いじめ
今朝も大きな見出しで
校3男子同級生いじめ認めるという
ニュースが新聞をにぎわわせていました。
いじめられていじめられて死なねばならなかった
男の子の心情を思うとやりきれなくなっってきます。
どういったことにせよ「いじめはいけない!」という
事はみんな知っていることですが、悪いことは
悪い!してはいけないのだ!という
戒律がもうなくなってきたのかな???と
父性ということ−斉藤 学
母子の関係は血縁的、生物的なものだが、「父」と呼ばれる存在は社会的なものである。父は妻、息子たち、娘たち、親族たちそれぞれからそれと認められて、初めてその位置につくことができるものであって、生物的な父親とは限らない。このように根拠の薄弱なものであるからこそ、父は「家父長」とされ、神話、伝説、律法などの慣習と文字とで幾重にも護られてきたのである。
人類の祖は、近親姦タブーをはじめとする各種の禁忌と戒律を内面化することのよって家族という集団の維持に成功するようになり、家父長が、それら戒律の守護者の人についた。「野生から文明へ、動物から人間への道」(クロード・レヴィ=ストロース)は、生殖にまつわる禁忌(自然に備わった交尾の生物学的条件に制約を課す)に従うことによって開かれ、それには戒律(掟)の守護者(父性)という社会的存在の登場を必要とした。
そう考えると、人間が家族をつくったのではないということになる。社会的父性というものを柱にして組み立てられた家族という構造に適合するように、人間というフィクション(生物学的条件からかい離したもの)がつくられたのである。
人間の家族を詳細にみれば、さまざまな形態が存在していて中には母系でつながる家族や母を家長とする部族もあるのだが、人類全体を考えると家族の基盤はやはり家父長制にあると思われる。そこに歴史的・環境的要因が加わることによって、特殊で、ごく少数の非家父長制家族が成立したと考えるのが妥当なようである。
実際、人類家族の古制を知る資料として旧約聖書を読めば、そこにあるのは族長(家父長)に率いられた家族であり、現代人の営む家族の多くと基本的には同じ骨格を持っている。古代ギリシャ人の父権も著しく高かったということである。中国人の宗族も拡大した家父長制家族である。教育勅語にみるように「神国日本」も天皇という族長をいただく家父長制社会に他ならない。
人間のDNAはチンパンジーのと1.2%しか違わない。ゴリラとの差は1.4%である。生物学的にはほんのわずかしか違わないのに、掟の守護者としての父は、我々人類の家族にしか見られない。 山極寿一氏(「父性の登場」東京大学出版会)によればチンパンジー、ゴリラ、ごく近縁のところから分岐し、人類の分岐はチンパンジーと人類の共通の祖先がゴリラから別れて間もなくであったろうということである。人類の社会にはゴリラとチンパンジーのそれぞれ片方に共通する部分もあれば、違っているところもあるからである。
人類に見られる永続する夫婦関係は、単雄複雌でハーレム型の群をつくるゴリラに似ている。ゴリラの母は授乳期(6ヶ月)が過ぎると幼児への関心を薄め、幼児は成熟雄(背中が白髪で覆われ、シルバーバックと呼ばれる)のまわりに集まるから、シルバーバックは保父のように多くの子どもを引き連れていて、どうやらこれが人間の父の原型のようである。 ただしゴリラ集団には娘を嫁がせ、嫁を取るという掟(贈与のルール)がないので、同胞間での近親姦が生じやすいところが人類の営む家族とは違う。類人猿や人類の場合、近親姦が続くと、ほぼ3代で集団の絶滅が起きるのでゴリラの集団は一定数以上の社会に発展し得ない。
チンパンジーは生物学的には人類に最も近いのに、生殖に関するルールがまるで違う。発情期の雌は陰唇の発赤と腫脹を誇示して異性を引きつけ乱婚する。したがって夫婦と呼ばれるような対にならない。雌は息子を識別できるから交尾にいたらないが、成熟雄は子の養育に一切タッチしないので、わが子をそれと認識できない。そのため娘との近親姦が生じやすく、思春期を迎えた娘は決死の“家出”を強いられる。
チンパンジーやゴリラと人間との決定的な差は、「遊び」に示される幼児性が成人期まで持ち込まれていることである(チンパンジーとゴリラの子は笑い、遊ぶ)。この幼児性は人類の身体的特徴にもなっていて、巨大な頭部、貧弱な顎や筋骨、体毛を失って裸体化していることなどに乳幼児化・胎児化傾向がみられる。おそらく類人猿からの幼形成熟(neoteny)によって人類が誕生したのであろう。二足歩行が原人の女性の産道を狭め、難産と生理学的未成熟児の産出を促したことが、ネオテニーを促進したと思われる。
人類の場合、遊びは生殖行動にも持ち越され、子供を作る目的なしに行われるようになった。遊びは他者と合意しないと成り立たないので、共感という特殊な能力を発達させる。性的遊びではこれが一層重視され、自分が満足するよりも相手を充足させようとし、相手の気持ちを知ろうと必死になり、こうして人は共感の能力を鍛錬してきたのであろう。 人間は大人になっても子どものように子どもと遊ぶ。つまり人間の父とは「遊ぶ父」である。
人類の父の特徴は徹底した利他主義にある。ゴリラの成熟雄も子どもを見守り食物を配分するが、人類の父親のそれとは比べものにならない。生物学的に言えば、精子の必要はあっても父親という人間は不可欠ではないから、男は必死で女性と遊び、セックスし、子どもができれば哺育と保育に参加して妻に機嫌を取り結び、子どもとも遊んで親と思ってもらうことで、ようやく父と認知されるのである。このことが忘れられ、父親の家父長の側面だけが強調されるようになってから、おかしなことになってきた。 近代社会は性別役割分業を推し進め過ぎた結果、父親はその本来の姿から逸脱し、この哺育・養育から遠ざかることによってチンパンジー社会の成熟雄にまで退行してしまったかに見える。その中で育つ子どもたちもまたおかしくなってきた。
息子たちの多くは父親の不在によって禁忌と戒律の内面化に失敗し、その一部は父親から伝達されるべき掟を求めて国家権力と衝突する。つまり犯罪を犯す。彼らは近親姦タブーの内面化にさえ失敗していて、情緒的近親姦に走って再び母の子宮(家)にもぐりこむ。すなわち引きこもりである。
引きこもりは外界を敵とし、自己誇大化を内容とする幻想をはぐくむから、ここからも特異な臭気を発する犯罪が生じる。最近の少年たちによる血なまぐさい事件は、こうした家族構造を土台とし、これに地域社会という犯罪の歯止めの欠落が重なって生じたものであろう。。
父親のあるべき姿を考える時期に来ているのではないでしょうか?
校3男子同級生いじめ認めるという
ニュースが新聞をにぎわわせていました。
いじめられていじめられて死なねばならなかった
男の子の心情を思うとやりきれなくなっってきます。
どういったことにせよ「いじめはいけない!」という
事はみんな知っていることですが、悪いことは
悪い!してはいけないのだ!という
戒律がもうなくなってきたのかな???と
父性ということ−斉藤 学
母子の関係は血縁的、生物的なものだが、「父」と呼ばれる存在は社会的なものである。父は妻、息子たち、娘たち、親族たちそれぞれからそれと認められて、初めてその位置につくことができるものであって、生物的な父親とは限らない。このように根拠の薄弱なものであるからこそ、父は「家父長」とされ、神話、伝説、律法などの慣習と文字とで幾重にも護られてきたのである。
人類の祖は、近親姦タブーをはじめとする各種の禁忌と戒律を内面化することのよって家族という集団の維持に成功するようになり、家父長が、それら戒律の守護者の人についた。「野生から文明へ、動物から人間への道」(クロード・レヴィ=ストロース)は、生殖にまつわる禁忌(自然に備わった交尾の生物学的条件に制約を課す)に従うことによって開かれ、それには戒律(掟)の守護者(父性)という社会的存在の登場を必要とした。
そう考えると、人間が家族をつくったのではないということになる。社会的父性というものを柱にして組み立てられた家族という構造に適合するように、人間というフィクション(生物学的条件からかい離したもの)がつくられたのである。
人間の家族を詳細にみれば、さまざまな形態が存在していて中には母系でつながる家族や母を家長とする部族もあるのだが、人類全体を考えると家族の基盤はやはり家父長制にあると思われる。そこに歴史的・環境的要因が加わることによって、特殊で、ごく少数の非家父長制家族が成立したと考えるのが妥当なようである。
実際、人類家族の古制を知る資料として旧約聖書を読めば、そこにあるのは族長(家父長)に率いられた家族であり、現代人の営む家族の多くと基本的には同じ骨格を持っている。古代ギリシャ人の父権も著しく高かったということである。中国人の宗族も拡大した家父長制家族である。教育勅語にみるように「神国日本」も天皇という族長をいただく家父長制社会に他ならない。
人間のDNAはチンパンジーのと1.2%しか違わない。ゴリラとの差は1.4%である。生物学的にはほんのわずかしか違わないのに、掟の守護者としての父は、我々人類の家族にしか見られない。 山極寿一氏(「父性の登場」東京大学出版会)によればチンパンジー、ゴリラ、ごく近縁のところから分岐し、人類の分岐はチンパンジーと人類の共通の祖先がゴリラから別れて間もなくであったろうということである。人類の社会にはゴリラとチンパンジーのそれぞれ片方に共通する部分もあれば、違っているところもあるからである。
人類に見られる永続する夫婦関係は、単雄複雌でハーレム型の群をつくるゴリラに似ている。ゴリラの母は授乳期(6ヶ月)が過ぎると幼児への関心を薄め、幼児は成熟雄(背中が白髪で覆われ、シルバーバックと呼ばれる)のまわりに集まるから、シルバーバックは保父のように多くの子どもを引き連れていて、どうやらこれが人間の父の原型のようである。 ただしゴリラ集団には娘を嫁がせ、嫁を取るという掟(贈与のルール)がないので、同胞間での近親姦が生じやすいところが人類の営む家族とは違う。類人猿や人類の場合、近親姦が続くと、ほぼ3代で集団の絶滅が起きるのでゴリラの集団は一定数以上の社会に発展し得ない。
チンパンジーは生物学的には人類に最も近いのに、生殖に関するルールがまるで違う。発情期の雌は陰唇の発赤と腫脹を誇示して異性を引きつけ乱婚する。したがって夫婦と呼ばれるような対にならない。雌は息子を識別できるから交尾にいたらないが、成熟雄は子の養育に一切タッチしないので、わが子をそれと認識できない。そのため娘との近親姦が生じやすく、思春期を迎えた娘は決死の“家出”を強いられる。
チンパンジーやゴリラと人間との決定的な差は、「遊び」に示される幼児性が成人期まで持ち込まれていることである(チンパンジーとゴリラの子は笑い、遊ぶ)。この幼児性は人類の身体的特徴にもなっていて、巨大な頭部、貧弱な顎や筋骨、体毛を失って裸体化していることなどに乳幼児化・胎児化傾向がみられる。おそらく類人猿からの幼形成熟(neoteny)によって人類が誕生したのであろう。二足歩行が原人の女性の産道を狭め、難産と生理学的未成熟児の産出を促したことが、ネオテニーを促進したと思われる。
人類の場合、遊びは生殖行動にも持ち越され、子供を作る目的なしに行われるようになった。遊びは他者と合意しないと成り立たないので、共感という特殊な能力を発達させる。性的遊びではこれが一層重視され、自分が満足するよりも相手を充足させようとし、相手の気持ちを知ろうと必死になり、こうして人は共感の能力を鍛錬してきたのであろう。 人間は大人になっても子どものように子どもと遊ぶ。つまり人間の父とは「遊ぶ父」である。
人類の父の特徴は徹底した利他主義にある。ゴリラの成熟雄も子どもを見守り食物を配分するが、人類の父親のそれとは比べものにならない。生物学的に言えば、精子の必要はあっても父親という人間は不可欠ではないから、男は必死で女性と遊び、セックスし、子どもができれば哺育と保育に参加して妻に機嫌を取り結び、子どもとも遊んで親と思ってもらうことで、ようやく父と認知されるのである。このことが忘れられ、父親の家父長の側面だけが強調されるようになってから、おかしなことになってきた。 近代社会は性別役割分業を推し進め過ぎた結果、父親はその本来の姿から逸脱し、この哺育・養育から遠ざかることによってチンパンジー社会の成熟雄にまで退行してしまったかに見える。その中で育つ子どもたちもまたおかしくなってきた。
息子たちの多くは父親の不在によって禁忌と戒律の内面化に失敗し、その一部は父親から伝達されるべき掟を求めて国家権力と衝突する。つまり犯罪を犯す。彼らは近親姦タブーの内面化にさえ失敗していて、情緒的近親姦に走って再び母の子宮(家)にもぐりこむ。すなわち引きこもりである。
引きこもりは外界を敵とし、自己誇大化を内容とする幻想をはぐくむから、ここからも特異な臭気を発する犯罪が生じる。最近の少年たちによる血なまぐさい事件は、こうした家族構造を土台とし、これに地域社会という犯罪の歯止めの欠落が重なって生じたものであろう。。
父親のあるべき姿を考える時期に来ているのではないでしょうか?
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1. 『夕張市』と『新成人』 [ 酔語酔吟 夢がたり ] 2007年09月21日 18:32
おめでとう
頑張って!
2. 【自殺】誰がいじめと戦うのか【学校】 [ ブログの悪魔 ] 2007年09月26日 22:19
全国で、いじめによる自殺が相次いでいる。
確か葬式ごっこなどのいじめが原因で、都内の中学生が自殺して社会問題化したのは、私がまだ中学生の頃だったと思う。
しかし最近の報道をみると、学校でのいじめへの対応というものは、どうも十数年以上、何ら進歩してい...
この記事へのコメント
1. 浦和カウンセリング研究所
2007年09月22日 09:54
私どものブログにトラックバックをつけていただきありがとうございました。営業のためのトラックバックが大変多いので、公開には私の承諾が必要になっております。貴殿のブログについては、ぜひ公開をしようと思うのですが、私の見方が悪いのか、貴殿がどういう方なのか、ブログの内容以外わかりません。メールアドレスだけでもご連絡いただけるでしょうか。
お手数をおかけしますが、こちらの業務の内容上、出所をはっきりした上で、トラックバックを承認しているので、よろしくお願いいたします。
鹿角にお住まいだということはわかりました。私的なことになりますが、亡くなった義理の両親を毎年紅葉狩りに八幡平まで連れて行っていたので、懐かしい地名をうかがいました。首都圏とは違った意味で、とてもすばらしいところにお住まいなんですね。
浦和カウンセリング研究所 大関直隆
お手数をおかけしますが、こちらの業務の内容上、出所をはっきりした上で、トラックバックを承認しているので、よろしくお願いいたします。
鹿角にお住まいだということはわかりました。私的なことになりますが、亡くなった義理の両親を毎年紅葉狩りに八幡平まで連れて行っていたので、懐かしい地名をうかがいました。首都圏とは違った意味で、とてもすばらしいところにお住まいなんですね。
浦和カウンセリング研究所 大関直隆
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