地下のジャズ喫茶
変われない僕たちがいた
  知る人ぞ知る「地下の歌姫」森田童子の代表曲『ぼくたちの失敗』(1976年発売)の一フレーズだ。今年四月に亡くなった森田さんのことはもう十年近く前の話だが,一度この日記に記した憶えがある。一月程前みゆきから『ぼくたち・・』が収録されたベストアルバムを貰った。Walkmanに録音して繰り返し聴いている。ご存知『ぼくたち・・』は1993年TV放映された『高校教師』の主題歌に使われたのをきっかけに本人不在(活動休止)のまま復刻CDが100万枚に迫るリバイバルヒットを記録した。とは言え件のベストアルバムに収録されたほかの曲は正直売れる歌ではない。それは本人も百も承知だろうし勿論作品の善し悪しに関係はない。例えば収録曲の中に『孤立無援の唄』という小品がある。僕達の一世代前に一世風靡した高橋和巳氏の『孤立無援の思想』を素材にした作品だ。当時学生運動そのものは随分下火になっていたが,広野の勧めで同氏の『悲の器』や『我が心は石にあらず』を貪り読んだ日々を懐かしく想い出す。森田さんに触れた前の日記の最後に記した「遠い昔,袋小路の中にいた兄妹の面影と重なり合い聴くのが辛い」・・その想いは今もある。ただ振り返ってあの頃袋小路の中にいたのはみゆきも同じだったと思うと何だか申し訳ないような気がした。[2018.08.20筆]。

ebisujinjyaura
 夏休み連休の最終日。今日は姫路の海を訪ねた。先日みゆきと別府港を歩いた時幼い頃の父の記憶の断片をを拾い集める想いに心打たれた。その頃父は他の港でも働いていたかもしれないとみゆきは言った。もし記憶の底に埋もれた遠い日の想い出を手繰る縁になるのなら・・播磨灘の港港を線で繋ぐのもよかろう。
 そんな訳で姫路の市川東岸から東向きに歩き継ごうと山陽電鉄妻鹿を下車したらすぐ目の前が市川の下流。市川と言えば故桂米朝師の名演で知られる怪談市川堤の舞台だ。市川沿いを河口に向かい浜手緑地へ。裏寂れた緑道の細長い道を抜けて交差点を右折したら目と鼻の先に妻鹿漁港が見えた。そこから漁港の船溜まりを回り込み灘浜大橋を渡って灘浜緑地に出た。防潮堤とテトラポットが続く遊歩道を突端まで歩いて小休止。その後妻鹿漁港まで戻って東進し突き当たりの中村川を越えて白浜海水浴場へ。浜辺に続く道路には昔ながらの民宿や海の家が軒を連ねていた。何だか僕達の少年時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。
 海水浴場から続く真白な防波堤を突き抜けたら蛭子神社の脇に出た(写真は神社裏下の海)。参拝後八家川沿いを遡って山陽電鉄八家を今日のゴールにした。[2018.08.19筆]。

cyanome
 昨日瀬戸内海の直島を訪問した。岡山宇野港から目と鼻の先に見える直島。昔一度訪ねた憶えがあるが,娘達が小さい頃で二十年以上も昔の話だ。直島と言えば近くの豊島・犬島とともに1980年代からベネッセが自然・芸術・建築の共生を目指したアート活動の拠点で近頃は西欧人観光客が大半を占めると言う。さて車で玉野市街を抜けいつの間にかモダンアートになったJR宇野駅舎を尻目に髙松行きフェリー乗場へ。時間待ちのため周辺を散策。ふと目に付いた路線バスの待合所に「ののちゃんの街(築港商店街)」の立て看板があった。聞けば四コマ漫画『ののちゃん』(と言うより私的には往年の『がんばれ!!タブチくん!!』)の作者いしいひさいち氏の出身が玉野だと言う。程なくフェリーに乗船し約20分の短い船旅(笑)を楽しんだ後直島宮浦港へ着岸。そこから車で約10分島の周回道を回って地中美術館前に駐車。北ゲートからベネッセハウスに入り坂道を上って安藤忠雄設計のミュージアムへ。暫し館内作品を観賞。その後別方向に坂を下って二,三の屋外アート(写真は片瀬和夫作『茶のめ』)を観た。帰路のフェリーの都合で海岸線の東ゲートにある草間彌生の『南瓜』は残念ながら遠目に見下ろすのが精一杯だった。[2018.08.18筆]。

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