後から振り返りやすいようにまとめました。
FM福岡でおもろい家族大賞を受賞した
エピソード!!
「からだとこころを整える 魔法のバランスレッスン」に出てくる私の祖母。
「からだとこころを整える 魔法のバランスレッスン」に出てくる私の祖母。
本当に面白い強烈なハッスルばーちゃんでした。
是非そのおばあちゃんの事、記事にしてください、と言われたので、連載してみます。
1話で終わらないくらい、
エピソード盛りだくさんのばーちゃんです。 

面白すぎて、以前FM福岡のモーニングジャム、おもろい家族大賞をいただいたことがあります。
パーソナリティのナカジーや、あっちゃんが大笑いして、ばーちゃんのネタに決定してくれました。
先ずはそのエピソードから。
父方の祖母、平井久子さん。
久子ばーちゃんは、
健康の為なら石でも食べるんじゃないかな?と思うくらいの、徹底ぶりでした。
著書にも書いた様に、
3歳児の口に
「これは喉の薬!!」
って南天の葉っぱを放り込み、
とても口からはき出せる様な事はさせません。
南天の葉っぱってめちゃくちゃ苦いんですよ。
ほうれん草なんかで口からはき出してる子みたら、南天の葉っぱに比べたら!!
っていつも思ってしまいます。
ばーちゃんは、卵の殻はカルシウム!!
と言って、ゆで卵を殻ごと食べさせる人でした。
ミカンの白い筋なんかとってたら、
そりゃー怒られますよ。
それが栄養だ!!って。
ゆで卵、殻をむいた方が美味しいです。
当たり前ですが。 

ですので、久子ばーちゃん見てるかな?
と思いながら、今でも殻をむきます。
さて、この久子ばーちゃんの葬儀の時、
小倉の叔母がたまたま、ゆで卵を親族の集まる食卓に上げました。
いとこ達とばーちゃんの思い出話に花が咲き、
「ばーちゃんの遺志を継いで、ゆで卵、久しぶりに殻ごと食べよう!!」
という事に。
私の旦那も、妹の旦那も、
初めての体験でしたが
ゆで卵を殻ごとバリバリもぐもぐ!!
バリバリもぐもぐ!!
「ばーちゃん、ちゃんと殻ごと食べたよ〜」
と、親族一同、寂しいやらおかしいやら。
人が集まるところが大好きな祖母が、
きっと喜んでくれてるだろうな、
と感じた、葬儀でした。
祖母の亡くなる前に最後に撮った集合写真。
ばーちゃんの誕生会で
ばーちゃんの出し物は😂😂😂
久子ばーちゃんは、
生きていれば今年は100歳。
来年のお正月には久子ばーちゃんの100歳生誕祭が行われる予定です。
立ってるものなら電柱にでもしゃべる、
というばーちゃん。
孫やひ孫にちゃんと伝わってるDNA 

人が集まるところなら、
葬式でも好き!!という人でした。
未だに平井家は毎年お正月には集まり、
余興あり、ゲーム大会あり、
ジャンケン大会ありの大盛り上がりのイベントがあります。
連れ合いはしばらく誰が誰か分からん、と覚えるまで時間がかかります。 

子どもの頃は、
お正月、久子ばーちゃん生誕祭(11/23勤労感謝の日でお休みだった事もあり、集まりやすかったので)は親戚一同集まり、楽しいひと時を過ごしていました。
子どもの頃は、
お歌大会という催しがあり、
土性(脾臓・胃)の質を持った私は歌は大好きで、優勝して賞金をもらっていましたよ




叔父の企画するゲーム大会は、年齢の違う従兄弟でも楽しめる様に工夫されていました。
例えば、トランプあて。
叔父のとった一枚のカード、
先ずは赤か、黒か!
と2択で分かれます。
「外れた人はさようなら〜〜」
と、次はハートかダイヤか?
奇数か偶数か?
7より上か?下か?
と分けていき、最後にズバリ、なんでしょう!
とトランプを当てるのですが、
これがなかなか難しい。
碁石あては、
右手左手に黒と白の碁石を5個ずつ各自持たせます。
叔父の持った数と合えば勝ちなのですが、これもまたなかなか難しい。
叔父が、
「はい出ました、白3!!」
と言うと、白3の人はもう大興奮で立ち上がります。
「はい、黒2!」などと毎回皆んな真剣な表情で身を乗り出して盛り上がります。
空き缶に玉を入れるゲームもありました。
年齢線があって、小さい子は近くから、大きい子は遠くから投げます。
最近は小さな孫世代も増え、場所も手狭になったので、ほとんどジャンケン大会ですが、それでも皆んな大盛り上がり!!
明るく、楽しい事が大好きだった久子ばーちゃんのDNAは今も受け継がれています。
さて、この久子ばーちゃんの生誕祭は、
孫達のお楽しみでもありました。
お年玉とは別に、
ばーちゃんからのお小遣いがぽち袋で用意されていて、ばーちゃんの懐から見え隠れ。 

すると久子ばーちゃんは、
ちょっと準備がと、裏で何やらゴソゴソやって出てきました。
頭は確か毛糸での手作りおさげカツラをかぶり、
手にはお皿がガムテープで棒の上に引っ付けられた物を両手に持ち、
♬「チンライチンライアルヨ〜」♬
(だったと思う
)

とか何とか歌いながら、
皿回しのふりして出てくるのです。
爆笑!!
絶対落ちない皿回し!!




しかもおさげ髪




懐からはお小遣いが見え隠れ。
ばーちゃんのネタで気持ち良く盛り上げといて、お小遣いをゲットするため、
従兄弟は一致団結!!
それがお年寄りですから、
懐から出してお小遣い渡すの忘れてるんですよ。 

従兄弟同士アイコンタクトしながら、
「ばーちゃん、何か忘れてませんか〜〜?」って、
お小遣いをいただくわけです。
よそのおばあちゃんから、
こんなエピソードあんまり出てきませんね。 

生きていれば今年は100歳。
来年のお正月には久子ばーちゃんの100歳生誕祭が行われる予定です。
久子ばーちゃんと11人の孫達
ばーちゃんの治療は
乳首に吸玉?!😵
久子ばーちゃんの子どもは3人。
長男(私の父)、次男、長女の3人。
それぞれ、5人、4人、2人の子どもがおり、孫は11人。
しまいには久子ばーちゃん、誰が誰だか分からなくなってきたらしく、
あみだした方法。
父=1、叔父=2、叔母=3
私の兄=1の1
私=1の2、
妹=1の3
弟=1の4
末弟=1の5
叔父のところの子どもたち=2の1、2の2、2の3、2の4
叔母のところの子どもたち=3の1,3の2
叔父のところの子どもたち=2の1、2の2、2の3、2の4
叔母のところの子どもたち=3の1,3の2
と番号をふりました。
その名残で、もう増えすぎたひ孫世代は、いまでは完全に背番号で呼ばれます。 

1の2の私は、
女の子の中では1番上なので、
祖母にはとても可愛がってもらいました。
ばーちゃんのお部屋に1人で泊まった事あるのも兄弟の中では私だけかもしれません。
祖母の治療法は、
バンキーという吸い玉治療(韓国ではプハン)と、
浣腸が専門でした。
排毒する、という事に当時から力を入れていました。
私たち孫が発熱すると、
先ず浣腸されて便を出されます。
咳が止まらなければ、
からしシップ。
粉からしを熱湯で溶いたものをさらしに塗って、胸に貼り付けるのです。
熱いの痛いのなんのって、
されてる子はギャン泣きです。
暴れる事前提なので、
四肢を大人4人で押さえつける事から始まります。パッと見、虐待ですよね。 

私の兄は喉が弱かったせいで、
良くやられてました。
そのせいで兄は今もからしが嫌いです。
私は端から兄のからしシップを見て、
絶対病気にはなるまい!!と強く思ったのを覚えています。
3の1の長従兄は、自分の子ども達に
「俺たちのされよった事に比べたら、
そん位でビービー言うな!」と言うそうです。
樹液シートが臭いとかベタベタして嫌だとか言ってたら、ウチの子達はそう言われます。
ばーちゃんからされてた治療に比べたら、優しい治療ですよ。 

私が中学生の多感な時期に、
久子ばーちゃんが、
「乳首が陥没しておっぱいが出らんかったらいかんから、おっぱい出しなさい!」
と言われ、乳首にギュイーンとバンキーをかけられました。
イターイ!!




速攻外しましたが、あの痛さは忘れられない。 

本当に優しいばーちゃんでした。 

あのばーちゃんから
アイスクリームを買ってもらった
私の作戦😉✨
今は私もこんなですが、
子どもの頃は土性(脾臓・胃)さんの私は、自分で言うのもなんですが、
お利口な子でした。
どこに行っていたのか全く覚えていませんが、
時々、久子ばーちゃんに電車でどこかに連れて行かれていたのを覚えています。
時々、久子ばーちゃんに電車でどこかに連れて行かれていたのを覚えています。
電車に乗ったらオヤツが買ってもらいたい。
久子ばーちゃんの買ってくれるオヤツは、みかんか焼き芋。
ボンタンアメも私の中ではばーちゃんの味で、買ってくれていたオヤツの1つです。
ある時、電車でアイスクリームが売っていました。
「ばーちゃん、アイスクリーム買って」
と頼んだら、当然、久子ばーちゃんは、
「アイスクリームは冷たいからダメ」
と言いました。
私、当時4〜5歳位。
知恵をしぼりました。
「でもさ、ばーちゃん、湯気が出てるよ」
(冷凍のフワーっとしたけむりの事です)
久子ばーちゃん大爆笑!!




「えみちゃんに一本とられた!!」
と、なんとアイスクリーム買ってもらったんです!
久子ばーちゃんにアイスクリームを買わせた江未子、と後から伝説になりました。
娘のたまきは私に似てますね 

私の中で、不健康な物も笑って食べればオッケーって基準は、このエピソードから学んだような気がします。
だって、あのばーちゃんでも
アイスクリーム買ってくれるんだよ!
笑えば良いんだ!! 



小さい頃、
「ばーちゃんは男なん?女なん?」
って聞いたら、
「ばーちゃんは、ばーちゃんよ!」
って言われた。 

と言ってました。
ばーちゃんはばーちゃんだね!!
お利口だった
当時の私

兄と従弟と勝山公園にて
生きるか死ぬか
はっきり決めなさい!!
久子ばーちゃんは、私たちだけでなく、
小倉の断食寮に入院されている患者さんに対しても、
同じように愛あふれる人でした。
箸の持ち方、言葉づかい、
入院している方が自ら食器は片づけるように指導されていました。
普通の上げ膳据え膳の入院とは違います。
生活面からもすべて指導されるわけです。
昔、入院されていた方から聞いた話です。
「おばあちゃん先生に、 あなた、体は病気かもしれんけど、
口は病気じゃないんだから、良い言葉をはきなさい」
と言われたそうです。
その時は、具合が悪いばかりで、
いつもきつい、きつい、とマイナスな言葉ばかりをはいていたそうで、
久子ばーちゃんの言っている意味も分からなかったそうです。
ですが、自分の家族が病気になった時、
おばあちゃん先生はこのことを言われていたのか、と分かったそうです。
また、こんなことも聞いたことがあります。
「あなた、生きるか死ぬかどっちかに決めなさい!
生きると決めたら、生きるごと、真剣に取り組みなさい。
ご主人もまだ若いんだから、病気で長生きされたら後妻ももらえない。
生きるか死ぬかはっきり決めて、決めたごとしなさい!」
なんて言ったと聞いたことがあります。
本当に愛にあふれる人だったのだと、
今ならわかります。
とっても強烈ですが。

アルバムを見ていたら、最後に久子ばーちゃんと撮っていたのは、なんと経絡図の前でした。
たくましく生きて欲しい!
そんなばーちゃんの言葉
実家が新築で、
お祝いの時だったでしょうか?
親戚が集まっておりました。
子どもがとにかくたくさんいますし、
集まれば興奮もしています。
当時三年生位の従弟が、
実家の階段からゴロゴロゴロ!!と転げ落ちたのです。
従弟は、
皆んなが「大丈夫?」
って助けに来てくれるかなぁと思っていたら、久子ばーちゃんが、
「あんた、トンピンはねてから!!
新築の家で怪我でもして迷惑かけたらどうする気ね!!謝りなさい!!」
と怒られた 

と言って、今でも笑い話です。
優しく大丈夫?と言うのが本当の愛ではない。
強くたくましく育って欲しい、そんなエピソードが孫達皆に刻まれています。
めっちゃ昭和な写真 

死んでも元気で居たい?!
ばーちゃんの亡くなった時に
久子ばーちゃんは、独特なキャラクターの持ち主でした。
ブラを着けず、シャツに胸パッドを安全ピンでつけていたので、たまに肩にズレてしまって肩が膨らんでいた事があったようです。 

なかなかおしゃれな人で、髪の毛は紫色に染めていました。
街で、「あなたのその色は素敵ですね、どこで染めましたか?」と聞かれたと言っていたのを思い出します。
そのおしゃれな久子ばーちゃんは、準備の良い事もぬかりなく、葬式用の写真というのを撮っていました。
素敵に紫色に染めたヘアスタイルで、
芸能人でもないのに良い角度で、良い表情で、ちゃんと準備していました。
そして、久子ばーちゃんが亡くなった時、皆が集まると、ちゃんと手紙が準備されていました。
棺に入れて欲しいものリストにこんな物がありました。
我神散と、不老仙を入れてくださいと。
「ばーちゃん、あの世に行っても健康でいたいんやね〜〜!」と爆笑。
最期の最期までお茶目なばーちゃんでした。
ばーちゃんのお話を聞けたキャンプの思い出
私の決意
こんな感じの強烈キャラクターばーちゃんが、母がお嫁に行った時に、
ハッスルばーちゃん全8話、ご好評いただきました。よその人からこう言われた!と言っていたそうです。
「あんたんとこにお嫁に来てうまくいくっちゃー、よっぽどバカか、よっぽど賢いかのどっちかや」と。
母も叔母も、嫁いだ時にはきっとびっくり仰天だったでしょう。
大人になった今だから、私にも想像がつきます。
ただ、うちの母は、
久子ばーちゃんが本当の意味で愛がある言葉をかけているのが分かっていたと思います。
私達が子どもの頃、
久子ばーちゃんがよその人にたくさん良い講演をされているのに、
孫達が聞く機会がないのはもったいないと、
その機会をつくる為に、
その機会をつくる為に、
皇法健康所主催の「みちのこキャンプ」
というキャンプが、毎年行われていました。
場所は、母の実家の勝馬西福寺。
久子ばーちゃんのお話と、
母方の祖父、恵達和尚の座禅の時間があり、海に行ったり、キャンプファイヤーをしたり、テントに寝て、ベジタリアンバーベキューにカレー、楽しい夏の思い出です。
講話と座禅の様子
主催の我が家は、
ゲームを考え、歌のしおりを製作し、
企画会議に反省会に、
数年続いた我が家の大イベントでした。
私が小学5年生位から高校生くらいまで続けていましたので、6~7年はやっていたのでしょう。
参加者は、うちの従兄弟達を始め、
知り合いの親子など、30〜40名程度だったと思います。
うちの両親も良くやったと思いますよ。
子どもは5人もいて、
まだ下は小さいのにね。
そのくらい、久子ばーちゃんの大切な話を聞かせたかったのだと思います。
久子ばーちゃんは今思えば当たり前の躾のお話をしてくれていました。
箸の持ち方はもちろん、
「トイレからでる時は、次の人が使いやすいようにバックで出ましょう~!」
と言っていましたが、確かにキャンプ中、トイレのスリッパが散乱していた記憶はありません。
腹式呼吸の話をしていたのも覚えています。
久子ばーちゃんの講演タイムと、座禅タイムのあるキャンプ。
今思えば良いキャンプでした。
食事のゆで卵は殻ごとですよ。もちろん。
今あのキャンプがあるなら、
娘を行かせたいです。
久子ばーちゃんの話を聞けた、良い時間でした。
それがこうして本になり、ブログになり。
皆さんにお伝えできていることこそ、
久子ばーちゃんが喜んでくれているんじゃないかな、と感じます。
久子ばーちゃんが亡くなった時には、
すでに私はこの整体師という職業を選んでいました。
亡くなった時、久子ばーちゃんが夢に出てきて、
「ありがとう、ありがとう」と言っていました。
従兄弟たちからは、「えみちゃん、都合の良い夢見るなぁ~」
何てことを言われましたが、
小倉の叔母が私に、
「えみちゃんが東洋医学を広めてくれて、
ありがとう、ありがとう、って言ったんやろう」と言ってくれました。
11名の従兄弟の中で、この仕事をしているのは私だけです。
その後、兄弟、従兄弟のお嫁さんが私から学んでくれ、
確かに孫世代にばーちゃんの思いは伝わっています。
ただ、その時にはまさかこうして本をしたため、
ブログを書くことで、ばーちゃんの教えをここまで広める
なんて活動にまで広がるとは思いもよりませんでした。
ありがとう、ってここまで見越してのありがとうだったのかな?
こちらこそ、こんなに素晴らしい知恵と素敵なエピソードをたくさんありがとう。
まだまだこの久子ばーちゃん知恵袋、届けていく活動を続けていくよ。
箸の持ち方はもちろん、
「トイレからでる時は、次の人が使いやすいようにバックで出ましょう~!」
と言っていましたが、確かにキャンプ中、トイレのスリッパが散乱していた記憶はありません。
腹式呼吸の話をしていたのも覚えています。
久子ばーちゃんの講演タイムと、座禅タイムのあるキャンプ。
今思えば良いキャンプでした。
食事のゆで卵は殻ごとですよ。もちろん。

今あのキャンプがあるなら、
娘を行かせたいです。
久子ばーちゃんの話を聞けた、良い時間でした。
それがこうして本になり、ブログになり。
皆さんにお伝えできていることこそ、
久子ばーちゃんが喜んでくれているんじゃないかな、と感じます。
久子ばーちゃんが亡くなった時には、
すでに私はこの整体師という職業を選んでいました。
亡くなった時、久子ばーちゃんが夢に出てきて、
「ありがとう、ありがとう」と言っていました。
従兄弟たちからは、「えみちゃん、都合の良い夢見るなぁ~」
何てことを言われましたが、
小倉の叔母が私に、
「えみちゃんが東洋医学を広めてくれて、
ありがとう、ありがとう、って言ったんやろう」と言ってくれました。
11名の従兄弟の中で、この仕事をしているのは私だけです。
その後、兄弟、従兄弟のお嫁さんが私から学んでくれ、
確かに孫世代にばーちゃんの思いは伝わっています。
ただ、その時にはまさかこうして本をしたため、
ブログを書くことで、ばーちゃんの教えをここまで広める
なんて活動にまで広がるとは思いもよりませんでした。
ありがとう、ってここまで見越してのありがとうだったのかな?
こちらこそ、こんなに素晴らしい知恵と素敵なエピソードをたくさんありがとう。
まだまだこの久子ばーちゃん知恵袋、届けていく活動を続けていくよ。
読んでいただきありがとうございます。

ばーちゃんが喜んで草葉の陰で見守ってるどころか、
遺影から飛び出してきそうです。
遺影から飛び出してきそうです。

先生のおばあちゃん、素敵ですね〜!
ウチは普通なんで、羨ましいです!!
なんて言われちゃいましたよ。




COCOemi:代表 永露 江未子 連絡先:https://smappon.jp/tez4th15(すまっぽん)