経済ニュースゼミ

小笠原誠治の、経済ニュースを通して世の中の動きを考察するブログです。地球温暖化阻止のために石油・石炭産出権取引を提唱します。産出権取引は排出権取引とは違います。みんな勘違いするのです。

カテゴリ: 集団的自衛権

突然ですが…ひるおびってご存知ですか?

 そうそう、あの恵さんが司会をしているTBSのお昼の番組です。で、その番組に二人の政治コメンテーターが登場するでしょう? どういう訳かいつも二人一緒に。

 そのうちの一人が田崎史郎氏です。

 思い出しましたか?

 昨日は、また塩村議員のヤジについてやっていました。多くの人がもういい加減に辟易しているというのに…それでもまた何か新しい進展でもあったというのなら分かるのです。

 では、何か進展があったのか?

 他にもヤジった議員が明らかになったのだとか。

 しかし、そのヤジというのは「がんばれ」というものや「動揺しちゃったじゃないか」なんていうものだったのです。

 何故、頑張れとヤジった議員は名乗り出たのか?

 それは、名乗ったところで批判の対象になるとは思わなかったからでしょう。むしろ塩村議員に声援を送ったということで、好感度が上がるかもしれないと考えたのかもしれません。

 つまり、世間が塩村氏に対して浴びせられたヤジに敏感に反応したとはいっても、頑張れなどといったヤジを問題にしているのではないのです。

 しか〜し…田崎史郎氏によれば、「がんばれ」というのも、嘲笑の意味が込められていたかもしれないので、場合によっては問題になり得る、と。

 なんとお暇なことですこと!

 いずれにしても、田崎氏が、自民党の都議会議員が発したヤジについては非常に厳しい意見の持ち主であることが分かるのですが…しかし、その一方で、安倍政権に対しては非常に寛容な精神の持ち主であるので私はびっくりしてしまったのです。

 本日のひるおびを見ましたか?

 本日は、集団的自衛権の発動について解説が行われていたのですが…それが、全くもって官邸の言い分を代弁をしにきたとしか思えないことを喋っていたのです。

 憲法の解釈変更が行われるのは今回が初めてではないと主張する田崎氏。

 ほほう、珍しことを言うなと思っていると、そもそも個別的自衛権についても、当初自民党政権は憲法上は認められないと言っていたのだ、と。

 そうですか。 それは勉強になりました。しかし、だからと言って、次から次に憲法の解釈を変更していいのもなのかどうか?

 それに集団的自衛権を認めるようになったのは、環境が大きく変わったからだ、とも言います。

 どういうことかと言えば…北朝鮮が過激な行動に出たり、中国が軍隊を増強していることがある、と。

 確かに、最近の中国の傍若無人の行動には呆れることが多いのですが…それは集団的自衛権を認めるべきだという根拠にはなり得ないのです。

 というのも、中国と日本の間で衝突が起きる可能性があるとしても、中国と米国の間で衝突が起きる可能性はそれよりも遥かに小さいからなのです。

 だから、中国が気になるのであれば個別的自衛権を行使する際の具体的ケースをいろいろ想定しておいた方がよっぽど役に立つというべきでしょう。

 もちろん、日米同盟の強化が重要であり、そして集団的自衛権の行使も認められるべきであるという意見があってもいいのでしょうが…しかし、そのような意見を主張するのであれば、憲法の改正を選択すべきではないのでしょうか。

 では、何故憲法の改正を国民に訴えないのか?

 それは、幾ら国民に憲法の改正を訴えても国民の多くが支持しないと分かっているので、だから解釈の変更で…となっているのです。

 民主主義の日本でそんなことが許されるなんて、おかしい!

 そんなことが許されるのであれば、何のための憲法なのか!

 安倍総理も、最初は憲法の改正が自分も必要であると言っていたのに…

  それにしても安倍総理は、最近海外に行くと、よく「法の支配」ということを口にします。まあ、中国を念頭においていることはよく分かるのですが…しかし、 自分たちの判断次第で憲法の解釈を変えることができるなんていう政権が、法の支配なんていうことがおかしく思えて仕方がないのです。

 一体、何故田崎史郎氏はそこまでして集団的自衛権の発動を擁護するのか?

 

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 麻生副総理が、集団的自衛権との関係で次のように述べたと報じられています。

 「勉強ができない、けんかが弱い、金持ちの子、これがいちばんやられる」

 まあ、この発言を取り上げて、麻生氏はイジメを是認するのかなんて批判するつもりはありません。
麻生氏には、イジメを是認するつもりなどこれっぽっちもないのでしょうから。彼はまたいつもの床屋談義風に感想を述べただけなのでしょう。確かに苛められやすいタイプというのがある、と。例えば勉強ができない子であったり…

 しかし、ケンカが弱いと必ずいじめめられると言えるでしょうか?

 確かにケンカが強いといじめの対象にはなりにくいでしょう。しかし、だからと言ってケンカが弱い子はいじめられることが多いかと言えば…少なくても私の経験からはそうは言えないような気がします。

 では、金持ちの子はどうなのか? いじめられやすいのか?

 どうもピンと来ません。金持ちの子がよくいじめられていたという記憶はありません。

 それに、麻生氏自身がいじめれやすいタイプについてかつて次のように言っていたというではないですか。

 「学校で一番いじめられるやつっていうのは、けんかが弱い、勉強もできない。しかも貧しいやつ。三つそろったら丸腰」

 そうなのです。どちらかと言えば、貧しい家の子が最初はいじめの対象になりやすいのではないのでしょうか。しかし、その貧しい家の子も、中学生になった頃から段々体が大きくなり始め…今度は逆にいじめる方に回ったりもするのです。

 麻生氏は言います。

 「(日本は)金はあるということは分かってる。いちばん集中攻撃されやすい国が日本」

 しかし、どうなのでしょう? お金がある、つまり国家として経済力がある方がより他国から攻められやすいと言えるのか?

 私は、それは違うと思うのです。

 これが、どんな家が泥棒や強盗に狙われやすいかと言えば、それは間違いなく金持ちの家と言えるでしょう。しかし、国家間の場合には事情が違うのではないでしょうか? むしろ歴史が教えるところは、経済的発展を遂げた国ほどさらに海外に富を求めて他国に侵略していったのではないのでしょうか。

 最近の例では、中国が近隣諸国と領土を巡って紛争が絶えませんが…それらのなかには、フィリピンやベトナムなどが含まれ…ということは貧しい国だって攻められるときには攻められるということなのです。

 それに、日本が攻撃されやすいなんて言っても、おかしなことを仕掛けているのは殆ど中国だけではないですか?

 では、その中国は米国を攻める気があるのか?

 それは考えられません。だから集団的自衛権の発動を認めたからと言って、そのことによって中国に対する牽制には殆どなり得ないのです。

 そうではなく、米国を攻める国があり得るとすれば、それはイスラム圏の国ではないのでしょうか?

 では、イスラム圏の国々は日本を敵視しているのか?

 彼らはいくら日本が米国と日米同盟を結んでいるからと言って、日本を敵視している訳ではないのです。あくまでも日本は日本だと。

 しかし、その日本が、米国とともにイスラム圏の国に対して軍事力を行使するようなことになれば?

 却って、日本が戦争に巻き込まれる可能性は大きくなるのです。

 金持ちはいじめられやすいという話に戻りたいと思います。

 麻生氏は、集団的自衛権の行使を認めて欲しいと言いたいのでしょうが、過去20年間ほどの間に日本の国際的な経済的地位は少しずつ低下しているのです。

 ということは、日本が豊かだから攻められないようにしなければいけないというのは、時代の流れからすると逆ではないのでしょうか。つまり、麻生氏の説が正しいのであれば、日本はもはやそれほど豊かではなくなりつつあるのだから、いじめを心配する必要性は薄れている、と。

 いずれにしても、麻生氏は言います。 

 「抑止力は基本的に力がないとできない。その力を使うという国民的合意がいる」

 そのとおり。軍事力を行使するには国民的合意がいるのです。

 そして、その一方で、日本国憲法は、国際的な紛争の解決手段として武力の行使はしないとしているのです。

 分かりますか?

 どっかの国が突然日本の領土に攻めてきたときに、正当防衛的に対抗することまで認めないと言っているのではないのです。そうではなく集団的自衛権ですから、例えば日米同盟を結んだ相手国の米国がどこかの国から攻められたときに、そのときに日本が応援することが日本の自衛権の範疇に入るのかという問題なのです。

 例えば、米国が誰かに殴られそうになったときに、日本はどう行動することができるか?
 
 日本が間に入って米国を助けるようなことは認められるでしょうが…でも、日本が、米国を殴ろうとした者を殴ってはいかんしょう?

 飽くまでも間に入って、ケンカを止めさせることができるだけなのです。

 いずれにしても、麻生氏自身が、国民的合意がいるということは、憲法の改正が必要だと自分でも認めているということでないのでしょうか?

 私は、現政権が公明党を説得したところで、それで国民的合意が得られたとみなすことはできないと思います。


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 集団的自衛権についてですが‥

 難しすぎる? それとも関心がない?

 そんな風に思っている若者たちも多いと思います。やっぱり分かりにくいのですよね。

 それに、安倍総理の先日の記者会見を聞いていたら、益々話が分からなくなったなんて感じている人も多いのではないでしょうか。 或いは、安倍総理が言うように、日本人を救出した米国の艦船が攻撃されたような場合に、日本が反撃を許されないことがあっていいのか、なんて感じている人もいると思うのです。

 ということで、本日は少しだけ集団的自衛権について考えてみたいと思います。

 先ず、何故集団的自衛権が問題になるのでしょうか?

 如何でしょうか?

 それは、同盟国の米国は日本を守るために軍隊を出動して血を流すことがあるのに、日本の方は、同盟国とは言いながらも軍隊を出動して武力行使をすることができないので、バランスが取れないからなのですよね。

 誤解のないように言っておきますが、本当に米国が日本のために血を流す覚悟があるのかは何とも言えません。

 いずれにしても、日本は憲法の制約があるので同盟国のためとは言っても自衛隊が動く訳にはいかない、と。

 つまり、日本は同盟国としての義務を果たしていないではないか、という批判があるのです。

 まあ、そのような批判が絶えず米国の方からなされるので、日本も米国が攻撃された場合に自衛隊を出動することが認められるようにすべきだというのが、集団的自衛権の議論であるのです。

 米国の兵隊は日本のために血を流すことがあるのに、日本の自衛隊は米国のために血を流さないのか? 確かに、それだけを考えると米国にのみ犠牲を強いるようにも思えるので、だから集団的自衛権の発動を認めるべきだ、なんてことを考える人もいる訳です。

 しかし、そもそも我が国の憲法は、自衛権の発動についてさえ明確に認めている訳ではないのです。憲法9条は、国際紛争を解決する手段として武力の行使をしないと宣言し、そして、軍隊を保持しないと言っているだけなのです。

 では、自衛権の発動は認められないのか? 敵が日本に攻めてきたときに、防衛することすらできないのか?

 それではあんまりだということで、解釈によって自衛権は認められるであろうということになっているのです。

 では、自衛隊の存在は? 

 繰り返しになりますが、我が国の憲法では軍隊は保有しないとなっているのです。

 では、自衛隊は軍隊ではないのか?

 自衛隊は軍隊ではないなんて、誰が信じるでしょうか?

 しかし、軍隊と言っては憲法違反になってしまうので、自衛隊という名をつけて、軍隊ではないと長年言い張ってきただけなのです。そして、その自衛隊を多くの国民が実際には支持している、と。

 厳密に憲法を解釈をすれば、憲法の規定に抵触している恐れがあるかもしれないが‥しかし、自衛隊はやはり必要だろうと多くの国民が感じているということなのでしょう。

 まあ、そうやって解釈で認められた自衛権であり、そして、そのための自衛隊であるので、なるだけ自衛隊の軍事力の行使は限定しなければいけないという自制が昔から働いていた訳なのです。

 もうお分かりでしょう?

 自衛権を否定する訳にはいかないが、さりとて、いつでもどこでも自衛権の名の下に軍事力を発動するのは如何なものなのか、と。例えば、米軍が攻撃を受けたときに、それが日本の「自衛」の範疇に入るのであろうか、と。

 米軍の艦隊と自衛隊の艦隊が一緒に航行していたときに、偶々米軍が攻撃を受けたというのであれば、まだ話が分かるのです。しかし、米軍の艦隊が米国のどこかの港に寄港していたときにどこかの国から攻撃を受けたからと言って、それが何故日本の「自衛」と関係があるのか、と。

 仮に米軍の艦隊と自衛隊の艦隊が一緒に演習をしていたようなときに米軍が攻撃を受けたというのであれば、それは日本に対する攻撃とみなすことができるかもしれませんが、幾ら同盟国とはいえ、日本から遠い離れたところで、日本とは関係がなく攻められた場合に、何故日本の自衛に関係するのか、と。

 そもそも集団的自衛権という概念自体がおかしいのです。

 というのも、自衛権とは自分を守る権利、自国を守る権利なのですが、集団的自衛権となると、直接には自分を守るのではなく、同盟国などを守ることによって間接的に自分の国を守るという理屈になり、それがそもそもの自衛権の範疇に含まれるのかはなはだ怪しいからなのです。

 このようにして考えると、歴代の自民党政権でさえも、何故集団的自衛権が憲法では認められないと解釈してきたかがお分かりになると思うのです。

 しか〜し‥

 安倍総理は、その解釈を変えると言うのです。

 何故解釈を変更し、集団的自衛権が発動できるようにしなければいけないのでしょうか?

 敢てもう一度貴方にお聞きします。何故集団的自衛権の発動が必要なのか?

 そうなのです、米国は日本のために血を流すのに、何故日本は米国のためには血を流さないかという理屈です。

 まあ、その考えは、憲法の規定を棚に上げるならば、取り敢えず筋は通っている訳です。

 では、安倍総理は国民にどんなことを言ったのか?

 集団的自衛権が認められなければ、日本人を救出した米軍の艦船が攻撃を受けたときに、日本は何もできない、と。そんなことでいいのか、と。

 と同時に、安倍総理は言うのです。集団的自衛権の発動は必要最小限度に留めなければいけない、と。

 では、総理に聞いてみたいのですが、日本が集団的自衛権を発動するのは、総理が用いたケースのような場合に限定するのか、と。つまり、米軍が日本人を救出しようとして行動している場合に限定するのか、と。

 常識から判断すれば、そのような場合に自衛隊が出動しても恐らく多くの国民は支持すると思うのです。或いは積極的に支持できないまでも、日本人の命を救出するためのものだから‥つまりそのようなケースについては、集団的自衛権ではなく我が国の「自衛権」に該当するものとして自衛隊の出動が容認されても止むを得ない、と。

 しかし、その一方で、我が国の集団的自衛権の発動がそのような場合に限られると米国の軍関係者が知ったら、米軍はどう思うのでしょうか?

 今以上に米国は日本に対して愛想を尽かすのではないのでしょうか?

 日本は、所詮日本のためにしか血を流さないのか、と。少なくても米国が日本のために甘受するのと同じ程度の犠牲を日本も覚悟すべきなのに、おかしいのではないか、と。

 でも、安倍総理は米国に対して、憲法の解釈を変更することによって米国が攻撃を受けたときに自衛隊が出動できるようにしたので安心してくれ、と言うのではないでしょうか。というのも、そのように言えないとしたら何のための憲法の解釈の変更なのか、ということになるからです。

 つまり、必要最小限度の集団的自衛権の発動に限るなんて国民に向かっては言うものの、そのようなことは米国に対しては言えないということなのです。

 国民の多くは、総理が集団的自衛権の発動は必要最小限度に留めるというので、それを信頼するしかないと思っているのです。あたかも、原発は5重の壁で守られているからという電力会社の言葉を信じたかつての日本国民みたいなものなのです。

 安倍総理が米国に対して、集団的自衛権の発動には限度があるからあまり期待しないでくれ、なんて決して言うことはないでしょう。だから、米国としては当然に日本に期待をする、と。しかし、もし日本が米国の期待通りに動かないとしたら、今以上に日本は米国を失望させてしまうのです。

 となれば、必要最小限度なんて今言っていても、いざとなったら米国の要請を断ることもできず‥結局、何の保証にもならないということなのです。



 
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