美唄市の廃校 沼東小学校。

北海道で一番有名な廃校好きな人なら全国的にも行ってみたい廃校の上位に入るかもしれません。

もともと1階部分は水没しているんですが、ここ数日の記録的な豪雨により、さらに道のりは困難を極めました。


前回訪れたのは145年前の秋。

遠い記憶ですが、アプローチは覚えています。














川沿いの林道を車で橋まで進む予定でしたが、沢のようになった林道はスタック必至諦めて歩きます。

春先の山歩きのために使っているスパイク長靴が重宝しました。

この日は川の水量が異常に多く、ベアベルを鳴らして歩きましたが、熊さんには聞こえてなかったろうなぁ。


沢のようになった林道を橋まで約10分、そこから折り返してさらに豪雨で沼地のようになった藪こぎの獣道を5

右手に鉄骨が剥き出しとなった体育館跡が見えてきます。


























異様な存在感で自然の闇に溶けていました。














さらに藪こぎして進むと

旧沼東小学校の円形校舎に辿り着きます。























児童数20名ほどの教育所として1906年(明治39)に始まり、1947年(昭和22)に沼東小学校として開校。

三菱美唄炭鉱の発展とともに児童数も増えていき1950年代には29学級、児童数1,500名以上になったそうです。

校内は喧しいほどの賑わいだったでしょう。

この円形校舎は1958年(昭和33)から59年にかけて多くの児童に対応するために増築されたもので2つ建設されました。

沢沿いで立地が狭いことから、四角より丸の方が良いと円形校舎にしたそうです。























1972年(昭和47)に三菱美唄炭鉱が閉山。

2年後の1974年(昭和49)に閉校されました。














閉校から43

やっぱり訪れた日が悪かったなぁ

校舎周りの水量が半端ない。














螺旋階段の1階部分と2階部分の中間まで水没 下へは降りられない。

水鏡画像は諦めました。






































校内は不思議なことに沢の音が掻き消され静寂

雨漏れのような水滴が滴る音と、鹿の鳴き声、そして今の住人である蝙蝠の羽の音がこだましていました。



































光が届かない中心部の螺旋階段を照らす、天井部の採光窓














丸窓から入ってくる自然光により幻想的な風景となっています。














最近、螺旋階段にハマっているので、この光景をデジタル画像に残しておきたかった。



































近くのアルテピアッツァ美唄(木造校舎跡が美術館とcaféになっています)に行くと、当時の写真が残されています。

通学路って?校門って?何処だったんだろう?という疑問が解消されました。


鉱山が閉山して多くの人々が去り、施設を放置したままの旧経営陣が町を棄てると、それに付随して関わるものすべてが廃墟となってしまいます。その中には学校も含まれてしまいます。

当時の児童はアラフィフ今も現役バリバリで頑張っている世代。

でもこの円形校舎は、誰も居ない山中にポツンと残され、自然に還ってゆくだけです。

きちんと調べてから訪れると、感慨が深まります。