2017年09月












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鹿児島県民にとって良い意味でも悪い意味でも生活の一部となっている桜島。

鹿児島の放送局では天気予報で毎日必ずとりあげるように、風向きによる降灰は気にしているものの、噴火に関しては冷静に受け止めている様子です。

お客さんは、「洗車をすると必ず噴火するから」といって諦め顔でほとんど洗車せず











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鹿児島へ訪れば、どこからでも桜島を眺めることが出来ますが、僕ら観光客はせっかくですからとびっきりの場所から眺めてみませんか。















姶良カルデラ・錦江湾奥部と桜島を鳥の目線で眺めることができる寺山公園の大崎鼻展望台。


空港や霧島・姶良方面から高速を利用せずに鹿児島市内へ向かうと、錦江湾沿いのR10の景観に毎度ながら度肝を抜かされます。

桜島というよりか、延々と続く右手山側の断崖絶壁。

素人でも、この崖がカルデラの外輪山だということが理解でき、錦江湾は巨大なくぼみだったことがわかります。

阿蘇のカルデラが海になっちゃったという感じです。











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その巨大な外輪山に、寺山公園の大崎鼻展望台があります。











展望台の標高は約420m(桜島の北岳は1117m )。

桜島と錦江湾を空中から眺めているような開放感があります。












この案内板の文章が生々しい











画像では伝えきれませんが、大自然のパワーを感じる凄い展望です。


明治6年(1873 )、朝鮮への使節派遣を反対されて帰郷した西郷さんは、世の中のことを考えずに温泉につかりながら、しばらくのんびりすごしたのでしょうか。

そして、翌々年この地に開墾社をつくり、自分も生徒とともに鍬をふるいました。

当時の開墾社には、西郷さんと行動をともにした「陸軍教導団」の生徒も約百名入っており、昼間は開墾につとめ夜は学問に励み未来をみつめたのでした。

ここからの絶景を、西郷さんはどのような想いで眺めていたのでしょう

自ら農夫となって士族の将来を拓こうとした西郷さんの夢も、後の西南戦争の敗北とともについえたのです。









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西郷さんの曾孫隆夫さんと顔立ちがそっくりなガタイの良い武士が

存在感たっぷりに睨みをきかせています。


できれば旅の始まり、ホテルにチェックインする前に訪れてみてください。鹿児島の旅の印象が随分変わるはずです。

ファミリーであれば近くの吉野公園が広々としておすすめ。お弁当を持っていけば素敵な思い出がつくれそうです。












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小牧市民四季の森にある螺旋階段は、見上げると天井に可愛らしい星座が描かれています。


















蠍座、蟹座、水瓶座、牡羊座の4つ。

何故4つ?

残りは他の施設に描かれているのかな?











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とても広大で素敵な公園でした。

明治村とあわせて訪れてみたらよいかもしれませんね。












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日本昔ばなしに出てくるような、おむすびの形をした里山が、ぽこぽことある讃岐。

瀬戸大橋から最初に目に入るのが、ゴールドタワーと青の山です。











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この辺りの山らしい山といえば、讃岐富士と呼ばれる飯野山と青の山。

飯野山は山歩きが必要ですが、青の山なら車で山頂まで行けます。

ナビの目安は青の山墓地公園。

ここから山道を数分走ると駐車場があります。

駐車場からの眺めも素晴らしいんです。











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飯野山(讃岐富士)をきれいに望めます。

飯野山と青の山は兄弟と云われており、兄弟喧嘩で兄の飯野山に頭を切られたために、青の山の山頂は平らになったという伝説があります。

岩手県の三山伝説に似てますね。











ここから広い草原になっている山頂広場までは徒歩で数分。

古墳があったり、子どもが楽しめる遊具があったり、家族連れにおすすめです。

展望台は広場の一番奥。

こじんまりとした東屋も兼ねています。











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展望台からの眺めは180度ほどですが、四国に来たなぁと実感できます。











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黄金のトイレなどで話題になったゴールドタワー

現在は、タワーよりも足もとのプレイパークゴールドタワーがファミリーに大人気。











工場の奥には猫の楽園・王子が岳。


僕は観たことがありませんが、瀬戸大橋やゴールドタワーのライトアップがアクセントとなった夜景スポットとしても有名なようです。

車で気軽に訪れることができて、四国に来たなぁと実感できる展望台です。












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原爆の被害者であるはずのヒロシマは、実はアジアへの侵略拠点としての「軍都」であったことは、若い世代には意外と知られていません。  

ましてや、その沖に浮かぶ大久野島が、かつて国際社会に隠れて毒ガスを製造し、中国その他で使われていたことなど、どれだけの日本の人々が知っているのでしょうか? 











キャンプ場でテン泊した翌朝。

うさぎの鳴き声で起こされ、遺構巡りをしながらトレッキングしてみました。

大久野島は一周約4km

小さな島ですが、所々アップダウンがありそこそこ楽しめます。

そしてなにしろ何処を歩いてもうさぎが猛ダッシュして近寄ってくるから癒される。
















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発電所跡の近くにあるのが火薬庫跡。











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屋根が落ちてしまっているので大変なことになっています。











大きな鉄塔に向かって登山道を登っていくと











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展望台。島の山頂部にあたります。


















北に進むと規模の大きな中部砲台跡。











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なんと7連の掩蔽部(えんぺいぶ)跡。

友ヶ島第3砲台跡でも5連( 4連+1連)ですからびっくりです。


















そして中央5つの掩蔽部は横穴で繋がっていました。











内部の状態も抜群に良いです。兵舎や弾薬庫として使用されていたのでしょう。











さらに奥へ進むと遺跡のような砲座エリアが2か所。











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この巨大な鉄塔は高さ226m…

通天閣が108m、京都タワーで131m…

2つを足したぐらいの高さです。











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尾根づたいに木段を降っていきます。

ここからの眺めが一番良いかもしれません。

降りきると北部砲台跡です。











一段低い砲側弾薬庫











ここが変わっているのは、砲座に毒ガスタンクの台座が置かれていること。

砲台を潰してまでも毒ガスのタンク置場が必要だったのでしょう。











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最後に、山肌を切り通して造られた長浦毒物貯蔵庫跡。











ここはある意味おどろおどろしい遺構でした。毒ガス貯蔵庫ではなく、毒物貯蔵庫


















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終戦後、貯蔵されていた毒物は火炎放射器で焼却処分され、その名残が建物内部の焼け跡となって生々しく残っていました。











大久野島で作られた毒ガスは、小倉で弾に充填され、中国大陸へと運ばれていきました。

中国大陸の戦争において、日本軍に毒ガスは必要不可欠なものでした。

ノモンハンで大敗したソ連への対抗手段として密かに開発された毒ガスを、実戦で威力を試す為に中国で使われたわけです。

国際法などおかまいなく…

世界を騒がす、とある国家やとある組織と変わりませんよね。

戦争は、人を狂わせます。

もしこの島にうさぎが居らず遺構巡りをしていたら……ゾッとします。

友ヶ島以上に状態の良い遺構が残っている大久野島。

広島に残る「もうひとつの戦争の爪痕」ではありますが訪れてみてください。

大丈夫です。うさぎが癒やしてくれます。

彼らは"神の使い"かもしれません












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国内だけでなく海外からも観光客が訪れる、瀬戸内に浮かぶ大久野島。

現在はうさぎ島と呼ばれる平和な島ですが、

戦後40年後の昭和59年( 1984)に、旧日本軍が毒ガスを製造していたことが公にされました。


大久野島が毒ガスを製造していたことが知られなかったのは、"化学兵器製造の実態が内密"とされており旧軍事関係者しか知らなかったから。


何故、"化学兵器製造の実態が内密"かというと、

第一次世界大戦でドイツ軍により初めて近代的な化学兵器が使用されたことを受け、大正8年(1919 )のヴェルサイユ条約では、ドイツのみ"保有禁止"と定め、

さらに昭和3年(1928)のジュネーブ議定書では、制限を国際的なものとして、戦争における化学兵器や生物兵器などの"使用禁止"が定められたからです。

ただし、ジュネーブ議定書において制限されたのは"使用のみ"で、開発、生産、保有が制限されたわけではありませんでした。

軍部はこの抜け穴を合法と捉えて毒ガスの製造を行っていたのです。


何故、大久野島に製造拠点の白羽の矢が立ったのかは、単純に地理的条件がよかったということのみのようです。


昭和4年(1929)ウォール街大暴落(世界恐慌)の年、本格的に毒ガスの製造を行います。

以後、大久野島は~地図から消された秘密の島~になってしまいます。


ところで、"誰が製造・従事していたの?"というと、近隣の住民だけでなく、国家総動員法の徴用令状によって連れてこられた若者たち。

徴兵令状は赤紙、対して徴用令状は青紙と呼ばれていたそうです。


元従事者たちは、戦時中は島での作業は口外厳禁、戦後は毒ガス工場に従事したことで差別されるのではないかと恐れ、また毒ガスによる健康被害や後遺症に悩まされる人が相次ぎました。


大久野島で過酷な毒ガスの製造に関わった人々の心と肉体の苦しみが、広島に残る「もうひとつの戦争の爪痕」です。











以前掲載した黒滝山。

http://blog.livedoor.jp/club007/archives/3336162.html

右下の港が忠海港。奥は大三島。

大きな鉄塔のある小さな島が大久野島で忠海港から船でわずか15分です。











宮島の鹿、男木島の猫大久野島のおもしろいところは、うさぎがたくさん居ること。

昭和46年(1971)に島外の小学校が飼いきれなくなって放した 8羽のうさぎが野生化して繁殖したそうです。

5年前の夏、家族と12 日で訪れました。

夕方の船で港に着くとさっそくモコモコしたうさチャンがダッシュして来て餌をねだります。










こりゃメロメロだぁ癒されるなぁ。


うさぎは縄張り意識の強い動物で、傾斜地に巣穴を掘り、家族で暮らしています。
家族の判別は体の匂いで判断し、もしその縄張りに違ううさぎが入ると激しい争いになり(叫び声も凄い…)、ほとんどのうさぎが耳や目に怪我をしてます。
















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港の近くの、うさチャンが寝転ぶトンネルを抜けると発電所跡があります。











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毒ガス製造の際に電力を供給していた発電所で、終戦後は米軍が弾薬庫として使用していたそうです。

重厚感があり大きいですね。


















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外壁は蔦に覆われ、一部鉄筋が剥き出しになっており風化が激しい











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この時代の発電所跡に多くみられるモダンな窓枠。窓ガラスはことごとく無くなっています。











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柱のない広い空間の発電所内はご覧のようにがらんとしており、足もとには割れたガラスの破片が散らばっています。


















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3階相当の大きな建屋と2階ぐらいの建屋の組み合わせ シンプルな造りのようで、なんか面倒くさい構造。











発電機やタービンがあった基礎部分は、終戦後に米軍が弾薬庫にするため、ハツったり埋めたりして平らにしたような形跡があります。



















多くの発電所跡の壁にみられる穴(碍子の跡など)も目立ちません。



















大きさに圧倒されて当時の状況を偲ぶことすら出来ませんでしたが、他の発電所遺構とは違い、神妙な気持ちで時を過ごしていた記憶があります。











写真を撮ろうとしてしゃがむとうさチャンが膝の上に手をかけてきたりするのでびっくりします。忍び足で近寄ってくるからなぁ












この日は星を眺めながらキャンプ場でテン泊をしました。

戦後何年経っても癒えない傷が残る遺構を見学した後でも、不思議と暗い気持ちにならなかったのは、僕らを見つけると猛ダッシュで近寄ってくるうさぎ達のおかげなのかな

そんな彼らと翌日も遺構巡りをしてみました。


その2へ続きます。

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