
雲巌寺は大田原市の北東部、茨城県最高峰の八溝山南麓に位置する臨済宗妙心寺派の禅寺です。
禅の修行道場ですが、参拝は許されています。
雲巌寺を知ったのはけっこう最近で、2016年にミツマタの群生地を撮影するために伊王野と芦野を訪れた時…以来、年に数回参拝する社寺のひとつになりました。

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先に境内の地図をアップしておきます。
禅寺らしく、山門・仏殿・方丈が一直線に建つ整然とした伽藍配置。

入口に立つスギの巨木は推定樹齢500年以上…古刹と共に歴史を重ね、修行者たちを見護ってきました。

渓流に架かる朱塗りの太鼓橋と山門。
橋は瓜瓞橋(かてつきょう)という難しい名です。
「瓜瓞」を調べてみると…
瓜は一つの実から多くの種を生み、また一本の蔓に連なって実ることから、一族・子孫繁栄を意味します。
瓞(てつ)はまだ実りの浅い小さな瓜(ヒメウリ)のこと。
ここで得た教えを伝え続けてくれることを願って名付けられたのかもしれません。

JR東日本のデスティネーションキャンペーン、“大人の休日倶楽部”のCM(2018年)の撮影地。
橋の上で傘をさした吉永小百合さんがとても印象的でした。

橋の下を流れる渓流は那珂川の支流。

風格ある大きな山門。
向かって右には“雲巌寺専門道場”、左は“碧巌録提唱”。
碧巌(へきがん)録というのは、お茶席の掛け軸などでよく見られる「日日是好日」や「喫茶去」といった禅語などを収めた禅宗のテキストだそうです。

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境内の中央にあるどっしりとした仏殿と背後の高台に方丈。
雲巌寺の山号は「東山(とうざん)」です。

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仏殿には釈迦牟尼仏。

仏殿の左手には、天皇陛下かその使いの方が来た時だけ使う勅使門。
画像はありませんが、山門をくぐって左奥に芭蕉の句碑があります。
松尾芭蕉が“おくのほそ道”で最も長く滞在したのが大田原市の黒羽。
その滞在中、芭蕉の禅の師である仏頂和尚がかつて修業していたこの寺を訪れ、『木啄も 庵は破らず 夏木立』の句を詠みました。

鐘楼。

額には“鯨楼”と書かれています。

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自生している花はほとんどないのですが、6月上旬であればユキノシタが境内の湿った木陰に咲き乱れます。

馴染み深いユキノシタも、これだけまとまって咲き乱れると圧巻です。
よく見るととても繊細で小さな妖精のように可憐な花。

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医者や薬がなかった時代には民間薬として重宝され、食用としても利用されていたそうです。

仏殿の裏から方丈へ続く石段。

登るにつれ額に書かれた文字が大きく見えてきます。

「人面不知何處去 桃花依舊笑春風」
気になったので調べてみると…
今から約1,200年前、中国の唐の時代に活躍した詩人:崔護(さいご)の七言絶句の一節でした。
去年今日此門中 去年の今日、此の門の中
人面桃花相映紅 人面桃花相映じて紅なり
人面不知何處去 人面は知らず、何処にか去る
桃花依旧咲春風 桃花旧に依って春風に咲えむ
去年の今日、この門の中で、
あの人の顔と桃の花が、共に紅く映えていた。
あの人が何処に行ってしまったのかわからないけれど、
桃の花は以前のように、春風の中で咲いている。
どこがどう禅語と結びつくのだろう?どうやらいろんな解釈があるようで…「人面桃花」と検索すると出てきます。

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気になったので調べてみると…
今から約1,200年前、中国の唐の時代に活躍した詩人:崔護(さいご)の七言絶句の一節でした。
去年今日此門中 去年の今日、此の門の中
人面桃花相映紅 人面桃花相映じて紅なり
人面不知何處去 人面は知らず、何処にか去る
桃花依旧咲春風 桃花旧に依って春風に咲えむ
去年の今日、この門の中で、
あの人の顔と桃の花が、共に紅く映えていた。
あの人が何処に行ってしまったのかわからないけれど、
桃の花は以前のように、春風の中で咲いている。
どこがどう禅語と結びつくのだろう?どうやらいろんな解釈があるようで…「人面桃花」と検索すると出てきます。

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