脳梗塞と母と私、リハビリと在宅介護のメモ

2004年11月17日の朝、母が倒れました。脳梗塞でした。それからの日記です。

またあれから3年が経過しました。母は79歳になりました。
前回更新した時は転倒して骨折した時だったのですね....。

あの骨折の後はとても大変で、今までできたことがほとんどできなくなり、寝てばかりの生活になったのでますます足の筋肉が落ちてしまいました。
家の玄関から私一人で病院に連れて行くことができなくて、介護タクシーにお願いして担架のようなもので玄関から車まで運んでもらって病院まで連れて行ってもらいました。
左腕が骨折していて、足も打撲で立てなくなってしまったので、全ての行動に介助が必要で
私もクタクタで睡眠不足で毎日泣いてばかりの日々でした。
それでもなんとか日にち薬で骨折は2ヶ月くらいで完治しました。
通った整形外科では訪問リハビリサービスがあったのでそれを利用することになり、そのリハビリがとてもよくてみっちり1時間マッサージから始まり立ち上がりの練習をやってくれます。週2回今も来てもらっています。

その次の年はインフルエンザに罹ってしまい、その後合併症で肺炎になったりもしました。
その時はまた数週間寝込んでいたのですが、幸い近所の個人病院の先生が往診してくださり、家で点滴をしてくれたり、診てくれたりでありがたかったです。ずっと寝ていたのでこの時は、いろんなありえない妄想を話すのでそれが怖かったです。

この時期は私が呼んでもすぐ来ないと「あんたには全く面倒をみてもらえない」「H子(姉)がずっと面倒をみてくれていた」とよく言われたりしてこんなにお世話しているのになとカラダがクタクタな上、心も弱り、凹みました。実際には姉がいるけれど子供たちのことで手一杯で家にくるのは一月によくて1度、1時間ほどなのに。やはり長女だから姉を精神的に頼っているのかな。。。と思ったり、それとも世話をしている私を姉だと思っているのかな?と思ったり。このことは今も時折思い出すのですが、その都度涙が出て来ます。

その他に苦労するようになったのはトイレコントロールです。
めっきりご飯の量が減ったせいで薬が効きすぎているせいか、ディサービスでの食事のせいか、下痢になることが多くなりました。やはりそれを片付けるのが大変で、初めて自宅で一人で介護もう無理かもしれないと思う日が増えました。これは食べたご飯の種類、量、便の質(硬い、柔らかい)、量を細かくみて
それに合わせて便を柔らかくする薬を薬用カッターで切るようにすることでかなり頻度が減るようになリましたが、それは今の母の体調や年齢や筋肉での対応なのでまた状況が変わったらまく行かなくなるのでは?と思い、油断しないようにしています。

そんなこんなを、なんとかなんとか乗り越えて、現在はまた要介護3に落ち着いています。
ディサービスも使うようになり、今は週3回通っています。最初は嫌がっていたけれど何度か利用させてもらっているうちにお友達もできてスタッフの人にも優しくしてもらっているようです。
お風呂はディサービスで入れてもらうようになりました。私一人では家でお風呂を入れるのが危ない時があったからです。これはとても助かっています。お風呂介助はやはり重労働でした。
それから義父が亡くなったので他県へ葬儀のために私達夫婦で参列するため、初めてショートステイも利用しました。母がショートステイを嫌がったので最初は姉にお願いしたかったのですがケアマネさんにやったことない人が面倒を見ると事故が起こりやすいよというのでそれに従いました。(結果、良かったと思います。姉も預かるのは不安だということだったので)
私が家を1日以上空けるのは母が倒れてからの14年間で2度目のことでした。
ディサービスで通っているところではショートステイをやっておらず母は嫌だったそうで可哀想な事をしてしまったなと罪悪感はありましたが、今年一周忌の時もまた利用させてもらいました。
今年は主人が観光もして帰ろうと提案してくれたので3日間ほど母と離れてみたところ、母には申し訳ないと思うけれど凄く解放された気分になり時々はこういうご褒美が欲しいなと思いました。

相変わらず母に優しくできない日があり、凹むことも多々あります。
でもなんとかまだ一緒に在宅でお互い怒ったり文句を言ったりしながらも暮らせています。できるところまではやろうと思っています。突然「もうダメかも」と弱気になる時がありますが、反面「いや、まだ大丈夫」と思ったり。
母を厭わしく思ったりもしますし、愛おしく思ったりもして、自分でもよくわかりません。きっと永遠に分からないのだろうな。

はじまりのとき、私は30代だったのに50歳になりました^^
自分の体にも変化があり、疲れやすく無理が効かなくなってきたのを感じます。
あまり考えすぎることなく、嫌なことは忘れる(考えない)ようにしてます。

そんな感じに暮らしています。

母の介護認定、要介護4となりました。

かつて2になったことはあって今回も、2くらいかなと思ってたけど、4か・・・・。

・・・でも生活全般に介助が必要になっちゃったから、そうか。。。

という気持ちです。

認定の方が来てくれたときも、座位が保てず横になって、そのままグーグーと寝てしまったのも
影響したかな。


とりあえず、ケアマネさんを決めて、今後のことを相談します。
母にとってどんなことをするのがいいのか、
10年目になっても分からないままだな、私。とほ。


希望としてはもっともっとリハビリをがんばって、足腰を強くしてもらいたい。
でもそれは76歳の母にはキツイことなのだろうか・・・。


1
前回の記事を書いてから3年!

穏やかな3年でした。
母の調子は、変わらず。

と言いたいところですが、76歳となり、だんだん




が衰えてきているのを感じました。

力は、「体力」「筋力」「記憶力」「持続力」などなどです。

私は時折あいかわらず、泣いたり、怒ったり、八つ当たりしたり、
しながら、母の介護というよりも、介助をした3年でした。

母が安定してくれていたので
三年の間にい私一泊二日で1度だけお友達と旅行に行きました。
(留守の間の母の世話はダンナサマと姉にお願いしました)

思えば母の介護が始って9年間の間で初めて母なしの旅行でした。
私がどこかに行くと

「ネコがいないなら、ご飯を食べない」

と言う母でなんとなく置いて出れなかったのです。
帰った後は幼児返り(?)で私に用事をさせたがる母。
でも、母なしのプチ旅行はいい息抜きになりました。(また行けるといいなぁ)


毎日のリハビリ、アミノ産ゼリーはその後もずっと続けていました。
新たに母ができるようになったことはなかったのだけど
本当に穏やかな3年間でした。

この生活がしばらくずっと続くといいなぁ、続くだろう、となんとなく思っていましたが

7月に「ペースメーカ」の交換手術をしました。
入院して筋力が衰えると分かってはいて、気をつけていたのですが、
屋内で、私が横にいるときに、畳の上で転倒。


横にいたのでぎりぎりセーフで支えた!

と思ったのだけど、麻痺腕が畳に

コテ

とアタリました。

そのときは平気そうだったのですが、
1日たって「腕が痛い」というので見ると腫れて黒く内出血しています。
あわてて病院へつれて行って、レントゲンを撮ってもらったところ

「ひび入ってますね。固定しましょう」


がーーーーーーん。


コテ 

あなどれず・・・・。


でもまだこのまま終わりません。

家に戻って、

「転倒は怖いね。これから気をつけようね」

と母と話した翌日、またも転倒。
今度は私が近くにいない、トイレに行く途中板の間で


バタン


・・・・・・階段を駆け下りるとそこには骨折側を下にして横たわる母の姿が(涙)


ひび腕はさらにひびが、
そして今度の転倒は足(膝)を痛めてしまい(幸い骨折ではなかったです)
歩けなくなってしまいました。

一人で外出はできないものの、屋内では杖と手すりでなんとか一人でトイレに行けていたのに。


最初のひび骨折から一ヶ月、いまだ車椅子生活です。

今は食べる意外は生活全部に介助が必要になってしまいました。


ずっと止めていた介護認定を再申請しました。(骨折が直るまで認定はされませんが)
そしてこの後、また自立して立てるようになるか分からないのが不安です。(しょんぼり)


ここをまだ見てくださっている方がいるかどうか分かりませんが

転倒

本当に恐ろしい。

いろんな人に

「転ばないように気をつけて」

と言ってもらっていて分かっていたつもりだったのに・・・。(ため息)


もし介護、介助生活をされている方が見てくださっていたら、
私の失敗を繰り返さないように、転倒ほんとうに気をつけてください。


2008年に介護認定を受けなくなってから5年。

母が脳梗塞になったとき、37歳だった私も47歳になりました。
10年して振り出しに。


なんとかやっていけるのだろうか・・・・

かなり不安です。








去年の4月からのひさしぶりの更新です。

ジンガロに行った記事ぶりだったのですね。
ジンガロに行ったことが遠い昔のようだ〜。

その後、母は元気です。


長い間通っていた病院から、地域病院に移ってください


と言われて困惑しながらも移った個人病院は1年経った感想としてもとてもよい病院という印象です。

インフルエンザの予防接種も、新型の予防接種も優先的にうけさせてもらえました。
この病院のよいところは完全予約制なこと。
待ち時間がほとんどなく、大勢の他の患者さんと接触することもほとんどなくて
病院で風邪感染なども心配することがありませんでした。


この病院のドクタが元気でいてくれる限り(ドクタも結構ご高齢そうなので(^^))
ずっとここに通いたいです。

最近では何年も飲んでいた痙攣の薬の量が血液検査をして半分に減りました。
薬が減るのはやっぱりちょっと嬉しいです。



母のリハビリもあいかわらずです。

訪問マッサージの先生が週3で来てくれる
毎日の体操 2回(廊下手すりにてあしぶみ等)
ウォーキングマシン10分

を続けてます。

ウォーキングマシン10分は

0.5Km/h

から始めたのですが、なんと今では


2.0Km/h

をこなしています。
継続はチカラなり!!!
その10分で私もエクセサイズをするようにしたら、
足とか腕とかに薄く筋肉がついて、2キロくらい痩せました(^^)


食べ物では

アミノ酸ゼリー

続けています。(最近マスカット味が増えました)

それから、

納豆 週1(新しい先生にも許可を頂いて薬の調整をして食べています)
サントリーの青汁(<=母が飲みたいと言い出し通販で買ってます)


食事の変化は毎朝蜂蜜トーストを食べているのですが
母が自分で朝食を用意して食べるようになりました。

長い間3食すべて私が用意していたのだけど、
去年11月くらいから、朝食だけ自分で用意して

・お茶をいれ
・パンをトースタで焼き(蜂蜜をつける)

食べてくれるようになりました。
(食べた後食器も洗ってあります)

これはとても嬉しい進歩です。


こうやって書くとずいぶん進歩ばかりですが、
去年は私が精神がボロボロで(それでブログを更新できなかった)
ずいぶん母に辛くあたってばかりでした。

母が快復すればするほど、母がデキルコトをヤラナイで
怠けているような気がして、
いろんなことで母を叱ってばかりでした。
そうではないとわかっていても、言わずにはいられなくて。


今年の目標は「叱らない、怒らない」です。


0088f09e.jpg前後してしまったけれど3月末

【ジンガロ バトゥータ公演】

に行ってきました。
楽しく素敵な演目で、目をキラキラさせて観ていました。

「馬って賢いねー♪すごいねー♪」

と帰ってきてからも母はウレシそうでした。
行く直前まで


「車椅子を持っていく?」

と心配して聞く私に、杖を高々と上げて、

「コレで行く!」

と言い切った母(^^)

母も頑張りましたが、

入場口から入っただけで、杖をついている母の元にスタッフの方がササササと寄ってきてくださって、
先行入場(歩行不自由な人専用エレベータ)への誘導をしてくださり、
開演前にトイレに行こうとしたときは、そのトイレ近くの別の方がまた
ササササと近くに来て、多目的トイレまで案内してくれました。
(トイレ問題をとても心配していたのだけど、なんの問題もなくゆったりゆっくり
 しっかりと作られた広々した多目的トイレが利用できました)

さらに会場内でも階段を下るのが(昇るほうが楽)苦手な母に席まで丁寧体を貸してくれてサポートしつつ案内してくれました。(もちろん帰りも)
そして、そのようにサポートしてもらっている方が母以外にも会場のあちこちで見かけられました。

こういう風にしてもらえたら、外出の機会が増えるだろうなぁ

と思うイベントでした。

主催がフランスだから?
あるいは東京公演だから?

どちらか分からなかったけれど、

ありがたい!!すばらしい!!サポート

と感激しました。


「観たいと思えば、叶うんだ!」

と母も実感したようで

「次はアルゼンチン・タンゴに行きたい!」<=大好きだった♪

と言ってます。(^^)



きのうは昼間友人とお花見に行った。

友人の実家は我が家から徒歩2分。
小学校、中学校、高校といっしょで、結婚後も定期的にお茶やランチをする中た。
若いころはその頃夢中になっているスポーツや仕事、恋愛等だったけれど
このところの話題は親の病院情報や介護情報を交換。

彼女の実のお母さんは水頭症を患って、その後、一進一退があり、
今は要介護3の状態で在宅でお父さんと彼女の弟さんである息子さんの
介助の元暮らされている。

実家に女手がないのとお父様も高齢なこと、弟さんの仕事が忙しいこともあり、
隣町に嫁いだ彼女の元に
デイからの連絡や、ケアマネさんからの連絡がくる。


近くの神社で2人でぶらぶらお花見をしていると、彼女のケイタイが鳴る。


デイからで、

「お母様が40度の高熱を出されました。
 今から御宅へ送り届けます。」

とのことだった。

私たちはあわてて家路についた。
彼女を車で家まで送り、

その後、メールをしても返信はなく、電話をしても留守電になっているので
案じていたのだけど、今日連絡があり、

肺炎と尿道症を併発していて病院へ行くことになったけれど
たらいまわしになり、やっとXX市の病院に入院したの。
落ち着いたのは深夜でした。
日本の医療の現状を目の当たりにした感じです。

とのこと。(;_;)


医療(とくに地域医療)ほんとうにおかしくなっている気がする・・・・。


40度の熱が出ている高齢者がすぐ病院に入れず、たらいまわしされてしまうんだ・・・。
TVで見たり聞いたりしていることは他人事ではなく、こんな身近で起きているんだ。

と実感するデキゴトでした。





今月突然、

「来月、脳外科の先生全員いなくなりますから」

通告をされてそろそろ4週間。

来週には母の薬がなくなるため、これまで通っていた病院外来に
電話をしてみました。

国立の病院なので、

「ああは言ってもちゃんと別の系列大学から脳外科の先生たちが
 必要な人数は補充されるに違いない」


と思っていたのですが、
電話を受けてくれた外来のが

「4月からの体制がどうなるかまだ本当に私たちも分かっていなくて・・・・
 御迷惑をおかけして申し訳ありません・・・・・
 しかも来週は脳外科を連続してお休みさせてもらう予定で・・・・
 それに新しい先生が来たとしても1人・・・
 あ。でも・・・もしかしたら6月くらいにはもう少し増員されて落ち着くかもしれません・・・
 それまではたった1人の先生がすべて(入院患者さん、外来患者さん)を診るという体制で・・・
 来ていただいてもものすごく混雑が予想されてお待たせしてしまうということになるかと思います。
 本当に申し訳ございません!!!
 あの・・・よろしければ・・・可能ならば別の病院へ・・・・」

とのことでした。

4月はもうすぐで、でも、こんな間際でこんな回答で、
しかも本当に1人しか脳外科の先生来ないのだなぁ・・・
(ドクターヘリポート作ってたけど、脳外科の先生が一人しかいない国立病院って・・・)


とさすがに私も

「これはもうこの病院での継続は無理だ。
 もし仮に無理に継続しても、先生がたった1人で、
 大人数の患者さんを診るなんて、その先生だってそのうち疲弊しちゃうだろう。
 それにこういう大きな病院ではこれからこういう問題が多くなっていくんだろう。
 あきらめて違う病院に変更しよう。」

と思いました。


前回の診察時に隣町のクリニックに紹介状を書いてもらったので
早速そちらに電話をして行ってみました。
小さなクリニックだったけれど、
とてもスムーズな受付や、温かみのある待合室で
そして診察室にはこれぞ

THE脳外科スペシャリスト

と言いたいようなピシッピリッとした先生(笑)が居ました。
(長い間大きな病院の脳外科部長をしていた先生なのだそう)

ピシッピリッと言っても怖いというイメージやもの言いではなくて、長い間同じ道を極めてきた人がまとう雰囲気、迷いのない言葉(説明)の選び方の先生でした。
(質問や説明もとても丁寧でした。)

CTを撮影した母の脳の状態を前の病院の先生たちよりもキチンと詳しく説明してくれました。
脳梗塞を起こした母の右脳が左脳に比べてずいぶん痩せてしまっていることなど。

それからこれまで母が飲んでいた薬にあれこれダメ出しが出て(笑)
3種類ほど(「これらはいらないでしょ」と)薬が減ることになり、一部薬が変更(「この薬は意味ないでしょ」と)になりました。(^^)

というわけであっけなく、病院変更決定。

「来月からどこで診てもらえばいいのだろう・・・」

と心配していたので、すこし気分が楽になりました。
どうかこの病院変更がよい結果になりますように。
長いお付き合いができますように。


それにしても、介護保険も地域医療も不安定過ぎる。
短い期間にどんどんシステムが変更される。

最近読んでいる医療系小説では


「老人医療・終末期医療は儲からない」から役人も病院も力を入れられない

みたいなことが書いてあって、
なるほどそういうことなのね、と妙に納得してしまった。

友人からのメール

------------------------------------------------------------

今、テレビでリハビリ機械の紹介があった。

伊東で製作しているんだって。
※製作をされている会社の社長さんが、自身の脳梗塞後のリハビリに
 作ったんだって。(現在は、左手も顔面も言語も95%ぐらい回復している)

http://www16.ocn.ne.jp/~yuuki-co/

------------------------------------------------------------

友人がこうして母のことを気にかけて、
なにか良いものを見つけるとすぐ教えてくれることが嬉しい。
ありがとう。


もしかして他の誰かも知りたいリハビリ機かもしれないので、
私も見習って載せておきます!

昨日は母の月一の定期健診でした。

そこで脳外科の先生から

「実は今日はたいへん重要なお話があるんです。
 3月いっぱいで、今居る脳外科の先生が【全員】いなくなります。
 まだ4月からの体制はまだわかりません。
 新しい先生がいらっしゃるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
 とりあえず、他の病院への紹介状を書きますので、ご近所のどの病院がいいですか?」


と突然のお知らせ通告があった。

びっくり。


全員一斉にいなくなる


って。
そんなことがあっていいのだろうか。
母の通うこの病院はこの近辺では一番大きな病院なのに。

もしかして今入院されている脳外科の患者さんは全員転院させられているのかな・・・?



それにしてもいろんな事情(政治的な?)があるのだろうけれど、
もうちょっと段階的に動くことはできなかったのだろうか?

せめて新しい医師(達)のめどが経ってからにしてもらいたかった。
たぶん、患者さん(及びその家族)は皆そう思っていると思う。

何があったか良く分からないけれど、医師全員で一斉エイヤーといなくなるって
酷いのでは・・・・

とがっかりしつつ、帰りにひさしぶりに顔見せに寄ったリハビリ科では

発症当時からお世話になって母の大好きなリハビリのK先生も3月いっぱいで病院から
去ると聞いて、更に驚いた。
(リハビリ科の他の先生も数人、病院から去るらしい・・・・)


きっとこの病院内で何かがあったのだろう。


それにしても、それにしても・・・・・・。


気がつけばもう2009年も2月。もうすぐ3月。

この時期が毎年ガクンと悪くなっていたのだけど、
今のところ今年は良い調子です。

順調にじわりじわりと良くなっている気がします。
とてもありがたいことです。

朝ご飯

・アミノ酸配合ゼリー
・りんご1/4個
・トースト(はちみつ)

午前中

・体操 10分

  ※両手手すりにつかまって、足踏みしたり、キックしたり爪先立ち等

・電動ウォーカー 1.5km/h 10分

※始めたころ(去年6月 0.5km/h)


午後

・体操 10分(午前中の体操と同じこと)
・週3回訪問マッサージの先生が訪問してくださっています。


こんなかんじに母、ほぼ毎日続けています。


「ジン○ロに行きたい」

と言い出したので、3月末のチケットを取りました。

初、電車。行けるだろうか・・・・。

自宅 => 車 => 新幹線 => Taxi => 劇場 => Taxi => 新幹線 => 車 => 自宅

・・・と計画しています。

東京駅の構内がハードルが高そうだけど。
まだ先だけど、いろいろなルートを考えて
めずらしく、本人が

「見たい!」

と口にしたのだから、なるべく実現したいと思ってます!!!

このページのトップヘ