673年天武天皇として即位してから6年後の679年、天武天皇は皇后と6人の皇子を共に吉野離宮に行幸しました。この時天皇は壬申の乱になる前に出家をして近江宮から逃れるように吉野に来た時の不安な気持ちを回想して次の歌を詠みました。
み吉野の 耳我(みみが)の峰に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 時なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来し その山道を      (巻1・25)
(思い起こせば吉野の耳我の峰に時を定めず雪が降っていた。絶え間なく雨が降ってい画像 079たよ。その雪がその雨が絶え間なく降るように道中ずっと物を思いつつやって来たことだ。その山道を。)とても重い歌です

世界遺産に登録された吉野山の蔵王堂から如意輪寺に向かいそこから
喜佐谷を下り宮滝に出ます。


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吉野離宮跡to 010吉野離宮跡to 013このあたりが吉野離宮跡だとされています。


ここで天皇は6人の皇子に千年の後まで事が起こらないようにしたい、と伝えると皇子達、草壁、大津、高市、忍壁、(この4人は天武天皇の子)河島、志貴(2人は天智天皇の子)は互いに助け合い争わないことを誓います。また天皇と皇后も6皇子を分け隔てなく愛することを誓ったのです。皇子達が成人して再び皇位争いを行うことのないようにと壬申の乱に関係の深いこの吉野で誓いあったのです。
この時に次の歌も詠んでいます。皇子達と誓って気持ちが明るくなったのでしょうか、とてもリズミカルです。
淑(よ)き人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見                         (巻1・27)
(昔の良き人が よい所だとよく見て よいと言った この吉野をよく見よ
今の良き人よ よく見るがよい。)
天武天皇と皇后(後の持統天皇)にとって吉野は聖地であったとも言われます。それは神とあがめられる天皇に着いた出発点がこの吉野だからです。天武天皇が崩御されて持統天皇の時代になった時、持統天皇は31回吉野を訪れましたので、この歌には深い意味が込められているようです。