苫米地式認定コーチ CoacH T(竹原邦雄) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び、九州で活動する、医師で、コーチで、ヒーラーのCoacH T(タケハラクニオ) オフィシャルブログ

「一人ひとりの心の平和」がひろがることでWorldPeaceは実現します。
その福音となるベチロン(苫米地理論)やコーチングをあなたとあなたの大切な人たちに届けるためのブログです。
月~水は「The Power of Mind Ⅰ(全九章)」より2回投稿を行い(休止中)、
木~日はフリーテーマ(1回)と質問回答や告知(不定期)を投稿します。
御質問やコーチング・講演等の依頼については、コメント欄またはメール(coachfor.m2@gmail.com)で御連絡ください。
それではゴールのイメージを楽しみながら、リラックスしてお読みください。

ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-06:よりより“議論”のための前提条件

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

06:よりより“議論”のための前提条件

 

 前回、議論とは、「情動→論理→社会的情動という進化・向上のきっかけになるもの(=縁起)、すなわち覚りへの階梯である」と書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

 (繰り返しになりますが)ここでいう「進化・向上」とは、「抽象度を上げる」ことと同じ意味です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 よって、よりよい“議論”のための前提条件とは、抽象度を上げるための前提条件といえます。

 

 よりより“議論”のための前提条件として、私は下記の三つを特に重要視しています。

 

1)     ゴールの共有

2)     不完全性・不確定性の理解

3)     スコトーマの理解

 

それぞれを説明いたします。

 

1)     ゴールの共有

ゴールとは、人生の目的であり、未来をつくりだすものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

よりよい“議論”のためには、「なぜ議論を行っているのか?」という議論自体の目的を全員が理解し、共有している必要があります。

ゴールは常に“現状の外”にありますので、議論の目的は「ゴールを達成するための新たな方法を、スコトーマを外して見つけだすため」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

そもそも「アリバイ作り」や「現状維持」のために行うものは議論ではありません。そんな会議や会合には一切参加する必要はありません。

 

2)     不完全性・不確定性の理解

 「すべては決定的ではなく、不完全(不確定)である」という事実は、すでに証明されています。情報空間(宇宙)においては不完全性定理、物理空間(宇宙)では不確定性原理として。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 「不完全である」という事実は決してネガティブなことではなく、「だから、もっと良くなる可能性がある」という意味であり、「永遠に進化・向上し続けることができる」という希望にもつながります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

 さらに、不完全性を突き詰めていくと、縁起や空仮中といった釈迦哲学の真髄に至ることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 「不完全なのは、必ずスコトーマがあるから」と考えることもできます。

 

3)     スコトーマの理解

 スコトーマとは「心理的盲点」のことです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 スコトーマをうみだすものは、「知識」「重要性」「役割」の三つです。

 よって、「必ずゴールを達成する」という思いをみんなで共有し(重要性の認識)、それぞれの価値観の違いを尊重し(役割の認識)、お互いの知識と経験を持ち寄ること(知識の認識)が、スコトーマをはずす上で重要になります。

 

 そのために議論があるのです。

 

 ちなみに、「スコトーマがある」という事実を知らないことを、釈迦哲学では「無明(むみょう)」と言い表します。それがすべての苦のはじまりであるという教えが十二支縁起(十二因縁)です。

 医療や介護の現場はとくに、無明が苦の源泉となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199706.html

 

 


Q-053:霧島市(鹿児島)教育講演会<180628> vol.7

 

 2018628日(木)、霧島市(鹿児島県)で開催された姶良地区学校保健会において、教育に関する講演を行わせていただきました。

 当日の講演内容については、Q-047を御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11142259.html

 

 いただいた御意見・御質問に対して回答いたします。

 

 

・中学生向けのコーチング(have to感の強い生徒たちへの声掛け)を知りたい

 

A:「反抗期」を調べると、「精神発達の過程で成熟に先立ち、他人の指示に抵抗を示したり他人との社会的交渉を退けたりして拒否的態度や行動を示す期間をさす。幼児期に親の指示に反抗したり強情を張ったりする時期を第1反抗期、青年期の初めないしそれに先立ってふさぎ込んだり、また人に逆らって乱暴したりする時期を第2反抗期と呼ぶ」(ブリタニカ国際大百科事典)とあります。

 

 私は「第2反抗期は、大人(親や教師)が生みだす」と考えています。

 

 例えば、まだやりたいことがはっきりとわからない子どもに向かって何かを強制すると、それはhave toを植え付けることになります。Have toを感じると、無意識は抵抗します。それを傍から見ると、反抗している(あるいは、ふさぎ込んでいる)ように感じられます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 この場合に大切なことは、「ゴール設定の大切さとそのやり方を教えてあげ、エフィカシーを高めてあげること」です。それが大人が行うべきサポートです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ゴールを設定した子どもがその実現に向かって行動していくようになると、(その子どもの)コンフォートゾーンはどんどん変化していきます。ゴールは“現状の外”、つまり過去の記憶でつくられた世界を大きく超えたところにあるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 そのとき、まわりの人たち(とくに親や教師)は落ち着かない感じがします。自分のコンフォートゾーンが乱された感じがするからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 その落ち着かない感じ(認知的不協和)を解消するために現状維持を選択してしまうと、無意識はゴールに向かって飛びだした子どもたちを制限(抑制)しようとします。ドリームキラーの誕生です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 「夢みたいなことを言っていないで、現実をみなさい」

 「そんなことをして何の役に立つの」

 「先のことまでちゃんと考えているの」

 「お金はどうするの」

 「先生(お母さん、お父さん)は、あなたが心配で言っているんだよ」

 

 小学生までなら黙って従うかもしれません。しかし、自我が確立しはじめる中学生くらいになると、自分を閉じ込めようとする大人の言葉には激しく抵抗するようになります。それが第2次反抗期です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

 

 反対に、こんな言葉をかけてあげたらどうなるでしょうか?

 

 「その夢はきっと叶う。あなたならきっとできる」

 「何の役にたつかわからないけどすごく楽しそう。いいゴールじゃない。応援するよ!」

 「今は先のことが見えなくても、スコトーマが外れて必ず見えてくるよ」

 「お金はなんとかしないといけないけど、一緒に考えていこう」

 「先生(お母さん、お父さん)は、あなたは必ず成功すると信じているよ」

 

 そんな言葉を本心でかけてくれる人に対して、子どもが反抗するでしょうか。

 

 すべてはゴール設定からはじまります。

 そして、ポイントはエフィカシーを高めてあげることです。

 

 このプリンシプルは相手が中学生でも変わりません。いや、むしろ多感な思春期だからこそ、ゴール&エフィカシーがさらに意味を持つといえます。

 

 

・我が子に対するコーチングの方法(を知りたい)

 

A:我が子に対するコーチングは、じつは、とても難しいものです。重要性が高いゆえに、情動優位になりやすいからです。情動優位になると、なかなかスコトーマが外せません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 私は、我が子に接する時には、親としての判断基準(=ブリーフシステム)、大人(社会人)としての判断基準、そして苫米地式コーチとしての判断基準をそれぞれ意識しながら、そのすべてを包摂する抽象度でバランスよく対応するように心がけています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 そのためにつねに縁起の広がりを感じ、空観を忘れないようにしています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 しかし、それでも「うまくいかない」「難しいや」と感じる日々です。

 私にとって子どもたちは、とてもとても大切な存在なのです。

 

 「失敗した~」「やってしまった~」と感じた瞬間に、「私らしくなかった。次は○○している」とセルフトークをするようにしています。

 それと同時に、コーチとしての成長の機会を与えてくれる子どもたちに感謝するようにしています(嫌味ではなく、心から)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9533623.html

 

 

・スライドのプリントした資料がほしかった

 

A:講演中は自由に思考を広げていただきたいので、(視点を固定してしまう可能性のある)スライド資料はあえて準備していません。どうぞ御理解ください。

 

 そのかわりにブログで知識の確認(整理)ができるようにしています。たくさんリンクを張っているのは、知識と知識とをつなげることでより大きなゲシュタルトをつくっていただきたいからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 より大きなゲシュタルトができたときには抽象度が上がっており、理解が深まっています。それはIQがさらに上がった状態であり、人間形成の階層を“ひらめき”とともに上った瞬間といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 これからもぜひ、このブログをフォローしてください。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

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180628 学校保健会講演用(第2次反抗期)


F-050:同じ人間なのだから診れるだろう<中編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。看護師が事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介しました。

しかし、その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 

 「紹介された病院を調べたら遠いので、ここから一番近いそちらで診てください」

 「カロナール(注:一般名アセトアミノフェン、解熱鎮痛剤)を持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」

「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」

「見捨てる気か!」

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 前編(F-049):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994015.html

 

 

そんなことを考えながらやりとりを聞いていると、私自身も「ファイト・オア・フライト」に陥っていることに気がつきました。そして、様々な課題を抱えている医療・介護現場が必要としている知識(&スキル)がはっきりとわかった気がしました。

きっかけは「同じ人間なのだから診れるだろう」という言葉でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

 「同じ人間なのだから診れるだろう」という母親の言葉は、抽象度を上げて思考することで実現可能となります。

 

 抽象度とは、情報空間における視点の高さを表すものです。上に行くほど情報量が少なく(抽象的に)なり、下に行くほど情報量が多く(具体的に)なります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 いわゆる専門化というのは、抽象度が下がること(より具体的になること、より詳細になること)です。

 大きな病院に行くと臓器別に診療が行われていますが、ある臓器を別の臓器と区別することは「抽象度を下げる」ことに相当します。「心臓(という臓器)が専門」であっても、まずは大きく内科なのか外科なのかに分かれ、内科はさらに「不整脈」「高血圧」「虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞等)」「心不全」等の専門領域に細分化されていきます。

 

医療の最先端では情報量がどんどん増え、抽象度が下がり続けています。それは医療を含む科学だけに限定される話ではなく、すべての業種・業界に当てはまります。

つまり、世界(宇宙)は、抽象度の下向きにどんどん拡大しているのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 

それに対して、情報量を少なくするのが「抽象度を上げる」ことです。「不整脈」と「高血圧」を同じ「循環器疾患」とみる視点であり、「循環器疾患」と「消化器疾患」を同じ「内臓の病気」とすることです。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293064.html


仏教では、それを「無分別」と表現します。

 

大人も子どもも人体の構造は同じです。この大きな視点(抽象度の高い視点)でみれば、当然、「大人が診れるのであれば、同じ人間なのだから、子どもも診れる(はず)」といえます。

 

 

例え話として不適切と思われるかもしれませんが、我が家で実際に経験したことをお話しします。

 

以前、我が家ではフェレットを飼っていました。ある日の夜、私が帰宅すると家の空気が凍りついていました。転落したフェレットが前足を引きずるように歩くというのです。

正月休み期間だったため、動物病院はどこも電話がつながりません。今にも泣きだしそうな子どもたちは、とても不安そうにしていました。

 

私はフェレットを“診察”しながら「いけるかも」と思いました。人間でいう肩関節が脱臼している様子で、骨折はなさそうだったからです。妻にフェレットが動かないように手伝ってもらいながら、肩関節脱臼の整復を試みました。もちろん、その方法は人間の肩関節脱臼に対して行うものです。

 

整復を試みた後、肩関節付近の変な盛りあがりはなくなりました。しばらくは前足を引きずっていましたが、翌日には完全に元の歩き方(走り方)に戻っていました。うれしいことに、肩脱臼の整復が成功したようです。

 抽象度を上げて思考することの可能性を、喜ぶ子どもたちと一緒に体感しました。

 

 では、それと同じように、ふだんは子どもを診ることがない内科医の私が子どもの診察を行ってもよいのでしょうか?

 

 (F-051につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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I-018:カテゴリ別アーカイブ変更のお知らせ

 

 御要望をいただき、カテゴリ別アーカイブ「質問等回答編」のサブカテゴリを作成しました。

 

 講演会やテーマごとに昇順(古い記事が上)となるようにまとめています。

 ぜひ御確認ください。

 

 

 カテゴリ別アーカイブ

  質問回答編

  http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124531.html

 

   171117 医療研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262956.html

 

   180124 教育講演会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262957.html

 

   180315 医療研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262958.html

 

   180628 教育研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262959.html

 

   Q042-046 リアルとゴール

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262962.html

 

 

 このブログは、「『一人ひとりの心の平和』がひろがることでWorldPeaceを実現する」というゴールを目指して、その福音となる苫米地理論やコーチングを皆さまに届けるために存在しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 心の平和を広げる取り組みにぜひ御参加ください。

 

ゴール実現のためのアイデアやアドバイスを心よりお待ちしております。
   コーチングを必要とする人たちへの周知や紹介もよろしくお願いいたします。 

 連絡先(メール):coachfor.m2@gmail.com

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 201884日(土)に開催された一般向け医療講演会(鹿児島県霧島市)のQAに関しても、データをいただきしだい取り組みます。今しばらくお持ちください。


 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの情報処理の違いによりスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994979.html

 

 では、その議論をよりよいものへとするためにはどうすればよいでしょうか?

 

 

 議論というと、多くの方々は、二人(二つ)または複数の人や集団が、相手の間違いを指摘し、自分の正しさを主張しながら相手を言い負かす(論理空間で打ちのめす)ことをイメージするのではないでしょうか。

 議論の間はお互いに興奮し(ドーパミンやアドレナリンが分泌されています)、時に感情的に叫びながら熱くなっている様を想像しませんか?

 

 しかしながら、このようなイメージは完全に間違ったものです。

 

議論とは、論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点で、論理的に行うものです。

それはまるで情報空間に巨大な構造物をつくっていくような行為です。そのプロセスには一切情動の入る余地はありません。情動が入った瞬間に構造物は崩れていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html


情動とは大脳辺縁系を中心とする原始的な脳の働きであり、情動優位となっている時にはIQが必ず下がっており、判断能力が低下しているからです。「戦うか、逃げるか」といった心理状態に陥ることは、その代表例です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

反対に考えると、よりよい議論のためには、大脳辺縁系ではなく、進化で獲得した前頭前野を十分に使えばよいということになります。

 

 

よりよい“議論”のためにまず必要なこととは、情動をコントロールすること

 

 

ところが、情動をコントロールすること(情動から逃れること)は、決して簡単なことではありません。

 

ブリーフシステムとは、一般には人格や個性と表現されるもので、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」で形成されています。古い認知科学の用語でいうと内部表現(IRInternal Representation)に相当します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、自分のブリーフ(=信念、価値観)に基づいて行動するとき、自分では冷静であるつもりであっても、その根底には強い情動が潜んでいるのです。その情動が、そして情動でつくられたブリーフが、巨大なスコトーマ(心理的盲点)を生みだします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

だからこそ、ゴールを共有した仲間との議論が必要で、情動をコントロールしながら、お互いにスコトーマを外しあうことが重要となるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

それは覚りの境地にいたるための「空観」や「中観」にも通じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 よりよい“議論”のためには、まずは情動をコントロールすることが必要です。その力は人間形成のプロセスで獲得することができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

それを脳科学的に述べると、情動レベルの大脳辺縁系処理から論理である前頭前野外側部での情報処理に成長し、さらに、社会的情動(あるいは感性)という超論理を可能とする前頭前野内側部での情報処理へと進化していくことといえます。

 

そういう意味では、議論とは、情動→論理→社会的情動という進化・向上のきっかけになるもの(=縁起)、すなわち覚りへの階梯であると表現することもできます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 もちろん、それは抽象度を上げ続け、“無敵”になるということでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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