Comfort Mart 店長ブログ

三重県桑名市で北欧で直接買い付けたヴィンテージ家具、カリモク60、Yチェアなどのカールハンセン&サン、PPモブラー、ハーマンミラー、宮崎椅子製作所などを扱うお店の店長です。日々の出来事や考えていることを綴っています。そして時々、入荷情報などもお伝えしています。

バスケットボールとか

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改装中です。去年から何度か改装をしていますが、その理由のほとんどは法令遵守のためのもので、その法令遵守にのっかってちょっとだけカッコよくしているといった感じなんです。あと何箇所が改装をしなければいけなくて、あと1年から2年はかかるかと思います。早くしなければいけないのですが、経済的に無理なんです。

さて、先月新型コロナウイルス罹患となりました。家族全員です。多分、次男経由で家庭内に広まり、僕は最後で一番症状が厳しかったです。心の中で「お前らと一緒のウィルスなのに、なんで自分だけこんな厳しくなるのよ〜」って何度か叫んでいました。歳を取り、免疫力が落ち、病への耐性が低くなっている証拠です。やだね〜、歳を取ると。インフルエンザ、何回も罹患してますが、すぐにそれ用の薬を処方してもらえるので、高熱はすぐに収まり、あとは他の人にうつさないための隔離期間がつらいといった感じで、本を読めたり、映画を観れたりとか、それまで溜めていたことができてちょっとラッキー的なところもあったりするのですが、今回のこの疫病は違いましたね。最初から最後まですっきりせずに終わった感じ。本なんて読める感じじゃまったくない。いい経験をさせて頂きました。もう、罹患はまっぴらごめんです。

病に伏せている時、インスタグラムばっかり見ていました。どうしてだか僕のアカウントにはイーロン・マスク関係のコンテンツがめちゃフィードされて、他を探すの面倒なので、よく分かりませんがずっとイーロン・マスクのインタビューだったり、名言だったり、その系のものばかり見ていた感じがします。あの人、超真面目だけど、僕が女性なら絶対に結婚したくないタイプ。仕事ばっかり、24時間仕事のことばかり考えて、妻のことなんてほったらかし。てか、そう思ってるの僕だけじゃなく、僕の妻も僕に対してそう思ってるかもしれない。「仕事のことばっかり」って。てか、女性が男性に抱く不満の第一位はこれじゃないですか。て考えると、イーロンも例外でなく、いつかどこかで結婚するかもね。

息子達と一緒にバスケットボールをする機会が最近増えました。50歳を超えて、「何かが上手くなる」って感覚なんてもうないだろうと思ってました。いや、もうそう思い始めたのって結構前だと思う。「大人が何かについて上手くなるってもうない」って感覚ありますよね。僕の場合は現実的にほんとにあって、例えば週に何回か行くスポーツジムでの筋力の衰えはひどく、もう30代の頃の感じは戻らないと断言できるくらいの感覚なんです。それもあって「やっても無駄だ」感がはんぱないんです。でも、バスケットボールについて、息子達が行ってるスクールでたまに僕も混じって教えてもらうのですが、教えてもらって練習すると次またする時にちょっと上手くなってる感じがするんです。めちゃ嬉しくてこの「やれば延びる感覚」。僕が20代の頃に熱狂したNBA、その中でもマイケル・ジョーダンへの憧れは未だに衰えず、学生の時に野球じゃなくて、なんでバスケットボールをしなかったのかと今だに後悔してる姿を知ってるのか知らないのか、息子達はバッスケットボールに夢中でちょっと羨ましいです。

バスケットボールもそうですが、アメリカで生活してる時に「なんで空手してなかったのか」って後悔したことがあって、それも次男が今やってくれてる空手につながってたりして、なんか分かりませんが、言葉に出して言いませんが、子供は親をよく見てるなって気になります。しっかりしないとねって思います。

国産のバネから

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大量のGE258(デイベット)が入荷し、ただ、クッションが相当ダメになってて、替えてやろうと思ったんです。ベットに使われてる「ボンネルバネ」というバネが使われたマットレスなのですが、国内でこのタイプのバネを作っているのはもう1社しかないのだそうです。そうだよね、見るからに簡単に他国に技術移管できそうな感じのものだから、労働コストのより安いところの方が世界的に競争力があるから、ベットメーカーもそっちの方から買うことになると思う。ただ、その国内で作っているメーカーはそこはそこでちゃんとした拘りがあるんだろうと思います。ただ、その拘りを付加価値として価格に転化できるくらいのコミュニケーションをしてないのかもしれない。しないと外に伝わんないから、「あちらの方が安い」からってだけでそっぽ向かれちゃうんだろうと思う。こういった企業、国内に結構沢山あるんだろうと思います。

僕らのように小ロットでしか注文しない会社にとってはこういった企業は頼みの綱だから、なくならないで欲しいと、ほんとに思います。去年は頼りにしていたある会社が解散して、今ほんとに困っます。僕らの会社、やってる時はそれほど必要だと思われていないかもしれませんが、なくなったら結構困る人、いるんじゃないと思ってて、出来るだけ続けたいと思って、いつも試行錯誤しながら進んでいます。

「ただ絵が上手いだけでは社会では何の役にも立たない」と思ってます。ボンネルバネを作ってる会社もそうなのですが、上手いだけでは売れない。学生の頃からずっと「ブランドコミュニケーション」ってことに携わってきているから、いつも「それ、うまく伝わるように言わないと」って思ってます。例えば、お店の価格表。価格表、綺麗に体裁を整えることって、絵が上手くて、ソフトをそれなりに操れればだいたい綺麗にできます。でも、それって綺麗なだけで、例えばそれを同じ商品を売る他店に持って行ったとしても使えちゃったりしたらもうアウトです。手書きでもいい、そのお店のユニークなところが見た人の心の残るものじゃないとそんな綺麗なもの作るの時間の無駄です。そんな時間があったら、その系の本、腐るほど出てるから、読みまくった方がいい。そして少しずつ実践していく。沢山失敗し、そしてまた失敗し、で「何で失敗したのか?」と深く考え、また挑戦し、するとコミュニケーションが上手くなっていきます。絵が上手いのは天賦の才だろうと思う。そこで止まっている人、めちゃ沢山います。売るために使いたいなら、そしてずっとそれでご飯を食べたいと思ってるなら、コミュニケーションを学ばないといけないと思う。

これ、英語も一緒です。英語が上手だけなら、世界に腐るほどいます。そんなに英語の文法に強くなる必要はない。コミュニケーションをその英語を使ってどうするかが一番大切。日本の英語学習、狂ってると思ってます。英語を学ぶ前に、日本語でディベートする力を付けるとか、基礎学力を付けるとか、英語は勉強じゃない。あれは道具です。道具なんて、あとで使い方を知ればいい。道具が使えてもいい家具やいいお家作れないから。家具の成り立ち、そして家の建て方を学ぶのが先です。僕、ほんと、家具メーカー等で鉋で綺麗に木を削っている広告があったりするとゲンナリしちゃうタイプなんです。鉋を使えることはいい家具を作るための必要条件であるけど、十分条件では決してないからです。道具を使えても、結果ダメなものが出来ちゃったらそれはダメなのが厳しいですが社会です。

「いい腕」は必要です。いい腕があるなら、「磨いてくれよ〜」っていつも思ってます。特に天賦の才で中途半端に何かが出来る場合、僕の知ってる限り、磨かずそのままって場合が多くて、何年かして会ってみると「変わってねーな、つまんない。」って思いますし、「何で、やらないんだ!」って悲しくなっちゃう。この国、出来る人がいっぱいいるのに、何でもっとその腕を磨き、そして外に出すことをやらないんだろう。目立つとダメですか。必死にやってる姿は恥ずかしいですか。このままじゃ、この国のいいところ全部なくなっちゃう。ほんと悲しと思ってます。

最近のこと

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もう、20年くらいこのお店をやってるんですが、やり始めた時に新車で買ったトラックを手放すことになり、記念に相当あの世に近づいた僕の母親に撮ってもらいました。彼女は四捨五入すると90歳になる年齢で、週に一度ほどお店の前に置いてある「花壇」の世話にお店にやってきます。彼女に「ここ押して」と渡したスマホでこの写真が取れるまでに100枚ほどの「無駄ショット」があり、彼女はまさしく「バイト泥棒」です。

今、お店に2台の配達車があるのですが、もう配達も少なくなったし、働く人も減ったので、2台はいらないと思い、1台にしたいと思い始めて2年ほど経ってます。順当に行けば「ハイエースバン」なんです。それが嫌でなんか別の車がないかとずっと考えていたんです。デンマークに買い付けに行った時にディーラーがよく乗ってるメルセデスのバンやプジョーのバンがよくて、でも日本では正規輸入されていなくて、並行輸入だけなんですね、調べたら。並行輸入車、壊れたら嫌だし。僕はもう30年くらいはずっと輸入車に乗ってますが、やっぱり壊れる(この前は2ヶ月程、修理工場に行きっぱなしになってました)。壊れるのはいいのですが、仕事の車は壊れたら仕事にならない。壊れたら困るのです。あと、なんとなく「エコがいい」と思っていたり。でもね、2年も考えてて、いいアイディアはなく、結局「ハイエースバン」なんです。4月末にやってきます。前の車は20年近く乗りましたから、今回のものもその位はとはお思いますが、それよりも20年先にはガソリン車って、「化石」になってる可能性があるから、どうだろか、10年くらいが限界でその次は水素車とか電気自動車になるんだろうなとは思ってます。

3月22日にデンマークからのコンテナが到着し、もう大変です。4月21日からお店の改装もしたりするから、さらに大変。今回、GE258デイベットを沢山買ってて、その処理が大変。ディーラーから写真で買い付けたものの状態が悪くて、大変なことに大変が重なって、入荷したGE258をHPでの紹介をしたいのですが、全然完成しない。息子たちが春休みだから、一緒に出掛けたいとは思いますが、昨日近くの公園での花見が唯一行ける感じのスケジュールになってます。

ウィル・スミスが公衆の面前で平手打ち。アメリカに住んでる時にNBCでやってた「The Fresh Prince of Bel-Air」っていうコメディー番組で彼を見たのが最初。アメリカらしい、シニカルなシットコム(「シチュエーション・コメディ」)のメインキャストだったと思います。確かあの頃、彼って経済的に厳しくて、「何でもやるよ」的な感じ。それから、映画「Bad Boys」でヒーロー役、そして映画「インデペンデンス・デイ」で僕の中の彼への印象は完全に「いいかっこいい男像」に固定。それから何作が映画を見たけど、僕の中ではあの時に作られた「いい男像」から離れられない。

ビンタしちゃった。人の前で。僕の第一印象は「何で、奥さんが先に言わないのか」です。「何で、彼に任せちゃってるのか」。奥さんが言えばいい。何で旦那が代わりに行動しないといけないのか。そうなってないことにいつも苛立ちを感じているからだと思います。息子が学校で問題になることがあります。で、何となくいつも世間的に「お父さんが来たらやばいぞ」って雰囲気ってないですか?あれ、いつも何で「妻だとダメなのか?」って思ってる。息子の問題で3度、学校に行ったことがあります。いつも「いや、僕が来ないとダメなの? 結果同じでしょ」って思ってます。「妻がいつもがんばっているから、たまにはお父さんもがんばらないと」っていうのは別問題です。それは僕ら夫婦関係の問題です。夫婦関係はおいといて、学校とか世間とか「重要なことは男性が」って雰囲気ってありまよね。あれ、僕は大嫌い。「いや、ちゃんとできる女性いっぱいいるから」と思いますし、「最後は男性」って育てられた女性がそのことに何の嫌疑も示さす、「重要なことは男性」って思って、社会でもその様に生活してる人が多いことが不思議で仕方ない。学校でも一度、女性の先生に言ったことありましたが「明からさまに男尊女卑なのに、このことに不思議と思ってないとしたら、この日本の真の女性進出はないし、そう思っている人が教えているクラスの女の子に真の女性進出を果たしたいと思う子が出てくるとは思えない」。もし、あの時、僕がウィルの奥さんだとしたら、「何でお前が言ってんだ。私を舐めんなよ。」って馬鹿にされた気持ちになって泣きたくなると思う。

みたいなことを妻に話したら 。「怖っ」って言われた。「今までのことの理由がよーくわかった。20年かかったわ。」だって。それこそ、「怖っ」だっつーの。

人の意味

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僕はほんとに何もしてなく恥ずかしいのですが、うちの畑で仕事でした。

うちの食卓には冬にトマトやきゅうりは並びません。大根、白菜、キャベツ、そしてブロッコリー。季節の野菜。でも、いちごは別で年がら年中食べまくりです。そうなんです、緩い感じで食にうるさい感じです。夏、畑は雑草との戦いです。また、このお店の裏にある駐車場/倉庫にもたくさんの雑草が生え、毎日抜きまくります。畑の世話をしたり、雑草を抜いたりすると、なんだか「人のできることは大したことねーな」って思うようになるのが不思議です。すげー建物立てたり、科学で偉業を成し遂げたり、でもそんなこと土の前では何の意味もないことなんじゃいかと思えてくるのが不思議です。環境を考えた建物であっても、それは人工物であって、自然の理からなるものとは比べものにならない程「わざと感」がすごい。科学なんて、人の生活のためだけのものだから、自然にあるものにとってはなんの益もない。

食物連鎖の中の低い位置にいた僕たちですが、脳に認知機能を付け、そして火を使い、そして道具を使うようになってから、食物連鎖の頂点に立つに至ってます。雑草を踏みつけ、そして旬じゃない野菜を人工的に作り出し、また人工的にもっと経済的に生産ができるように遺伝子を操作し、忙しい僕らのために「元々じゃないもの」を作り出しています。

畑の素人だから、僕の母が言ってた通り、始めは化学肥料をばんばん使ってた。で、何年もすると分かるのね。ダメだって。土が固くなっていくの。で、また化学肥料を投入する。もちろん、検査にばっちり通っている問題のない肥料です。でも、土がダメになっていくのが手に取るようにわかる。そして土の香りが土の香りじゃなくなり出すのね。検査的にはいいんだろうけど、「まずいよね〜、これ」って思うようになる。もし、こんな作り方してるのが近所のスーパーで売られている色とりどりの野菜だとしたら、「いいのか〜」って話になるのね。畑やってるから、あんな綺麗な野菜を作りるのって、物凄い高い技術がないとできないことは分かる。間違いない。でも、野菜も経済的に作らないといけないから、自然の理に反することをしなければならない時もあるかもしれない。よく知りません。そうなんです、「よく知りませんけど」ってなってる自分がいたりする訳です。この「知らないパワー」ってものすごく強くて、「知らないからいいや」って気を回さないことがほんとん周りに多い。

知ってる人が作る野菜をなるべく買うことにしてます。そうすると、高いのね。スーパーにある野菜より高い。作付け面積あたりできるだけ多くの野菜を作る経済的なやり方の野菜より、そういった「名のある野菜」は高い。経済の原理です。たくさん作れないから、高くならざるおえない。でも、近くのスーパーで買った野菜よりも格段に美味い。びっくりする程美味い。

高い野菜を買うためには、給料を上げないといけない。当たり前のことです。給料を上げるためには作り出す価値の最大化を計らないといけない。これも経済の原理です。最大化を計るため、科学の力を利用するのは僕らの常套手段です。言いたいことは、高いいい野菜を買うために、僕らは毎日その逆のことをしてる。不思議。「なんて愚かなんだ」と思う時が美味しい野菜を食べてる時にふと頭に降りてくる時がある。皆さんはこのジレンマどうしてるんでしょうか。そこんとは「知らないからいいや」パワーの本領発揮なのでしょうか。

もう何年か前からか牛乳を飲まなくなりました。牛も人と一緒で子供を産まないとお乳が出ない。だから、お乳を出させるために人工的に妊娠させ、そして子牛を産ませる。その子供はどこかに連れ去れます。牛にも感情があるから、生まれてすぐに自分の子供がどこからに連れ去らた時の気持ちって、想像するだけ涙がでちゃう。で、搾乳器を取り付けられ、そんな母親牛から出るお乳って、成分的には問題ないのだろうけど、「ストレス汁」の量は半端ないじゃないかと勝手に思ってて、また、「僕はそこまでして牛乳を欲しいと思ってないから」って思うから、もう牛乳はいいと思ってます。

こんなこと言ってますが、カフェオレ飲むしね。ヨーグルト食べるしね。緩いから完全に断ち切れないです。

だから、人ってなんでこの地球上に存在してるのかなって思っちゃう。僕と一緒で、緩い考えで自然の理から成っていないものを断ち切りたいけどそうしてない、そんな人って世界中にごまんといるんじゃないと思ってます。雑草を抜きますが、雑草からしたら、「なんで抜かれないといけないの?」なはずなんです。僕らはなぜ存在してるのか。不思議ですね。でも、地球上に必要のない生物だとしたら、とうの昔に滅亡してると思う。だから、僕らの生命は何かの意味があるんだと思って生きてます。そして、一生懸命、真面目にそして誠実に生きてやろうと思ってます。僕らの後の世代が別の生物にその地位を奪われた時「人って、価値ないね」って言わせたくない。次の世代が「お前ら生きてる価値なし」って別の生物から言われること、その原因を作っちゃいけないと思って生きてます。畑をしてるだけで、しかもたまにしか手伝わない僕でも考える。毎日生産してる人、ジレンマの連続だろなと、心中お察ししちゃう。

神宮の厄祓い

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久しぶりに伊勢志摩を泊まりで満喫してきました。年始は妻の実家の新潟に車で行くつもりだったのですが、12月30日に車が故障し、「お告げだね」っていうことで、取りやめ、急遽行き先を変え、お伊勢参りということにしました。

横山展望台で日の出を家族で見たり、大王崎の灯台近くで日の入りを見たり、また美味しいものを食べたり、行ってなかった「VISON」に行ってみたりと、いい感じで相当楽しく過ごして帰ってきました。また普段、休みが取れなかったり、お家に帰っても、時間が取れなく妻と話をする時間が子供に関すること以外ではほとんどないのですが、長期休みを取ると、子供とは関係のない話ができたりして、色々キャッチアップすることができ夫婦仲のためにも役立った日々でした。

妻と「情報」について少し話しました。詳しい内容は忘れてしまったのですが、「情報がない」と嘆いている方が結構沢山いるということを妻が言ってました。こんなに情報が溢れた社会になったにもかかわらずです。例えば、子供が障害を持って生まれ、その先不安で仕方ない。そんな時、これからの情報の入手先は多分ネットからになるんだろうと思います。ほとんどの情報はネット上にあります。紙媒体だけで情報を管理している公共機関はほとんどない。今回の新型コロナウイルスの情報に関しても、Yahooコメントに「もっと情報をくれ」等の情報難民が溢れています。でも、その欲しい情報のほとんどは厚生労働省管轄のネットに最新情報が転がっています。例えば、重症者がどの程度いるのか、ワクチンの副反応はどんなことなのか、めちゃ詳しく書かれています。

僕がネットに一気に近くなったのは、アメリカの大学に行ってる頃、その寄宿舎の部屋全部にLANが配備され、あの時初めて買った最新のDELLのラップトップをそのLANに繋げた時です。あれは正確に言うと、31年前です。それから大学院に進み、情報に関する授業なんかもあったり、これから進む情報化に向けアメリカでは進んで国民の情報リタラシーを高めようと考えていたんだと思います。

大学院に通っている頃にアメリカから電話帳が消えました。「Yellow Page」や「White Page」と言われているものです。すべてネットに移行です。情報がABC順で並んでいるだけのあの手の情報ブックは真っ先にネットへと移行です。日本では多分まだ紙媒体で「タウンページ」っていうのが存在してると思います。同じものはアメリカで30年前には消えてなくなってます。で、授業でそのことがトピックになり、これまで情報を与えるだけの商売は全て終わり、全て無料になる。そして取って替わるのはネットにある情報をその欲しい人用にとまとめ、そしてカスタマイズする仕事だけが残る、ってことでした。真っ当な流れです。そして、教授が付け加えていたのは「人々はカスタマイズされた情報を信じ、そしてそこから離れられなくなる」ってことです。だから、情報をカスタマイズする商売をする者は誠実であるべきで、できるだけ俯瞰で情報を見ておく術を持っておかないいけないよね、ってことも言ってました。ただ、ビジネススクールで「お金よりもビジネス倫理が大切」ってことはあまり伝わらず、「情報をまとめ商売をするものは誠実で」とのくだりは僕らにとってはちょっとジョーク気味だったような記憶です。

amazonにしろ、Googleにしろ、インスタグラムにしろ、今ある情報サービスのビジネスモデルはまさにこれです。つまり、「あなたに必要な情報をカスタマイズしてお届けする」こと。その精度や切り口は媒体それぞれ違いますが、基本的には「貴方に必要な情報だけをお届けする」サービスです。

僕らはこのサービスにずっぽり浸っています。

Yahooのニュースにフィードされるニュースは僕がよく見るジャンルのニュースばかり。でも、そのニュースが誰もが見てるってちょっと勘違いしちゃう。その反対で、そのジャンルとは違うニュースを探す時、めちゃ大変。周りにある情報が今僕らに必要な情報だけが集められているから、それ以外の情報を探すことに全く慣れていなんじゃないと思う時があります。実際にそうです。妻が気になることは妻の方が素早くネットから検索できるし、その反対で僕の気になることは僕の方がネットから検索しやすい。

これがいいのか悪いのかは知りませんが、とても便利であることは間違いない。ただ、「今を生きる為には」という修飾句がつくんじゃないかと思う。

でも、予期できる今じゃないこと、人生には多々起こります。そんな時、人はそれを乗り切ろうと情報ツールを駆使すると思う。だけど、それまで人生で関わってこなかった事象だから、その情報はやってきてくれない。だから能動的に探さないといけない。いいまとめられた情報をもらえることになれちゃってる僕らは、本来情報っていうのは自ら探し、まとめ、体系的に保管するものですが、「おい、情報がないじゃないか」って癇癪を起こしちゃう。欲しい情報、多分探せばあるんです。

僕はこの商売そする時、昔の酒屋さんみたいになりたいと思っていました。お客さんの事細かな情報を知り、二つ返事で「わかったよ〜」って言うあれです。

マスコミュニケーションの時代が終わり、マスカスタマイゼーションの時代になり、そしてITの進歩により情報の完全個別化を可能としようとしてます。まるで、以前の酒屋と一緒です。「君の趣向は僕全部知ってるぜ〜」って感じ。つまり、僕のやりたかったことが情報ツールで可能となろうとしています。

ただ、何年か前からその「酒屋方式」に違和感があるんです。ある顧客の家庭が日本酒から急にワインを飲み始めた形跡を酒屋のオヤジが察したとします。さてどうする、オヤジ。オヤジはその家庭は「日本酒だけだ」と思い込んでた。だからオヤジは日本酒への造形は深くてもワインはさっぱり蚊帳の外。この情報化でありえる話です。日本酒から動けないオヤジのやる酒屋は多分廃業になるだろうと思います。さて、あるいは日本酒にこだわり、日本酒を好きな人を求め、ネットを使い営業を開始するとか。

日本酒が好きな人へやってくる情報は日本酒に関することばかりのはずです。ただ、カテゴリーの階層を一段上げて「お酒」ってなると、やってくる情報はビールになったり、そしてワインになります。ただ、でもその情報、量は増える分、深さ(質)は低下するはずです。それでもカテゴリーを変えるだけで情報が変わる。こういったこと、皆さんでもあると思う。車を買い替えようとしている時、無意識にその手の情報ばかり閲覧してる。そうすると、車カテゴリーのニュースのフィードが多くなること、実際にあります。

つまり、情報の完全個別化の精度がものすごく上がって来ていて、しかも正確で、そして趣向の変化への対応もめちゃ早い。

目指してるのは酒屋は酒屋なんです。ただ、日本酒しか知らない酒屋なのか、カテゴリーを上げて「お酒」っていう酒屋なのか、それはお客さんにまとめられてフィードされる情報が変わって行くに従い行ったり来たりしないといけないんだろうなとは思いますが、そのスピードにはついていけないし、「それでは節操がないよね〜」って思ったりね。

さっき「情報がないよね〜」って癇癪を起こしている方々、「媒体のスピードが遅いぞ」って理由かもしれない。「もっと俺の必要な情報素早く丁寧に持って来やがれ!」ってことかもしれない。多分、そうなんだと思います。

そこんとこでは勝負ができないんですね、この小さな家具店では。情報化が進めべ進むほど、情報の個別化のスピードがめちゃ上がり、それについていけないうちのような小さな家具店は叱られることがもっと増えるんだろうなと、妻と話して新年早々ちょっと縮こまっていました。叱られるのもうやだな〜。

高校進学

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うちの柴イヌはお部屋の中で飼っているのですが、外出自由(お庭)なので、お部屋の中が砂でじゃりじゃりで仕方ない。以前はお部屋に戻ってくるたびに脚先を拭いていたのですが、その頻度が多いのと、そうやって気になってるの家族の中で僕だけだと知って、「こりゃ、意味ねーな」と思い、もう勝手にやってもらっています。週に一度、がっつり掃除することに慣れ、もう何年も年末の大掃除なんて必要のないくらい、毎週年末大掃除になってます。

長男が来年の3月で中学卒業です。で、「高校」なんですが、大きな交通事故からの後遺症により障害者となった彼は普通とは違う進路に進むことになります。

彼は身体障害と知的障害、そして精神障害と障害のデパートです。交通事故と聞くと、大きな骨折や傷などを考えがちですが、交通事故からはさまざまな障害が発生します。なんとなくポピュラーなのが首の骨や背中の骨と神経の損傷から起こる下肢/上肢不随。車椅子になってしまうやつです。その次にポピュラーなのが、脳挫傷や脳外傷。脳に大きな力が加わり、脳が壊れ、身体の色々なところへの障害となって現れます。彼の場合は交通事故で脳の体積の30%程がなくなりました。脳はいいのか悪いのか分かりませんが、減ったものはもう元には戻りません。失った30%をある70%でカバーしようと脳はがんばるのですが、それでも十分ではありません。右半身の麻痺、そして高次脳機能障害というものが色濃く残りました。麻痺は彼の動いている姿を見ればすぐに分かります。でも高次脳機能障害は見た目では分かりません。認知機能や記憶機能の著しい低下、前頭葉の損傷が激しいので情緒コントロールが難しい、その他、まー色々とあるんです。そんな彼ですが、「素敵な高校生活」を夢見てるんです。

関係ないかもしれませんが、彼のおかげで脳に関する情報に鋭くなった僕、ニュースで流れる事故の話とか、柔道で気絶してしまった話など、脳に関する情報にちょっと敏感になってて、「あの事故のあと、あの人、もう普段の生活できないかも、そうかー、辛いなー」と考えたり、その他、映画とかでどこかから落ちて脳挫傷になり、病院で1週間寝たっきり目を覚さない。でも、大好きな彼女が話しかけたら目を覚ましてハッピーエンド的な話を見たりすると、「嘘だー、脳挫傷で元通りになれる訳ない。目を覚ましても、普段の生活はできないつーの」って現実のことのように独り言を言うようになりました。

彼は彼なりの「素敵な高校生活」が頭にある訳です。支援のある高校に行くのですが、そういった高校でもそうでない高校でも、関係なく素敵な高校生活にするには周りに求めるのではなく、自主的に素敵にしていく努力が必要だろと思ってます。「周りに求めるな」と言いたい。

僕の高校生活、闇です。全く楽しくなかった。人生の中で切り取れる時間があるとしたら、高校時代で間違いない。そのくらい楽しくなかった。嫌だった理由は多様性。中学の時はワルも入れば、超頭がいいやつもいれば、身体が不自由なやつもいれば、男なのか女なのかわからないやつもいれば、授業中に急に大声出すやつもいたり、地域からスクリーニングなしにいろんなやつ全員が来た。高校って、受験して来てるから、大体同じやつばっかり。ずば抜けたやつもいないし、ずば抜けてできないやつもいないし、全員が超「普通」。頭いいやつもいたとは思うけど、頭いいだけ。もー、普通なの。だけど、青春だから、「おれは違うぜ」って風を誰もが吹かせようとするのね。もー、滑稽でしかたなかった。

ただ、その中で一人だけ、すげーやつがいて、彼は先天性の喘息もちで、授業中も「ぜーぜー」言って、たまに吸引してる訳。彼は中学まで支援学校だった。彼なりにめちゃがんばって、普通校に来たんです。色々、遊んだよね、あついと。ぜーぜー、言いながら大学受験して受かっちゃった。でも、25歳くらいで呼吸不全であの世に逝ってしまった。ずっと忘れないよね、あつのこと。高校の中であいつが一番普通じゃなかった。おしゃれだったし、話も面白かった。僕は彼で高校生活を救われた。

僕、本当は長男、普通の高校に行って欲しいんです。多様性とかインクルーシブ教育とか言ってるけど、高校行ったら、そして大学行ったら、だいたい同じやつばっかり。学校って世界の社会の縮図であるべきだと思ってます。いろんなやつがいていい。それが当たり前だって、教えるところが学校だと思ってる。そしてその延長上に社会があるべきだと思ってます。高校に車椅子のやつがいて、それを押す他の生徒がいたり(逆に無視してるやつもいて)、日本語話せないやつがいて、そいつに日本語を教えている生徒がいたり、東大なんて目指してなくて、はなっからMIT目指していたり、あるいは中学からめっちゃプログラミングできたり、男性の心を持った女性がいたり、腕にいっぱい彫り物してるやつだったり、そんないろんなやつと僕も一緒に「普通」に一緒に生活できる空間って、僕にとっては学校なんです。桃源郷ですね。ないから、桃源郷なんですけどね。

歳を取れば取るほど、同じ種類の人間だけとの関わり合いになる。僕もそうなってると思ってます。でも、いつも「嫌だ、嫌だ」って思ってる。

僕は彼が障害を持って人生を歩むことになると分かった時、「多様性をもたらしてくれるこの世の救世主」だと思った。あの僕がつまらなかったら高校時代のような社会なんてつまらない。彼は支援学校に進み、「普通の方々」とは少し違うコースを辿ることになります。ただ、まだ全然諦めてないんです、僕、彼が多様性の救世主になりこの社会をもっと楽しい住みやすい場所にしてくれるって。こういった意味ではちょっと僕は彼に期待をしすぎているかもしれません。ただ、まずは僕がそういった人でないとね、やっぱり。これからも、この感覚を磨きまくってやろうと思ってます。誰かに期待するなら、まず自分が期待される人間にならないと。がんばろっと。

「通い箱」

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昨日は妻がやってる畑で仕事をしました。恥ずかしい程貢献してないので、「仕事」って言えないのですが、耕してきました。玉ねぎを植えると言ってましたが、それまでにはまだまだやることが沢山あるようです。

さて、いつも考えてることがあります。「梱包ってどうにかならないのか」です。

ほぼ毎日何かを発送しています。運送途中の事故などで商品が破損したり、傷が付いたりしないよう、相当頑強に梱包してて、梱包材も相当な量を使ってます。でも、届いて箱を開け、商品が取り出されたら、その梱包材、そして箱も完全にゴミ。全然使われてないのにゴミ。あれ、相当やばいと思ってます。また、梱包する者のやる気にも影響してると思う。

家具をお選び頂き、そして販売する時って、「報われた気持ち」になる。増してや、その家具がその方のおうちでずっと使われと思うと、嬉しくて仕方ありません。でも、梱包は「ちゃんと届いて当たり前」だし、「梱包してくれてありがとう」なんて思うお客様、もちろんいらっしゃると思いますが、かなり少数派だと思います。

きっちり仕事しても報いがない。とても辛い仕事の一つだと思います。

梱包の仕事を報いのある仕事に変えたいとずっと考えてます。

週に何度か届くアマゾンからの荷物。相当頑張って簡易梱包されてるけど、それでも商品取り出した後はそのままゴミ。商品を安全に届ける役目だから、それはそれで仕方ない。捨ててるゴミがどれほど環境に悪影響を与えてるか知らない。でも、悪影響はゼロじゃないと思う。このお店から届く商品に使われている梱包も同じでして、ストレートにゴミ箱行きです。

ゴミを減らしながら、そのことが梱包の仕事へのやる気に繋がれば最高だと考えました。 このお店発送するもの、全部、「通い箱」にしたいと思います。

つまり、梱包材は返してもらい、もう一度使わせて頂く。これから、詳細を詰めてお客様に選択をしてもらう感じのスタートになると思います。「リサイクルの梱包材」 or 「新品の梱包材」。「新品の梱包材」を選択することが「恥ずかしいこと」になる日、結構近いんじゃないかと思ってます。そうなったら、もう選択なんてなしにすればいい。いつもリサイクル。梱包材は返してもらいまた使う。こういう流れが普通になる経済、すぐ先なんじゃないかと思います。

上記のこと、簡単に言ってますが、めちゃお金がかかります。新品の梱包材を使って、捨てながら進めていく方が安く済みます。かかった追加のコスト、多分、商品代金に上乗せはできないので、私たちの利益を減らしおこなっていくことになるんじゃないかと思います。この供給側だけがコストを負担する仕組みも多分、近い将来変わると思ってます。

供給側の費用負担だけで地球環境を守っていくのは不可能です。お金が足りないと思います。消費者側にも負担をお願いして、「世界チーム」でやっていかないと、手遅れになりそうな状況、多分皆さんもお感じなっているんじゃないかと思うんです。私、今は供給側ですが、お店を出れば普通の消費者です。消費者になった時、普通に追加の費用は払ってでも、地球環境に寄与したいと思っています。供給側と消費側がコストを出し合いながらじゃないと、もう全然埒が開かない状況になってると思います。どうでしょうか?

「新品の梱包材じゃないと絶対嫌だ」ってお客様にも、なんとか説明を尽くして、リサイクルに参加して頂くように努力致します。それでも、「そんなお店から商品は買えない」となれば、とても残念ですがそれに従い、他店でのご購入をお願いすることになると思います。でも、それではこのお店は潰れてしまいますから、「それでも、そこで買いたい」と言って頂けるよう、さらに努力を続けていきたいと思います。

梱包をする者もこうして「意味ある梱包」にすることで、報われた気持ちになるんではないでしょうか。もっと詳細を詰めなないといけないのですが、この方向性に間違いはないと思ってます。

「人のためのデザイン」

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裏の土地にある古い倉庫をリフォームして使えるようにしました。思った3倍の時間がかかってしまった。相当のめり込んでしまったので、夏休でありながら(そして緊急事態宣言でStay Homeになったにもかかわらず)、お父さんがお家にいない日が多く、家族に相当な負担を掛けてしまったと思います。

取り付けた天吊りランプはコペンハーゲンを拠点に活躍するNorm Architectsデザインの「Bank Pendant」。デンマークの「MENU」というブランドから出ているランプです。日本では売ってないので北欧から取り寄せ、電気コードに細工を加えたりして何となく取り付けました。上手くいったと思います。大切にしたいと思います。

多分、どのようにプロモーションをするかだけの問題なんだと思いますが、Wegnerであったり、そしてAaltoもそうですが、第二次世界大戦の前後の工業技術が飛躍的に発展した時期に発表された家具デザイン、よくパンフレット等で「人のために考えられた」って書いてあります。僕も以前、お客様に家具の説明をする時に「どのように使うのかを無視し、形、そして形式に囚われ、作る側の理論だけでの退屈な家具に変わり、例えばデンマークのコーア・クリントなどが提唱した『機能に基づいた設計』から、人の動き、生活を徹底的に調べ、そこからものの設計をしていく動きが活発となり、現在でも残されるいいデザインが作られた」なんて話しをしていましたが、ここ数年は、何故か「人のためにデザインされた」っていうのが、環境や社会を無視した人のエゴを強調してるみたいで、もう使いたくない言葉になってしまっています。

現地にある持続可能な森から伐採される木素材を再生可能なエネルギーだけで稼働する工場で製材し、組み立て出荷さた家具ばかりをこのお店では扱うのですが、日本製の家具の場合、その材料は輸入に頼ってて、相当な負荷を環境にかけながらこの日本に持ち込まれ、再生可能なエネルギーで100%稼動する工場なんて一つも存在しない日本の製材所で製材され、作られそしてお店にやってくるものも多々あります。持続可能な作り方で作られた家具、そしてそうでない家具、どちらにしろその作られる私たちの手元に届くまでには相当に環境に負荷を掛けていることは間違いありません。

こんなことは百も承知で僕は皆さんに家具を紹介し、そして以前は「人のためにとデザインされた家具」って話してました。なんか「?」ってマークが頭に浮かびませんか。

こう話せば話すほど、「人のために考え作られた家具」っていうのが、馬鹿らしく聞こえて仕方なく聞こえるようになってきた。今作る商品、人だけを考えて作ってはいけないのです。あの頃のデザイナー、今僕らが対峙してる社会問題や環境問題を知っていたら「おい、おい、その『人のために』って言うの、もうやめてよ〜」って言ってんじゃないかと思う。「そういんじゃなくて、『既成概念を見直し、それまでなかった考え方で答えを出していくデザイン』を目指したって言ってくんないかな〜」って言ってそうな気がします。

僕らはものを消費してる。そして同時にものを作り出してもいます。経済の大原理ですので、恐らくこれは変える事はできない。「作り続けて、消費はしない」ってありえないし、「作らないで、消費を続ける」もありえない。僕らはこれから先も作り続け、そして消費し続けるのです。

もう作らないし、消費もしない、人は地球環境にとっては無害って言えるなら、「人のために」って言っても恥ずかしくない。でもそれ、絶対にできないから。

そしてもう一つ、大事なこを忘れていけない。人は必ず滅びるということ。この地球の歴史で幕を閉じなかった動植物はないってこと。僕らは必ずこの地球からいつかはいなくなります。

考えたら失笑です。 人のためにと作られた「もの」、人が滅んだ後、目的もなくその場にずっと佇む事になるんです。 「人のために」と作られたもの、人がいなくなったら、そのもの誰のため。

「人のため」と言う言葉が実に短絡的で、もうその時勢じゃなく、それらをデザインした頭のいいデザイナー達は「やめてくれよ〜」って天上で言ってるに違いないってこと、気付かないのだろか。

いつか滅びると知っていても明日はやってくる。これ、人の生死感と同じです。僕らは人類って意味じゃなくても、生まれたら必ず死ぬ。「どうせ死ぬからさ」って健常者の中で諦め切って日々生きてる人ってまーいない。明日のため、必死で生きてる。生き続けるために今日を必死でがんばる。いつか終わる人生と知っていても、僕らは強く強く前に進む。

人生、毎日問題ばかり。平穏な日なんて1日もない。問題があれば、それを回避するための解決策を毎日、そして毎日デザインしてる。その解決先がたまたま、あの時代「人のために」っていうだけで、本質は「いつも僕らは必死で問題解決してるのさ」ってことになるんじゃないかと思う。人がいなくなった地球の姿なんて考える事はばかげてるかもしれない。でも、人の後に地球に現れる知性を持ったある生命体に、僕らが作ったものを見て「よくがんばったな〜、あいつらも」って言わせたい。そのためには「人のために」なんて言葉、やめたい。「僕らは毎日がんばったのさ」って言葉、いつの時代も人はがんばったのさ、ってこと。こう続けると、あわよくば人が地球最初の滅びなかった動植物になったりするんじゃないかと思ってたりしてます。

アスレチックでの出来事

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去年の夏は何度か隣町のアスレチックに子供達と出掛けましたが、今年は雨が多かったし、次男が大きな手術をしたし、それともう一つ、長男と一度だけ出かけたアスレチックで写真の通り、長男が平均台から転落して「肋骨骨折」となり、「も〜、行きたくない!」となっちゃった。落ちたその日に整形外科に出かけ、レントゲン。お医者様が「よかったね〜、何ともなってないよ〜」って言うから、そのまま放置してた。で、次の日もそして次の日も、そして翌週も「痛い」っていうから、別のMRIを持ってる整形外科に出かけ撮ってもらったら、折れてました。「よかったね〜、原因分かって! ほっとしたでしょ」って言っても、彼は納得せず、「もうアスレチックに行かない」ってことになり、今年の夏のバスワードは「アスレチック」ということで落ち着きました。

さて、こんな感じで楽しんでいた夏休みですが、 アフガニスタンはタリバンの支配下になり、アメリカがそこから徹底し、今日も大人が人殺しを続けています。あちらでは夏休みなんて、そんな雰囲気じゃないよね。

人が人を殺すこと、何があっても正当化されてはいけないと思ってます。正当化できずに、ずっと悩み続け、それでもどうしても殺めなければいけない時もあるかもしれない。殺めた人はその殺めた理由を「これでよかったのか」と考え、一生背負って生きてく。このくらいでないと、相当高いところに人を殺める行為を置いておかないといけないと思ってます。

イスラム国がタリバンとアメリカへの報復のため自爆テロを行いました。あの時、「アメリカがあえて手を出さない」ってことになったら、僕はその日は「生きててよかった〜」って子供が生まれた次に嬉しかった日に制定しようと思っていました。甘いよね。大統領は「許さねーぞ。とことんまで追い詰めてやる。」ってすぐにやっちゃった、ドローン使って。民間人も何人か殺された。

僕はたまたま戦争のない平和、そして自由な国に生まれた。あの人殺し、この国ではまず起こらない。でも、この平和な国で僕がどのように毎日を生きるのか、必ずあの国の人に影響があると思う。1分も1秒も、気を抜いた生活をしたらいけないと思う。

先日、ご飯食べてる時に長男が「なんか、学校の宿題、やる気がしないよ〜」って言って、「お父さんは、どうやってやる気を出してんの?」って尋ねるから、「簡単だよ、いつも気を抜かないことだよ。四六時中気を抜かなければ、やる気を出す必要なんてそもそもないでしょ。理屈的に。どう?」。これは言い過ぎですが、でも地球温暖化も含め、気を抜いてる暇なんてないのよね〜。大変だね。

見た目が100%

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なんだかんだ言って、見た目って重要。髪を整えたセールスマンと寝て起きたばかりの髪のセールスマン、どちらが好印象かと尋ねられれば、間違いなく、髪を整えた人。ただ、そのものをそのセールスマンから買うかどうかは別問題です。髪を整えていても、話していると、「何言っちゃってんの」って言いたくなる人もたくさん知ってるし、少数ですが、寝癖の人がその道の「神」であることもあったり、どの人から買うかどうかは、髪型では決まらない。ただ、セールスの「入り口」として髪を整えていた方から先に話を聞きたくなるのはまぎれもなく事実です。

バナナ、もう何千年も昔から私たちは普通に食してます。その形、色、味、そりゃ、メーカーの品種改良の努力もあり、昔と比べると少しは変わっているとは思いますが、2000年前のバナナ見ても、「あ〜、こりゃバナナだね」って言えると思うくらいにしか変わってないと思う。全く同じものを売り続ける。こりゃ、大変なんです。同じものなんですよ。ものは同じですが、そのものから発せられるメッセージをとっかえひっかえ、広告戦略を駆使して販売していくのです。この前、ツイッターでこの写真を見つけました。バナナです。普通のバナナを熟れ方順にパッケージしてあるだけです。韓国のとあるスーパーがこうして販売してるんだって。1日1本、熟れた順に食べれば、糖分が表にでてくるあの茶色になる前に完食できるというものです。「 "one-a-day" bananas」と言います。

実際、そのように食べられるかどうかは別ですが、「同じものを売り続けることとはこういったことだ」とマーケティングコミュニケーションの教科書に載っけてもいいようなやり方を隣の国でやっていることに驚き、そして感心していました。みなさんわかっていると思いますが、この世の中、もう同じもので溢れ返ってます。

他店よりも美味しいもの、他ブランドよりも履き心地のいい洋服、他ブランドよりも燃費がいい車など、機能的な差別化、もちろん、各メーカー、そして各店舗、必死で技術革新に暇がない。ただ、その差というのがものすごく微妙になってきてて、「ウォークマン」みたいな、Out Of Box的なものは多分これからはもう出てくる余地はないんだろうと薄々感じているのは、僕だけじゃないと思う。

また、その技術や技量や能力を極めていくのは、もう「当たり前」になっています。だから、たまに「こんなすごい技術なんです」なんて新商品が出て、その広告を見たりするとゲンナリすることあります。特にこの田舎のように、競合が少ない土地柄だと、得にその傾向が強くて、ほんと毎日ゲンナリ続きです。都会(ニューヨークとかロンドンとか東京とか)は競合が激しいいし、日々新しい技術や機能が紹介されてるから、その差を競うコミュニケーションでなく、そのものやサービスを使うことで私たちの情緒がどのように変化するのかの方のコミュニケーションが多く、その多くは素敵な画像であったり、演出であったりを使ってて、見てて気持ちいいものが多い。例えば、履き心地のいい靴、新作の発表だとしたら、その履き心地がいい技術革新の理由を述べるのではなく、例えば一緒に住んでる飼い犬との散歩、それまでの靴なら500mしかできなかった、でも新しい靴なら1km先にへも散歩に出掛けることができ、新しい出会いや犬とのいい時間が増えたりで、人生が少しだけポジティブになり、そしてそのポジティブがいい社会づくりに少しだけ貢献する的なメッセージ。技術革新やいい味を強調するメッセージより、情緒を狙ったメッセージの方が、心地いいと感じるのは僕だけじゃないと思うし、それが大半の人の普通の考え方だと思うんです。機能的なことなんて、ネット見れば説明読めるから。

バナナをあのようにパッケージングして販売すること、実際にはそのように食べる人は少ないんだと思う。でも、そこから発せられるメッセージは機能的なところを飛び越え、情緒的な領域を刺激してくれる。それが、いつも、そしてどこにでもあるバナナだからこそです。秀逸なコミュニケーションです。

僕がみなさんに紹介している家具、もう70年以上も前からどこかにあった家具ばかりです。座り心地がいいとか、かっこいいとか、もうそういったことを中心におすすめすることにゲンナリ感があります。みなさんもそうじゃないかと思います。同じものだけど、そのものが時代の移り変わりの中でどようような情緒的付加価値を付けていくのか的なことにもっともっと時間を割いていかないと、僕らの家具はそのうち飽きられ、そしてそれを販売してる僕らの将来は危うい。入り口としての「見た目」は大切です。「どんな見た目がいいのか?」を将来への危機感だったり、社会の移り変わりであったりを考慮しながら丁寧に変化させていくブランドとお仕事をしたいと思ってます。またその見た目の入り口から入って頂いた方と接するお店にいる私たちに、そのものが提供する情緒的価値観をどのように伝えて行くべきかを、危機感をもって真面目に共に考え、しそして共に実践してくれるブランドだけとお仕事をさせて頂きたいと思ってます。人も時間も限られていますから、それ以外の人達とはお仕事ができません。もっともっと紹介するものを絞っていきたいと思いますし、紹介するものの深さをもっともっと深めていきたいと思います。バナナは売りませんけど、「ずっとあるもの」という意味では私たちが売っているものはバナナとそう大差はありません。
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