2018年08月

『JFK』のクライマックスは現代日本への警句

だいぶ古い映画だが、オリバー・ストーン監督の『JFK』を見た。ケネディ暗殺事件を扱った法廷サスペンスだ。

そのクライマックスで検事のジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)が弁を振るう。現代日本にも示唆するところの多いくだりだと思うので、部分的に引用しよう。(日本語字幕:進藤光太)

「当局の創作を報道が拡大する。堂々たるウソと圧倒的なJFKの葬儀とで人は思考力を失う。
ヒトラーは言った。“ウソが大きいほど人は信じる”と。」

「我々はみんなハムレットの心境です。殺人者が王座にいる。
ケネディの亡霊がこの殺人を許すか?理想への挑戦です。
彼は質問している。憲法の基本は何か?命の尊さとはなんだ?大統領の殺される国で民主主義の将来は?
しかも陰謀の疑惑があるのに法組織が動かない。」

いつも検事局や市民が重要証拠の提出を求めても、政府の答えは決まってる。“国家機密だ”
大統領を奪われて何の国家機密だ?国家機密の名目なら基本的権利を奪っていいと?
合衆国の影の政府を認めるのか?
そういう国家機密はどんな感じでどんな形か?
それはずばり、ファシズムです。」

「ある作家の言葉です。
“愛国者は自分の国を政府から守るべきだ”
考えてください。ここでご覧になった門外不出の証拠をね。
我々が子供のころ、みんなこう思っていた。正義は自然に生まれると。美徳は価値があり善は悪に勝つと。
でもこれは真実じゃない。正義は人間が作るもので簡単ではない。
真実は権力にとって脅威だ。でも権力と戦うのは命懸けです。
真実は最も貴重です。真実が無力になり真実を殺す政府をもはや尊敬できなければ、この国で生まれてもこの国で死にたくない。」

どうだろう。何か想起しないだろうか。

「人は思考力を失う。ヒトラーは言った。“ウソが大きいほど人は信じる”と。」
「陰謀の疑惑があるのに法組織が動かない。」
「そういう国家機密はどんな感じでどんな形か?それはずばり、ファシズムです。」
「ある作家の言葉です。“愛国者は自分の国を政府から守るべきだ”」
「真実は権力にとって脅威だ。」

現代日本は「正直・公正」を口にすると、現職首相への個人攻撃になるのだという。「正直」が攻撃文句になる人間は、嘘つきだけだ。「公正」が攻撃として作用するのは、不公正な人間だけだ。

自民党は、総裁選のメディア報道について「公平・公正な報道」を求めたという。自分たちは「公平・公正な」取り扱いをしてもらいたいということだろう。国民もまた政府権力から「公平・公正な」取り扱いを願っているのだが、おそらく国民が政府に向けてそれを口にしたら、現職首相への「個人攻撃だ」ということになるのだろう。

「真実は権力にとって脅威だ。」

今、時代はポスト真実の時代だという。「真実が無力になり真実を殺す政府をもはや尊敬できなければ、この国で生まれてもこの国で死にたくない。」

枝野演説に見る「たゆみない努力」の中身

平成最後の戦没者追悼式 陛下最後のおことば

陛下の「おことば」には「国民のたゆみない努力により」との一節がある。これは現行憲法の第12条前段の「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とよく整合する。今国民に求められている「たゆみない努力」「不断の努力」とは、いかなるものだろうか。

ちょうど緊急出版された『枝野幸男、魂の3時間大演説』を読んだ。この演説内容は、我々国民が今何を失おうとしているか、何を取り戻すべきなのかについてちょうどいい示唆を与えてくれる。

演説内容は至極真っ当で、考えようによっては何の新しさもないものだ。つまり、「質問に答えろ、話を逸らすな、嘘をつくな、文書を書き換えるな、ごまかすな、説明せよ、根拠を示せ、責任を取れ」である。当たり前である。

先日、自民党総裁選で石破氏の選挙ポスターが「正直、公正、石破茂」で、これが安倍政権批判であると注目されていた。恐ろしい世の中になったもので、「正直、公正」という当たり前すぎるほど当たり前のワードを掲げただけで、それが政権批判になってしまうのである。

枝野演説は確かに長いものであるが、おそらく枝野氏はこの演説を組み立てるのにそれほどのエネルギーは必要としなかったのではないだろうか。なぜなら、冒頭示したように、別に高尚・難解な議論が求められているわけではなく、極めて初歩的なルールや原則を確認するだけで安倍内閣への痛烈な批判として成立してしまうからだ。

私は安倍政権が存続することの危うさは、一連のモラルハザードに加えて、国家のフォーマットを突き崩してしまう点にあると思っている。例えば枝野演説では、野党がモリカケ問題を追及すると「いつまでやっているのか」という批判を受けることに答えて、次のように言う。

「国会の役割は法律を作ることだけではありません。・・・まさに議会には行政の監視という大変重要な役割があります。・・・議院内閣制ですから、政府と与党一体ですから、与党の皆さんが政府の問題点を厳しく指摘をするということについては、そもそも制度として予定されていません。・・・したがって、モリカケ問題についていつまでやっているんだと与党が野党に対して野次るのは、全く議院内閣制を理解していないことだ」

その通りなのである。そして中間報告で委員会決議をすっ飛ばしたり、与党の審議時間を無意味に延長したり、国会提出文書を改ざんし嘘をついたりするから、野党も審議拒否をもって応じたのである。審議する以上は、それが形骸ではなく実質を伴うものでなければ意味がなく、嘘がまかり通ったり、時間稼ぎが許されたり、審議自体がすっ飛ばされたりしないという、「フォーマット」の適正化が前提条件なのである。

そういう経緯を無視して、単に野党が審議拒否をしているという部分だけを取り出して、さぼっているなどと批判した人間は、議院内閣制における野党の役割、三権分立における国会の役割が根本的に理解できていないのだろう。さもなければ理解したうえで、いや理解しているからこそそれを破綻せしめた確信犯ということになろう。

国民が今、「たゆみない努力」を注ぐべきは、近代国家が成立するうえで不可欠な国家の基本構造=フォーマットを、ごく常識的な形で回復させることである。つまり「質問に答える総理、話を逸らさない答弁、嘘をつかない内閣、文書を書き換えない官僚、ごまかさない大臣、説明する政府、根拠を示す行政、責任を取る責任者」を回復させることである。

私は石破茂氏が「正直、公正」な政治家とは寸毫たりとも思っていないが、石破内閣に代わることで、安倍政権のおかしな全能感は払しょくできるし、「一強」が生み出したひずみも少しは緩和できると思っている。

野党に政権を取らせよなどという、一足飛びの議論はしない。石破政権がいいとは言わないが、ともかく安倍政権はもう限界である。
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