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2007年01月25日

ふわりふわり/作詞・作曲:松井正道/唄:三叉路

     ♪ 一人で暮らすようになって3年が経ち
       この街にも少し飽きてきた頃
       突然 そう突然君は僕の目の前に
       音もなく現れてしまったんだ

好きな人が出来る時って、確かにあっという間に出来てしまいます。
皆さんも好きな人が出来た時のこと思い出してください。。

・・どうでしょうか

理屈ではなく感覚で人と人は惹きつけあう。
ただし、好きという感情だけでは人と人は結びつかない。
その気持ちを相手に伝えなければ一方通行ですね。

学生時代(高校)きっと憧れた人はいたでしょう。
でもほとんどの人が淡い恋心だったような気がしています。

淡い恋が発展して胸を焦がすような恋になり
告白してもうまくいくとは限りません。

ここなっつ少年もラブレターを書いた事も頂いた事もありましたが
結局うまくいかなかったですね。

まぁ今の時代ラブレター(手紙)はありえない事かも知れませんね。
メールで送信してしまうから。。
もらった方もそれがラブレターだとは気がつかなかったりして(笑)

携帯電話のなかった時代

親の存在がネックでした。
家に電話すれば100%近い確率で親が出ますからね。

---------------------------------

 ♪地元のお祭り 見慣れた顔 
  毎年変わらぬ夜店が並ぶ
  1989年夏、夕暮れの君を見た

  はじめて見る浴衣の君に
  思春期の心は激しく揺れ
  大人びた君の横顔に
  余りにも子供の僕を見た

  ミンミンミンと蝉が鳴く
  夏の始まりを知らせるために
  ミンミンミンと蝉が鳴く
  恋の始まりを知らせるように

  夏休みも終わり9月になり
  日に焼けた君の席は隣
  僕の胸はとめどなく高鳴り
  窓際風に君の髪ゆらり

  部活を終えた帰り道
  君の隣に歩く誰か
  訳も分からず道を変えた
  ただ聴こえてくるのは蝉のうた

  ミンミンミンと蝉が鳴く
  おまえも泣けよと蝉が鳴く
   ミンミンミンと蝉が鳴く
  恋の終わり夏の終わり
       
(1989せみのうた by三叉路)

・・・そのとき少年はショックだったでしょう。
でもそれが、青春なんです。
---------------------------------------------

学校を卒業した少年は夢を追いかけ東京で一人暮らしを始める。
アルバイトをしながら何とか生きてきた。

大きな夢は持っているけれど、今のやり方でいいのかわからなかった。

エアコンがないアパートの部屋は夏が戦いの日々
汗を吸い込んだ蒲団じゃ寝られない

このまま干からびてしまうには湿度がちと高い

濡れタオルで上半身を拭いてから
いかに早く寝るかが鍵だ

いっそのこと外で寝てみようか
それには虫がちと多い

睡眠時間に疲れをためてどうする・・

昼はいいんだ出ているからいいんだ
問題はこの部屋のミッドナイト

ようこそ泊まりに来てくれました
あなたの苦しむ顔がぼくには涼しい

果てしなく続く無駄な努力が愛しい
        (三叉路 ミッドナイトより抜粋)

-----------------------------------------

そんな戦いのある日突然君が現れた。。
そう、とつぜんに・・


      ♪ちょっと待って本当にありえないくらい
       僕の夢の中のヒロインですか?
       ストライクゾーンは広がったけれど
       こんなど真ん中は見逃したくない


この気持ちよくわかります。
男にとって彼女が出来る事は
最高の幸せなのです。。

不謹慎な言い方ですが
女なら誰でも良いなんて思ったこともあったりして(笑)
でも、めぐり合えた人は夢に見た理想の人
気持ちはそぞろです。。


       ♪ふわりふわりと恋に身をまかせ
        君とのお出かけ手に入れた ラララ
        浮かれた僕の下手な鼻歌は
        この安いアパートにはお似合いさ

でも、まだお出かけの約束をしただけですよね。
だから、有頂天になるのはまだ早いのではと思う人もいるでしょう。

しかしそれはちがいますね、
恋の始まりはわくわくして一番楽しい時です。
素直に喜ぶべきだと思います。

もちろんこれだけはしゃいだ反動は
いつかやってくるのかも知れません
それでも良いではありませんか
一度しかない人生ですから〜。

      ♪二つ目の信号を青で渡れたなら
       今日こそいいことあるぞとおまじないかけて
       30度の上り坂なんてなんのその
       僕の自転車はさらに加速して行く
       君の気持ちが夏になる前に
       今のうちに僕だけの人になって
       でないと僕は沈む夕陽に
       砂浜で一人体育座り

       ふわりふわりと風に身をまかせ
       君の家の見える高さまで ラララ
       翼のはえた僕の自転車は
       12年選手のベテランさ

       ふわりふわりと風に身をまかせ
       丘を越えて雲を突き抜けて ラララ 
       ふわりふわりと恋に身をまかせ
       君を乗せてとんでいくよ
       ・・・・・
       ・・・・・

この唄、心に響きましたか〜?
もし響いたとしたら、あなたは今恋をしていますね♪
ここなっつのブログを読んでくれている人たちは
皆さん若いですから・・・・・・・・・(笑)

きっと恋をしているでしょう。
えっと、僕ですか・・
そうですね・・今片思い中です(笑)

 

三叉路は3人組ののグループです。
NHKのオーディション番組「熱唱オンエアバトル」の2代目チャンピオンになり
その優勝曲「コトコト」と「爆笑オンエアバトル」のテーマ曲「もっともっと」で
昨年8月にメジャーデビューしました。
http://www.sansaro.info/
(三叉路公式ホームページ)


彼等の唄は是非生で聴いて欲しい
きっとその魅力に引き込まれていくことでしょう。

代表曲の「君がくれたもの」をはじめとして
「やけに星が見えるから」「コトコト」等数多くのこころに響く名曲を作っている。
インディーズで出されたアルバム「これから」「三叉路」はここなっつ少年の
宝物です。

  
Posted by coconattu at 03:42Comments(22)TrackBack(0)三叉路

2006年09月19日

ZU-TO(ずっと) 作詞/作曲/唄 イチコロ

7月の第2土曜日、赤坂見附にあるジャズ喫茶「橋の下」での「そろいこ」ライブでのこと。

いつもと違って、少しバタバタしている。。
どうも、トップを予定している出演者が遅れているらしい。

やむを得ず2番目の出演者がトップを務めることになった。

唄っている最中にやってきました。
大事そうにギターを抱えて申し訳なさそうな顔をして・・

これがボクがはじめてイチコロさんを見た時です。

まだチューニングもしていないので又表にいって道路上で準備を・・(笑)

そして、2番目に出場しました。
・・「イチコロ」と申します。イチコロという名前の由来は・・今持ってきたこのヘッドウェイのギターの音にイチコロになりまして・・

・・学生時代にYAMAHAポピュラーソングコンテストに北海道で選出されました。自転車のロードレースでは実業団で走っていちおう全日本レベルでした・・

・・最近又歌をうたうようになって、ストリートミュージシャンコンテストで決勝に選出されました。若い人にはまだ負けられません♪・・・

・・住いは多摩の方でして、車で来たので遅くなりました。申し訳ございませんでした。ハハハハハ・・・(笑)

・・後で皆さんと一緒に参加していただく歌もありますので宜しくお願いします。
あっ簡単ですので大丈夫です。ハハハハハハ・・(笑)

こんな調子のMCでとりあえず、楽しい人だなと感じました。

そして何曲か歌った中で歌詞が頭の中に入りこんできた歌がありました

       置手紙(作詞/作曲 イチコロ)

   一人暮らしが長くて 自分にだけ生きてきた 
      心につのる淋しさ  いつも癒してくれた 
      言葉が無くてもわかってる あなたの思いは 
      四つ折のやさしさ  あなたの置手紙 
      今も心に留めて.....

   ・・・・
   ・・・・
   
   あなたがいてくれたから 今の僕があるのは
   四つ折のやさしさ あなたの置手紙
   そっと心にとどめて....
   今も心にとどめて....
   ずっと心にとどめて....

置手紙の内容はどんなだったのでしょうか?
それは人それぞれの感性にお任せいたしましょう。

ただ主人公はその置手紙の行間に隠された言葉を感じ取っていたのでしょう。

いつも一緒だった人がある日突然四つ折の置手紙を残して・・・
心の中にぽっかり空いた大きな穴
そんな
切ない気持ちが痛いほど伝わってきます。

置手紙ではじめて知ったその人の心
自分の事しか考えていなかった僕
君は僕のために生きてくれたのに
僕は自分の為でしか生きられなかった・・

できることならやり直したい
でも君はもういない

ボクにはそんな風に聴こえていました。

そして後日、そんな君への曲「ZU−TO」を聴く事になるのです。

 ♪憧れた青い空と 広い心と愛しい人を
   僕の愛する人よ 決して変わらない恋かも知れない
   
   たそがれに暮れ行く街 足早な人たち
   何故に一人セレナーデ 爪弾く僕がいる

   だけど今はフー

   ずっと忘れられない ひとみが綺麗な君を
   ずっと永遠に変わらない 君へのこの思いは

一人の男が一人の女性を愛し続けることは簡単のようで難しい
のかもしれません。

だからこの詩は美しいのでしょうね。

この主人公はずっと君を待っている。
でも本当は君が帰ってこない事もうすうす感じている。
だから、余計に切なくなりますね。


  ♪春風が吹くこの街 足早な人たち
   何故に一人セレナーデ 爪弾く僕がいる

   だけど今は フー

   ずっと忘れられない ひとみが綺麗な君を
   ずっと永遠に変わらない 君へのこの思いは
   ずっと忘れられない ひとみが綺麗な君を
   ずっと〜〜
   変わらない この思いは

この曲はイチコロさんのHPプロフィールのリンクから試聴できます。
是非イチコロさんの世界を覗いてみてください。
http://1koro.com/profel.html

※この文章はここなっつが楽曲を聴いて勝手に想像したフィクションです。

  
Posted by coconattu at 01:08Comments(23)TrackBack(0)イチコロ

2006年07月22日

君んちの近く/作詞・作曲/eye-kugenuma

原宿に吊り屋根方式の建物で有名な国立代々木競技場があります。
東京オリンピックの時に使用されたオリンピックプールもそこにあります。

中学時代ボクはそこのスイミングクラブに通っていました。
練習場はオリンピックプールの隣にあるサブプール(25m)です。

週に2回くらいでしたが、学校が終わると電車で通いました。
青山通り沿いに地下鉄の駅がありそこからプールまで表参道を
原宿方向に歩いていきます。

今では若者の街でごった返していますが、当時はしっとりした大人の街です。
人通りは少ないのですが、道端には多くの車が駐車していました。

少年はその道を歩くのが大好きでした。そこには当時ではあまり見ることの
出来ない高級外車がならんでいて
特に大きなアメ車は目を引きました。

でも一番多かったのはフォルクスワーゲンです。
カブトムシ(ビートル)という愛称でも知られるドイツの車です。
今日はビートルが何台止まっているかなんて数えながら
表参道を歩きました。

おしゃれなお店もポツン、ポツンとありました。
この街は少年には手が届かない素敵な大人たちが住む美しい
街に思えました。

練習の帰り、代々木競技場の入り口近辺にある広場のベンチに照明が灯り
なんともロマンチックなデートスポットがあるのですが、たまにそこを通ったのを覚えています。

そこにはたくさんのカップルがデートを楽しんでいたようです。
少年にとってその光景はまぶしくてなるべく避けて通っていたと思います。

そこのベンチでどんな会話をしていたかわかりませんが、
それぞれの物語があったのでしょうね。

***

今日のお話はそんな恋人達の一つのお話です。
原宿表参道の様なおしゃれな場所ではないかも知れませんが
若い二人に場所は関係ありません。

 今日も一日一緒に居たのに 
  
どちらとも無く「じゃぁね」がいえない
  君のうちまで後ちょっとの公園で 
  二人の時計が又止まる


こういった経験はきっと皆さんにもあった事でしょう
休日の度にデートをして、あっという間に時間が過ぎてしまい
ついつい帰る時間が遅くなる。

  坂を上ったとこにあるうちの 
  2階の角が君の部屋
  灯かりつくまでもう少し待ってようか
  最後のバスまであと二つ

坂を上がったとこにあるうちは、暖かい家族がいる君の家
そこには少年がまだ入り込めない世界があった。

それでもその家の近くにいたかった。
近くにいてその暖かい家族と同じ空気を共有したかった。

少年は外灯に照らされた公園のベンチに腰をおろした。
その視線の先に丸く小さな砂場がある。
乾いた砂がキラキラして綺麗だと思った。

少年は時間を気にしながら、砂場の向こうに視線を移した。
そこにはバスの停留所がある。
しばらくするとバスが滑り込んできた
しかし少年はそのバスに乗らなかった。


  砂場の向こうを
  僕んち行きのバスが通り過ぎて行く
  もう少しここにいていいよね
  ちょっと 腕の中残ってる重さともう少し…

こんな気持ち分かりますね。
多分腕を組んだだけでしょう。
でも、その重さでなんとも幸せな気分になれるのです。

皆さんも思い出してくださいね。
はじめて腕を組んだ時の事を。
きっと心臓がドキドキしていたでしょう。

  今度逢うこと言い出せず…訊けもせず 
  それでも二人は手を離す
  だから見えなくなるとすぐ逢いたくなる 
  今まで一番..suki..になる

つきあい始めは相手に遠慮があるから
当たり前の言葉でも言えなくなる

「あのー・・」

「はい」

「またー・・・・」

「・・・・・」

こんな会話が続いたのでしょうか?
相手を意識すればするほど話が出来なくなる。
どこまでもシャイな二人だからとても好感が持てます。
応援したくなる(笑)


  ポツリ…バス停街灯に照らされて 
  こっちへおいでと呼んでいる
  ガラリ道路を走ってくるバスは
  遅れない事知っている

  
探し物見つけホッとしたように
  バスがすべり込んでくる


  
もう後は離れて行くだけだね
  だけど 腕の中残ってる重さはもう少し…
  だけど 腕の中残ってる重さはもう少し…

この歌をはじめて聴いたのは去年の12月ジャズ喫茶「橋の下」の「そろいこライヴ」です。
eyeさんの作ったこの歌をそろいこメンバーである一太郎さんのギター1本で
みたあきこさんが唄ったのです。
http://2.csx.jp/users2/eye/20051210_soloiko.html

eye(ァィ)さんの作った歌なのですが、実はこの歌はみたさんの唄で覚えました。
本家の歌はこちらです。聞き比べてみてください。多分随分違う印象があると思います。でも同じものがあります。それはフォークです。二人とも心の中にフォークソングがあるのだと感じました。

***

  ♪誰かに追い越された 
   誰かに追い越された
   人の背中ばかり見てるうちに 
   いくじなしになってないか

   忘れられそうで怖い 
   名前呼ばれなさそうで怖い
   ひとりぼっちの気楽さを捨てて
   コビをうってそうで怖い
   
   夢やぶれ〜 地を這い 流れ落ちても
   懲りもせず また夢をみるだけさ
   だれに頼まれた訳じゃなく
   ただ夢がみたくて 夢がみたくて
       (夢〜見ようよ!/作詞・作曲/eye-kugenuma)

 
 eyeさんのホームページでオリジナルが
 たくさん試聴できます。

  
Posted by coconattu at 22:27Comments(26)TrackBack(0)eye-kugenuma

2006年05月21日

22才の別れ/作詞・作曲/伊勢正三

「さよなら」という言葉から思い浮かべる歌詞は
たくさんあります。

「♪さようなら さようなら 元気でいてね、すきな二人はいつでも逢える」・・
これは都はるみさんの「好きになった人」・・
「♪たとえ別れて暮らしてもお嫁なんかにゃ行かないわ・・」
なんて一途な女性の気持ちを表現した男性作家ならではの歌詞ですね。

「♪さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」・・
これは来生たかおさんの「夢の途中」です。
名セリフなのですが、他人事のようですね。

「♪さよならと書いた手紙テーブルの上に置いたよ」
これは堺正章さんの「さらば恋人」です。
「♪悪いのは僕のほうさ君じゃない」
・・恋人が眠っている間に旅立つのですか?
あの北山修さんの詞なのですが実際は無理ですね。

「♪さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬」
これはオフコースの「さよなら」です。
「♪愛したのはたしかに君だけ そのままの君だけ」
うーん、小田和正さん、別れた後にそう思うのは男だけかも(笑)

「♪弱虫で優しい静かな君を ぼくはとっても好きだった
君はぼくのいいともだちだった さよならぼくのともだち・・」
・・この歌はよく知らない人のほうが多いかも知れません。
森田童子さんの「さよならぼくのともだち」です。
深く考えるとこの歌は唄えなくなる重いうたです。

「♪わかれはいつもついてくる幸せの後ろについてくる」
これは中島みゆきさんの「わかれうた」です。
・・みゆきさんの歌はどれも現実的で
直接胸に刺さってきますね。
男性では書けない凄みがあります。

そろそろ本題に移りましょう。
正やんが一晩で書き上げたというこの歌詞はとても切ないですね。

    ♪あなたにさよならって言えるのは
     今日だけ
     明日になって またあなたの
     あたたかい手に触れたら
     きっと 言えなくなってしまう
     そんな気がして・・・

二人の間に何があったのでしょうか?
この詞から想像できるのは主人公が別れようと決心をしている事。
でもなかなかそれが言い出せないでいる。

         ♪私には鏡に映った
     あなたの姿を見つけられずに
     私の目の前にあった
     幸せにすがりついてしまった

目の前の幸せというのは、やはり結婚でしょうか。
当時はまだお見合い結婚も多く、
親が選んでくれた縁談に応じて嫁いで行く人もいました。

ここにドラマがあります。

はじめて出会ったのは高校2年の夏休み。
あなたはボート場でアルバイトをしていました
私がお客でボートに乗る際、
足を滑らせてビショ濡れになった事覚えていますか?
渇くまで、あなたの中国服みたいなオレンジ色のダボシャツを借りました。
それがきっかけで仲良くなりましたね

唄が好きな彼はいつもギターを抱えて唄っていました。
私にも唄を作ってくれて二人で唄ったりしていました。
でもそんな楽しい日々に終止符を打つ事になるのです。

    ♪私の誕生日に
     22本のローソクをたて
     ひとつひとつがみんな 
     君の人生だねって言って
     17本目からは
     いっしょに火をつけたのが
     きのうのことのように・・・・

時が経てばお互いの環境も変わっていきます。
主人公は短大を卒業して社会人になりました
彼は夢を追いかけて音楽の道を歩んでいきました。

今でこそ結婚したくなった時が結婚適齢期だというように
結婚年齢はバラバラですが、
当時の女性の結婚適齢期は25歳前だったように記憶しています。

当然のことながら、適齢期になった主人公にも縁談が持ち込まれました。
そして出した結論は親の勧めたお見合い相手との結婚です。
ここでなんで主人公は彼を選ばなかったのか疑問でしょう。

その答えはこうです。

    ♪今はただ5年の月日が
     永すぎた春といえるだけです
     あなたの知らないところへ
     嫁いで行く私にとって


女性は本能的に自分の果実が熟す時期を知っている。
そしてその果実が朽ちて落ちる時
受け止められる器を持っている人を選ぶ。

主人公は悲しいことに音楽の未知数の世界を歩む彼より
目の前の安定している生活を選んでしまった。
でもそれはやむを得ない事でしょう。
彼が成功を収めたとしても主人公が幸せになれる保障は
どこにも無いのですから・・

それでも未練は残ります

     ♪ひとつだけこんなわたしの
      わがまま聞いてくれるなら
      あなたは あなたのままで
      変わらずにいて下さい そのままで

夢は共有できなかったけれど、あなたの夢は叶えてほしい
安全な場所に逃げてしまったこんな私だけれど
夢が叶う事願っています。。。

そして、時が過ぎました・・

     ♪今朝 新聞の片隅に
      ポツンと小さく出ていました
      あなたのリサイタルの記事です
      もう一年経ったのですね

      去年も一人で誰にも知れずに
      一番うしろで見てました
      あの唄 もう一度聞きたくて
      私のために作ってくれたと
      今も信じてる あの唄を・・・・・・・
                   (あの唄はもう唄わないのですか/作詞・作曲 伊勢正三)

  
Posted by coconattu at 08:44Comments(41)TrackBack(0)かぐや姫

2006年03月20日

なごり雪/作詞・作曲/伊勢正三

今年の桜の開花は例年より少し早まるそうです。
三寒四温を繰り返しながら気がついたら春ですね。

高校・大学受験の合格発表も一通り終わったようで、中学3年・高校3年、あるいは大学卒業時のこの時期は様々な人生の節目の中でも特別な想い出の日々として残っている方も多いのではないでしょうか。

なごり雪が降る時期もやはりこの期間でしょう。

東京の季節はずれの雪は意外に多く3月に大雪が降る事も珍しくありません。
雪国の方から見れば笑われてしまうかも知れませんが、東京の場合積雪5cmを越えればもうそれは大雪です。(笑)

ところで、なごり雪という言葉は辞書にはありません。
でもどういう意味かは皆さん想像できますよね。

雪の季節が終わったのになごりを惜しむようにまた雪が降りそそぐ。。
それほど一般化したこの造語は辞書に載る日も近いと思います。

       汽車を待つ君の横で
       ぼくは時計を気にしてる
       季節はずれの雪が降ってる

       「東京で見る雪はこれが最後ね」と
       さみしそうに 君がつぶやく

       なごり雪も 降る時を知り
       ふざけすぎた 季節のあとで
       今 春が来て 君はきれいになった
       去年よりずっと きれいになった

二人の間に何があったのでしょうか
というか、二人の間には何もなかったのでしょうか?

きっと何もなかったのでしょう。。
恋人同士でもなかった。

ただ、仲は良かった。
淡い恋の気持ちはなんとなくあったかもしれない。
でもその気持ちは潜在的なものであり顕在化することはなかった。

「東京で見る雪はこれが最後ね」という言葉をつぶやいた「君」という人は
どういう人なのでしょう。

仮に親友の妹としよう。

少女は親友のアパートで共同生活をしながら専門学校へ通う。

まだ幼さが残る可愛い娘だったからすぐに仲良くなった。

ある時少女は何らかの理由で故郷に帰らなければならなくなった。
その日どうしても都合がつかなくて見送れない親友の代わりに駅のホームまで
見送りに行く。。

ココからドラマがはじまる。(笑)

その日は朝から雪が降っていた。
大きな荷物をもってあげて駅のホームにたどり着いた。

いつもなら、冗談ばかりいって笑わせている少年も今日は違っていた。
さみしそうな少女の表情がとても気になっていた。

「東京で見る雪はこれが最後ね。。。」

この瞬間、心が揺れ動いた。
まだ子供だと思っていた少女が大人に見えた瞬間でもあった。

少年と少女との年の差は余り離れていないと思います。
20歳前後の年令の差はとても大きいのです。
ですから少年が22才で少女が19才位かもしれませんね。

「なごり雪」という歌は大ヒットをして、未だに歌い継がれている名曲ですが
特に「東京で見る雪はこれが最後ね」は名セリフです。

ここに少女の気持ちが集約されています。

東京を離れる日見たこの雪はいつまでも大切な想い出です。
あなたに恋をしたのに振り向いてはくれなかった
雪を見るたびにあなたのこと想い出すでしょう。

ボクにはこんな風に聴こえてきます。

       動き始めた汽車の
       窓に顔をつけて
       君は何か言おうとしている

       君のくちびるがさようならと動くことが
       こわくて下を向いてた

       時が行けば 幼い君も
       大人になると 気づかないまま
       今 春がきて 君はきれいになった
       去年よりずっと きれいになった

別れの日に初めて少女の心を知った
そして、少年も恋をしている事に気がついた

しかし、どうすることもできなかった。
ただただ胸が熱くなるばかり、
だからさようならはいえなかった
本当に好きなら「さようなら」は言えないと思います。

       君が去ったホームに残り
       落ちては溶ける 雪を見ていた

       今 春がきて 君はきれいになった

       去年よりずっと きれいになった
       去年よりずっと きれいになった
       去年よりずっと きれいになった

駅のホームで呆然とたたずんだ少年はこのあとどうしたのでしょうか?

ボクなら、追いかけて逢いに行く事でしょう。

そんな時代もありました(笑)

  
Posted by coconattu at 01:17Comments(41)TrackBack(0)かぐや姫

2006年02月13日

ほんとうの気持ち/作詞・作曲・唄/みたあきこ

今年初めての更新です

もう忘れられて皆さん見に来てくれていないと思っています。
まあしょうがないでしょう。。
また、こつこつやるしかありませんね(笑)

応援している「YOKO」さんを聴きに赤坂見附「橋の下」へ何回か行きました。「そろいこ」という名前のライブです。
そこで出演者皆からマスコットみたいに大切にされている一人のレディシンガーというより、ガールシンガーといった方が似合いそうな人(笑)「みたあきこ」さんを知りました。

最近の女性には珍しく?(笑) 少女の初々しさを持ち続けるとても心のきれいな人です。
(作品から受ける印象ですが、きっとそのままでしょう♪・・)

一番初めに聴いた曲が「橋の下で」と言う曲。。

      ♪橋の下で あなたと出会い 恋をして今ここにいる
       忘れないよ 出会った奇跡 愛を両手に今も唄う
                     (みたあきこ 作詞/作曲)


一応説明しておきますが、「橋の下」はジャズ喫茶ですから、本当の橋の下を想像しないでくださいね(笑)

いつの時代でも「恋」と言う言葉の響きは人の心を動かします。

赤坂見附の駅から5分とかからないところに「橋の下」はあります。
アロマの香りが壁全体に沁みこんでいるような歴史のあるジャズ喫茶。

狭く直角に曲がった階段を下りると、縦長に続いた座席が見えてきます。
奥の少し広まる手前の角の席にあなたは座っていました。

紹介されて、まるで少年みたいに照れたようなしぐさで、そらしてしまったその瞳には優しさが見え隠れしていました。

マスターが淹れてくれた珈琲を大切そうにゆっくり飲みながら話をしましたね。
そこにはゆるやかで、ゆったりとした時間が流れていました。

でも少女が恋をするのに時間は必要なかったようです。
・・そう、一目逢ったその日から(笑)

そんな気分にしてくれるのが「橋の下」

でも恋は成就しないほうが美しい。

たくさんの人々が琥珀色の想い出を「橋の下」に残した事でしょう。

      
       ♪あれから ちょうど一週間ね
        変わらずお元気ですか?
        今日も何もなかったように
        東の空が染まってゆきます
        信じることできなくなって
        泣いて 泣いて 困らせたね

        今は不思議なくらい
        穏やかな気持ちでいます

        だけど今日もあなたが 
        駅のホームにいるような気がして
        また二両目を選んでしまった
        すこしだけ ほんのすこしだけ
        期待してる
        何もなかったようにあなたが 
        この手をひいてくれるのを・・・


時間と言う空間は傷ついた人の心を癒してくれる。
でも泣いた時間も大切な時間ですね
泣きたい時に泣ける人は、立ち直る術(すべ)を本能的に知っているのです。

だから女性は立ち直りが早いのかもしれません。(笑)

通勤電車で同じ時間に同じ車両に乗ることは良くあります。
若い人々にとって「今日もあの人に逢えてときめいた」なんて事は
駅のホームのどこかで、毎日のように繰り返している事でしょう。

・・いつもの時間のいつもの車両。。
少年はあの人が来る事を期待している。
そして今日も名前も知らない素敵なあの女性が現れました。

いつも遠くから眺めるだけでとても幸せな気分になれました。
ただその日だけはいつもと違いました。
満員の車両で偶然隣同士になったあの人が
少年の靴を「コツンコツン」とつついてきたのです。

それはどういう意味なのか少年には判断がつきません。
動悸がして胸が張り裂けそうになりました。

少年には彼女の目を見る勇気はありません。
ただずっと俯(うつむ)いたまま時間が過ぎて行き、
そして何も出来ないままあの人は下車してしまいました。

それからあの人が二度と同じ車両に現れることはなかったのです。

・・ちょっと歌詞とストーリーが違うかも知れません。
でもこれはここなっつ少年の実話だったりして・・・(笑)

・・話を少女の物語に戻しましょう。。
・・そう、少女は失恋してしまったのでしたね。。


       ♪あなたのことを忘れたいと
        毎日誰かに逢って
        慣れないこともしちゃいました。
        でもどんなに騒いでみても
        眩暈(めまい)の身体が苦しいだけで
        寂しくて からまわりね

        今は気付かずにいた
        みんなの優しさがあたたかいです

        傷つけ合って別れたはずなのに
        どの写真を切り取っても
        四角い空の中には
        変わらない 何も変わらない
        大好きだった
        気持ちだけが くりかえしてる
        色褪せるには まだ早い


慣れない事ってどんな事なのでしょう?
飲めないのに無理してお酒を飲んだりですか?

心が痛いときは、何をしていても収まる事はない
・・そんな経験はきっと皆さんにもあったことでしょう。

ボクにもたくさんありましたよ(笑)

でも又新しく恋をしたとき、その痛みは微妙に変化していくものなのです。
そして、知らないうちに消えていく。もちろん時間はかかっていますよ(笑)

少女が恋をした人は、どんな彼なのでしょう?
世の中の事をよく知っている大人の香りがしてくるような彼。

少女にとって未知の世界がそこにはあった。

その世界を教えてくれるはずの彼はもういない
本当はすっぱくて美味しくないのに
美味しそうに見える檸檬を彼は持っていた。

少女はその檸檬の味を知りたかった
でもその檸檬はもうここにはない
どんなに欲しがっても手に入れることが出来なかった。

いつか檸檬の味を知ったとき・・
初めて彼のほんとうの気持ちを知る事になる。

傷つけ合って別れたのではなく、傷つかなければ理解できない事もある。

青春時代は傷ついてばかり。。
そうやって、大人になっていくのかな。。

少女がこの詩を書いたときこの物語はすでに終わっていたと思います。


       ♪今は不思議なくらい
        穏やかな気持ちでいます

        だけど今日もあなたが
        駅のホームにいるような気がして
        また二両目を選んでしまった
        すこしだけ ほんのすこしだけ
        期待してる
        何もなかったようにあなたが
        この手をひいてくれるのを・・・

        何もなかったように今日も
        この手をひいてくれるのを・・・
                     
二両目のホームで・・・


そして新しい恋の予感がしていたはずです。

そんな事を思いながら今「みたあきこ」さんのCDを聴いています


↓みたあきこさんのHPです。



ここから入ってMENUのDiscographyをクリックしてください。
作品がたくさん試聴できますよ。

  
Posted by coconattu at 21:15Comments(20)TrackBack(0)みたあきこ

2005年12月30日

遠望 作詞/ここなっつ 作曲/まるでばらん

最初にこの曲を作った人を紹介しなければこの物語は終わらない。

「まるでばらん」という面白い名前を知ったのは去年の秋のことです。
ボクが贔屓にしている「いつでも青春音楽館」の掲示板に「その時頻繁にそこの掲示板に投稿されていた方とHNがそっくり」という話題で現れました。

読んでいただいている一部の方達はもうお判りだと思いますが「まる・・」と「アル・・」の1字違いでひらがなとカタカナの違いでした。

リンクが貼ってあったので訪れてみると、まだ作りたてで、寂しく殺風景なHPがそこにありました。でも一つだけ他ではめったに見る事のない、曲とそれにあわせたスライド画像がUPされていました。

「冬の雨の追憶」・・何ともいえない寂しく心の奥に響く曲と画像。
それに引き込まれていく自分がいました。

「この人才能あるよ。。」

一向に更新されないHPだけれど、ちょくちょくチェックするようになりました。
ある日誰も訪れていなかったそこの掲示板に「アル・・」さんが訪れました。

その日を境に少しずつ掲示板に投稿者が現れだしました。
今ではボクにとって大切なお友達になったMさんやJさんが投稿してきました。
いつの日かボクも投稿するようになり、寂しかった「まるでばらん空間」もにぎわうようになったのです。

そして12月に2曲目がUPされて、続いて3曲目が1月にUPされました。

「遠望」です。

この曲は「まるさん」が吉田拓郎好きのMさんに贈った曲です。
曲調が似ているという事なのでボクも楽しみにしていました。

吉田拓郎さんの初期の作品に「静」という唄があるのですが、その唄を好きだと言った「まるでばらん」さんにも共感を持ちました。

それまでは曲とスライド画像だけだったのですが、それに詞を付けてみました。やはり「音楽館」から訪れたPさんがこの曲からイメージされる物語を投稿されたのでそのイメージに合わせて作ったのです。

      ♪この尾根を越えたなら
       懐かしい俺のふるさと
       おふくろよ 元気でいるか
       心配しているだろうな

       あの時家を飛び出てから
       ずいぶん時が過ぎてしまった
       今はまだ帰る時じゃない
       もう少し頑張ってみるよ

       遠くに望む我が家に  
       夢のかけらをダブらせる

「家出」と言うのは今は余りないのだろうか?

ボクは東京生まれの東京育ちなので、都会に憧れるということはなかったのですが、一人暮らしをどうしてもしたかった。ましてや、地方に暮らしている人々にとって、一度は都会暮らしをしてみたいと思うのは自然の事だと思います。

父親に勘当されるというのも今はきっと少ないでしょうね。
がんこ親父は何処に言ったのでしょうか?(笑)

少年はどうしても家を出たかった。家を出てどうするかは決めていなかった。
ただ無性に一人暮らしがしたかった。
少年にとってその空間は夢の実現の第一歩に思えた。

父親の”一人で暮らしていける程世の中は甘くない”という言葉に反発して家を出る決心をした。

別に勘当された訳ではないけれど、一人暮らしを始めて夢を掴むまでは家に戻らない決心をした。ただ、心配性の母親を思うと心が渇いた。

少年の夢は絵描きになる事。。

それは無謀ともいえる大きな賭けだった。
アルバイトをしながら、夜はデッサンの学校へ通う日々が続いた。
毎日が楽しかった、でもいつも心のどこかで迷っていた。
自分の才能を信じる事が自分で出来なかった。

挫折を味わった少年は故郷を思った。
でもこのままでは帰れない・・帰ることは出来ない・・

季節は巡り一人暮らしを始めて何回目になるだろうか?
また春がそこまでやってきた。
少年はいつものように朝目を覚ました。
でも去年と違う風景がそこにあった。

少年の才能を信じてくれる彼女ができたのだ。
挫けそうだった少年の心に春が訪れたのだ。

      ♪春の萌し(きざし)の中で
       木漏れ日が揺れている
       風に伝えておこう
       俺は元気でいると

       都会の暮らしが無駄ではなかったと
       きっと言える日が来るまで
       今は帰る事はできない
       もう少し頑張ってみるよ

       風の便り届けて・・

・・このあと、少年がどういった人生を歩むのかは皆さん各自想像してくださいね。

そんなことがあって、まるでばらんさんの曲に皆で詞を付けるようになりました。
このあと「梅雨晴れの日記」「蝉しぐれ」「ひまわりの花」とUPが続きました。

しかしJさんに贈った「平原の風」を最後に更新は終わってしまいました。
そして掲示板も閉鎖され、曲の紹介だけが残りました。
HPにこのまま自然淘汰になるような事が書いてありましたが、まるでばらんさんの曲はすでに一人歩きしています。

才能ある「まるでばらん」さんの復活を望んでいるのは決してボクだけではないと思っています。

「まるでばらん空間」↓
http://homepage3.nifty.com/marudebaran/

  
Posted by coconattu at 14:56Comments(27)TrackBack(0)その他

2005年11月10日

おやじの唄/作詞・作曲・歌/吉田拓郎

今ブログが書けない。現実の世界から夢の世界へなかなか入っていけない(笑)

自分は良く内省をする。
自分が死んだら子供達に何か残せるものはあるのか?
たぶん何もない。。
それで良いのか悪いのか?

そして自分が分からなくなる。

     何かがほしいオイラ それが何だか分からない
     だけど何かが足りないよ 今の自分もおかしいよ
                    (人間なんて/吉田拓郎)

そんな事を考えながら、ボクの親父の人生を思った。

    ♪おやじがすべてだとは言いませんよ
     僕一人でやった事だってたくさんありましたよ
     一つだけ言って見たいのは
     おやじが人を疑う事を教えてくれた事
     おやじは悲しいくらいに強い人でしたよ

     ・・・・
     ・・・・
     一つだけ言って見たいのは
     おやじが人を裏切る事を教えてくれた事
     おやじは泣きたい位にひどい人でしたよ


この唄は吉田拓郎さんのお父さんが亡くなって間もないときに、ラジオで聞いた。
この事は、皆さん印象に残っていたらしく、拓郎系のHPで書いてあるのをよく見かける。
ボクも例外ではなかった。

ただ、歌詞を聞きながら初めに思ったのは、こんなに親父を悪く言って良いものなのか?
でも最後まで聞いて見るとそうでもなかった。

    ♪おやじが全てだなんていいませんよ
     僕一人でやった事だってたくさんありましたよ
     一つだけ言ってみたいのは
     おやじが人を愛する事を教えてくれた事
     おやじは惨めなくらいにひとりぼっちでしたよ

     ・・・・
     ・・・・
     一つだけ言って見たいのは
     おやじが生きると云う事を教えてくれた事
     おやじはやるせないくらいに 精一杯でした

そういえばボクの親父も精一杯の人生だったなと思う。
自営業だったので学校から帰ってくるといつも黙々と仕事をしている親父がいた。
でも人を疑う事や裏切る事はしたことがなかった気がするし、一人ぼっちでもなかった。

親父は昭和30年に国民体育大会弓道一般の部で個人優勝をした。
東京都代表で出た団体戦も優勝してダブル受賞でした。60メートルも先にある的を射抜く競技なのですが、ボクはよく知らないのです。
親父の輝いていた時代の話もほとんど聞くことはなかった。

子育て中、親父は弓道を封印してしまっていた。
改めて親父の弓道場通いが始まったのは晩年になってからでした。
だからボクの若い頃は親父が弓道をしている姿を見る事はなかった。

ある日息子二人を連れて親父の通う弓道場へ初めて見学に入った。
そこにはいつもと違う親父がいた。そこには親父の青春があった。
そして皆から先生と呼ばれる親父がまぶしかった。

80歳とは思えない生き生きとした姿は、職人気質で寡黙な親父の意外な側面だった。
カシャーンと言う音と共に矢が弓から放たれていく。
そのフォームはさすがに枯れていて美しかった。でもなかなか当たらない。

ボクは胸が熱くなった。親父頑張れ!と心の中で叫んだ。
けれど最後まで当たる事はなかった。

それから3年後親父は亡くなった。
・・・・・・・

今思えば、親父とじっくり話をした事はなかった。
親父の住む世界もとうとう知る事はなかった。
親父の葬儀の時、親父の住む世界の人々が
ぞくぞくと弔問に駆けつけてくれた。
それがボクに残してくれた一番の財産だったのかもしれない。

    ♪おやじが全てだなんていいませんよ
     僕ひとりでやったことだってたくさんありましたよ
     一つだけ言ってみたいのは
     おやじがいつもの口ぐせ通りに
     生き抜いて見せた事
     おやじは誰にも見られずに死んでゆきました

     おやじが全てだなんて言いませんよ
     だけどおやじもやっぱり人間でしたよ
     死んでやっと僕の胸を熱くさせましたよ
     死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ

親父の生き方はとても不器用だったけれど、弓道という宝物をみつけた。。
そしてそれを最後まで持ち続けることが出来た幸せな人生だった。

ボクには親父のようなでっかい宝物はみつからなかったけれど
小さな夢は今でもよく見ていますね。それも人生(笑)

  
Posted by coconattu at 22:12Comments(50)TrackBack(0)吉田拓郎

2005年09月24日

自由への長い旅/作詞・作曲・歌/岡林信康

      ♪いつのまにか私が 
       私でないような
       枯葉が風に舞うように 
       小船が漂うように
       私がもういちど 
       私になるために
       育ててくれた世界に 
       別れを告げて旅立つ 
       信じたい為に疑いつづける

       自由への長い旅をひとり
       自由への長い旅を今日も

この歌は1970年、前年蒸発していた岡林信康さんが復帰後リリースしたセカンドアルバム「見る前に跳べ」に収録されています。

初期のフォークを語る人々にとって、岡林信康さんは無視できない存在です。1968年頃受験生ブルースで高石友也さんが注目されていた同時期に岡林さんが彗星のごとく現れます。フォークギター一本で歌う「くそくらえ節」「がいこつの唄」は強烈な社会風刺の曲として、フォーク好きな一部の若者の間に浸透していきます。

その年の秋、山谷ブルース・友よが発売されます。この唄で70年安保闘争を建前とした学生運動家のヒーローに奉られていきます。翌年1969年にリリースされたファーストアルバム「私を断罪せよ」の中には「手紙」や「チューリップのアップリケ」という部落差別を扱った唄もありました。

ボクも「友よ」で岡林さんを知りました。うろ覚えですが、ちょうど岡林さんが自分の作った唄が学生運動家のシンボルになって行く事に耐えられなくなって(多分) 蒸発した頃だと思います。

この時期に、マイク・真木さんから始まった森山良子さん、フォーセインツ、モダンフォークフェローズ、ブロードサイドフォー等、カレッジフォーク系に対し、関西フォークが席捲するようになる。岡林さんのほかに五つの赤い風船、デビュー当時の高田渡さん(後に東京へ)が代表格でした。情報源は深夜ラジオと新譜ジャーナルでした。とにかく新鮮で魅力的な唄が溢れていました。

岡林さんが復活した時フォークギターがエレキに変わっていました。バックバンドは何と皆さんご存知の「はっぴーえんど」です。メンバーは松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん、大瀧詠一さんです。皆さん非凡な才能の持ち主であることは、知っていますね。

牧師の息子として育った岡林さんは同志社大学神学部に入りながら、その年の夏「山谷」にドロップアウトしてしまいます。この時から彼の内省がはじまります。常に自分が作り出す唄に対し、現実とのギャップに苦しみます。特に「友よ」が、左翼デモのテーマ曲やシンボルになってしまう事への重圧に押しつぶされてしまった時期もあったようです。

そういった時期に作った唄が「自由への長い旅」 だと推測します。

♪いつのまにか私が私でないような・・・

この一言に岡林さんの苦悩が表れています。性格的に真面目だからこそ余計苦しんだのでしょうか?そして何に苦しんだのでしょうか?

それは、自分の作った唄に自信が持てなくなったのだと思います。

      ♪友よ 夜明け前の闇の中で
       友よ 闘いの炎を燃やせ
       夜明けは近い
       夜明けは近い
       友よ この闇の向こうには
       友よ 輝く明日がある

爆発的な支持を受けて一人歩きして行くこの唄を、ある時から歌わなくなります。

1971年7月28日の日比谷野外音楽堂で「狂い咲きコンサート」がありました。少年はこの日、岡林さんを見に出かけます。どんな風に聴いていたのかは、全く思い出せないのですが、今でも覚えている事がひとつだけあります。

今まで持っていたエレキギターをフォークギターに持ち替えて、静かに歌い始めました。確かナンセンスとかいいながら、「友よ〜夜明けまえの〜・・」と歌い始めました。今までに聴いたことの無い歌い方で、ゆっくりとそしてしっとりと歌ったのです。封印したはずの「友よ」でした。

少年は胸が一杯になりました。。

特に「友よ」に思い入れがあったわけではなかったのですが、岡林さんの苦悩が伝わっていたのかもしれません。

岡林信康さんは、この後すぐにサードアルバム「俺等いちぬけた」をリリースした後、都会を捨て5年間田舎に引き込んでしまう。

そして再び現れた時には、「演歌を歌う岡林信康」に変貌していました。

その頃の少年はすでにフォークを聴かない青年になっていたので、特に気にする事も無く時が過ぎていきました。それから20年近く時が経った頃、岡林信康さんのコンサートがあるというので、観にいきました。

そこには、またしても変貌している岡林さんがいました。エンヤトットのリズムと共に、純粋に音楽を楽しむ素敵な岡林さんがいました。

       ♪この道がどこを
       通るのか知らない
       知っているのはたどり着く
        ところがあることだけ
       そこが何処になるのか
       そこで何があるのか
       分からないまま一人で
       別れを告げて旅立つ
       信じたい為に疑い続ける
       自由への長い旅をひとり
       自由への長い旅を今日も

  
Posted by coconattu at 21:34Comments(96)TrackBack(0)岡林信康

2005年09月02日

神田川/作詞 喜多条 忠/作曲 南こうせつ/歌 南こうせつとかぐや姫

         ♪貴方はもう忘れたかしら

・・・おぼえているさ。

          赤い手ぬぐいマフラーにして

・・・そうだったね、厳密に言うと赤いタオルだったけれど、良く首に巻いていたよね。

          二人で行った横丁の風呂屋

・・・冬の寒い日、靴下をはかないでサンダル履きで出かけると、足先が切れるように冷たくなった。風呂屋の近くに貸し本屋があって良く寄り道をしたよね。

          一緒に出ようねと言ったのに
          いつも私が待たされた
          洗い髪が芯まで冷えて
          小さな石鹸カタカタ鳴った

・・・そんな事があったんだね、君が待っていたなんて知らなかった。。。

          貴方は私の身体を抱いて
          冷たいねって言ったのよ

・・・そんな夢の日々はもう帰ってこないんだね。

          若かったあの頃
          何も怖くなかった
          ただ貴方のやさしさが
          怖かった

・・・あの頃は自分のことしか見えなかった。だから君がそんな風に思っていたなん知らなかった。

この歌の二人は同棲していたのでしょうか?

当時同棲という言葉は、どこか暗く後ろめたいイメージがあった。でも実際は毎日が楽しく、思えば一番自由で青春を感じていた時だったのかも知れない。

今この文章を読んでいるそこのあなた・・経験ありませんか (笑)

同棲して結婚したり別れたり、色々でしょう。幸せだけれどどこかで不安がよぎる。不安定の中の安定にしがみついて、いつか来るであろう転機を気にしている。
若い二人には夢がある。でもその夢は必ずしも同じ方向を向いているとは限らない。。

          ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
          君は部屋を飛び出した 真冬の空の下に
                       (サボテンの花/歌 チューリップ)

ある日少女は二人の夢が同じ方向を向いていない事に気がつく。その時から心変わりが始まる。ほんの小さな出来事はきっかけであり、愛はすでに傷ついていた。

早熟の女性に対し男性は晩成型と言えるかも知れない。少女は少年がゆっくりだけれど確実に成長し続けている事を知らなかった。

少年は絵を描くのが好きだった。しかし、油絵は描いたことがなかった。

少年は少女の誕生日に油絵セットをプレゼントした。しかし少女は絵は描かないし、まして油絵は描いた事がなかっので文句を言われた。少年は自分が欲しい物は相手も欲しいと思っていたのかもしれない。

結局その油絵セットは一度も使う事はなかった。

ある夏の日、少年の二十歳の誕生日祝いに来てくれるはずのその少女が高熱を出して自宅で寝込んでしまっていた。アパートで一人暮らしを始めたばかりの少年はアルバイト先から真っ暗な部屋に帰ってきて一人、病気の少女を心配しました。

高熱が冷めたのと一緒に恋の熱も冷めてしまったのか、それ以来少女は少年の部屋を訪れることが少なくなりました。そして同い年の二人は別れることに。。。ちょうど出逢ってから一年目の記念日でした。

・・少年が初めて知った苦い恋の味。。。

          貴方はもう捨てたのかしら
          二十四色のクレパス買って
          貴方が書いた私の似顔絵
          うまく描いてねって言ったのに
          いつもちっとも似てないの

          窓の下には神田川
          三畳一間の小さな下宿
          貴方は私の指先見つめ
          悲しいかいって聞いたのよ

          若かったあの頃
          何も怖くなかった
          ただ貴方のやさしさが
          怖かった

1973年にリアルタイムでこの歌と出合った。
この歌と共に思い出すのはあの時の大粒の涙。
それは甘くて切ない青春の蹉跌(さてつ)と言えるでしょう。

  
Posted by coconattu at 03:18Comments(73)TrackBack(0)かぐや姫

2005年08月12日

ホワン・ポウエルの街 作詞/及川恒平 作曲/四角佳子 歌/六文銭

大学受験を予定通り失敗し(笑)、予備校にも行かず宅浪(たくろう)となったボクは男友達と二人で京都へ旅に出る事を決めました。自宅浪人、略して”宅浪”・・なんて便利な言葉なのでしょう。今思えばアレは現実からの逃避旅行だったのでしょう。

旅行といっても京都で住み込みのアルバイトをしながら3ヶ月くらいは滞在するつもりでした。うろ覚えですが、以前自分が修学旅行で行った事のある旅館へ前もって電話をして、面接の了解を取っていたと思う。今思えば乱暴な行動で、そこへ行けば間違いなく採用されると信じて疑わなかった訳です。

髪の毛は長く、それこそ肩まで届きそうだったし、片手にはギターケースを持って現れたとき、そこの旅館の支配人は一瞬驚いたような顔をしていました。別室に通され、簡単に履歴書を書かされました。といっても学歴だけですが(笑)ただ、ボクの高校が一応名門校であり、長い事そこの旅館に修学旅行でお世話になっていたので、信用されたのでしょう。。これも随分乱暴な考えではありますが(笑)

ともかく、高校を卒業したばかりの少年とも青年ともどっちつかずの二人を支配人は預かってくれました。京都大学から近くて、由緒ある聖護院門跡(京都御所炎上の際に光格天皇の仮皇居になる)の境内の一郭を一般に開放した風雅な旅館でした。

           ♪あなたは しばらく
            窓の外を 見ていた
            遥か遥か 南の街で・・・・・

初めての給料で、当時発売されたばかりの六文銭のLP「キングサーモンのいる島」を買った。

六文銭と言えば「雨が空から降れば」や「面影橋から」が有名で小室等さんが率いるグループです。及川恒平さんが歌う雅びな世界は、当時「結婚しようよ」の爆発的なヒットでメジャーになっていく吉田拓郎さんに対し、どうしようもなく反比例して熱から冷めていくボクにさわやかな風を運んでくれました。(誤解して欲しくないのですが拓郎さんを嫌いになったわけではなく、普通に好きになったという事。。)

メンバーの四角佳子さんが歌う「ホワンポウエルの街」は何とも可憐で少年を夢の世界へ連れて行ってくれました。森村桂さんの旅行記「天国に一番近い島」はニューカレドニアの話ですがここは何処なのだろう。。

            わたしは きっと
            人波の中を 歩いている
            遥か遥か 南の街で・・・・・
            暖かい雨が降るという
            ホワンポウエルの街で
            あなたは深く 息をついた

少年は仕事の合い間、近くの図書館に通っていた。本を広げた時のインクの匂いが心地よい。そして目を瞑(つむ)り物思いにふけった。そして夢の世界へ・・

気が付くと、そこは真っ白いペンキで塗られた小さなコーヒー屋さんだった。

窓の外は雨が降っていた、そこへウェートレスがやってきて「ご注文は?」と聞かれたので、アイスコーヒーと答えたら少し戸惑った顔をして「はい、コールコーヒーやね」と聞き返してきたので、「そ、そうです、お願いします」と答えた。

少年はコーヒーがとても好きだった。冷たく琥珀色に光る透明な液体にクリームを少量注ぐと、白と黒の絵の具がパレットの上で混ざるように溶け合っていく。その過程を楽しみながら褐色に変わった液体をストローで少しずつ吸い上げる。

「お客はん、何処からきはった?」おでこが広いさっきのウエートレスが尋ねてきた。「と、東京です」照れ屋の少年は少しはにかんだ。

「よくここまでたどり着きはりました。」「ここはホワンポウエルよ」

・・・そうかここがホワンポウエルなんだ。。少年は目を上げた、するとそこには、あの時少年が胸を焦がした旅館の近くのコーヒー屋さんの女性がいた。※コーヒー・ブルース(珈琲不演唱)参照

「お久しぶり、あの時の方やね」

「えっ、そ、そそうです」

「実はあの時。。。。。。あなたのこと。。。す、す、す。。」

・・目をさますとそこは図書館で、目の前にはインクの匂いが残っている真新しい参考書があった。こんな事ばかり考えていたから翌年大学受験をあきらめたのは言うまでもありません(笑)

            あなたは やがて
            本の上に 目を落とす
            遥か遥か 南の街で・・・・・
            私は きっと
            人波の中を 歩いてる
            遥か遥か 南の街で・・・・・
            暖かい雨が降るという
            ホワンポウエルの街で
            あなたは深く 息をついた

アルバム「キングサーモンのいる島」は1972年4月に六文銭が唯一スタジオ録音をして発表した貴重なアルバムです。メンバーは小室等さん、及川恒平さん、四角佳子さん、原茂さん、橋本良一さんです。現在「まるで六文銭のように」というグループ名で小室さん、及川さん、四角さんの3人で復活して活動されています
及川恒平さん本人のホームページはこちらです(歌のはなしにホワンポウエルの話が載っていますので是非ご覧下さい)
http://www.asahi-net.or.jp/~rr5k-oikw/

  
Posted by coconattu at 07:11Comments(38)TrackBack(0)六文銭

2005年08月02日

遠い世界に/作詞・作曲 西岡たかし/歌 五つの赤い風船

    ♪遠い世界に旅に出ようか
     それとも赤い風船にのって
     雲の上を歩いてみようか
     太陽の光で虹を作った
     お空の風をもらって帰って
     暗い霧を吹き飛ばしたい
 
この歌を初めて聴いたのは1969年の高校1年の春の事だと思います。実はこの頃の記憶はほとんどないと言って良いのかも知れません。それくらいかすかな記憶なのですが、同級生の女性に連れられて渋谷公会堂へ行ったような気がします。
 
こんな大事な事を忘れるなんて不思議なのですが、どうも夢で見たのと混同しているところも有るようなのですが、とにかくアマチュアのフォークグループがたくさん出演していました。特にピーターポール&マリーのコピーグループの歌にときめいたのを覚えています。そして最後に「遠い世界に」を全員で歌った。。その時、五つの赤い風船が出演したのかどうかが、定かでないのです。
 
いずれにせよ、その時初めて聴いたのは間違いありません。それから高校3年までの3年間、歌いまくりましたね。きっと今までに1000回近く歌っているかもしれません。
 
それがどうしたって?・・スイマセン少し自慢が入っていました(笑)
 
この曲はスタジオ録音バージョンとコンサートバージョンではテンポがずいぶん違いました。前者はアップテンポのハーモニー重視で軽快な音楽と言う感じ、後者はメッセージをみんなで共有し合おうという空気が伝わってきて、シングアウト用にアレンジしていましたね。
 
テンポはゆっくりとタンタンタンタタッタタタタタタタと言うリズムで、全部歌に先行して歌詞が入る。これにも音程があって一つの曲になっている。これでみんなが歌いやすくなり、シングアウトの定番となりました。
 
ボクもこれにはハマリました。ギター少年だったボクには歌のリードを取るのはなんともいえない快感でしたので、色々な機会でみんなと歌うときは必ずリードをとりました。(笑)
 
       僕らの住んでるこの街にも
      明るい太陽顔を見せても
      心の中はいつも悲しい
      力を合わせて生きることさえ
      今ではみんな忘れてしまった
      だけど僕たち 若者がいる 
 
藤原秀子さんが主旋律を担当し、西岡たかしさんが高音部のハーモニーをとっていました。声の質が似ているので、どちらの声かわからない時もある。とくに「血まみれの鳩」なんかが、そうですね。
 
とにかくハーモニーがすばらしい。「まるで洪水のように」や「まぼろしの翼と共に」もきれいなハーモニーです。二人の声が溶けていると表現したほうが良いかもしれない。
 
使っている楽器もギターのほかにオートハープ・ビブラフォン・リコーダーと多岐にわたります。あの幻想的な音は実際聴いて見なければ、わからないでしょうね。「遠い世界に」はポピュラーになりましたが、意外に「五つの赤い風船」の他の曲を知らない方って多いと思います。。。
 
・・少年は目を瞑った。そしてうとうとして眠り込んでしまった。。
 
(さぁ、、また始まりましたよ今度はどんな夢みるでしょう(笑))
 
どのくらい経ったのだろうか、気がついたらそこは浜辺だった。真っ白な砂浜、キラキラ光る透明な海、そして何処からとなく歌が聞こえてきた。。。
 
      ♪遠い海の彼方に 小さく青い島が浮かぶ
       私はいつも島を眺め この浜辺で夢をみる
       
少年はまだ夢の中だった・・・
 
       あの青い島にきっと 白い家があるだろう
       カモメやイルカが集まる 僕はみんなと暮らすんだ
       
       ・・・・
       ・・・・
       
       遠い海の彼方に 大きく黒い波がつづく
       私はいつも海を眺め この浜辺で夢を見る
       いやな夢、あの国では戦争が・・・
       人々が子供達が泣き 幸せどこにあるのだろう
 
       遠い空の彼方に ぽっかり白い雲が浮かぶ
       
       ・・・・
 
                 (遠い空の彼方に / 作詞・作曲 西岡たかし)
 
あの白い雲にはきっと幸せの神がいるのだろうと思っていた。
少年はひざまずいてみんなの幸せを祈った。。。。
 
藤原秀子さんの声とビブラフォンの幻想的な音は夢の世界へ誘ってくれます。
そして、平和を祈らずにはいられなくなります。
「遠い世界に」の影に隠れていましたが、この曲も名曲でした。
 
少年は目を覚まします。そしてまた歌いはじめました。
さぁ みんなでシングアウトですよ。
 
       雲に隠れた小さな星は
       これが日本だ小さな国だ  
       若い力を体に感じて
       みんなで歩こう長い道だが
       一つの道を力のかぎり
       明日の世界を探しに行こう
 
 
追記
2作目のアルバム「おとぎばなし」迄のメンバーは、西岡たかしさん、藤原秀子さん、中川砂人(イサト)さん、長野隆さんです。その後イサトさんが抜けて、東祥高さんが加入しました。結成当時は中学生の有山淳司さんの他、喜田年亮さんがいたようですが、詳細は分かりません。
 
MUSIC.JPというサイトで色々視聴できます。
  
Posted by coconattu at 23:42Comments(28)TrackBack(0)五つの赤い風船

2005年07月18日

傘がない/作詞・作曲・歌 井上陽水

    ♪都会では自殺する若者が増えている
     今朝来た新聞の片隅に書いていた
     だけどもきょうの雨 傘がない
 
「高田渡さんを送る会」で久しぶりに井上陽水さんを生で聴いた、声量が凄かったし、迫力があって参加者は皆、息を呑んだと思う。そして心の中で思ったに違いない、「井上陽水が来てくれた。。。」
 
井上陽水さんといえば、やはり「アンドレカンドレ」と言う芸名の頃から話さないと面白くないでしょう。すでに有名な話になっているので珍しくもないけれど、「カンドレマンドレ」という題名の歌でデビューしている。歯医者の息子で大学受験に失敗して、歌手になったという話も珍しくない。
 
ボクは「アンドレカンドレ」時代の陽水さんを何とテレビで知りました。これは珍しい。なぜならフォークシンガーは当時テレビには出ないのが普通でしたからね。。だから当時、陽水さんは自分をフォークシンガーとは思っていなかった。ただ、フォーククルセダーズの歌を聴いて、自分も歌が作れると思ったのでしょう。その時の歌が「カンドレマンドレ」で作詞・作曲がマンドレ・編曲が小室等さんです。マンドレも陽水さんのペンネームです。
 
テレビでの紹介は、楽譜が読めないのに歌を作ってしまった、歯医者の息子みたいな紹介のされ方をしていましたね。当時は楽譜が読めなければ作曲家ではないみたいな雰囲気は確かにありました。頭の中に五線譜を入れて、楽器を使わなくても音符が書けなければ駄目なんです。
 
それなら、絶対音感が身に付くといわれる7歳位までに音楽の英才教育を受ける事の出来た一部の恵まれた人々しか作曲はできないと言う事になる。そんな事はナンセンスですね。現在の人気作曲家に絶対音を持っている人は果たして何人いるのでしょうか?疑問です。
 
とにかくアンドレカンドレ時代の陽水さんは売れなかった。でも当時六文銭というグループを作っていた小室等さんと知り合ったのは幸運だった。調べてみると、日々の生活の心配までしてくれたようです。
 
「傘がない」は1972年5月の初めてのLP「断絶」に収録されている。この歌を生で聴いたことがあったのだろうか、当時ボクは日比谷野外音楽堂でのコンサートに良く通っていたので、陽水さんも確かに聴いたことはあった。でも印象に残らなかったほど、無名だったような気がする。
 
ともかく「傘がない」は知らないうちに覚えていたし、気に入っていた。
 
     行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
     君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ
 
当時自殺と言う言葉を聞いてもピンと来なかった。今の時代の方が自殺は深刻な問題でしょうね。通勤電車で人身事故によるダイヤの乱れはしょっちゅうあって、失業問題はボクたちの世代だけでなく、若者の世代にまで及んでいます。高度成長期に入っていたあの頃はデフレスパイラルとも呼ばれるような現在の構造不況とは全く違っていました。
 
だから、この歌は当時の若者に受け入れられたのだ。ハッキリ言って、そんなに難しい事を考えなくても、心配要らないそんな予感があったのでしょう。吉田拓郎さんの「結婚しようよ」が流行ったのもこの頃ですよね。そして遠藤賢司さんもこの頃注目されていました。
 
    ♪君も 猫も 僕も
     みんな好きだよ カレーライスが
     君はトントンじゃがいも 人参を切って
     涙を浮かべて 玉ネギを切って
     馬鹿だな 馬鹿だな ついでに自分の手も切って
     僕は座って ギターを弾いてるよ
     カレーライス
                (カレーライス/作詞・作曲 遠藤賢司)
 
みんなどこかでしらけていた。学生運動が後味の悪い形で終結していくのを実感していましたからね。赤軍派のよど号ハイジャック事件や連合赤軍のあさま山荘事件や総括と言う名のリンチ事件をテレビで見るたびに、どこかが違うと思った事でしょう。今思えば、サリン事件を起こしたオウム真理教とダブルところがありますね。
 
     つめたい雨が今日は心にしみる
     君の事以外は考えられなくなる
     それは いい事だろう?
 
少年の頭の中はあの日の出来事で一杯だった。初めて話をしたあの喫茶店での事が物語の一部のように鮮明に蘇ってくる。瞳が印象的だった。そう、あの日の事は物語の中での事だから、現実にはありえないこと。。。。
 
ボクがコーヒーをブラックで飲むのを見て、合わせて苦いコーヒーを無理していましたね。あっと言う間に過ぎた甘くてすっぱい時間、その続きは何時になりますか?今日は土砂降りの雨だけれど、これから逢いにいっても良いですか?
 
     テレビでは我が国の将来の問題を
     誰かが深刻な顔をして しゃべっている
     だけども 問題は今日の雨 傘がない
 
     行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
     君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ
 
     つめたい雨が僕の目の中に降る
     君の事以外は何も見えなくなる
     それは いい事だろう?
  
Posted by coconattu at 21:58Comments(36)TrackBack(0)井上陽水

2005年07月02日

ごいっしょ!/作詞・作曲・歌 YOKO

前に「七井橋」で紹介した「YOKO&SUGI」さんがユニットを解散されて新しい出発をされます。これからどういう形になるのかは分かりませんが、応援していきたいと思っています。
 
YOKOさんは、ブログを始めるきっかけとなった「高田渡さんを送る会」の時、偶然にも隣同士になって知り合いました。ボクがあの時、ブログを書こうと思っていると言わなければ、こうして皆さんとお話が出来ていなかったかもしれません。「夢追い人」YOKOさんが「夢追い人」への応援歌をうたう。そして夢のかけらを握り締めて帰ってきた一人のフォーク親父がそれを応援する。(笑)・・・そんな大げさな話ではないですけれどね。
 
       ごいっしょ! (斉藤哲夫さんへ捧ぐ)

      ♪わたしが 40と いくつかになって
       あなたに 会いに 行ったらっ
       あなたは ギターを つまびいて
       昔の歌を 歌っていた

       あのころ 聞いてた なつかしい歌
       昔を思って 涙 でたわ

       こんな風に会えるとは 思わなかったの
       これから あなたの歌とまた「ごいっしょ!」
 
こういうことはきっと多いですね。歌をうたう時それが昔の歌なら、その時代の出来事が右脳を刺激して蘇ってくる。その歌がとても好きだったなら、なおさらその時の情景が浮かんでくる。
 
YOKOさんが斉藤哲夫さんに贈ったこの歌はやはり「夢追い人」への応援歌です。何故そう思えるのかは少しずつ解き明かしましょう。
 
ところで「斉藤哲夫」さんってどんな人?と思う方もいらっしゃるかも知れませんので、説明いたします。一番有名なのは、もしかすると1980年の「いまの君はピカピカに光って」かもしれません。当時女子大生だった宮崎美子さんがGパンを脱いでゆく場面で人気の出たCMの挿入歌でした。
 
でも斉藤哲夫さんにとってこの出来事は必ずしも喜ばしい事ではなかったのかもしれません。と言うのは、本人が作詞作曲をしていなかったからです。メッセージ色の強い自作のフォークを歌ってきた哲夫さんにとって、自分のイメージではないと悩んだようです。
 
もちろんフォーク親父のボクにとって、斉藤哲夫さんと言えば1970年のデビュー曲「悩み多きものよ」が強烈な印象で残っています。
 
       悩み多き者よ
       時代は変わっている
       全ての事があらゆるものが
 
       悲しみの朝に
       苦しみの夜に
       たえず時はめぐり
       くりかえされている
     
       あぁ人生は一片の木の葉のように
       あぁ風が吹けば何もかもが
       終わりなのさ
              (悩み多き者よ/作詞・作曲 斉藤哲夫)
 
吉田拓郎さんより前に哲夫さんは人気があった、哲学的だったその詩は後から出てくる多くのフォークシンガーにも影響を与えたと言っても良い。吉田拓郎さんが斉藤哲夫さんの曲を歌うのは当時その詩に共感をおぼえていたからだと思う。初期の拓郎さんを知る人は拓郎さんの詩が哲夫さんの詩に似ていると言ったら、きっと納得するでしょう。
 
       もうどうでもいいのさ
       つまらぬことは考えないで
       そこからの道を急ぐのさ
       それが最もかんじんさ
       ・・・・
       ・・・・
       変わる変わる目の前が
       変わってそれでおしまいさ
       されど私の人生は  
       されど私の人生は
              (されど私の人生は/作詞・作曲 斉藤哲夫)
 
二人ともビートルズが好きで、ボブディランが好きだったから、共通するところが多かったのでしょう。
 
       歩き疲れてしまいました
       しゃべり疲れてしまいました
       何もかもに疲れて 今日が来ました
       けだるい午後の陽ざしは 花をしおらせて
       道行く人の言葉もかすんでいました
       ・・・・
       ・・・・
          (自殺の詩/作詞・作曲 吉田拓郎)
 
詩だけ読んでみると、皆さんも納得するでしょう。とても似ていると思いませんか?でも同時期に出てきた才能を持った二人だけれど、後に全く違う道を歩む事になります。
 
どんどん変わっていく吉田拓郎さんに対し、斉藤哲夫さんはそれを潔しとしなかったのでしょう。だから、「いまの君はピカピカい光って」が20万枚ヒットになった事を素直に喜べなかった。
 
吉田拓郎さんならきっと悩むことはなかった。今聴いてくれている人々、コンサートに足を運んでくれる人々、そして、CDをかってくれる人々が実際の現在のファンなのだから、人の歌をうたって人気が出たなら、それも現実として受け止めたに違いない。
 
先日坂崎幸之助さんのラジオ番組でのこと。吉田拓郎さんが「癌の手術」復帰後の最初のコンサートで「今日までそして明日から」をオープニングでうたったのが流れました。拓郎さんのうたに対する原点がそこにありました。昔の拓郎がそこにいた!・・そんな気はしたけれど・・
 
        けれど それにしたって
        どこで どう変わってしまうか
        そうです わからないまま生きてゆく
        明日からの そんな私です
              (今日までそして明日から/吉田拓郎)
 
今斉藤哲夫さんは土日はライブ活動をして、平日は介護の仕事をされているそうです。前はトラックの運転手をしていたと聞いていましたから、音楽一筋に打ち込める環境が整わなかったのかもしれません。
 
当時のフォークシンガーは皆壁にぶつかったのだと思います。そして音楽をあきらめた人はたくさんいたでしょう。理想と現実のギャップの中でもがきながら、まっすぐに生きてきた斉藤哲夫さんをYOKOさんが応援する気持ちはボクには良く分かります。
 
話をYOKOさんの「ごいっしょ!」に戻しましょう。
 
       あのころ 聞いてた なつかしい歌
       昔を思って 涙 でたわ

あの頃は理想を追いかけて夢も大きかった。でも目の前の現実に押し流され、今ではすっかり変わってしまった私がココにいる。
 
久しぶりにあなたのコンサートを見にいった。小さなライブハウスでひざがくっつきそうな場所であなたの歌を聴いた。そこには姿は変わってしまったけれど昔のままの綺麗な心を持った少年のようなあなたがいた。私は自然にその世界にひきこまれ少女に戻って行くのが分かった。
 
なんとなく涙がにじんできた、その涙が何なのかは良く分からない。ただ、夢を追いかけている人を見ると涙が出そうになる。私がオバサンになったからかもしれない。(笑)
 
       ♪わたしが 50と いくつかになって
        あなたに 会いに 行ったらっ
        あなたは やっぱり ギターをならし
        昔の歌を 歌ってるの?

        今の気持ちも 聞かせてよね
        あなたの思いを 胸に 帰るから‥
 
もしかすると、あなたは変わろうとしなかったのではなく、変わることが出来なかったのかも知れない。大きくて大きくて綺麗な魂がそこに立ちふさがっていたのかも知れない。でも今の気持ちを聴いて見たい、それはあなたにとって意味のない言葉かもしれない。でも私は持ち帰るわ、それは宝物だから。。
 
         こんな風になれたなら 幸せだから
         まだまだ あなたの歌と「ごいっしょ!」したいから
 
YOKOさんは一時期音楽活動は休止されていましたが、子育てが落ち着いた1999年の秋頃から楽曲制作活動を開始されたそうです。YOKOさんの歌からはメッセージが伝わります。そしておばあちゃんになっても夢をあきらめないぞという強い意志は「夢追い人」に勇気を与える事でしょう。
 
       わたしが いつか おばあちゃんになって
       あなたに 会いに 行ったらっ
       わたしは しわしわ ヨボヨボで‥

       こんなはずじゃ なかった‥と言わないでね
       あなたは いつ いつまでも わたしの王子様

        〜ずっとずっと あなたの歌と
        「ごいっしょ!」するの〜♪
 
 
 
追記(7/18)
今現在YOKOさんは新曲『西へ』を完成させ、弾き語りライブ活動を始めています。詳細は分かり次第お知らせいたしますので、応援よろしくお願いいたします
  
Posted by coconattu at 23:55Comments(19)TrackBack(0)YOKO

2005年06月20日

青春の詩/作詞・作曲・唄 吉田拓郎

吉田拓郎さんを語ると言っておきながら、沈黙してしまった。。
何故なのだろう。。
その理由がおぼろげながら解ってきた。
それは、理想と現実のギャップの中でもがき続けてきた自分へのこだわりなのだと思う。
 
ボクは「初期の拓郎ファンだった」と、常に区切りをつけて今はファンではないと暗に言っている事もその表れである。
でも本当は今でもとても好きなのだと思った。心の中でいつも気になっていたし、拓郎の声を聴くとなぜか普通とは違った安らぎと開放感を感じた。
 
1970年の春から夏にかけて一番多感だったと言える高校時代に「メッセージ色の強いフォーク」に影響を受けていた少年は社会風刺的で、又は反体制的で硬派なプロテストソングに対し、少し違った男と女そして大人との心の葛藤を表現しているフォークシンガーを発見した。
 
    ♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか
     信じるものがあったとしても 信じないそぶり
     ・・・・
     ・・・・
     たたかい続ける人の心を 誰もがわかってるのなら
     たたかい続ける人の心は あんなには燃えないだろう
     ・・・・
     ・・・・
     吹き抜ける風のような 俺の住む世界へ一度はおいでよ
     荒れ果てた大地に チッポケな花をひとつ咲かせておこう
     俺もきっと君のいる太陽のあるところへ 行ってみるよ
     そしてきっと言うだろう 来てみてよかった君がいるから
     ・・・・
                        (イメージの詩/吉田拓郎)
 
圧倒的な言葉のシャワーだった。またこの曲はコード進行がCとFとG7しかないので、とても弾き易かった。また歌っていて若さから来る得体の知れない息吹のような何かを発散する事が出来た。
 
    ♪長い長い坂を登ってうしろを見てごらん 誰もいないだろう
     長い長い坂を降りてうしろを見てごらん 皆が上で手を振るさ
     ・・・・
     ・・・・
     古い船には新しい水夫が 乗りこんでいくだろう
     古い船を今動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
     何故なら古い船も新しい船のように 新しい海へ出る
     古い水夫は知っているのさ 新しい海のこわさを
     ・・・・
                        (イメージの詩/吉田拓郎)
 
1971年の夏、岐阜県椛の湖畔で行われた第3回全日本フォークジャンボリー には2泊3日で25,000人が集まったと言われていますが、2日目のメインステージは学生運動家の討論の場所となってしまったらしい。この日拓郎さんはサブステージで「人間なんて」を延々と唄い続けると言う拓郎伝説が生まれる。
 
しかしこの時25才を過ぎていた拓郎さんはきっとしらけていたのだと思う。岡林信康さんに代表される政治的なアジテーションを持った唄を聴きに来たファンに対し拓郎さんのそれは確かに違っていた。あくまで人間の唄であり世の中の唄というより、自分自身の唄なのだ。
 
俺たちは歌をうたいに来たのだ。討論をしに来たのではない。人間なんてを絶叫しながらそう思っていたのかも知れない。
 
    ♪人間なんてララーラララララララー 
     ・・・・
     何かが欲しいおいら それがなんだか分からない
     だけど何かが足りないよ 今の自分もおかしいよ
     ・・・・
                   (人間なんて/吉田拓郎)
 
話を元に戻そう。少年は拓郎が好きで好きでたまらなかった。深夜放送で拓郎の歌が流れれば大慌てで録音した。
 
    ♪喫茶店に彼女と二人で入って 
     コーヒーを注文する事 あーそれが青春
 
     映画館に彼女と二人で入って
     彼女の手を握る事 あーそれが青春
 
     ・・・・
 
     すてきな女(ひと)に口もきけないで
     ラブレターを書いたりする事 あーそれが青春
 
     ・・・・
     
     フォークソングにしびれてしまって
     反戦歌を歌うこと あーそれが青春
 
学校にフォークギターを持ち込んで毎日のように唄った。ギター奏法もカーターファミリーピッキングで悦に入っていた。また「イメージの詩」の為にハーモニカホルダーももちろん使っていたし、小型のTOMBOハーモニカ(単音10穴20音)もキー別に何種類かそろえた。
 
     セックスを知りはじめて
     大人になったと大喜びする事 あーそれが青春
 
ここの部分だけは、うぶな少年にとって苦手なフレーズだった。周りで女の娘が熱心に聴いていましたからね(笑)
 
     ・・・・
     
     さて青春とはいったいなんだろう 
     その答えは人それぞれでちがうだろう
     ただ一つこれだけは言えるだろう
     僕たちは大人より時間が多い
     大人よりたくさんの時間を持っている
     大人があと30年生きるなら 
     僕たちはあと50年生きるだろう
     この貴重なひと時を僕たちは 何かをしなくてはいられない
     この貴重なひと時を僕たちは 青春と呼んでもいいだろう
     青春は二度とは帰って来ない
     皆さん青春を
     今このひと時も僕の青春
 
最後のこのフレーズは唄っていて気持ちが良かった。それは受験校で勉強第一主義の真面目な校風の中での精一杯の抵抗だったからかも知れなかった。実は同じ高校の一級後輩にボクと同じような少年がいた。そしてプロになり10余年後、彼は見事に大成していくのだが、あえて名前は伏せておこう。
 
あっという間に1年が過ぎ、拓郎は徐々に一般の人にも知られていくようになった。そして、今日までそして明日から」がゴールデンタイムのラジオから流れるようになってきた。少年は嬉しかった。拓郎が有名になって行く。。そしてその後「結婚しようよ」がラジオの深夜放送から流れてきた。この歌は衝撃的だった。
 
      ♪僕の髪が肩までのびて 
       君と同じになったら
       約束どおり
       町の教会で結婚しようよ  
 
高校生にとって「結婚」と言う言葉は憧れだったし、髪の毛も同じように伸ばしていたから、この歌がなおさら好きになった。少年は得意になってこの歌をうたっていた。そしてとうとう爆発的なヒットになって、吉田拓郎さんはメジャーになっていく。そして少年はその年1972年に高校を卒業して、徐々に拓郎熱から解放されていく。
 
ボクだけの拓郎からみんなの吉田拓郎さんへと変わっていくことが、なんとなく面白くなかった。いつしか拓郎さんの歌を聴いても何にも感じないようになっていた。。。拓郎はただのラブソング作曲家ではなかったはず。。。
 
      ♪友達は はるかな旅路に 今一度発たないかと
       手をとって 震える声で 
       言ったけど あきらめたのでしょう
       ・・・・
       傷つける ことはしたくない 優しさが分かりすぎて
       バカヤロウって 言って欲しかった
       それだけを 言い忘れたのでしょう
                        (ともだち/吉田拓郎)
  
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2005年06月08日

恋の歌/作詞・作曲・歌 吉田拓郎

      熱い熱い涙が 君のほほをぬらして
       僕のくちびるに ひとしずく落ちてきた 
       僕は僕は知ってる 悲しいからじゃないんだ
       君のくちびるが 僕を好きとささやいた
 
誰にでもきっと一度は嬉し涙を流した事があると思う。そしてその場面は人それぞれで違うでしょう。ボクの場合は恥ずかしいので笑ってごまかすタイプですね。。
 
1970年当時高校2年生だった少年は、この歌詞の意味も分からず歌っていた。今考えてみれば、とても意味深な表現なのである。どう考えても顔と顔がくっついていないと自分のくちびるに涙なんて落ちては来ない。。
 
この女性は何故泣いていたのであろうか。。
涙を流して好きとささやいた言葉の奥には何があるのだろうか?
 
このブログを読まれている経験豊富な皆様はもうお分かりですよね。
・・・えっ分からない?・・今さら「かまとと」ぶっても意味ないと思いますが(笑)
 
この女性の複雑な気持ちがよく分かります。
人が涙を流す時は単純に悲しい時、そして複雑に嬉しい時なんです。
さー、ここから理屈っぽくなりますからついて来てくださいよ。。
そこのあーた、読み飛ばしは禁止ですよ(笑)
 
君は果たして僕が本当に好きだったのだろうか。好きかどうかはまだ分からないまま身を預けてしまったから、それを正当化するために無理に好きと囁いたのではないだろうか。精神的に追いついていないのに、身体だけが先行してしまって。。。。思わず涙が流れてしまった。
 
ちょっと、ちょっと、今、不純なこと考えていませんでしたか。。だめですよー変な事考えては、、このカップルはまだ“うぶ”な少年と、うら若い乙女なんですからね。。ボクの理屈にだまされそうになりましたね(笑)
 
実際は、この少女の涙は純粋で美しい感動の涙だったと思います。青春時代は泣いたり笑ったり忙しかったですね。
 
       思い出せば 遠いあの日
       冬が過ぎて 僕たちにも
       あたたかい太陽が この腕の中にあった
 
あの頃、少年は毎日のように少女と逢った。美しい女性だったから男友達にうらやましがられた。少年は得意だった。自分中心に世の中が回っているようにも思えた。そして少年の鼻はピノキオのように伸びていった。
 
       夏も過ぎてゆく頃 赤い夕日が消えた
       君にさよならも 言えないで僕は泣いた
 
 
この曲は、高校の近くの図書館の視聴覚室で初めて聴きました。1970年のデビューアルバム「青春の詩」が発売されたすぐ後に朝日ソノラマから発売されたソノシート3枚組 の中の一曲です。その後「たくろうオンステージ第2集」にも収録されました。
今でも不思議に思うのは、当時、まだ一部の人しか知られていない「無名」とも言える吉田拓郎さんのソノシートが何故その図書館あったのでしょうか。、いまだに分かりません。
 
1970年の初めには、「友よ」に代表される岡林信康さん、「遠い世界に」に代表される五つの赤い風船や「自衛隊に入ろう」等ペーソスに富んだ唄を唄う高田渡さんに影響を受けてすっかりメッセージフォークにのめりこんでいたボクがいました。そして深夜放送で広島に日本のボブディランのような、凄いフォークシンガーがいると紹介されて、初めて聴いた曲が「イメージの詩」でした。
 
たしかに凄いと思いました。その日から吉田拓郎さんにかぶれてしまいました。ですから、視聴覚室での発見はとても衝撃的でしたし、ボクだけの拓郎がそこにいました。でも長続きはしなかったのですけれど。。その理由は少しづつ話していこうと思います。
 
一つ言えるのは、拓郎さんの曲は「恋の歌」であり「哲学的な歌」でもあった。まだまだ、話したりないので少し続けてみます。
  
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2005年05月31日

生活の柄/唄・曲 高田渡・詩 山之口貘

ぼろの毛布をまとい、髪の毛はひたすら長く、泥でガチガチに固まっている。顔は真っ黒で猫背になって歩く。子供の頃、そういう人をたまに見かけた。
何しろ汚くて近寄る事は出来ない。ただ、好奇心から、遠巻きに観察していた。その人の人生のことは考えたことがなかった。可愛そうとも思わなかった。ただ、どうして働かないのだろうと思っていた。
 
詩人、山之口貘さんをWEB上で検索してみると父親が事業に失敗してから大正11年(1922)19歳で上京し、日本美術学校に入学したが翌年、関東大地震にあい、沖縄へ帰郷。歌人連盟に入ったり、絵を描いたりしていたが、大正13年(1924)二度目の上京をしてから放浪生活を送り、以後16年間畳の上で寝たことがなかったとあるが実際はどうだったのだろう。
 
          歩き疲れては 夜空と陸との
          隙間にもぐり込んで
          草に埋もれては寝たのです
          所かまわず寝たのです 
          歩き 疲れては
          草に埋もれて寝たのです
          歩き疲れ 寝たのですが
          眠れないのです
 
この詩はその放浪時代に出来た詩なのだろうか、だとしたら自分自身の困窮生活を「ありのまま」に表現しているのだろう。要するに「歩き疲れたから草に埋もれて寝たけれど眠れない」と言っているだけだ。実際帰る場所がなければ何処で寝ても良いわけで、地球の地面全体が敷布団だと思ったら気が楽である。
 
人間の本能から来るのだろうか、草に埋もれて夜空の下で眠る事は遠い昔の郷愁を感じさせる。だから、つらいとか、悲しいとかそういう気持ちではなく、むしろこの状態を楽しんでいるように思える。スケールが大きい詩である。
 
この曲は1971年6月に「ごあいさつ」というアルバムに収録されているがその時のコーラスが加川良さんと岩井宏さんだ。特に「歩き(歩き)疲れては(疲れては)草に埋もれて寝たのです」のコーラス部分で高田渡さんと加川良さんの声とのハーモニーがなんとも絶妙だ。岩井宏さんのバンジョーも心地よい。この3人のうち残ったのは加川良さんだけとなってしまった。とても残念だ。
 
          近ごろは眠れない
          陸(おか)を敷(ひ)いては眠れない
          夜空の下では眠れない
          ゆり起こされては眠れない
          歩き 疲れては
          草に埋もれて寝たのです
          歩き疲れ 寝たのですが
          眠れないのです
 
渡さんの歌詞は原詩から微妙に表現を変えている。「陸を敷く」を「おかをひく」と表現しているのだが、意味が良く分からない。東京弁で「敷く」を「ひく」というのはあるがわざわざその発音を歌詞にしたとも考えにくい。丘を引っ張るってかーー(笑)ようわからん・・
 
          そんな僕の生活の柄が
          夏向きなのでしょうか
          寝たかと思うと寝たかと思うと
          またも冷気にからかわれて
          秋は 秋は
          浮浪者のままでは眠れない
          秋は 秋からは
          浮浪者のままでは眠れない
 
          ・・・・・・
          ・・・・・・
 
この曲はGとCとD7の3つだけのコード進行でカーターファミリーピッキング奏法の基本的なパターンで演奏されているので、とても簡単で弾き易い。また、唄っていて心が癒されるとても不思議な名曲だ。
  
Posted by coconattu at 06:37Comments(27)TrackBack(0)高田渡

2005年05月23日

自転車にのって/作詞・作曲 高田渡

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貸し自転車屋さんと言う商売がある。
小学校の低学年の頃、近所のお兄ちゃん達が時間で借りてきて得意そうに自転車を乗るのをみてうらやましかった。
 
子供用の自転車なのですぐ乗れるようになるのだが、ボクのの少ないお小遣いでは借りる事ができなかった。当時は駄菓子屋で飴玉を買うのと同じ感覚で、自分の小遣いで自転車を借りるのだ。
   
家には大人用の自転車はあるのだが当時子供用の自転車を持っている家庭は少なく、貧しかったボクの家ならなおさら買ってもらえる事はありえなかった。
            ♪チリリンチリリンとやってくるは 自転車のりの時間借り

            曲乗りなんぞと生意気に 
両の手放したしゃれおとこ

            あっち行っちゃあぶないよ 
こっち行っちゃあぶないよ
 
            それあぶないと言ってる間に 転がり落っこった♪

だけどどうしても自転車に乗りたい一心で、重たい大人用の自転車をころがして、近くの空き地で乗る練習をした。足がまだ届かないので三角乗りを覚えた。サドルとハンドルの間に足を突っ込んで斜めになりながら漕ぐのだ。

毎日暗くなるまで練習をした。もちろん何回も転んで、ひざは擦り傷ばかり。身体が小さいので転ぶと自転車を起こすのも大変だ。でもそのかいあって上手に大人の自転車を乗りこなす事が出来る様になった。

         ♪自転車にのって
           ベルをならし
          
あそこの原っぱまで
           野球のつづきを
           そして帰りにゃ
           川で足を洗って
           自転車にのって おうちに帰る

ある日近所のお兄ちゃん達と近くの原っぱでいつものように野球をした。野球と言ってもゴムボールと素手でやる安上がりの遊びだ。少年は最年少だったこともあり、いつもあまり球が来ない外野を守らされていた。

途中でリーダー格のお兄ちゃんに「ピッチャーをやれ」と急に言われた。ピッチャーはいつも投げるのが上手な人がやっているので、不思議な気持ちになった。

しばらくすると、その理由が分かった。

少年の父親が観に来ていたのだ。

リーダー格のお兄ちゃんがその事に気がついて、少年にいいところを見せてやろうと言う心遣いがあったのだ。

または当時の親父達は一様に怖かったから、子供心ながら本能的に「やばい」と思って少年の親に敬意を表したのかもしれない。(笑)

父親が乗って来た自転車の後ろに付いている四角い荷台には、氷と麦茶の入った大きなやかんが積んであった。

少年ははずかしくて、顔から火が出そうになった。。

そして、父親が注いでくれた冷たい麦茶を、みんなで美味しく飲んだ。。

          ♪自転車にのって
           自転車にのって
           ちょいとそこまで
           あるきたいから

                                       完)

 

 

画像提供 ふぉとぶらりjigen_0201

http://www.photohighway.co.jp/CommunityPage.asp?id=10435

  
Posted by coconattu at 23:50Comments(20)TrackBack(0)高田渡

2005年05月17日

コーヒー・ブルース(珈琲不演唱)

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 「高田渡さんを送る会」の会場で目に留まった供花があった。高田渡さんファンならどうしても反応してしまう名イノダである。そこの店主からの供花だと思う。感慨深い。高校時代この珈琲屋さんに憧れました。どんなところなのか行ってみたかった。
 
 
 
            ♪三条へ行かなくっちゃ
              三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね
              あの娘に逢いに
              なに 好きなコーヒーを少しばかり
 
高校卒業してすぐに、修学旅行で行った京都の旅館に3ヶ月間住み込んでアルバイトをした。休みの日にもちろんイノダへ行きましたよ。
 
円形のカウンターで真ん中に厨房がありました。随分昔の事なのでうろ覚えですが出てきたコーヒーははじめからコーヒー砂糖(ザラメ?)がはいっていてホイップクリームが浮かんでいたと思います。どう考えてもウインナーコーヒーです。
 
自分が住む東京ではコーヒーに砂糖もミルクも入れないでブラックで飲むことが多かったので、少しカルチャーショックでした。
 
でも凄く分厚いマグカップの淵にくちびるを当てた時の感触はとても温かく、未知の世界であるにもかかわらず女性のくちびるの柔らかさに似ていると思った。
 
ボクの心はとても癒され、ほどよい甘さがここちよく、夢の世界に引きずり込まれていきました。。そしてまろやかなアロマの香りは店中に広がっていました。
 
今はどんなコーヒーなのでしょうか。今でもはじめから砂糖が入っているのでしょうか?出来ればそうあってほしい。なぜなら時代がどんなに変わろうとも、スタンスを変えなかった高田渡さんに通ずる頑固さがそこにあるような気がするから。
 
                ♪お早うかわいい娘ちゃん
                  ご機嫌いかが?
                   一緒にどう 少しばかりってのを
                   オレの好きなコーヒーを少しばかり
 
あの日少年は旅館の近くの小さなコーヒー店でアイスコーヒーを注文した。でもここは京都なので、コールコーヒーという。レイコーという言い方もある。少年はその言葉の違いをいつも楽しんでいた。
 
京都の女性の言葉はやはり美しいとおもった。京都弁で話しかけられるとまるで自分がドラマの主人公になったような気がしていた。
 
「お客はん、何処からきはった?」
「東京です、そこの旅館にいるんです。」
「はー、そうどすか、ゆっくりしてくれなはれ、長い髪の毛が似合ってはりますわ」
 
少年はその日を境にそのコーヒー屋さん通いが毎日になりました。(笑)
 
            ♪いい娘だな
             ほんとにいい娘だな
             あついのをおねがい
             そう あついのを おねがい
             そう 最後の 一滴が勝負さ
             オレの好きなコーヒーを少しばかり
 
ある日のこと、少年はホットコーヒーを注文しました。いつもの女性が運んできてくれたのですが、「私、今日で止めるんや」と唐突に言ってきました
 
「そっ そうですか・・・・」
 
少年は胸のドキドキがとまらくなりました。こころのなかで「もう逢えなくなってしまう」「何とかしなければ」・・・・
・・でも時間は経つばかり
 
「すっスイマセン、コーヒーもう一杯ください」
 
           ・・・そう最後の一滴が勝負さ・・・
 
このコーヒーを飲み終えるまでには勇気をだして・・・
 
「あのーー」
 
「ゆっくりしていって。。。」
 
「はい。。。。」
 
そしてとうとう最後の一滴まで飲み終えた少年は何も言えずに帰りました。
                                        (完)
 
             ♪あんたもどう?
              少しばかりってのを
  
Posted by coconattu at 22:25Comments(20)TrackBack(0)高田渡

2005年05月11日

七井橋/作詞・作曲・唄 YOKO

高田渡さんが愛した街吉祥寺は夢を追いかける人々で溢れている。
今回は「送る会」に参加された素敵な人の作品を紹介します。
 
             七井橋     (作詞 作曲 YOKO)
     
          霧に リズムが 響いていた
          僕は 歌を 口ずさんだ
          すいこまれるよふ・・
          朝もやを 歩いていく

          
もっと 近くに・・・
          ずっと 風にのって・・・
          この 道をゆけば・・・
          たどりつくよ メロディー

          ここは 七井橋通り
          夢追い人 むかう道
          僕の 思い 受け止めて
          まっすぐに 誘う路
 
吉祥寺駅公園口を出て丸井の横を南下すると、井の頭公園内の大きな池に架かる七井橋にたどり着く。そこの一筋の道を七井橋通りと言うらしい。20代の頃、ボクも何回か通った記憶がある。
 
ここには武蔵野の自然が残っているらしい。都会の喧騒の中で暮らしている人がたまに訪れるこの場所は、周辺住民のオアシスと言っても良いかも知れない。。。て言ってみたけれど、今はどうなっているのだろう。(笑)
 
          霧に リズムが 響いていた
          僕は 歌を 口ずさんだ
 
朝早く起きて霧の中を歩く。蒸気を含んだ冷たい空気が顔にかかってとても気持ちが良い。まるで化粧水を浴びているようだ。少年はいつものようにスケッチブックを抱えて公園にむかった。覚えたての歌を口ずさみながら。。
          
          この 道をゆけば・・・
          たどりつくよ メロディー
 
特別絵が上手とは思っていない。でもこの道を通る時はいつもスケッチブックを持っていた。しばらく歩いて公園へ降りる階段の隅に腰をおろした。少年はスケッチブックを開いた。そこには夢追い人の言葉が書かれていた。
          
          ここは 七井橋通り
          夢追い人 むかう道
          僕の 思い 受け止めて
          まっすぐに 誘う路
 
少年は思い出していた。はじめて逢ったあの日のときめきと、才能を信じてくれた愛しい人を。瞳がきらきらしていた。。。そして届いた一通の手紙。。
 
          ただ祈るだけで 終りにしないわ
          力の限り生きているなら
          私も共に生きるために
          少しの勇気で戸をたたくわ
 
          すべてが なさけなくて
          すべてを かくそうとも
          私は見ています あなたの歩む姿。。
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                  (少年へ 作詞作曲 YOKO)
 
少年は目を瞑った。うとうとして眠り込んでしまった。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
そして目を覚ました。
 
 
老人(少年)は仙人のように白くなった髭を撫ぜながら食卓を覗いた。。
そこには好物の卵焼きと鮪(まぐろ)の刺身があった。
目の前にはあの時と同じ瞳をもった老女がいた。
老人はその老女の丸くなった背中と首筋の深い皺(しわ)を愛しいと思った。。。
                                      (完)
※ショート物語になっていますがあくまでYOKOさんの詞から連想した僕自身の勝手な解釈です。
 
YOKOさんは吉祥寺に住む新鋭アーティストです。
現在は余り活動されていないようですが才能あふれる方なので是非活躍してほしいです。
youtubeで余り上手くないですが僕がカバーで紹介していますよ。
https://www.youtube.com/watch?v=O4C64xhWaTM          (2015/01/16 追記)
  
Posted by coconattu at 04:50Comments(21)TrackBack(0)YOKO

2005年05月08日

高田渡さんに対する自分なりの「グリーフワーク」

グリーフワークという言葉がある。
意味は大きな悲しみを体験した時、それに蓋をしないでしっかりと現実を直視し悲しむ事により、悲しみから開放される。それをしないといつまでも引きずってしまって鬱病になってしまう人もいる。
 
     悲しい時にゃ悲しみなさい 気にする事じゃありません
     あなたの大事な命に かかわる事もあるまいし
                         (伝道 加川良)
 
けっして高田渡さんだけが好きだったわけでもないし、一時期忘れていた事もあった。ボクが一番熱くフォークを語った高校時代に好きだったアーティストは、高田渡さんの他にもたくさんいた。岡林信康さん、吉田拓郎さん、五つの赤い風船、六文銭、加川良さん等です。
 
ボクにとって高田渡さんはどんな存在だったのか?
それを整理して心の引き出しにきちんとしまっておく事が、ボクにとってのグリーフワークだと思っています。
 
アレから35年たった今でもギターを引っ張り出してうたう唄がある。それは「雨が空から降れば」「自転車にのって」です。当時は他の唄の方がインパクトがあって、一番好きな唄は他にあった。でも岡林信康さんは路線変更してしまうし、拓郎さんはメジャーになりすぎたし、六文銭も五つの赤い風船も解散してしまった。熱くなりすぎた分冷めてしまったのかも知れない。
 
しかし高田渡さんのイメージは変わらなかった。現在もあの頃と同じように飄々と唄っている。凄いと思った。売れようが売れまいが、古かろうが新しかろうが、今うたいたい唄を自分の為にうたっていたのかも知れません。
 
加川良さんも歌い続けている好きな歌手ですが、どうしても高田渡さんの影が拭いきれない気がしています。高田渡さんの事を唄った「下宿屋」にその答があるようですね。
 
    何がいいとか 悪いとか そんなことじゃないんです
    たぶん僕は 死ぬまで彼に なりきれないでしょうから
    ただ その歯がゆさの中で 僕は信じるんです
    唄わないことが 一番いいんだと言える彼を
                        (下宿屋 加川良)
 
加川良さんは高田渡さんに破門されたという事ですが、「生活の柄」や「自転車にのって」を高田渡さんファミリーをバックに唄えるときが来るのだろうか?そしたらボクば泣いて喜ぶでしょう。
ボクにとって高田渡さんの唄を引き継げる人は加川良さんだと思っています。熱唱型の加川良さんが肩の力を抜いて無欲で唄ったら又人気がでてしまって、天国の渡さんからもう一度破門されそうですけれど(笑)
 
「まるで六文銭のように」も当時のポリシーを再現しているグループだなと感じています。小室等さんもやはりカリスマと呼べるでしょうね。皆から慕われている「ありのまま」の人という印象です。高田渡さんと通じるところがあります。及川恒平さん、四角佳子さん、と最高の組み合わせですね。
 
高田渡さんはボクにとっては癒しの人だった。あのような人はもう出てこない貴重な存在だけれど、「送る会」に参加された多くのアーティストにその魂は引き継がれていると思った。
 
そして1970年前後、権威とか権力が大嫌いだった若者が、時間が経つにつれ理想と現実のギャップに疲れ果て言葉を封印してしまうなか、頑固にそれを守り通した「抵抗の人」にも思えた。そういった姿に惹かれたのかもしれない。
  
Posted by coconattu at 11:42Comments(9)TrackBack(2)高田渡

2005年05月03日

渡さんは差別に抗した自由人

ある大学の教授が良寛さんを自書の中で「差別に抗した自由人」と表現した。
 
さらに良寛さんをこう表現している。
「良寛は移り行く自然の中で、ありのままに、飾り気なく生きている庶民の素朴な生き方をこよなく愛し、世の道徳家の下手な説教によって、庶民の朴訥(ぼくとつ)さ、清らかで厚い人情が損なわれることを恐れたのである。
良寛の内なる自然としての誠、まごころを愛する態度は、そのまますべてを無差別平等に包容する天理、外なる自然の摂理に対するゆるぎない信頼に通じている。」・・青木基次著「乞食僧良寛」より抜粋
 
高田渡さんの自然な生き方はまさしく良寛さんに通じている。
こじつけと言えばそれまでですが・・(笑)
 
追伸、
先日の「高田渡さんを送る会」レポートで中川イサトさんの名前が出ていませんが、実はいたるところでギタリストで出演しております。最後までメインでのコメントがなかったので、お名前が出てきませんでした。失礼いたしました。もちろん初期の「五つの赤い風船」時代からのファンです。
 
また、録音とかではなく、手帳にメモりながらの作業でしたので、お名前を間違えたり、漏れている方がいるかも知れません。ご指摘頂ければ修正いたしますので宜しくお願いいたします。
 
追伸2
後日、写真入りの詳しいレポートをされているHPが見つかりましたので、参考にさせていただき、修正いたしました。ありがとうございます。
  
Posted by coconattu at 10:52Comments(16)TrackBack(0)高田渡

2005年04月30日

高田渡さんを送る会(その3)開演中盤〜フィナーレ

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16:40 村瀬雅美さん(ぐぁらん堂)
     武蔵野タンポポ団の一員(ベース)
     当時のタンポポ団の一日は、朝起きて
           井の頭公園で野球をする組とビリヤード
           をする組と分かれていたのですが渡さん
          はビリヤード組でした。それからおでん屋
で一杯やって、麻雀をして、ぐぁらん堂でブルースを聴いて寝てしまいました。ですからいつ練習したかは、よくわかりません(笑)
あれから、なぎら健壱さんと組んで解散したあと、海援隊のがバックに誘われて迷っていたら、渡さんがこころよく勧めてもらえました。今プロジューサーをやっています。
 
16:45 小室等さん、こむろゆいさん、スズキコージさん(絵)
     渡さんがゆいさんの耳の病気のことで、とても心配してくれて
     セカンドオピニオンの医師も紹介されて、その経過報告が
     出来ないまま旅立ってしまった。今日はだからゆいをつれて
     来たと等さんが話してくれた。(ゆいさんガンバッテ下さい)
     「りんごの木の下で」
     及川恒平さん(言葉にならなくて、絶句)
     四角佳子さん(渡ちゃんありがとう)
     「雨が空から降れば」 
16:55 みなみらんぼうさん
     吉祥寺で渡さんと偶然あったら、あせっていてどうしたのかと聞い  
     たら、自転車を盗まれたとのこと。それじゃ警察に届けた方が良
     いと言ったら、今、向かっている最中だよといわれた(笑)
     パパと僕のワルツというらんぼうさんの唄が覚えられなかった
     話。
     渡さんはちょっと会っただけで、エピソードになる人だな。。。
16:59 尾崎亜美さん ピアノ
     渡さんの写真に向かって最敬礼
     「風のライオン」
17:06 南正吉さん(カレー店まめ蔵)。閉店した吉祥寺KuuKuu店主
     渡さんは犬が好きで、飼い犬のサラが死んだ時大泣きした事
     バカヤロウといわれた事
     札幌で偶然出会った事
17:12 シバさん  ジミー矢島さん
     38年前の高尾山へのヒッチハイクの話
     「バイバイブルース」
17:20 加川良さん
     京都時代からの憧れの人そして一番に破門されました(笑) 
     渡さんと岩井宏さんと3人で三馬鹿トリオと呼ばれていたけれど
     二人ともいなくなってしまった。
     「この世に住む家とてなく」
17:30 フリータイム(中川五郎さん)
     裏(楽屋はない)では大変な事になっている。。誰が来たとか来な
     いとかもう収拾がつかなくなっている(笑)
     
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Posted by coconattu at 11:13Comments(20)TrackBack(1)高田渡

2005年04月29日

高田渡さんを送る会(その2)開演後

e3ee9641.jpg13:00 オープニング   全員渡さんのCDの声に合わせて「自転車にのって」を合唱。
 
♪自転車にのって
  自転車にのって
  ちょいとそこまで
   あるきたいから
 
 
 13:04 司会の中川五郎さん登場 
     4/4に釧路で倒れてから4/16に亡くなった事
     吉祥寺の教会で密葬を行ったことの報告。
     そして今日の送る会は舞台の上の人、観客席と区別なく
     みんなで、渡さんを送ってあげたいとの主旨の説明があった。
 
 13:07 柄本明さん
     話の最後フーっと涙ぐんでしまったのが印象に残った。
 
 13:11 キヨシ小林さん シバさん  金ちゃん 大庭珍太さん 小林なおさん
     (ヒルトップ・ストリングスバンド)
     「りんごの木の下で」
 
 13:16 田川律さん
     人間長生きすると友達がいなくなって淋しくなる事に気が付いた
     渡さんとは30年以上の付き合いですが、普段の声と歌っている     
     時の声とは全く違う。やはり歌手なんだなと感じた。
 13:20 松田幸一さん シバさん バカボン鈴木さん
     「くつが一足あったなら」
 13:29 細井豊さん
     (センチメンタルシティロマンス)
     「時は流れても」  
 13:36 南こうせつさん (中川イサトさん 佐久間順平さん 松田幸一さん
     河合徹三さん 他)
     「ブラザー軒」
 13:45 中川五郎さん
     いせやの並びの教会での密葬の時神父さんが話された
     渡さんのエピソード。なんと神父さんに影で明治天皇と
     呼ばれていた(笑)
 13:47 高田漣さん (ご子息)
     今日はありがとうございます。
 13:49 3/16いせやで収録したビデオ。中川五郎さんや田川律さん
     との会話。虫を人間に置き換えて表現してみたいという話
     最後は寝てしまった渡さん、、らしいですね。(笑)
 14:07 フリー時間(中川五郎さん)
     みんなで渡さんの事を周りの人と話してみませんかーー。
 
     ☆早速ボクもお隣の人と話が出来ました。
      渡さんのファンという共通の絆で、親しくなりました(笑)
            
                         
         まだ 続きますよ。なにしろ20時までですから
 
      
 
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Posted by coconattu at 21:54Comments(4)TrackBack(2)高田渡

高田渡さんを送る会(4/28)(その 乏演まで

いやーマイッタ、朝の8:30に小金井市公会堂ついたけれど誰もいない。
看板も何もないから場所を間違えたかと思った。
 
題   名: 自転車にのって ありがとう渡
日   時: 2005年4月28日(木)
        午後12時開場/午後1時開演/午後8時終演
会   場: 小金井市公会堂
参 加 費:  1000円
発 起 人: いとうたかお 今井忍 加藤幸和 佐久間順平
       佐藤GWAN博 シバ 中川イサト 中川五郎(アイウエオ順)
 
辺りをうろついていると一人髭を生やした男性が石畳の上に座っていたので、話しかけてみたら、音響の人だった。でも場所はあっているので一安心です。・・・・ということは自分が一番乗りでした。チョットびびってしまったので、近くのコーヒー屋へ退散と相成りました。
 
考えると高田渡さんを熱狂的に支持している層は圧倒的に40代後半から50代でしょう。だから皆、仕事の都合でこれない。ましてゴールデンウィークに入る最後の平日ですからね。たまたま日曜出勤の代休が取れたボクはラッキーでした。
 
しかし、短い時間に送る会を企画して、僕たち一般のファンにも渡さんにお別れを言える機会を作っていただけた事はトテモ感謝しています。
ましてや参加費1000円だけで、開いていただけるなんてすばらしいです。発起人の皆様及び関係者に感謝申し上げます。
 
それにしてもどうも退屈である。コーヒーをゆっくり飲んで、「最後の一滴が勝負さ」なんていって粘ってみてもそうは長くはいられない。
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Posted by coconattu at 17:59Comments(8)TrackBack(2)高田渡

2005年03月04日

東京に雪が降りました。

ここなっつです。 まだ誰も知らないと思いますが、取りあえず、こんにちわーー ・・という事で、テストです。  
Posted by coconattu at 14:20Comments(4)TrackBack(0)その他