2009年07月01日

マンハッタンJAZZ歴史旧跡巡り5

Bus Tour●New York Bus Tour
NY音楽歴史の旅:一日バスツアー
2009年10月24日(土)
9:00 am - 18:00 pm(9時間)
ホテル午前9時出発、

日本からのツアーは
Tトラベルのホームページ
http://ttravel.jp/ttour/0907/U09S700/index.html


主なルート(*印は、下車観光):
*《サッチモ・ハウス》(クイーンズ)
Louis Armstrong House












ジャズの創始者ルイ・アームストロングこと
サッチモ・ハウス入場。
通常(土)(日)は正午12時から一般公開ですが、
我々は特別待遇で10時から他の一般客は一切入れず、
貸切りにしてサッチモ邸を廻ります
(バス内でランチ・ボックスと飲み物付き)


ハーレム125丁目:
《クリントン元大統領の事務所》から《アポロ劇場》(通過)、
Apollo on 125th Street, Harlem






《マイルス・デイヴィス》
Miles Davis 77th Street













《ジョン・コルトレーン》
103rd Street Home













*《ダコタ・ハウス》(ジョン・レノン&小野洋子夫妻住居)Dakota House







《アメリカ自然史博物館》
《セントラル・パーク》
《5番街》
《ティファニー》
《セント・パトリック大聖堂》

*《ロックフェラー・センター》
Rockefeller Center







《ラジオ・シティ・ミュージック・ホール》
《カーネギー・ホール》(ベニー・グッドマンの名演で有名)、
《アトランティック・スタジオ》(レイ・チャールズ、コルトレーンらのレコーディング・スタジオ)
Atlantic Studio













《バードランド》+《キャフェ・ボヘミア》
(アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズらの名演で有名)
《フラット・アイアン・ビル》
《ユニオン・スクエア》
*《5 Spot》
(モンク+コルトレーン、ドルフィーとブッカー・リトルらの名セッション誕生地、オーネット・コールマンがデビューした伝説的クラブ)
《ジャズ・ギャラリー》
(60年コルトレーンがデビュー、61年ロリンズ復帰)、
《ドン・チェリー》
《フィルモア・イースト》

*《チャーリー・パーカー住居跡》、
Charlie Parker Place #1

Charlie Parker Place #3






*《ヴィレッジ・ヴァンガード》
(名ライブ誕生のメッカ)Village Vanguard








《ヴィレッジ・ゲイト》
(クリス・コナー、ハービー・マンの名盤誕生地)
a93555da.JPG







*《ハーフ・ノート跡地》
(コルトレーン65年のホーム・グラウンド、ウエス・モンゴメリーの名盤誕生地)
Half Note











2004年3月、英BBC-TV-1のクルーを引き連れ、ここでロケを敢行
ドキュメンタリー「Imagine: St. John Coltrane」制作協力及び出演。

*《スラッグス》:(1972年リー・モーガンが撃たれた所)
Slugs













《チャーリー・ミンガス》のアパート、
《マドンナ》のアパート
《アンディ・ウォホール》
などなど、
他のツアーでは絶対行けない究極のこだわり
音楽、芸術三昧ニューヨーク・バス・ツアー。

更に時間が許せば、
《市庁舎》
《グラウンド・ゼロ》

《バッテリー・パーク》から《自由の女神》を遠望
Statue of Liberty







狭いマンハッタンの中だけですから疲れませんし、
途中下車、(自己負担で)帰宅可。
お弁当は、特別注文の
アンチ・エイジング(抗加齢)ランチ・ボックスを予定

行程の途中《5C Cafe》でティ・ブレイクに、
オーガニック(無農薬有機農法)のコーヒー、スムージー、お菓子を予定。Cafe 5C







終点は《ICHIUMIレストラン》へ午後6時ごろ到着の予定。
服装:ラフでカジュアルな服装をお勧めします

●Dinner at ICHIUMI
《ICHIUMIレストラン》でビュッフェ・ディナー 
2009年10月24日(土)
18:00 - 21:00 pm
超豪華ビュッフェ・ディナー(百種類以上のメニューあり)
デザート(フルーツ、ケーキ、アイスクリーム)
サービス料(20%)+TAX込み。
ドリンク(ビール、ワイン、お酒、ソフトドリンクなど)
《ICHIUMI》32丁目の5番街とマディソン街の間(南側)
6 East 32nd Street, between 5th & Madison Avenues TEL: 212-725-1333
(目印:エンパイヤー・ステート・ビルディングから南へ1ブロック)

***現地解散→希望者はさらにジャズクランブへ
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2009年06月25日

クイーンズ・ジャズ・トレイル5

61918bd0.JPGNYでジャズ・ジャイアンツの邸宅を巡るツアー
2009年10月23日(金)実施、予定中。



日本からのツアーは
Tトラベルのホームページ
http://ttravel.jp/ttour/0907/U09S700/index.html

ニューヨークのクイーンズ区は、
マンハッタンからイースト・リバーを超えてすぐ北側の地区だが、
1920年代から数多(あまた)のミュージシャンが居を構え、
夜毎ハーレムに、52丁目に、
そしてヴィレッジへと繰りだして行ったところである。

代表的なミュージシャンだけでも、
ルイ・アームストロング、
ディジー・ガレスピー、
ファッツ・ワーラー、
カウント・ベイシー、
ベニー・グッドマン、
グレン・ミラー、
レスター・ヤング、
ビリー・ホリディ、
エラ・フィッツジェラルド、
ナットとキャノンボールのアダレイ兄弟、
チャーリー・ミンガス、
ジミー・ヒース、
そして
ジョン・コルトレーンに至るまで住んでいたというから、
いかに居住地として快適であったかがうかがい知れる。

間もなく(7月1日頃)、T-Travelのホームページで
http://ttravel.jp
このクイーンズ・ジャズ・トレイルのツアーを募集します。
初日に訪れる所は、およそ次の箇所を予定中。

JFK空港から
目指すはセント・アーバンズ(St. Albans)の
アディスレー・パーク(Addisleigh Park)地区。
113番街(113th Avenue)は
ミルト・ヒントン・プレイスと名付けられた道路標識が目印
Milt Hinton Place

写真家としても一流の腕前を見せたベーシスト、ミルト・ヒントンの居宅に到着。

前庭の芝生も手入れが行き届き、
円錐型の門が可愛らしい家だ。
1950年に購入したこの家で、
2000年に生涯を閉じるまでの半世紀、
彼はクイーンズでの生活をエンジョイしたようだ。
'36年からキャッブ・キャロウェイのバンドに長期間参加したのはもとより、
ビング・クロスビー、チャーリー・ミンガス、ジョン・コルトレーンらとも共演し、
ポップスの世界でも、ベット・ミドラーやポール・マッカートニーとも共演するなど
幅広い活躍で知られていたベースの名手だ。
Milt Hinton








そこからすぐのアデレイド・ロード(Adelaide Rd.)に、
ピアニスト、バンド・リーダーとして一世を風靡したカウント・ベイシーの家が在る。
1936年マンハッタンに再び舞い戻ってきたベイシーは、
自らのオーケストラを率いるが、
当時のメンバーにはレスター・ヤング、バック・クレイトン、ハリー・エディソン、
そしてヴォーカリストのビリー・ホリディやジミー・ラッシングらがいたのだ。
彼らはハーレムのウッドサイド・ホテルに住み、
'38年名曲「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」が生まれたことは良く知られているが、
ベイシーは'46年からクイーンズのこの家に移ったのである。
最小限の音で、最大のスイング感を引き出す、
まるで魔術師のような彼がここに住んでいたのかと思うと、
感慨深いものがある。
以外に瀟洒な造りだ。
Count Basie






次はセイアーズ・アヴェニューと174丁目の角。
Sayres Avenue + 174th Street

ストライド・ピアノの名手
トーマス・ファッツ・ワーラーの大きな家。

ユーモアあふれるほのぼのとしたセンスにファンが多く、
アメリカでファッツの人気はたいへん高い。
ここらが日本と違うところだ。
クイーンズのアディスレイ地区に住んだ
最初のアフロ・アメリカン(黒人)であり、
(内部の見学は出来なかったが)この家には
ビルト・インされたハモンド・オルガンと
スタインウェイのピアノがあるそうだ
Thomas













デューク・エリントンは、
ジャングル・スタイルと呼ばれる独創的なアンサンブルを創出し、
ダンス・ミュージックを鑑賞音楽のレヴェルにまで引き上げた功労者だ。
ハーレムの『コットン・クラブ』に出演していた3年余の間に、
「ムード・インディゴ」
「ザ・ムーチ」
「黒と茶の幻想」など
不朽の名作を残すと共に
「バンドがわたしの楽器である」の名言通り、
バンド・リーダー、名作曲家、ピアニストとして名を馳せた。
そのバンドを引き継いだ息子マーサー・エリントンは、
このアディスレー・パーク地区に住んでいたのだ
Mercer Ellington







ところでこのツアーを廻る途中、
巨大な家に出くわした。
ジャズと並んでアメリカが生んだ偉大な文化のひとつ、
プロ野球大リーグのホームラン王、
ベーブ・ルースの文字通り“大邸宅”だ。
1920年から40年までの20年余り
ベーブ・ルースはここに住んで
ブロンクスのヤンキー・スタジアムに通い、
生涯本塁打714本の大記録を打ち立てたことは、
どなたもご存知のはず。
Babe Ruth






ベーブ・ルース大邸宅の南側は
リンデン・ブールバード(Linden Blvd.)と言う大通り。
すぐ右手に見えるのが
クーティー・ウイリアムスの家だ。
1948年ごろから63年まで
トランペッターのクーティはここに住み、
その後ソウルの大御所ジェイムス・ブラウンが
71年から77年までの6年間をここで暮らした。Cootie Williams + James Brown







ベーブ・ルースの家を右に、すなわち東へ折れると
今度はボクサーであるジョー・ルイスの家が隣に在る。
ニックネームは
褐色の爆撃機(The Brown Bomber)
11年間の王座在位中に、
全階級通じて最多防衛記録である世界王座25連続防衛の記録保持者であり、
現在もこの記録は破られていない。
ジャック・ジョンソン以来、
史上二人目のアフリカ系アメリカ人(黒人)
世界ヘビー級王者である。
Joe Louis







ジョー・ルイスの家からマードック・アヴェニューを東進し、
179丁目にやってきた。
179th Street @ Murdock Avenue





マードック・アヴェニューの179丁目を左(北)に曲がると、
歌手レナ・ホーンの家が在る。
本来一軒だけだったが、
アメリカのショウビス界で大成功を収めた彼女は
両隣の家も購入し、3軒続きで
優雅な生活を謳歌したようだ。
特に43年“ストーミー・ウェザー”の大ヒットは
一大センセーションを巻き起こし、
歌に専念するため西海岸キャリフォルニアのハリウッドから
この地に引越して来たのである。
そして81年、ブロードウェイのミュージカル
“レナ・ホーン:ザ・レイディ&ハー・ミュージック”は、
一人の女性歌手のミュージカルとしては
異例のロング・ラン公演を達成し、
ブロードウェイの記録を塗り替えたのである。
Lena Horne







マードック・アヴェニューの179丁目を逆に右に曲がる(南下する)と
ピアニストのワイルド・ビル・デイヴィスの家も在って、
このアディスレー・パークはミュージシャン密集地帯。
Wild Bill Davis







心地よい風がすり抜け、柔らかな日差しを浴びながら、
ワン・ブロック西側の178丁目も歩く。
イリノイ・ジャケーの家だ。
豪快なブローが身上のテキサス・テナーの雄イリノイは、
ライオネル・ハンプトン楽団での
“フライング・ホーム”のソロで知られる。
そのハンプトン、
デューク・エリントン、
マイルス・デイヴィスらと共に
一列に並んで、
イリノイ・ジャケーが
ブロンクスのウッドローン・セメタリーに埋葬されている。
こちらも、別の日(2009年10月25日)に
特別「お墓参りツアー」を企画中。
Illinois Jacquet






ヴォーカリストでありトランペッターであった
ラッセル・ジャケーは
そのイリノイの兄貴で、隣に住んでいた。
Russell Jacquet







ツアー最後の締めくくりは、
エラ・フィッツジェラルドの「ステキなおうち」
と言う表現がピッタリな邸宅を訪ねる。
シンメトリーに配された小窓のある可愛いらしい二階建てで、
強い日差しに映えた芝生の緑がとても印象的だった。
58年間の歌手生活の中で、
13個のグラミー賞や4,000万枚の売り上げは
まさに「ファースト・レイディ・オヴ・ソング」の面目躍如たるものがある。
デッカ・レコードでヒット曲を連発したあと
50年代からここに移り住み、
'55年にはヴァーヴと契約して
コール・ポーター、ロジャース&ハート、エリントンらの名曲集を綴っていったのである。
Ella Fitzgerald







ジョン・コルトレーンが
1959年から1963年まで暮らした
メキシコ・ストリートの家。
門扉を開けて
パティオ(前庭)をエイヤッと数ステップし、
更に4段のステップ(階段)を昇る。
これらの行為が名曲「Giant Steps」の語源になったのである。
地下室には、アスレチックの器具もあり、
サックスの練習も24時間可能になり、
さらなる飛躍に向けて前進あるのみ!
John Coltrane






今回全部の家(リストアップされているだけで85軒)を
廻ることはとうてい不可能であったが、
ちなみにジャクソン・ハイツには
クラリネットのベニー・グッドマンが住み、
ジャメイカにはストライド・ピアノの先駆者ジェームス・P・ジョンソンが居たり、
パーソンズ・ガーデンのアパートにはビリー・ホリディも一時期住んでいた。
これらの情報はQueens Jazz Trail Map(一部9ドル95セント)に詳しい。
下記のウエッブ・サイトにアクセスすればその地図をメール・オーダー出来るし、
クイーンズの他にハーレム、
イースト・ヴィレッジ、
ロウアー・マンハッタンなど
計4種の地図も手に入る。
http://www.ephemerapress.com61918bd0.JPG








現在(2009年6月)、
アメリカの景気悪化で
予算が得られず休止状態に成っているが
フラッシング・タウンホールから、
毎月第一土曜日の午後、
クイーンズ・ジャズ・トレイル(Queens Jazz Trail)のバスが出ている。
Flushing Town Hall:
137-35 Northern Boulevard, Queens, NY 11354
TEL: 718-463-7700
www.flushingtownhall.org
(休止中)
Flushing Town hall
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2009年05月31日

ウッドローン・セメタリー(墓地)5

e59a9775.JPGマンハッタン島の北の端ブロンクスに在る
ウッドローン・セメタリー。

ウェッブスター・アヴェニューと233丁目の北東角のメインゲートから入り、
受付に行って事前にFAXで申請しておいた写真撮影許可願いを提出し、
サインをもらう。
ここは観光地ではなく墓地なので、
お参りの方々には気を使う必要がある。

下記ジャズメン以外にも、
百貨店ウールワースやメイシーズの創業者をはじめ、
ラガーディア元ニューヨーク市長、
フランクリン・ルーズベルト元大統領
また野口英世、高峰譲吉など日本の偉人も埋葬されており、
http://www.thewoodlawncemetery.org/
にアクセスすれば、
ジャンル別埋葬者リストも載っているし、
撮影許可申請書もある。

この墓地を参拝するツアー:
2009年10月23日(金)実施予定中。
日本からのツアーは
Tトラベルのホームページ
http://ttravel.jp/ttour/0907/U09S700/index.html


まず、第一に訪れたのがマイルス・デイヴィス。
その大きさに圧倒される。
美しく黒光りする御影石の巨大な墓石には
「サー(Sir)」の称号が贈られ、
下段には自作「ソーラー」(『Walkin’』で初演)の譜面が刻まれている。
この付近で最大級の大きさと美麗さは、
まさに「帝王」の威厳を死後も遺憾なく発揮しているようだ
Miles Davis






ヒーザー・アヴェニュー(Heather Avenue)をはさんで
左隣がデューク・エリントンだが、
こちらは地面に埋もれるプレートという形である。
1974年当時はそのような墓石が一般的だったのかもしれない。
Duke Ellington







しかし、その背後にそそり立つ左の木の大きさが
マイルス(右)をはるかに凌駕し、
20年近くの“差”(マイルスの死は1991年)を感じさせる。
夏にはこの木も緑の葉っぱをいっぱい茂らせて彼らを強烈な日差しから守るのだろう。
Duke Ellington + Miles Davis






エリントンのさらに左隣には
道路(ノールウッド・アヴェニュー(Knollwood Avenue)を挟んで
ライオネル・ハンプトンが祭られている。
生年月日も死亡年月日も何も刻まれていないし、
背後もシンプルで、すっきりしている。
白い御影石の表面に刻まれた「フライング・ホーム」という文字は、
かれの大ヒット曲であり、
おおきな墓石には台座が付いて鎮座している。
この威風堂々とした様が素晴らしい。
Lionel Hampton







一方、マイルスの右隣にはイリノイ・ジャケーが葬られ
真新しい黒御影石にテナー・サックスを演奏する姿と、
抱きかかえる姿が美しく刻まれている。
「あなたは永遠に我々の心の中に」と言う文字と共に、
サックスの口からは、
「オーム」の梵字(サンスクリット語)が刻まれていてビックリした。
それも三つも描かれている。
Illinois Jacquet















手前の「一反木綿」の様な墓石は
ライオネル・ハンプトン
その向こうの大きな木の下のプレートが、
デューク・エリントン
四角い黒御影石がマイルズ・デイヴィス
向うの丘のふもとがイリノイ・ジャケー
四者がなんと一列に並んでいる。
Hampton, Ellington, Davis, Jacquet #1
Hampton, Ellington, Davis, Jacquet #2





逆方向から見る【写真右】
各人さまざまな生前の想いが込められた墓石が据えられ、
「なるほど」と唸ってしまった。


マイルスと同じアルパイン(Alpine)と言うブロックには
ひっそりとクーティ・ウィリアムスの墓石が置かれていた。
かれは1985年9月15日に亡くなっているが、
2000年8月に亡くなった妻キャサリン夫人と共に
ひとつの小さな石に記されているところがほほえましい。
Cootie Williams







我々は車でさらにジャズ・ジャイアンツの墓石を探す。
幸いデイヴィッドが以前一度来ていたので、
発見は意外と簡単であったが、
それでもW.C.ハンディの墓標ほど難しいものはなかった。
大きな石の後ろに隠れるように置かれていたからだ。
墓標の譜面は
「セントルイス・ブルース」の一小節が刻まれていた。
W.C. Handy
W.C. Handy #2














コールマン・ホーキンスの下段には
幼くして亡くなった(おそらく親戚の子供であろう)
パヴァーヌという文字も見える。
Coleman Hawkins







ジャズのパイオニアであるキング・オリヴァーは、
最近ニュー・ジャージーのファン・クラブ有志によって
ようやく墓石が置かれたらしいが、
それまで放ったらかしの憂き目に会っていたようで可哀想。
彼こそジャズのパイオニアなのに、
人種差別がつい先日まであった証拠だ。
King Oliver #1

King Oliver #2






「ホワイト・クリスマス」
「アニーよ 銃を取れ」
「ショウほど素敵な商売はない」などの大ヒットで知られる
作曲家アーヴィング・バーリンの傍らには
星条旗が掲げられていた。
第二のアメリカ国歌と言われる
「ゴッド・ブレス・アメリカ」を作ったのも彼だ。
Irving Berlin














今回の墓参りで一風変わった埋葬のされ方は
ヴァイブラフォンのミルト・ジャクソンであった。
かれはモスリム(回教徒)なので、
ブルックサイド・コミュニティ・モスリムという建物の中で、
赤御影石のパネル式になって祭られていた。
Milt Jackson







ちなみにマンハッタンには至る所に
故人の遺業をしのぶ道路標識が掲げられている。
6番街52丁目に掲げられているのは
W.C.ハンディ・プレイス
W.C. Handy Place







デューク・エリントン・ブールバードの
道路標識は
ブロードウエイの106丁目南西角。
ちょうどジャズ・クラブ「スモーク」の
北側に位置する。
Duke Ellington Boulevard






墓石と道路標識によって、
ジャズ・ジャイアントの偉業は、
今もそしていつまでも我々の心の中に生き続けてゆくことだろう。
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2009年05月26日

NYの月とスッポン5

532bf054.JPG2009年4月27日〜5月12日
NY滞在記は、こちら
http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10340980/

写真40枚掲載中
イースト・ヴィレッジのプエルトリコ食堂
ユニオンス・クエアーの豪邸
ハーレム・ツアー
クイーンズのイリノイ・ジャケー未亡人宅訪問
などなど、

まもなく、9月27日と10月4日(共に日曜日)に開催予定の
NYジャズ・ウォーキング・ツアーの詳細をアップしますので
奮ってご参加ください。

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2009年05月25日

ハワイに来たぞ〜!4

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2009年03月31日

20年ぶりのパリ

18f36157.JPGほんとに、久々のパリ。
しかし、そう感じさせないのは、
1995年以来毎年7月、南仏コート・ダ・ジュールへ、
そして2000年以来毎年7月、ヴィエンヌ(リヨンの隣町)
この二つのフランスの町へ旅しているからだろう。

得意ではない、舌がからまりそうなフランスの発音を聞くのも
ようやく慣れてきたが、
まだまだ生活レベルの会話もおぼつかない。

「高くてまずい」
こう言う概念しか無かったので
20年もご無沙汰してしまったが、
今回は、Mixiを通じてSeiさんと言う
とても素晴らしい方と出会い
最高の滞在を楽しむことが出来た。
これもネット時代ならでは。

Seiさん、有難うございました。

より詳しくは、50枚の写真と共に
ここに書いています。
http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10324625/


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カナリア諸島のカーニバルと極楽ビーチ5

d47b59fd.JPG旧友ドイツ人、ハラルド・ダヨット
(Harald Dayot)がリタイヤーして、
フランクフルトからスペイン領カナリア諸島のラス・パルマス(Las Palmas)へ移住してから6年余り。
いつかは行ってみたいと思っていたこの島国へ、遂に行くチャンスが到来。
ハラルドの嫁さんリンダと大の仲良しのぼくの母(77歳)が、
「パスポートの期限が切れるまでに、リンダとパイヴィさん(パリ在住)に会いに行きたい」
と言う。パスポートの期限は2009年6月末。
で、今回の旅が実現。
2009年3月13日
関空発フランクフルト経由マドリッド行きに乗る。
母が、車椅子が必要で、長距離フライトが困難と言うことで、
一夜マドリッドで一泊することにした。
マドリッドの空港から、無料シャトルバスで
Hilton Madrid Airport Hotelへ。
このホテルがまた快適。
なぜかと言うとNW(ノースウェスト航空)が、
無料でヒルトン・ホテルのゴールドカードを贈ってくれたから。
昨年7月、ミュンヘン(独)、
9月、ローリー・ダーラム(米ノースキャロライナ州)の2度利用し、
いずれもエクゼクティヴ・ルームへ無料アップグレード、
エクゼクティヴ・ラウンジも使用(アルコール飲料、スナックの無料提供など)出来て、ミール(朝食)も付く。
それで料金が二人でUS$100と、安い! 
こんなおいしい話は無い。
快適な滞在を一晩楽しみ、翌朝、MAD-LPS行きのスパンエアーに乗る。

が、実はこの便は昨年墜落しているのだ!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%BCJK5022%E4%BE%BF%E9%9B%A2%E9%99%B8%E5%A4%B1%E6%95%97%E4%BA%8B%E6%95%85

3月14日(土)は無事に飛び、
グラン・カナリアのラス・パルマス(LPS)空港へ着陸。
ハラルドの出迎えを受け、
一路彼の自宅が在る南部の
モンタナ・ラ・ダータ(Montana La Data)へ30分のドライヴ。

3月15日(日)
なぜか晴れているのに空気が淀んでいるようで、スッキリしない。
で、判ったのが“カリマ(Calima)”と言う現象。
ここの東隣はアフリカ大陸、モーリタニア。
そのサハラ砂漠から風に吹かれて細かい砂塵が飛んで来て
このカナリア諸島に降り注ぐと言う。
日本に降り注ぐ中国の黄砂と同じと思えば判り易い。
そう言えば昨年10月30日、西アフリカ、セネガルのダカールへ旅した時も、
空港に着いたらぼんやり煙っていたなぁ。
ちなみに、セネガルはモーリタニアの南隣り。

島の南西には、美しいビーチが点在する。
そこに欧州からの資本が投入され一大リゾートになっている。
その中のひとつ、アマドレス(Playa de Amadores)に海水浴に行く。
水はまだ冷たいが、みんな楽しく泳いでいる。
そして美しい砂浜には、これまた美しいトップレスがわんさか、
ウハウハ状態。

昨年は、
2月にニュージーランド(太平洋)、
7月にモナコ(地中海)、
8月にトルコ(エーゲ海)、
9月にNY(大西洋)、
10月にセネガル(大西洋)、
11月にモナコ(地中海)、
今年は、
2月にトリニダード(カリブ海+大西洋)、
世界中のいろんな海岸にトップレスを求めて彷徨したが、
遂にパラダイスを発見!

“カリマ”に煙りながら水平線に沈む夕陽もまた、
格別の趣が有る。

3月16日(月)
今日も“カリマ”で景色は霞んでいるが、
朝から山手の方をドライヴ。
モンテ・レオン(Monte Leon)、言ってみればライオン山である、
アヤガウレス(Ayagaures)は人工湖。
午後になってグラン・カナリア島南部の景勝地でありリゾート地である
マスパロマス(Maspalomas)に。
灯台(Faro)から東へ海岸沿いにずっと砂丘が続き、
終点がプラヤ・デル・イングレーセ(Playa del Ingles)。

この間、トプレスだけでなく、ボトムレス、
すなわち上下無しのスッポンポン、ヌーディスト・ビーチが有るのだぁ!
これには参った。
しかも数人ではなく、何十人、何百人いるやら判らない凄い数である。
次回はじっくり滞在して、
自分もスッポンポンに挑戦してみようかなあ…(苦笑)

マスパロマスとプラヤ・デル・イングレーセには、
そこら中に「RIU」など、カリブ海〜大西洋沿岸にリゾートを展開する
大型リゾート・ホテルが見える。
こう言う所は、「オール・インクルーシブ」
すなわち宿泊に全食事が付くパッケージがとても安い!
2007年1月、ドミニカ共和国のプエルト・プラータの
「RIU Mambo Hotel」に泊まった時は、
海岸沿いに建ち並ぶ3軒続きの系列ホテルの
何処で朝昼晩食べてもOK、
しかもプールサイドのバー、
部屋の中の冷蔵庫もすべて飲み放題、
全て込み、
一泊二人で80ドル!超激安!

ただし、「リゾート」と言うのは、第三世界のような未開地、
特に大西洋、カリブ海沿岸諸国に、
欧米型の大型ホテルを無理やり作っているので、
決してその国の文化、風俗などに触れる機会は少ない。
こう言ったリゾートは、何処へ行ってもほとんど同じ欧米型、
特に食事のメニューは欧米人向けの
バーガーや、チキン、サンドイッチなどなど、
地元の料理は皆無である。

今回ぼくの場合は、友人ハラルドの奥さんリンダの手料理が
素晴らしく美味いので、
こう言ったホテルは基本的に必要ない。
スーパーマーケットで、ハモン・イベリコ(イベリコ豚のハム)を購入し、
早速ディナーで頂くと、これがさすがに美味い!!!

3月17日(火)
グヮヤデケ(Guayadeque)と言う所には、
かつて原住民が住んでいた洞窟が、
今も山の斜面にたくさん見ることが出来る。
外敵から身を守るため、
急な斜面に出来た「穴」の中で生活していた人々が居たのだ。
いまでは、電気を引いて文明的な生活を送る人がいるし、
レストランとして利用されている所もある。

このグラン・カナリア島は、火山の噴火で出来た島で有り、
地中に溜まった火山性ガスの気泡が、その後冷えて洞窟となり、
人々の家として利用されたらしい。
ミイラを作る技術も持ち合わせ、きわめて高度な文明をもった原住民は、
ほとんど現在では途絶えてしまったと言う。
 
帰路、アグィメ(Aguimes)と言う町に立ち寄る。
石を効果的に配した家のデザインがユニークで、
この一角だけが小人さんの国のような特殊な街並みを形成している。
で、環境の為、犬のうんこ用の紙袋も街角に設えてある。
パリなどは、こう言うのを見習ってほしいものである。
未だにうんこを放置する人が多いのは困ったもんだ。
 
 3月18日(水)
 島の南西部のリゾート地は、モーガン(Mogan)。
「グラン・カナリア島のサントロペ」と呼ばれる景勝地である。
雨に降られながらも、一日ゆっくりと観光。
 
3月19日(木)
グラン・カナリア島の首都、ラス・パルマスへ。
道中、風力発電の風車が至る所に見受けられたが、
この強い貿易風を利用して、クリストファー・コロン(Christopher Colon)ことコロンブスは、
1942年8月3日、スペインのパロス港を出港し、航海に出て行ったのだ。

途中、舵(かじ)の修理のためにラス・パルマスへ寄港、
南端のマスパロマス沖を通過して、
西隣のガメラ島から船はさらにアジアを目指して西進する。

サンタ・アナ教会の隣には、
そのコロンブスの全4回にわたる航海の全貌を解説する博物館
《Casa de Colon》が在り、実に興味深い。
彼は、南米大陸を発見し、
自分の名にちなんでコロンビアと名付けたが、
最後までアジアを発見したと思いこんでいたようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9

夕方、ハラルドの友人の店(車椅子屋さん)で、
母の手押し車の部品を修理してもらう。
母は大喜び。

ACホテルの最上階から北を望むと、
左に美しいカンテラス(Playa de las Canteras)ビーチが見え、
夕食はそこに新しくできたレストランでシーフードに舌鼓。

3月20日(金)
グラン・カナリア島の山並みは、火山の噴火した溶岩が、
急激に固まって奇妙な形を形成し、
それが名所として人々の来訪が絶えない。
ヌブロ岩(Roque Nublo)、
ニーヴェ頂(Pico de las Nieves)など、
ユニークな形が目を引く。
しかも雲の絡まり方も奇怪で、ドラマチックである。

面白いことにここカナリア諸島は、
イギリスからの移民が15%、
ドイツ人10%と、
ハラルドらのようにリタイヤーした人々が、
温暖な気候を求めて移住する。
中でもドイツ人やスカンジナビア人はサイクリングが大好きで、
この険しい急な坂道を自転車で踏破する人々をたくさん見かけた。

3月21日(土)
この島にやって来てから1週間以上たって、
ようやくサハラ砂漠からの砂塵“カリマ”が治まり、
ブルースカイの下、遠望が利くようになった。
15日の写真との比較で一目瞭然。

再びマスパロマスの灯台(Faro)から
プラヤ・デル・イングレーセに続く海岸沿いのヌーディスト・ビーチへ行って
目の保養。
もっとも、年配が多く、期待するほどの若い人々は皆無であった…(涙)。

スペインに来たのにパエリアを食べていないのは片手落ちと言う訳で、
コスタ・メロネラス・ホテルへパエリアを食しに出かける。
味はいまいちで、期待が大きすぎた分、落胆も大きかった…(涙)

カーニバル
食後、この旅のハイライトのひとつ、
カーニバル(Carnaval:カルナバル)へ。

プラヤ・デル・イングレーセのクイーンを先頭に、
綺麗所がオープンカーに乗って行進。
そこまでは良かったが、スペインと言う国は、
ゲイが市民権を得ており、ゲイ、おかまの類も大挙出演、行進。
いったい誰が女性で誰が男か、見分けがつきにくい時もあって困る。
トリニダードのような大音量の音楽は無く、
むしろコロンブスに由来するコスチュームや、
海賊の恰好が多く、
皆それぞれに凝らした工夫の跡が楽しい。

TVやDVDの普及で、家庭でも気軽に、
いつでも世界中のニュースや株価情報、映画、音楽と言った娯楽を
楽しめる時代になった今日でも、
カーニバルはやっぱり目の前で展開される参加型娯楽の筆頭であり、
実に楽しいものである。
この島でも町ごとにカーニバルが有るようで、
我々が見たプラヤ・デル・イングレーセのより、
首都ラス・パルマスの方が、
(ぼくらは見ていないがハラルドが撮影したビデオから判断しても)
相当規模が大きいようだ。
先月、カリブ海のトリニダード・トバゴで見たカーニバルは、
さすがに世界三大カーニバルのひとつであった。
(「トリニダード・トバゴのカーニバル」を参照)

こことの大きな違いは、
アフリカから奴隷として連れて来られた黒人が90%以上であり、
大音量で踊り狂うところであろう。
今日はその点、90%までが白人であり、
しかもオカマ、ゲイが3分の一ほども居るかのように思うし、
どちらかと言えばおとなしく行進する。
キャンディをまき散らしたり、紙吹雪が舞い散ったり、
そのたびになぜか手が伸びて、子供のようにはしゃいだ。
カーニバルは目の前で展開されるので、
迫力満点、最高の体験であった。

3月22日(日)
朝、5時に起床して、6時に家を出たのに、
途中で検問(昨日からのカーニバルで酔っ払い検問かな?)、
事故(カーニバルで酒酔い運転によるものかな?)で、
途中のハイウエイは大渋滞。
やきもきしながら1時間遅れで空港へ到着、何とか滑り込みセーフ。
ヒヤヒヤですが、無事にパリへ移動。

より多くの写真(48枚)は
「4Travel」にアップしています。
http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10322424/
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2009年02月28日

トリニダード・トバゴのカーニバル5

ead232d1.JPGトリニダード・トバゴのカーニバル

ニューヨーク(NY)の親友、ホリス・キング(Hollis King)の古里
トリニダード・トバゴ(Trinidad and Tobago)。
カリブ海諸島の中で、最も南アメリカに近い位置に在り、
石油、アスファルトなど豊富な資源に裏打ちされた、
豊かな経済と、美しい自然を持つ素晴らしい国です。

現地の発音はトリニダッド・エンド・トベイゴが、より近い発音で、
独立国でありながら、未だに英国大使館発給のVISAが要る国です。
しかし、英国大使館VISA申請課の申込用紙には、
「トリニダード・トバゴ」の欄は無く、
自分で手書き。
植民地が多すぎて忘れ去られたようです(笑)。
しかも、首都は「ポート・オヴ・スペイン」。
スペインの支配下にも有った国で、原住民はこう言った欧州の人達に抹殺され死滅。
その後、プランテーションの労働力の為、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人が大多数を占め、その他はインド、中国系の移民による人口構成の島です。

トリニダード・トバゴ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%B4"

ともあれ世界三大カーニバルひとつとも言われている、
トリニダードのカーニバルへ遂に行くことに決定!! 
2009年2月20日、氷点下のNY、
JFK空港からDelta航空で、アトランタ経由、ポート・オヴ・スペインへ。
息子の弘樹(18)は、カリビアン・エアーの直行便で現地集合!
理由は、Delta便は既にソールド・アウト、
カリビアン・エアーは格安で五万円ちょっと。
どちらの便も午後9時前後にポート・オヴ・スペイン空港到着で、問題無し。
イミグレーション(入国審査)、カスタム(税関)を出ると、
早速スティール・ドラム(Steel pan)を叩く楽隊の激しいリズムが響き渡り、
カーニバルの雰囲気はいやがうえにも盛り上がる。

ホリスのいとこのグレンさん(Glen Small)一家総出の出迎えを受け、空港から15分ほどで瀟洒なグレン・スモール家に到着。
翌朝、起きてみて判ったが、隣近所の家も大変カラフルなペインティング。
果物屋さんも太陽に恵まれた豊富な種類のフルーツをてんこ盛り。

年に一回のこのカーニバルでは、
スティール・ドラム、
リンボウ・ダンス、
そして最も素晴らしいコスチュームのグループらが表彰されるとあって、
地元民の熱の入れようは中途半端ではない。
しかも、アフリカから元々奴隷として連れて来られたアフリカ系人種が最も多く、
皆、真っ黒で、とてつもない大音量の音楽に合わせて情熱的に腰を振り、踊り狂うのが特徴。
特に“ハンズ・イン・ジ・エアー(Hands in the Air)”と言う歌詞を、
両腕を天高く突き出すようにしながら繰り返し何度も合唱する。

ぼくは、これまで日本三大祭と言われる
京都の祇園祭、
大阪の天神祭には、
それぞれ(油天神山の先頭旗持ち、地車引きで)何度も参加したことが有るほど祭好きだけど、
祇園祭は「コンコンチキチン」に合わせて山鉾がゆっくりと練り歩き、
天神祭も催し太鼓、ダンジリ(地車)囃子は勇壮なものの、
岸和田のような疾走は無く、大人しく市中を練り歩くのみ。

ところがこのトリニダードのカーニバルは、最初から最後まで、歌い踊り狂うので、相当な体力を要する。
アフリカ系人々の恐るべき強大なパワーと持久力を思い知った祭りであった。

スティール・パン:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3
リンボウ・ダンス:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9
カーニバル:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB
到着翌日21日夜、
早速ポート・オヴ・スペインの市内へ出掛け、
スティール・パンのコンテストを見に行くが、
人人人の波波波。
スティール・パンを乗せたリヤカーの列の後を付いて行ったら、
いつの間にか我々は、なんと舞台の上へ。
大観衆の前へ出て来てしまったが、逆にこれが幸いし、
舞台袖の特等席で見学。
かわいいカーニバル・クイーン達もハイ・ポーズ。

22日、オフの日には、
「海水浴へ行こう」と言うことになり、
島の北東側、マンザネーラ(Manzanella)ビーチを目指す。
が、スコールと激しい風で、現地での水泳は断念。
しかし、美味しそうな蟹(カニ)を購入。

夜は、ホリスの友人の娘さんの結婚披露宴に招待を受ける。
こちらもなぜか大音響、飲めや踊れやで深夜まで大盛り上がり。

23日は、朝からグレンさんの奥さんが、
我々が前日買った蟹をカレー風味で料理。
これがウマすぎる〜〜!
で、いよいよメイン・フェスティバル、23日、24日の二日間。

23日は、午前5時に起きて会場へ行ったが、
夜が明ける前からペンキの塗り合い行進が始まり、
我々は出来るだけ離れて見学。
洗えば取れるペンキらしいけど、これは大変だ〜!

お昼ごろからは、
「小林幸子も真っ青な」“巨大な羽根”を背負った人々が続々行進。
24日は、更に着飾って町中を行進。
いずれも大音響の激しいリズムで踊り狂う。

2月とは言え、ここトリニダードは逆に真夏。
降り注ぐ太陽の下、
一年間稼いだ金をこの日にすべて使うのではないかと思わせるような、巨大で豪華な衣装の数々。
真っ黒な体に飾りの付いた衣装が良く似合うセクシーな女性の大群!!! 
よろしおまっせ、ホンマニ。
そして大音量の中、激しいリズムに合わせて踊りながら行進する。

汗もかくからサトウキビで作ったラム酒や
地元のビール(Carib)、
水などを売りながら行進するトラック、
トイレを積んだトラックなどなど、
長距離行進への対策も万全。
さすがに世界を代表するカーニバルで有る。

写真(60枚)を「4Travel」にアップしていますので、
このサイトからご覧いただけます。
http://4travel.jp/traveler/coltranehouse/album/10321463/



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2008年12月22日

Season's Greetings

2e50dff0.JPGI wish you Happy Holidays and A Prosperous New Year

Card designed by Takao Fujioka
http://www.myspace.com/jazgra
coltranehouse at 00:29|この記事のURLComments(1)TrackBack(0)

2008年12月21日

BBC

480a8302.jpgThe Reference was chosen as one of the books of the year on the Jazz On 3 "Best of 2008" show which airs on BBC radio and web Monday 12/23.
You'll be able to hear it for a week after Monday:
http://www.bbc.co.uk/radio3/jazzon3/

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