衰退途上国となった日本

インフレが続いている。先日も魚粉の価格が高騰してラーメン店が悲鳴を上げているとの報道があった。

何がまずいと言って、今の日本のインフレは賃上げを伴わないインフレである点だ。賃上げできているのはあくまでも上場企業であり、中小ではさっぱり追いついていない。これはかなりまずい状況だ。

というのも今の日本は、消費者としては、賃上げなく物価が上がるので消費活動が出来ず、生産者としては原材料費が高騰して商品価格を上げざるを得ず、それでいて価格を上げると消費してもらえない。それがラーメン店などの飲食店の廃業につながる。消費も生産も出来ない状況に追いやられているわけだ。

こうした状況を生んだ遠因は、間違いなく小泉政権以来の新自由主義とアベノミクスにある。法人税を下げてしまったので、「税金で取られるくらいなら賃上げして人材の確保と育成につなげよう」とか「税金で取られるくらいなら請負代金を増額して、サプライチェーンの強化につなげよう」という動機がなくなってしまったのだ。

よく「法人税を下げないと優秀な企業が海外に逃げてしまう」という指摘がある。これは全く無意味な指摘だ。なぜならその理屈ならたとえ法人税が1%であっても、タックスヘイブンが世界に存在している限り、企業はタックスヘイブンに逃げていくからである。現に逃げている企業もあるし、逃げていない企業もある。法人税の上げ下げなど関係ないのである。

結局、賃金・請負代金(つまり中小企業の賃金)を上げないまま内部留保ばかりを太らせて、国民から購買力を奪う結果になったわけだ。

日本の企業は、従業員が家に帰ったら消費者になるのだという理解に欠けている。法人税を上げても、十分な購買力と消費意欲を持った魅力的な市場でありさえすれば、企業は必ず惹きつけられる。法人税はそもそも利益に対してかかるのであり、利益が上げられないなら、法人税がゼロでも企業は進出してこない。

どうもこの国の政治・経済界の人間は、目先の小銭を追い過ぎる。大局観がないから、国民の購買力を育てるとか、基礎研究を支援して知恵の源泉を鍛えるとか、教育を充実させて有望な次世代を確保するとかいった、時間のかかる施策を切って捨ててばかりだ。結果として、インフレするのに賃上げは起きず、次世代は育たずに人口減少まっしぐらである。

やるべき施策は、法人税の増税、教育の拡充(教員増・給与アップ・留学補助・教育無償化など)、移民の奨励である。

日本の政治は産業政策を大の苦手としている。政治家と企業家のマインドの違いもあるのだろうが、苦手が克服できないなら、民間の力を借りればいい。しかし、その民間において「学識」が足りていないと、結局、新自由主義者たちのような自己利益の確保にまい進するだけの小物が跳梁跋扈して終わってしまう。だからこそ教育や基礎研究の支援が重要なのだ。

これはまさに100年がかりの大仕事であり、10年かそこらですぐに結果は出てこない。2~4年で任期を迎える政治家が取り組むにはいささか相性の悪い政策だ。

しかし、人口減少、スタグフレーションと、いよいよ日本の刹那主義的政治の限界が露呈してきた。日本が発展途上国化していると指摘する人もいるが、少し違う。日本は衰退途上国になっているのだ。発展の途上にあるならまだマシだ。向かっている先は衰退なのだ。

「野党がだらしないから」という「鳴き声」

安倍政権からの長い自民党政権を経て、私が常々マジックワードと呼ぶところの「野党がだらしないか」という呪文は、裏金問題においても今もって強力な呪縛として作用している。基本的には野党よりであろうサンデーモーニングでも「野党がだらしない」というフレーズ(表現は違ってもほぼ同義のコメントも含む)は飛び出してくる。

自民党政権が公文書を大改ざんすると、「野党がだらしないから」。
自民党政権が統計不正をすると、「野党がだらしないから」。
自民党政権が日報隠しをすると、「野党がだらしないから」。
自民党政権が買収選挙をすると、「野党がだらしないから」。
自民党政権がカルト教団と結託すると、「野党がだらしないから」。
自民党政権が裏金作りをすると、「野党がだらしないから」。

まことにもって、頭おかしいのではないかと思うような思考回路である。いや、もちろんそこに思考などないのだ。これはもはや「鳴き声」である。鳥のようなもので、そういう鳴き声を習得したのだ。

これは完全な循環論法なのである。「野党がだらしないから」と罵られる結果、野党の支持が伸びず、野党の支持が伸びないのは「野党がだらしないから」とされる。無限に循環するようになっているのだ。

自民党政権が悪政を働いたなら、代わりは野党からしか出ないのだから、「だらしがない」などという鳴き声に逃げるのではなく、野党がどのような政策を持ち、どんな未来像を描き、どんな人材を擁して、どんなロードマップを描いているのか、どんどん報道したらいいのである。

それを受けて批判すべきところがあると思うなら、筋道立てて批判すればいいのだ。「野党がだらしないから」などという鳴き声よりもはるかに有意義だ。

日本で政権交代が起きにくい一つの要因は、政権与党の動静は何かと報道されるのに対し、野党側は「鳴き声」しか発してもらえないという、物量の点での著しい不均衡にある。それが結果的に与党の悪政を育み、国を誤らせるのだ。

もちろん現在の野党が政権を握ったなら、積極的に野党自民党のことを取り上げたらいい。どちらかに与せよというのではないのだ。国全体の可能性を開くという意味で、常に与野党両方に足を置き、踏ん張るべきなのである。どこの政党が野党であっても、野党の存在は常にその国の可能性を宿しているのである。それはロシアや中国、北朝鮮を見れば明らかだろう。

その可能性の本丸たる野党に、「野党がだらしないから」という鳴き声しか発せられないというのでは、あまりに貧弱な見識である。道を誤らせる「鳴き声」はいい加減にしてもらいたいものだ。

衰退国家の年明け

新年早々の大地震と飛行機事故で人並みに驚いている。聞けば事故を起こした海保の機体というのは、被災地支援のために新潟に向かう機だったというではないか。

オリンピックをやれば汚職まみれ、万博をやれば費用の爆増、災害支援をやれば飛行機事故。なんでもつなげて考えてはいかんのかもしれないが、国家的オペレーションの遂行能力が落ちているように思う。

確かに政権与党はカルト教団と見境のない乱交状態のうえ、大量の裏金に溺れているわけで、そういう連中が官僚の人事を握っていれば、有為の人材ほど国家機構からは離れるだろうから、国力も衰退するというものだ。

よりにもよって災害の中心地である石川県の行政トップは、官房機密費でアルバムを作って買収工作したことを明け透けに語るプロレスラーである。しかも彼は帰郷できずに官邸にいるというのだからブラックジョークのようだ。

災害派遣の自衛隊員には頭が下がるが、どういうわけかこの国は災害派遣時に自衛隊員に迷彩服を着用させる。被災した倒壊家屋や土砂災害現場で視認性を下げるなど、危険極まりないとかねがね自衛隊員のために心配している。蛍光色のビブスくらい身に付けされるべきだ。国家的非合理の犠牲になるのは軍人の宿命とはいえ、不憫なことだ。犠牲者が出るまではこのままなのだろう。

こんなにもだらしのない国になってしまったのかと、絶望を禁じ得ない。やはり国政選挙ですら4割が無投票の国は、政治が腐敗して国力が落ちるのだ。

安倍氏がキックバックをやめさせた理由とは

安倍派のキックバックを巡って次のような報道がある。

自民党の最大派閥「清和政策研究会」(安倍派)が政治資金パーティー収入の一部を裏金化していたとされる事件で、同派事務総長ら幹部が2022年のパーティー開催前、議員側へのキックバック(還流)の廃止を決定していたことが24日、関係者への取材で分かった。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023122400188&g=pol

安倍応援団として名をはせた岩田明子記者のような提灯持ちは、こうした事実関係を捉えて、安倍氏が不正を嫌い不正をやめさせたかのように伝えるが、私はそうではないと思っている。彼は確かにキックバックの仕組みが気に入らなかったのでやめさせたが、その動機はそれが不正行為だったからではない。

安倍氏の政治手法は、人事を握り、金を差配することで、自らに臣従させるやり方である。言ってみれば生殺与奪の権を握ってしまうわけだ。

広島の溝手顕正氏のように、自分にまつろわない存在に対しては、金の力で徹底的に叩きにかかる。溝手氏に党から選挙資金として渡ったのは1500万円。それに対して溝手氏とは対抗馬の関係に立つ河井陣営には10倍の1億5000万円が渡された。

かつて問題になった桜を見る会にしても、支援者たちを饗応して懐柔しようという安倍氏の資金力にものを言わせたやり口だった。

こういう安倍氏の政治手法からすると、キックバックをやめさせたのは自らが差配できる金を増やすためだったと見た方が整合性がある。

キックバックは個々の議員に渡る金である。しかも基準は明快でノルマの超過分が渡る。つまりそこに安倍氏の差配は及ばない。それが取りやめになるということは、派閥にそのカネはプールされるわけだ。そして会長が安倍氏であれば、そのカネをどのように分配するか比較的自由度を持って決定できるようになる。

自分への忠誠の程度を基準にして選挙資金を融通し、派閥議員をグリップしようと考えたのであろう。キックバックをやめた後に議員たちから不満の声が上がったという事実関係も、会長である安倍氏と所属議員の間の利益相反を物語っている。

安倍氏にとってしてみれば、派閥の金はオレの金であったろう。所属議員がノルマを超えて金を集めるのも、派閥のためであり安倍氏自身のためである。そのカネを各議員が己の懐に入れるなどもってのほかだったのだ。

安倍氏が遵法意識に目覚めてやめさせたなどという見立ては、まるで荒唐無稽である。安倍氏の性格や政治手法からすれば、上記のように解釈した方がよほど自然だ。だいたい、森友や加計問題に見るように、彼に遵法意識などあるわけないではないか。

彼は単にノルマをこなしたからといって自動的に議員に金が手渡るような、自分の意向と無関係に動く派閥の仕組みが気に入らなかったのである。

大学無償化はFラン大の延命なのか

大学無償化政策を巡って、これはFラン大の延命につながるだけの愚策だという批判が起きている。

典型的には池田信夫氏の議論だが、曰く「学費が無料になれば、高卒で就職できなかった若者が、大学に行って時間をつぶすようになる。これで底辺のFラン大学は延命できる」とのことだ。

現象として、そういうことも起きるかもしれないが、これはそれぞれ別の問題を一緒くたに論じることで起きる議論の迷走だと思う。

Fランというのは、要するに相対評価であるから、未来永劫Fラン大学はなくならない。したがって、Fラン大の「延命」というのはそもそも意味のない議論である。今現在、Fランに分類されている大学が全て廃校になったとしても、また別の大学がFランに分類されるわけであるから、個々の大学の延命は議論できてもFラン大学の延命は議論しようがないのである。

もちろん、Fランかどうかはさておき高等教育の名に値しないような教育水準の大学を、「大学」と認めて公費で支える必要があるのか、という議論はある。だがこれは「大学無償化」とは別の議論であろう。そういう学校を「大学」と認めたからには、大学無償化の対象から外すというのはフェアとは言い難い。

Fラン大批判者たちの理屈も分からないではないが、論理的には次のように建てつけるのが自然かと思う。つまり、そもそも大学の名に値しない水準の大学は、大学と認めるべきではない。そうして「大学」の質を担保したうえで、全ての大学について無償化し、高等教育の機会が家計の困窮を理由に閉ざされることがないようにしよう、と。

他方で、この大学無償化を何のために行うのか、という議論も重要だ。今、議論されている大学無償化は、「少子化対策」としてである。子育てにかかる経済負担が重いことが、少子化の要因であるから、大学無償化によって経済負担を軽減し、子どもを持つことへの躊躇をなくそうというのは、それなりに理のある話だ。

それがどのくらい少子化対策として効果があるのか、という観点からの検証はもちろん必要だ。しかし少なくとも少子化対策として考えるならば、あるレベル以上の大学のみ無償化という政策にしてしまったら、政策効果はほとんど上がらないと思われる。なぜなら生まれていない自分の子どもが首尾よく上位大学に進んでくれるかは未知数だからだ。少子化対策としての大学無償化は、例外なく行われない限り効果はないと思う。

上位大学のみを無償化対象にすると、結局、潤沢な教育リソースを子どもに投下できる富裕層家庭が有利になる。結果として、金持ちの子女ほど大学無償化の恩恵にあずかれるわけであり、これでは少子化対策とは正反対の結果を生むだろう。

くどいようだがFラン大の延命というのはナンセンスな論点だ。それは大学の認定基準に関して議論されるべきことである。そしてFラン大が定義上、未来永劫存在する以上は、延命議論は個別の大学について具体的に進めなければ意味がない。例えば私は加計学園のような典型的Fラン大に高等教育が施せているのかはいささか疑問である。

だいたい池田氏が教授を務めていた上武大学は、偏差値50以下であるから、いわゆるFラン大ではないのか。そうすると上武大学で池田氏に師事することは、氏の記事の表現によるなら「大学に行って時間をつぶす」だけのことであり、「大学の4年間はまるまる無駄」だったということなのか。「偏差値50以下の大学に入るメリットはない」とまで言い切るが、自身はFラン大から給与を得ながら、こうまで自分の仕事の無価値さを説くというのは理解に苦しむ態度である。

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