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 昨日仕事帰り中之島フェスティバルホールでみゆき嬢の夜会を観た。昨年末の『橋の下のアルカディア』に続き通算五度目だが,フェスティバルは2013年の建替え開業以来初めてだ。今回の演し物は以前私も観た『夜会工場』の再演。と言ってもみゆき嬢のことだから(笑)随分装いが変わった。『夜会工場』は1989年に始まった夜会の総集篇(ダイジェスト版)。今までの夜会の印象的な場面を切り取って演じる趣向だが,劇中みゆき嬢も言ってたが,VOL.1は観客から観て今どの回のどの場面を演じてるのかわかりにくかった。だから今回は演目のテロップを流し節目にみゆき嬢の解説を入れるように改めたとのことだ。確かに随分わかり良くなった。瀬尾一三が最後までタクトを振り続けまたラスト前の一曲に『慕情』のチョイ出しサービスもあって久しぶりに至福の一時を過ごせた。それにしてもみゆき嬢の圧倒的な歌唱力には驚嘆する。声の質量が並の歌手と桁違いなのだ。これがデビューから四十年以上もトップシンガーとして歌い続けてきた証なのだろう。『夜会工場』のテーマはラスト曲の『産声』。「忘れてきたもの何かある 捨て去ってきたもの何かある」・・歌姫のリフレインが今も「未生の想い」とともに耳底に在る。[2017.12.14筆]

 一日休暇を貰ったが,珍しく自室に籠もっている。先日元フォークルのはしだのりひこがパーキンソン病のため長い闘病生活の末亡くなった。享年72歳。短い人生とは言えないが,私にはどうしても残念なことがある。それは1968年のフォークル解散後はしださんが二度と再結成の舞台に上がらなかったことだ。2009年の加藤和彦の自死をもってフォークルの歴史は永遠に幕を閉じたが,少なくとも2002年の再結成解散音楽會は坂崎幸之助ではなくはしだのりひこであってほしかった。かつてはしださんが参加したフォークルは元々のオリジナルメンバーではなく『帰って来たヨッパライ』の空前のヒットによる一年の限定ユニット。それでも僕達のフォークルは加藤和彦の音楽性と北山修の思想性にはしだのりひこの大衆性があって初めてフォークルとして存在した。確かにはしださんにはフォークル解散に合わせてシューベルツを結成したとかグループを結成してはすぐに壊すとか批判的な論評はあるが,北山さんと組んで杉田二郎と歌った『風』はそんな批評をはね除けて余りある名曲に間違いない。
 はしださんの最後のステージは今年4月の『京都フォーク・デイズ』のサプライズゲスト。盟友北山修が表舞台から姿を消して久しいはしだを無理に引っ張り出したと言う。振り返ってももうそこにはしだのりひこの姿はない。そこにはただ風が吹いているだけ。[2017.12.11筆]

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 何だか億劫で日記が滞った。今日はみゆきから誘われ昔のあやめ池遊園の跡を訪ねた。この前Sugakiyaでみゆきが言った。小学校の頃父親に連れられたあやめ池遊園は今どうなってるんだろうか。その時私も小さい頃母に手を引かれそして大きくなって妹の手を引いて行ったあやめ池を懐かしく想い出した。近鉄あやめ池遊園は菖蒲上池の周囲に遊戯施設・ボウリング場・動物園のほか円形大劇場があった。当時阪奈近郊に住む子供達の余所行きの遊び場として親しまれながらも経営難で2004年閉園した。
 閑話休題。近鉄奈良線大和西大寺で落ち合い一駅戻って菖蒲池を下車し目と鼻の先。様変わりした上池の遊歩道(写真)をそぞろ歩いた。その後池畔を半周し橋を渡って線路を越え反対側の蛙股池へ。トイレ休憩を兼ね大和文華館で古筆の書を観た(私は書など皆目わからぬが,みゆきの書道は相当な腕前だ)。西大寺野神緑地(鋳物師池跡)まで足を伸ばす道すがらみゆきが言った。「父には申し訳なかったが,父母に左右の手を繋がれて遊園地を歩く子供が羨ましかった」小さい頃よく妹に向かい合ったまま両手を繋いで歩くようせがまれた。たとえ接点がなくても久美子の淋しさはみゆきの方がよくわかったのだろう。[2017.12.10筆]

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