カテゴリ: 旅/沖縄

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美しい三連アーチの石門です。崇元寺通り沿いの中で、一際目を引く重厚感のあるアーチ石門と大きなガジュマル。那覇に宿泊する際にはたびたび立ち寄る、心落ち着く場所です。


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トンネルのような石門をくぐると別世界。


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崇元寺通りの喧騒がウソのように安らぎの空間に包まれます。


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国宝であった本堂があった場所は沖縄戦で焼失し、今は何もなく広場になっており、大きなガジュマルとベンチ替わりの石段が残るだけ。


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琉球王朝歴代の霊廟であった崇元寺

中国からの冊封使は、ここに立ち寄って先王の霊を慰めてから、首里城に赴き、新王の冊封の式典を行ったそうです。

冊封(さくほう)とは、各国の有力者が、中国皇帝から国王として承認を受けることです。そして、新国王の即位式をとりおこなうために、中国皇帝の命をうけた冊封使(さくほうし)が特定の国々へ派遣されました。

中国に朝貢を行なっていた琉球では、国王が死去すると、王位継承者 (世子)が中国へ使者を派遣し、自らを「琉球国中山王」として冊封することを請います(請封)。琉球からの請封を受け、中国から役人が琉球へ派遣され、先王を祭り(諭祭)、新しい国王の冊封の儀式を執り行いました。


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琉球王朝歴代の霊廟ですから、当時の人々は、崇元寺門の前を通る時、必ず馬から下りて、礼を尽くさねばなりません。


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大きく育ったガジュマルの木陰でひと休みしながら深呼吸不思議と歩き疲れた身体を癒してくれます。

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首里の丘の南東にある高台の稜線の中でもっとも高い位置にあるのが雨乞嶽の丘です。この丘には雨乞御嶽があり、大旱魃の時には、琉球国王が自ら雨乞いの祈願をされたことで知られています。

現在は公園として整備されており、展望台からは那覇市内の中心地を見渡すことができることから夜景スポットとしても人気があります。

閉園時間のある西のアザナでは夕日やマジックアワーを楽しみ、どっぷり暮れた夜景は雨乞嶽で楽しむそんな贅沢なことが可能です。

ちなみに今回、夜景画像はありません


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観光客で賑わう龍潭通り側と違い、比較的落ち着いているエリアですが、王府時代から庶民の町として栄えてきた町だけあって、史跡や街並みに歴史を感じます。

首里城南口から向かってみます。


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赤マルソウ通りとの交差点にあるのは樋川?


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ここから石張りの直線道路がしばらく続きます。歴代の琉球王家が馬揃えを行っていた馬場跡です。


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現在は、通りに泡盛の瑞泉酒造があることから瑞泉通りとも呼ばれているそうです。


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瑞泉の脇道を上って行くと右側に崎山御嶽と崎山樋川があり、中央に雨乞嶽展望台へ続く遊歩道があります。


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展望台の廻りはキレイに整備された円形広場。


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東屋のある展望台からの景色はとても素晴らしい。


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那覇中心部への抜けがいいので夜景がキレイなことがわかります。中央左が前回アップした繁多川公園。その左には金城ダムがちょこっと見えます。


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展望台の下にあるみはらし館の屋根どんだけシーサーがあるのでしょう


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展望台の横には、国王が自ら雨乞いの祈願をした雨乞御嶽があります。


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首里城の美福門が見えました。樹木に隠れて見えませんが、美福門の下に、去年の2月に御内原の公開に合わせて開門された継世門があります。

雨乞嶽は、繁多川公園同様、県外からの観光客があまり訪れない首里の穴場スポット。とにかく景色が素晴らしいのでおすすめです。

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真珠の道と書いてまだまみちと読みます。真珠のように美しい道だったので、この名が付けられたそうです。首里城南口から真珠道(まだまみち)を少しだけ散歩してみました。


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島添坂金城町石畳道を下り、識名坂を上って繁多川公園までです。

以前アップした普天満参詣道は北へ伸びる宿道でしたが、真珠道は首里城から南の那覇港南岸まで伸びる約9kmのアップダウンの激しい道。

防衛(倭寇などから)の為に整備された軍用道路で、一般庶民の交通路としても利用されていました。


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首里観光定番スポットである、島添坂と金城町石畳道(金城坂)も真珠道の一部です。


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島添坂の前半は緑に覆われ、山側は石灰岩の岩肌が剥き出しになっています。


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くるっと左に曲がると視界が開け、ここから金城町の住宅地を下っていきます。

この道が完成したのは約500年前、第二尚氏王朝の時代当時はどんな景色だったのだろう。


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赤マルソウ通りを渡るとおなじみの金城町石畳道が始まります。グスクのような高い石塀です。


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金城町石畳道の代表的なショット。石敢當から左へのびる脇道を進めば大アカギ、石畳道のはるか先には、ウネウネとした識名坂と繁多川公園の森が見えます。とても見晴らしの良い場所です。ちょっと大アカギへ寄り道してみます。


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内金城嶽の大アカギの森。ここには樹齢200年越えの大アカギが6本も残っています。


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触れることが出来る大アカギ。

以前、浦添ようどれをアップした時にもふれましたが、沖縄戦で、読谷と嘉手納の海岸線に上陸した米軍は、浦添の前田高地を攻略し、首里を北から攻めたので、首里の丘の北側は何も残らないほど破壊されてしまいました。一方、南側は比較的被害が少なく済んだようです。


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内金城嶽の小嶽と神が宿る大アカギ。


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そして最長老、樹齢300年以上の大アカギ素晴らしいの一言につきます。


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石畳道に戻り、坂の途中にある金城村屋で疲れを癒します。


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畳にゴロンっと横になって、少しうたた寝


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金城村屋の隣にあるのは金城大樋川、かつての共同井戸です。

立派な井戸ですねぇ。急斜面にあるため、3(後左右)にがっしりした石積みが組んであります。


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かけ樋は二本あり、


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半月型の貯水槽から溢れ出した水は奥の排水溝に吸い込まれる坂を行き来する人馬が樋川の水で喉を潤し、一息入れた場所です。このあたりには他にもたくさんの井戸が残っています。水が豊かな場所だったんですね。


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金城橋まで下ってみます。


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交差点を渡り金城橋に差し掛かると、前から気になっていたモノに目が止まりました。


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特大ジャンボシーサー口角がキュッと上がった優しい顔つきです。

ここからは豆腐の町・繁多川(はんたがわ)地区、そして長い上りが続く識名坂(識名平)…朝から歩き続けてきたので足取りが重くなってきました

現在の識名坂は石畳道ではなく普通の舗装路です(先日、舗装路の下から当時の石畳道が発見されています)。坂の途中、左手にあるのが繁多川公園。


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丘の斜面に造られた公園で、大きな広場はありませんが、椰子の木に囲まれた遊歩道があります。


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竹のように筋が入った美しいユスラヤシ。


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ユスラヤシというと沖縄市知花の東南植物楽園の中にある並木道が有名ですが、沖縄の街路樹として珍しくない椰子の木です。


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不思議な根をしていますね。


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緋寒桜も満開でした。


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トックリヤシと緋寒桜、沖縄ならではの光景です。


真珠道の一部を歩いてみました。

戦争の被害が少なかった首里の丘の南側には、石畳だけではなく、アカギや御嶽、多くの井戸が残っていて、平和で心が豊かな頃の沖縄を感じることができます。そして繁多川地域は戦前から、豊富な水を利用した豆腐づくりの町として知られています。首里へ豆腐を売りにゆく人、首里から豆腐をもとめにくる人当時の人々は豆腐を抱えて真珠道を往来していたのでしょう。

この後は夜景スポット、雨乞嶽へ向かいます。

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解体が始まってから焼け焦げた独特の臭いがまた少し増したそうです。たしかに現在の迂回ルートとなっている奉神門の横から窺える南殿・番所からは生々しい臭いがしました。それでも、京の内に入ると今までと変わらぬ首里城の緑が広がっています。

燃えた建材が撤去され、雨が降る度に少しずつ燃え跡も洗われて臭いも減っていくのでしょう。


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園比屋武御嶽石門


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歓会門


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瑞泉門からの景観いつもと変わらぬ首里城の風景。


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漏刻門に近づくと異変に気がつきます。


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広福門前から見た北殿すでに足場が組んでありますが、黒く煤けた瓦屋根が確認できます。


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迂回ルートとなっている奉神門の横から窺える南殿・番所。正殿の姿はありませんが猛火に耐えた大龍柱は残っていました。


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10年以上前の正殿。


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正殿の正面で向かい合って立っている2本の大龍柱の位置がわかります。


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京の内入口からの景観。皆一様に現実を受け入れることが出来ない様子でした。


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京の内の物見台からの眺め。


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そして那覇で一番の夕日の名所、西のアザナからの眺め。


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往時の通用門だった久慶門。


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10年以上前の画像当時の僕にとっては、首里城といえばこの景色。沖縄グスク跡に興味を持つきっかけとなりました。


無料エリアは従来通り開放されており火災の影響はありません。

出火の原因の特定に至らなかったとして、県警の捜査が終わり、撤去作業に入ったことにより原因究明と責任の所在はあいまいなままになるかもしれません。

今後は見せる再建の一環として、市民参加型の撤去作業を行い、GWまでには有料エリアの一部公開を目指しているそうです。

今日はまだまだ歩きますこれから金城町石畳道へ向かいます。

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前回アップした浦添グスク跡から向かってきたのはゆいレールの儀保駅。

今となってはあまり立ち寄らなくなっていた首里城周辺の古い街並みを散歩してみました。


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こんな感じのルートです。この日は本当に歩きまくりました


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今回アップするのは儀保駅から首里城までのスナップ画像。

この道を歩くのは久しぶりです。


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儀保交差点から数百m進むと三又の交差点があります(知念商店さんがあるところ)

まっすぐ進むと安谷川坂。この道は、かつては首里城と浦添城を結ぶ宿道でした。


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坂の途中にあるのが玉那覇味噌醤油店。入口の石畳が歴史を感じさせます。


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創業はペルーが来航した頃の安政年間(1854年〜1860)。以後約160年間、歴史ある蔵を守りぬいています。


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蔦に覆われた長い石塀は当時のままだそうです。


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さらに坂をあがると左手にあるのが安谷川御嶽。

裏に保育園があるので、時間帯によっては賑やかです。御嶽ではあまり見られないアーチ石門の拝殿には赤い格子があり、アーチをくぐることは出来ませんが、横から内部に入ることが出来ます。


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路地裏に入ってみたら立派な緋寒桜の大樹を見つけました。


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満開。


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まるで武者返しのような変わった外観の立派な住宅です。


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そして首里劇場。


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もちろん今も現役です。


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龍潭通り手前にのこる大和井戸。


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この付近には、琉球国王尚家の子孫の住まい(松山御殿)があるなど、琉球王朝ゆかりの史跡も数多く残されています。だからでしょうか、京都東山を歩いているような気持ちになります。古い街並みをぶらぶらと散策するだけでも楽しいですね。

この後、火災後の首里城へ向かいます。

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