長男が今年高校3年生で、多分来年の春から社会に出る予定でいるので、中学2年生の次男と一緒に家庭で長い夏休みを経験できるのは今年が最後なんじゃないかと思っています。妻の仕事が夏休みになると一時休業になるタイプのものなので、私を除き家庭は夏休みモードです。僕は普段と変わらずのお仕事で、また家事もそれほど変わるものでもないので、ただいつもの日が過ぎている感じに、プラスいつもならいない人たちがうちにいるって感で、平常運行です。ただ家族旅行は家族揃って長い休みを取ることは今後はないだろうと思うから、いつもより少し長めの日程で行ってみよかと思ってます。
夏休みになると、子供達は学校からもらって来たスケジュール表に日々のスケジュールを入れることになります。これって、僕が考える子供等が学校に行き続ける理由なのです。
「どうして学校に行かなければならないのか?」って長男に何度も尋ねられます。僕も小さなころいつも考えていました。「なんで学校に行くのか」って。勉強なんて、おうちで出来るしね。集団生活を学ぶって言っても、「それ、その方法で合ってんの?」って思っていたし、「友達を作るため」って言われても、「それ、学校に行かないとダメ?」って思っていたしね。学校って、将来、仕事をさせるためにしか存在してないんだろうというのが僕の見立。大学院までの全ての学校って意味です。
学校を運営するためにはものすごいお金がかかってるんです。文科省の予算が年間5.5兆円。ものすごい金額です。そして、僕ら親が子供にかける教育費の日本全国合計、7兆円/年。12.5兆円が学校教育にかかってる。国が使うお金は税金によって賄われています。その税金は私たちのお仕事から生まれたお金です。国民のからのお金を国が何のリターンも期待しないまま、使うと思いますか。ありえないのです。ただお金を与え、「好きな本を読みなさい」と言いますか。言わないのです。「将来、お金を返してね。しかも利子も合わせてね。」ってことです。
また、教育ほど率のいい投資はないと言われています。文科省の言う通りの教育方針で勉強に勉強を重ねれば文科省の評価の高い大学に入れます。国に指示に従順に従えば従う程、国がお金を出すいい大学と評価するところに入れるのは当たり前。だから、この国で文科省の評価の高い大学に入っている人はこの国の中の評価が高い(この国の中だけの話です)。文科省が高いと評価する大学、そして低いと評価する大学、学費はそれほど変わらない。でも、卒業してからの年収の差はびっくりです。勉強すればする程、この国では年収が上がるシステムになっているのです。そして、教育にかける費用は一人頭同じですから、これ以上いい投資はない。頭の良さで、国からの投資額に変動はない訳ですから、国にすればめちゃいい投資です。この国でお金持ちになる1番の方法は文科省が敷いてくれたレールに乗って、めちゃ勉強することです。お金持ちになりたい人がいれば、株式投資なんかより、勉強した方がいい。ほぼ100%の確率でお金持ちになれます。そのような国のシステムになってますから。でもこのようなシステムになっていな国も沢山あります。教育にお金を出さない国です。そんな国では、ドラッグディーラーになる方がお金持ちになる近道な訳です。この日本という国では教育は将来の国家予算を確保するための投資。そしてこの投資は長年うまく行ってます。だから、この国でこのシステムがそう簡単に崩れることはないと思って間違いない。
どこかの国のように、映画俳優が急に大統領(首相)になったりはこの国では絶対にない。文科省のレールのきっちりと乗った人しかこの国の最高責任者にはなれない。この国の最高責任者になりたいのであれば、文科省のレールにがっつり乗ることです。ノリノリで乗り続けることです。
ここまで書いたこと、とってもドライですが、その通りなのです。ただ、僕の記憶ではこう教えられた記憶はない。そもそも、僕が納得いく学校に行く理由を教えてくれた人は1人もいない。親、兄弟、友人、その他僕の人生に関わった人の中で誰1人としていない。
誰も教えてくれなかったことがよかったのか、或いは良くなかったのか、生き延びこの歳になるとどうでもいい。
経済を回し、税金を少しでも多く支払える人を作るシステムの根幹がこの国での教育です。ただ、「好きな本を読んでいて下さい」では許してくれないのがこの国の教育なのです。人が教育を重ねることで経済は成長し、経済が成長すれば、そこで住む人は幸せになるとのシステムが前提。
この前提って合ってますか?
39歳までの死亡原因の第一は自殺です。
学校で自殺はやめようと学びます。それでもこの国には死にたくなる人が大勢いるのです。私たちのDNAとほぼ同じの自然に中で生活するチンパンジーは自殺するのでしょうか。稀にあるかもしれませんが、まーないよね。学校教育が整っていない国ほど、例外はありますが自殺率はとっても低い。学校教育と自殺との相関関係は非常の高いし、また、学校教育と経済発展の相関関係もとっても高い。「高い学校教育=経済発展=高い自殺率」。怖い。「学校教育」と「経済発展」を切り離したらどうですか?っていうのが僕の勝手な考え方です。何度も書きますが、今この国でお金持ちになりたいなら、勉強をすること。これは間違いない。そういうシステムですから。毎週末上司とゴルフに行ってるより、勉強した方がお金持ちになる確率は高い。言っちゃえば、勉強し続ければこの国ではほぼ100%お金持ちになれる。これは決まっていることです。「お金持ちになりたい」という人には必ず、言うことにしてる「勉強したら」。でもね、僕はこのシステムにどっぷり浸かりながら生きていますが、僕はこのシステムが大嫌い。好きな本だけ読ませて欲しい。僕ね、ほとんどの人がそうなんじゃないかと思ってるんです。でなきゃ、自殺しないでしょ、こんなに大勢の人が。
僕らホモ・サピエンスは他の人類にはなかった秀でた認知能力が脳に備わっていたからここまで繁栄が出来た。お互い協力し合いながら生きていくことはそのレベルの差はあれど僕らホモ・サピエンスの生きるための最大の術。僕らは必ず、生きてく上でいくつも小さいものから大きなものまで社会を作り上げて行ったり、或いは属したりしながら成長します。ホモ・サピエンスは1人では生きられない。何らかの属する社会がないと生きられない。
そして現代、その社会を国という単位がまとめ、その国単位が他の多数の国単位と協力しながら世界という社会を築き上げています。将来、地球以外からとある生命体がやって来て、私たちの社会性を見てびっくりすると思う。また、実は昆虫も草花もそして他の動物も、社会性があるものの方が生き延びている現実がある。この地球という惑星は社会性がある方が生き延びれる環境になっているんだと思う。地球外からやってくる僕たちや他の動植物の社会性を見てびっくりする生命体、彼ら/彼女(はたまた、どんな代名詞になるのか知りませんが)が生活をする惑星は社会性がなくても生き延びれる環境なのかもしれないし、もしかしたら、「生き延びる」ことが重要なことであるとDNAにインプットがされていない生命体かもしれない。つまり、私たちDNAに生きることの大切さが記憶され、そしてこの地球という惑星の環境において社会性がその実現のためには最も大切だと環境に対応して来た結果、僕らは生きてる。社会性を失うと、この地球という惑星では生き延びれないんだと思う。
社会性と教育ってすごく相性がいいのです。経済発展、それは1人では成し遂げれない。どれだけ、Meta社のマーク・ザッカーバーグが優れた経営者だと言われても1人ではあんな大きな組織は作れない。Appleのスティーブ・ジョブもそうです。もともと、生き延びるために社会性が必要だとDNAに刻み込まれている私たちホモ・サピエンス。経済発展には社会性が不可欠。そして、私たちのDNAの遡上に経済発展のための教育が加われば、爆発的は経済発展は約束されたと同じです。
社会性は必要だし、とっても重要だと思ってます。ただ、その社会性を経済発展のことばかりに仕向けるのがとっても心地悪い。夏休みのスケジュール管理はなぜするのか。経済が発展してる国々では必ずあるんだとろうと思う。会社に入った時、9時から18時までの限られた勤務時間の中で、社会性を発揮しながら、最大限の結果を出す方法が効率化です。効率化は標準化とほぼ同意義語。人の仕事を標準化するためにはその人の動きを管理し、出来るだけ標準化の規定に従わせることです。スケジュールとは管理されるためのツールです。この経済発展が凄まじい世界では私たちは管理される宿命にあるのです。息子がスケジュール管理をしている姿を見ると、彼自身望んでいないかもしれないけど、将来、社会に「管理されること」を盲目的に肯定しまっているボタンを押し続けてい姿に見えて、「それって、君の意思かい?」って尋ねたくなるのです。
無意識のうちの経済発展のための管理術を覚えさせられ、将来、経済発展のための一員として社会に出るであろう子供達。でも、彼らが大人社会に入り、頑張り続けるであろう経済発展は私たちたが住む地球に負のレガシーを残し続け、その結果、温暖化が進み、多くの人類が到底住めない環境になってきてる。「暑いから住めない」じゃなくて、温暖化の結果、食物連鎖の下層部の崩壊が急激な速度で進み、上層部の私達の生命がとっても危機的状態となってる。地球温暖化の影響を最も激しく受けている人々は経済発展が遅れている国々の人。その人々の教育レベルはとっても低いから、教育を施し経済発展すれば、影響を回避出来るという人もいる。ばかげた理論です。経済は需要と供給のバランスで成り立っていて、人類全体が経済発展すると爆発的に増える需要を満たせるだけの供給は限られた地球の資源からでは不可能なのです。
経済発展のためにの教育を受け、その結果の現状を眺めると、「学校教育とはなんなんだ」と長男から「なんで学校に行くのか」と尋ねられ、口籠る自分がいます。僕が高校生の時、悲観的な将来像しか描けず、担任の先生に「もし僕が結婚しても子供はいらない」と言った時、先生が「だから、子供を作るんだよ。お前が描く悲観的な未来をお前の子供達が変えてくれるかもしれない。子供は希望。そして、まだ子供であるお前は俺たち大人からすると大切な希望なんだよ」と言ってくれた言葉を思い出し、スケジュール管理をする息子達にかけようとする自分の言葉の重さの責任をどのように果たすのか考え続ける、そんな夏休みです。