Comfort Mart 店長ブログ

三重県桑名市で北欧で直接買い付けたヴィンテージ家具、カリモク60、Yチェアなどのカールハンセン&サン、PPモブラー、ハーマンミラー、宮崎椅子製作所などを扱うお店の店長です。日々の出来事や考えていることを綴っています。そして時々、入荷情報などもお伝えしています。

加藤さん

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屋外の塗装の工事をお願いしてる加藤さんが近所で仕事をしていたので、「ねー、加藤さん、トタン屋根が壊れたのでちょっと仕事して欲しいんですけど」ってお願いしたら、びっくりするくらいの雑な仕事だったので、結局自分でやり直してます。てかね、加藤さんもう70歳を超えたお爺ちゃんだし、塗装工だし、トタン屋根の修理できる訳ない。手が震えて、玄能がまっすぐ降りないから。適材適所でお願いしないと。いい加減な考えで仕事をお願いした私の責任です。

おうちにいることが増え、近所の子供の声がうるさくて、すごい剣幕で怒る人が増がえたと新聞で読んだと思ってたら、実は近所にもいてびっくり。当然、うるさいのは嫌。僕も嫌だもん。で、子供の親が本来なら近所を気遣って子供に言い聞かせるべきだろうと思う。で、子供に言い聞かせができないのは親の責任だとなる訳。まー、そうだね。その近所の人もその通りで、「親、ちゃんとしろ!」って怒ってる。「このくらいの声だったらいいのにね〜」なんて、僕は思わない。嫌な人にとってはどんな小さな声も、雑音でヤダ。満員電車でとなりのヘッドセットから漏れる音、聞いてる本人はのりのりですけど、隣の僕、がた下がりだから。

責任の所在ですが、近所で怒っている人、その人にはなんらかの責任はないんのだろうか。子供を産んだのは、その子供を産んだ親の自己責任。子供を産んでいない親、その他の大人、或いは子供がもう大きくなって育てることから解放された人、言ったら、子供を産んでいない親以外の人には責任はないんだろうか。

子供がいないと叫ばれ、もっと結婚しろ、子供産めと政府は言ってる。なんでか。簡単で、今のこの国の生活を維持するための活動が労働不足のためできなくなるからです。女性の社会進出もそうです。この国の今の生活レベルを落とさないためには、もっと人がいるから「女性よ、社会にでよ!」って政府は言ってます。今、ぼくらが受けてる政府からの恩恵、それら全て税金で賄われてます。「借金だよ!」ですが、その借金も返さないといけない訳だから、その原資は税金です。税金は払う人をもっと増やさないと今の生活は維持できないのは明らかです。蛇口はひねり格安でこんな綺麗な水が出る国、世界中で日本だけです。「日本には地形的に綺麗な水が溢れてる」ってないよね。綺麗な水が出て、排水溝から出る水、飲めますか。例えばですが、あの蛇口から出る綺麗な水を作るのに、どれだけ莫大な税金が使われているのかを想像することはとっても大切なんです。月数千円で飲める水のレベルを数倍超えてます。さらに例えばですが、子供が減り、女性が社会に出ないと、あの水を維持するための税金がなくなり、ある時から濁った、飲めない水が蛇口から普通に出るということです。

新型コロナウイルスについてのワクチン開発で先進国の中では相当遅れてる。簡単に言うと金がないんです。税金が足りないのです。税金の原資は私たちの労働です。

この国の生産性は先進国では最低レベルです。しかもずっと全然変わってない。世界経済第3位の国にワクチンを開発する金がないんです。いろんな議論はありますが、端的にその金がこの国にはないんです。私たちが生産性の高い仕事をし、付加価値の高いもの、そしてサービスを生産し、それを国内、そして国外に売り、高い利益を得て、それなりの高い税金を払い、それが大きな社会貢献、そして社会福祉に使われる、そして世界平和の秩序維持に貢献していく。こんなこと、中学3年の社会の教科書に出てくることを咀嚼すれば簡単にわかることです。

さて、子供にうるさいと言ってる近所の人、わかるよね、その気持ち。でも、「うるさい!」「親、なんとかしろ!」じゃ、社会の一員としての責任を果たしていないと思って頂きたい。当然、僕ら親は子供に「なんで、社会の一員として近所の人とうまくやっていかなければならないのか」を諭すのは当たり前。これは同調圧力でもなんでもない。「社会は繋がっている」と僕らはこの限られた世界にいる限り全てのことについての共同責任者なんだとの現実を教えること、当たり前すぎて、生きる上で基礎すぎて、言葉に出すことも恥ずかしい。で、近所の人も社会の一員として責任を感じて頂きたい。その子供は将来、この国、そして世界をより住みやすくする場所にしていくための大切な資源です。その近所の人も「私がうるさいと思うから黙れ」じゃなくて、なんで近所とうまくやっていかなければならないのか、理論的にわかるように子供たちに説明してあげてもらいたい。

大人も子供も正しく議論すること、大切だと思う。上に私が書いたこと、完全に私の主観的意見です。違った意見があって当たり前。それは間違っているじゃなくて、「違っている」っているということです。で、「その違いから何かベターなものを生み出そうぜ」って、普通に通じ合える社会であって欲しいと思ってます。

畑作業

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妻の肩の調子が悪いからということで昨日は畑の手入れにいってました。年に何回かしか手伝わないのですが、食卓にこの畑からの収穫物が並ぶとなんか嬉しいです。僕は家事のほとんどは自分でやりますが、料理だけはダメ。妻の方が絶対にうまいと思ってます。人生で食べてきたものの質があちらの方がいいんじゃないかと思う。

ここ何年か「いいものだけしか食べたくない」って思ってますが、小さな頃は「お腹いっぱいになればなんでもいい」って思ってて、味とか質とかに全然なんとも思ってなかった。ただ、父はいいものが好きで、母が作る食卓には色々なものが並んでた記憶です。歳を取れば取るほど、自分でも分かるくらい父に似て来てて怖い。このまま行くと、早死にだね。

この前、国会の予算委員会で偉い方が「会ったこと記憶にないんです」って言ってました。たくんの訪問があったので、一件一件覚えてられないということらしいです。事実ですよね。多いと人は覚えられません。だから、社会人1年の時に「メモ、大事」って教えられました。誰と会って、どんな人だったか、どんな話をしたかってメモを取ることを覚えました。それと、これやるのってやっぱり、相手への思いやりなんだと思う。

僕は会った人に忘れられたくない。絶対にいや。時間作って、会いに行って、「君、誰だっけ?」って次に会った時に言われたらショック。いや、ちょーショック。忘れられないようにできるだけ記憶に残るお話したいと思ってます。それでも、「君、誰だっけ?」って言われたら、もう生きられない。公の場で「私は『君、誰だっけ』ってよくやります」って言っているようなもんで、その人と会った人全員、ちょーショック受けてんじゃないかと思う。いや、「それが社会だから、皆それで成長するのさ」って、以前誰かれに言われたことありますが(やっぱり努力しても「えー,どんな話しましたっけ?」って営業先で言われるんで、上司に相談したらの回答です)、やっぱり今でもで納得いかない。

普通に嫌だもん。飛び込み営業で営業マンがお店にやってきます。銀行、電力、決済サービス、自動販売機設置、色々です。覚えていない。飛び込みって、「相手、誰でもいいんです」ってことで、こちらの下調べも何もしてないし、別にうちじゃなくてもいいんでしょって分かるから。今まで一度だけです、しっかり下調べしてやってきた営業の人。地元の銀行の人。絶対、あの人のこと忘れない。

いや待てよと思う。実は「記憶にない」と言われた本人も実はその程度の仕事しかしてなかったことか。「どうせ記憶に残らないから」的な感じで、わざわざ記憶に残るような努力をしてなかったことなのかもしれない。だとしたら、「記憶にない」と言った人も「記憶にない」と言わせた人も、どっちもどっちなの。だったら、なんのための「打ち合わせ」だったのあれ。

この時間、無駄としましょう。無駄が多い国なのかな〜、この国は。そんなことやっている時間あるの?早くうち帰って、洗濯ものとか掃除とか家事すればいいじゃん。読み残しの本を読むとかさ。

この国の生産性、めちゃ低いんです。でも、長時間、仕事してるんです。男性、特に。相当低いんです。記憶に残らないようなミーティングなんて、やめちゃえ。無駄。女性が社会に進出できないの、この男性の「記憶にない」からわかっちゃう。いまだに男性が家事をすること「サポート」って言ってるメデイアが多い国、どうかしてる。サポートじゃなくて「シェア」(共有)だろって思う。女性も怒っていいですよ、サポートって言われた、「おいおい、なんでサポートじゃ」って。

僕と妻の子供は男の子しかいないけど、もし女の子がいたら、もうこの男性の言葉聞いたら、今の5倍発狂したくなると思う。

SDGs

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今回はSDGsについて話してきました。

SDGsについての冊子を持っていた前で僕の話を聞いていた中学生は恐らく、僕よりSDGsのことをよく知ってると思います。持続可能な社会作りのための目標設定と戦略だったと思います。この件に関して、ずっと昔からある普遍的なものを紹介したり、中古家具を直したり、そして持ち込みされる家具を直したりして生計を立てている会社の社長から聞ける話を想像するのって、ハリウッド映画のストーリーを考えるよりもさらに相当簡単です。はい、その通りのことを話してきました。それを期待されていますし。

でも、ほんとに話したかったことは違うんです。例えば、今日、配達の帰りにラジオから聞こえてきたリスナーからの「心温まるエピソード」についてとか。

そのリスナーの奥様、今日が誕生日なんだそうです。で、その奥様、結婚する前、何キロも離れて住む1人暮らしのリスナーさんのおうちに毎晩、夕飯を作りに来てくれてたって。で、女性のナビゲーターが「わ〜、素敵。それだけ、奥さん、旦那様のこと愛してたのね」って。そしてそのリスナーが「その優しさは今も変わらず、今も愛してます」って言ってました。このエピソードやナビゲーターのリアクションに違和感を抱くの僕だけなのかな。

「ご飯作ってるの、なんで女性なん。男性、自分で作ればええやん」。奥さんだって、好きなこと他にあったろに。なんで、男性のご飯つくるために、その好きなこと諦めないといけないの。愛してるという形の「定型文」っていうのが社会にあり、その定型文にハマっていることがより高く評価される感じ。ナビゲーターというメディアがそれを煽っている感じ。「その型もあって、でも他の型もあって、でも愛しているってことが分かればいいよね〜」的な反応が欲しかった。つまり、既存の考え方に疑いを持つこと。もっというと「世の中、嘘ばっかり。騙されるな!」です。知らず知らずのうちに僕らの脳に凝り固まった「型」をまず発見する客観性を持つこと。そしてその「型」を自在に操れる柔軟性をもち、それを繋がる世界の人達とシームレスでコミュニケーションをものすごく早いスピードでおこなうこと。人類滅亡はもうすぐそこなんです。この調子で行けば、2035年にはもう戻れないポイントになると色々なところで発表されています。

これが僕の話したかったSDGsについてです。でも、これって、中学生に話すことじゃない。僕ら大人が今すぐ行わないといけないの。そして、あの中学生に「これから先、よろしくな」って地球を渡すこと。中学生の前で話してる場合じゃないのね、大人は忙しいんだから。このかけがえのない地球を次の世代にいい形で渡すことでさ。

スキー場

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コンフォートマート でもインスタグラムをしています。以前も少し入れていましたが、今年から英語の文章を入れています。いつやめるか分かりませんが、少し続けたいと思ってます。もともと、インスタグラムは世界共通のプラットフォームであり、日本語より断然英語を理解する人の方がそのユーザー数の割合からすると多いわけで、もちろんうちのお店の大多数のお客様は日本国内であるわけなのですが、世界共通のプラットフォームを使いながら、日本語を主に使う国内の人だけに発信していることの心の整合性がなんとなく前からうまくつけれなくて、とりあえず、今年は両方の言葉で書いて行きたいと思ってます。時間が2倍かかるのが面倒なので、やめるかもしれませんが。あと、日本の文章と英語の文章、多分内容違います。例えば、韓国の子供に、「君の身体は何でできてるの〜?」って尋ねると大声てで「キムチー!」って答えるし、アメリカの子供だったら「ペペロニピザ!」って答えるだろうし、「ご飯!」って答える私たちのようにこの国に住んでいる人と、その他の人達では「考え方」が違うだろうと思うからです。「おそばはあの色だよね〜」と言う私たち、でも欧米の人、あの色気持ち悪いんです。「なんで、青や赤じゃないのか」って答える人が多い。それでいいんです。思考回路は違いますが、「美味しいもの食べたい」っていう思考回路の行き着く先は世界共通だから。方法や過程なんてどうでもいいんです。一番最短でその行き着く先に辿り着ければ。

先週に近くのスキー場に家族で出掛けました。「御在所スキー場」。ここから40分程です。コロナ禍だからなのか知りませんが、スキー客はそれほど多くありませんでした。交通事故からの後遺症で身体の右側麻痺が残る長男は右脚を自由に操れず 、いつも大変です。見てる僕より、やってる本人がいちばん辛いんだろうと思う。「右足動け!」って願っても脳からの信号がうまく右脚で伝達されないから、思ったように動かない。そりゃ、嫌になる。今打ってるキーボード、「A」をタイプしたくても、どうしても指が勝手に曲がり、その横の「S」をいつも間違って打っちゃう感じ。そりゃ、フラストレーションは尋常じゃないと思う。 でも、いつもがんばって、諦めずに最後まで滑ろうとする彼は最高の「チャレンジャー」です。

そんな彼、そして妻、次男と行ったスキー場ですが、多くの外国からのお客さんがいました。見た感じ、初めてスキーをする人も多かった。満面の笑みですわ、皆。楽しくて仕方ない。多分、雪のない国から来た人達のようで、そんな人を見てる僕はなんとなくこの国の四季折々の豊な自然を誇らしく思ったりしてね。此国の季節の移り変わりの美しさ、そして自然の豊かさは、世界一だよね、っていつも、そしていつもそう思う。海外に行って、日本のことを説明する時、いつも最初に言う言葉は「Japan is just beafutiful」。此国はほんとに美しい。

で、その美しい国のスキー場。日本語があまり分からない多くの人が利用するリフト。リスト乗り場の係員がそういった人達がリフトにの乗ると、インカムで到着地点の係員に「はい、外人乗りました。そちらよろしく。」って言うんですよね。これに違和感があるの、僕だけなのかな。そりゃ外人だけどさ。例えば、アメリカに行ったとするでしょ、でスキー場あるじゃん、行くじゃん。でリフトのるじゃん。で、係員が乗るたびに 「Here is a foreigner getting on a car.」って聞いたら、なんか嫌。絶対にいや。僕なんか、やっぱりこういった疎外感が嫌で、海外で住み始めた頃はこう言われないように、相手の国の文化や習慣、そして言葉を必死で覚えた。それでも、なくらないよね、何年経っても、そのように言う人。でも、がんばり続け何年も経つと、それでもそう言う人に会ったら「What makes you say that」とか胸を張って言えるようになる。で、言うべきだと思う。

どの国でも、「外の人」「内の人」っていう意識は完全に消えない。でも、内の人は外の人のことを理解する、外の人は内の人のことを分かるように必死で努力する。こんなこと、当たり前だよ。お互い歩み寄りがあって初めて、それでも「外人乗りましたー」って言ってもいい。知らないまま言っちゃいかんよ。知らないんだったら「今乗った人、降りる時気を付けてあげて〜」だよね、言うの。とかくマジョリティーの立場にいると、「マイノリティー側が歩み寄よるべきだ」と思っちゃう。でもこれ、間違ってる。マイノリティーも歩み寄る、そしてマジョリティーも一緒の温度差で歩み寄る。でも、握手できない時もある。それはそれでいい。人とはそういったものだから。

こんな美しい国なんだから、美しいいと思える所作で多様性を受け入れていければいいなと思えたいい機会でした。また、出掛けたいと思います。

人は忘れるから美しい

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この前、家族と「人って何がいい?」って質問しあっていました。僕の答えは「いや〜、人のいいところは『忘れる』ところだよ、絶対」です。間違いないと思ってます。

もう、何年か前か忘れましたが、父親が亡くなりました。そりゃ、悲しかったと思いますよ。でも、はっきり言うと、覚えてないんです、どれだけ悲しかったか。「悲しかった」っていう記憶はありますが、どれだけ悲しかったなんてまったく覚えてない。逆に今なんて「いや〜、あん時に逝ってくれててよかった」とか思ってるくらいです。

アメリカの大学院に入る時にGMATという試験と外国人ならTOEFLっていう試験をうけるのですが、TOEFLはほぼ満点取らないと、まずは好きな学校を選べない。そりゃ、勉強しましたわ。何回受けたかわかんない。GMATもそうで、もう何回受けたかわかんない。苦しかった。この苦しみ、多分何年か続いたんだと思いますが、でももうその苦しみ全く覚えていない。大学受験の時の受験勉強も相当苦しんだと思いますが、「苦しんだ」ことは覚えていますが、どれだけ苦しんだなんて全く定かでない。

その反対で、嬉しかったことも、どれだけ嬉しかったなんて、ほとんど覚えていない。「嬉しかった」って記憶はありますが、「どれだけ」っていう記憶なんてまるでない。GMATやTOEFL、多分いい点取ったんだと思いますが、点数なんて覚えてない。嬉しかったと思いますが、どれほど嬉しかったかなんて全く覚えていない。

会社勤めをしてる時、「絶対無理だぞこのプロジェクト勝ち取るの」っていう仕事を勝ち取った事があって、嬉しかったことは覚えていますが、あの晩めちゃ酔っ払って駅で寝てしまったことくらいしか覚えていない。

悲しみなんてずっと覚えていたら、生き続けられない。好きな女性にふられた時、あの時の辛い気持ちが一生続くなんて、絶対ないし、あったら、もう絶対に生き続けることなんてできない。僕たちは忘れるから、生きられる。その反対で、嬉しい事忘れなかったら、もう努力しない。その一つの嬉しさだけでずっと幸福だから。

忘れないことなんて、僕らには絶対にできない。AIはね、絶対に忘れないから。AIに感情というものが携わったとしたら、変な話、多分AIはどこかで簡単にそして頻繁に自殺をしちゃうと思う。だって、苦しみのまま生きられない。人とAIの差はこれなんじゃないと思っています。人は忘れ、そして生き続けるための能力を携わって生まれてくる。だから、いつも思うんですけど、絶対に待ってくれって強く思うんですよね、自ら命を止めようと思う方々に。でも、その苦しみがいっ時のことではなく、ずっと続いているとしたら、忘れるための時間が足りない。だから、進めなくなるんだろうと思う。

今年、新型コロナウイルスの流行で、大変なことになりましたが、いつかどういった形なのか分かりませんが忘れ始める頃がやってくるんだと思います。「ほんとかな〜」なんて思ったりしますが、確かなんだと思います。

今年の2月に行ったコペンハーゲンで観た「ANNA ANCHER」の作品の展示会が全然忘れられなくて、ことある毎にネットで眺めたりしています。で、忘れられないので、この作品集をお店で取り扱えないものかさっきデンマークの出版社に電話しました。もちろん、休暇中です。メール送信しました。普通に考えると無理なんですけどね。中にある英文を全部訳して、勝手に翻訳本を作って、買って頂いて方に一緒に渡したりして。やりたいな〜。でも、そんな時間は全くないんです。来年、1月も2月も3月も4月も5月も6月も7月も、もう12月までやること決まってるんです。できる訳ない。毎年、こういったこと年末になると考えたりして、結局全然できないんです。やっぱり、人って忘れるから前に進めるんですね。

今年もほんとにありがとうございました。このコロナ禍でも潰れることなく、ここまで来れたのはほんとに皆様からの日頃のご愛顧のおかげです。心から、ほんとに心から感謝しております。いつもの通り、できることを丁寧に、そしてその出来ることをできるだけの頑張りでストレッチし、丁寧にできる範囲を徐々に広げて行き続けたいと思っています。まだまだ足りないことがたくさんあります。お叱りもよく頂きます。その度にさらによくなるように次回は叱られないようにと、いつもの通り努力し続けます。これらのこと忘れないように常に反芻しながら、前に進んで参ります。来年も何卒よろしくお願い致します。

国民の3大義務

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先日、長男が「お父さん、国民の3大義務って知ってる?」って聞くから「勤勉、勤労、納税」って答えました。心身共に健康であれば、普通に皆がやっていることです。でも、さて自分はどれだけその義務を果たしているでしょうか。

もうすぐ桑名市の市長選挙の告示です。周りの人の噂話を聞いていると、圧勝で片方の方が勝つ感じですが、その僕が勝つだろうと思っている陣営の内部にいる人はどうも「互角の戦いになる」と話しているよです。で、先日、その陣営の本部をちらっと見たら「必勝!」って書いた各界の「先生方」からの応援メッセージが壁一面に貼ってありました。なんとなく違和感です。いや、「必勝」なんだと思います。でも、「必勝」と書いた人は、その候補者を個人的に知ってんのかなって思っちゃう。自民党推薦だから、自民党の「偉い人」は「書かないとやっぱり。いつもそうだから。」って書いてんじゃないのかなって僕は思ってます。

市役所に行って、何かの書類を請求をする時、その申請書の上の方に印刷で「桑名市長様」って書いてあります、しかも僕の意思とは関係なく印刷された文字で。市長にお願いして何かの書類を書いてもらおうかって気持ちはまるでありません。市長というと、とても忙しい人にこんな書類なんか書いてもらおうなんて申し訳なくて言えない。窓口の人にお願いして書いてもらう感じです。市長自身もそう思っていると思う、「俺、見ないのにな〜」って。「決まっていること」なんだと思います。でに「決まってることだからさ」っていうものが多い世界って、僕は絶対生きられない。

良く知らないのですが、どうして市はお金儲けをしないのでしょうか。税金としてもらったお金を「どのように使うのか」ってことばかりで、そのお金を投資金として考え「儲けを出す」ってやらないのかな。法律があるのかな。仕事をしてる人、使うことばっかり考えて、疲れないのかな。「使ってばっかりだとお金なくなよね」って思わないのかな。市民がよく働き税収が上がれば、それは間接的に行政のおかげでもある訳だから、してやったり的な満足感はあると思いますが、直接やっちゃたらダメなのかな。ファンド作って、官民ファンドとかで、海外に投資するとか。やっぱりダメなのかな。これも「決まっているから」できないのかな。

韓国に住んでる頃、なんであの国の人は大統領に「純白無垢な仙人」を望んでいるのか不思議で仕方なかった。ちょっとでも「私欲」が見えると、「あいつはダメだ!」って総バッシング。その不思議さがここ何年かでこの国にも漂っていて、ほんと息苦しい。で、この前のアメリカの大統領選でもどれだけ私欲がないさ加減が試されている感じで、あー息苦しい。私欲って、あるよね、誰でも、仙人じゃないんだから。そりゃ、時速50キロ制限の道路、時速60キロで走ることあるよね。時速50キロじゃなくて、いつも時速40キロで走っている人を望んでいる感じ。ほんとに息苦しい。何かをしないこと、何か押さえ込むことがより評価される時勢がほんとに息苦しい。そういう人が望まれることも決まっていることなのかな。

勤勉が義務って、面白いこと書いてあったら、本なんて読むだろうし。仕事って、面白い本読んで、それを体現したいと思ったら、その仕事するだろうよ。いい仕事すれば、お給料よくなるから税金増えるでしょ。納税をするために、今ならやっぱり仕事はある程度、地球に負荷を掛けることなる。だから、納税してやるぞと思っても、「それはやっちゃいかん」ってなることも多いと思う。だったら、仕事しない。仕事しないから、勉強いらないってなっちゃう。勉強も仕事も納税も当たり前で文章にすることでもない。書かないと守らない人がいるのから書くのかな。それも決まっていることだから仕方ないのかな。

「何をしようが、決まっていることだから止められる」、そんな息苦しさが、僕の中にはあって実に毎日が憂鬱になることが多い。憂鬱になりたくないから、「決まってること」を作り出す、それが秩序だと信じている人とは距離を取りながら人生を進めたいと思っています。でも、たまに交わる時があります。息苦しい。そう交わるのも「決まっていること」だから、上手くやっていきたいと思います。

「アクセル」は緩めないで欲しい

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新型コロナウイルスの影響は様々な産業に大きなダメージを与えているみたいです。この会社も例外ではありません。ただ、「Stay Home」でインテリアの見直しを考えている方々からご支援を頂き、細々くやれている感じです。将来は全く分かりません。

「リーマンショック」の時、不思議なことに全く影響がありませんでした。もともと需要がそれほど多くない商材ですので、それから下がることもなかったんだろうと思います。今回はどうなのでしょうか。

過度な競争や環境破壊など、経済を回すことにネガティブな視線が向けれられる時代です。だから「自分らしく生きる」とか「生活するように仕事をする」とか「スローライフ」とか、経済活動から距離をおいた色々な生き方を肯定する雰囲気になってます。それはそれで、ここは自由な国なので、好きな生き方を選べばいい。ただ、片方の考えを押し付ける感じの情報の出し方はやめてもらいたい。「どちらかが合ってて、どちらかが間違っている」的な感じの出し方はほんとやめてもらいたい。勝手に、そして自由に、そしてたまにはあっちに行ったりこっちに行ったりさせて頂きたい。

アメリカの大統領選挙です。あの国は世界の経済大国ですから、あの国の方針、小さい範囲だとは思いますが、僕の生活や会社の行末にも影響があるんだろうと思い、候補者の討論会を見たり、そして新聞での情報を注視したり、周りの情勢がどの様に変わるんだろかといつも注視してます。その注視することに嫌気がさすほどのお互いの中傷合戦、ほんとやめてもらいたい。お互いがそれぞれ信じることの押し付けあい、そして潰し合いは実に品がない。下品極まりない。子供にあの討論会、見せれない。関係ないですが、なんであんなお爺ちゃんが国のトップに立たないといけないのか。アメリカって、世界から頭のいい人が若者が集まってる国です。そんな国でも、結局、国の代表になるのはお爺ちゃん。日本と似てる。そして政治の中枢は男ばっかり。あんなにスマートで品のある女性がたくさんいる国にもかかわらず。嫌気が差してきます。

ともかく、片方の意見の押し付けはほんとに嫌なんです。大嫌いんなんです、僕。

この時期、傾きかけた会社で仕事をしている人、たくさんいるんだと思う。そんな人、是非働いている会社の社長を助けて欲しい。普通、「この会社やばい」と思ったら、転職活動始めるか、仕事の手を抜き出すかだと思うんです。そうでない人もいますよ、もちろん。でも、大半は「そこから離れる」という行動になるんだと思います。辛いから仕方ない。

でも、それでも、是非社長を助けて上げて頂きたい。それは社長のためじゃない、結果自分のためにです。

僕の会社勤めの経験からすると、会社勤めの人、身の引き方が早い。僕が会社勤めの時にもう辞めるの決めてる人に「なんで、あの取引先に電話しないの。する約束じゃん。」と話すと、「俺が電話すると次のやつが困るだろ。」って言って取引先との連絡を閉じちゃったり、ブレーキの掛け方がすごい。あれやめた方がいいと思う。どんどん取引先に連絡を取って、新しい提案をどんどんして頂きたい。

どうせこの時勢、どの会社に行っても大変だしさ、だったら、今いる会社の社長を是非助けて上げて欲しいのです。社長が元気になればだいたい会社も元気になるんです。社長の意を汲み取り、率先して荒波に揉まれて欲しい。これが数ヶ月続くかもわからない。そして、それでも会社は潰れるかもしれない。で、転職になるんだと思います。その時「やばいと思ったから一目散に転職考えました」っていう人、僕は信じない。そして採用しない。僕の会社ではそんな人、絶対に雇わない。「言わなきゃわかんない」。でも、不思議だね、その人と話すとわかっちゃう。「最後の最後まで社長と一緒にやったがダメでした」と胸張って言える人と仕事をしたいと思う。そんな人をこの世界は必要としてるし、この国も必要としてる。やばいと思って、ブレーキをすぐ踏む人じゃなく、やばいと思ったら、さらにアクセルを踏み込む人と仕事をしてみたい。

ブレーキを踏むこと、やらないこと、諦めること、行かないこと、などなど、アクションを控えることの方が評価される時代です。ブレーキなんて死んだら勝手にかかるんだから、死ぬまでアクセル踏み続けようよって思う。アクセルを踏み続けるタイミングだったり、アクセルを踏む角度だったり、失敗を重ねながら、叱られながら、勉強をすればいいです。あっ、これ「昭和根性物語」かもしれない。ブラックな社風の始まりかもしれない。でも、やっぱりブレーキを踏むこがより高い評価対象となる、「そんな世の中である」と僕の子供には伝えなくない。もちろん、ブレーキを踏む人もいればいい。ただ、それだけじゃなく、アクセル全開の人もいる、そして両方が評価される。この両方の方々、その両方の技で、厳しい会社の社長を助けて欲しい。そのこと、絶対自分に戻ってくるし、その戻りは重なり、この国、そして世界を子供に残したくなる場所へと誘ってくれると信じてます。

今の大統領の討論会に嫌けが差し、ジョンFケネディーの討論会だったりとか、彼が言ってたこととか、You Tubeで見てました。いいこと言ってますわ。「We need men who can dream of things that never were.」(私たちは、今までになかったものを夢見ることができる人々を必要としている。」「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.」(国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。)。主体性を持って生きていこうという気になります。ただ、いいこと言う人は大体、その道半で誰かの手で人生を止められる。ずっとそうなんですよね。考え事は尽きません。

戦争とか

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戦争はよくない。間違いない。僕の息子達にも何度も、そして何度もうるさく言ってることです。「もしこの国が戦争に巻き込まれ、そして徴兵制が布かれたとしても、嘘言って逃げまくれ。」って言ってます。で、なんで戦争はよくないの?って尋ねられたら、「人が人を殺すって、ダメでしょ」くらいです、言えるの。これだけでも立派な理由だよね。そうに違いない。

でも、今日も世界のどこかで戦争が起こっています。人が人を殺すって、ダメじゃない。こんなこと、ユニバーサルで超当たり前。誰に尋ねても、ダメって言うでしょ。でも、人は人を殺し続けています。ずっと昔から、毎日毎日です。それって、その人殺しを望む人がいるからじゃないか、って思うんです。「で、誰なんの、それ」。僕はなんとなく、僕自身なんじゃないかと思っているのです。変なパラドックスです。でも、そうなんですよね。僕らは知らず知らずのうちに戦争を推してる人になってる。

僕らが普段使うインターネット。これはもとは軍事用にアメリカが開発したものです。変な話、軍がなかったら、軍が必要な戦争がなかったら、インターネットなんて生まれていない。インターネットを使い利益を得てる人、それによって毎日のご飯を食べてれている人、世界にはごまんといます。その他にも探せば、沢山出てきます。例えば、イームズデザインの椅子(FRPや成形合板)。あれも、もとは戦争用に開発された技術を家具に応用したもの。その他、例えばフィンランドのイルマ・リタピオバーラが最も家具デザインで印象を受けた人生の出来事とはロシアとの戦争。

戦争があるからこそ、今の豊かな生活が成り立っている側面って必ずあると思う。間接的に戦争の存在を肯定するようなものを全て排除して僕らは生きていけるのでしょうか。多分、できないと思うんです。どうでしょうか。

「豊かな生活を手に入れたいから、そしてその豊かな生活を支える手段を戦争から得たいから戦争をしてる」って言う人、見たことも聞いたこともない。僕らの豊かな生活と悲惨な戦争がつながってることなんて、普段は想像しない。豊かな生活の裏で戦争のために両親をなくした子供が今日もお腹を空かせてあてもなく荒野を歩いてることなんて、僕らには関係ないと思ってる。

つい最近まで、週末の朝、近くにある森林公園にあるアスレチックフィールドで子供達と遊んでいました。でも、それも雨で流れ流れになり、今に至ります。雨の日、「やだね〜」なんて話していて、すると子供が「地球の裏では晴れてるんだよね、多分」って言い出した。で、ついでだと思い「バタフライ効果」について話してみました。「今日僕たちがした小さな咳が10年後の地球の裏側の天気に影響を及ぼすかもしれない」的な話です。

いつの頃は忘れましたが、自らの些細な行動や言動が僕の知らない誰かにとってとても大切な人の命を脅かすことになってるんじゃないかってものすごく気になり出して、できるだけなんでも丁寧に、めちゃ考えて行動をするようになってます。でも、人って、そんなずっと丁寧に生活できるもんじゃない。そりゃ慎重にできない時もある。「あ〜、ダメだ、やってもた」って思う時なんて何度もあります。こんなことを繰り返していると、「てか、なんで俺って生きての、しかし」って思える時があります。この前も、長男とこんな話をして、長男が「で、なんでお父さん死なないの」って尋ねてくるから、で答えた言葉が「だって、死ぬ時って痛いやんか」です。「痛くなかったら死ぬの?」。死なないと思いますが、死ぬって、やっぱりぞっとするくらい怖いから選べない。戦争によってぞっとするくらい怖い死を選ばないために痛みに耐えて耐えて、今日も地球のどこかで暮らしている人の生活の原因が、僕の豊かな生活をキープするためだと思うと、やっぱり、「僕は生きてていいのか」って思う。知らず知らずのうちにです。わざとなんて誰も戦争を肯定しない。

ただ、確実に今の僕らの豊かな生活はなにかの犠牲の上に成り立っていて、その犠牲は全然見えないところに存在してるっていう感覚を持ち続けることはとても大切なような気がします。見えないものは想像しずらい。自らその犠牲を垣間見る努力をした方がいいと思う。せっかくこれだけ世界の裏側がわかる情報化社会になってるわけだから、変な話、その戦争で手に入れた技術で今度は戦争をなくすことだってできるかもしれない。僕らに生活の犠牲はもちろん身近にもいるだろうし、世界の裏側、そして宇宙にも広がっている時代なんだろと思う。戦争はもう十分、やめて欲しい。知り、そして行動することが許されるこの自由な国、日本。世界では知りたくても、そして行動をしたくても、それが許されない国が沢山ある。戦争を止めるのは武器じゃなく、人の知性。この国が世界から求められているものは相当高いはずだと、戦争の報道が流れるといつも思います。武器を持たない僕らでも戦争が止められるって。

「限界」について

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子供達と近くの「湯の山」という温泉街にできた「フォレストアドベンチャー」という野外施設に遊びに出掛けました。行ったことのある方ならどんな場所かご存知だと思いますが、高い木に括り付けられたアスレチックコースを命綱を付けながら、スタートからゴールまでがんばるという遊びです。普通なら多分2時間半くらいのコースです。中学2年と小学4年と50代のおじさんで3時間半かかりました。

あと最後4ギグくらいのところで長男が「こんなの出来ねーだんよ」と騒いで止まってしまいました。彼の持つ障害からすると3時間も熱中症になりそうになりながら、右麻痺もありながら、よくがんばった。もう少しのところで力が尽きたというところです。でも、結果最後まで行くんですけどね。

僕は「もうダメかな〜」って思って「ちょっと待ってて〜、係の人呼んでくるから〜」と長男に伝え、ギグから降りて、係の人に長男の側についてもらった。スタッフの人と一緒に綱かなんかで降りてもらうつもりでいました。で、そしたら、教えてもらいながら全部行けたんですね。降りてきた長男が「疲れたとかじゃなくて、やり方が分かんなかったんだよ」って言葉で話してくれました。

この言葉はとても勉強になった。1)人の思い込み 2)人には限界がある について。僕は彼の普段から生活を見てて、どこかで線引きをしてるところがあると思う「ここまでだろうな」っていう線引きを。これを「思い込みライン」とでも呼びましょうか。いつも、彼とはその思い込みラインよりあと1cm先に行けるよう生活をしているつもりです。その「1cm」も、僕の勝手の思い込みだから、そもそも1cmって言ってること自体が変かもしれません。ともかくなんとく「もう少し」って思いながら、いつも生活をしてます。ウェイトトレーニングをしてる時、「ダメ、もう上がんない」って言ってから、だいたい「あと2回は上がる」、って感じです。ゴールを状況に応じてストレッチさせる感じです。僕自身がいつもそう生活してるので、癖があるんだと思います。

で、今回そのラインが間違っていた気がしました。「もっと行けるんじゃん」って。思い込みから開放され、いつもニュートラルにいられる方法って、あるのかどうか知りませんが、あれば、あの時もう少しゴールをストレッチできてたかもしれない。でも、ここで2つめの学習に辿り着きます。僕もフォレストアドベンチャー行ったの初めてな訳で、「ギグを上手くを通り抜けるコツ」なんて知らないんですね。僕自身が必死で学習途中な訳です。そこで「ゴールをストレッチしよう」と思い立ったとしても、彼に言えることは「がんばれー」くらい。でも、彼にすれば「もう、頑張ってんだよ!」だし。ゴールをストレッチしたくても、僕はギグの通り抜け方知らないから、彼のニーズに合う指導法ができないわけ。例えば、「そこは、左足から」とかね。

あの時、もし僕が彼への「思い込みライン」を超えた何かをやらせたいと思ったとしても、どうすることもできなかった。たたまた、スタッフさんがいたからよかったけど、混んでてスタッフさんが捕まらなかったら、彼はその場所に行ったことを後悔してただろうと思う。

たまたまよかった。僕にも限界があるんです。行く前にフォレストアドベンチャーを完全学習しておくことなんてできない。当たり前です。彼と一緒にいると「人には限界がある」と身を以て経験すること多い。

彼と過ごすと人の限界を感じ、ちょっとずつ落ち込むことがあります。普段、そんなに「人の限界」って感じずに生きてると思う。でも、実はそれは誰の中にも存在してて、「人に限界なんてない」と高飛車に生きるより、限界を知り、その限界との妥協点を探りながら、限界点をずらしな、他にできること掛け合わせたり、或いは学習で能力をあげたりして少しだけ限界点をストレッチさせたり、そんなことして生きて行く方が限られた人生だから、生産性が高いんじゃないかと思ったりします。つまり、「限界を知っておく」ことはいいこと。そう考えると、人の限界を感じさせてくれる長男との濃厚な時間は僕にとってものすごく勉強になり大切な時間です。

地獄と極楽

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「地獄と極楽」。どこで手に入れたか全く記憶にありませんが、ずっと前からうちにあって、小さい頃から子供達の愛読書になっています。中はふわっとした生優しい内容じゃなくて、結構きつい内容で、「あー、ほんと地獄なんて行きたくね〜」って思う内容です。大人でもそんな気持ちになるので、子供達にとってはなおさらなんじゃないかと思いますが、それでもずっと子供達の愛読書。装丁のヤレかた見たらなんとなく分かりますよね、相当の愛読感。

「地獄と極楽」って同居してるんじゃないかといつも思ってます。嘘付くと「地獄だぞ」なんて、そしたら世の中の人全員即刻地獄行きです。てか、仏教では確かこの世が修行の場でいわゆる地獄的な解釈だったんじゃないかな〜。だったら、今、世の中の人全員、絶賛地獄を謳歌中。それでも、いいことはたくさんあります。気持ちがほっとすること、すごく優しくなれること、結構たくさんあったりします。それでも、仏教徒が多い国では「この世は地獄」です。

その反対で、多くの人がキリスト教を信じている国に行くと違うよね〜。最高に違う。「この世は最高!」っていう雰囲気は日本の数倍高いと思う。でも、そんな中でも逆に 「暗いの俺だけ・・・」ってより強く孤独を感じる社会でもあったりするのも事実です。それでも、自殺率はやっぱり「この世の地獄」で生きてる私たちの方が高い。隣の韓国はさらに高いから。やっぱりなんとなく、社会の雰囲気って、「生き辛さ」と関連してるのかもしれない。

うちの長男は小学3年生の時にあった大きな交通事故が原因で脳にものすごく大きな障害を負ってしまい、でも今でもがんばって生きてます。今は中学2年。さて、彼と昨日一緒にスポーツジムに行きました。障害者ですが、普通に思春期で反抗期なんですね。でも、交通事故からの脳障害で精神年齢の上がり方が他の子供と比べ遅くて、その表現方法は僕が若い頃と比べると「別もの」です。そんなこともあってか、今でもこんな「じじい」と一緒にお出掛けをしてくれます。そのスポーツジムへ行く途中の車の中で「俺、生まれてこなければよかった」って呟きます。「またか・・・」。この台詞、よく出るんです。そんな時の僕の返答は「てか、お父さん、なんのために生きてるんだろうか」が一番多い。

「生まれてこなければよかった」とか「なんのために生きてるんだろうか」って、実はほとんどの人が同じこと考えてる。毎日考えてる人もいるし、たまにふと考える人もいるし、色々なタイミングだと思いますが、これは普通の思考回路です。どんな社会になろうが、どれだけ知らない国に行こうが、やっぱり考えると思います。そして、「生きる糧」が切れた時に自らの命を断つ行為に出るんだと思います。

子供を持つと、風に吹かれ風船でふわふわ浮かんで時が過ぎていくような時間をいつも子供達が持ってくればいいのになと願います。でもそれと当時に身体を鍛えるのと同じで、やや負荷を掛けないと育たない部分もあると知ってます。不思議なんですよね。どんな社会になるか、どんな未来になるか分からないのに、どんな世の中になっても生き抜く人であって欲しいと強く願います。わからない未来で役に立つツールが何であるか予想も付かないのにです。つまり「知らないくせに、できないくせに 望む」ということです。これ、僕は「生き地獄」と呼んでます。僕には大切な次男もいます。障害のある長男への思いはこの次男へも同じです。「生き抜く力」、言い方を変えれば「死なない方法」です。子供達がこれから生きる、僕の知らない未来の社会で「生き抜く方法」なんて知らない。でも、「なんで、お父さん生きてんだろう」って思う時、少しだけ、希望が僕の心にあるんです。それは時間はつながっているっていうことなんです。今僕が生き抜く方法が見つけるようと努力すれば、それはつながった時間の波に乗って、彼らが将来社会の中で孤立した時、少しだけ支える力に変わるんじゃないかって希望です。子供達の「俺、生まれてこなければよかった」って言葉へ掛けてやれる言葉はたくさんあるんだろうと思う。ただ、言葉じゃ救えないと思う。彼らが何度も、そして何度も、同じ言葉を心の中で繰り返し、その度に「生き続けよう」っていう心の源泉に少しでも多くの水が溜まるよう、お父さんはお父さんの今を必死で生き抜くことをし続けないと。こんなことを思わせてくれる息子の「俺、生まれてこなければよかった」っていう言葉は僕の生き続ける源泉です。地獄と極楽は同居してわますわ、ほんと。
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