11koukutaiato
 長い梅雨が明けたら今度は連日茹だるような猛暑。今日は大空へ飛び立つ飛行機を見ようと(笑)久しぶりに近場の八尾空港を訪ねた。JR大和路線志紀を下車し歩き始めようとしたら駅前ロータリーのバス停に目が止まった。大阪バス?・・そんな会社あったかいな?とその場でスマホ検索したら2002年設立の北海道から近畿まで幅広いエリアで貸切・高速・路線バスを運行する大きなバス会社だそうだ。何とか日々に疎し。苦笑いしながら駅前商店街を抜け志紀町西二丁目公園へ。案内板に「見える下水道公園」とある。なるほど。ドームの下を流れる下水道を窓越しに眺められる仕組みになっていた。公園の片隅に真新しい石碑が建っていたのに気づき近寄ると「陸軍航空隊第十一飛行師団司令部跡」(写真)の碑。拙著『僕達の時代』の中で沖縄戦の特攻に志願した母校の先輩が鹿屋基地を飛び立つ前日食堂の女将さんに言わしめた「生きて虜囚の辱めを受けよ!」の言葉をふと思い出した。当時大正飛行場(現八尾空港)と呼ばれたこの地にも似たような物語があったかもしれない・・などと想像の翼を拡げ自衛隊八尾駐屯地脇から一周7kmの八尾飛行場の周回道を四半分ほど回って引き返し西弓削公園にゴールした。[2020.08.06筆]

berurinnokabe
 以前朝日放送のナニコレ珍百景に取り上げられた天王寺の統国寺境内に本物のベルリンの壁の一部があると随分前友に教えられたことを思い出し久しぶりの天王寺参りのついでに訪ねることにした。
 JR天王寺を下車。てんしば脇を抜け市立美術館前から茶臼山へ。大坂夏の陣で真田幸村が本陣を構えた古戦場跡に立ち寄った後天王寺公園と茶臼山に囲まれた閑静・・ではあるが,参道脇にラブホテルが並ぶ(笑)お目当ての統国寺を訪ねた。境内の右手にそのベルリンの壁(写真)はあった。1998年信徒から喜捨された崩壊前の大きさそのままの西独側の壁だ。朝鮮民族統一を祈願し在日朝鮮仏教徒協会傘下のこの寺に奉納されたと言う。この壁にはきっとイムジン河と同じ想いが込められているに違いない。在日二世の旧友の日焼け顔を思い浮かべながら谷町筋を東へ渡った。庚申堂から清水井戸地蔵の角を上がって竹本義太夫墓所がある超願寺を経て清寿院(大阪関帝廟)へ。生憎門扉が閉じられ中には入れなかったが,江戸明和の昔からある廟所なので明治にできた横浜中華街や神戸の関帝廟より歴史は古い。その後目と鼻の先に見えた四天王寺の東門を潜って本日のゴールとした。[2020.08.04筆]

kitasinmatiouike
 長い梅雨がようやく明けそうだ。とは言え今日は俄雨もありそうなので近場の河内松原を歩くことにした。
 近鉄南大阪線河内天美を下車し国の有形文化財に指定された嶋田家住宅を振出しに阪南大キャンパス前を北上。大和川堤防の手前を左折西進し阿麻美許曾神社に参詣後下高野街道を南下した。この辺りの町名表示は東住吉区矢田となってて大和川を越えた南にまで大阪市の管轄区域があることを初めて知った(笑)。
 下高野街道を歩き始めるたらすぐ路肩に久多美大神の額が掲げられた大きな石の鳥居に出会した。奥に覗く本殿も至極立派な造りだった。境内に入って由来の説明板を見ると関西出雲大社久多美神社と言い「久多美大神の化身の久多美様の御母堂桝田ミツ比女命に依り此処天美の聖地に創設された」とある。出雲大社所縁の新興宗教だろうかなどと想像を膨らませながら街道を南下し突き当たりの西除川へ。下高野街道はここから暫し西除川の右岸を進むが,車の通行量が多いので橋を渡って左岸の遊歩道を歩いた。途中北新町大池公園(写真)に寄り道して小休止。その後長尾街道と交わる布忍神社前まで西除川沿いを歩きそこから長尾街道を伝って高見ノ里にゴールした。[2020.07.30筆]

yasunakasinsuikouen
 先日ネットでウォーキングコースを調べてて大阪八尾市に成法せせらぎの小径と言う全長約1kmの散策水路を見付けた。市制60周年記念に整備されたものらしい。今日は朝寝坊したので(笑)近場のそこを訪ねようとJR大和路線八尾を下車。駅前の渋川神社を皮切りに安中新田会所跡(旧植田家住宅)に立ち寄った後JR線の踏切を渡り線路沿いにある親水公園の安中町五丁目公園へ。小憩後長瀬川を越えお目当ての成法せせらぎの小径に入った。水路を伝う細い遊歩道を時間をかけてゆっくりと歩いた。せせらぎの小径を抜け大通りを渡ると江戸中期に石田善右衛門が設けた私塾・環山楼が右手に現われた。立ち止まって説明板を黙読した後八尾市役所の角を曲がって板倉家住宅まで足を伸ばした。何軒かの古民家が軒を連ねる中にあって今は與兵衛・桃林堂の屋号の和菓子になっていた。帰路近鉄大阪線八尾に向かう道すがらアーケード商店街の一角に偶然河内音頭記念館の看板を見付けた。何でも八尾市の魅力大使に任命された御当地出身の「音頭取り」河内家菊水丸が館長だそうだ。そう言えば市役所の玄関脇にも河内音頭を踊る銅像が建ってた。そうだ。八尾と言えば今東光の『悪名』八尾の朝吉と河内音頭の街なのだ。[2020.07.22筆]

yamatogawa-osirobasi
 前々から気になってたのだが,JR大和路線の王寺-法隆寺間の丁度真ん中辺りを流れる大和川の鉄橋に差しかかるとそこから少し下流に架かる一本の沈下橋が見える。前回安堵町を歩いた時にも車窓に見えたので次はこの沈下橋を訪ねようと決めていた。
 JR大和路線王寺を下車。行きがけの駄賃でもないが,JRと近鉄線に挟まれた舟戸児童公園のD51機関車を見てから北上し三室山麓から竜田川の右岸に出た。秋は紅葉が綺麗な川辺の竜田公園を暫し散策。その後竜田川緑地の手前を対岸に渡ってUターン。今度は竜田川左岸を下流へ。途中休憩がてら岩瀬の森跡の案内板に立ち止まったりしながら合流点の大和川右岸堤防を左折東進。JR線の踏切を越えたらほどなく眼下に件の沈下橋(写真)が見えた。奈良県内に唯一遺ったこの幅2m程の沈下橋は大城橋と言い斑鳩町と河合町を結ぶ生活橋だ。木造ではなくコンクリート橋で普通乗用車も通行できると言う。残念ながら時代劇の撮影はできないが,それでも中々の風情だ・・などと何度も行きつ戻りつ名残を惜しみながら対岸の河合町の堤へ。帰路はこの前河合町の水辺の池畔を巡ったときと同じ近鉄田原本線大輪田にゴールした。[2020.07.20筆]

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