F-049:同じ人間なのだから診れるだろう<前編>
病院で当直をしていた時の話です。
(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)
ある夏の日の夜、救急車で運び込まれた患者さんを診察していた時に、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。
病院は小児科を標榜しておらず、(院内採用薬として)小児用の薬はありません。電話を受けた看護師が一応私に確認に来てくれましたが、私自身も小児の専門的な対応はできませんのでお役にたてないことを伝えました。看護師は事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介して電話を終えました。
その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。
「紹介された病院を調べたら遠いので、ここから一番近いそちらで診てください」というのです。どうやらその親子は旅行で鹿児島を訪れていたようでした。
「いやいや、近いとか遠いとかではなくて…。こちらは小児の対応ができず、薬もないのですよ」と看護師が再度お断りをすると…
「カロナール(注:一般名アセトアミノフェン、解熱鎮痛剤)を持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」…と母親は食い下がります。
最後には「見捨てる気か!」と叫んでいたようです。
私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。
…最初に思ったのは、「母親は取り乱している」ということ。
急な病気やけが等で命の危険を感じると、人は容易に「ファイト・オア・フライト」の状態に陥ります。大切な我が子であればなおさらです。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html
そこに、例えば「子どもの体調が悪いと私が夫に叱られる」「夫の両親にあとでひどい目にあわされる」などの不安(未来の恐怖の予期)が加わると、さらに正常の思考は奪われていきます。
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老病死が身近な医療・介護現場は、喜びや楽しみもたくさんありますが、そんな「ファイト・オア・フライト」への対応がいやおうなしに求められる過酷な場でもあります。
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次に思ったのが、「母親は自己中心的である」ということ。
思わず取り乱すほど子どものことが心配なら、助言された病院に迷わず向かうはずです。何か事情があったのかもしれませんが、会話を聞いている限り子どもより自分の都合を優先しているように感じられました。重要度でいうと「私>子ども」です。
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背景には「子どもを所有している」という感覚(価値観、ブリーフシステム)があるのかもしれません。子どもの健康より自身の情動を優先していることが、「薬はカロナールを持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」という言葉にあらわれています。
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そんな母親にとって、病院は「夜間だろうが、急患対応中だろうが、専門外だろうが、私のために子どもを診るべき」存在です。重要度でいうと「私>子ども>病院」です。そんなブリーフが強固であるほど、それとは違う現状とのギャップからより大きなエネルギーが生まれます。
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それはコンフォートゾーン(CZ)を外れた状態からいち早くCZに戻ろうとするホメオスタシスフィードバックともいえますし、自分にとって面倒なこと(have to)を避けようとする創造的回避とみることもできます。
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いずれにせよ、情報処理の結果として、「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」という発言が生まれました。
「今まで○○だったから、これからも△△であるべき(するべき)」という思考は、過去に囚われています。
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さらには、その過去(あるいは過去の出来事に対する自分の解釈)を絶対的なものとみなす思考パターンが読み取れます。不完全性に対する理解の欠如であり、仏教でいうと無常がわかっていないといえます。
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それは、過去の体験や情報の記憶によりつくられたブリーフシステムがスコトーマを生み、縁起を見えなくしているともいえます。
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…そんなことを考えながらやりとりを聞いていると、私自身も「ファイト・オア・フライト」に陥っていることに気がつきました。そして、様々な課題を抱えている医療・介護現場が必要としている知識(&スキル)がはっきりとわかった気がしました。
きっかけは「同じ人間なのだから診れるだろう」という言葉でした。
(F-050につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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