日曜日にも拘わらずこのブログにアクセス頂き、ありがとうございます。

 さて、私、このブログ以外にメルマガも書いているのですが…

 先日から、モンテクリスト伯を材料に、経済の歴史を少し考えてみることにしました。

 ということで、本日は、ブログの記事をここに再掲したいと思います。


・その1

 今回から、モンテクリスト伯の物語を通して経済について考えてみたいと思います。

 モンテクリスト伯を読んだことがありますか?

 1844年から46年にかけてパリの新聞に連載された小説だということで、大昔の小説ではあるのですが今でも新鮮味を感じさせます。

 主人公はエドモンド・ダンテスですが、ひょんなことから孤島の監獄に放り込まれ…

 何故監獄に放り込まれたかと言えば…

 エドモンドが、優秀な船乗りであったために船長に抜擢されそうになったことを妬まれ、そして、同時に美人の女性との結婚を妨害しようとした者がいたからです。

 で、10数年をかけて脱獄に成功するとともに、財宝を手に入れた上で復讐を開始する物語です。

 第1章は、主人公のエドモンドがマルセイユの港に戻ってくるところから始まります。

 ただ、船長は病気で死んでしまって、船長の代りを務めていたエドモンドと船主のモレルとが話をし始め…そして、話が終わると、エドモンドは、直ぐに父親に会いに行くわけです。

 ところが、エドモンドの父親の顔色がすぐれず、エドモンドは3か月前に200フランおいていったのに、ちゃんと食べるものを食べているのかと心配するのです。

 まあ、現代の日本の読者からすれば、その当時の200フランがどの程度の価値があるかなんて全く想像もできないのですが…

 61章において、モンテクリスト伯が、電信事務員にお金を渡して間違った情報を流させるシーンがある訳ですが、そのシーンで、電信事務員に次のような質問をするところがあります。

 ・月給は幾らもらっているのか?

 答えは、年間1000フランである、と。

 ・年金はもらえるのか? 何年働く必要があるのか?

 年金は、25年働くともらえるようになる、と。


 何故、そのような質問をするかと言えば、この事務員を買収するためにどのくらいのお金を渡す必要があるのか知るためだったと思うのですが…

 ということで、1830年代のフランスで、既に年金制度が存在していたことを我々は知ることができます。

 そして、年金がもらえるようになるためには、相当長期間働く必要があるということも。

 本当は、もっと面白いことがいっぱい出てくるのですが…

 言わない方がいいですよね?


・その2

 前回、モンテクリスト伯が電信事務員を買収するシーンをご紹介しました。

 で、私、思ったのです。あの当時、電信システムが実用化されていたのか、と。だって、ナポレオンが登場するような頃ですから。

 ただ、そのことを考える前に…

 前回、主人公の名はエドモンド・ダンテスであると紹介しました。日本ではそのように紹介されているのが一般的です。しかし、外国人がこの物語を朗読するのを聴いていると、ダンテスではなく、ドンテとかダンテにしか聞こえません。復讐の相手の一人であるダングラーもドングラーと聞こえるのです。

 ということで、実際に聞こえるように今後表記したいと思いますが…

 エドモンド・ドンテがマルセイユの港に戻ってきた日が、1815年2月24日で、エドモンドが19歳のときでした。

 (注)マルセイユもマルセイと発音されています。

 そして、孤島の監獄に放り込まれた後、脱獄したのが1829年2月28日。エドモンドは33歳になっていました。

 その後、復讐を開始するためにパリに来たのが、1838年5月のことで、エドモンドは42歳になっていた訳です。

 いいでしょうか?

 モンテクリスト伯が、復讐のために電信事務員を買収したのは、従って、1838年の出来事である訳ですが、その当時、電信システムがフランスで確立していたのか、と。

 で、ネットで調べてみると、確かにその当時電信システムが実用化されていたのが分かりました。

 因みに、電信事務員を買収することと復讐がどのように関係しているかと言えば…

 復讐の相手は、主に3人で…

 一人は、エドモンドの恋敵で、エドモンドに濡れ衣を着せたフェルナン、後のモルセフ伯爵。要するに、エドモンドの結婚相手を奪って自分が結婚した男。

 二人目は、そのフェルナンに知恵をつけた悪者の会計士のドングラー。後に銀行家として財をなしたドングラー男爵。

 そして三人目が、エドモンドを無実の罪のまま獄中に放り込んだヴィルフォール検事で、後の検事総長。

 で、このうちの2番目のドングラーに復讐する手段が、彼の財産をなくさせることで、彼の妻が証券投資に手を出しているのを知って、誤った情報を流したという訳なのです。

 1838年当時のフランスで、既に電信システムが機能していたのですね。

 日本は、まだ鎖国をしていた頃で、想像もできない西洋の進歩振りです。


 

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<追加情報>
 当時telegraphとフランスで呼ばれていたのは腕木通信というもののようです。

 霧の日は使えないという意味がこれで分かりました。

ウィキペディアから
 腕木通信(うでぎつうしん、semaphore )とは、18世紀末から19世紀半ばにかけて主にフランスで使用されていた視覚による通信機、およびその通信機を用いた通信網である。望遠鏡を用い、腕木のあらわす文字コードや制御コードを読み取ってバケツリレー式に情報を伝達した。

フランス式の腕木通信に触発され、欧米各国ではそれぞれの形式の通信機が用いられた。現在では、これら各種通信機を用いたシステム全体を"optical telegraphy"と呼ぶ。

名称の定義
 使用されていた当時はテレグラフ(telegraph )と呼ばれており、意味はギリシャ語のテレ・グラーフェン(遠くに書くこと)という言葉に由来している。

 テレグラフとはクロード・シャップの腕木通信を指す固有名詞だったが、後に一般名詞化して電信を表すようになった。現代で使用されているセマフォア(semaphore )という単語はテレグラフの類似品として作られた視覚通信機の固有名詞だったものが広まり、これのコピーがイギリスで広まり、セマフォア(semaphore )という英単語が定着した。

 そこからさらに鉄道の信号機の名称となり、これが視覚通信機の名称となったことから来ている。セマフォアという名前は長い歴史の中で名称が二重三重に流転した結果であり、実際に稼動していた当時の名称はテレグラフである。

220px-Chappe_telegraf

(ウィキペディアより)