2020年02月

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浦添ようどれは、浦添グスク跡の北側崖下にある王陵で、太陽の子(てだこ/英祖王)、そして尚寧王(しょうねいおう/独立国家としての琉球王朝最後の王)と彼の一族が眠っています。

「ようどれ」とは琉球語の夕凪(ゆうなぎ)”のことだそうです。

浦添ようどれを含めた浦添グスク跡の残る前田高地はとても見晴らしが良く、首里城とは違った趣きがあります。浦添グスクは古琉球時代である13世紀に建てられ、15世紀に首里へ遷都するまでの間、中山王のグスクつまり琉球王朝の王府のあった場所。いずれは世界遺産へ追加登録されるかもしれませんね。


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前回アップした普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)から浦添大公園のA-3駐車場前広場(御墓番屋敷跡)を通ってきたので、通常の観光ルートとは時系列が異なります。


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ようどれの石垣は三段に組み上げられ、城門や石垣で繋がり、最上部に石室があります。更にその上の奥に見える石垣は浦添グスクの石垣。超広角レンズでないと全てはおさまりません。


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この辺りは2度の侵略(1609年の薩摩軍侵攻と沖縄戦)と戦後の採石で徹底的に破壊されましたが、関係者による長年の地道な発掘・復旧作業で、古琉球の風景が蘇りました。


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芝生広場では、とうやま保育園の園児たちが仲良く手を繋いで散歩しており、沖縄らしい微笑ましい風景でした。


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ようどれへの道は、まず、現世とあの世を結ぶ役割の門…“暗しん御門(くらしんうじょう)”を通ります。


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もともと薄暗い素掘りのトンネルでしたが、沖縄戦で天井の岩盤は崩れてしまいました。


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道にそって左へ曲がると、二番庭と呼ばれる狭い枡形状の場所へ。石段の左右に礎石が残っていることから、ここにはかつて石門があったのでしょう。


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二番庭から、石室のある一番庭へと通じる美しいアーチ石門。


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想像以上に大きな一番庭には、白亜の石室が二つありました。向かって右側の石室には、太陽の子(てだこ)である英祖王が、


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左側には尚寧王と彼の一族が眠っています。

英祖王がこの地に眠るのは合点がいきますが、尚寧王は首里の玉陵でなく、何故この地で眠っているのでしょう?


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諸説ありますが

前国王の尚永王に世継ぎがなかったため、尚寧王は分家の浦添尚氏から王に即位しました。

その後1609年に薩摩が琉球に攻め入り、首里城は陥落。琉球は降伏し、王は薩摩に連れて行かれ、実質的には薩摩の属国となります。

尚寧王は、2年の抑留から琉球に帰ることが許されましたが、このことを恥じて、没後、首里にある王家の墓(玉陵)に入ることを潔しとせず、遺言でふるさとの浦添の墓に入れるよう言い残してこの世を去ったといいます。尚寧は悲劇の王ともいわれています。

ちなみに琉球オペラなどで上演される、尚寧と王妃であるアオリヤエの愛の物語当初は別々の墓で眠っていましたが、没後100年以上経過後、この地に移され一緒に眠っています。


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見事に復元されています。


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眺めも素晴らしい。


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ようどれの上、前田高地に残る、浦添グスク跡に向かってみます。


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芝生広場から見えていた浦添グスク跡の石垣。


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前田高地に来ると、グスク跡だけでなく戦争遺構が数多く残り、急に現実へ引き戻されてしまいます。

ここは、沖縄戦で日本軍の防衛拠点となり、米軍と激戦を繰り広げた地です。


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読谷と嘉手納の海岸に上陸した米軍は、北部を占領したあと南下し日本軍司令部のあった首里を目指しました。

前田高地は首里の北側で防御壁の役割を果たしていて、米軍はここを突破しないと首里に到達できません。

そして、日本軍はこの場所に兵力を集中し、米軍を迎え撃ったのです。

日本軍の徹底抗戦により、米国の戦史で「ありったけの地獄を一つにまとめた戦場」といわれた戦いが繰り広げられました。

2017年に公開された映画、メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」が記憶に新しいです。


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画像中央の緑の森が、嘉数の戦いとして日米両軍が激戦を繰り広げた嘉数高台公園。そしてそこから右手に伸びる滑走路が普天間基地です。


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渡嘉敷島もくっきり見えています。

本当に眺めの良い場所です涼しい今の時期だからでしょうか、若い女性たちが散策している姿を多く見かけました。


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昨年10月にゆいレールがてだこ浦西駅まで延伸され、浦添グスク跡へのアクセスが楽になりました。今まで以上に注目を浴びるかもしれません。

英祖と尚寧が眠るようどれの内部は、近くの「浦添ようどれ館」で実寸大のレプリカを見学できます。

英祖が生まれたとされる伊祖グスクから、普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)、英祖と尚寧が眠る浦添ようどれ・浦添グスクまで歩いてきました。この後は、ゆいレールの浦添前田駅に移動し、首里へ向かいます。

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浦添には琉球王府時代につくられた、由緒正しい歴史の道(宿道/しゅくみち)2本残っています。


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ひとつは、首里城を起点に浦添城、北谷を経由して読谷に至る中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)。もうひとつは、浦添城から普天満宮に至る普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)です。

ともに15世紀後半以降に整備された現代でいう舗装路で、王命の伝達や役人の往来・物資の運搬などを迅速に行うためにつくられました。

今回アップする普天満参詣道は、国王が普天満宮へ参詣する際に往来した道であり、「当山(とうやま)の石畳道」として浦添八景に選ばれています。

当時のまま残っている石畳道は約200mちょっとこれだけの長さが残る石畳道は、首里金城町石畳道とココぐらいだそうです。


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伊祖公園から浦添大公園の遊歩道を歩き、牧港川沿いの小径に向かう石段あえて観光ルートではない道を歩いてみます。


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手入れされていないガジュマルは、締め殺し感が半端ない


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普天満参詣道に着くと東屋の先に美しい石橋がありました。


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牧港川に架かる当山橋大正から昭和にかけて修復された歴史を感じる美しい石橋です。


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当山橋から普天間宮側に向かう登り坂。


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頭上には爆音とともに米軍機が飛んでいます。


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当山橋から浦添城側(南入口)に向かう急な登り坂。


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浦添城側から振り返った下り。


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多くの人々が往来し踏みしめてきた石畳歴史を感じます。


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首里金城町石畳道とは違い、所々雑草が繁っています。そして現在は生活道路としてあまり利用されていないのか、おばぁがのんびりと坂道を登る姿を見かけることもありません。たまに轟く米軍機の爆音以外は静かな石畳です。琉球の歴史にふれながら、今の沖縄の問題も少し考えられる場所かもしれません。


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車の場合は浦添大公園のA-3駐車場(キレイなWCがあり、浦添ようどれの近くです)。もしくは、石畳の南入口の急坂付近に45台駐車可能な空き地があります。

もうひとつの宿道である中頭方西海道なら、安波茶橋(あはちゃばし)周辺に趣のある石畳道があり、2連の石橋も残されています。

浦添城跡の石碑から安波茶橋を渡り、中頭方西海道を一路南進して首里まで歩く「尚寧王の道をたどる」ツアーは、毎年113(文化の日)に行なわれている恒例行事だそうです。

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琉球王朝発祥の地・浦添市の伊祖公園内にある伊祖グスク跡は、太陽の子と呼ばれ琉球史に名君として名を残す英祖王(えいそおう)の生誕の地として伝えられています。

太陽の子(てぃーだのこ)とは浦添市のキャッチフレーズ「てだこ」の語源です。


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綺麗に整備された伊祖公園は、旅の移動疲れを癒すにはもってこいの沖縄らしい公園で、グスクの物見台からは渡嘉敷島を望むことができ、沖縄の心地よい季節風を感じることができます。


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浦添大公園の北側、住宅街の高台に位置し、以前アップしたカーミージー(亀瀬)や港川ステイサイドツタウンの近く。


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繁盛店・高江洲そばさんの裏手になります。

この日はレンタカーを使わずに、とまりん前の泊高橋バス停から琉球バス(具志川BT行き)に乗り浅野浦バス停で下車(¥290)

伊祖城から浦添大公園の浦添城を歩き、浦添前田からゆいレールで儀保まで移動して首里近辺を散策するというプランです。


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浅野浦バス停から10分ほどで伊祖公園大きな駐車場と綺麗に清掃されたWC、たくさんのアスレチック遊具もあり、思っていた以上にアップダウンのある大きな公園です。


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高台にある展望広場へ向かうと、前回アップした那覇市内同様、こちらも緋寒桜(ヒカンザクラ)が満開でした。


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そして気根をスパッとカットされたおかっぱガジュマル”(勝手に命名)


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そのせいなのか、樹高のわりに根元が細いので倒れてしまいそう


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伊祖グスク跡の入口は、広場奥にある木階段(史跡説明の案内板があります)


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でも、ハブの心配の少ない今の時期で、脚力に不安のない方なら、おかっぱガジュマルの裏手からちょっと遠回りして伊祖グスク跡に向かうのがおすすめです。石畳を歩き、


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鬱蒼とした石段を登り、


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丘陵を囲むように巡らされている石垣とその先の浦添の街を眺めると、このグスクの規模やロケーションがよくわかります。


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木階段の先は、白い鳥居まで続く石灰岩剥き出しの石段…SNSによくアップされている風景です。


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鳥居の先に鎮座する伊祖神社とガジュマル。

1934(昭和9)、城門のあった場所に鳥居、本丸跡にはグスク内の拝所を合祀しコンクリート製の神殿を建て伊祖神社と称しました。グスクの本丸跡が神社になっているというのは珍しいのでは。

伊祖グスクは、英祖の父祖代々の居城と言われており、築城年は不明ですが、英祖の生年から推察すると13世紀初頭の創建と考えられています。


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伝説では、英祖の父は天孫氏の流れをくむ恵祖世主(えそよのぬし)で、伊祖の按司(あじ)でした。

彼には子供がいなかったそうですが、ある日、日輪(太陽)が飛んできて妻のふところに入る夢をみました。


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後に生まれた男の子が英祖で、神号は英祖日子(エイソのテダコ)となっています。英祖は非常に戦上手で、「伊祖の太陽」と称されていたそうです。

琉球王国の初代王統とされる舜天王統(しゅんてんおうとう)は伝説性が高いといわれており、その次の王統とされる、英祖王統が沖縄で生まれた最初の王統と考えられています。

毎年7月に開催される「浦添てだこまつり」では、ここで太陽の光から火をおこす採火式が行われているそうです。


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神社の裏手には物見台跡があります。


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目線に電線があるのが残念ですが、とても素晴らしい景色が広がっています。


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牧港の先には渡嘉敷島。沖縄では高台からの展望でも目印となる山や建造物が少ないので、海に浮かぶ島や半島が確認できると方角や位置関係がわかるので助かります。


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読谷村(座喜味城)方面。


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中城村(中城城)方面。

700年以上も前、幼い頃の英祖は、この地に立ってどんな未来を夢見ていたのでしょうか

ここ伊祖グスクもカーミージー(亀瀬)同様、浦添八景のひとつです。

他の八景である当山の石畳・浦添ようどれ(英祖王の陵墓)・浦添グスク(英祖王の居城)に向かって散策してみます。

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青空の下、濃いピンクの緋寒桜(ヒカンザクラ)と花蜜を求めるメジロの姿が沖縄の春を告げてくれます。

日本一早く咲く沖縄の桜といえば緋寒桜(ヒカンザクラ)。彼岸桜と混同されやすいため、寒緋桜(カンヒザクラ)とも呼ばれています。

本州の桜前線とは逆に、北から南へ南下しながら開花するのが特徴で、本島北部の名護周辺では1月頃から咲き始めます。

2月の中旬に入り、ようやく本島南部でも咲き始めました。

桜まつりが開催されている与儀公園まで行かなくても、市内あちこちで咲いてますので、半日ぐらいはレンタカーを利用せず街中をぶらぶら散歩してみるのもいいかもしれません。


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与儀公園の桜並木。


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椰子の木と桜というアンバランスさが面白い。


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泊港に近い安里川沿いに咲いていた緋寒桜(ヒカンザクラ)。手入れをしていたオバアの話しによると、戦後、やんばるから移植したそうです。


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河津桜よりも濃いピンク色の花びらが特徴。


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こちらは伊豆の河津桜。


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住宅街に咲いていた緋寒桜(ヒカンザクラ)


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ワッと花が咲くのではなく、濃いピンクの鈴なりの花が俯きがちに可愛らしく咲きます。


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花の大きさは1.52.5cm程度花弁は散らずにガクのついた状態で落花します。


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ですからお膳にのせると素敵なアクセントになって、目でも楽しめます。


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冷たい風が吹き、日差しが届かない日が続いていましたが、緋寒桜(ヒカンザクラ)の開花とともにすっかり春らしくなってきました。

しばらく沖縄那覇周辺の備忘録を続けます。

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南瀬戸内海に突き出した室津半島にある大星山(おおぼしやま)。山頂の展望広場は、西側に開けているので年間を通して周防灘に沈む夕陽を見ることができる貴重な絶景スポットです。

ここから夕陽を見たことはないので再訪する機会をうかがっていたのですが、展望台にある名物の滑り台が劣化のため撤去されたと聞き、懐かしさを込めてアップしてみます。


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周防大島の西にあたる室津半島(熊毛半島)。周防大島が金魚のような形をしているのなら、室津半島は長島を含めるとタツノオトシゴのような形をしています(地元自治体ではイタリア半島にも似ている地形に着目し、イタリアにちなんだ町おこしを行なっているそう)


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半島中央の尾根沿いに整備された室津半島スカイランは、皇座山(おおざさん)まで続く20kmほどの山道。スカイラインといっても、概ね1.5車線でアップダウンも多くけっして快走路ではありません。だからでしょうか、ツーリングが好きな方かヒルクライムをするサイクリストさんが利用する程度で交通量は多くありません。


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R188の室津半島スカイラインの入口(ストリートビュー画像)。信号のない交差点に、有名な般若寺とスカイラインの案内板があります。


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30分弱で大星山展望広場下の駐車場に到着です逆光なので太陽が眩しい。


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周防灘がドーンっと広がっています。奥に見えるのは大分県の国東半島意外と近くでびっくり。


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振り返ると聳え立つ風力発電の白い巨大風車。


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青い空とのコントラストが素敵です。


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そして展望台から伸びる滑り台と、砂場を囲む動物たちがとてもシュールな光景です。


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展望台は360度のパノラマビュー。


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四国の佐田岬まで見えるから驚きです。


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そして絶景滑り台。

こういったロケーションはなかなかないので、童心に返って滑ってみました。撤去に伴う工事は3月中旬まで行われるそうです。


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ここはやっぱり夕陽なんでしょうね。マジックアワーの時はどんな表情をみせてくれるのでしょうか。再訪するのが楽しみです。

他にも皇座山(おおざさん)の展望台、そして上関大橋で繋がっている長島の上盛山展望台など、室津半島にはあまり混雑しない絶景スポットがあります。


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長島の上盛山展望台。


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正面の白い建物が光輝病院ですから、左にある風車あたりが大星山。


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こちらは皇座山。


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上関大橋の向こうにはうっすらと四国が見えます。


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長島の南端へ続く稜線と祝島、ここからも美しい夕陽が見れそうです。

こちらも360度パノラマビューで素晴らしい展望です。ただし、風通しが良過ぎるので冬場は辛いかもしれません

室津半島をぐるっとのんびりドライブ観光名所や絶景スポットの宝庫である山口県では、時間に余裕がないツーリストにとってかなり贅沢なスケジュールかと思います。でも今のところ大型観光バスやインバウンドは少ないので、静かに南瀬戸内の多島美を楽しむことができる穴場かもしれません。

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