ハッピーニューイヤー とバレンタイン イヤーン
を愛する皆様 こんばんは。
今年に入ってブログ更新をぬかっておりました
今年もよろしくお願いします。
明日は、2月9日、ちまたでは肉(ニク)の日や 福(フク)の日など
いろいろありますが・・・・。愛コンシェルココロン開設記念日でアリマス
一年ってあっと言う間。早いものです。
ということで、ブログを更新しつつ
雪の宿を食べながら宿直です。
1年も経てば、それなりに思い出がたくさんあります。
すれ違い際に投げキッスをしてくれるかわいい人や
喫茶テラスでほぼ毎日マスターのコーヒーを楽しむ人
近所のコンビニに足しげく通う人
1月末に足を骨折し、手術入院したにも関わらず、
驚異的な回復力で、来週には杖歩行リハビリを開始する人
臨終の瞬間を家族が来られた瞬間に迎えた人
家族と楽しく大晦日を越して、逝った人
生きることも死ぬことも、
当たり前ではなく、いろんな条件や状況があって
成立していることに気づかされる。
『足るを知る』って、欲を言えばきりがないから、ほどほどで満足するように
たしなめる言葉って思っていますが、
《生きている》ためには、ご飯が食べられ、空気があって、いろんなモノが
満たされて、足りないものがないから生きていられる、
『全てが足りているから、生きていることを知りなさい』
って何かの本に書いてあった。
さてさて
ブログでなかなか紹介しきれないような日常生活を
2月12日(金) 13日(土)の二日間で、感謝祭と称して
垣間見れます
お時間がありましたら、13時から17時までぜひお越しください。
やらをご用意しております。
ブログ見て来られた方は、『愛コンの隠し部屋』をご案内致します
興味のある方は『保安官いますか?』って聞いてください
お待ちしております
パパとボクとせっちゃんと
お好み焼きと歩行訓練をこよなく愛する皆様 コンバンワ。
11月1日に近所のお好み焼き屋さんにでかけました。

まずはその店の看板メニューを


絶品

ごちそうさまでした。
2月に病院から退院して、
その頃は車椅子。歩行なんて絶対できず、食事も介助が必要
そんな状況なのに、
「歩いてお好み焼き屋さんに食べに行きたい。」
懸命に本人が取り組み、

歩いて
念願のお好み焼き屋さんに

なかなか目標が叶うことってない
本人のしたいことができるようになるって
施設だといろんな制限ができて
できないことが多い。
でも
決して職員がムリっておもうと
そこから何にも変わらなくなる。
妙な先入観や経験、制度が邪魔をし、可能性に気付かない。
ありがとう。せっちゃん。
幸福って自分自身で作るもので
決して誰かからの押し付けではないってこと
支援の手を差し伸べることも
みんな違っていいこと。
こうやって僕たちは学んでいっている。
支援するって言い方が大げさで、
少し、上から見ているようでおくがましい
気分になる。
人生の先輩方から幅広く、深い
生き方を
私たちに教えてくれている。
また食べに行こうね。次は・・・・
11月1日に近所のお好み焼き屋さんにでかけました。

まずはその店の看板メニューを



絶品


ごちそうさまでした。

2月に病院から退院して、
その頃は車椅子。歩行なんて絶対できず、食事も介助が必要
そんな状況なのに、
「歩いてお好み焼き屋さんに食べに行きたい。」
懸命に本人が取り組み、


歩いて
念願のお好み焼き屋さんに


なかなか目標が叶うことってない
本人のしたいことができるようになるって
施設だといろんな制限ができて
できないことが多い。
でも
決して職員がムリっておもうと
そこから何にも変わらなくなる。
妙な先入観や経験、制度が邪魔をし、可能性に気付かない。
ありがとう。せっちゃん。
幸福って自分自身で作るもので
決して誰かからの押し付けではないってこと
支援の手を差し伸べることも
みんな違っていいこと。
こうやって僕たちは学んでいっている。
支援するって言い方が大げさで、
少し、上から見ているようでおくがましい
気分になる。
人生の先輩方から幅広く、深い
生き方を
私たちに教えてくれている。
また食べに行こうね。次は・・・・

不思議な縁
介護の仕事をし始めたころ、Uさんはまだ70才代だったかと思う。
当時、定員10名の一軒家を改装したデイサービスで働いていた。
こじんまりとしたアットホームな雰囲気で評判の事業所だったように思う。
僕は介護のことは右も左もわからず、唯々利用者さんが喜んでくれることを
自分の喜びのように日々していたように思う。
よく弁当作って外出もしたし、コーヒー飲みに出かけたり、
時には高速飛ばして豊浜まで海水浴にも行ったたことがある。
利用者さんからの要望で結構怪しいレクもしました。
今のデイサービスでは畏れ多くておいそれとはできませんが
もう時効かな(笑)
さてその施設から、社内移動で移動し、転々としているうちに
Uさんとは年賀状のやり取りを除いては疎遠になっていました。
でもUさんが入院し、自宅での生活が難しいとなり、施設を検討することとなり
健やかガーデンココロンに入居し、運命(?)の再開が一昨年あった。
そして保安官が『愛コンシェルココロン』に移動し
またUさんも引越し。
そのときの第一声が忘れられない
『ここで死ねますか?』
そのときは何の気なしに軽い気持ちで『大丈夫ですよ』と答えましたが
先月末にその言葉が急に重みを増した
つい先日Uさんとゆっくり話す機会があり、
『いろんな時代でいろいろあったがその時々で私は満足でした』
『あなたという人に会えたことはよかった』と淡々と話されていた。
人生に後悔もなく、穏やかで、
まるで季節が移ろい冬に向かうように
自然な人生を過ごされたような
諦観の境地を感じた。
最期はわからない。
愛コンシェルココロンの保安官として、慌しく業務をこなしていますが、
一人の介護バカ人間として初心を思い出しながら、
喜んでいただけることをし、関われたらいいと思う。
そして施設の職員さんの力を借りて、満足のいく人生を過ごしてほしい。
介護保険制度は本当にそこで役に立ってくれるかな?
いかん、最後にいらん邪念が浮かんでしまった。
これも妙な経験の長さか???
当時、定員10名の一軒家を改装したデイサービスで働いていた。
こじんまりとしたアットホームな雰囲気で評判の事業所だったように思う。
僕は介護のことは右も左もわからず、唯々利用者さんが喜んでくれることを
自分の喜びのように日々していたように思う。
よく弁当作って外出もしたし、コーヒー飲みに出かけたり、
時には高速飛ばして豊浜まで海水浴にも行ったたことがある。
利用者さんからの要望で結構怪しいレクもしました。
今のデイサービスでは畏れ多くておいそれとはできませんが
もう時効かな(笑)
さてその施設から、社内移動で移動し、転々としているうちに
Uさんとは年賀状のやり取りを除いては疎遠になっていました。
でもUさんが入院し、自宅での生活が難しいとなり、施設を検討することとなり
健やかガーデンココロンに入居し、運命(?)の再開が一昨年あった。
そして保安官が『愛コンシェルココロン』に移動し
またUさんも引越し。
そのときの第一声が忘れられない
『ここで死ねますか?』
そのときは何の気なしに軽い気持ちで『大丈夫ですよ』と答えましたが
先月末にその言葉が急に重みを増した
つい先日Uさんとゆっくり話す機会があり、
『いろんな時代でいろいろあったがその時々で私は満足でした』
『あなたという人に会えたことはよかった』と淡々と話されていた。
人生に後悔もなく、穏やかで、
まるで季節が移ろい冬に向かうように
自然な人生を過ごされたような
諦観の境地を感じた。
最期はわからない。
愛コンシェルココロンの保安官として、慌しく業務をこなしていますが、
一人の介護バカ人間として初心を思い出しながら、
喜んでいただけることをし、関われたらいいと思う。
そして施設の職員さんの力を借りて、満足のいく人生を過ごしてほしい。
介護保険制度は本当にそこで役に立ってくれるかな?
いかん、最後にいらん邪念が浮かんでしまった。
これも妙な経験の長さか???