高崎典仁のコーチングブログ

セルフコーチングやマインドの使い方の理論や方法を紹介します。それとパーソナルコーチング説明会のお知らせをたまに。

 私たちは普段、他人に作られた情報空間を見ている可能性が高いです。

 それも、抽象度の低い煩悩を刺激されるような情報空間です。

 単に抽象度の低い煩悩を刺激するならまだしも、多くは欲しいとも思っていないものを欲しいと勘違いさせられるような働きかけがなされています。

 需要があるものを提供するのではなく、需要が無かったとしても需要があると思わせて買わせる、といった感じです。

 そのあたりの働きかけは結構昔に既に大規模に、それも巧妙に行われており……という話はさておいて、今回はどのようにして本当のwant toのゴールを見つけるのかを考えていきたいと思います。



 超情報場理論では、全ては情報で出来ており、物理はその一写像である、と考えています。

 また、「抽象度」という構造もそこにあります。

 厳密には「情報量の大小で並び替えることができる」ということですが、情報空間(情報宇宙)そのものを抽象度という軸で並び替えることができるということは、同時に情報空間は抽象度という構造を持っていると考えることもできます。

 もちろん絶対不変というわけではなく、刻一刻と変化し続け、ありとあらゆる認識主体が抽象度という構造を見出さない状態になれば、抽象度という構造は消滅するでしょう。

 というか、一人一宇宙なので「抽象度」や「情報量」に類似する概念を持たない認識主体の宇宙には存在しません。

 認識しているものしか存在しないのです。

 とはいうものの、何かを認識した瞬間に「それ以外」が認識外に発生します。

 「空」に至らない限り、全て部分関数として、何かと何かを分けるものとして働くからです。

 本当のwant toのゴールは、この「それ以外」のどこかに存在します。

 もしかしたら構成要素そのものは既に現状の認識の中にあるかも知れません。

 しかし、ゲシュタルトが「部分と全体の双方向関係」であることからわかるように、今の全体を作り出している自我という重要性評価関数、つまり重要度で並び替える関数によっては現状の認識の中には存在しなくなってしまいます。

 体感しやすいであろうものが以下のリンク先で紹介されています。(外部サイトです)



 もっと分かりやすく重要性によって見えなくなることを体験できるワークはPX2やTPIEに組み込まれているので、そちらも是非。

 さておき、本当のwant toのゴールは「それ以外」から探し出すか、自我を変えて新しく並び替えられた現状から見つけるかの二択です。

 前者は、抽象度の階段をどんどん上がっていき、情報空間における視野を広げることで、これまで見えていなかった本当のwant toのゴール、あるいは本当に解決したい問題を見つけるというものです。

 後者は以前紹介したRASをコントロールする手法です。

 どっちにしろ要する労力は大して変わりません。

 抽象度の階段を本気で上がるには思考し続ける根気がどの道要りますし、重要性を一つ一つ変えるにしても新しい重要性に馴染むまで時間がかかり、またちょっとやそっと重要性を変えたところでは本当のwant toのゴールはなかなか見つからない場合が多いからです。

 実際は抽象度を一個上がって宇宙を見ることも重要性を変えて見ていることに変わりはないので、結局やることは同じ、というのが正確なところでしょうか。

 その上で、今回はどちらかというと視野を広げる感覚の手法を書きたいと思います。



 本当のwant toかどうかはさておき、現状には現状なりのwant toの何かがあると思います。

 それを利用します。

 なんでも良いです。

 下世話なものや、反社会的に思えるものでも構いません。

 そしてそれを全世界の人間が喜ぶ形で実現するにはどうすれば良いか考えます。

 人を殺したいだとか、戦争をしたいだとかの欲求が人が喜ぶ形で昇華された物の一つが戦争ゲームです。

 臨場感が低いというのであれば、より臨場感が高くなるような工夫をすればよいのです。

 物理空間でやらないとこの欲求は解消されない!という人は、人間の認知を全く理解しておらず、ついでにほとんど物理抽象度しか認識できない可哀そうな人です。

 人間は小説や映画の世界に高い臨場感を持つことができる生き物です。

 だから小説や映画を見て涙することもあれば、ゲームをして怒ることもできるのです。

 ただ単に指で画面をなぞるだけの作業でイライラできるほどスマホゲームに臨場感を持てるのです。

 だからゲームをしたり、なんなら自分で小説を書いたりして欲求を満たすことは十分可能です。

 今の社会では、というより、昔からゲームをするとバカになったり暴力的になったりするからのめり込むなだとか、やってはいけないだとか言われたりします。

 たしかに一日のほとんどをゲームの世界で生活していればそうなる可能性はあります。

 やはり他人の作った情報空間なので、その情報空間の抽象度を超えることができず、低い抽象度にとどまってしまう可能性は高いでしょう。

 しかし、特に子どものことを言えば、それはゲーム以外に楽しいことを提示できない、ゲームよりも楽しいことを提示できない周囲の人間や社会の方こそ問題ではないでしょうか。

 今こうしてブログを読んだり、様々な書籍を読んだりするような人や、真っ当に義務教育課程を修了した大人は自己責任なのでゲームの世界に住もうがゲームなんかより遥かに楽しい世界を作り出そうが好きにすれば良いのですが、自分で手に取れる選択肢が周囲の大人が提示できるものでほとんどを占めている子どもがゲームにばかりのめり込んでしまうことは、明らかに周囲の大人に責任があるのであり、ゲームの面白さを甘い毒として扱うのは正直言って不当であり、かえって無責任でしょう。

 特に代案も無いのに政治批判をしたり辞任を要求するよくわからない人たちを見ている気分になります。

 ちょっと私怨のようなものが混ざって呪いじみた文面になってしまいましたが、反社会的な欲求だろうと人が喜ぶ形で昇華することは可能であり、そうして社会に提供する分には何の問題も無いことを書こうとしていました。

 とにかく、下世話であろうが反社会的であろうが、今の欲求に正直になってみる。

 そして全世界の人間が楽しく安全に享受できるものか、役に立つものを考えてみる。

 ということをすることによって思考の抽象度が上がり、そのうち本当のwant toのゴールが見つかります。

 あるいは最初から本当のwant toのゴールを包摂するゴールを設定する方法もあります。

 設定するだけなら難しくありません。

 まず最初に自分がwant to100%の人生を送りたいと考えます。

 次に抽象度を思いっきり上げて、「全人類がwant to100%の人生を送る世界を作る」というゴールを設定し、思考します。

 以上です。

 重要なのは、できるだけ抽象度が高いことと、今の現実からより離れていること。

 それが最終ゴールとして良いゴールです。

 もちろん、そこへ至る足掛かりとしての小ゴールも最終ゴールも日により変わって構いません。



 お試しあれ。

 縁起とは「関係が存在を生み出す」ということです。

 因果とは異なる概念です。

 例えばビーカーに水を入れ、温度計を取り付け、火で加熱して、しばらくすると水が沸騰したとします。

 一般に、なぜ水が沸騰するという結果が生まれたのかというと、水を火で加熱するという原因があったからだ、と考えます。

 大雑把に言えば、これが因果の感覚です。

 では、ビーカーに水を入れて、温度計を取り付け、火で加熱するのを忘れてしまったら、なぜかいきなり水が沸騰しました。

 温度計を確認しても、ビーカーに入れたばかりの時と水の温度は変わっていないようです。

 水は火によって沸騰するものだと思っていたのに、火もなく水が沸騰したので、実験者は驚きました。

 ふと、実験者は自分の足元に誰かが倒れていることに気が付きました。

 顔を確認しようと足元の誰かの体を触ろうとしたら、足元の誰かの体を手がすり抜けてしまいます。

 幻覚か幽霊が倒れているのかと驚きましたが、よくよく自分の足元を見てみたら、自分の体が床から離れていることに気が付きました。

 そう、死んで幽霊になったのは実験者本人であり、倒れているのは実験者の遺体だったのです!

 そこで実験者は、どうやら部屋の気圧が急激に下がったことで水が沸騰したらしい、ということに気が付きました。

 これにおける水の沸騰の因果は、部屋の気圧が下がるという原因によって水の沸騰という結果が得られた、ということになります。

 しかし縁起の立場ではこう考えます。

 ビッグバンが起こり、超ひもが振動し、素粒子が生まれ、分子が生まれ、様々な天体が生まれていき……地球に生命が生まれ、くっついたり滅びたりしながら進化し、人間となっていき、建物を建て、ビーカーを作り、どこかから水を持ってきてビーカーに注ぎ、急激に部屋の気圧が下がり、実験者は死に、水の温度と気圧の関係で水が空気中に非常に飛び出しやすくなり、やがてビーカーの中からほとんどの水分子が飛び出して部屋に満遍なく行きわたり、部屋が解放されて大量の空気が流入し、ビーカーは洗われて保管され、死体は燃やされて灰になり、燃え残った骨が粉砕され、海に撒かれ、プランクトンに食べられ、プランクトンが魚に食べられて魚の血となり肉となり、そして糞となってまたプランクトンに食べられ……

 とても記録媒体に書ききれるものではありません。

 また、直列的に出来事を書きましたが、実際は超×∞並列的に書かなければならないところです。

 縁起の立場では、ありとあらゆる関係が絡み合い、その中の結び目を取り出してそれを物だとか事だとか便宜的に呼んでいるのです。

 因果とは、リアルタイムにダイナミックに変化する関係性の結び目の、ある二点を、あるいは複数ではあるが限定された数の点を取り出して「因」と「果」とされているだけです。

 ついでに、せいぜい室温程度の水が沸騰するほどに急激に気圧が下がれば人体はもっとグロテスクに人間としての生命活動を停止しますし、幽霊は情報空間にだけ存在して情動や思考という情報処理を行う脳が存在しないので驚くことも、恐らく観測することもできません。


 閑話休題。


 縁起は「関係が存在を生み出す」という考え方でした。

 ということは、逆に言えば「存在を生み出している何らかの関係がある」ということになります。

 ということは、なにか目の前に現れて欲しい存在や出来事があるのなら、現状の縁起から欲しい存在や出来事が目の前に現れる縁起に書き換える必要がある、ということです。

 「縁起」なので主に変えるのは様々な関係ですが、それにより同時に目の前に現れる自分を含む存在や出来事も変わります。

 それが「縁起を書き換える」ということであり、コーチングで行うことです。

 自分も含むということは自分も縁起の一部なのに、その縁起の一部である自分が縁起を書き換えられるのはどういうこと?という疑問の答えは「思考」や「自由意志」という縁起があるからなのですが、とりあえずそれはおいておき。

 縁起の継続性は強烈なので、ちょっとやそっとで目を見張るほどの変化は起こせません。

 例えば、日本に住んでおり、将来起こりうる大地震に遭いたくない、と思ったとします。

 大地震でなければ良いので、こまめに揺らしてしまえばよいのだ!と考えたその人は、海溝や震源地になりやすいところでこまめにダイナマイトを爆発させることを考えました。

 当然、大地震を回避できるほどのダイナマイトなど用意できるはずもなく、例え将来起こりうる大地震を回避できるほどのダイナマイトなりその他の爆弾なりを用意できたとしても、既に溜まっていたエネルギーが爆発に触発されて解放され、結局怖がっていた「将来」が「ちょっと遠い未来」から「まさに今」に替わって大地震が起こるだけですし、そうでなくとも甚大な被害が予想されます。

 どうあがこうと日本に自分の座標を置き続ける限り、大地震のリスクからは逃れられず、逃れようとするなら物理的現象に気づかないほど幸せな妄想空間に臨場感を持つか今すぐ死ぬしかないわけです。

 冷静に「大地震のリスクを回避する」ということを考えるのであれば、そもそも大地震が起こったことがない、あるいはほとんど起こらないとされる地域に移動するか、マントル対流のない小惑星に移住するか、一生宇宙船に乗って宇宙空間を漂うか、タイムマシンを作って大地震の時期だけ回避する等のことを行うことになります。

 まあ、生きている限り自然災害や事故のリスクから完全に逃れることは不可能ですが、「大地震のリスクを回避する」のであれば、最低限地震がほとんど発生しない地域に移動するくらいの縁起の書き換えは必要です。

 「日本に住み続ける」という現状、縁起からすれば、明らかに現状の外側なわけです。

 ついでにより地震のリスクをゼロに近づけたり、他人の地震の遭遇率を下げることを考えて、ドラえもんのタイムテレビ(あらゆる可能性世界の好きな座標を観測できる装置)とタイムマシン(あらゆる可能性世界の好きな座標に移動できる装置)を作ることをゴールにすれば、より現状の外側になって縁起の書き換わり方も大きくなります。

 タイムテレビやタイムマシンを作るかはさておき、大地震の例の、地震がほとんど発生しない地域に移動する、くらいの感覚がある現状の外側のゴールはいくつか持っておきたいところです。

 それが最低限です。

 もちろん一人一宇宙であり、人によって現状が異なるので、現状の外側のゴールはそれぞれで考えて設定する必要があります。

 大リーグで活躍している人にとっては「来年大リーグで活躍する」というのは現状の外側どころかゴールでさえなく、ただのコンフォートゾーンです。

 パリコレで活躍するようなモデルにとっては「世界のトップモデルになる」というゴールは大して現状の外側ではない可能性があります。

 現状とはstatus quoのことで、現状から考えた理想的な未来も含んでいるからです。

 現状の外側というのは、生活の構造を変えてしまう程のことを言います。

 もちろん、コーチングで重要な概念であるバランスホイールの中には現状の外側ではない、維持したいコンフォートゾーンも設定するので、生活の構造を変えつつもある程度維持する部分があっても構いません。

 それでも現状の外側のゴールを達成することを考え続けることで縁起が変わっていくので、維持したいコンフォートゾーンの様相もかなり変わります。

 人間は変化のない安定ではなくより好ましい状態への変化を喜ぶので、何かがあるから楽しいのではなく、途中で躓いたり一時的に好ましくない状態になったとしても、望ましい未来へ移動している確信を持つことで人生そのものが楽しくなっていきます。

 現状の外側のゴールを設定するということはそういうことです。

 また、現状の外側のゴールを設定し、思考していくことで縁起が書き換わっていくので、それにより興味の対象もダイナミックに変化していきます。

 なので、ゴールは毎日変わっても良いですし、どんどん増やしていった方がより効果的です。

 ゴールは沢山持ちましょう。





 ついでにコーチはクライアントのゴール設定を手伝ったり、ゴールを達成しやすい縁起に書き換えたりを行うので、コーチングセッションを受けることもおすすめしておきます(笑)

 仏教哲学の概念で「縁起」というものがあります。

 「全ては関係性があって起こる(生まれる)」ということです。

 この縁起の視点に立つと、一つ一つの存在が宇宙全体と何らかの形で関係性を持つことで(関係性が先にあって)存在していることが分かってきます。

 「関係性があって起こる」と言われても、最初は「いや、自分の知らないこととは重要度が無いから関係性を持っていない」と思ってしまうかもしれません。

 しかし、「縁起」は何も直接的に関係性を持っている必要はありません。

 間接的に関係性を持っているとしても、関係性がある、と考えています。

 とんちのような言い方をすれば「直接的な関係性を持っていないという関係性を持っている」とも言えます。

 なんなら、物理的実体を持っているのであれば、どれだけ離れていようとも場の歪みが伝わって影響を与え合ってしまう、という考え方だってできます。

 概念宇宙(情報空間)であれば、全ての概念は「空」という概念に包摂されるという関係性を持っている、という考え方もできます。

 また、自我を含む全ての概念的や物理的な存在は、別の概念や物理的存在との関係性でしか記述することができません。

 同時に、自分はありとあらゆる情報的、物理的存在と関係性を持っているということになってきます。

 だからこそ、自分の心が少しでも変われば宇宙は変わってしまいます。

 少なくとも自分の内部表現宇宙は。

 実際は自分の内部表現宇宙が変われば他人との関係性、つまり関わり方も自然と変わるので、時間差はあるかもしれませんが、自分が変わることで他人の内部表現宇宙も多かれ少なかれ変わります。


 なぜコーチングブログで仏教の話になるのかというと、苫米地式コーチングが仏教哲学も踏まえているからです。

 また、タイス式のコーチングにしても「すべての変化はマインドで起きて外に広がる」と考えています。

 逆に言えば、「現状を作り出しているものまたマインドである」ということです。

 これもやはり、とても縁起的な考え方です。

 縁起の概念そのものに「この世は心が生み出している」という考え方が入っています。

 嬉しかったり楽しかったり、苦しかったり辛かったりという一時的な情動も心が生み出しているものですし、幸せな生活や鬱々とした生活のような長期的な情動や環境も心が生み出しているものです。

 であれば、苦しいのや辛いのが嫌なのであれば、苦しくなったり辛くなったりするような心、マインドの使い方をやめて、嬉しい楽しい幸せな生活になるような心の使い方に変えれば良いということです。

 そのマインドの使い方を教えるのがコーチングです。

 そのマインドの使い方も難しいことをしているわけではありません。

 want-toの現状の外側のゴールを設定し、そこへ向かっている臨場感をひたすら高めるだけです。

 それをより確実に、より効果的に行うためにもコーチング理論を理解することが非常に重要になってきます。

 このブログのようなコーチングブログだけでなく、ぜひ書籍も読んで理解を深めていってください。

 スコトーマ(心理的盲点)は誰もが持っています。

 釈迦のように悟っている状態の人以外は全員持っています。

 かのルー・タイスも「自分にはスコトーマがある」と誰よりも分かっているからこそ、元高校教師で入社2年目、英語もまともに喋れなかったグァテマラ人の女性をPX2の開発のナンバー2に起用したり、苫米地博士に協力を求めました。


 「スコトーマがあることを認める」とはどのようなことでしょうか。

 「自分には今見えていないものがある」ということでしょうか。

 たしかにその通りなのですが、それだけではまだまだ「弱い」です。

 単に知識としてスコトーマがあることを知っていることと、本気でスコトーマがあることを認めていることにはかなりの違いがあります。

 本気でスコトーマがあることを認めているということは、今見えている自分を含む世界の状態とは異なる状態が存在するを確信している状態です。

 超情報場仮説における抽象度の説明にある「任意の概念の一個上」としての「空」を確信している状態です。

 つまり、今より悪いと言える状態があることは当然として、今より良いと言える状態、それも想像も及ばないような望ましい状態が存在し、その状態になることができることを確信しているということです。

 逆に、スコトーマがあることを知らない、あるいは知っているだけの人はというと、「今と違う世界があることを知っている」とは逆の考え方をしています。

 つまり「世界は今経験している世界しかない」と思い込んでいるわけです。

 現状(維持)を強く肯定しているとも言えるでしょう。

 これでは「変わりたい(もっと良い生活がしたい)」と口にしても変われるわけがないですよね。

 世界、宇宙は内部表現です。

 それぞれの心が生み出すものです。

 なので、本人が現状を肯定するような、「スコトーマがある」ことを認めていないような心の使い方をすると、変わりようがなくなってしまうわけです。

 当然エフィカシーにも直結する話です。

 というか、コーチングでは「エフィカシーを上げることでスコトーマを外す」という形で説明することの方が多いと思います。

 逆に「スコトーマを外すことで結果的にエフィカシーが上がる」と説明するものは、強いて言えば「瞑想法」の文脈だと思います。

 コーチングで言うのであれば「とりあえずのゴールを設定し、臨場感を高めることで、スコトーマが外れ、同時にエフィカシーが上がる」でしょうか。


 とにかくまずは「自分にはスコトーマがある」と確信しましょう。「自分だけでなく、誰もが同時に喜ぶようなとんでもない世界が存在し、自分はそこに行くことができる」という臨場感を高めていきましょう。

 そのために、以前の記事に書いたようなRASをコントロールするワークを「スコトーマを外す練習」として、気軽にゲーム感覚でやってみましょう。

 しばらくメンテナンスを行っていた苫米地式コーチングの公式サイトが、メンテナンス終了に伴いアクセスできるようになりました。


 ちゃんと私も掲載されています。


 苫米地博士がコーチング用語の解説をしている動画もあるので是非覗いてみてください。

 

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