ながいやんの ファイト!

カテゴリ: 日記

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 お知らせのとおりウォーキングネタをブログに載せなくしたため随分更新が途切れたままでごめんなさい。
 さて一昨日昨日の二日間お師匠さんと歴史探訪ツアーの第二弾として徳川家康所縁の浜松・駿府の両城跡を訪ねた。一日目は新幹線を乗継ぎ浜松で下車しレンタカーを借りた。手始めに近場の浜松城公園を訪ね園内を散策。天守閣の見学を終えたら丁度昼時になった。お師匠さんとはお互い大学時代からの餃子好き。浜松に来からは餃子しかないと(笑)人気の専門店で順番待ちしてお腹一杯餃子を食べた。その後ニンニク臭が充満した(笑)車で宿地の浜名湖畔の舘山寺温泉へ。チェックイン時間前に到着したため荷物を預け舘山寺に参詣。まだ十分時間が余ってたので本来なら遊覧船に乗りたいところだが,生憎の強風。代わりに湖岸の遊歩道を少し散歩したが,寒さに耐えきれず早々に退散し(笑)宿のラウンジから湖上を眺めるにとどめた。二日目は車で静岡へ移動し駿府城公園を散策。柄にもなく(笑)園内の庭園にある茶室で玉露茶を喫した後日本平まで足を延ばしロープウェイで久能山東照宮に参拝。再び日本平に戻り夢テラスから快晴の見事な富士山(写真)を堪能し帰路に就いた。[2023.02.28筆]

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 おそらくこれが本年最後のウォーキングになるだろう。今日はツールドおおさかのさやまコースを歩こうと南海高野線金剛を下車。狭山神社を振出しに吉川家住宅を経て西除川に架かる大正橋へ。西除川は河内長野の天野山に端を発した天野川が狭山池を境に西除と名を変える。最近西除川左岸が狭山池周遊路とアンダーパスで繋がり下流の金剛橋まで遊歩道が整備された。大正橋から件の遊歩道を遡って久しぶり訪ねた狭山池は渇水による水不足のためか水位が異様に下がってて池底が半分以上剥き出しになっていた。クリスマスイベントの後片付けに行き交う軽トラに身をかわしながら池畔の周遊路を一巡りしてさやか公園で小休止。ツールドおおさかではその先天野街道に入って陶器山トンネルから引き返すコースになっていたが,何だかもう一度西除川を歩きたくなった。元の遊歩道に戻って今度は大正橋を越え金剛橋まで足を延ばした。
 写真は狭山池手前の遊歩道にあった鐘。鎖を引いたら実際に音が鳴ったが,何たらの鐘みたいな謂れも説明もなくネットで調べてもわからず終いだった。折角だから「祈りの鐘」と勝手に命名してやろう(笑)。[2023.12.26筆]

fuseebisu
関テレの平日夕刻の情報番組「newsランナー」の金曜に一枚の古い写真を元に同じ場所を訪ねる「兵藤大樹の今昔散歩」のコーナーがある。毎週欠かさず視聴してて先日「布施のえべっさん」を訪ねた回があり境内に日本一大きな鋳造の戎像があるのを知った。ならば行かねばなるまい(何でやねん・・笑)。という訳で(どういう訳やねん・・笑)今日は執筆と無縁に東大阪の布施界隈を散策した。
 布施界隈は昔から交通の要衝。東西に伊勢参りで賑わった暗越奈良街道や十三峠から奈良竜田へ通じる十三街道があり南北には放出・平野を結ぶ放出街道(剣街道)がある。近鉄布施を降り南北に延びるブランドーリふせのアーケード街を起点に件の古街道の風情を味わいつつ深江稲荷神社に参拝。その後ブランドーリを南へ抜け本町通り商店街から鋳造戎(写真)が鎮座する布施のえべっさん(布施戎神社)を訪ねた。
 今回歩いて初めて知ったことだが,古街道や戎神社があることとも関係してか布施駅周辺には多くの飲食店が軒を連ねる。中には昭和23年創業の看板を掲げた食事処(めしや)や回転寿司発祥の元禄寿司(昭和33年開業)本店など老舗も点在した。こんなプチ発見もウォーキングの余得だ。[2023.12.22筆]

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 昨日は友との落語鑑賞。一年半ぶりに「喜楽館」を再訪した。例の如く開演前の昼食は老舗の蕎麦屋巡り。「喜楽館」がある新開地から数駅手前の阪急御影駅前の店を予約したとのこと。待合せより早めに到着し深田池公園から山手の高級住宅街を散策した。御影と言えば定年前の最後の神戸勤務の折二,三度歩いたことがあるが,早五年の歳月が流れたかと感慨に耽りつつ港を望む山手の坂を下って深田池を一巡りしたら丁度頃合いの時間になった。
 さて忠臣蔵ウィークと銘打った今回の「喜楽館」昼席。恒例の開演前の一席や講談・太神楽織り交ぜ全八席。トリは忠臣蔵歌舞伎を下地にした露の新治の「淀五郎」だ。プロフィールを見ると年齢は私より七,八歳上だが,名前に心覚えがない。調べてみると他職を経て林家染三に入門し後露の五郎門下へ移るとある。してみると私が落語少年だった頃はまだ入門したての前座。しかもメディア露出の少ない染三一門となれば然もありなん。そんな新治の「淀五郎」の名演のほか仲入り後の桂よね吉の活きの良い話しっぷりが収穫だった。将来の米朝一門を背負って立つと言われながら早逝した故吉朝の三番弟子だ。兄弟子の吉弥と言い吉朝はいい弟子を残したものだ。[2023.12.14筆]

kofungunkouen
生きてわれ/向ふ碑/のこる花
 もう十五,六年前の話になるが,ウォーキングを始めた頃橿原神宮外苑の若桜友苑(第13期海軍甲種飛行予科練生等の戦没者慰霊公園)を偶然見付けた。そこの入口の石碑に刻まれた句だ。そのとき私は「人は死に時が過ぎその想いを語る人もいつか途絶える。それでも巡り来る季節に咲く花は人の命の重みを知っている」と日記に記した。今執筆中の『(仮題)風の彼方に』に籠めた想いだ。
 閑話休題。久しぶりに若桜友苑を訪ねようと近鉄橿原神宮前を下車。神宮参詣後件の若桜友苑に眠る英霊に手を合わせた後十年ほど前散策した新沢千塚古墳群まで足を延ばした。県道を挟み南北の丘陵に点在するこの古墳群,前回は計画半ばに打棄てられたとしか思えないほど寂れた光景だったが,驚くなかれ!綺麗な古墳公園(写真)に様変わりし屋上に足湯がある案内所をはじめカフェテリアや産直店が建並んでいた。件の産直店を試しに覗くと陳列棚に「大和高田市立高田商業高校のすき焼き」パックが目に付き思わず買ってしまった。高商と言えば以前大和高田の伯母が住んでた市営住宅から眼と鼻先にある学校。高商の校舎は今も私の想い出の中にある。[2023.12.06筆]

yutorimiti
 『(仮題)風の彼方に』の一場面に花博記念公園の風車の丘を描こうと今日は買物ついでに鶴見緑地の花博記念公園を訪ねた。
 メトロ鶴見緑地を下車。セコイヤ並木の紅葉が美しい花博記念公園を一回りした後門真を目指し公園北口を出た。釣池公園から三,四年前に歩いた西三荘ゆとり道を抜けようと算段してたのだが,いつの間にか釣池公園の堀が撤去され公園再整備中の立看板。工事範囲は道路を隔てたゆとり道にも及び二,三百米先まで遊歩道に建築資材が積まれていた。ゆとり道に点在するオブジェやモニュメントに再会するのを楽しみにしてたのだが・・と諦めかけたら途中から閉鎖が解かれ遊歩道に入ることができた。結局ゆとり道の三分の二位歩いた後道を外れ近畿道の高架下沿いを北上。お昼前に本日の目的地ららぽーと門真のOUTLETPARKに到着した。お目当ては勿論(笑)POLOの歳末セールだ。定年の年は神戸勤務だったから垂水のマリンピア神戸OUTLETを頻繁に訪ねたが,退職後はRalph Lauren目当てのOUTLET通いが遠出で面倒になったので随分久しぶりだ(と言ってもネット通販で買ってるから同じことか・・笑)。買物と昼食を済ませ戦利品?の大きな袋を提げて帰路に就いた。[2023.12.01筆]

ofusatyoutin
 今日も今日とて(笑)耳成山とおふさ観音の取材を兼ね古の藤原京を歩いた。
 近鉄大阪線大和八木を下車。同線の線路沿いを東進するとほどなく左に標高140mの低山,裾野の広いなだからな耳成山が見えた。麓の公園を一巡りした後山道の木々の隙間から覗く畝傍の山景を楽しみながら頂上近くの耳成山口神社に参拝。その後下山し南下。近鉄・JRの線路と超えれば馴染みの藤原宮跡に至る。畝傍・耳成・香具山の大和三山に囲まれたこの宮跡は春は菜の花,夏に蓮,秋は秋桜と花の名所としても名高いが,今は花畑は休眠。代わりに真っ赤に色付いた紅葉が三山の遠景によく映えていた。小憩後今度は道を西にとって飛鳥川に突き当たる手前のおふさ観音を訪ねた。夏休み期間に催されるこの寺の風鈴まつりは大和の夏の風物詩として知られ微風に揺られて響くその風鈴の姿を執筆中の『(仮題)風の彼方に』の一場面に描こうと思った次第だ。ところが境内は真夏の風鈴ならぬ晩秋の提灯まつり(写真)の直中だった。予期せぬ余福に感謝感謝!・・ニンマリしながらおふさ観音を後に下ツ道を北上。最後に先日訪ねた大和高田の大中公園に続く横大路と交わる八木札の辻に立ち寄って元の大和八木へと舞い戻った。[2023.11.27筆]

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 その絵を一目見れば眼に焼き付いて離れない「郵便配達夫」をご存じだろうか。大正・昭和初期に活躍した天才洋画家・佐伯祐三氏の代表作だ。肺結核に侵され二度目の渡仏中三十路の若さで帰らぬ人となった。件の代表作は死を覚悟した氏が偶然出会った配達夫を一気呵成に描上げた逸品で鬼気迫る迫力が伝わってくる。・・また訳のわからん話(笑)と思われそうだが,執筆中の『(仮題)風の彼方に』の一場面に描こうと佐伯氏の軌跡を調べてて生まれが大阪中津の光徳寺の次男でそこに生誕碑があると知った。ならばついでに「Metroまちさんぽ」の中津界隈散策を兼ねようと御堂筋線中津を下車。能勢街道を北上し富島神社から件の光徳寺→中津公園・森本薫文学碑(写真)→豊崎神社と巡って小休止。その後我国初の火葬所・南浜墓地から源光寺へ行基所縁の史跡を訪ね再び中津に戻った・・のはいいが,肝心の光徳寺が併設の中津学園の建替工事のため件の生誕碑の見学中止の貼出し。結果的に普通のウォーキングに終わってしまった(笑)。とは言え碑を見たから造詣が深まる訳でもあるまい。何より中津が延長するキタの繁華街に呑み込まれた街という偏見が払拭されたのが収穫だ。だから街歩きは止められない(笑)。[2023.11.22筆]

minica465
 今日は子供の頃から馴染みの屯鶴峯の取材を兼ね晩秋の二上山麓を歩いてた。近鉄大阪線二上を下車し中和幹線と並行する清流沿いの細道を南下。国道165号が大和高田バイパスに交わる穴虫交差点を超えた道路脇の万葉歌碑を訪ねその後近鉄南大阪線沿いを走る府道703号を西進するとほどなく懐かしの屯鶴峯入口。亡き母の四十九日を終え想い出の屯鶴峯を訪ねて早15年の歳月が経つ。かく言う私自身が年々母の享年に近付きつつある。そんなこんなを想いながら小休止。屯鶴峯の隆起した凝灰岩の奇景を楽しんだ後穴虫交差点まで戻り国道165号を東進した。途中大坂相撲の元幕下力士で引退後は地元の勧進相撲の総元締として活躍した大の松為次郎の墓碑に立ち寄って奈良香芝の古い民家の街並を抜け南大阪線二上山にゴール。
 写真は二上山駅前近くの165号沿いに見付けた「minca465」の看板を掲げた昭和レトロな雑貨屋さん。生憎定休日で店の中を覗けなかったが,帰宅後ネットで調べたら店内は昭和から平成初期にかけての家電・雑貨類が所狭しと並ぶマニア垂涎の有名なお店。お薦めの珍スポットだと言う。これだからウォーキングは止められない(といつもの決め台詞だ・・笑)。[2023.11.15筆]

romankikou
 友との恒例の落語会を小休止。昨日は趣向を変えて二人でアクアライナーで巡る淀川浪漫紀行の下り旅に参加した。旧枚方宿・鍵屋資料館の入館と古の三十石船で食されたと言う竹の皮の昼食弁当。勿論語り部付きで枚方船着場から大阪天満八軒家までたっぷり2時間半の川下りだ。待合せの京阪本線枚方公園を先に降り暫し雨模様の京街道枚方宿の街並を散策した後友と合流。早速鍵屋資料館に入館し枚方名物「くらわんか舟」(三十石船乗客への物売船)の古文献など隈なく閲覧。頃合いを見て資料館を後に郵便屋の渡し跡の脇から淀川ハーフの出着点として馴染みの枚方河川敷公園へ。船着場前で乗船手続を済ませ船内に入った。ほどなく船は出港。雨脚の強まる中終着八軒家を目指した。出港後早々に竹の皮弁当に舌鼓を打ち案内資料の中にあった三十石船歌の出だしを目で追いながら「三十石夢の通い路」が十八番だった故六代目笑福亭松鶴の名調子と仲間うちから桂小小文枝と呼ばれ噺家を夢見た中学の頃を懐かしく想い出した。写真は今回の船旅最大の見せ場?毛馬閘門を抜け大川に入る手前で水位調節のため停止中の船の甲板から撮したもの。今度は大川の桜満開の季節に八軒家から上りの船旅がしたいものだ。[2023.11.11筆]

itinohasihibun
 五月末尼崎に住む旧友と連れ立ち歩きしたが,昨日はその第二弾で高野山を訪ねた。朝待合せして南海難波から特急こうやに乗車。片道2時間をかけ高野山上を目指した。極楽橋からケーブルやバスに乗継ぎ11頃に一の橋に到着。そこから御廟前まで冷気漂う杉木立の奥の院参道を歩き石田三成・明智光秀から島津・伊達・豊臣秀吉・・と二日前の関ヶ原よろしく名だたる戦国武将の墓所を総なめにし(笑)トドメの織田信長でUターン。元の一の橋から紅葉見頃の観光客の群れを掻き分けつつ苅萱堂→金剛峯寺→徳川家霊台→女人堂と回って洒落たカフェで遅めの昼食&喫茶を楽しんだ。休息後は友と昔話に花を咲かせながら根本大塔→壇上伽藍→大門と主立った史跡を巡り終え帰りのバス待ちで停留所前の喫茶店に入った。一年通して二箇月位しか店を開けないという謎めいた?ママさん(アメリカ暮らしが長く英会話が達者。二,三組店を覗きに来た外人さんに流暢な受答えをしていた)と世間話に興じてたら瞬く待ち時間が過ぎた。こんな些細な一期一会も後々旧友との大切な想い出の一コマになるだろう・・などと思いを巡らせ約四時間半の高野山に別れを告げた。年が明け暖かくなればまた友と何処かへ遠出したいものだ。[2023.10.30筆]

sekigahara
 昨日久しぶりにお師匠さんと連れ立って遠出した。この夏の七夕の龍大プチOB会(通称エバヤン五人会)の暑気払い以来だ。お師匠さんは最近戦国武将所縁の地にハマってるらしく(笑)新幹線・在来線を乗継ぎ徳川太平の礎を開いた天下分け目の関ヶ原を訪ねた。
 ご存じ関ヶ原の合戦は東西両軍合せ15万もの大軍が集結。兵力は西軍やや優勢も松尾山の西軍・小早川秀秋が寝返って味方の大谷吉継を攻めたのを契機に大勢が決し天下分け目と言うには余りに短時間のうちに石田三成率いる西軍は総崩れに敗走した。
 そんな兵どもの一夜の栄枯に想いを馳せつつJR関ヶ原を下車。東西武将の色とりどりの幟はためく高架橋を渡り東軍の松平忠吉・井伊直政陣跡を振出しに東首塚→徳川家康最後陣跡(写真)を経て関ヶ原古戦場記念館へ。併設の食堂で早めの昼食を摂り記念館でシアターと展示物を見た後笹尾山へ向い決戦地→西軍・島左近陣後→三成陣跡と巡って笹尾山展望台から暫し古戦場の全景を眺めた後帰路島津義弘陣跡→開戦地→宇喜多秀家陣跡と足を伸し人間村のカフェで小休止。そうこうするうち空模様が怪しくなってきた。関ヶ原の天気は猫の目だ。雨に打たれる前に退散した。[2023.10.28筆]

isikirisyoutengai
 引続き取材ウォーキングだ。旧生駒トンネル前にある孔舎衛坂駅跡を訪ねるべく近鉄奈良線石切を下車。崖下に線路を望む桜並木の遊歩道の上り坂を生駒山に向い突き当りの跨線橋を反対側に渡れば目と鼻先に旧線の孔舎衛坂駅跡のホームとその奥に草むしてひっそり佇む旧生駒トンネルの棄景が見えた。光陰矢の如し。思えば初めて孔舎衛坂を訪ね「奇跡の列車」を夢見てから早16年の歳月が流れた。施設活用のためか昨年秋芸大サークルとコラボしたトンネル内演奏会が催されたと聞く。以前は自由に出入りできた廃駅の構内だが,今は隙間なく金網フェンスが張巡らされ立入禁止になっていた。金網越しに暫し廃駅のホームを眺め小休止。その後Uターン。今度は一転して石切参道商店街まで一気に坂道を下った。参道の商店街は昔ながらの大衆食堂や土産物屋のほか易や四柱推命・タロットなど占いの店や漢方薬局の多いのが特徴で坂道を下りきった先(写真)の石切さん(石切劔箭神社)までほぼ途切れることなく雑多な店舗が軒を連ねる。シャッター街と化した地元商店街が日常風景となった昨今何だか嬉しくなってくる。そんなこんなを想いつつ石切さんに参詣後近鉄けいはんな線沿いを歩き新石切から帰路に就いた。[2023.10.18筆]

kounoikepark
 今回も取材ウォーキングだ。もう更地になったと聞く奈良ドリームランド跡地を見るのが本日の目的。日記を遡れば前回訪問から早12年の歳月が流れた。
 JR奈良を下車。駅前通りを北上し油阪から船橋通り商店街を抜けて佐保川を越えると以前何度か歩いた大佛鐵道遺構巡りの出発点・大仏鐵道記念公園。同じコースを辿ればドリームランド跡に辿り着くはずだと記憶を反芻しつつ県道44号の法華仲町交差点を左折。後は山間の坂道を上ればほどなく右手に鴻ノ池運動公園の姿(写真)。公園を過ぎたら反対側に奈良テレビの電波塔。その先に雑木林に覆われたドリームランドの跡地があった。トタン板に囲われた園内の様子は容易に窺えなかったが,垣間見えたコンクリートのアーチ(当時西洋の城郭を模したエントランス脇に建っていた)だけが僅かに往事を偲ぶ縁だった。「廃墟と化した遊園地。そこに詰まった子供達の夢の行き場はどこにある。それが棄景となるには想いを持つ者が死に絶えた後,なお浄化のための長い歳月が必要なのだろう」と記した15年前の日記がふと脳裡を過った。想いは未だ浄化されずに在る。帰路思い出して以前勤務した庁の界隈を散策しJR奈良へ戻った。[2023.10.11筆]

asjigawafutou
 今日も小説取材を兼ねたウォーキングだ。弁天埠頭は四,五年前に歩いた憶えはあるが,そのときの日記を見返すとその十年前にも訪ねたことがあるようだ(すっかり記憶が飛んでいた・・笑)。
 閑話休題。コースは前回同様JR環状線弁天町を下車し高架下近くの波除公園(市岡新田会所跡碑が建つ)を皮切りに波除山跡の小公園を経て弁天埠頭周辺(写真)へ。弁天埠頭は四国九州へ向う海路の玄関口として1965年(昭和40年)開港。関西汽船等の旅客ターミナルが置かれた。かく言う私も弁天埠頭賑やかなりし頃一度ならず二度,三度「さんふらわあ」の船中泊の船旅で早朝の別府港の埠頭を渡る風を浴びた懐かしい想い出がある。そんなこんなを振返りつつ人っ子一人いない臨海公園で小休止。その後野放図に草生す公園を後に三社神社から市岡パラダイス跡を訪ね元のJR弁天町に舞い戻った。弁天埠頭から三社神社に至る道すがら十余年前廃校舎となった旧市岡商高前を通った。変り種だがレツゴー正児や先代桂春蝶を輩出した名門商業校だ。弁天埠頭や市岡パラダイス同様今は兵どもが夢の跡・・けれどあの日と同じ。生きられなかった過去を未生の現在と思う心は変わらない。[2023.10.04筆]

takadajyousi
 私事だが明日満65歳の誕生日を迎える。名実共に?老齢者の仲間入りだ(笑)。さて本日も前回同様小説取材を兼ねた大和高田訪問だ。近鉄南大阪線高田市を下車し横大路を越えてJR高田手前の踏切を渡れば目の前が母方の菩提寺の常光寺。祖父や伯父が眠る墓前に手を合せ隣接する高田城址(写真)で小休止後北上し天神社に参詣した。所携のマップは更に北上し藤森環濠集落に至るコースだが,天神社に向う道すがら線路沿いの踏切の古い立看板を見てふと思い出した。確か線路沿いを真っ直ぐ天神社に向わないでここを右折したら小さい頃休日になるとよく亡き母と訪ねた大和高田の伯母と従兄が昔住んでた市営住宅があるはずだ。もう十数年も昔の話だが,古い記憶を辿りながら件の市営住宅を訪ねたことがある。その後も真菅周辺を散策した際偶然出会した憶えがあるが,それも十年以上前のことだ。そのときも半ば廃屋だったから今はもう影も形もなくなっているだろうと思いつつ天神社参詣後コースを外れ訪ねてみたら何と半世紀以上昔にタイムスリッズしたかのようにそのまんまで残ってた。不思議に思いグルッと周囲を巡ると角の一軒にまだ誰か人が住んでる気配。このままずっと住み続けてほしいと心の中で願った。[2023.09.25筆]

bentenza
 新作小説の一幕に亡き母や伯母が生まれ育った大和高田の大中公園の景色を描こうと思い確認がてら界隈を歩いた。
 近鉄大阪線大和高田を下車。駅前の坂を上がり大衆演劇・弁天座(写真)がある北本町商店街に入った。弁天座は昔高田シネマという映画館だった。小さい頃大和高田の従兄が高田シネマか少し先の天神橋界隈にあった映画館によく連れてってくれた。大和高田と言えば今は商業施設に姿を変えたが,以前伯母が勤めていたユニチカの紡績工場があってそこで働く人のため映画館や演劇場など娯楽施設が数多く出来たと聞く。そんな昔を振り返りつつJR和歌山線の踏切を越え右折。高田川の千本桜の遊歩道に出て川を遡るとほどなく横大路と交差する大中公園に至った。隣接する大中池に張出した浮舞台の桜華殿は夜桜の季節にはライトアップされ幻想的な光景が現れる。またここの能舞台は定期的に市民劇団の公演が催される。小憩後高田川を戻り加減に春日神社の前を右に折れ閉店した店舗が目に付く天神橋商店街を抜けて小さい頃天神祭や縁日の夜店に連れられた馬冷池まで足を伸しUターン。その後寺内町の専立寺(高田御坊)から長谷本寺を経て近鉄南大阪線高田市にゴールした。[2023.09.20筆]

TENSIBAFESU
 久しぶりに大きな本屋さんを覗きたくなって阿倍野アポロの喜久屋書店を訪ねるついでに天王寺界隈を歩いた。
 JR天王寺を下車し天王寺公園(てんしば)を皮切りに写真のオクトーバーフェスト(本場ドイツミュンヘンの世界最大級のビールの祭典を真似た催物)の出店が建並ぶ長屋門(旧黒田藩蔵屋敷)脇から改修工事最中の市立美術館前を抜け勝手知ったる河底池の和気橋を渡って標高26mの名だたる低山(笑)茶臼山の山頂へ。次いで一心寺に参詣した後仁王門を出て逢坂を下り合邦辻閻魔堂から真田幸村が討死した安居神社・天神坂と経て清水寺の「もう一つの清水舞台」から松屋町筋を見下ろし松尾芭蕉・与謝蕪村・蜀山人・滝沢馬琴など著名文人が訪れたという清水坂にある浮瀬亭跡(案内板)に立ち寄り給水小憩後愛染坂の大江神社に参詣。ここは以前熱心な阪神ファンが狛虎を奉納した年リーグ優勝を果たしたことからタイガース神社の異名を取る。今年も「アレ」が目前に迫る中私もご利益のお裾分をと(笑)掌を合せその後天神祭・住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭の愛染まつりで知られる愛染堂勝鬘院にお詣りして谷町筋に戻り目的の喜久屋を目指した。[2023.09.14筆]

welnesriroba
 光陰矢の如し。久宝寺緑地を訪ねるのはほぼ三年ぶり。寺内町は六年以上も前の話だ。
 さて新作小説の構想に疲れ果てた今日この頃(笑)・・JR大和路線加美を下車し駅前の菅原神社を振出しにJR線の地下道を反対側に潜り府道5号を東進するとほどなく近畿道高架下に久宝寺緑地が見えた。修景広場の方から園内に入った後歩道橋を渡り花の広場から風の広場を巡ってUターン。元の道に戻りかけたら緑地プールのある東口方向に真新しい公園が見えたので立ち寄った(写真)。小憩後公園入口に次の目的地の寺内町の矢印案内があったので元に戻らずそのまま進むことにした。スマホの地図アプリを頼りに幾度か路地を曲がったらいつの間にやら寺内町に入ってふれあい館の前に出た。そこから適当に路地を折れ用水路沿いに進むと見覚えのある顕証寺の門前に出た。参詣後寺内町を後に帰路に就いたが,途中の大通りに見慣れた丸亀うどんの立看板が見えた。見過ごす訳にもいかず(笑)昼時分には少し早かったが,いつものネギ天こ盛りぶっかけうどんを食し「お逮夜市」の幟が立った地元商店街を抜け近鉄大阪線八尾にゴールした。「お逮夜市」と言えば・・僕達の時代を共に生きた旧友の顔がふと脳裡に浮かんだ。[2023.09.12筆]

naniwa-jikuukan
 書店に並ぶのは半年以上先の話だが,『暇人クラブPart3』改め『(百花繚乱)暇人クラブふぁいなる~地底の太陽とビリケンさん』が刊行される運びとなった。おそらくこれが最後の出版になると思う。乞うご期待??(笑)。
 閑話休題。九月に入るも以前猛暑が続く異常気象だが,今日は潮風を浴びに大阪南港を訪ねた。日記を遡るとほぼ三年ぶりの咲洲シーサイド訪問だ。おおさか東線からメトロ中央線を使い終点コスモスクエアを下車。釣人が糸を垂れるシーサイドコスモの海浜緑地を今は廃館となった「なにわの海の時空館」(写真)から赤燈台方向へ歩き「2025大阪関西万博」の夢洲へ続く突端の夢咲トンネル前を折返し復元された古代船「なみはや」を横目に咲洲キャナルに降りた。運河沿いの遊歩道をグルリと一回りし元の駅にゴールしようと算段したが,帰路の遊歩道が途中から立入禁止になってたため仕方なく運河から上がると丁度チャペルのある結婚式場の前に出た。昔那覇勤務の折豊見城の美らSUNビーチで見た琉球瓦のような鮮やかなオレンジ色の屋根と海に映える白亜の建物が目に入って暫し足を止めた。今は昔。海の見える教会で祝福を夢見た少女の声がふと海風に乗って聞こえたような気がした。[2023.09.01筆]

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