京都迎賓館のおもてなしの様子をBSテレビで見た。
細やかな心づくしの数々。
お客が車から降りて庭を見ながら玄関に入るまでのわずかな道のり、
玄関に入って目にする生け花、
(京都にある30もの流派が持ち回りで生けるそうだ。)
季節を感じさせて勢いがあって上品で。
手洗い場や廊下には、一輪挿しに本当に自然にしかも凛と、出しゃばらず1輪の花。
これは引き算の生け方。
庭の係の人は砂利道に落ちた松の枯葉をピンセットで一つずつ拾っていた。
砂利道に落ちた落ち葉は、体験してみるとわかるけれど拾おうと葉に触ると
たちどころに砂利に埋もれてしまう。骨の折れる仕事だ。
「気が付いてもらわなくてもよいけれど、訪れる人が少しでも気持ちよく過ごすために
精いっぱいの心を尽くす」
これってお茶道の心に通じるところがあると思った。
茶道と言えば、今「利休にたずねよ」という海老蔵主演の映画が上映中だ。
利休は自分で書物は残していないから
彼のエピソードは利休の孫宗旦がその弟子に話したものを
弟子が「南方録」に残している。
よってその信憑性はだんだん薄れてきているのではないか。
それにしても、だ。
椅子から転げるくらい驚いた。
私が思い描いていた人物像が利休はもちろんそのお師匠さんの竹野紹鴎も
嘘でしょう、と思った。
最後に出てくる字幕には3つの千家の名前があり
解釈の補助に武者小路千家の当主である宗屋さんの名前があったので
「ゴー」のサインは出ているのでしょうが。
そもそも
千利休が茶の湯を始める前には
時はさかのぼり、足利氏の同朋衆でもあった村田珠光が
「月も雲間の無きは嫌にて候、、、」と言ったように
完璧な美よりもどこかたらないような自然のままに近いような美を求めたことから
はじまったと伝えられる。
この精神を極めたのが千利休であり
わざわざ高価な高麗の茶入れや茶碗を用いずとも
竹で作った花入れや長次郎の黒楽の茶碗を用いて客人をもてなした。
茶道をする人は千利休をあげ奉っているところがあって
そこまで神格化しても、、、、と思うところはある。
しかし、
映画の監督の解釈か?
本の原作者の解釈か?
ピントがずれている。
彼らは作品を通して何を言いたかったのか?
以前、
赤瀬川原平の「千利休無言の前衛」という本を読んだ時も
作者は茶に関しては自分は素人だと言いながら書いていた。
私も読みつつ「よくこんなに素人が千利休のことを書こうと思ったものだ」と
あきれたことがあった。
謎に包まれた千利休とはいえ、もっと渋いイメージでいてほしいと
私は思った。
細やかな心づくしの数々。
お客が車から降りて庭を見ながら玄関に入るまでのわずかな道のり、
玄関に入って目にする生け花、
(京都にある30もの流派が持ち回りで生けるそうだ。)
季節を感じさせて勢いがあって上品で。
手洗い場や廊下には、一輪挿しに本当に自然にしかも凛と、出しゃばらず1輪の花。
これは引き算の生け方。
庭の係の人は砂利道に落ちた松の枯葉をピンセットで一つずつ拾っていた。
砂利道に落ちた落ち葉は、体験してみるとわかるけれど拾おうと葉に触ると
たちどころに砂利に埋もれてしまう。骨の折れる仕事だ。
「気が付いてもらわなくてもよいけれど、訪れる人が少しでも気持ちよく過ごすために
精いっぱいの心を尽くす」
これってお茶道の心に通じるところがあると思った。
茶道と言えば、今「利休にたずねよ」という海老蔵主演の映画が上映中だ。
利休は自分で書物は残していないから
彼のエピソードは利休の孫宗旦がその弟子に話したものを
弟子が「南方録」に残している。
よってその信憑性はだんだん薄れてきているのではないか。
それにしても、だ。
椅子から転げるくらい驚いた。
私が思い描いていた人物像が利休はもちろんそのお師匠さんの竹野紹鴎も
嘘でしょう、と思った。
最後に出てくる字幕には3つの千家の名前があり
解釈の補助に武者小路千家の当主である宗屋さんの名前があったので
「ゴー」のサインは出ているのでしょうが。
そもそも
千利休が茶の湯を始める前には
時はさかのぼり、足利氏の同朋衆でもあった村田珠光が
「月も雲間の無きは嫌にて候、、、」と言ったように
完璧な美よりもどこかたらないような自然のままに近いような美を求めたことから
はじまったと伝えられる。
この精神を極めたのが千利休であり
わざわざ高価な高麗の茶入れや茶碗を用いずとも
竹で作った花入れや長次郎の黒楽の茶碗を用いて客人をもてなした。
茶道をする人は千利休をあげ奉っているところがあって
そこまで神格化しても、、、、と思うところはある。
しかし、
映画の監督の解釈か?
本の原作者の解釈か?
ピントがずれている。
彼らは作品を通して何を言いたかったのか?
以前、
赤瀬川原平の「千利休無言の前衛」という本を読んだ時も
作者は茶に関しては自分は素人だと言いながら書いていた。
私も読みつつ「よくこんなに素人が千利休のことを書こうと思ったものだ」と
あきれたことがあった。
謎に包まれた千利休とはいえ、もっと渋いイメージでいてほしいと
私は思った。