この前、同居人にオススメの映画を聞かれたので、むこうの好みに合わせていくつか勧めたんですが、そのうちの1つを気に入ったようで、シリーズ3作品を一気に観ていました。主演の俳優が気に入ったようで、その俳優が出演している他作品を文章で送ったのですが、返ってきた返事は、「誰それ?」でした。どうやら同居人は、俳優は気に入ったがそれが誰なのかは知らない、という状況のようで、「誰だろう」という疑問も持っていない様子でした。
同居人とのやり取りはそこで終わったのですが、なにごとにおいても、疑問を持たないというのはマズいですね。疑問を持たないということは、知りたいという欲求も生まれず、欲求が生まれなければその先の知識を得ることもないからです。すなわち、言い換えれば疑問をもつことによって、知りたいといった欲求が生まれ、その欲求に従った先に新たな知識や経験を得られる機会がまっているともいえます。人によって必要な知識は異なると思いますが、一見不要な知識でも、どこで役に立つかわかりません。会話をしてるとよくわかりますが、知識量が多い人の話には深みだったり説得力、発展性がありますよね。逆に、知識量があまり多くなさそうな人と話していると、やはりどこか薄っぺらい話だったり、そもそも会話にならなかったりします。といったように、知識の量はその人の魅力を表しているといっても過言ではありません。
ですが、ものごとを「知らない」ことが悪かというと、そうではありません、問題なのは知らないことを「知ろうとしない」ことなのです。知識量を増やしたい方は、まず疑問を持つことから始めましょう。
あとは正しい知識を身につけることも意識しましょう。同居人は俳優の名前を間違えて覚えてきました。…覚えようとしただけ成長です。