こんにちは!


ここしばらく、少し花粉症がマシになったかと思ったけど
また鼻づまりがぶり返してきた田邉です。

ポケットティッシュが手放せないはずなのに、家に置いてきた日なんてもう
自分を呪いたくなりますよね。




では、今日もいってみよう!







●帚木(ははき-ぎ)
ホウキグサの古称。信濃国伊那郡の園原にあったという伝説の木。また、同音の「母」に掛けていう語。



園原や 伏屋に生(お)ふる 帚木の ありとてゆけど 逢はぬ君かな

訳:園原の伏屋に生えているという帚木のようなあなたのいる場所に行くけれども、やはり逢ってはくれないことだよ。





出典は、古今和歌六帖です。
例に挙げた歌は、2番目の意味である伝説に基づいて詠まれた歌ですね。
この伝説における帚木は、遠くから箒のような形の梢が見え、近づくと見えなくなるという不思議な木です。

そこから、自分への好意がありそうでない、逢いに行くと逢ってくれない相手を例える際に使われます。


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ちなみに、ホウキグサってこんなやつです。マリモみたいですね。


ホウキグサの実はとんぶりと言って、知名度は低いですがしばしば八百屋で売られています。
私のオススメは、マヨ醤油和えにしてご飯に載っけて食べるという方法です。
ぷちぷちしておいしいのです。ぜひ、ご賞味あれ。






●人知れず(ひと-しれ-ず)
人に知られずに。密かに。



人知れぬ 我が通ひ路の 関守は 宵宵ごとに うちも寝ななむ

訳:人には秘密の、私の恋の通い路を守る番人は、夜ごと夜ごとのほんの少しの間でもよいから眠ってほしい。





これは在原業平の詠んだ歌です。伊勢物語の主人公と称されている人として、以前にも紹介しました。

詠んだ人物が有名人だからでしょうか、伊勢物語の五巻だけでなく
古今和歌集の恋3巻・632にも掲載されています。


小野小町も「夢にまた見ちゃった///」って言ってましたけど、
男女関係なく、好きな人のことは夢に見たいものなんでしょうか。

見れば見るほど、なんとなく寂しくなりませんか?ならないですか、そうですか…






●二つ文字(ふたつ-もじ)
(二重になった文字という意味から)ひらがなの「こ」の字。



二つ文字 牛の角文字(つのもじ) 直(すぐ)な文字 歪み文字とぞ 君はおぼゆる

訳:二重の文字(=こ)、牛の角のような文字(=い)、まっすぐな文字(=し)、ゆがんだ文字(=く)と、父君のことは思われます。 





出典は徒然草・62段です。
後嵯峨天皇の皇女である悦子内親王が、上皇になった父の御所へ伝言として送った歌とされています。

娘が父親に恋しいと伝える純粋な歌ですが、あえてストレートには伝えず
読み手に少し考えさせる方法を取るところが、普通の親子ではなくそれなりの立場にある者のやり方なのかもしれませんね。
かわいい。






●辺つ藻(へ-つ-も)
岸近くに生えている藻。「沖つ藻(おきつも)」の対になる言葉。



沖つ波 辺つ藻巻き持ち 寄せ来(く)とも 君にまされる 玉寄せめやも

訳:沖の波は岸近くに生えている藻を巻き込んで持ち寄せて来るとしても、あなたに勝る宝物を寄せるだろうか。いや、寄せられはしないだろう。





出典は万葉集7巻、1206。

海岸に、わかめっぽいのとか流木が落ちていることもありますが
たまに違うものも流れ着いてたりしますよね。

私が昔遊んでいた某ゲームでは、ジョニーというカモメの姿の水兵さん(泳げない)が
海岸に毎週月曜、流れ着いていたのを思い出します。

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「波に運ばれる想い人」という表現に、人魚姫を連想したのは私だけでしょうか。







●時鳥(ほととぎす)
鳥の名。「郭公」「子規」「杜鵑」「霍公鳥」とも書く。カッコウに似ているがやや小型。
初夏に渡来し、うぐいすなどの巣に卵を産んで、雛を育てさせる。
「いもせ鳥」「うなゐ鳥」「あやめ鳥」など、異称が豊富。



時鳥 鳴くや五月(さつき)の 菖蒲草(あやめぐさ) あやめも知らぬ 恋もするかな

訳:ほととぎすが鳴くこの五月に咲くあやめ草、そのあやめ草ではないが、私はものの筋道(あやめ)も分からない無我夢中の恋をすることだ。






出典は、古今和歌集・恋1巻・469。

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これがほととぎすです。
百人一首に掲載されている歌でも、ほととぎすが歌われているものがありますね。


このほととぎす、色々なテーマに用いられることのできる鳥なんです。




秋には暖かい南へ移動する習性があるのですが、それを山へ帰ると考え「山ほととぎす」と詠まれることもあります。
また「死出の田長(たおさ)」とも呼ばれ、冥途へ通うとも考えられていました。

その他にも、春のうぐいす、秋の雁と同じように、夏を代表する鳥として季節の象徴としても詠まれています。



それにしても
ほととぎすが鳴いて、アヤメが咲いているという風流な情景の中で
分別がつかなくなるほどの恋心を詠むのは、一体どんな心持ちだったのでしょう。


初夏の風に誘われて、心もわくわくしているんでしょうか。
それとも、美しい季節とは裏腹に燃えたぎる心を対比させて強調したかったのでしょうか。
そこは、詠み人のみぞ知る、ですかね。










以上、ようやく終わった「は行」でした!

またね!