経済ニュースゼミ

小笠原誠治の、経済ニュースを通して世の中の動きを考察するブログです。地球温暖化阻止のために石油・石炭産出権取引を提唱します。産出権取引は排出権取引とは違います。みんな勘違いするのです。

カテゴリ: 脱原発

 突然ですが、貴方は原発の再稼働に賛成ですか、それとも反対ですか?

 2011年3月11日の事故直後には圧倒的多数の人々が…もちろん自民党の政治家も含め、本当に殆ど全ての人々が原発はもう止めようという意見であったのに…時間が経つにつれ原発再稼働派が勢いを増しているのは皆さんご承知のとおりです。

 でも、原発再稼働を支持する人々も、よく見てみるといろんな考えに分かれるのです。

 誤解を恐れずに言えば、私は大きく二つのタイプがあるように思います。

 一つは、何が何でも原発は稼働させるべしという考え。電力会社、原子力の専門家、経産省、原発プラントメーカー等の人々の考えと言っていいでしょう。

 では、今一つの考えとは?

 それは、
原発の危険性を考えれば本来は原発に頼らない方が望ましいが、発電のコストや利用可能な代替エネルギーが限られていることを考えると、原発を稼働しない訳にはいかないだろうという考えです。

 一般の国民であって原発の再稼働を支持する人は、何が何でも原発を再稼働すべきというのではなく、このように考え方をする人が多いと言っていいでしょう。

 では、このような消極的ながらも原発再稼働を支持する人の考え方は、説得力があると言えるのでしょうか?

 そういった人々がよく口にする議論があります。

 「原発の稼働を止め、そして火力発電の比重を増やしたせいでどれだけ電気代が上がっていることか」

 それだけではありません。次のようなこともよく言われます。

 「火力発電に対する依存度を増やさないようにしようとしても、太陽光発電など再生可能エネルギーの全体に占める割合は微々たるもので当てになるものではない」

 どう思いますか?

 私は、原子力発電のコストが安いなんて言われても、それは電気代として企業や消費者が実際に支払う電気代を比較するからそのように見えるだけの話であると思うのです。仮に実際に国が負担する様々な費用を含めれば原子力発電のコストの方がむしろ高くつくことは明らかなのです。

 だって、実際に福島で原発事故が起きたせいで、どれだけの支出を政府は余儀なくされていることか?!

 そうした費用は、電力を使用している企業に直接請求されることがないので、原発を稼働した方が安いと企業は信じ込まされているだけなのです。

 次に、太陽光発電や風力発電、或いは地熱発電などがどれだけ頼りになるかということについて考えてみたいと思います。

 この点について、原子力村の関係者は一貫して再生可能エネルギーの貢献度は微々たるものでしかないと主張してきました。つまり、少々太陽光発電が盛んになったとしても、それで電力不足を解消する切り札にはなり得ない、と。

 では、昨日(9月24日)、九州電力が発表したことはどのように理解したらいいのでしょうか?
 
 産経新聞:九電、再生エネ受け付け中断 供給過剰で停電リスク
 
 「九州電力は24日、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度に基づく契約の受け付けを、九州全域で25日から中断すると正式発表した。太陽光発電の導入が急増し、送電設備の容量が足りなくなり、大規模な停電になる恐れがあるためだ」

  「申し込み分のすべてが発電した場合、供給力が消費電力を上回り、送電設備の容量がパンクして安定供給に支障が出る恐れがあるという」

  「九州は、土地が比較的安く購入できるほか、日照時間が長いなどの利点があり、太陽光を中心に再生可能エネルギーの普及が進んでいる。固定価格買い取り制度による太陽光と風力の設備認定量は、全国の約4分の1を占めている。九電によると、平成26年度から買い取り価格が下がるのを前に、今年3月だけで過去1年分に当たる約7万件の申し込みが殺到したという」

 停電リスクなんて言葉が躍っていますが、電力の需要に供給が追い付かないから停電しそうだと言っているのではないのです。そうではなく、供給過剰が原因で停電のリスクがあると言っているのです。

  いいですか、供給が多すぎると言っているのです。

 原子力村の人々に聞きたい。

 これは一体どういうことなのか、と。原発を再稼働しなければ、電力は不足する筈ではなかったのか、と。しかし、少なくても九州では太陽光発電の設備が増えているせいで供給過剰になっているのです。

 それで、どうして九州で原発を再稼働させる必要があるのでしょうか?

 おかしいでしょう?

 結局、原子力村の人々は、原発の再稼働を行うという結論ありきで、いろいろと理屈を並べているに過ぎないのです。

 今九州では佐賀県や鹿児島県を中心に、原発事故を想定して避難方法の確認などがなされているようなのですが…本当に恐ろしい話なのです。何故、そこまでして原発を再稼働しなければいけないのか、と。

 これが原発を再稼働しなければ人間が生きていけないというのなら分かります。しかし、原発を再稼働すれば、人間が安全に生きていけなくなるリスクが高まるのです。そしてなによりも、こうやって太陽光発電が急増していて、電力の供給が過剰になっているのに…


 
 太陽光発電による電力の買取りを中断するというのは、原発を再稼働するためとしか考えられないと思う方、クリックをお願い致します。
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 美味しんぼという漫画をご存知でしょうか? そして、最近、この美味しんぼが世間を騒がせていることもご存知でしょうか?

 ネット上では大変に関心を呼んでいるようですが、世間ではそれほどでもないと思うのです。

 私は何を言わんとしているのか?

 実は、美味しんぼという漫画のなかで、主人公が福島第一原発の取材後に鼻血を出すというシーンがあり、それが風評被害を招いているということで問題になっているのです。

 事態を呑みこむことができたでしょうか?

 しかし、多くの方はイマイチ納得がいかないかもしれません。というのも、美味しんぼって、確か美味しいものを探して回る漫画だろって思うからなのです。

 そうなのです。言ってはなんなのですが、幾ら美味しんぼが一時期人気を博したといって所詮漫画にしか過ぎません。つまり、漫画で鼻血のシーンが出てきたくらいで世間はそれほど驚くのか、と。

 いずれにしても、その鼻血のシーンはどのようなものなのか? 見てみたいと思うでしょう?

 で、ネット上で見ることができないかと思い、検索すると次のような画像を見ることができました。

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 あっちゃー、皆、鼻血を出しているじゃないか!

 これは少々酷いのではないか!

 ただ、この鼻血のシーンに関して調べてみると、作者は、鼻血が放射能汚染との関係があるとは言っていないのだとか。

 しか〜し‥原発推進派にしてみれば、このようなシーンを漫画と言えども描かれると大変に迷惑であるのです。そして、ただ、迷惑に感じるだけではなく、ネット上の原発推進派は脱原発を唱える人々を激しく攻撃するのです。

 ということで、実は、この漫画を掲載したビッグコミックが4月28日に発売されて以来、ネット上では作者の雁屋氏に対する誹謗中傷が絶えないのです。

 私は、この漫画のせいで風評被害が起きたというのは、納得がいかないのです。仮に風評被害が起きたとしたら、それは漫画で描いたシーンが直接引き起こしたというよりも、原発推進派のネット上での過激な反応が風評被害を演出したと言った方が適切でしょう。

 つまり、一般の人々はそれほど気にしていないのに、ネット上の原発推進派が自分たちだけで過剰反応をしている、と。

 だって、そうでしょう?

 漫画ですよ、漫画。しかも、その美味しんぼをどれだけの国民が真剣に見ているのか、と。

 仮に、福島の原発事故の現場近くに住んでいる人々のなかで鼻血が出る人が多くなったとしても、そんなことがあったとしてもおかしいとは思わない人が大半ではないでしょうか。だから、そのことで福島に対する評価が今さら変わるなんてあり得ない、と。それに、今でも避難解除がなされていないところがあるということは、完全に安全だという訳にはいかない何よりの証拠ではないですか?

 いずれにしても、とにかく脱原発の運動を何が何でも封じ込めたいと考える輩が今勢いを増しているということなのです。だから、このような迷惑な漫画は世の中から抹殺をしたい、と。

 そして、現地の双葉町も、ネット上ではあるもののこれだけ騒ぎが大きくなったことを知り、小学館に抗議をしたということなのです。

 まあ、双葉町が抗議をする気持ちは分からないでもありません。

 しかし、よりによって石原環境大臣が、次のように感情的になって美味しんぼの作者を批判するのは如何なものなのでしょうか?

 彼は言いました。

 「事故に伴う放射線の被曝と鼻血の因果関係はないという評価が既に出ている。描写するものが何を意図しているのか理解できない」、「漫画がノンフィクションなのかフィクションなのかも分からないが、風評被害を引き起こすようなことがあってはならないと思う」

 確かに風評被害を起こしてはいけません。それはそのとおり。しかし、風評被害というのは、風評、つまり根も葉もない噂によって被害を受けることなのです。つまり、現地では放射能汚染によって鼻血を出す人が増えたというような事実が一切ないというのであれば、それなら風評被害と言っていいでしょう。

 しか〜し、環境省の公式見解は、それほど明快なものではないのです。

 石原大臣は、「放射線の被曝と鼻血の因果関係はない」と言い切っていますが、公式見解は「放射線被ばくが原因で、住民に鼻血が多発しているとは考えられません」というものなのです。

 住民に鼻血が多発しているとは考えられませんということは、多くはないが鼻血を出している人がいることを環境省が認めているとも言えるのです。

 それで、どうして美味しんぼの鼻血のシーンごときにそれほど過剰反応をするのでしょうか?

 浮島政務官は「福島の人も一生懸命頑張っている。言論の自由もあると思うが、風評被害対策の観点から影響を考えていただきたい」とも言います。

 言論の自由もあると思うが、遠慮しろだなんて。これが現政権の本質なのです。

 自分たちにとって都合の悪いことは言わせない、と。だから、原発推進派は、ネットで自分たちにとって都合の悪い情報に対しては罵詈雑言を浴びせかけるのです。

 鼻血を出したと言っている井戸川元町長も憤慨しています。

 「実際、鼻血が出る人の話を多く聞いている。私自身、毎日鼻血が出て、特に朝がひどい。発言の撤回はありえない」

 どう思いますか? この人は政治家だから話は割り引いて聞く必要がある?

 まあ、それならそれでいいでしょう。

 しかし、作者の雁屋さんは、次のように言っているのです。

 「私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして 批判されなければならないのか分からない。 真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。(中略)今度の「美味しんぼ」の副題は「福島の真実」である。 私は真実しか書けない」

 作者の雁屋さんはれっきとした日本人であるのに、生まれが中国の北京であると言って、そんなことを強調する原発推進派。

 最後に言っておきますが、皆さんに見てもらった美味しんぼの鼻血のシーンは本物ではないのです。誰かが本物の漫画に加工して、皆、鼻血を出しているように見せたものなのです。


 まさか、石原大臣たちもその偽造の漫画に騙された訳ではないでしょうね。


 
 

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 昨日、東日本大震災3周年追悼式において伊吹衆院議長が行った式辞の内容に首相周辺が不快感を示しているとの報道に接しました。

 日本中の人々が昨日の午後2時46分に、あの3年前の惨事を思い出したと思うのですが‥一体、伊吹衆院議長は何を言ったのか?

 「将来の脱原発を見据えて議論を尽くしたい」

 まあ、確かに安倍さんは正真正銘の原発推進派。だから、脱原発なんて言葉がそもそも気に入らないのかもしれません。また、だからこそ、国民にはちっとも理解できない「ベースロード」なんて言葉を原発に添えようとしているのでしょう。

 しかし、その安倍さんが総裁を務める自民党は2012年の自民党の重点政策として、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指します」と明言していたのです。

 この考え方は、まだ生きているのではないのでしょうか? 少なくても、そうした考えを変更したとは自民党から聞かされてはいないのです。

 念のために言っておくと、伊吹議長は、小泉元総理のように即、脱原発を目指せと言っている訳ではないのです。「将来の脱原発を見据えて」と言っているだけで、しかも、将来、脱原発を実施すると言っている訳でもなく、「議論を尽くしたい」と言っているだけ。

 伊吹議長が言っていることが、それほどおかしいとはとても思えません。

 一方、首相周辺には、脱原発だなんて、国民受けするようなことを言いやがってと、いう思いがあるのかもしれません。しかし、もしそれが本音だとすれば、首相周辺も、国民の多くは、原発に頼らなくても済むようなエネルギー政策を支持していることが分かっている筈なのですが‥

 つまり、首相周辺は、国民の意思とは違うエネルギー政策を目指している、と。

 では、何故国民の意思を尊重しようとは思わないのか?

 そんなことをしたら、原子力村及び米国を敵に回すことになり、何かと不都合なことが起こりそうなので‥だから、原発推進派に身を置いておいた方が得だと判断をしているのでしょう。

 換言すれば、首相周辺も、ひょっとしたら石原元都知事と同じような考えなのかもしれません。つまり、高校の生徒会のように多数決で決めるなんて、バカバカしい、と。

 いずれにしても、伊吹議長の式辞を改めて振り返ってみたいと思うのです。

 「天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年の追悼式が行なわれるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

 3年前のきょう、東日本を襲った大地震と津波により、東日本の国土は破壊され、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々と、ご遺族のみなさまに改めてお悔やみを申し上げます。

 そして被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。

 多くの関係者のご努力により、復興に向けた歩みは着実に進んでいます。震災後、被災地の惨状に心を痛めた方々が、被災地を支援するボランティア活動に参加して下さり、多くのきょうお見えの諸外国からの温かいご支援を頂いたことは、物心両面で、復興の大きな助けとなりました。ご支援いただいた皆様に対し、深く感謝申し上げたいと存じます。

 一方で、震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。しかし、被災地では仮設住宅等で、ご不自由な生活を余儀なくされている方々もなお多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では住み慣れたふるさとに戻ることができず、今なお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現状を、私たちは忘れるべきではないでしょう。

 そういった方々の事を思うと、電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。

 思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです。

 科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。

 3年目の3.11を迎えるに際し、私たち一人一人が、電力は無尽蔵に使えるものとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、日本人として言行一致の姿勢で、省エネルギーと省電力の暮らしに舵を切らねばなりません。

 主権者たる国民より選挙を通じて主権を委ねられている我々国会議員は、被災地の復興に全力で取り組むとともに、震災で得た教訓を元にエネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます。

 結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉と致します。

 平成26年3月11日 衆議院議長 伊吹文明」


 私は、伊吹議長の式辞の内容は、極めてまっとうであり、多くの国民の共感を呼ぶと確信をしています。

 3年前、日本があの地震と津波と原発事故の三重苦に遭遇したときに、多くの政治家が、伊吹氏と同じようなことを口にしていたではないですか? 今は都知事となった舛添氏も、当時全く同じようなことを言っていました。

 石原元都知事は、原子力を利用するのが人類の進歩の証だ、みたいなことを言いましたが、私は、伊吹氏の言うように、原発を利用しなくても済むシステムを構築することこそが文明の証だと思うのです。

 首相周辺が不快感を示したと言いますが、国民からしたら、そのような首相周辺にこそ不快感を禁じ得ないのです。


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