選挙

アベノミクスと軍国主義

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「小4が作った」は嘘 解散問うサイト炎上でNPO団体代表が謝罪


個人的にはこういった「どうしていま解散するんだ」といった議論にさほど興味がない。確かに唐突な解散ではあるが、信を問うタイミングとしてはそう悪くない。アベノミクスの破綻が判明し始め、集団的自衛権の解釈変更をなし、閣僚の不祥事も起こり、消費税再増税の見送りを決めた。黙っていればむしろ野党の方から、解散して信を問うべきだという議論が出てもおかしくなかったと思う。

だったら政策の破綻がこれ以上明らかになる前に解散しておこうと考えるのは、政治家の戦略として自然である。だから解散したこと自体に私は憤りはしない。

むしろ有権者はこれを政権打倒ないし政権弱体化の好機と捉えるべきなのだ。立憲主義を否定する政権にとって、本来選挙とは国民からの唾棄すべき雑音に過ぎない。安倍にとっては国民の意思などどうでもいいのである。

だからこそ安倍は、これまで建前として掲げてきた自主憲法路線をも否定する、立憲主義からの根本的離脱を実践したのである。国民が自ら作った憲法など、彼にとっては煩わしいの一言だろう。国民風情がこしゃくにも権力を縛ろうなど思い上がるな、というわけだ。

そういう政権に審判を下す機会をせっかく得たのに、「どうして解散するんですか?」などと寝ぼけたことを言っていてもらっては困るのである。ここぞとばかり専制政治への強烈な異議を立てるべきなのだ。

気をつけなければいけないのは、いわゆる格差拡大すなわち国民の貧困化は、安倍の狙う国民の声を聞かないですむ政体に好都合だということだ。誰しも自分の明日の食い扶持がおぼつかない状態では政治に関心を持つことはできない。国民の政治参加は国民に一定の余裕があって初めて可能になる。まさに恒産なくして恒心なしである。民主主義とは分厚い中流層によって支えられるものなのだ。

その中流層を消滅させ、国民を貧困に陥れておくことは、安倍のように何かと言うと軍事力を行使したがる連中にとって好都合である。働き口に困った若者を軍隊にリクルートすることは、イラク・アフガン戦争時のアメリカで頻繁に見られた現象だ。安倍がやりたがっているのもまさにこれなのだ。

自分が指揮する戦争に若者を送り出し、その死者を「英霊」として顕彰する。そういう未来に強いあこがれを抱いているのである。安倍が戦前の軍国主義日本を愛してやまないことがそれを間接的に証明している。

つまりアベノミクスによる格差拡大と集団的自衛権の行使容認は、車の両輪なのである。確認しておくと集団的自衛権とは、戦争を始めるための仕組みである。自国が攻撃されていない状態で、他国に攻撃を仕掛けるわけであるから、こちらの認識は「反撃」であっても、相手国から見れば攻撃してもいない国から先制攻撃を受けたことにしかならない。そうなれば当然、相手国は日本にも攻撃を仕掛けてくるだろう。そうやって応戦を繰り返す状態は、すなわち戦争である。

集団的自衛権という戦争開始の仕組み、解釈という名の立憲主義の否定、アベノミクスによる国民の貧困化、特定秘密保護法による情報操作の仕組み、軍隊リクルートのための人材確保、バカのくせにこういうことは周到に準備するのである。

軍国主義の社会では選挙などまず公正に行われない。それを考えれば、安倍政権が自ら選挙に打って出る今の状況は大変幸福なことだ。現行憲法が機能しているうちに、選挙のチャンスを活かして危うい政権を弱体化させるべきである。「どうして解散するんですか?」じゃないのである。

立憲主義が問われる選挙

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今回の解散は「アベノミクス解散」


結果的に実質賃金は低下し、物価は上昇し、GDPも減少しているのだから経済政策の失敗は明白である。是非を論ずる価値もないほどだ。

安倍としては今回の選挙をアベノミクスへの審判と位置づけたいようだが、こういう自分勝手な論点設定に乗っかる必要はない。この選挙に問われるべきは、立憲主義、つまり憲法による権力の規制というシステムを採用するか否かである。

これは改憲か護憲かという議論よりもっと根本的な問題だ。立憲主義を放棄した人間には、改憲を唱える資格が無い。なぜなら、いかなる憲法を作ったところで、時の権力者が「いや、私はこう解釈する」といって蹴散らせるのだから。

これは何もイヤミや皮肉で言っているのではない。事実安倍は立憲主義を「王権時代の考え方だ」として自ら退けている。これが週刊誌の対談など非公式な場での発言ならまだしも、国会答弁で開陳された認識なのである。

そしてまた立憲主義を選挙の争点とすることは、ほかならぬ安倍自身が望んだことでもある。集団的自衛権の解釈変更について、安倍は「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と明言しているのだ。

もちろん選挙で勝利すれば好きなように憲法解釈ができるというわけではないし、無法な解釈が合憲に変わるわけでもない。通常の国政選挙でそれができてしまったら、憲法は何のために改憲のための特別の手続きを定めているのだということになるだろう。

安倍は改憲手続きを定めた96条を改正して、裏口から改憲を実現しようと試みて失敗しているが、本質的にこの男は憲法の定める改憲手続きを認めたくないのである。だから選挙で信任されればそれでいいじゃないかといった身勝手な発想がついつい顔を覗かせるのである。

忘れるべきでないことは、安倍は現行憲法を否定したいのではなく、「憲法」そのものを否定したいのである。権力と自己を一体化させて思考する癖のある安倍にとって、憲法とは自分を縛る邪魔な枷でしかない。

改憲して自主憲法を望む人々は間違っても安倍を支持すべきではない。もしかしたら、あなた方は安倍の統治下にある限り、憲法などなくてもいいと感じる感性を持っているかもしれない。しかし、憲法なき社会において、安倍が権力を握り続ける保証はどこにもない。状況いかんでは、あなた方が蛇蝎のごとく嫌う「売国反日」の徒が権力を握るかもしれないのだ。

その時、権力者を縛る憲法を懐かしがってももう遅い。見せかけだけの張り子の憲法はあるかもしれないが、好きなように解釈されて終わりである。

護憲派は当然安倍の支持には回るまいが、改憲を望む人々も、本当に意味のある自主憲法を望むのであれば、安倍を支持することはできないはずだ。もし支持するとしたら、それは自らの信念への裏切りである。つまり本音では自主憲法などどうでもいいということなのだ。国民を信じていないから、国民自らの手で作ろうとも、そんな憲法はどうでもいいということだろう。

安倍を支持する自主憲法論者は、単なるバカか、国民の味方という擬態を施した反日分子と評さざるを得まい。

自民党は亡国の政党

自公、300議席うかがう 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121213-00000041-asahi-pol

この期に及んで自民党に支持を寄せる有権者はアホである。900兆にも及ぶ借金も、格差社会も、年金の破綻も、原発依存体質も、エネルギー戦略の無策も、領土問題の棚上げも、すべて自民党政権下で起きたことだ。民主党がしくじったのは、自民党政権の尻拭いであって、民主党がダメだから自民党がいいという話にはならない。当たり前のことである。

自民党はその本質において「持てる者」のための集団だ。断じて庶民の味方ではない。だからこそ自民党政権下で法人税減税や所得税の最高税率引き下げも行われたのだ。規制緩和の掛け声も勇ましく、ライブドアやグッドウィル、村上ファンド、NOVAといった反社会的企業を生み出して、多くの人間の生活を狂わせた。

自民党政権下で格差は開きに開いた。能力のある人に引っ張ってもらうのだ、という小学生のような理屈で、金持ち優遇策を展開し、その結果生活保護世帯数は、2000年から2011年までにほぼ倍増(75万世帯⇒144万世帯)したのだ。

2000年時点に当時、無類の発言力を誇った竹中平蔵は雑誌のインタビューに答えて言った。「みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかないのです」

結果を見れば、経済生活の「底」を示す生活保護世帯が倍増しているのだから、「底」は上がるどころか抜け落ちてしまったのである。

政治に携わる人間が「道は~しかない」という時は、例外なく別の道が存在する。単に本人が別の道を選びたくないだけなのだ。見ているがいい。単細胞な自民党は、早晩、他に道はないと言って原発を容認し、中国・韓国を挑発し、憲法も否定するに決まっている。

地震国・火山国であることを承知していながら、この狭い国土に批判も顧みず原発をばらまいて、今日の放射能汚染を招いたのも自民党である。それでいて偉そうに「国民は国家・国土を愛するべきだ」などとご託宣を述べるのだから厚かましい徒党である。

こうした山のような失政を推進するにあたって自民党が常套手段にしてきたのが、強行採決である。これは実は田中角栄時代から自民党が得意としてきた民意蹂躙の手法で、自民党の習い性といってもいい。

本来、民主主義における多数決とは、「皆のためになることを、皆でやろう」ということであって、国民の総意を無視するために用いられる多数決は民主主義ではないのである。言い換えれば多数決は民主主義実現のための一つの手段であって、「原理」ではないのである。だから多数決が守られていれば、民主主義も守られているということにはならないのだ。

民主主義における多数決が正当性を持つ上で必要不可欠な前提がある。それは「議論を尽くす」ということだ。強行採決は議論を強引に打ち切る行為であるから、多数決で決まっていても反民主的なのである。

今度自民党に大量議席を与えれば、再び強行採決の雨あられである。賭けてもいい。それを「決められる政治」として正当化することも目に見えている。自民党に支持を寄せる人々は正気を失っているとしか思えない。目を覚ませと言いたい。
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