November 09, 2010
April 27, 2010
April 22, 2010
緑
敷き詰めた桜の天井から
はらはらとこぼれおち
土の絨毯にはすこしずつ淡い模様ができ
よく見ると枝先には緑が顔を出した。
春のよろこび の後に来る 深春のよろこび
ありがとう。
April 18, 2010
おとぎ
昔、
どこまでも、どこまでも続く田んぼの平野に
ふいと 一角だけハンの木に囲まれた場所がありました。
とても小さな場所でした。
けれど、ハンの木の足元には
白雪姫が住んでおりました。
たくさん たくさん住んでおりました。
姫たちは
おしゃべりしたり くつろいだり
こんこんと湧き出る水のそばで
ささやかに満足して暮らしておりました。
その水のまわりは 白も緑も土も透明でした。
その場所には ほんのわずかでしたが
たえることなく 人間がやってきました。
それは 巡礼 と呼ぶようでした。
乾燥して 剥がれて ひびの入った心を
すこしずつ うるおしてくれる と聞いて
そこにやってくるようでした。
真っ白な姫たちの姿を見て
目のにごりが 消える人もいるようでした。
けれども 心のうるおいとひきかえに
ほんの少しの孤独も 持って帰らなければなりませんでした。
さびしく とぼとぼと帰途につく人もいました。
それでも毎日 人は途切れることはありませんでした。
姫たちも、
孤独といえば孤独でした。
でも、
こんこんと湧き出る水はほかにはなく
そこから動くことも
動ける可能性を模索することもありませんでした。
ただそこにいることを
幸福いっぱいにうけとめ
さんさんと輝く光を浴び
ひっそりと
広大な田園風景の一角に
いつまでもいつまでも住んでおりました。
March 29, 2010
March 27, 2010
夕浸り
この時期になっても雪が降るなんて
晩秋の初雪の感動を思い出す
空気の冷たさに神経が削ぎ落とされてゆく
もうすぐ阿賀野川
ぼんやり夕暮れに魂を鎮める幸せ
枝先
僅かにふっくらと
物言いたげにしている
目覚めたばかりで
青空を見た
自由に咲くのは
もう少し先
だから今は
ここで太陽を浴びる。
March 25, 2010
初ホワイト
なかなかトマトソースから脱皮できなかったけれど
本日ホワイト初体験。
ボリュームよし
太め麺の焼きそばに
ほどよくまったりしたホワイトソース
おぉぉ
おぃしぃぃ
できればちょこっと紅ショウガがほしいかな?
東京では居酒屋で出てきたけれど
やっぱりファーストフード感覚がいい
しかしポテトとコーヒーをセットにすると
なんだか メイン感がうすくなってもったいないような
でもその気軽さがいいのかな
熟年の夫婦と
春休みの高校生たちは
ニコニコしてトマトソース
塾通いの男の子とお母さんは
真剣な顔で カレーソース
常連とみられるOLさんは
ソフトクリームと同時に「交互食べ」
さらに越後みそも新登場だとか
こんなにみんなの生活の一部になっていて
幸せ者だね。
March 24, 2010
March 22, 2010
春萌えて
東京ではソメイヨシノが開花したと
今朝のニュースで言っていたけれど
こちらはちょうど梅の花が唄っている
ベンチの老夫婦は柔らかな笑みをたたえ
息吹きはじめた若草の上で梅の躰は踊る
October 05, 2009
目撃した空
その瞬間を逃したら
もう二度と会えないかもしれない
本当の心がわからないときは
静かに雲が語るのを聴く。
October 29, 2008
今朝の夢
友達と4人で火星に行った。
すっきりと薄く硬いスチールの、小さな家のような宇宙船に乗っていった。
瞬く星空を窓の外に眺めて、
キッチンで肉じゃがや野菜炒めをつくる。
あ、最近の宇宙って意外と無重力じゃないのね〜なんて思いながら、
お皿に盛りつけて円卓へと運んで。
仲良し4人でぱくぱく食べて。
ああ、そろそろ火星に着くなぁという頃、
外を見ると土が見えた。
そして、ところどころに見えたのは。。。
水! …まだ生まれたばかりの、淡くて若い水。
「水やぁ!」「わー!」「ほんとにあった!」
「これ、めっちゃ発見やん!」「すごーい!」
その水はうっすらと地面を覆うように透き通っていた。
そして宇宙船が地面にすぅっと着地。
宇宙船から飛び出して、みんなでしゃがみこんで水を見つめる。
すると、そこにふっとおばあさんが現れた。
もう見るからに、火星のおばあさんという感じで。
何年もそこに住んでいて、娘さんも一緒に住んでいる。
おばあさんは、私に気づくと、あたたかく話しかけてくれた。
私も、おばあさんに会釈して、話しかける。
“こんにちは。ここはほんっと、いいところですねぇ。”
“そうだねぇ、まだ水が生まれたばかりでね。”
“ご家族でお住まいなんですか。”
“いまは娘と2人だよ。もう娘も40歳になっちゃったからね。”
おばあさんは家を案内し、暖炉の横にある椅子に腰掛けて、娘さんに私を紹介してくれた。
“ここに水があったって知って、嬉しいです。”
“そうね、わりと住みやすくなったわよ。まぁ、またいらっしゃいよ。”
“ありがとうございます。”
火星にも、とても親切な人がいたことの喜びと、
生まれたばかりの水を見たうれしさに満たされて、ふと我に返ると、
みんなが何事もなかったように立っていた。
あれ、みんなにはおばあさんの言葉は聞こえたんだろうか?
「わたし、今、言葉しゃべってた?」
「ううん、何も言ってなかったよ。」「何も言ってなかったよ。」
ああ、そっか。それでわかった。
おばあさんとは、言葉じゃなくて、心でしゃべってたんだ。
だからきっと、
この淡くて美しい水に、いつか微生物が発生して、
何億年の後に、生物が進化して、少しずつ進化して、
そしていつかこの火星に言葉が生まれたら、
そのときは、このおばあさんと、言葉でお話しできるなぁ。
と思った。
あぁ、ゆっくりと楽しみに待っていよう、と。
October 08, 2008
in her shoes
“はい”
小学生の女の子が差し出したのは、ハロウィンの部屋飾り。
ちいさなリースとドライフラワーのコーディネート。
最近、ちょっとしたことからミュージカルの体験教室に通うようになり、
子どもからサラリーマン、幼稚園の園長先生まで幅広い世代の人と知り合った。
“お母さんと一緒に作ったの。”
“わたしに?くれるの?ほんと!?ありがとう!”
お礼を言って受け取って、大切に持って帰った。
気づけば小学生や女子高生にも「あねご〜」と呼ばれるような年齢になった。
彼ら・彼女らの言動や反応にはいつも自分には無いものがある。
それは自分の感性が鈍ってしまったのか、
生まれ育った文脈や環境が違うからなかはわからない。
一人暮らしが長くなる中で、自分と同じ世代の人、あるいは自分の周辺で出会う以外の人々の、暮らしている姿を見ることが少なくなっていた。
小・中・高校生、
将来に悩む青年、
子育て中のお母さん、
残業にめげないお父さん、
現在を楽しむ中高年、
あぁそうか、なんだか普通に、こういう人たちのおかげで世の中が動いているという実感をふと忘れそうになっていたんだな。
会話していると、その感覚が少し戻ってきて安心する。
接点をもつということの有難さを思い知る。
そう、想像できなくなるのは怖いな、と思う。
相手の立場に立ってみることができなくなる。
もっとも、相手の立場に立つなんて不可能なのかもしれないけど、
「いまどきのお母さんってどんな子育てしてるんだろう」
「なんか考え方とか違いそう…」
と思っている段階だと、
『相手がどう思うか』なんてところに発想がいかない。
「きっとこう思ってるんだろう」と自分勝手に浅く想像するか、
no care、な状態になってしまう。
現場を知らない人たちがつくった政策がうまくいかないことがあるのは、
当然だ。(言いすぎかな。。。?)
想像できるためには、
当たり前だけど、やっぱり会って、話をすることが一番いい。
そして、その言葉や表情や態度をもとに、
どんな暮らしをして、どんなことを考えて、どんなことが幸せなのか、
思いを馳せてみる。
“お母さん、フラワーアレンジとか得意なの?”
“うん。よくね、いろいろ作ってるよ!”
子どもの眼は相手を映し出す鏡。
わたしの言葉の端々に出る感情や、興味の度合いや、
どのくらい心を開いているか、など、無意識に感じ取っているのだろう。
その眼を見て、
あ、自分は、こんなふうに映ってるんだな、と気づく。
私の眼はどんな色をして、何が映ってるんだろう。
“ありがとう。大事にするね。”
この心が、もっともっと素直に伝わればいいなぁ。
そしてあの子が、どんな思いでこの可愛い飾りをくれたのか、
もっともっと染み渡るようにわかったらいいなぁ。



























