またまたこんにちは、演出の田邉です!
2月も終わりに近づいていますね。
この時期になると、中学校の時に所属していた剣道部で
「如月杯」という大会に出ていたことを思い出します。
さて、今日は「やさしい古典」第二回!「か行」編です!
今日も(主に書いてる本人が)楽しんで古典文学を紹介していくよ!
連載詐欺でも企画立ち消えでもないよ!忙しくてなかなか書けなかっただけだよ!
●杜若・燕子花(かきつばた)
草花の名。着物の襲(かさね)の色目の名。
また、赤みを帯びて美しいという意味の「につらふ」や「にほふ」にかかる枕詞。
我のみや かく恋ひすらむ かきつばた につらふ妹(いも)は いかにかあるらむ
訳:私だけがこのように恋しているのだろうか。
かきつばたのように顔立ちの美しい私の恋人は、どんな気持ちでいるのだろうか。
出典は、万葉集10巻、1986。
相手の気持ちが気になって仕方ないんでしょうね。
他人の心が分からないからこそ苦しむ時もありますが
他人の心が分からないからこそ、知らなくていいことを知らずに済む時もあるのかも知れません。

これが、かきつばたの花です。
かきつばたは、前述の伊勢物語にも登場します。
第九段「東下り」では、歌を詠む時のお題に使われます。
今でいうところの「あいうえお作文」のようなものですね。
からころも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
訳:唐衣を着ているうちに体に馴染んでくる褄(裾のこと)のように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので
はるばるとやってきた旅の侘びしさが身にしみることだ。
最初の文字を取れば、かきつばた(かきつはた)になります。
文字に制限がある中で、情緒あふれる歌を詠めるのはすごいですね。
●限り(かぎり)
限界、限度。
限りなき 思ひのままに 夜も来む 夢路をさへに 人はとがめじ
訳:尽きることのない恋しい思いに任せて、せめて夜にでも逢いに参りましょう。
夢の通い路までも、人はとがめることはないでしょうから。
出典は古今和歌集、恋三巻、657。
詠み手は、夢の中で会いたくて震える系女子代表、小野小町さんです。またお会いしましたね。
そんなに頻繁に、夢で好きな人と会えてたんでしょうか。羨ましいです。
夢で好きな人の元へ遊びに行くといえば、この人!

柴咲コウさん、もといKOH+の「恋の魔力」にもそんな歌詞があります。
ドラマ「ガリレオ2」のエンディングテーマでもある曲です。
「こわいくらい『君の世界』が好きで 何度も夢で遊びに行くの
ちっとも追いつけない君なんだけど いつかは並んで歩きたいんだよ」
昔の人も今の人も、考えることは同じなんですね。
●がてり
接続助詞「がてら」の古い形。~しながら、~のついでに。
雨降らず との曇る夜の しめじめと 恋ひつつ居りき 君待ちがてり
訳:雨が降ってくるのでもなく、ただ空一面が曇り続けている夜のように
いつまでもじめじめと(=綺麗さっぱりと思い諦めることができずに)あなたを恋しく思っておりました。
(ひょっとしたらおいでになることがあろうかと思って)あなたを待ちながら。
出典は万葉集3巻、370です。
気持ちをぐずぐずさせながらも、淡い期待を持って自主的待ちぼうけをしちゃう歌です。
寂しいながらも、待っていればいつかは来てくれるんじゃないか、という気持ちがあれば
なんだか待てちゃうんですよね。
「恋はした方が負け」なんて言葉もありますが、ある程度心が強くないと恋って難しいのかもしれません。
●愛しけ(かなしけ)
形容詞「かなし」の上代東国方言。なつかしい、いとしい、かわいい。
鳴る瀬ろに こつの寄すなす いとのきて 愛しけ背ろに 人さへ寄すも
訳:音を立てて流れる早い瀬に木の屑が寄るように、特に愛しいあの人に他の人までが言い寄ることよ。
出典は万葉集14巻、3548。
人気のある人を好きになっちゃったんでしょうか。胸がざわざわしますね。
好きな人に言い寄る他の同性を「木の屑」って表現してるあたりに、強い敵対心を感じます。嫉妬ってこわいですう!
●消え詫ぶ(きえ-わぶ)
なかなか消えない、消えてしまわない。消えたいほど思い悩む、死ぬほど心細い。
消え詫びぬ うつろふ人の 秋の色に 身をこがらしの 森の下露
訳:(露のように)消えてしまいたいほど思い悩んだ。心変わりしたあの人の秋の色(=私に飽きた様子)に
身を焦れさせ、まるで木枯らしの森の下露のようです。
出典は新古今和歌集・恋4巻、1320。
「秋」と「飽き」、「木枯らし」と「焦がれる」など、掛詞を駆使して秋の情景と寂しい恋心を歌っていますね。
限られた文字数で二つのことを表現できるのは本当にすごいことだと思います。
そんな表現力が欲しかったです。公演の台本を書いてて、切実に思いました。
●沓冠(くつ-かぶり)
和歌の折り句の一つ。ある語句を、各句の冠(=初めの一字)と沓(=靴、終わりの一字)に詠み込んだもの。
逢坂(あふさか)も はては行き来の 関もゐず 訪ねて訪(と)ひ来(こ) 来なば帰さじ
訳:私たちの中を隔てる関守もいなくなった。訪ねていらっしゃい。来たら帰しませんよ。
出典は栄花物語。村上天皇が自分に仕える女御や更衣といった、 お付きの女性たちに送った歌です。
一見すると女性を逢引に誘う歌のように見えますが、これは言葉遊びの句になっています。
あふさかも
はてはいききの
せきもゐず
たずねてとひこ
きなばかえさじ
百人一首で遊んだことのある方はお分かりかも知れませんが
古典における和歌では、濁点などは省略して書かれることがあります。

このように、赤字の部分から濁点を取ると
「あはせたきものすこし」となります。
漢字にすると「合わせ薫きもの少し」ですね。
「合わせ薫きもの」とは、 色々な練り香を持ち寄って焚き、香りの優劣を競う遊びのことです。
この歌を表面的にしか読めなかった女性たちは、恋に関する返歌を送ったり着飾って参上する人もいましたが
広幡の御息所(ひろはたのみやすどころ)だけは、この歌が沓冠と見ぬくことができ
村上天皇へ合わせ薫きものを献上したため、天皇は満足した、という話でした。
随分な思わせぶり系男子でずるいなあとか思っちゃうのは私だけでしょうか
●焦がす(こがす)
焼いて黒くする。香をたきしめる。恋い焦がれ胸を痛める。
涙にも 思ひの消ゆる ものならば いとかく胸は 焦がさざらまし
訳:涙でも恋の火が消えるものなら、とてもこのようには胸を痛めないだろうに。
出典は後撰和歌集・恋二巻・644です。
恋って、何かあって大泣きしても、その分だけ相手のことをどんどん好きになっちゃうものですよね。
嫌いになれたらどんなに楽なんだろうって思っても、色々考えちゃうからこその恋なんでしょうね、きっと。
さて、実は今日は公演最終日です。
「公演ブログの連載が公演期間内に終わらないとか、だめじゃん」って思ったそこのあなた!
いつから、公演期間は公演最終日までだと錯覚していましたか?
私の中での公演期間は、公演が終わり、舞台をばらし、反省ミーティングを行って
よいことも悪いことも後輩たちに引き継ぐところまでだと思っています。
いわゆる「家に帰るまでが遠足」っていう論理ですね。
ということで、連載を始めちゃった以上は
責任をもって「わ行」までしっかり終わらせるよ!
以上、やさしい古典第二回でした!
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