LET'S GO ワーホリ★+゚in Victoria

2018年9月よりカナダのビクトリアでワーキングホリデーをしています。 カナダに来て楽しいことや改めて疑問に思ったこと、渡航する前にこの情報が欲しかった!ということ、そして辛いことや苦しいことも私なりの視点で書いていきます!初めての海外長期生活だから気が付いた、些細なことも記事にできたらと思っています。この記事が欲しかった!と皆さんに思ってもらえる記事が書けたら嬉しいです! これから海外に渡航する方や、ワーキングホリデーに興味がある方のお力になれたらと思っています! 「こんな記事が欲しい!」「これってなに?調べて!」「カナダでこれって手に入る?」など、皆さんがお持ちの疑問などがあったらお気軽に教えてください!



こんにちは!
ことみのブログに来てくださってありがとうございます゚・*:.。.*.:*・゚.:*・゚


先日、Twitterでフォロワーさんよりメッセージを頂きました!
頂いたメッセージの内容を一部抜粋させていただきます!

「来月からカナダで1ヵ月ホームステイをします。海外の洗濯機は勢いが強くて服がすぐにダメになると聞いたことがあるのですが本当ですか?それと、どういう洗濯機なのか教えてほしいです!」


なるほど!
確かにお洗濯については私も渡航前に不安がありました。
お気に入りの服を持って行ってもダメになってしまったらショックですよね。
日本だと毎日洗濯機を回すのが当たり前だけど、海外は週に1回って聞きますし、それに洗濯機の形も日本と海外では異なっています。他人のものだし、英語に慣れていないときは使い方を迷うこともあると思います。


では、今回の記事では主にお洗濯について書いていきたいと思います!
あくまでも私がホームステイをさせて頂いている家の例なのでご家庭によって違いはあると思います。ご了承ください!


早速ですが、これが洗濯機と乾燥機の全体像です。

IMG_6425


そう!洗濯機と乾燥機はセットになっているのが普通みたいです!
日本みたいに、脱水が終わった衣類をすべて庭やバルコニーに干しているというのは見たことがありません。
でも乾燥機が利用できない衣類ってありますよね。セーターや女性下着など。
そんなものは洗濯機から乾燥機に移すときにはじいて、物干しに干しています!

洗濯機

洗濯機が左側のオレンジの部分、乾燥機が右側のピンク色の部分となっています!

それでは上にある細かいスイッチの部分についてお話していきます!

まずは洗濯機の操作方法から!

洗濯機2

こちらがスイッチ(?)的なものになっています!

日本のようなボタンの形ではなく、回す形のつまみのようなものになっています。
押しながら回して黒の矢印を動かします。
その後にこの押しながら回したつまみを引くと洗濯機が動き始めるようになっています。

私が普段主に使っている設定はオレンジの枠で囲っている範囲です。

Heavy / Medium / Light

この3つは洗濯物の量によって選択します。
洗濯機の中は
この様な感じになっていて、自分の衣類の量で判断すれば大丈夫です!

IMG_6417

日本とは違い、真ん中に一本大きな棒のようなものがあるのも大きな特徴ですね!

たまに脱水がしっかりと出来ていないときがあるため、そんな時は Drain&Spin に矢印を盛って言ってもう一度スタートすると脱水することが出来ます!


次は乾燥機です!

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こちらが乾燥機のつまみになります!
操作は洗濯機とほぼ一緒となります。
私が主に使っているのは下半分の濃い青色の部分!
乾燥機を回したい時間まで選択してスタートすれば完了です!


と、本当に、洗濯機、乾燥機の使い方はこれだけです!
難しいことは何もありませんよ(´∀`*)

カナダの言語は英語とフランス語の2つがあるのでこちらで買うほぼすべてのアイテムが2言語表記になっています。そのためパッと見た時に理解できないフランス語が書いてあって「???」となるかもしれませんが、落ち着けば大丈夫です!!!



洗濯機と乾燥機の使い方はもう大丈夫ですよね!

では私が普段使っている洗剤などもご紹介したいと思います!

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こちらが洗濯用洗剤!
今は日本でもジェルボールが主流になってきていますが、こちらでもジェルボールの形になっています!洗濯機で量を確認するのと同じようにこちらも洗濯ものの量によって個数を変えていきます。

ジェルボールはこんな感じです!
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そして乾燥機を使用するときに使用するアイテムもあります!!
こちら!
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乾燥時にしわが付きにくいようにしたり、静電気防止の役割があるものです!
中身は布のシートのようなものになっていて、洗剤と同様、衣類の量によって枚数を決め、乾燥機に衣類と一緒に入れて使用します!
香り付きのものもあるようですがこちらは香りのないもの!

IMG_6423

中身はこんな感じです!



そして最後にご紹介するアイテムがこちら!

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このブランドは日本でもおなじみですよね!

これは私のルームメイトのものなのですが、洗濯機を使うときに最初に入れて利用しています!
香りの種類もたくさんあって、香りを選びにお店に行くのも楽しいと思いますよ!
中身は粒状になっています!!



洗濯機・乾燥機の使い方と周辺アイテムはこんな感じです!




もう1つコメントで頂いた、選択による衣類の傷みについてですが、
正直、日本に比べたら傷みは強いと思います!
たとえをあげると……
カーディガンのボタンが1つ割れました!
持っていたフラッフィーのセーターがあったのですが、数回乾燥機を使用したところ少しだけ固く(?)なってしまいました(´;ω;`)
あとはジーンズの色落ち、色移りは気を付けてください!
洗濯機も乾燥機も終わった時のアラーム音のようなものはないので、時間を見ながらか動いている音で判断するしかありません。私は一度、洗濯機を回したまま寝てしまいまして、濡れた状態で放置したら、白系のTシャツが少し青く染まってしまいました(´;ω;`)


でも注意していたり、お洋服の洗濯表記を確認すれば特に問題ないと思います!
そんなに神経質になる必要はありません!!





と、こんな感じでお答えになっていますでしょうか??
ここをもっと詳しく!
みたいなのがあったらまた教えて頂けたら嬉しいです!

他にも質問や気になることがあったら何でもご質問ください。




最後まで読んでくださりありがとうございます!
これからものんびり更新していきたいと思いますので、ぜひまた遊びに来てください♩


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フォローお待ちしております!!

Have a good time!

Kotomi






こんにちは!
ことみのブログに来てくださってありがとうございます゚・*:...:*・゚.:*・゚


今回の記事では前回の続き、ワーホリを決めるまでの私の過去の後編を書かせていただきます。

前回の記事では中学生、高校生時代についてと、大学受験に失敗して出身県内の私立の看護専門学校に進学したところまで書かせていただきました。


今回はその続き、看護専門学校からワーホリに行くことを決めるまでを一気に書きたいと思います!

前回同様、長文となると思いますがお時間のある時にお付き合いください!
それから、なかなか陰気な内容、ご気分を悪くしてしまう内容もあると思いますので、自己判断で読んでいただくようにお願いします(*・ω・)
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最後のほうのこのラインの後からは前向きな内容になりますので、暗いお話は嫌!という方はこのラインまでスクロールしてください!!!



幼いころから憧れていた助産師への第一歩!
入学当初は誰もが心機一転何事にも本気で取り組みますよね!私もそんな一人でした。
とにかく全力!一生懸命!毎日新鮮なことばかりで本当に楽しい毎日でした!


そして高校卒業と同時に始めたことがもう一つ!
家の近くにあったお洋服のお店でアルバイトをはじめました。アパレルの店員さんっていう肩書にとてもワクワクして、このころの私は新しいすべての環境が楽しくてすごく幸せでした。


しかし、そんな順風満帆な看護学生としての生活も気が付いたらなんだか辛い日々に変わっていました。

まず、同級生といい関係が築けない。看護ってチームワークがとても大切で、グループワークなども多いんですね。私は決してコミュ障なわけでもないし、むしろ人と関わることが大好きなんです!でも私はこの学校で”友達”と呼べる人を作ることが出来ませんでした。気軽に話せる人がいない中でほぼ毎日グループワークっていうのはなかなか辛いものです。そして教員ともいい関係を築くことが出来ません。悪いことをしていなくても、まじめに生活していても、学校の廊下などで先生方とすれ違うことも怖かったのです。朝起きて学校に行く、勉強をする、ということが出来なくなってきて、アルバイト先に行くたびに「学校が辛い」とこぼしては泣いていました。

月日を経るとともに私の成績は下がっていき、追試などを頻繁に受けるようになりました。私の学校は追試を一回受けるたびに3,000円。学生にはなかなか大きな金額です。追試のためにいくら学校に払ったか正直分かりません。笑

正直、私は両親に素直になることがずっとできませんでした。いつからそうなったのか、どうしてそうなったのかは自分でもわかりません。だから、学校でうまくいっていないこと、追試を受けていることを両親に言うことは出来ませんでした。両親の前の私は『いい子』で居続けなきゃいけないって自分の中で勝手に思っていたんです。両親に嘘をついていい子を演じる。これが私の中の当たり前でした。


学校が嫌でしょうがない私に2つ逃げ場がありました。
1
つはアルバイト先のアパレルショップ。もうひとつは趣味のミュージカルでした。

私は学校を無断欠席してまでこのふたつに時間とお金を使いました。

テスト前でもアルバイトは当たり前。

学校が終わった後に電車に乗ってミュージカルに行くのも当たり前。
親の前ではいい子でいなきゃいけない、学校では無理して笑って周りに敵を作らないようにしなきゃいけない。私は、何も考えずに依存できる場所、私を必要としてくれる場所を探していました。そして、ここで大きな過ちをします。ミュージカルに夢中になりすぎた私は、チケットを転売サイトで購入するようになり、さらに好きになった舞台役者さんにお金を使い始めました。もちろん学生が払える金額を超えます。アルバイトのお給料でまかないきれません。ここで私はまず、自分の奨学金に手を出しました。「どうせ将来自分が働いて返すんだから使ってもいい」そう安易に思っていました。それでももっとお金を使いたくてしょうがなかったんです。ついに私は消費者金融に手を出しました。ここからは負の循環です。

毎日行きたくない学校、行っても本当の自分でいられない、休みがちになる、話せる人がいない、誰かに必要とされたい、ミュージカルの舞台役者にお金を使う、毎月の返済、お金がない、余計にすべてのことにやる気がなくなる。


私の両親は私がミュージカルを好きということをよく思ってなかったので、どうして休みの度にミュージカル劇場に足を運ぶのか理解できなかったと思います。


自分ではどうしようもできない金銭面。もう続けたくない学校。挽回できない学力。相談できる人がいない。


全ては自分で招いた結果…ということは分かっていながらも、このころから私はうつ病になりかけていきました。



こんなグダグダな人生を続けに続け、なんだかんだで私は看護学校の最終学年を迎えていました。あと一年もしなくて卒業です。この学校から離れられる!憧れの助産師にさらに近づける!そう思っていました。


最終学年を迎えると、これまでの学校での学習とは違い病棟実習が始まります。実習自体は本当に楽しかったです。様々な患者様と関われること、自分の知らない新しい世界がたくさんあって、寝る時間もありませんでしたが、素直に頑張ることが出来ていました。
でも、もともと同級生とも先生方ともいい関係が気づけていなかった私、この実習もだんだんとうまくいかなくなりました。

そんな時学校への登校日の日に担任の先生に呼び出され、
「今の成績と、実習の状況、これからのことについてご両親も含めて話したい」
と言われました。こういわれた時の私は心臓バクバク。親にばれないようにはどうしたらいいんだろう…ということばかり考えていました。約束の日、私は一人で学校に行きました。「親に急用が出来てこられなくなった。」そう、嘘をつきました。教員に呆れられながらも次の日程を指定されました。日程が変わったからって両親に言うことは出来ません。面談の日、私は一人家にいました。このままなにもなければいいのにな…と思いながら。でも現実は現実でした。両親が帰ってきて私に言いました。
「学校から電話が来て、面談に行ってきた」
わたしの頭の中は真っ白でした。両親の前でいい子じゃなくなっちゃった。このまま嫌われちゃってこの家にも居場所はなくなるのかな。いっそのこと死んじゃいたいな。

このころに、奨学金を無駄に使っていることを両親が気が付きました。2時間以上両親と話し、どうして何も言わなかったのか、お金は何に使っていたのか、これからどうしたいのか、休学をするのか、退学をするのか、それともあと半年、頑張って続けるのか。話し合いました。この時両親には私がちゃんと学生を出来ていない原因、お金を使っている原因、全ての負の原因がアルバイトとミュージカルにあると言われ、ミュージカルをきっかけに出会った友達、舞台役者さんとすべて関係を断つように言われ、ラインを消されました。

いいことをしていたとは自分でも思いません。でも私の心の支えがなくなったこの時、私の中に看護学校を続ける、これ以上無理して頑張り続けるという選択肢はありませんでした。

この時のことは正直記憶がはっきりとありません。
親がいないときに学校の教員には「こんな生徒今までみたことない」「あなたは看護師になっても働けると思えない」「あなたのような看護師に世話をされる患者さんが可哀想」「将来まともな大人になんてなれない」その他にもいろいろ罵られました。
退学手続きはすべて両親が行ってくれたのですが、退学すると決めた日に母親が私にこう言いました。

「看護師なんてバカでもチョンでもなれるものだと思っていた。自分の娘がまさか看護師になれないどころか、専門学校を退学するなんて思わなかった。あんたは全部中途半端だよね」

私自身、自分に『退学』という履歴が残ること、憧れの助産師からまた遠く離れてしまったことにどこかショックを受けていました。その時にこう言われて私はもう誰も頼れないんだなーって。

それとほぼ同時に消費者金融にお金を借りていたことも親が気が付きました。母親に泣かれたときはどうしたらいいのか分からない申し訳ない気持ちと、もっと困ればいいのに、という気持ち、両方あった気がします。


そして、このころに初めて心療内科に行きました。診断はうつ状態。精神安定剤の処方と週に一度の通院が始まりました。
今考えると自分の娘がうつ病、ということに両親が一番ショックを受けていたと思います。急に私への当たりが優しくなった両親に私は赤ちゃん返りをしたかのように全力で甘えました。でも家族全員が理解していたわけではありません。理解しようとしても出来なかったんだと思います。祖母は私の顔を見るたびに、「あんたは変な病気なんかじゃないんだから、前みたいに元気になりなさい!」と言い続けました。その言葉を言われることが辛かった私は祖母の家にも行けず、家に引きこもるようになりました。


一人で何もしない時間が増え、いろいろなことを考えました。
どうしたら両親にとっていい子に戻れるんだろう、どうしたら私自身楽になれるのかな。これから何をしたらいいんだろ。
まず浮かんだ考えは病院に行くことをやめる、でした。病院に行くのをやめて元気になれば両親にとっていい子になれる!私は病院に行くことをやめました。
次に私の中で出た答えは死ぬことでした。死にたい。どうやったら死ねるかな。
リストカット、首つり、灯油を飲む、薬の大量摂取。
もっと多くの精神薬を手にするために、両親に隠れて精神内科に再び通い始めました。

このころからは夜になるとリストカット、ほぼ毎日の幻覚・幻聴。外に出ると知らない人でも誰でも全員が私の悪口を言っていたり、私のことを笑っていたりする気がする。不眠。

精神状態は悪化しており、薬のために行った病院では、躁うつ病と統合失調症と言われました。

家族の前では元気で今まで通りの私。
一人になると死ぬことばかり考えている私。

でも嘘でしか自分のこと守れないし、元気な私に普通に接してくれる家族が嬉しかったから苦ではありませんでした。嘘をつくこと。それは事実を話すことよりも簡単で、楽だったんです。


学校を正式にやめて一か月したくらいから私はアルバイトに復活しました。いつでも思います。私はこの職場がなかったら前には進めてなかっただろうなーって。
ここが唯一、嘘がなくても私が心地よくいられる場所でした。笑うことも泣くことも頼ることも素直にできる場所でした。学校がなくなったので一日フルタイムで働くことも多くなり、まわりの先輩方からの勧めもありアルバイトから準社員になることを決めました。

リストカットをやめることは出来なかったけど、週に5日朝から晩まで働いていると夜は疲れて必然と寝てしまいます。次の日も仕事があると生活習慣も整うので私の気持ちはだんだんと落ち着いていきました。







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そんなあるとき、母親に言われました。
「これからどうするつもり?ずっと準社員のままでも困るでしょ?正社員にはなれないの?ずっと今のところに甘えるの?」

自分でもこのままではいけないと思っているところはあったので、この核心を突いた言葉に私は何ともいうことが出来ませんでした。むしろ、口うるさく行ってくる母親を鬱陶しいと思っていました。でもそんなときに母親が言ったのです。

「何もしたいことがないなら、ワーホリでも言ったら?このまま何もしないわけにもいかないでしょ」

この時私は初めてワーキングホリデーというものを知りました。

これまで海外なんて何の縁もなかった私、英語なんてまともに勉強したことがない私。
でも海外に興味がないわけがない!私なんかにも出来ることってあるのかな?


とりあえずインターネットでいろいろ調べました。

行くことの出来る国が限られていること、期間・回数に制限があること、学校に行けること、働けること、遊べること!!

今まで調べようともしたことがなかった新しい世界に私の心は踊っていました!

職場にいた海外経験のある大好きな上司に「私、ワーホリに興味持ったんです!」

って話すと笑顔でお勧めしてくれました!
そして大好きな職場のみんなが私の背中を押してくれたんです!

とても久しぶりに前を向くことが出来た気がしてすごくワクワクしていました!!


やると決まったら行動が早いのが私!!

留学と言えばアメリカ!と思っていた私はワーホリでアメリカに行けないことを知ってまずびっくり!なんとなくの判断でお隣のカナダに決めました。でもカナダと言ってもどこに行くの?
そんな時に都内でやっていたとあるエージェントの説明会に行きました。これが2017年の830日!そこで頂いたパンフレットに載っていたカナダの紹介ページ!私の目に飛び込んできたのはきれいなお花の写真に、なんだかかっこいい名前の「ビクトリア」という文字!え、何このかっこいい名前!

ここに行く!!!!

そして私がワーホリに行くことが自分の中で決定しました!


その後はほぼとんとん拍子!

わたしはエージェントを利用して来ているのですが、そのエージェントを決めたのが2017129日、その後ビザ申請をして、取得できたのが20182月半ば。
(この辺りはリアルタイムでブログ更新していたのでよかったらご覧ください!)


つまり、私がワーホリを決心してから渡航するまで約一年しかなかったんです!

でもそれだけの時間でも十分に出来ちゃってるんです!
決めたら行動するのが早いのが私!


決心できたのも両親や職場の皆さんの支えとフォローがあったからです!!




本当に長くなってしまいましたが、これが私の全てです。

いつかちゃんと、ワーキングホリデーに送り出してくれた両親に感謝の気持ちを伝えたいと思っています。



ここまで読んでくださって本当に、本当にありがとうございます。
こんな胸を張って言える過去がない私でもいま、日本から離れたカナダで生活することが出来ています!だからワーホリに興味あるけど一歩踏み出せないって思っている、この記事を読んでくださっているあなたにも出来ない訳がありません!!






次回からは、実際のワーホリについて、116日に更新したブログでピックアップした内容についてか行きたいと思います!
少しでも、どんな方向でも、皆さんのお役に立てたらうれしい!!
そう思って更新していくのでこれからもぜひ、お付き合いください!!!




最後まで読んでくださり本当に、本当にありがとうございます!
これからものんびり更新していきたいと思いますので、ぜひまた遊びに来てください


Have a good time


Kotomi





こんにちは!
ことみのブログに来てくださってありがとうございます゚・*:.。.*.:*・゚.:*・゚


今回の記事では、私がカナダへワーキングホリデーをすると決めるまでを書いていきたいと思います。
長くなってしまいそうなので前編と後編に分けてのお届けです!

両親にも言っていないこと。地元の友人にも言っていないこともたくさんあります。
不快な気持ちにさせてしまうかもしれませんが、良ければお付き合いください。


だいぶ前に書いた記事と重なるところもあると思いますが…(≡ω≡.)



時はさかのぼりまして、私が中・高生だったころから書きましょうかね。


「ワーホリ関係ないじゃん!!」

って思ったそこのあなた!!



私もそう思って、このことを記事にしようか悩みました。


でも私がワーホリに行きたいと考えた時、私みたいな英語力のない人がワーキングホリデーなんかに行ってもいいのだろうか…? 私みたいな人間が海外で生活していけるのだろうか…?

と、とっても不安になっていました。
でも似た境遇にいる方のブログなどを読むと本当に勇気がもらえたんです!

今度は私がいま悩んでいる方に、一歩踏み出す力を少しでもお裾分けできたらいいなーと思ってこの記事を書こうと決めました!


ってことで、
前置きが長くなりましたが書いていきたいと思います!




中学生の頃は、はたから見ると活発で本当に普通の学生だったと思います。 お友達もそれなりにいてちゃっかり生徒会役員もやっていたりして。

だけど学力は盛って言っても中の下。三者面談が地獄過ぎて毎回泣きそうだったの覚えてます。 その中でも英語は壊滅的でした。 中学3年生の定期テストで60点代後半を出したときに英語の担当教師から、「よく頑張った」とすごく褒められたことを覚えています。(笑)

いざ高校受験。私は「前期のB!」って言って伝わる方がいたらうれしい!笑
今がどのようなシステムなのかは分かりませんが、私のころは前期入試と言っても


【内申点を中心とした学力レベルでチャレンジする『A』】

【内申点を中心として、その他の諸活動でチャレンジする『B』】


がありました。
もちろん学力のない私はBで挑戦するしかありません。
後期試験で学力勝負なんて言ったら地元県内の高校どこも受かりません!!


救いにも中学1年生の時に弁論大会でちょっとした成績を残していたのが救いでした。

そして何よりも、中学三年生の時の担任の先生の『よしあき』!!
本当に恩人です。この先生じゃなかったら絶対に合格できていませんでした。



そして、無事に合格したのが地元県内の公立高校。自称進学校。
授業に付いていけるわけもなく、成績はテストのたびに下がっていきました。
それでも放送部として、関東大会に進むなどそれなりの成績は残したのですが…

楽しかった高校生活も気が付いたら終盤。
大学受験の時期になっていました。


私は昔から助産師になることが目標でした。
たまに頑張る勉強もその目標があったからできたこと。
しかし模試やらなんやらをしていると、自分の実力を如実に感じるようになります。
私の目標としていた学校には到底及びません。
今更勉強の仕方もわからない。数学担当の担任の先生は本当によくしてくれました。放課後も休みの日も付きっ切りで勉強を見てくれました。 それなのに私は、まじめに勉強していませんでした。

全て自分の責任ではありますが、高校受験で苦労しなかった分がすべてここに回ってきていたんですね。

私のセンター試験の英語の点数、聞きたいですか?笑

200点満点中  48点でした。


これは親にも言っていない。言えるわけないですよ。塾にまで行っていたのに…



それでも私は何とか滑り込んだ県内の私立の看護専門学校に行きました。


そこから私は少しづつ「普通」からずれていきました。






だいぶだらだらと書いてしまったので前編はここまで!

この続きは後編として次の記事にまとめます!!



次の記事では、こんなこと公にしていいのか分からないくらいの悲惨な私の生活を書きます!
そんな私でも受け入れてくれるよって方はぜひお読みください!




最後まで読んでくださりありがとうございます!
これからものんびり更新していきたいと思いますので、ぜひまた遊びに来てください♩

Have a good time!

Kotomi








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