Comfort Mart 店長ブログ

三重県桑名市で北欧で直接買い付けたヴィンテージ家具、カリモク60、Yチェアなどのカールハンセン&サン、PPモブラー、ハーマンミラー、宮崎椅子製作所などを扱うお店の店長です。日々の出来事や考えていることを綴っています。そして時々、入荷情報などもお伝えしています。

ナショナリズムの足音

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以前もどこかで書いたと思いますが、国境という垣根が低くなればなるほど、どんどんナショナリズム的な考えが国の奥底からふつふつと湧き出てきます。ナショナリズムを愛国心と訳すと、これはとても大切なんですね。世界に出た時、「僕は桑名出身だ!」とはなんの意味もなく、「日本からきたぞ!」にやっぱりなるんですね。だから、世界に出た時に心の拠り所は「日本への愛国心」になるんだと思うんです。海外にちょっと住んだ知り合いがいる方なら、だいたいその知り合いから「もっと日本をよくしたい」(それを実践するかしないかは別問題)と聞かされたこと、あると思うんです。

相手と仲良くするための、自らのアイデンティティーを明らかにするための、愛国心はとっても 頼もしいのですが、上の「ナショナリズム」は排他的な意味合いのものです。「こちらがよくて、相手はダメ」とジャッジメンタルになる愛国心。これ、足音もなくそーと心に芽生えて来るんです、ほんとに。

この前テレビ見てて怖くなりました。「日本にようこそ」的な番組です。海外の方で、日本の食や文化に興味のある方を取材してその熱量で日本に呼ぶかどうか決める番組。見てて寒気がしました。「日本に興味ある人しか日本に呼ばない」、すごいでしょ。スーパー排他的です。そりゃ、見てる人は嬉しいよね。「俺(私)、日本大好き!」って言ってる白人を見ると、やっぱり、なんか嬉しい。でも、ダメよ、こんな番組ばかり子供に見せちゃうと。世界は多様性です。答えのない多様性が世界です。世界はもっともっと狭くなり、僕たちが生きてきた程度では想像がつかないくらい、子供たちは世界の多様性の中で自らの地位を確立し、多様性に富んだ人々とと共に社会を築いていかないといけない。こんなこと、当たり前なんです。この国への移民は避けられない。環境問題は、日本だけでは解決できない。世界はもっともっと狭くなるんです。そんな中、「日本を好きな人だけ、日本にきてね〜」って、ダメよ。

日本に興味ない人とも渡り合わないといけない社会だし、そうしないと世界は終わります。「箸休め」としてああいう番組はいいのですが、今の社会状況とか全然知らない子供にはダメだよ。日本に興味ない人がいたら、「あの人ダメな人」っていうへんてこなジャッジメントを付けちゃう。言っときますが、日本がどこにあるのか知らないアメリカ人の方が断然多いのが現実だと思って下さい。ヨーロッパの人、ほとんどの人、日本に興味ないですから。アフリカの人、日本っていう言葉さえ知りませんから。ほんと、世界のほとんどの人は日本には興味ないんです。英語勉強しようと言う前に、こういうことから教えたらいいと思う。日本にいる外国人は「例外」と思った方がいいから。

排他的なナショナリズム、絶対反対です。

夏休み

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夏休みがある小学校生の子供がいるので、7月20日から8月31日までなんとなく特別な期間です。仕事では暑い暑い期間で、毎日へとへとになるのでが、子供は一番きらきらしている期間です。

宿題について少し昨日子供と話をしました。どの親も感じているかもしれませんが「勉強ってなんなの」です。妻も僕も海外での生活が長かったせいがあるのかもしれませんが、またデンマークの知り合いのその子供達の生活を聞いたりすると、なんでもこうもこの国は宿題を多いんだと思ったりします。ただ、その反対で日本を出て海外で学生を始めた時、知らず知らずのうちに自らずっと受けていた教育水準がこんなに高かったんだと思い知らされ、「あー、日本で勉強していてよかった〜」と思ったことがあったりして、感謝してもいるんです。

日本の教育水準の話をする時によく話しをするのですが、路上で生活をしている路上生活者の各国の教育水準です。僕が行ったどの国にも路上で生活をしている人達はいます(それがいいか悪いかは別として)。その人達のほとんどは新聞を読んでいません。日本の路上で生活している人達の中にはたまに新聞を読んでいる人がいます。僕が行った国の路上生活の人達、ほとんど字が読めないんです。その逆で日本、高低はありますが、ほとんどの人は字が読めます。これほど識学率が高い国って、他には確かなかったと思います。この国の教育水準の底堅さ、僕の中では驚異的だと思ってます。

ただ、「それがほんといいのか」と尋ねられたら、宿題の多さと同じで、「どうなんだろうか」とちょっと答えに窮しています。

画一的な教え方で、自由な発想が奪われると言う人もいたりします。そう思う時もあります。その反対で、だから国家一丸となり、経済発展を成し遂げることできたと思ったりもしています。

勉強ってやっぱり、発見だと思うんです。だから、何でも勉強になりうるんです。僕が勉強に目覚めたのは、もう20歳を過ぎてました。もう、あの他の人と比べられる感じの学校の勉強方法が大嫌いで大嫌いで仕方ありませんでした。でも、成績表に「3」や「2」ばかり並ぶとやっぱり嫌で、比べられるのが嫌と言いつつ、自分の成績を他の人と比べている感じの自分がいたりして。ほんと、なんか「青春時代」でした。そんなのが積もりに積もって、頭に疑問ばかりが浮かんできて仕方なかった。バイトや、それから卒業してから就職した会社の中、なんで、「こんなやり方をしてるのか」とめちゃ疑問になって、でも、それを変える知識も実績も勇気もなく、ただもんもんとしてる感じ。「疑問を解決してよ〜」って誰かに相談するも「考え過ぎだって」と言われ、いい方法を発見したくてしたくて、自分で発見する旅(勉強)を始めました。それから、他に興味が湧いてくる「なんで虫は脚が多いんだ」とかね。なんで、「1 + 1 = 2」なんだとか、「そもそも、何で数字って存在してるの」とか、調べても調べても、どんどん後から後から出てくるんですね。そこは今も変わっていなくて、「何でなんだ」が頭に渦巻いているです。このもぞもぞした感じが勉強の動機で、それを調べる旅が勉強なんだよと、子供にたまに話します。勉強をして、いい成績を取るとか、いい大学に行くなんて目標はうちの家庭では存在していません。疑問を持つことをとことんまで調べたいなら、いい大学に行かないといけない。大学は方法であって、目的になってはならないのです。「勉強は一生終わることのない旅」なんだと思ってます。勉強すればするほど、この世の中には答えのないものばかりなんだと気づきます。だから、勉強は楽しい。だから、「その答えを見つける旅が人生なんだと」、勉強は教えてくれると思ってるんですが、子供にはあまり伝わりません。夏休みもう少し時間があるので、根気よく伝えて行きたいと思います。

森とか木

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この暑さ。絶対にグローバルウォーミングです。そう思いませんか。ドナルドさんは「そうじゃない!気のせいだ」と言ってますが。なんとなく、テレビをあまりみないので、分かりませんが「異常気象」って言うメディアが少なくなって来たような気がします。もうこの言葉では数字が取れないんですね、多分。ただ、今この年に生まれた子供にすれば、この暑さは「普通」なんですよね。僕らの歳の者からすると、以前の気温が普通で今は異常ってことになってます。

さて、この気候のおかげで、局地的な異常気象が起きてます。太平洋の島はいくつもなくなってます。先日の大豪雨も、暑さでの急激な上昇気流が、急激な下降気流を起こさせたの原因です。この暑さの原因は私たちがこれまで行って来た環境破壊が原因です。完全に「バタフライ効果」です。地球の裏側の蝶々の羽の一振りがその裏側にあるものに影響を与えるというものです。

今日、僕はガソリン車を乗っておうちから、会社まで来ました。一酸化炭素を吐き出しながらやってきました。地球の全体からすると、ほんのわずかです。でも、必ず影響を与えています。必ずです。昨日愛知県で熱中症の小学1年生の子が亡くなりました。この事件、僕にも責任があると思うんです。次の犠牲者を無くすため僕は車の運転を辞めるのか。ごめん。やめていません。当事者意識のズレなのかもしれません。私たち夫婦の長男は大きな交通事故に合いました。もう何年か前です。「もう運転なんかするものか」って僕も妻も思いました。でも、僕も妻も運転をしています。交通事故は大型トラックとの正面衝突でした。そのトラック、僕たちが経済活動をしていなかったら、その道を走っていなかったかもしれない。

当事者であった私達でさえ、それからの行動を変えられないでいます。このグローバルウォーミングの問題、相当深いところにある問題だと思っています。

癒されたいと森に入る人がいます。僕もそのうちの1人かもしれません。でも、入った途端、土は踏まれ、原風景はなくなります。どこまでがよくてどこまでダメなんでしょうか。人はなんのために存在してるんだろうか。昨日の小学生の哀れな死を思うと、行き場のない気持ちが心から離れません。悲しすぎるよ。

蚤の市

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先日、手紙社さんが主催している「東京蚤の市」に参加してきました。これまで、関西で開催されるものだけに参加していたのですが、今回、初めて東京の方にも呼ばれ行ってきました。とても面白い。基本的に「もの」が大好きだから、しかもちょっと人の手垢、しかもちょっと異国の人の手垢がついているものが大好きだから、そんな人が集まる蚤の市だからほんと、僕自身がめちゃエキサイティングになるのです。

「手垢」と言いましたが、でも販売するとき、僕がものを買うとき、その手垢はちゃんと綺麗にしてもらっておきたい。わがままなんです。多分、ほとんどの人がそうなんじゃないかと思い、もう15年以上もこの仕事をしています。

なんとなく、「蚤の市」と聞くと、僕なんか「掘り出し物」っていうキーワードが頭に浮かぶのです。意味は2つで、「いつもより安い!」そして「いつも見れないものがある!」だと思うんです。インターネットで色々なものが検索できる世の中になり、「いつも見れないもの」っていうのはほんとになくなったんじゃないかと思います。だけど、それを「実際見たことない」というのはあるんじゃないかと思います。プライスも、いつも気にしているもののお値段って、まーだいたい知ってる、頭の中に「あれだったら、あのくらいのプライスだよね」って既成概念が作られています。

僕何回か、蚤の市に参加させて頂いていますが、「いつも見れないものがある!」ってやってくる人の割合、そしてお値段関係なく、「それがあれば買いたい」と思って来る方の割合、相当少ないような気がします。「やっぱり、普段あの価格のあれがこの値段で。」を探しに見える方の割合の方が多いような気がしてます。特に、だいたい「北欧関連ゾーン」に出店させて頂くので、来て頂く方はだいたい、「北欧の雑貨ってこんな感じ」ってあるんだと思うんです。一番残念なのが、どこでも買えるものが、普段と同じ値段で、簡易的な棚に並んでいる姿を見たときです。ちょっと「が〜ん」って感じがするんです。これ、海外の蚤の市でもあるんです。やっぱり心のどこかに「おいおい、ここ蚤の市だよ。普段よりお得感があってしかるべきだろ」っていう心持ちがあり、そこの普段と同じものが普段と同じ価格で並んでて店員さんが「だって、この値段で売らないと利益ないから。」「ここで売らなくても、お店で売れるから」とか澄ました顔してると、「だったら、ここに来なくていいじゃん」って思うんです。

あと、ちょっとお祭り感があるから、いい加減に「ま〜いいか、今日だけ」っていう感じも、来ている人も大切だし、やっている人も大切だと思うんです。とか思って、毎回真面目に商品を仕入れ、そして真面目に値付けをするんです。今回は大量の食器(「装飾品」として輸入しています)を普段よりお安く販売しました。仕入れは大変ですよ、ほんと。でも、持っていったものは全て完売し、ご来店頂いた方も満足、そして販売した私たちも満足して会場をあとにすることできました。また、呼ばれたら行きたいと思っています。仕入れがほんとに大変なんです。お安くするためには、大量に普段よりお安く仕入れないといけない。買い付けで、普通はそんなの見つかんないんですよ、ほんとに。でも、みんなで楽しむために頑張ってみたいと思います。

「もの」への感情の差

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GW、スタッフはお休みでいつも忙しい工房もひっそりしています。

「ものからことへ」と叫ばれて、もう何年も経っています。巷にはものが溢れ、しかもいいものばかり、ものに溢れた中で生活をしている僕たちは、ものをものとして使うことに飽きてきていて、そのものが誰の手で作られ、どのような気持ちで作られ、そしてどんな過程を経て僕たちの手に届けられるのかの方が気になって仕方なくなりました。そのものが高額になればなるほど、その度合いがどんどん高くなる。インタネットにより情報が筒抜けとなった今、隠したい「品質の嘘」も簡単に暴かれる時代です。だけど、最近、時代がもうちょっと先に進んでいるんじゃないかと思います。

息子達をみているとそう感じます。彼らはものに執着がない。家庭でもそうかもしれませんし、学校でもそうかもしれませんし、友達同士でもそうかもしれません。データでやり取りをすることに慣れてる。僕らの世代はいくら時代が「ものからことへ」となったとしても、そこにものがないと成立しない生活があった。手に触れるものが起点でそこから、それをどう使おうかとか、このものはどう作られてたんだろかとか。ともかく、ものがないと成立しない生活の中でずっと生活をしてきました。でも、これからの時代は違うんじゃないだろうか、そう思います。データファイルは必要なくなったら、消去です。あとかたもなくこの世から消え去ります。目の前にあるものが一瞬にしてなくなることが日常に何百回も繰り返し行われているデジタル時代です。僕らの時代は、だから逆にものに愛着が湧く時があります。僕が、ずっとオートマチックの車を拒否し続けている理由はそこにあるかもしれません。実際に触れ、そして感じる快感を脳は忘れていません。それも遠い過去にまだインターネットがない時代を生きていたからかもしれない。

ものに触れない世代はものへの感情がともて気薄なんじゃないかと思います。インターネットで疲れたら、ゲームをする的な感じです。

まだ上手く言葉にまとめられないのですが、「ものからこと」っていう言葉はすでに、全く意味のないというか、違った意味で、これからの世代には受け止められるだろうなと思います。家具店にとっては死活問題です。よくわかりませんが、ものの裏側にあるストーリーを伝えたくて伝えたくずっとやってきましたが、間違っているかもしれません。もっと、「ものっていいよ」って、ものすごく根本的な部分のお話をしていかないといけないんじゃないかと今すごく思っています。

このことに似ているじゃないかと思いますが、北朝鮮と韓国が終戦に向かっている件について。どれだけの人が興味がもってあのニュースを見ているのでしょうか。僕ね、正直言うと、気にしてい人、ほとんどいないんじゃないかと思っています。情報化が進み、北朝鮮の内情が相当わかっている今、北朝鮮と韓国との終戦が決まったとしても、誰もが「でも、何も変わらないでしょ。僕の回りでは」って思ってんじゃないかと思っています。ベルリンの壁が崩壊した時、東側での情勢はほとんど僕たちには届いていなかった。ただ単に「東側では、とんでもないことが起こってる」と漠然と思っている人が多かったんじゃいかと思うんです。そして、そんな何も知らない東側の国の人が西側に入ってくることによって、なんか「すごいこと」が起こるんじゃないかと想像しました。

ものすごい、情報が日々入り、そして一瞬にして古くなり捨てらる時代です。そして、それは全く残らない。ゴミにもならない。ものしかない時代だったら、ファイル等の交換が今のように早くなければ、北朝鮮と韓国との話は相当、この国でも盛り上がっていただろうと思います。何にも形が残らない「もの」の中でしか生活をしたことがないこれからの人達に、「ものの裏側のストーリー」って話しても埒が開かない。当たり前なんじゃないかと思います。

僕はたまたま、まだ小さな子供がいて、その変化を感じることができましたが、もし僕の回りにこういった考え方を促す媒体がなかったらと思うと、ちょっと怖いです。今、僕のおうちでは犬を飼うかどうか、子供達と話をしています。多分、子供達と僕たちは視点がちがうんじゃないかと思うんです。子供達は犬と遊ぶ自分の姿にエキサイティングになってるんだと思うんんです。それは昔も同じなんですが、昔だったら「餌もやらないといけないし、散歩もいかないといけないんだよ」と話して納得させるのだろうけど、ものに執着がない人達にとっては、まったくピンとこない話なのかもしれない。さらに、これから先、ものが減り、そしてデータの交換で生活が成り立つ時代の中で、そんなものに執着すること自体が必要のないことなのかもしれないと思うと、「餌をやらないと」っていう話は、全く意味のないことなのかもしれない。それよりも、エキサイティングに遊ぶ方法をもっと考えよう、そして餌やりや散歩はインターネットで探した「キーパー」にお願いしよう、こんなことの方が正しい時代に彼らは生きることになるかもしれない。洗濯は外干しが当たり前から室内での乾燥機が当たり前になったアメリカのように、僕らの考える「もの」だったり「こと」ってこと、もっと慎重に考えないと、これから先、完全に取り残される、そんな怖さを感じます。家具店としては、どうして行ったらいいんでしょうね。また、考えながらイベントとか行っていきたいと思います。

人間のいる意味

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出張が多く、事務的な仕事がたんまりたまり、前に進めねーぞ、どうすると悩んでいます。やらなければいけない目の前の仕事がたんまりあるのですが、アメリカがシリアに爆弾を落としたのを見て、なんか、もう全部いやになってきた。

人道的とか、国際秩序とか、よくわからなことを言ってますが、あれは人殺しですよ。先にシリアが人を殺しているから、その報復で人殺し。まあ、どっちも人殺しです。メディアで戦争の映像がどんどん入ってくるようになったから、なんとなく昔より(いつを「昔」と指すのか微妙なところですが)、国際紛争でめちゃ人が死んでいると思いがちですが、第二次世界大戦以後、こんなに国際紛争で人が死んでいないのって、人類の歴史上初めてなんです。めちゃ昔に遡ると、例えば僕たちの祖先が横穴で住んでいた頃の話。死亡原因の多くは喧嘩です。発掘される頭蓋骨の多くには致命傷の傷があることがものすごく多い。多分、本気の喧嘩です。家族、あるいは親族が固まって生活をしていた私たちの祖先、その中で秩序を乱すやつは許されなかった。また、他の集団と出会うと、食べ物の取り合いになり、本気で「戦争」です。頭への一撃で殺してしまうのです。

時代は流れ、農耕になり、それでも諍いは絶えなかった。疫病を除けば、いぜん死亡原因のほとんどは喧嘩。宗教戦争が始まり、その次に財の取り合いで、世界は喧嘩ばかりを繰り返してきた。

今、世界の死亡原因で一番多いの(病気を除く)は自殺です。以前は、誰かに殺されてしまうのが一番の原因でしたが、現在では自ら命を断つのが一番の原因です。これは、自殺が増えたということではなく、喧嘩が少なくなったというのが原因です。大国は経済覇権を握り、睨み合う時代になりました。睨み合う原因は経済です。もっと具体的にいうとお金が原因です。今行われている、国家同士の喧嘩、理由は経済であることがほとんです。お金の取り合いです。

シリアが化学兵器を使った。リダーの頭にあるのは、どうやれば安く人を殺せるか。シリアが原発でなく、化学兵器を使った。安いからです。人1人を殺す単価が安いのです。コストper殺人というコストパフォーマンスがとてもいい。やだね。同じくらい、コストパフォーマンスがいいのは実は原爆です。広島、長崎に落とされて原爆、開発費用は100兆円と言われています。最初だから開発費が莫大なのですが、現在ではもっともっと安く作れるといいます。アメリカは100兆円を投資した訳です(今、あの規模の原爆、2億円くらいで作れると誰かが言ってました)。100兆円を投資と書きました。投資だから、アメリカはそれを回収しないといけない。他がアメリカが作り出して技術をぱくって原爆を作ったりしたら、投資回収ができない。だから、絶対に外に技術を出さない。回収するまで絶対に出さない。どんどん原爆を作り続けた。それをもって「冷戦」というかたち上の一定の国際秩序をもたらし、戦争がぐっと減った。戦争にはものすごくお金がかかる。お金が回収できると見込まないと戦争をしない。戦争をしないで、原爆を作り続けて「秩序」を守り続けた方が、よっぽど安く済む。

化学兵器、原爆と比べると相当安く作れます。ちょっと化学を知っている人が集まれば、作れる。だから、あの悲惨な東京でのサリン事件が起こるのです。安く、そして大量の多くの人をいっきに殺すことができるのです。しかも、そっとです。大きな輸送機もいらない。発射台もいらない。ITを駆使しなくていい。なんか、答えが見えませんか。今では原爆は相当安く作れる、「コストper殺人」では、これ以上のコストパフォーマンスはないと言われています。でも、化学兵器はそれに匹敵するうコストパフォーマンスなんです。しかも、誰でも作れる。自動小銃の弾、一発200円から300円と言われています。1秒で10発くらい出ます。10人殺せない。10発撃って、1人を射止めるとか。しかも、撃つまでのコストがめちゃくちゃ高い。人、機材、運搬、リスク。めちゃくちゃコフトパフォーマンスが悪いのです。

シリアが自動小銃で人を殺している時には、アメリカは口を出さなかった。経済競合じゃないからです。化学兵器を使った途端、アメリカが出た。人道支援ですか?「はぁ〜」って声が世界からします。原爆よりコストパフォーマンスがいい武器、アメリカは許さない。はっきり、言いますよ、経済なんです。あのシリアへのアメリカからの爆撃、経済換算で行われています。

この経済の方程式の下で罪のない人々がどんどん死んでる。そして、身寄りのない子供がどんどん増えてる。いいのかって。握った拳の力を緩める事ができないのは、僕だけじゃないと思う。でもそれと同時に、そんな経済の方程式(資本主義)の恩恵を受けて仕事をしている私自身。ほんと、身が裂ける思いがします。

写真は昨日、買っていただいた商品のオイル仕上げを自分でしたいと現れたお客様です。戦争とはかけ離れたことですが、なんとなくですが、こんなことが人類を救うんじゃないかと思うんです。コンフォートマートは他の方々と同じように戦争反対です。そして地味ですが、そんなことで経済学を使うより、もっといい使い方があるんじゃないかと思い、必死で考え続け毎日実践しています。今、お店行なっている展示会「Comfort Mart Essence +」はその発表会のようなものです。

デンマーク的にがんばる

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平昌オリンピック、全く見れませんでした。おうちにテレビがないという理由もありますが、 ちょうど買い付けと重なってしまって、テレビを全然見ていなかったという理由です。 正直、見たかった。フィギュアスケートとか、絶対にエキサイティングだっただろうなと思います。

買い付けからの帰国便、コペンハーゲンからヘルシンキへ移動するのですが、その時、後ろの席の人が男性2名で、1名がデンマークからの人、そしてもう1人がフィンランドからの人。フィンランドの人がデンマークの人に「どう、オリンピック、デンマークの人達は頑張ってるの?」って尋ねました。「小さい国だからさ、それほどでもないし、そんなにみんなエキサイティングしてる感じもないね。カーリングはいい選手がいるって言ってたけど、世界的にはダメだと思うよ」的なことを話していました。この諦め感がデンマークらしい。

多くの人がかなり客観的に自分の国や国民を見ている感じは、デンマークに行くたびに感じます。日本でもそうなんですよね。でもそれは「謙遜」だと思います。ほんとはそう思っていないけど、取り繕う感じでの話し。海外の人との関係で、あちらがいつも困惑する「いや、お前どっちやねん」ってやつです。デンマークの人から聞く「諦め」は謙遜とは違って、「いやもうほうんとにダメなの。分かるでしょ見れば。」的なことです。アメリカに行くと、「俺たちはすごいだろ」っていう感じが疲れちゃう。どちらが好きかと言われたら、デンマーク的な感じな方です。なんとなく、「頑張らなくてもいいんじゃないか」って気楽になれます。

お店ではデンマークからの家具や雑貨を沢山販売しています。なんとなく、デンマークぽく、頑張っていない感じで頑張りたいと思っていますが、どうなんでしょうか。

ジレンマ

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スウェーデンに残る椅子生地生産所の1つである「Bogesunds(ボーガソン)」社に行って来ました(http://bogesunds.se)。80年も以上も続く椅子生地専門会社です。日本への販売したこともあるそうで、「京急電車」に昔、供給したと言ってました。泊まった日は美味しいものを食べさせてくれました(贅沢して申し訳ありません!)。Middle of the lake(「Mitt I Sjon」)という湖に浮かぶ素敵なお店です。

話す内容は共に「いいものを作り続け、安いというだけの商品が溢れる世の中になって欲しくない」。僕の大好物なトピックだから、僕も饒舌だし、そこにいたボーガソンのオーナーや、いつもお世話になっているDanish Art Weavingのオーナーもものすごい饒舌です。何回乾杯したか忘れました。いい話をするために、誰かが「それに乾杯!」とか言って。

ちょっと後ろめたい気持ちにもなります。僕が「君は安いだけのものを買わないのか」と尋ねられたら、「たまに買います」と答えます。同じものだったら、安い方がいい。これ、どうなってんのか、変わらない。今着ている洋服、バーゲンになるまで待ってました。40,000円のものが季節のバーゲンで36,000円になってました。多分、40,000円だったら買ってないと思うんです。36,000円だったから買ったんです。

とても調べちゃうたちなので、その洋服に使われているダウンがどんなダウンでどこで取れたものかなど、ちょっと調べちゃいます。でも、同じものなら、安いものがいい。欲しいと思ったら、めちゃ探して一番安いところで買います。ボーガソンのオーナー、来週から友達と一緒にイタリアにスキーバケーションだそうです。泊まるホテル、ネット一番安値のところを見つけて予約したと言ってました。どう思いますか?

僕の買ったダウンのインナーのブランド、ボーガソンのオーナーがネットで予約したホテル、もっと儲けたかったら、もう少し安くしたらいいと思いませんか。だって、購入した理由が「安さ」だから。僕が買ったダウン、そして、ボーガソンのオーナーが泊まるホテル、質は高いものです。安くするにも限界があると思うんです。だけど、「儲けたい」と考えると、質を落とさざるおえません。質を落とし、値段を下げ、そして沢山売ることになると思うんです。だけど、質を落としたとはお客さんには言えないので、いかにもそのままの質で安くなった的なコミュニケーションをすると思うんです。僕たちは質が低くなっていることを知らずに、ただ安くなったことを喜ぶ訳です。

日本で使われている椅子生地のほとんどは2,000円/Mもしない生地ばかりです。ボーガソンやDanish Art Weavingが販売する生地のほとんどはその5倍以上の価格です。ボーガソンは2年前までIKEAに生地を卸していました。IKEAの家具のほとんどは中国製なので、織った生地を中国に送っていました。ある時、IKEAの担当者がやっって来て「今の半分の価格にして欲しい」とのお願いがありました。粗利が10%を切っていたので、「その価格では糸も買えない」とお断りをしました。その翌日からIKEAからの注文がなくなったということです。それまでウールの生地が使われているIKEAの家具は中国製の化繊の生地に変わりました。いいんだろうと思います。IKEAのお客さんはウールの生地であることなんかどうでもいいことだから。見た目OKの化繊の生地でご満足頂けるから。

人は安いことを望んでいることに間違いありません。その質をキープするための価格があるんですね。それ以下の価格になると、どうしても質を落とさざる終えません。

僕が36,000円で買ったダウンのインナーのブランド、将来はどうなっているんでしょうか。10年後は同じものが20,000円で売っていたりして。それを「36,000円のものと同じだ!」と僕は喜んでいるんでしょうか。僕は多分、他の36,000円のものを探していると思うんです。でも、多分もう周りには36,000円の質の物は売ってないと思うんです。36,000円の質のものを作るメーカーがいなくなるから。

ジレンマなんですよね。いい質のものは欲しいけど、少しでもお安く買いたい。僕もボーガソンのような質を落とせない会社を潰してるんだろうなと思うんです。そんな僕が、そうして潰れていくだろうブランドの販売をしているんです。

販売する時は価格の理由をきっちり説明して、限界の利益でやる、僕がお買い物をする時にそのものの価値を見抜き、つけられている価格の正当性を自分なりに理解し、それ以下は望まない。こんなことでないと、僕のジレンマは解消されない。

僕のように、理屈好きでないと、一般的には消費者がそのものの価格を正当性を理解することは困難なんだろうと思うんです。販売する者の責任だと思うんです。売る者が売ってるものの価値を理解し、説明できる力をつけること。「メーカーが言っているからこの値段なんです」とかじゃなくて、自分なりの説明ができること。お客さんとのコミュニケーションが大切なんだと思うんです。質にこだわる生産者のつねなんですが、「いいものを作ってれば分かってくれる」って感じ、忘れた方がいいと思います。そんなの通じない。

ジレンマはあるのですが、使うものの質は落としたくないんです。だから、36,000円なんです。20%OFF。買ったお店、利益取れてるでしょ。でも、それどうしても欲しかったら20%OFFになる前に買ってると思うんです。40,000円で買わして欲しかったです。そんなお店と、販売者と付き合いたいと思っています。 僕は僕が付き合いたいと思う、40,000円のものを40,000円で買いたくなる販売員を目指しています。

働く人

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昨日も今日も家具のサンディングをしています。サンディングをしない時もあれば、そうでない時もありますが、だいたいサンディングをしています。

家具の修理、修復でご飯を食べていければいいなとずっと思っています。椅子やソファの張り替えは、今はよくしてもらってる業者さんにお願いをしていますが、機会があれば会社の中ですべて行う感じになればいいなと思ってます。そのためにはもっと人が必要です。黙っていても誰も来てくれないので、大声で人を集めないといけないと思うのですが、なんとなく前向きになってないんですね。いい出会いがあればいいなとは思いますが、人手不足は色々なところに出てまして、前は全然必要なかったのですが、事務所で経理とか総務とかも含めて、事務作業的なことをしてもらえる人も必要になってきたんですね。どちらも、現れないなら、このままで進みますが、もっと大変になるんだろうなと、ちょっと考え込んでしまう時があります。

働いてもらう人にはとても簡単なことを望んでいます。「人を大切にすること」です。「人に興味を持つこと」って難しのかな。人に興味をもったり、人を大切にしたりすることの原点は自分を大切にケアできるかだと思います。美味しいもの食べたい、素敵なお洋服を着たい、素敵な相手と過ごしたい、いい家庭を持ちたい、社会に貢献したい、これら普通の考え方だと思います。一日の大変を携帯触って、テレビみて、コンビニでお菓子買って食べて、誰でもわかりますが、これでは実現できない。外に出て、見て触って感じて、記憶し、次はどうしようかと、外に目を向け、今の能力だと理解できないと思えば、自から学習し、以前できなかったことができるようになること、以前は理解できなかったことを今度はできるようになることを楽しむ、そんな風に過ごすこと、僕は自分を大切にケアすることだと思っています。

自分をこんな風に大切にしてきた人と仕事をして、僕も影響を受けたいと思っています。「毎日がただ過ぎていけばいい」と思っている人とはちょっと一緒に時間を共に過ごせないんです。なんとなく、こんな人はこの周りにはいないんだろうなと思っています。てか、こんな人はすでに自分に合う素敵な会社でがんばってらっしゃると思うんです。それもあって、なんとなく、前向きにならないんです。でも、そっと待ってます、そんな人が現れることを。今春、来春に学校を卒業する人も。

今年もありがとうございました!

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今年も今日の営業を残すだけとなりました。沢山の方と出会い、沢山の配達をして、沢山の発送をして過ごしました。こうして過ごすことができたのも、皆様からのご愛顧のおかげだと心から感謝しております。ほんとにありがとうございました。でも、できなかったことは沢山あります。ずっと前からですが、家具の「メンテナンス行脚」です。これまで、もう数えきれない程の家具を販売してきました。そりゃ、すごい数だと思うんですね。壊れていたり、ちょっと不調になってきているものもあったりすると思うんです。そのご相談で電話も頂きます。そんな時、ほんとはさっと走って行き、「どうしましたか?」的に対面で対処をしたいというのが本心です。商品不良からのお客様からのご意見(クレーム)もそうです。さっと行き、対面で「大丈夫ですよ」とご説明をさせて頂けたら、どれだけそのお気持ちを汲み取ることができるだろうかと、悔しい思いをします。また、実はご連絡を頂いてないケースもあるのではないかと思っています。例えば、椅子のジョイントの外れとか。以前に北欧のヴィンテージチェアをお買い求め頂いた方が別の家具をお買い上げされ、配達にお伺いしたことがあります。以前ご購入頂いたチェアを見たら、ジョイントが外れてる。分からないんですよね、多分。毎日使っているものだから。ご連絡頂く場合の多くはまずはお電話やメールでのご対応となります。そして、その家具を送ってもらったり、少なからず出動する時もあります。出動する時は「こりゃ大事だ!」な時です。でもまずは「誰にとって大事だ!」を考えたいと思っています。「Kチェアの組み立ててで、ネジが一本入っていかない。どういうことだ!」こういったこともあります。これまで、私たちは数えきれない程、Kチェアを組み立ててきましたが、ネジが入らないことは一度もありません。だから、絶対入るとは言い切れませんが、だいたい入ります。その組み立てている人が20代の男性の場合と、70代の女性の場合、はどうでしょうか。僕の中では、よっぽどのことがない限り、20代の男性の場合は、電話で説明をして、現場に急行することはありません。70代の女性の場合はどうでしょうか。これは現場へ急行です。これらお客様からご連絡を頂いたケースです。

でも、ご連絡を頂いていないケースもあると思いますし、また上記のようにご本人が気付いていないケースも多々あるのではないかと思います。本心は家具を販売した全ての方に定期的に「大丈夫ですか〜」と訪問したい気持ちなんです。この気持ちは家具屋としての気持ちでなく、人の普通の考え方なんです。「困っている人」或いは「困るだろう人」がいたら助けてあげたい。これができていないことに腹立たしい訳です。

ご連絡を頂いた時に現場に急行するかどうか、この判断はとても難しいのですが、ご使用後何年か経っている場合は基本的に、その家具を持ってきて頂いたり、そして送って頂いたたりしています。お持ち込み頂く場合においては上手く対応できていると思っています。無料で直す時もありますし、時間がかかり有料となる場合もあります。15年もやってきている訳なので、その数は増えて行ってます。もっと増えるだろうと思っています。また、他店でお買い求め頂いた家具のお持ち込みの修理も増えて行ってます。いや、相当増えていると思います。この数にプラスして、潜在的なニーズはもっと沢山あるんだろうなと思っています。

今は人、そして次は場所が完全に足りなくなるのは目に見えてます。

人手不足はどこの会社でも一緒なんじゃないかと思うんです。この会社も同じで、人が足りません。正確には、今は足りないことはないのですが、このまま行くと必ず完全に足りなくなります。まずは、今働いてもらっている人がそのまま居続けれる環境を作ることだと思います。甘やかす環境という意味ではなく、逆に厳しくするということかもしれません。長時間労働は絶対にさせません。休日も絶対に週に2日はとってもらいます。有給も取っていい、賞与も出します、退職金も出します、毎年昇給します、子供ができたら産休/育休で1年休んでもらっていい、だいたいなんでもOKです。海外への出張にも行ってもらいます。社内教育制度で学校に行ってもいい。僕の基本的な考えは会社にこなくていいと思ってます。僕が望むはたった1つです。最高の「質」を最高の「効率」で生み出すことです。これまで3時間がやっていたものを2時間に縮めるため何をするのか。2時間ができたら、1時間にすることはできないのか。とかです。鉛筆の置き場所はそこでいいのか。コンピューターの立ち上げの時間で3秒削れるじゃないか、とかとか。細かいことは言いませんが、近いことは言っています。でも、社内はあまりぎすぎすしてないと思ってます。まずは、本来、そういった「整える」といった行為を性分に持った人が多いということ。そうでなくても、鉛筆の位置を変えることが最終的にはお客さんへの満足度を上げることに繋がっていると口をすっぱくして話しているからだと思うんです。また、お客さんの満足度を上げたい、もっと簡単に言うと、「自分に関わる人を最高に喜ばせてあげたい」っていうことに興味がある人が多いからだと思います。喜ばせること、その喜びは必ず自分に帰ってくると思っています。もっと深く言うと、それだけ自分を大切にしたいと思っている人と仕事をしたいと思っています。つまり自己肯定感の高い人と仕事ができたらと思っています。不思議とこの自己肯定感が高い人って、少ないんです。だから、できれば人の自己肯定感を育てる環境を作り出したとがんばってます。働く人のすごく高い自己肯定感って、必ずお客さんに伝わり、社会に伝わり、必ずこの世の中をポジティブの方向に導く根源であると思ってるんです。

自己肯定感って、多分まず 幼少期に養われます。でも、そうでない環境で育った人もいると思うんです。その代償は結構大きくて、頭の柔らかい幼少期とは違い、大人になってから育もうと思っても、そう簡単にはいかないんです。既成概念とか固定概念とか先入観とかが邪魔して全然前に進めません。他人の力でなんとかなるもんじゃないんです。もう自分の努力だけなんですね。語学と同じで、歳食ったあとの学習は相当の「痛み」を伴う。持ってるもの失う覚悟がないとダメなんですね。僕のできることって、「今のままでいいのかな? もっと幸せになるれと思うよ」っていう目に見えない言葉がたまに見え隠れする程度の努力です。

想像は容易いですが、会社で個人の考え方まで変えさせられるのをよしとしている人って、そういません。いませんよね。だから、もうちょっと人手不足については諦めているところがあります。僕も、そして誰でも気持ちよく仕事をしたいんです。当たり前ですよね。feel goodとお互いが思える人でないと、長く続かない。ぼく、働く人とはずっと一緒にいたいんです。だからいいんです、人手不足でも。無理に雇い入れる気持ちはなくて、縁があれば来て頂けるだろうなと思っています。人がいなくてできないなら、このままの規模で十分です。

SNSが出てきて、なんでもない一個人が媒体となる時代になりました。怖い時代です。ほんとに誰でもアイドルになれる時代なんです。人はなにかやったら、見て欲しいいんです。認知して欲しいものなんです。恥ずかしい。でも本当の話です。SNSのほとんどは「見て見て、私こんなにすごいでしょ」です。呆れるでしょ。でも、その「ねえねえ見てよ」と大声で言っている人が媒体となり、ものすごい影響力を持てる時代になったんです。「お淑やか」に価値があるこの日本では、あらかさまな「見てよ〜」は俯瞰で見ると、ほんと恥ずかしいことなんです。でも、それが今認められている時代なんです。インテリアでもそうです。僕がこのお店を始めた頃の15年前は「こんなインテリアになりました」とそっと紙焼きの写真が持ってきてくれたお客様が何人かいました。そっと紙焼きです。SNSがない頃は、インテリアを他の人に見せるなんて、まーないことでした。その頃、僕たちはどうやったら僕たちが納品した事例を皆さんに見せれるんだろうかと色々悩んだものでした。それが今はどうでしょうか。大きな変化です。今はそれぞれの「媒体さん達」が見せる家具がカタログのような存在になっていて、以前ならお店であれこれご紹介していた家具が、今は「この家具が欲しいんです」とお店にご来店頂く前にお決めになってて、お店にご来店頂いた時には「あのモデルはないですか?」となるケースがほんとに増えました。そんな方々に合わせるよに、私たちもSNSを使ったり、写真を駆使したりして、カタログではない「雰囲気」を伝えることに時間を使うことが多くなりました。

景気は上がっています。オリンピックの前はいつでもこんな感じだと思うんです。でも、オリンピックが終わると、多分すごい不景気になると思います。今のように人手不足って言っていたことが夢のように感じる程、景気は落ちると思います。でも、また景気は上がります。これから先もずっと、景気が上がっている時にも関わらず、給与が上がらなく景気を実感できない人の数は増えていくと思います。以前のように製造が日本に残り、作った品を海外で売ることで潤っていた経済のステージにこの国のもういません。一番雇用が確保できる労働集約的な単純作業の仕事は賃金の安い海外に流れ、海外で作られたものを僕ら消費する、或いはその海外で作られた商品が海外で売れるという流れになり、この国で製造に携わっている人にはお金は降りてこない経済になってるんだと思います。例えばAmazon。儲かってます。Amazonの事務所で働いている人は儲かっている。考えてみるとAmazonが販売しているほとんどの品は日本製じゃないと思うんです。作られるのは海外です。売っている人は儲かって、作る人は冷や飯を食べるという構造は先進国では避けられないことなんだと思います。Amazonで働く人がとてつもなく高い給料をもらっているかというとそうでない。利益率が低いからです。「作る競争」でなく、「売る競争」になってて、誰にも真似できない技術で付加価値を付け、高い利益で販売していくということがほんと難しくなってしまった時代だからだと思うんです。これがデフレ傾向の根源だと思っています。商品の回転は早くなり、調整弁となる労働力は短期で賄う。短期では給料が上がらないから、製造業の給与上昇率の低下と合間って、全体の給与平均を下げてる。

今の経済の流れに乗れる人にはいい時代かも、でも、乗れない人にとっては闇かもしれない。

僕はずっと言い続けていますが、多くの人が携わり、数の少ない価値の高いものを作り出し、そして適正な高い価格で十分な利益が確保できる経済に寄与したいと思っています。これで人は人らしい生活ができると信じています。できるだけ少ない人で、利益を少なく、できるだけ多くのものを生み出す経済には、それは必要だとは思いますが、寄与できないと思っています。この考えは変わらないと思っています。環境に関しても持続可能なやり方で進めたいと思ってます。障害のある人達ともっと携わっていきたいと思っています。いい家具もご紹介し続けます。この田舎から本社が移ることはないと思います。ここは変えたくないぞというところは変えずに、その他のところはカメレオンでいいと思っています。どんどん変わります。「おい、とか言ってもちょっと変わったじゃないか」と見えるかもしれません。そんな時は是非僕に会いに来てください、全然変わっていませんから。可哀想なくらい変わっていませんから。
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