大学無償化政策を巡って、これはFラン大の延命につながるだけの愚策だという批判が起きている。

典型的には池田信夫氏の議論だが、曰く「学費が無料になれば、高卒で就職できなかった若者が、大学に行って時間をつぶすようになる。これで底辺のFラン大学は延命できる」とのことだ。

現象として、そういうことも起きるかもしれないが、これはそれぞれ別の問題を一緒くたに論じることで起きる議論の迷走だと思う。

Fランというのは、要するに相対評価であるから、未来永劫Fラン大学はなくならない。したがって、Fラン大の「延命」というのはそもそも意味のない議論である。今現在、Fランに分類されている大学が全て廃校になったとしても、また別の大学がFランに分類されるわけであるから、個々の大学の延命は議論できてもFラン大学の延命は議論しようがないのである。

もちろん、Fランかどうかはさておき高等教育の名に値しないような教育水準の大学を、「大学」と認めて公費で支える必要があるのか、という議論はある。だがこれは「大学無償化」とは別の議論であろう。そういう学校を「大学」と認めたからには、大学無償化の対象から外すというのはフェアとは言い難い。

Fラン大批判者たちの理屈も分からないではないが、論理的には次のように建てつけるのが自然かと思う。つまり、そもそも大学の名に値しない水準の大学は、大学と認めるべきではない。そうして「大学」の質を担保したうえで、全ての大学について無償化し、高等教育の機会が家計の困窮を理由に閉ざされることがないようにしよう、と。

他方で、この大学無償化を何のために行うのか、という議論も重要だ。今、議論されている大学無償化は、「少子化対策」としてである。子育てにかかる経済負担が重いことが、少子化の要因であるから、大学無償化によって経済負担を軽減し、子どもを持つことへの躊躇をなくそうというのは、それなりに理のある話だ。

それがどのくらい少子化対策として効果があるのか、という観点からの検証はもちろん必要だ。しかし少なくとも少子化対策として考えるならば、あるレベル以上の大学のみ無償化という政策にしてしまったら、政策効果はほとんど上がらないと思われる。なぜなら生まれていない自分の子どもが首尾よく上位大学に進んでくれるかは未知数だからだ。少子化対策としての大学無償化は、例外なく行われない限り効果はないと思う。

上位大学のみを無償化対象にすると、結局、潤沢な教育リソースを子どもに投下できる富裕層家庭が有利になる。結果として、金持ちの子女ほど大学無償化の恩恵にあずかれるわけであり、これでは少子化対策とは正反対の結果を生むだろう。

くどいようだがFラン大の延命というのはナンセンスな論点だ。それは大学の認定基準に関して議論されるべきことである。そしてFラン大が定義上、未来永劫存在する以上は、延命議論は個別の大学について具体的に進めなければ意味がない。例えば私は加計学園のような典型的Fラン大に高等教育が施せているのかはいささか疑問である。

だいたい池田氏が教授を務めていた上武大学は、偏差値50以下であるから、いわゆるFラン大ではないのか。そうすると上武大学で池田氏に師事することは、氏の記事の表現によるなら「大学に行って時間をつぶす」だけのことであり、「大学の4年間はまるまる無駄」だったということなのか。「偏差値50以下の大学に入るメリットはない」とまで言い切るが、自身はFラン大から給与を得ながら、こうまで自分の仕事の無価値さを説くというのは理解に苦しむ態度である。