INFP型 うびです

完全に持論ですが

生きづらさを感じても心療内科に行かない方がいい。

どうしてそう思うのか??

だって、心療内科に行くと「わざわざ」病名をつけられてしまうから。 


たとえばパニック障害、うつ病そんな病名がついている人だって
元をたどれば『認知の歪み』による、結果にすぎないと思うから。

無責任な!!と思う人もいるかもしれない。

ただわたしが重篤な状態になっている人を見たことがないからかもしれない。


でも心の問題は自分の心以外に解決できる存在はないと思う。

たとえ、薬だって表面上の問題(症状)を消すに過ぎない。

だからカウンセラーだって治すことはできない。

だって他人を変えることはできないんだもの。それは子供から母親へでさえね。

大きな愛をもっても残酷でもあるけど、変えられないものは変えられない。


わたしがどうしてここまで言うのか?

わたしも長年、言葉には表現しにくい生きづらさを感じてきたから。

自分の理想とかけ離れている現実とのギャップとか
他人(母親)の期待に応えたいけど応えられないところから来る自分への失望感だったり、
同世代の友人とうまく馴染めないことによる疎外感だったり

今になれば、そんなことが複合的に絡まった結果だったと感じる。


それで、あえて自分ことを大にして伝えようとは思ってないけど
わたしは「吃音」と「視線恐怖症」になったことがある。

この体験はほんとうに苦しかった…(T_T)

いくら治そう、治そうと思っても治らず逆にひどくなる一方。

だれかに相談したくてもプライドという羞恥心が邪魔をして相談できなくて苦しかった。

一時的に治りそうになっても、繰り返す…(T_T)

どんどんどんどん自分が苦しくて、生きるのが苦痛になっていくのを感じてた。



でも、やっぱりわたしはラッキーな存在みたいで(笑)

この人に出会ったんだよね〜〜(・∀・)つ 

その名も『心屋仁之助』

このひと↓ ちっちゃいけど。笑

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このお方に出会ってわたしが悩んでいることは病気じゃないんだって気づくことができた。

もちろん最初はぢんさんのマインドを半信半疑だった部分もあったと思う…

でも何年もこの考え方に触れるようになってから、徐々に変わっていったv( ̄∇ ̄)v


最初は「生きづらさの克服」だったけど、いつしかそれが「より楽しく生きたい」という

考えになって今や脱サラをしてしまった(笑)

もう、たとえぢんさんが後から悪の教祖様でわたしが洗脳されているだけ(笑)だと知ったとしても、それでもいい!!と思えるほど感謝している存在 v( ̄∇ ̄)vぶい



わたしが吃音とか視線恐怖症になっていた頃。

どんなにあがいても治らなくて絶望していたんだけど、でも心のどこかで

「これはわたしの心が変わらないと治らないんじゃ?」という感覚があった。

やっぱり感覚って当たるもので、本当にそうだったんだけど…

わたしが「吃音」や「視線恐怖症」になった原因。


ただの勘違いが原因だった。

・人の期待に応えないと嫌われる
・わたしは本当は「できない人間」だから頑張らないと
・でも頑張ってもやっぱりできない…
・苦しい、苦しい…

つまり、わたしは出来ないダメな人間で嫌われる存在という前提が原因だった。

心理学的にいうとスキーマ。ってやつ。


まあ、なんでそういう勘違いになったのか?というと

やっぱり母親からのしつけだったり

社会のレールに乗って生きてきて自分で考えて選択することをしてなかったからなのかな?と思う。


あわせて読みたい参考記事:【CAUTION】思考停止=オヤジ化。



今でもたま〜〜〜に症状が出るときもあるけど

「まあ、どうせ治るし♫」と大きく構えられるようになれた v( ̄∇ ̄)v

で、そうするとやっぱり知らないうちに症状って治っているのよね〜。不思議。

だからわたしは病名をつけることに反対派なのです。

マインドを変えれば、状態は変わるのです。


おすすめの「心屋仁之助」セレクト(笑)
  このお方、CDまで出してるんです。
最初聴いたときはウゲって思ったけど(笑)聴くほどはまるスルメ曲。

声に出して歌うと不思議と心に入りやすい。
とっつきやすさはレベル☆☆くらいなので心屋中級者レベルからオススメです。(笑)


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