コーチングとビジネスマナーが出会う場所@PUNANA

ビジネスマナーのTIPSと、コミュニケーションについて日々考える事を書いていきます。

おもてなしのこころ〜茶の湯

京都迎賓館のおもてなしの様子をBSテレビで見た。

細やかな心づくしの数々。
お客が車から降りて庭を見ながら玄関に入るまでのわずかな道のり、
玄関に入って目にする生け花、
(京都にある30もの流派が持ち回りで生けるそうだ。)
季節を感じさせて勢いがあって上品で。
手洗い場や廊下には、一輪挿しに本当に自然にしかも凛と、出しゃばらず1輪の花。
これは引き算の生け方。

庭の係の人は砂利道に落ちた松の枯葉をピンセットで一つずつ拾っていた。
砂利道に落ちた落ち葉は、体験してみるとわかるけれど拾おうと葉に触ると
たちどころに砂利に埋もれてしまう。骨の折れる仕事だ。

「気が付いてもらわなくてもよいけれど、訪れる人が少しでも気持ちよく過ごすために
精いっぱいの心を尽くす」
これってお茶道の心に通じるところがあると思った。

茶道と言えば、今「利休にたずねよ」という海老蔵主演の映画が上映中だ。

利休は自分で書物は残していないから
彼のエピソードは利休の孫宗旦がその弟子に話したものを
弟子が「南方録」に残している。
よってその信憑性はだんだん薄れてきているのではないか。

それにしても、だ。
椅子から転げるくらい驚いた。
私が思い描いていた人物像が利休はもちろんそのお師匠さんの竹野紹鴎も
嘘でしょう、と思った。

最後に出てくる字幕には3つの千家の名前があり
解釈の補助に武者小路千家の当主である宗屋さんの名前があったので
「ゴー」のサインは出ているのでしょうが。

そもそも
千利休が茶の湯を始める前には
時はさかのぼり、足利氏の同朋衆でもあった村田珠光が
「月も雲間の無きは嫌にて候、、、」と言ったように
完璧な美よりもどこかたらないような自然のままに近いような美を求めたことから
はじまったと伝えられる。
この精神を極めたのが千利休であり
わざわざ高価な高麗の茶入れや茶碗を用いずとも
竹で作った花入れや長次郎の黒楽の茶碗を用いて客人をもてなした。

茶道をする人は千利休をあげ奉っているところがあって
そこまで神格化しても、、、、と思うところはある。

しかし、
映画の監督の解釈か?
本の原作者の解釈か?
ピントがずれている。
彼らは作品を通して何を言いたかったのか?

以前、
赤瀬川原平の「千利休無言の前衛」という本を読んだ時も
作者は茶に関しては自分は素人だと言いながら書いていた。
私も読みつつ「よくこんなに素人が千利休のことを書こうと思ったものだ」と
あきれたことがあった。

謎に包まれた千利休とはいえ、もっと渋いイメージでいてほしいと
私は思った。
















NY・NY

ニューヨークへ行ってきた。

20数年ぶりのことになる。

当時は地下鉄には乗ってはいけない、という評判だったが
今や地下鉄は便利な乗り物に変わっていた。

とはいうものの日本の地下鉄を思い浮かべてはいけない。
あくまでNYはNYなのだ。

成田について一番ほっとしたのが
トイレが美しいということ。住みたいくらいだ
それと京成線の座席のクッションの座り心地。
ふんわりゆったり

日本にいると日本人の足りない部分が目について
日本人でありながらつい自分たちを批判しているが、
外国に行くと日本に生まれてつくづくよかったなと思ってしまう。

日本を中心にして知らず知らずのうちに比較している。

NYで一番楽しかったのが美術館見学だ。

MOMAもメトロポリタン美術館も絵画の近くまで寄ってみることができるし
フラッシュをたかなければ絵と一緒に写真を撮ることだってできるのだ。
驚きだ。

しかも、これでもかこれでもかというくらい有名な絵画が一堂に集まっている。
ゴッホだけでもその数は凄い。

マチスは日本に来たとき上野の森に見に行ったけれど
ここが住処だったんだ、再会を喜んだ。

モネは先月直島で近くまで行ってみることができて感激したが
ここでも近くで見ることができた。
絵の端っこのほうは絵の具が塗られていないことに気が付いた。
遠くで見るとハスの絵だけれど近くで見ると絵の具が塗りたくられているって感じ
というと不謹慎かな?

今までこういった絵画は日本で見たときは、
光を落してロープが張られてその枠から入らないように
しかも人だかりから垣間見て、ちょこちょこ歩きでその場を進み、
見学するというのがいつものことであったが、
そんな常識がぶっ飛んでしまった。

何回見てもいいし、
小うるさく叱る監視員にうんざりしながら見る必要はない。

しかし、絵に近づきすぎるとどこからともなく係の人が来て注意をされる。

円安のせいもあるけれどNYは物価が高い。
スーパーで野菜を見ても果物を見ても日本のほうが断然安く手に入る。
ここで暮らすのは大変だろうな、、、と思ってしまう。

「プラダを着た悪魔」のイメージとか
世界の経済の中心というイメージの「日の当たる部分」と
それらを支える「日の当たらない部分」。
日の当たり方が強ければ強いほど影の部分は濃く出るというけれど。

人種のるつぼ
それぞれの国から来た人たちが自分たちの文化を背負って
ここNYで一緒に暮らしている。
すごいなー
融合しているような全くしていないような、、、。

日本と時差が13時間。
慣れたころに日本に戻ってきた。
しばらくまた時差ぼけであった。
















ペットボトル

電車のつり革広告で
抹茶が入ったという某飲料メーカーのペットボトルのお茶広告を見て
そのコピーに驚いた。

「急須でいれたお茶に足らなかったものは、抹茶の深みだった」
って。

????  ?

ということはペットボトルが急須でいれたお茶をしのいだってことを
暗に言っているの?

わお!!

ペットボトルのお茶は急須でいれたお茶に少しでも近づくためと
各社あれこれ手を尽くし試行錯誤でしのぎを削っていたのではなかったのかしら?

いきなりぬいちゃったという見解ですか。

「抹茶の深み」って何を指しているのかしら?


あくまで私の感覚ではありますが、
抹茶を入れた某飲料メーカのペットボトルは
世の中に最初にデビューした「お〜い お〇」にまだまだ追いついていないのではないか?
と思っています。

私はペットボトルのお茶はお茶といえども
急須でいれたお茶とは別の飲み物として考えたほうがいいと思っています。
それ自体はほかのジュースやコーラなどのペットボトルよりおいしいのですから。

映画

映画のタイトルから見ようと決めていた。

「フライト」
アカデミー賞にもノミネートされていたし。

新聞の批評欄を見て自分で想像していた内容と
、、、違っていた。

先ずバッドコメントから
なんだこの主人公、飛行機をなめている、仕事をなめている、
世間をなめている、チッ
と思った。

CAだってそうでしょう。
先ず自分の安全確保でしょう?
上の棚が開いたとて、そんなもののために自分の安全ベルトを外すわけにはいかない。
保安要員なのだから。

しかし、物語が進んでいくにつれて
彼らのコアの部分が解明される。

アルコール依存症の主人公は嘘だらけ
自分にも周りにも嘘をつく
その場しのぎで責任が取れない。
恥ずかしげもなく同僚に口裏合わせを頼むのだ。
「なんてやつ!
と思った。

弁護士も元同僚も助けようとしたことがかえって主人公に更生の道を
遅らせてしまう。

すべてなくしてみて初めて彼は法の裁きを受け自助グループで
自分を語り始めるのだった。

自分を語ることで自分はいったい何者だということを探り始めるのだ。
アルコールだけでなくあらゆることに依存していた人生から決別して
少しずつ自分を取り戻していくのだ。

最後に
別れた息子が面会に来て
受験のレポート作成のために主人公に質問するのだ。
「お父さん、あなたって誰なの?」

「いい質問だね」と主人公
・・・・THE END・・・・・・・



「私って誰?」

永遠に私たちはこういう質問を問いかけながら生きているんだということを
監督は言いたかったのだと
私は思った。






都会のオアシス

表参道から歩いて10数分の場所に根津美術館がある。

にぎやかな原宿から別の世界のような広い庭園を持つ美術館だ。

茶道具を集めた小堀遠州と松平不昧の特別展示があり
特に昨日は京都のM美術館館長のお話もあるというので
楽しみに行ってきた。

若い人、それ相応の人、ありがちな人、結構混んでいて
なかなか前へ進まない行列であった。

ここのスタッフの方の説明にあったが
茶入れ、茶わんなどの展示のほかにそれらを包む袋、木でできたツボのような箱
そしてまたそれらをしまう箱、すべてが展示してあったのは珍しい。

茶道具の世界では、道具に付属するものをひとまとめにして「次第」というらしい。
それらがすべて整った時に「次第が整う」という解説があった。

小堀遠州は自分で茶杓を作っているし
実にこまごまとそれらを丁寧に箱をしつらえて収納し
筆で中身の説明をしている。

ときに和歌も添えてある。
遠州の時代から茶碗などの茶道具に「名」がつけられた。
それらは和歌からつけられている。

遠州の書は(これはあくまで私の感想だが)四角張っていて
几帳面な一面を感じさせる。

くらべて利休の書はもっと砕けた感じがするが
実際のところ、利休の茶の湯は「わびすき」という厳しさが求められたのに対し
遠州は肩の力を抜いて楽しくという茶の湯を追求したらしい。

利休の厳しさは孫の宗旦が引き継ぎ
宗旦が残した書物の中には当時主流だった遠州への批判ともとられる文章が
残っていて、
「遠州は道具屋のようだ」というくだりがある。

話は変わるが
先週木曜日(3月14日)のBSプレミアム「旅のチカラ」は千宗屋さんが
モロッコの緑茶文化を訪ねていた。

同じ茶の葉を使って「客をもてなす」ことは同じだが
それぞれの気候風土に合わせてお茶文化は育っている。

モロッコのお茶は中国から仕入れているということだが
見ると形状から釜炒り製ということが画面からわかる。
日本の煎茶のように揉捻工程が少ない分、ふわふわと勾玉のように丸くなっている。

酸素を入れるように何度もカップに入れ替える。
そしてたくさんの砂糖とミントの生の葉を一緒に入れて飲むのだ。

宗屋さんは「うむ」という声を出してゆっくりとじみじみ味わった。

お返しに日本の茶席を工夫をしながら現地で設けて
もてなした。

客人のモロッコの人は同じ茶だからか、すんなりと受け入れとても楽しみにしながら
飲むのが待ち遠しいと言わんばかりに味わった。
この瞬間は私はさすがにお茶を愛する人々は共通するところがあると感じた。

宗屋さんが石でできた遺跡のようなところで布を敷き
現地で仕入れた茶碗を使って、茶筅の音を立てながら抹茶を自分のために点てて
風景を見ながら飲む姿は、うらやましかった。







うまみ

旨味を感じる「うまみセンサー」が舌の味蕾(みらい)にあるらしい。

味蕾にはそのほかに甘味、苦味、塩味、酸味を感じるセンサーがあり
これまではその4つしかないと言われていたが、実は旨味も味覚の一つだ
ということが最近解明された。

ちなみに旨味は世界共通語でUMAMIと言い、日本語がそのまま共通語となった。

フランス料理、イタリア料理、中国料理などおいしい料理は多いが
いろんな食材を使うので、何が「旨味」のもとになるのかという観点で分析していなかった。

一方、日本料理はかつおぶし、昆布、煮干しなど単品からだしを取るので
旨味という視点を持ち、どの食材から旨味が出るのかに熱心であった。

日本料理アカデミーが主催した「だしの取り方講座」は世界から注目され、
各国の有名レストランのシェフが自費で受講しに来るほどだ。

先週のNHK「クローズアップ現代」に「旨味」が取り上げられ、
今日は「あさイチ」で取り上げられていた。

京都の日本料理店の料理長が説明するには
「発酵食品にはグルタミン酸というアミノ酸が存在し、それが旨味を出す。
豚肉はイノシン酸を含むがハムに発酵させるとグルタミン酸が増えて旨味が増す。

チーズ、しらすぼしもグルタミン酸が豊富で
鯵も干すとグルタミン酸が増えて旨味が出る。

野菜ではブロッコリー、カリフラワー、トマト、豆もやし、豆類に
グルタミン酸が多く含まれる。」という。

私がそもそも「うまみ」という言葉に反応したのは
お茶に含まれる「うまみ」を意識したからだ。

高級茶も「うまみ」を多く含む。
とりわけ被覆をした玉露、碾茶(抹茶にするお茶)、山間で栽培された煎茶は
うまみ成分のテアニンを多く含む。
グルタミン酸ももちろん含むが、含まれるアミノ酸の多くはテアニンだ。

日本茶は発酵食品ではなく、むしろ発酵酵素の働きを止めるために
摘採をするとすぐに蒸す。

茶は発酵させていないけれど、茶独自のテアニンという旨味を含み
それがお茶のおいしさになる。

番組では味覚障害の患者に昆布茶を飲むことで舌のうまみセンサーを刺激し
治療に役立てていることが紹介された。

しかし昆布茶は塩分を多く含むので薄くして飲用していたが
お茶を飲んでみたらどうだろう?と思った。
お茶は塩分を含まず旨味だけを持つ飲み物だから。








合いの手

しばらくぶりに故郷に帰ってきた。

年老いた父と母とそれに2人よりももっと年老いた叔母が暮らしている。

叔母は介護病院にいるから身の回りの世話は安心だが
「あなたは一人ではないんだよ」というメッセージを送りに
見舞いに訪れる。

腰を痛めているのでほとんど寝たきりで症状は悲観的だが
それでも懸命に使える機能を使って過ごしている姿に心打たれる。

「私分かる?」と聞くと
「〇〇ちゃんだよ」という。
どこに住んでいてスチュワーデスをしていたよ、という。

看護士さんの入れ代わり立ち代わりする気配が常にある病院だが
話相手にはならないから一人で話す癖がついてしまったのか
一人芝居のように話すことが多い。

それでも言った言葉を繰り返したり
「へー、うん、うん、それで」と合いの手を入れて聞いていると
時々笑ってくれたりする。

そうやって聞いていると私のほうも可笑しくなったり楽しくなってくる。
呼吸が合う時間を共有すると話の内容はあいまいでも
なんだか通じ合ったような気持ちになる。

実家の台所で作ったちらしずしを小さな小さな一口大のおむすびにしてあげると
「酢がきいて上手い」と言ってくれた。

今度いつ帰ってあげられるかわからないから
今まで叔母が私にしてくれたたくさんのことのお礼を
叔母がわかるときに言っておかなければと
「おばちゃん、いろいろ私のためにたくさんのことをしてくれてありがとうね」
「長女が生まれた時もたくさん洋服をいつもいつも小包にして送ってくれたよね」
などと思い出しているうちに私はわんわん泣き出してしまっていた。

じっと黙って聞いていた叔母が言った。
「〇〇ちゃん、あの時の洋服どこへやった?」と
冷静に尋ねた。
ずっこけてしまった。



聞く

聞く力の本の売れ行きがすごいらしい。

阿川さんは聞く力もすごいが、彼女の話はもっと面白い。
彼女の物怖じしない物言いにあこがれる。

なにしろ嫌みがない、
奥歯にものの挟まったような言い回しを彼女はしない。
一方、彼女の友人のDFさんは同じく頭のいい人だが時々奥歯にものを挟む。
私はこういう言い回しをする人はちょっと苦手だ。
私はトンと鈍いので、奥歯に挟まったものが良くわからないから「怖い」と感じる。

さて、
この聞く力の本よりもっと早い時期に「聞くことの力」を書いた哲学者の
講演会に行ってきた。

著書よりももっとわかりやすく一般people(私)にも興味が持てるように
ユーモアたっぷりに話してくれた。

先生独特の言い回しに素敵な言葉がちりばめられていて
思わず走り書きで書き留めた。

こういった講演会では私はなるべくメモを取らずに聞くことに集中する。
書いていると今話されていることが聞けなくなるから。
「大丈夫、あなたが大事だと思ったことはちゃんと覚えていますから」と
今まで2人言った人がいたけれど、彼女らの言葉を信じる。

なぜ私たちは人に話を聞いてもらうと楽になるのだろうか?
という疑問から講演は始まった。

私の場合、以前は人に話を聞いてもらうときは「頼りたい」一心で
何かいいアドバイスをおくれ、、、という下心があった。
それは、私が考えに考えた挙句どうしようもなかったから「相談している」ということで、
深層心理は、「このことに関してはお手上げだ」、「私は何もできない」
から、「誰か助けてくれ」、といったところかな?
受け身の姿勢まっしぐら、、、かな。

だから、無意識に自分を脚色し事柄を自分の都合の良いように解釈し
ある時は同情を買うように、、、話していたかもしれない。
念のために繰り返すが、無意識にね。

それでも同情を買ったり、共感してもらうと一時は楽になっていたんだと思う。


歯医者さんへ行くと子どもが待合室でお母さんに本を読んでもらっていることがある。
往々にして、子どもは聞いていない。
聞いていないけれど、「読んで、読んで」とせがむ。
こういう状況見たことあるでしょう?

子どもはお母さんが読む本の内容より
お母さんの興味、集中の宛先が自分であることがうれしいのだ。
(「集中の宛先」って、先生が言った言葉)

誰かが自分のために時間を割いてくれている
このことは最高の贈り物、話を聞いてもらう喜びは基本的にはここにある。

今度は話を聞く側の姿勢の話
know Howではなくて、姿勢の話

子どもが話をしやすい時間って夕食の支度に忙しいお母さんのそばで
あのね、あのねっていった時間。

聞いているような聞いていないようなでも聞いている、
こんな体勢の時が一番話しやすい。

大人でもそうらしい。
某教授の研究室には学生が立ち代り入れ替わり話をしに訪れる。
教授は聞いているような聞いていないような、仕事をしながら聞いている。
学生は気が済むまで話したら、ありがとうございましたと言って満足して帰っていく。

その哲学者がいうには
「私はそうはいかない、『ダメだよ君、こうしたらいいんだよ』」と口を挟みたくなる。

私もコーチングをするときの一番の壁がこの「口を挟みたくなる症候群」だった。
そして自分の勝手な解釈をすることだ。

どちらも相当苦労している。

「あなたの言っていることはつまりこういうことですか?」
「〇〇ってことですね」
というほかの言葉を「誘い水」のようにあげるのは最もやってはいけないこと。

当事者は「そう、そう」と、いい言葉を与えられた気がして
その場は気が済んだ気がするかもしれないけれど
2,3日したらまた逆戻りをしてしまう。

相手のペースで
相手の中から言葉を絞りだし、それらを並べてみて、配列し直す作業が
とってもとってもとっても大事なのだ。

そうすることが、自分に起こった出来事を客観視して
自分から自分を切り離すことができるのだ。

そんな世界を聞く側は作ってあげる必要がある自然にね。
それがお母さんの「台所で何かをしながら、でも聞いている」という感じなのか。

相手の言っていることをしっかり正面から受け止める、けれどすぐ捨てることもできる
心にアースをつけるという言い方を哲学者はしていたけれど、なるほど。
のめり込んでしまうことは聞く側としては、してはいけないことらしい。
お互い辛い。

アースをつければ口をはさむことから解放されるかもしれない。

自分が何とかしてあげようって考えないことだね。

話を聞くことと理解することは違う。
話を聞いてもらったという感覚を相手が持ってもらって初めて「聞くこと」が成就する、って
その哲学者は言った。

良い話を聞いた。
はるばる横浜まで出かけて良かった。








































無意識の行動

いつか禁煙のコマーシャルで舘ひろしがドクターと話をしていて
ドクターに「禁煙をするために何が必要だとおもいますか?」と聞かれて
「根性です、、、か?」
というシーンがあった。
禁煙するにはちゃんとした方法を取る必要があるといった説明が
ナレーションで入っていたと思う。

何かの目的達成のために、根性だけで乗り切るには限界があるということ。
がむしゃらに自分の知っている方法だけで、まだまだと叱咤激励して頑張っても
限界があるということ、を言っていたと思う。

人は自分が習ったこと、自分が体験してきたことを基準に「ものの見方」を形成する。
そして、その「ものの見方」で他を判断する。

そしてそれを「教えよう」とする。

スポーツにおいても、従来の指導者はたいていこの方法を取ろうとする。
自分でうまくいったのだからあるいは今までこれでうまくいったのだから
すべてに当てはまるはずだ。
そこまで達成できないのはお前の努力が足らないからだ、とばかりに責める。

こういう図式が今回の柔道界の騒動にもあるように、私には見える。

この教えるというコミュニケーション方法を新しいコーチングというコミュニケーションに変えるには
かなりの意識改革が必要だ。

人は自分がやっていることのほとんどは無意識にしているので
意識は「暴力はいけない」と言っていても、価値観は容認もしくは暴力と思っていない。

あるスポーツ選手から国会議員になった女性議員が
このたびの訴えた15名の女性が匿名であることに異議を唱えていたが
何を言っているんだろう?全くこんな人に何も相談できない。

また別の同じスポーツ界から国会議員になった何とかちゃんは
「私は全く見ていませんでした」という。
なんて頼りにできない人だろう?
自分以外のことには関心を示さないのだろうか?
彼女は「役割」に生きる人だから、自分の意見は意識下にあって
「役割」の発言が自分の意見だと思ってしまうのか?

確かに柔道は日本から出発したけれど
人を成長させるために従来の方法では限界がある気がする。

他の国からコミュニケーション方法を教わって
その方法で自分も選手も成長し、自立した選手になってもらうことが
最も大切なことと思う。
そういった意味では今回の提訴は彼女たちが自分たちで考えて行動したことで
自立の一端だと思う。

そうしなければ、大きな波にいつもかき消されて
せっかくの才能が消えてしまうことになったかもしれない。














習慣ということ

3か月に1回、歯医者で予防治療(メンテナンス)を受けている。
そのおかげで何とか健康な口腔を保っている。

しかし思い起こせば、
私は物心ついた時から虫歯があり、
いつも「歯が痛い」と泣いていた記憶がある。

私が育った時代は
「虫歯はあるもの」という妙な考えがあり、
「虫歯ができたら治療するもの」という常識があり
私に虫歯があるのは歯が弱いからとさえ思っていた。

ところが、
予防治療をしている歯医者に通い、歯科衛生士さんから指導を受けて
虫歯は普段の生活習慣で予防できるということや
磨き方次第で歯を健康に保てるんだという新しい常識が持てた。

「虫歯はあって当然」という私の常識が
「歯を丁寧に磨かない」という行動になり
それが習慣になって
私の40年は虫歯と共にあった。

マザーテレサの言葉に
あなたの思考に気をつけなさい、思考は行動になるから
あなたの行動に気をつけなさい、行動は習慣になるから
あなたの習慣に気をつけなさい、習慣は性格になるから
あなたの性格に気をつけなさい、性格は運命になるから

というのがあるらしいが、まさに私の虫歯もそうだ。

さて、本題

体罰がスポーツ育成にどんな影響を与えるかが
各界から意見が出ている。

私はこの話を聞くたびにマザーテレサの言葉を思い出す。

「話が分からない場合はたたくこともやむを得ない」ということが常識の環境に育つと
それが行動として自動的に無意識に手が出る。

他の選択肢があることを知らなければ
習慣を繰り返すのは当然だ。
私が歯が弱いと磨いてもしょうがないという思考を持っていた時のように。

しかし、相手に伝える方法として「たたく」よりももっと効果的に伝える方法があることを知ると
選択肢が増える。「たたく」か「ほかの方法を取るか」私たちは選ぶことができる。

元巨人の桑田氏が言っているように、指導者は学ぶべきだ。
学ばなければ自分がされてきたこと、自分が信じていることを
何のためらいもなく繰り返してしまう。

始末か悪いのは
熱心だからという擁護する思考だ。

根源に熱心さがあったとしても、表現する方法は「たたく」以外にもあるのだ。
たたくことしか知らないから叩くのだ。
指導者はその表現方法を学ぶ必要がある。

1月28日朝日新聞、脳科学者林 成之氏の「スポーツと体罰」の中で
脳科学の観点から考えると、体罰で競技力が上がることはない、と
言っている。

人の脳は自ら考えて成功体験を積むことで目標を達成できる脳に変わっていく、
体罰で技術は上がるかもしれないが、自分で考える、判断する能力を鍛えていないので
勝負に弱い選手になってしまう、と言っている。

体罰を肯定的にとらえる選手もいるが、これは原理的には洗脳に近い、不条理なことでも
繰り返し行われると、「同じもの」を好む脳の性質によって正しいと思ってしまうらしい。

自分が信じてきたことを変えることは難しい。
しかし、今起きていることがいい結果を生んでいないなら
そして勇気があるなら
今までの自分の常識から新しい方法を学んで
良い結果を夢見て、一歩踏み出したい。










重い母

フジテレビで結構ヘビーな特集をしていた。

朝の家事が一通り済んでTVのスイッチを入れたところ
子育て真っ最中のお笑い芸人ASさんと元TBSアナのKさんが
信田さよ子さんの本を前に
「私は母の呪縛から逃れたい」と公言していた。

どこまで掘り下げるのか気になりながら
残りの用事を済ませていたのだが、
大体の様子はこうだ。

KさんもASさんも自分の母親との葛藤に苦しんでいるということだ。
彼女らの母親は多分60代〜70代であろう。
「世間の皆様に申し訳ない」
「世間体」とかいう言葉を合言葉に、
教育熱心で、良妻賢母になることを
ひたすら信じてきた人たちだと思う。

それ自体は何も問題がないかのように思えるが、
その考えゆえに子どもに多くのことを期待し、要求し、
自分の人生を生きることを忘れ、子どもを自分の一部のように思い
「あなたのためなのだから、、、」と言ってべったり子どもにまとわりつくのだ。

このような母親は別に特別な人たちではない。
どこにでもいる今の50代〜70代初めの女性たちであって
その自分の状態に気付いているか気づいていないかの違いだ。
或いはたまたまこの難から逃れた人たちは、自分がそういう目に合わないで
育ったからだ。

ツイッターでLIVEで視聴者の言葉が入ってきていたが
「世界でたった一人しかいない母親なのに、、、」という意見が入ってきていたが
そう考えるでしょうね普通は。

しかし、それは前提にあるのよ。
だからこそ娘は母親のことを疎んじる自分が許せないのよ。苦しいのよ。

でもね、これって本当に難しい。
母親の立場からすると、娘可愛さにやっているし、娘のためという意識しかない。
しかし、娘のためと言いつつも本当は自分のためであったりもするのよね。
そこに気づくか気づかないかで娘とのコミュニケーションが天と地くらいに変わる。
母親はそれを認めたくないんだよね。

悩んでいるASさんに対しては私はこう思った。

もし母親に変わってほしいと思うのであれば
ASさんが母親を「あて」にしてはいけないと思う。

名古屋に仕事が入って母親に孫の世話を頼むということは
ASさんにしてみれば母親は喜ぶし自分も助かるからちょっと我慢して
不機嫌に孫を預けているのでしょうが、

母親はきっとこう思うでしょう。
「なんのかんの言いながらSって、私がいないとだめじゃん。」と
ますます口出しをしてくると思うよ。
そして、ASさんのことを一人の大人の女性と見ることからますます遠ざかってしまう
と思う。

そんなことを我が身を振り返りながら考えました。







美術館

皇居と東京駅が見渡せる素晴らしい場所の美術館へ行ってきた。

展示物は中国と朝鮮半島の白磁の焼き物だ。

日本の茶に使われる椀は、朝鮮からの焼き物に近い。

その朝鮮半島における焼き物は中国の影響下にあったというから
日本にわたってくるまでは中国→朝鮮半島→日本となるわけだ。

織田信長は家来を手中に入れるために褒美として茶碗や茶入れなどを
集めたということだ。

信長自体は茶にさほど興味を持たなかったらしいが
当時の武士たちはステイタスとして茶道具を集め、その価値は城一つと同等なもの
もあったと書物には書いてある。

そんなことを考えながら一つ一つの展示物を丁寧に見て歩いた。

しかし、この出光美術館ってなんか違和感あったよね。

まず入り口で日傘を持っていたら「傘は傘入れにおいてください」と受付嬢が言う。

しずくを気にしているのかと、「日傘ですけど」と確認すると
「長いものは持って入れないので」という。

言われるまま、施錠できる傘入れにしまって受付を済ませようとするrと
「あの〜、お客様ガムをお口に入れていらっしゃいますか?」という。

すごい観察力!
そういえば小さいガムが口に入っていたけれどその存在すら忘れるくらいだから
大して口は動かしていなかったと記憶するが、サスペンスまがいの鋭さだ。

しかし、なんで口にガムが入っていたままではいけないの?
食べ物禁止といったってここまで言うか!
すっかりいやな気分になってしまった。

が、せっかく来たんだ。楽しんでいこうと思い直した。

そして、ガラスケースに指をくっつけることを忘れなかった。


ワークショップ

BSテレビ「旅のチカラ」をみました。

イギリス、グラスゴーにピアニストのナカミチさんが旅をしました。

彼女はEテレの大人のピアノ練習の講師などしていて
可愛らしい雰囲気のする方です。

元ロンドン交響楽団のヴァイオリニストが楽団をやめて
ワークショップを開いているというので
それに参加をしました。

参加者は小学生から高校生?位の子どもたちに
楽器を使ってみんなで曲を作るというワークショップです。
参加者は楽器を触るのは初めてという子たちばかり。
それで音大生たちが数名そのサポートをしてくれます。

その日はベートベンの第5「運命」をまず音大生の演奏で聞いてもらい
その特徴である「ダダダダーン、ダダダダーン」が繰り返し出てくることに
気づいてもらいます。

その「ダダダダーん」はもちろん音譜ではなくイメージの図で納得してもらいます。

そして、自分が演奏してみたい楽器を決めて
音の出し方をマンツーマンで音大生から習います。

音が出始めたら
自分のイメージと音階で「ダダダダーン」を作り
それらのパートをつなぎ合わせて曲を作ることにしました。

当然子どもたちは今まで触ったことのない楽器が
だんだん音が出るようになると嬉しくて目を輝かせて一生懸命格闘しています。
主催者のヴァイオリニストは遠くでその様子を見守っていました。

そろそろつなぎ合わす段階になってまとめようということになりました。

そこで俄然ファイトを燃やし始めたのがナカミチさんです。

曲作りをするには同じテンポにしていかなければならないのに
これじゃだめだわということで、
それぞれのパートへ出向いて「このテンポよ、このテンポ」と指示を始めました。

楽しそうに弾いていた子供たちにだんだん緊張が走りました。
楽しそうではありません。

ナカミチさんは一生懸命なのでその様子を感じ取ることができません。

だって、彼女はこのようにして今の彼女を作り上げたのだから
パフォーマンス前はこうやって指示をされながら必死で練習を重ねることが
当たり前なんですものね。

主催者は少しアドバイスをしましたが大方は見守っていました。

とうとう子どもの一人がワークショップに来なくなりました。

なんでこなくなったのかナカミチさんは分からないけれど
ただ戻ってきてほしいという理由から来なくなった子どもの家を訪ねることにしました。

その子のお母さんは子どもがもう行きたくないといったのを
無理に戻らすことはやめて、その子のしたいということを認めました。

ナカミチさんはお母さんに聞きました。
「この時期の子どもたちはコミュニケーションをとることが難しくないですか?」
「私は子どもたちが困ったときだけ助ければいいと思っています」

実際、日本には15歳の御嬢さんがいてだんだんコミュニケーションをとることが
難しいなと感じているナカミチさんは何か思い当たることがあったのかもしれません。

このことは私にとっても思い当たる節があります。

子どもにかまいすぎなのです。

一人でできるのにそれを見守ってやれずについ口出しをして気まずくなるのです。

グラスゴーの子どもはワークショップに戻ってくれました。

演奏も仕上がって主催者の彼はそれらの音をパソコンでつなぎ合わせて
1つの曲にしました。

その曲をみんなで円座になって聞いてみました。
それぞれの「ダダダダーン」がつながって一つの曲になっていました。

大人は大喜び、「いいでしょう?」という顔をしましたが
子どもたちは納得しません。

「私のパートがほかの音と一つになって私の音が入っていないの」
「この音とこの音の間にはほかの音を入れたほうが良いよ」
「この高音部は伴奏を入れたほうがいい」
とたくさんのフィードバックを入れるではありませんか!

自由にさせたこの時間の効果がしっかり出るのですね。
大人が想像した以上のことをやってくれます。

ナカミチさんはどんなことを感じたのでしょう。
日本に帰ってから私はとにかく演奏します。そしてワークショップを開きます、
と言っていました。

ファシリテーションは「世話焼きの性根」には難しいかもしれないけれど、ナカミチさんがんばってね。






そして

ストックホルム空港にやっと着いた。

夕方の7時過ぎであるがまだまだお昼過ぎのような空の明るさだ。
「地球の歩き方」の地図を見ると、空港から乗ったバスは中央駅横のバスターミナルに着くと書いてある。

バスはターミナルにつき、そこからわすか1.3kmのところにホテルは建っている、、、はずだ。

本来ならターミナル横の中央駅の中を通り越せばよかったのだけれど、
電車に乗る予定のない私たちは中央駅の外をぐるっと回るようにして大通りに出た。

ここは通りを表す表示が全くない。

空港でもらった地図を見ても、この辺りにホテルがあることに間違いはないのだけれど
実際の建物の名前と地図の名前が一致しない。

ちょっと立ち止まって通りそばのガラスのお店の中を見てみた。
ハンバーガーショップらしく、若者が数人いた。

「おい、〇〇がいるぞ。」と息子の名前を夫が言う。
「え〜?」まさか、と思ったけれど、よく見ると久しぶりに見る息子がハンバーガーショップで
手元のスマートフォンを見ている。
偶然の出会いと久しぶりの再会に私は夢を見ているようだった。

「〇〇」と中に入って呼びかけたら、
「あ、お母さん」とふつーに言った。
私たちはホテルで待ち合わせることになっていたのだ。

良かった、これでホテルに無事着けると安堵した。


ストックホルムの町並みは宮崎駿の「魔女の宅急便」に出てきた街並みのリソースになったとか
どこを見ても美しい。
市庁舎の塔から町を見下ろすと、うまい具合に教会の屋根があって周りに中世の建物があって
湾がある。船が通っている。これは絵でしょうか?いえ、本物です。

ノーベル博物館も見ていて飽きない。
日本人受賞者の画面を出して「あー大江健三郎さんだ」「あー益川さんだ」と大人もはしゃげる。
しかし、静かに喜んだ。

博物館の中のカフェで食べるアイスクリームは授賞式の晩餐会で出てくるものと同じものらしいので
当然食べてみた。

ノーベル賞のメダルチョコもお土産にと、益川さんに習って買い込んだ。
静かに、静かにさりげなく。

今日の教訓
目的地ははっきりわかっていても現在地がわからないと目的地には着けない。
これ、コーチングの極意でしょう。











長時間フライト

何年ぶりになるだろう?
長時間フライトを体験した。

成田からコペンハーゲン、乗り換えてストックホルムの旅だ。
ヨーロッパへのノンストップは初めてじゃないかな?

仕事から遠のいてもう20年!
子どもが小さい時にハワイへ家族旅行したのと
2、3年前に長女がハワイへ連れて行ってくれたのと
そのくらいしか外国へ行っていなかったことになる。

今回は自分でチケットを取ることから長男に教わりながら始めた。

知らなかったけれど、ネットで航空券が買えるのだ。
こんなこと知っていた人にとってはあまりにもお馬鹿さんの発言だろうが
私にとっては外国旅行の場合、ツアーに入ること以外にほかのすべがあるということは
思いつかなかった。

調べると、夏至を境にして運賃は高くなる傾向にある。
ならば、夏至前に旅行を計画したほうがよさそうだ、、、ということになり
5月下旬に行くことにした。

10数時間もかけてなぜ北欧に行くかというと
長男が昨年から留学をしているのだ。
彼がいるうちにちょこっと私たち夫婦も見ておこうと思い立ったのだ。

行きの飛行機は長かった、長いと感じた。
フライトスケジュールが椅子の背もたれの画面にずっと表示されているが、
「まだ、3時間しか経っていないの?」
「え〜まだ半分しか来ていないの?」と
本当に退屈で、寝ても覚めてもまだまだロシアの上空だった。
さすがに、ここで働こうとは今回は思わなかったけれど。
(以前、ハワイへ行ったときは客室乗務員に代わって働いたほうが座ってるよりいいなんて思った)

機内食も興味があった。

3回出ますとアナウンスがあったけれど、どんなふうに出てくるんだろう?

1回目はチキンの煮込みに幕の内のようなご飯の山が3つ添えてあり、ゴマがぱらぱらと振ってある。
驚いたのはパンが温めてバスケットで配られるのだ。エコノミークラスでもだ。
私的にはチキンの煮込みはちょっと苦手ではあったけれど、
以前私が仕事をしていた会社の機内食に比べてボリュームが少なくてちょうどいい気がする。
と、書きながら飛んでいたころのギャレーに立ち込めるステーキソースの匂いを思い出して
気分が悪くなりそうに今なった。

夫に「ステーキじゃないのね」というと
「そりゃそうでしょう」と言われた。
私が乗務していたころは世の中が景気良かったのかも。

あのころは飛んでも飛んでも来る日も来る日も、
ベーコンにまかれたステーキをギャレーで軍手で(もちろんきれいな軍手)
えっさえっさと200個近くのステーキを温めてはトレーに乗せていたなあ。
ステーキソースの臭いは記憶とともに押し寄せてくる。

温かい飲み物を配るときも彼らはコップを私たちに持たせたまま
上手に入れていく。

「こおちゃーおうちゃー」という声が愛嬌だ。

2回目の食事がサンドイッチ2きれかおにぎり1個だった。
べらべら他の乗務員としゃべりながら大きな体の乗務員のおじさんが私にサンドイッチをくれた。
以外においしかった。

3回目の食事がいわゆる軽食で、何を食べたかちょっとよく思い出せないんだけれど
暖かいパンがまた出されて私は感動した。

彼らの機内サービスを見て感じたのは
非常に淡々としているということ。
「ちょうどいい」そんな気がした。

私たちが提供していたころのサービスはちょっとやりすぎのような気もする。
これでちょうどいい、そんな気がした。

飛行機はストックホルムの上空を抜け、コペンハーゲンカストラップ空港に着陸した。
続きはまた明日。








疲れるコミュニケーション

前に一度見たことあったと思うけれど「三丁目の夕日」をBSで見た。

堀北まきちゃんがほっぺがぷくぷくして可愛らしいこと!

それにしても、この年代の人々のコミュニケーションの複雑さに
今更ながら驚いた。

心の中とやっていることが一致していないのだ。
疲れるコミュニケーションだ。

その1

六ちゃんは東北から出稼ぎに来た女の子
勤め先の鈴木オートのご夫妻と子どもに親切にしてもらっている。
クリスマスが明けた日、ご夫妻からプレゼントをもらって恐縮しながらも
喜んでいる。
中身を空けると実家に帰れる往復切符が入っていた。

喜ぶハスの六ちゃんは複雑な顔だ。

というのも、実家にこちらの様子を知らせる手紙を書いても返事は今までもらえず、
自分は見捨てられたと思っていたのだ。

帰る日になってもなかなか帰ろうとしない六ちゃんを心配して
鈴木オートの奥さんは手紙の束を六ちゃんに見せてくれた。

その手紙は毎月六ちゃんのお母さんが鈴木オートご夫妻に向けて
「むつこは元気にしていますか?」という気遣う言葉一杯の手紙であった。

里心がついて故郷に帰りたくなったら困るからと
あえて突き放して手紙をよこさなかったのだ。

そうとは知らない六ちゃんは、
自分は故郷で口減らしのために東京へやられたのだと
心を痛めていたのだ。


その2

売れない漫画家の茶川先生はひょんなきっかけで育てることになった淳之介の
本当の親が彼を引き取りに来た。
嫡子ではないが、世間体を気にして引き取りに来たのだ。

自分一人でも暮らしが貧しい茶川であったが
文句を言いながらも淳之介との暮らしに喜びを感じていた。

しかし、淳之介の将来を考えると
自分の元で暮らすよりは実親の元で暮らした方が淳之介の暮らしはずっと良くなる

「お前なんかいないほうが良いんだよ」と言い捨て
彼を突き放す。



心で泣いて顔で笑う、、、、だ。


しかしこのコミュニケーションはしばしば一方を傷つける。
いや両者を傷つける。

分かり合えた時は、そうだったのか、、、、と合点しても
分かるまでが傷つくではないか!

そういえば、
昭和の時代ってこういうことって多かったな。

心をそのまま伝えることをあまりせず、
相手のことをおもんぱかってあえて悲しませることをして離れさす。

この感覚は今の私には疲れるコミュニケーションだとつくづく思う。




おとななひと

ひさびさにプロフェッショナルな応対をしてもらった。

インターネットで旅行を予約した時のことだ。
確認のためにそのインターネットの会社に電話をしたところ、
(アナログな年代の私はITだけをまだ信じることができない)

ずっと電話で応対をしていたであろうに、
「はい!どうぞお〜」って、弾んだ声で言葉づかいも本当に美しく
根っからこのような美しい言葉を話している感じで
寄り添うように話を聞いてくれる。

勝手に想像するに、彼女は自分の仕事が本当に好きで
自分なりの応対を工夫して楽しんでいるのだろうと思った。

「仕事士」だわ。

丁度昨年、息子の見送りに外国のエアラインのカウンターで質問したところ、
同じようにとてもおとなな感じの応対を丁寧にしてもらって、
いたく感心したことを思い出した。

彼女らに共通していることは
小手先で仕事をしていないということ、
自分の責任において自分なりの仕事を形成しているということ
彼女らにとって、ここまでが仕事だの、これをしたら損だのそんなみみっちいことは言わない。

そして声も猫なで声を出さないところがいい!
自分の声で淡々と話すところが居心地が良い、私好み!

美しく親切に仕事をすることは
彼女らのライフスタイルであって、
会社のルールだからそれに従うというのではなく、
彼女らの人生における美学なんじゃないだろうか?
なんてことを思った。

だから溌剌と格好よく見えたんだわ。

美しく年を重ね、重ねた分だけ大人になるには
努力が必要なんだ。

人に親切にするということ、
美しく仕事をすること、
仕事を通して人に夢を与えること

かっこよく決めたいわね

時をかんじて

ここのところ、あれやこれやと忙しかったな。

そのひとつ、故郷へ帰ってきたこと。

背中の小さくなった父と、記憶が薄れ始めた叔母と
その二人を懸命に受け止める母

18歳まで過ごした町並みはすっかり変わってしまって、
代わりに運転したいけれど、道がすっかり変わってしまって
どこがどう開けてどうつながっているのかわからない。

中学の同級生が昨年帰った時には休眠していて会えなかったけれど、
今年はご家族の献身のおかげで無事復帰して会うことができた。

彼は陶器の焼き物を作っている芸術家なのだ。

焼き物と日本茶、共通の興味の話題で盛り上がった。

「日本茶から見た日本史は興味深い」と私が言えば、
「陶器から見た日本史も面白い」と返ってきた。

そうだ、そうだ、日本茶は陶器に入れて飲むし、
その入れ物を集めて権力の象徴としたり、家来の褒美とした足利氏、織田信長、豊臣秀吉など
それぞれ面白いストーリーを持っている。

先日、三井家の財宝、茶道具の展示会を見た話になって
「国宝、重要文化財、なんて茶碗もあったよ。
利休の使った茶碗なんてさ、黒楽って言っても、何だか薄汚くてつやがなかった。。
長次郎って書いてあった。」
と言ったら、

それを聞いていた同級生とその奥さんが目を丸くして声が弾み、
「見たの?それ?」
「すごいなぁ〜、いいな〜東京はそんなものが簡単にみられる。うらやましい」
「黒楽のその焼き方はそういう焼き方なんだ」と教えてくれた。

猫に小判とはよく言ったものだ。
この私だ。

夏から始まる日本茶教室に向けて菓子皿を探したが
ちょうどいい大きさのものがなかったので、
大御所の同級生が直々に作成してくれるという。
ありがたい!

それに彼の愛弟子、イケメンのご次男作の湯呑セットも注文した。

きっといいものができてくると期待している。










生き方のクセ

私たちは自分のことをどのくらい理解しているでしょう?
そして、どのように自分と折り合いをつけて日々暮らしているのでしょう?

こんなもんかいな、、、というところで「やれやれ」と言いながら
自分と付き合っているのではないでしょうか?

数年ぶりにまたエニアグラムの講習に参加しました。

数年間、私の気質は「〇」かな?「〇」かな?いやいや「〇」かも、、、
ことあるごとに自分の特徴を気にかけていましたが
今回ついに、まぎれもなく私の本質は「〇」だと、つかむことができました。

時に持て余してきた私のどうしょうもない「物事を否定的に見てしまう」クセは
「不安」という私の気質から出てきているんだ、と納得。

正直さが勝って、時として面倒くさい性格だなあ、、と思っていたのは
私のもともとの気質からということに納得しました。

しかもヘッドセンターなので、頭の中だけで処理しようとし、
気持ちの部分とに差が出てきてしまう。

同じタイプの人が4人集まったら、
ある単語が誰かの口から出るたびにヒットし、一堂に繰り返し、
私もよく使うわその言葉!と大喜び。

「建設的」と「許せない」は特にヒットしましたね。

興味あること、
こんな時にはこういう、こうする、ということが同じ気質を持つと
不思議と同じようなことをしているのだ。

類似点を発見したことはとても楽しかったのだが
同時にとても疲れてしまった。



私たちはそれぞれが違ったタイプの気質を持って生まれてくる。

その気質が、たまたま生まれてきた、あるいは与えられた環境で
その環境に適応するようにして生き方の癖をつけられる。

それが性格と呼ばれるもので、
その気質が健全に過ごせるような環境を作ってやるのが親の役目なのだが
残念ながら親に育ててもらったのははるか昔のこと、
それをああだのこうだのと嘆いてみても仕方あるまい。

もうこれほど大きくなったのだから、より気質を生かすように生きるのは
自分の責任で自分が作っていかねばならない。

自分の気質を受け止めよう。
この気質を生かすような生き方を心がけよう。



私の独り言ですけど

昨日はサントリーホールで樫本大進さんのヴァイオリンを聞きに
行きました。

樫本さんと言えば、日本人でベルリンフィルの第一コンサートマスターになった人
まだ30代でしょう。すごいことですよね。

震災の後は外国人が日本からいなくなってしまう中、
ベルリンフィルのフルート奏者パユをはじめ凄腕たちを率いて東北で
演奏をしてくれたことも心に残っています。

すぐに行動に移せるということが素晴らしいし
その彼に、本来ならめったに聞けないという有名どころの演奏家達も
手弁当で協力を惜しまないというところも
彼の普段の人望が厚いってことかしら、、、なんて感じています。

昨日はピアノとヴァイオリンでベートーベン三昧でした。

休憩あとの演奏が樫本さんの真骨頂というところで
さすがに聞かせるね〜うっとりします。

日本の演奏会で一つ馴染まないなーと私が感じているのが
演奏あと、「ブラボー」とか言っちゃうおじさんがたまにいること。

歌舞伎の「よっ、〇〇屋っ」って感じに聞こえて
私はその場違いさに興ざめがして白けてくるんですけど。。。。

かなり、心残り。゜(´Д`)゜。

まっ、いいか。

被災した仙台フィルのためにベルリン在住の日本人演奏家が
チャリティーで演奏会を開いてそれがCDになったという、そのCDを買い求めてきたので
聞くのが楽しみ。

話題を変えて、

新聞下、広告部分に新刊本等の広告が載っています。

今日も「日本人だからできる気遣い、、、、なんちゃら」という本が出ていました。

私はこの日本人独特の気遣いというのが
本当に苦手です。

「気遣い」ってなんなのよ、とときどき思います。

これでもかこれでもかと「サービス」と称して
上げ膳下げ膳のサービスをすることを良しとしている風潮は
私は得意ではないし、むしろ、自分でやったら?と言いたくなる。

基本は自分でできることはやろうよ
でも自分でできないことはきちんと「手伝ってください」と声に出して言おうよ
と私は言いたい。

昨日もコンサートホールで私は通路席で
中の座席の人が出入りするたびに立ったり座ったりすることになる。

それは仕方ないことなのだが、
パンフレットを読んでいると横に黙って立っている人がいる
何かと思って顔を上げると、中に座りたいという顔をしている。

少し足をずらして隙間を作ってあげると
何も言わずおいどをこちらにしっかり向けて黙って通り過ぎる。

「恐れ入ります、とおしてください」と声に出す人には
しっかり立ち上がって通してあげている。

やってもらって当然とか
気づくのがマナーでしょう?なんて思っている人が多い。

新聞投書欄にもよくこんな意見が出ている。

妊婦に気づいてくれる人がいない
席を譲るべきなのに誰も気づいてくれないから
「妊婦です」ってバッジを作ったらどうだろうか?

こんな記事を見るたびに
私は「お口がついているんだから、済みませんが妊婦です。席を替わっていただくと助かります」って
言えばいいじゃないかな〜って
思うんだな。

やってもらって当然と思っていると
なかなか思う通りには世の中行きませんぞ。

「〜〜べき」合戦だ。

やってあげる方は
本来はその人に帰すべき仕事をわざわざ親切と称してあるいはサービスとして
気が利くでしょう?と言わんばかりにいろいろ先手先手と
仕事を取ったことをグットサービスとしている、、、
ように私は感じるんだな。

それに慣れた人は
やってもらって当然とか、それがマナーとか勝手に言っている、、、
ような気がするんだな。

ま、私の独り言ですけど。。。


そして、私自身は車内が混んでくると優先席付近には
近づかないことにしている。
やっかいだから。
携帯をうっかり出そうものなら
立っている人にも注意して取り締まりをする「べきおじさん」に出会いそうだから。


















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