団塊の世代に育った私にとって,団地はまばゆく輝いている。(中略)団地には,時代の最先端をいく未来の生活があったのだ。
 『文藝春秋』四月号に掲載されたノンフィクション作家奥野修司氏の「ひばりが丘団地『夢の跡』」の一節だ。団塊の世代より一世代後の僕達の頃はさすがに団地が時代の先端ではなくなった。当時はお竜が引っ越してきた二階建て戸建ての新興住宅が僕達の秘かな憧れ。だから最初は転校したてのお竜に羨望と妬みの目差しを向けたように思う。そうは言え棟割長屋に暮らす広野や私には団地住まいはまだまだ十分羨ましかった。
 団地で一つ想い出したことがある。小学五,六年の時だ。『70年代・・』にも名前を挙げた同級生がタクシー会社の四階建ての社宅団地に住んでて何度か遊びに行った憶えがある。彼の家は最上階にあって小学校の校舎より高かった。高層建築のなかった当時のことだ。同級生の部屋の窓から見下ろすわが美陵の街並は何とも爽快で気持ち良かった。
 団地は随分前に廃止され閉鎖されたが,建物そのものは二,三年前まで残っていた。ようやく取り壊され今はお竜が来た頃のような戸建ての分譲住宅が建った。明るく洒落た造りだが,そこに僕達の時代の「夢の跡」は感じてももう輝く未来を感じることはない。[2017.03.26筆]

 大好きな花紀京が亡くなって早一年半余り。「京さんのDVD出てるみたい」業界通(笑)の友に教えられ遅ればせながら『花紀京 蔵出し名作吉本新喜劇』を手に入れた。全三巻九演目。今も色褪せぬ抱負絶倒の爆笑ネタを選りすぐった名作集だ。原哲男との共演がなかった(だから「おっさんとこ安いなぁ,玉子八つで十円か」の名台詞も聞けなかった)のが残念だが,代わりに例の燗酒注がれて「熱いなぁ」冷酒足させて「温いなぁ」を繰り返し「何倍呑むねんな」とツッコまれる名演技を堪能した。今回改めて京やんの芝居を観て感じたことがある。それは彼が相方を選ばないということ。勿論私的には相方は原哲男が一番で二番が岡八なのだが,DVDの相方は岡八のほか平参平・桑原和男・井上竜夫・室谷信雄・間寛平・木村進等々。多士済々の強者に囲まれながら京やんは誰と絡んでも面白い。それに絡む相手の可笑しさを最大限に引き出している。自分さえ目立てば良しのこの世界。かく在るべしと周囲から畏敬されるはずだ。
 半ドンの土曜のお昼。僕達は脱兎の如く家に帰ってランドセルを放り投げてテレビを点ける。シマヤだしの素の幕が上がってニット帽に王将駒シャツ,腹巻にニッカボッカの花紀京が舞台に現れる。・・そして懐かしい仲間の笑顔と僕達の黄金の日々が甦る。京やんと共に生きた日々を私は忘れない。[2017.03.20筆]

kamigatarakugoyosehi 
   夕刻東京へ帰る友と連れ立ち。今日は友の所望で南船場界隈を訪ねた。地下鉄御堂筋線本町駅をスタートし往路は坐摩神社(上方落語寄席発祥の地)→難波別院→松尾芭蕉終焉の地碑→難波神社(稲荷社文楽座跡)と巡って帰路は一路せんば心斎橋筋商店街を北上して元の本町駅へ戻る算段だ。当初南船場を選んだのは休日の問屋街なら人混みにならないのと坐摩神社境内の初代桂文治を顕彰した上方落語寄席発祥の記念碑(写真)が目当てかと思ってたが,サプライズは別にあった(笑)。
 坐摩神社を出てすぐ難波別院と道を隔てて向かい合わせに小原流研修会館のビルがあった。ん?どこかで見たような・・。大学時代お師匠さんに誘われて小原流の活け花会の設営や後片付けの一日アルバイトをした。いつだか四方山話で友にも話したことがある。活け花会が終わるまで所在なげにビルの窓から見た寺院の記憶が不意に甦った。そうここだ。あの時見たのはこの難波別院だ。思わず振り向いて友の顔を見た。友はニッコリ肯いた。帰りの商店街も心斎橋を過ぎて船場に入ると目に見えて年齢層が上がってきた。これも友のコーディネイトだろう。さすが!。何だか嬉しくなって本町駅を越え靭公園まで足を伸ばした。[2017.03.05筆]

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