2010年02月08日

中学生のファッション感覚

最近、塾での記事が多いような気がするが、それは僕がなんとかコンプレックスなのではなく、ただ単に外界との接触機会としての塾の回数が1月より増えているためである。
(大学院生だってお腹が空くからね!)

観察していて面白いなあと思うのは、ジャージの着こなし一つをとっても「かっこいい(トッポイ)」と「ダサい」があるということだ。たとえば、ジャージの裾は床につくくらいダボっとしているのがいいらしいし、ジャージ上着のファスナーは上まで閉めないことがいい(もっといくとわざとファスナーを破壊までしているのだ。ウチの塾にはファスナーを破壊している男子女子が3人いる)。
ジャージの他にはウインドブレーカーがあるが、これもまた厳密な「トッポイ」規定がある。ウインドブレーカーは下だけ履いて上はジャージというスタイルは許される(というか、ジャージ上下よりもイケてるという認識に思える)が、ウインドブレーカーを上だけ着ることは「ダサい」とみなされる。それはいわゆる不良くんちゃんたちにのみ当てはまることではなく、わりと「フツー」の生徒たちもその価値観を共有しているのだからさらに不思議である。

そして、そうしたジャージ(とウインドブレーカー)の着こなしは、厳密な上下関係に規定されている。たとえばウインドブレーカーを下だけ履くことは2年生は許されているが、ジャージのファスナーを破壊することは3年生にのみ許されている行為のようだ。ウチの塾には市町村をまたいだ複数の中学生が通っているが、わりとその上下関係の厳しさは共通しているように思う。

今となってはそんな彼ら/彼女らを「カワイイね」と思えるが、ふと思えば、自分が中学生の時もそんな微細な(≒どうでもいい)決まりごとや価値観の中で右往左往していた気がする。その頃は、そういうもんだと思って必死にバカにされないようにしていたが(「ダサい」人間に分類されるのは、学校生活において下位カーストに認定されるに等しかったもんなあ)、こうして大人になると本当に何をやっていたのかと思うことは思うものだ。

今中学校に強くてニューゲームをするのならば、そのときはひたすらにルールに従順でもって、心意気はロックでありたいもんだ。素パンクってやつだね。

てか上の文章書いてみて、今自分がやってるのはまさにそういうことじゃないか、と。
ただ反抗するなんてバカらしいよね。
体制の中から成立させるメタルールを食い破らないと。



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2010年02月04日

かえり道

会議(話し合い)を重ねて一日が過ぎ、なんだか今日は自分何も生み出してないなというところで、呼び出し。
一杯くらいとお店に行くと、そこには驚くほどに時化た人間が。
話を聞くとなんだかうまくゆかない日だったということで。
こちらも楽しんでもらいたいととっておきの話を一つ。

「こんな面白い話があってさ。
 僕らがこんな風に降る雪を『しんしん』とか「こんこん」ていうだろ?
 でもさ、これはある作家の息子さんの話なんだけど、三歳になって言葉を覚えたばかりのその子は、雪が降るのを見て
 
 ねえお父さん、雪が『ちぬちぬ』と降ってるよ

 って言ったんだってさ。
 オレはその話を聞いたとき、すごく言葉って面白いなって思ったんだ」

会心の話だ。こんな日に。
しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、返ってきた反応は、

 「へえ」

 「要するに、型にはまってるってことですよね」

というなんとも素気のないものだった。
それから二人と別れて、とぼとぼとペデストリアンを歩くと、雪は一層強くなって、僕の頭にまで積もってくる。

 雪は「しくしく」と降っていた。

追い越しの宿舎の前を過ぎると、寝巻きで宿舎の前に立っている女の子が一人。
なんだろうと思う間もなく、男がひとりやってくる。
立ち話を数往復。
すると女の子が身を震わせるジェスチャーをすると、二人で門の認証を解いて入ってゆく。
僕はそれを見ながらもらった落花生をかじって(鬼は〜〜〜外、内は・・・内はらめぇ!)と心の中で呟き、笑むと途端に死にたい衝動に駆られた。
 
 雪が『shit shit』降っているよ。

すると口の中がズキリと痛む。
ああそうだった・・・銀歯取れたんだった・・・
明日、あの声のいやに甲高いお姉さんがいる歯医者に電話をしなきゃなあと思った。
そんなかえり道。



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2010年01月30日

お金を稼ぐことと、テンション

ここんところ、よくバイト(という形態での労働、僕の中では「仕事」と定義されているが)をやっている。
今の世の中、ある程度のマネーが必要であるが、マネーを稼ぐために時間を遣っているのだから当然研究の時間は少なくなる。
いやはや、ジレンマでございますな。

まあ、それでも、「生きるために稼ぐ」のではなく「研究をするために生きる、ために稼ぐ」という迂回路があることが自分にとっての救いであって、そんなとき僕は『クロノトリガー』のエイラ(ロボじゃなかったな)の、

「お前達 生きてない。死んでないだけ。」

と言われないようにと思うわけです。
ただね、ここんとこ働いてて思うのは、お金を稼ぐってのは一種の達成感を得る行為なんだなと。
実は今までそんなこと考えたことなかったけど、びしっと仕事を終えて、「よっしゃ、区切りもついたし一杯やりにいくかー」ということの気持ちよさってのはあるなあ、なんて思ったりもするわけだ。サラリーマン(社会人)の喜びはここにあるのかなと。

だから、いくら高給であっても、たぶん自分は落ちてくる雫を一日眺めるといったドモ○ルン○ンクル的な労働はできないんだろうな。いいものを作る、とかいいサービスをしてみせる、とかコミュニケーションがそこにないと動けないかな、なんて考えてみるわけです。

こういう発言ってのは、社会人的には甘甘だなってことになるんでしょうかね。

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2010年01月28日

一日の過ぎ方

午前中に打ち合わせとゼミをやって、午後は尊氏の命によりパソコンとにらめっこして、学内予算で消化できるPC機器を見つくろっていたらこんな時間。
文章書いてない、本読んでない。
(あ、でもプレスリリースは書いた。)

というわけで、一日の「過ごし方」ではない、過ぎ方。
こういう時間の使い方をすると、とてもなんだかなぁという気持ちになるのです。
とはいえ、一日自由に使えるから研究が進むわけでもないんだけどね。

なんだぁTwitterでつぶやくようになってから、ブログに書こうと思ってたこと忘れちゃうな。
未熟な研究者には毒なシロモノなのかもね。



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2010年01月25日

変態番付

世の中には、かわいそうなことに「普通の」人びとと性的嗜好を共有できない人たちがいます。
そうした彼らの振る舞いはときとしてセンセーショナルであり、ネットの住人たちはそれを面白がって記録します。
そのまとめられた結果が以下です。
(ところどころ伏字なのはこのブログの女性読者に配慮してという、無駄な紳士さである。)



【横綱】
磐田市内の県立高に侵入、女子生徒のスク水着て脱糞

【大関】
女子高生の上履きを盗み、コンビニでコピーしたものを見て楽しむ
19〜71歳女性に一瞬で××をかける18歳少年「早撃ちマック」
「セーラームーン」のコスプレで女性に近づき網タイツ越しに下半身を露出
馬と獣姦中、ア×ルを突き破られた男性死亡

【関脇】
ブルマー持参で小学校侵入、「学校ではくと快感」
女性宅に侵入し何も盗らずPCのスクリーンセーバーをエロ画像に変えた男
女子高生に変装し高校に侵入の男 上履きでバレる
男児4人をトイレに連れ込み、自慰行為見せた奄美大島の男性教諭
自分に浣腸をしてPAの排水溝に排泄を3年間続けてた北海道の男性教諭

【小結】
「大便もらしたので、拭くの手伝って」女子学生を車に連れ込み性器見せる
自宅ベランダで全裸になって腰掛けのような台に乗りライトアップ
Tシャツをまくり上げ、下に着用した女性用下着を小6女児に見せつけ
「服を脱いで襲った方が興奮した」目出し帽をかぶり裸の男、40代女性を襲う

【海外】
深夜にオムツだけを着て女性に「このへんにオムツ交換室はありませんか?」と尋ねる男…イギリス
妻帯者の男、アパートの住民に恋し目の前で自慰行為しながら追いかけ逮捕される…タイ
洗車場で掃除機を使って自慰行為をしていた男、行為中に逮捕される…アメリカ
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2010年01月13日

僕の髪が肩まで伸びて

君と同じになったら
君はたぶん 僕を指差して
キモオタ乙wwww と罵るだろう〜

前回髪を切ってから、髪が伸びるのが早い気がする。
なんでだろう、と思い理由を考えてみた。

1.栄養学的考察
髪の毛の成長は、十分な栄養に要因がある。
今回は、正月等のイベントにより通常より多くの栄養素を摂取していたので髪がのびるのが早い。

2.(環境)生物学的考察
髪の毛の成長には、安定した環境が必要である。
今回は、激務など生体に強い負担がかかってないので髪がのびるのが早い。

3.社会学的考察
そもそも「髪が伸びる」とは社会的に構築された命題ではないか。
それは測定可能なものか。
測定してないでそう思ったのであれば、それは単に意識の産物にすぎない。
「髪が伸びるのが早い」と貴方が思った要因は何なのかを考えるべきだ。(たとえば鏡をみる回数が多い状況に置かれている、とかね。)

3.民俗学的考察
昔から苦髪楽爪といわれる。
苦労しているので髪が伸びるのが早い。
もしくは、エロい人ほど髪が伸びるのが早いともいわれるので、エロくなったのではないか。

4.筋肉マン論的考察
火事場の馬鹿力とは、追い詰められたときほど力を発揮する能力のことだ。
ゼミ発表前に追い詰められることによって発揮された生命力が髪に集中しているんだー!

5.ブリーチ論的考察
芽吹け、春轟(プリマヴェラ・ジニーラ)!
クククわからんか。
教えてやろう。この能力は我が意志とは関係なく体組織の生成を促す能力だ。

6.5のハンターハンター論的解釈
それって強化系ってこと?

7.5のジョジョ論的解釈
それってスタンド(立ち向かうもの)ってこと?

8.ショーペンハウアー的実存論的考察
貴方は髪を増やしたいと思っている。
その意志が髪を伸ばしたのだ。

9.構造論的人類学的考察
髪が「長い/短い」とは差異の原理によって相対化されるものだ。
貴方は髪の長い自分という他文化に出会ったとき、同時にそれまで前提としていた「髪の短い自分」という自文化を発見したのだ。

10.キリスト教聖書主義的考察
すべてはカミの試練です



なるほど、こう考えてみると同じ現象に関して色々な切り口があるものだ。
ああこういう適当なことは書けるのに、専門化した論文はいいものがかけないという研究者として致命的な問題を抱えている・・・。

やってらんなーい。まあやるけどね。



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2010年01月11日

多様性の理解と確保のために2

前回いいそびれたこと。
ちらっと書いたけど、団塊の世代について。

 団塊の世代は、世代論のなかでも特異な存在感を漂わせている。
そして、その次に存在感をもつのは、僕がその末端に位置する「ロスト・ジェネレーション世代(ロスジェネ世代)」である。よくいわれている議論で世代をわけると、こんな感じ。

団塊の世代
しらけ〜新人類世代
バブル〜団塊ジュニア世代
ロスト・ジェネレーション世代
ゆとり世代

 そして、ロスジェネとゆとりの間(1982-1988)には「プレッシャー世代」というのがあるらしい。これは最近知った用語。
 もちろんこれは一般的に言われているものをまとめただけで、社会学的厳密性なんかはほとんどない。ただし、世間的にこれらの用語が浸透し、それが実効性をもっているかのように社会的現実を構成していることは一定の事実がある。(だからこそ僕はこんな文章を書いている。)

 ここからは実感論であり印象論。
 この団塊の世代と話していると、議論好きだなと思うことがある。とはいえ議論ならばいいのであるが、その大体は説教である。というか、社会における立場を考慮するとどうしても説教という形式になってしまうといったほうが適切かもしれない。
 そしてこの世代は、アカデミズムに何かしらの反発感を抱いていることも多い。「勉強して何の役に立つのか」や「大学の教員なんてのは社会の役に立たない」というのはよく耳にするセリフだ。面白いのは、後者の発言を当の教員自体もすることがあることである。とにかく、経験至上主義で実学志向が高い世代だと思う。

 対してロスジェネ世代は、議論志向というよりは協調志向。和をもって尊しと為すといえば聞こえはいいが、面従腹背の場合もあるのでおそらく「何を考えてるのかわからん」世代なんだと思う。そして、いわゆる世間や常識といった旧来の規範が戦後に相対化されてるなかで育ったせいか、常識が「ない」というより「知らない」。そのため常識の中で育った世代からすれば「何も知らない」ように映る。当人にすれば「教わってもないのにしらねーよ」というのが本音である。
 そんな協調志向で相対的無知におかれているロスジェネ世代は、(とくに後期〜プレッシャー世代にかけて)自分の行動や思想に確固たる拠り所を与えられていないので、何よりも重視するのはその「場」の文脈。ゆえに生まれてくるのが「空気を読む」というコミュニケーションの作法、となる。
 日本人は「空気を読む教」と言う人が居るし、山本七平という学者さんはだいぶ昔に「空気」の研究をしているが、それが意識されてつかわれるようになったのは21世紀に入ってからだ。正しいことや正しい振る舞いが保留されているからこその現在の「空気を読む」というコミュニケーション作法だと僕は考えている。
(それを考えると、このイディオムがサイバースペースで使われていたことが興味深いのだ。)
このように、団塊世代とロスジェネ世代はどうにも相性が悪い。

 簡単なダイナミズムを説明すると、ある世代的特長は、当世代が先行世代を逆転して参照する形でつくりだされている、と考えられる。
 一つの軸としては、年功序列形式の参照。つまり、団塊世代の次に措定されるしらけ世代の世代的特徴は、団塊のそれへのアンチテーゼから導き出される、ということだ。下って、団塊ジュニア〜バブル世代はしらけ世代への反発から世代的特徴をつくりだしていった、ということになる。ただしそれは反発の反発は元に戻ることを意味しない。団塊ジュニア世代はしらけ世代への反発して行動的だが、団塊世代と同じような行動様式にはなっていない。彼らの行動的な傾向性は団塊の世代とは別の側面に向けられているのだ。(端折っていうと、それは象徴的な消費活動に向けられている。)
 2つ目の軸は、―親―子―孫間での参照。親―子、子―孫間では反発が生じるが、親―孫間では孫は親という2つ先行する世代の価値観を需要しやすい、という仮定。こちらは行動様式ではなく、「価値観」という形で反映されやすい(ような気がする)。

 このダイナミズムについては、完全なる仮定の領域の話なので飲み屋話の域を超えないが、なんとなく理解できる部分はあるのではないかと思う。そしてこういうのは統計学のほうが説得力が生まれるので、誰かモデルをつくってくれないかなー、と思う連休最後の日。
 ま、昨日から研究室を出てないんでね。結局、机上の空論なんですけど。なんですけどー。
 



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2010年01月07日

多様性と理解の確保のために

3日に起きた胃腸あたりの違和感が、今日も消えません。
3日は食事をする気になれず、4日はなんとか食べられるものの油っこいものはダメ。5日は炭水化物オンリーですごし、6日はラーメン(もやしたっぷりの即席)を通じた今は、食欲は戻ってるし別に腹痛というわけでもないんだけれども、お腹がずっとグルグルいっているという状態。
しかも僕の脳みそはそのグルグルを間違って解釈しているらしく、たえず空腹感に苛まれてるという変な回路ができつつある。
まいるぜ。

思い当たるのは正月のいくつかの要因。

?.焼カキチキンレース(声に出すと面白い日本語)

ウチの実家は牡蠣の産地。
「牡蠣なんぞ捨てるくらいある」とはマイブラザーの弁(本人は漁業とは全く無関係)。
新年わがH家の正月祭(あれは会というより祭だな)でも殻牡蠣がたんまりで、外は大荒れの吹雪の中BBQコンロで牡蠣を焼くというイベントが発生。
あまりの大量の牡蠣に「こんだけ食べたら誰か一人は当たるのではないか」と囁かれるも無視して食べる。
結果、次の日従兄弟(24)が小当たり。
実はオレも?

?.トウガラシリアクション対決

牡蠣の後、H家本家の軒先に吊るされていた赤トウガラシを従兄弟(38)が「これ全然辛くないんだってばよ」と言いながらイトコ全員に喰わせる。
指名された人間はできるだけ大きいリアクションで食べなければいけない。
酔っ払った状態で何回か食べる。それがダメージ?

?.宮城特産ホヤのまさかの逆襲

正月祭翌日、高校の部活の同窓会。
そこで食べたホヤがあやしい?

?.たこ焼きパーティーに潜むワナ
同窓会翌日、中学の同級生の家へ友人Y介くん(28)と。
ついに母になった同級生へ出産祝い(絵本)を渡す。
「オレの一番好きな童話で、装彫が気に入ったヤツを選んだよ。これなら本棚に飾ってても悪くないかなって」
というセリフが僕の故郷におけるポジション童話以上に物語っている。
(あれ、そういえば最近コメントをよくくれる彼にサークルor仲間内でまとめて出産祝いしたんだっけ?教えてKuiEn!!)

?.連日の単なる飲みすぎ、胃疲れ

これが一番あやしい。
でも例年はもっと飲んでる気がする。加齢か?

?.正月の精神攻撃

物理的にではなく精神的なやつ。
今年は叔父(61)に散々言われました。もっともなやつから理不尽なやつまで。
知らんこと知らんといってなぜ「常識がない」となるんだろう…これだから叩き上げの団塊はムテキだぜ。


…とまぁ、要因を洗ったら正月の日記みたくなりましたね。
最近の帰省は、

・家族と親戚と会う
・高校の部活の同級生と会う
・中学同級生で未だに連絡の取れる唯一の2人と会う

に限定されるようになった気がします。なんでだろうと思うと、そういや去年の夏にケータイ失くして昔の知人の連絡先ほぼすべて消失したんだった。
つか、今年あたりまた小・中学で同窓会しようとかいうトンソクさんがいるんだろうなー。
誘われる前から言う。
都合により欠席します。ごめん、今回は行けなかったけど、皆によろしく伝えてね☆

本当は、胃痛の話はさくっと切り上げてタイトルの話をするつもりだったけど長引いていっぱいの量になっちゃった。
これが垂れ流しブログの悪いクセですね。
というわけで、タイトルの話はまた次で。



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2010年01月04日

手紙〜拝啓15のオレに〜

いつの間にか三が日もおわっちゃいましたね。
遅ればせながら、紅白を観ていて思ったこと追記です。
紅白に出る歌手(歌われる曲)というのは、最近はだいぶカジュアル化してきたとはいえ、やはり一定の傾向を持っていると思います。SMAPがいまだに『世界に一つだけの花』をうたっているのがその好例だと思います。

そんな中、今回僕がNHKらしいなあ、と感じたのがアンジェラ・アキの『手紙〜拝啓十五の君へ』です。
僕はよく知りませんでしたが、とても有名な曲で世代を問わずに好まれている曲だそうですね。合唱コンクールにも歌われるのだとか。

紅白では、アンジェラさんがピアノを弾きながら後ろでグリークラブ(というのでしょうか、)そんな方々の大合唱でした。
感想を言うと、いい曲です。
でもオレから言わせれば、いい曲すぎて「キツい」。

その理由をここで述べましょう。
この曲のコンセプトは、<15の僕>と<未来の僕>の手紙のやり取りという形でそれぞれの立場から不安や悩みや希望を語るというものです。
正直に言いましょう。
こんな<15の僕>はいせん。いや、正確には、僕はこんな15じゃなかった。
そして<未来の僕>が<15の僕>にこんな手紙を書くかといえば、それもあやしい。

手紙は「待つ」という時間ないし行為を必然的に含むものです。
手紙を書く側はその「待つ」という時間を先取りするわけで、手紙には「言いすぎ」や「躊躇い」が必然的に内包されるというのが僕の手紙に対する考え方です。
失礼ながら申せば、アンジェラさんの『手紙』にはその手紙性が欠けている、と僕には感じる。
要するに「スッキリ」しすぎているのだ。
その「スッキリ」のせいで、僕にはとても<15の僕>には届くようには思えない。同様に、<15の僕>は<未来の僕>にあまりにもさらっと悩みを話しすぎる。
まさにNHKや教師が押し付ける<15の僕>なのだ。
そこに強い違和感を覚えてしまう。

というわけで。
もっと自信過剰だったり必要以上に卑屈だったりする、そんな『手紙』のほうが、リアリティを確保しうるのではないか。
そう思って僕は≪15の僕≫に届く『手紙』を書こうと思う。

・・・なんだか真面目な調子で書いちゃったんだけど(論文書いてる最中に書くとこうなる)、最後に付け加えておくと、もともとの発想は「15のオレはこんな手紙かかんし、15のオレにこんな手紙書いてもぜってーつたわらんし」ということなのです。

原曲は著作権の都合で載せられないんだけど、想像しながら読んでみてくだしあ。


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2010年01月01日

あけ  てお  とう 

「あけましておめでとう」をどう書けば独創的になるか考えてタイトルを書いてみました。
これならば。

あけましておめでとうございます。
今年は超普通の年越しを済まして、朝からEメール年賀に勤しんでおります。
というわけで、茶の間で堂々とパソコン広げて家族団欒をかましています。よく考えると妙な風景だな・・・。

年末は忙しい風を装ってブログを更新しませんでした。
というわけで年始はもりもり更新しようと意気込んでいたりするわけです。

とりあえず紅白の話をすると、なんか久しぶりにじっくりと観た紅白は面白かったです。
普通に楽しめたのと、一回転して楽しめたの含めて、ですけどね。
MVPは妥当ですが、小林幸子さんでしょう。
メガ幸子は突き抜けていてサイコーでした。

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早速ネットではやはりできてましたね。
こんなとき才能の無駄遣いの人たちには感服します。


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そういや紅白では、嵐の歌を改めて聴いたけど、なんか売れてる理由が少しわかった気がした。


あと、BSのイチローの全安打特集もよかったですね。
あの夜中をフルに使う感じが、BSの心意気を感じました。
まあさすがにウトウトしちゃったんだけど。

起きたら番組が変わってて、キャンパスナイト大学とかいうやつをやってました。
なんか各大学のカウァイコちゃんズがケンドーコバヤシやらの芸人ズときゃいきゃいやってる番組でした。
ケンコバは相変わらずおいしいポジションだなあ、昔はこのポジションを死ぬほど切望したなあとか思いながら観てたわけですが、それよりカウァイコちゃんたち(素人?芸能人予備軍?)が元日からマラソンしたりせめぎあって商品PRしたりする様がなんだか僕をモノカナシイ気持ちにさせました。
普段観ないテレビを観ると色々考えることがあっていいですね。

その後チャンネルを変えたら、グラミン銀行総裁ムハマド・ユヌスの対談番組をBSでやってました。
これには素直に感動。
2010年に自分がやろうとしていることと重ねて、実践におけるアツい気持ちの大切さを実感しました。

「我々が達成する世界は、我々が達成したいと思う世界である」
                      ムハマド・ユヌス

彼は32歳で祖国バングラデシュの大学の学部長になってるんですなあ。ほほほ。

というわけで、思ったことはまだまだあるのですが、新年一発目の更新はさわやかに。
次のはもっとポイゾナスにいくよ。



cohkohchan at 10:50|PermalinkComments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!ニョッキ | 人様の偉業・遺業