスンを受けてみたい!という方はご連絡ください。
http://www.op-sesame.com



clown_gigi at 01:22|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2011年03月29日

クラウンとしてー

「今こそ被災地へクラウンが行くべきではないのですか?」
真剣に問うあなたの気持ちは痛いほどわかります。
私だって今すぐにでも駆けつけたい気持ちはヤマヤマです。

けれどクラウンが笑いを届けるには、笑える状態にまで被災者の環境と心身が整わなければ逆効果です。

そしてその環境が整うというのは、プロのパフォーマーにとって、生活できる水準の利益の循環が絶対条件となります。

3月4月と軒並みイベントが中止され、7月や8月のオファーまでが自粛されつつあるこの状況ではとても生活を維持することは難しく、仕事がなければ収入ゼロという現役パフォーマーにとって、さらに無報酬でボランティアを行うというのはとても無理な話しでしょう。

「じゃあ、こういうときはアマチュアのクラウンが行った方がいいのですね?」

ーと、おいおい、まあ、待て!

アマチュアだからとかプロだからとかいう区分けじゃなくて…
行きたい人、行くことができる人、の条件を備えている人が行くべきじゃないか?と私は思います。

私は「行きたい」派です。けれど行くための条件ー時期と費用が現在では適いません。きっとそういうクラウンは多いはずです。

同時に経験の浅いクラウンが衝動のみで行動することも危惧します。
必ずしもクラウンがいつでも・どこでも歓迎されるわけではありません。自分の技量を客観的に理解し、周囲の空気を読める経験も必要とされるでしょう。

ボランティア精神に富む方こそ、クラウンで慰問をしたいのなら今はしっかりと学び準備をなさるべきです。

「やってあげる」のではなく「させていただく」という謙虚な気持ちを忘れることなく、その時を待ちましょう。








clown_gigi at 19:13|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2011年03月24日

TCLのみなさんへ・・・

3月31日にTCL10期が修了する。次期の11期は4月からの予定。

停電の影響でリハーサルの回数が減らされ、それぞれの作品を細かく指導する時間が削られた、よって必然的に生徒たちはほぼ自力で本番に臨むことになる。

本番とは31日の最後のレッスンのこと。
この回では各自の作品発表が行われるため、今日はクラス内での最初で最後のリハーサル。

それぞれの稽古の後、一人ひとり作品を発表。最後のリハーサルはもうそれで時間いっぱい。

会場を出てからも稽古は続くー
作品にどういう問題があるか、来週の本番までに改善できるポイントはどこか…?喫茶店の中で会話は続く。

「私の作品は果たしてクラウンなのでしょうか?」
「クラウンに笑いはなくてはならないものなのでしょうか?」

ーさあて、若いクラウンアーティスト諸君、それは君たちがその答えを探し、創るのです。

こうでなくてはならないーということは創造の世界にはありません。
セオリーはすべてあなたの中にあり、誰に指図されるものでもありません。

時に批評や非難もされるでしょう。評価は常についてまわります。
逃げる事はできませんが、怖れる事もまた必要ありません。

ただ、精一杯稽古することです。
そして創作にたいして、観客にたいして、謙虚であることです。

作品のインスピレーションを読み解いたその暁には、それがあなたの姿であり、意見であり、すべての責任を負う仕事ープロフェッショナルーとなるのです。

あなたのクラウンとはなにか?を問うことは、「認められたい」とか「ほめられたい」などというプライベートな価値観ではたちうちできない勇気が求められるものなのだとココロしてください。




2011年03月19日

鳴らない笛

今後、被災地での活動が期待されるのはまず、ケアリングやホスピタルクラウンたちだろう。

彼らにとって「この時のためにこそー」という想いは強いはず。

直接顔を合わせて声をかけ手を取り合える彼らの奉仕が、一つでも多くの心の傷にバンソウコウを張って回ることができる状況に早く回復して欲しいー。

フレキシブルにパフォーマンスできる大道芸アーティストたちもまた、有効に被災地を活気づけられるはずだ。
但し、投げ銭を望むのが難しい状況ゆえ、できることなら企業などの資金援助団体に後ろ盾となって欲しいー。

では、照明や音響が必要で、舞台が活動の場である劇場クラウンにできることは無いのか?

ーないわけがない。
劇場クラウンも、ケアリングクラウンも、プロもアマも関係ないー。
人間であり、良心があり、共感する気持ちがあるのあなら、きっと何かできることはある。

直接被災地に赴くことも、被災地以外でパフォーマンスすることも、奉仕の精神を失わなければ、それは一つの援助となる。

何故なら、わたしたちは今回「日本」という単位で被災したのだから。

クラウンはあらゆるボーダーを越えていく豊かな芸術である。
誰かに笑顔を思い出してほしいということは「生きる力」の復活という意味だ。

互いを比べることなく、競争や分配などに足を引っ張られることなく、共に何ができるのかを考えるべきである。

そして逆さまに言えばー
どんなに技術の高い演技者でも、豊かな経験を持っていても、その根底に自己愛と自己顕示欲しか見いだせないのなら、鳴らない笛と同じなのだ。




clown_gigi at 22:34|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2011年03月16日

仕事が…

おそろしい勢いで仕事がなくなっていきます。

本決定されていた仕事も予告なくキャンセルー

本来1か月を切った仕事に関しては100%のキャンセル料が発生するのですが、このような状況ですから何も保障されないという非常に痛いものもあります。

既に予約の料金を入金した幼稚園からはキャンセルに伴い、全額の返金を求められたりもしていますし、今後、他のイベントや企画もどのようになっていくのか見当がつきません。

きっとクラウンの仲間たちも同じように苦い汁を飲まされているのでしょう。

本番のステージを3月、4月に控えている方々には厳しい判断を求められて胃の痛い思いをされていると想像します。

今はー耐えるしかありません。
どうか不安に負けないでください。

そして、次の機会を待ちましょう。
きっとあなたのクラウンを待ち望む人が待っているはずです。
続けていれば道も拓かれていくのです。

アメリカに住む友人たちからは、いよいよとなったら「アメリカ移住」などという嬉しい提案もいただいています。

でも、こんな時だからこそ日本でクラウンを続けたいとセサミは思うのです。
もう少し、もう少ししたら、きっと必要だと気がついてくれるはずです。
赤い鼻を磨いて待ちましょう。そして今は、あなたの周囲の人々にクラウンを行い、希望を見失わずに日々を過ごしていきましょう。





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2011年03月15日

今できることー

クラウンである自分にできることを問う人もいるだろう

もちろん私もその一人

もう少し時間が経過して数々の困難を無事に乗り越えた暁には
現実的に行えるいくつかのことがあるに違いない

けれど、今は事を起こす時ではなく、受容し感じ取り感性を磨く時期だと思う

感じることは表現できる
イメージできないものは伝えられない
伝えられる身体を保つには理解する頭も必要だ

アーティストこそ、この未曽有の事態を理解し作品へと変換できる力を持つべきだ

言葉にできないような苦しみや悲しみを癒しにつなぐパイプを探すのだ

何故なら、宗教や運動や哲学とは違う何かを持っているのがアートの世界だから…。

怖ろしい闇の底、人の醜さと愚かさに目を閉じて、心地良い子守唄をきいているだけでは根本を見失う。

今できることーそれは人の数だけあるけれど、現実から目をそらさないー出来事の中に潜む本質を見抜くことーそれが私たちの役目だと…いちクラウンの私は考えている


clown_gigi at 17:59|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)