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美しい白砂が続く白浜海岸の中央に鎮座する白濱神社の傍らに、朱塗りの浜鳥居が映える岩礁があります。
この岩礁は大明神岩と呼ばれる磐座(いわくら)の一つで、伊豆の島々の神を迎え、そして送るという祭事が行われる神聖な場所です。
見晴広場からの白浜海岸…ゆるく弧を描く白い砂浜とエメラルドグリーンの海。
どちらというと素通りすることが多くなりましたが、やはり伊豆を代表する美しい浜です。
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白濱神社が鎮座する火達山(ひたちやま)をはさんで南側が白浜大浜、北側が長田浜(白浜中央海水浴場)。
2,400年の歴史を刻む伊豆最古の宮と伝わる白濱神社の正式名称は主祭神の名を冠する『伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社』。
「伊古奈比咩命」は“愛と知恵と美の女神”で、伊豆の島々を作ったとされる「三嶋大明神」の后神。
そして三嶋大明神と、その随神である「見目」「若宮」「剣の御子」が本殿の相殿に合祀されています。
延喜式神名帳にも名のある格式の高い神社でありながら、境内はいかにも女神を祀る場所らしい明るく爽やかな雰囲気に満ちています。
境内に群生しているビャクシン(柏槙)の巨木は静岡県の天然記念物です。
手水舎の隣に立つ樹齢二千年というビャクシンの老木…幹の空洞には薬師如来が祀られています。
上部は双幹になっており、南側の幹は枯れていますが北側は葉を茂らせておりまだまだ健在です。
御神木に相応しい風格のある立姿だと思います。
社務所の手前に立つ、アロエに囲まれたビャクシンは既に枯死していますが、内部に根を張った大きな藤のツルが絡み付いています。
藤の花が咲く頃には老木が蘇ったようになるのではないでしょうか。
ちなみにビャクシンですが、場所によっては幹が力強くねじれ、枝は燃え上がる炎のようにうねったダイナミックな奇木もあります。
次回はそんな神秘的なビャクシンを取り上げてみます。
境内正面の拝殿。
装飾性に優れた狛犬や拝殿向拝の精緻な彫刻が見事です。
白濱神社は、参道から拝殿そしてその背後の丘の上にある本殿、さらに古代祭祀場までが一直線に配置されており、南向きには建てられていません。
参道から本殿を見ると夏至の朝日が本殿から昇り、逆に本殿から参道を見ると冬至の夕陽が沈んでいきます。
社殿は過去何度も建て替えられてきたでしょうが、向きは今日まで変わることはなかったはず…太陽信仰を取り入れて建てられたことが推測できます。
拝殿の左側にある本殿へ続く参道。
明るく爽やかな雰囲気の境内とは対照的に、南伊豆らしく亜熱帯の濃い緑に包まれた厳粛な雰囲気の参道。
晩冬だというのに南の島の香りがします。
本殿入口の鳥居。
場所柄、ふらっと訪れる海水浴客も多いようで注意書きが目立ちます。
場所柄、ふらっと訪れる海水浴客も多いようで注意書きが目立ちます。
火達山の頂にある透かし塀に囲まれた本殿。
この本殿の裏手は禁足地となっていて、関係者以外は立ち入り禁止となっていますが、磐座を中心とした縄文時代まで遡れる古代の祭祀遺跡があるそうです。
古代の人々はそこで太陽を祀り、火を焚いて、神事を行なっていたと考えられています。
また海側にある海食洞の奥には御釜(みかま)と呼ばれる洞窟があります。
この本殿の裏手は禁足地となっていて、関係者以外は立ち入り禁止となっていますが、磐座を中心とした縄文時代まで遡れる古代の祭祀遺跡があるそうです。
古代の人々はそこで太陽を祀り、火を焚いて、神事を行なっていたと考えられています。
また海側にある海食洞の奥には御釜(みかま)と呼ばれる洞窟があります。
Google mapsで見てみると…
田牛の龍宮窟のように天井が崩れたような窪みが確認できます。
洞窟は本殿の真下辺りまで続き、漆塗りの祠があったそうです。御釜は、伊豆の島々へ通じる神の道と考えられていたのでは…という説もあります。
本殿をあとにし、境内を抜け、浜鳥居へ向かいます。
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田牛の龍宮窟のように天井が崩れたような窪みが確認できます。
洞窟は本殿の真下辺りまで続き、漆塗りの祠があったそうです。御釜は、伊豆の島々へ通じる神の道と考えられていたのでは…という説もあります。
本殿をあとにし、境内を抜け、浜鳥居へ向かいます。
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朱色の鳥居が立つ岩礁は大明神岩と呼ばれ、御釜入口の岩場と太い注連縄で繋がっています。
ここは、白濱神社例大祭の前日に七つの大松明を焚き、伊豆七島の神々に祭りの始まりを告げる“火達祭”と、例大祭の翌日に祭の終わりを告げる“御幣流し”が行われる場所…伊豆諸島の神々を遥拝する霊場です。
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ここは、白濱神社例大祭の前日に七つの大松明を焚き、伊豆七島の神々に祭りの始まりを告げる“火達祭”と、例大祭の翌日に祭の終わりを告げる“御幣流し”が行われる場所…伊豆諸島の神々を遥拝する霊場です。
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鳥居の真ん中に浮かんでいるのは利島…右側に見えるのは新島です。
伊古奈比咩命と三嶋大明神ゆかりの三宅島は、新島の奥なのでこの画像でははっきりと確認できません。
それにしてもフォトジェニック…神聖な場所にしては開放的過ぎますね。
伊古奈比咩命と三嶋大明神ゆかりの三宅島は、新島の奥なのでこの画像でははっきりと確認できません。
それにしてもフォトジェニック…神聖な場所にしては開放的過ぎますね。
ジオパークの案内板には、
『白浜の地からは、海に浮かぶいくつもの火山島を見渡すことができます。こうした火山の噴火は伊豆では“島焼き”と呼ばれていました。当時の人々は“島焼き”を神業と考え、やがて神社などに祀るようになりました。
白濱神社は、人々が海の恵みを受けつつ、火山に対する畏れをもって、自然とともに暮らしてきた証と言えます』と、書かれています。
白浜海岸から一番大きく見えるのは伊豆大島です。
『白浜の地からは、海に浮かぶいくつもの火山島を見渡すことができます。こうした火山の噴火は伊豆では“島焼き”と呼ばれていました。当時の人々は“島焼き”を神業と考え、やがて神社などに祀るようになりました。
白濱神社は、人々が海の恵みを受けつつ、火山に対する畏れをもって、自然とともに暮らしてきた証と言えます』と、書かれています。
白浜海岸から一番大きく見えるのは伊豆大島です。
三原山では、約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計100回前後の大噴火が起きたと考えられています。
石器時代…大海原の海底火山が突然噴火し、天空に噴火雲が立ち、真っ赤な溶岩が白煙とともに吹き上げ、みるみると大きな島が誕生していった…。
当時の石器人は、白浜海岸の火達山に登り、その恐ろしい光景を何日も何ヶ月も何年も見つめながら、かがり火を焚いて鎮まるのをひたすら祈った……。
大明神岩に立つとそんな光景が目に浮かんできます。
石器時代…大海原の海底火山が突然噴火し、天空に噴火雲が立ち、真っ赤な溶岩が白煙とともに吹き上げ、みるみると大きな島が誕生していった…。
当時の石器人は、白浜海岸の火達山に登り、その恐ろしい光景を何日も何ヶ月も何年も見つめながら、かがり火を焚いて鎮まるのをひたすら祈った……。
大明神岩に立つとそんな光景が目に浮かんできます。