Comfort Mart 店長ブログ

三重県桑名市で北欧で直接買い付けたヴィンテージ家具、カリモク60、Yチェアなどのカールハンセン&サン、PPモブラー、ハーマンミラー、宮崎椅子製作所などを扱うお店の店長です。日々の出来事や考えていることを綴っています。そして時々、入荷情報などもお伝えしています。

お金の勉強

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子供達と一緒に出掛けたり、遊んだり、話したり、いろんな交流を持つのですが、その交流がどんな風に脳に残っているんだろうかと思ったりすることがあります。

大学生の頃、サークルの先輩が、「今、俺が持っているもので一番高い物って言われたら、脳だね」って言ってたことをたまに思い出します。その次が運転免許証だとも言ってました。想像できると思いますが、大学に入るまでに、両親から塾に行かせてもらったりとか、学費を払ってもらったりとか、相当な額が脳に投資されている訳です。その金額はもう大学入学時にはうん百万円になっています。

投資をしてるつもりはこれっぽっちもありませんが、僕も脳には相当な金額を突っ込んできました 。今でも「投資」はずっと続けています。金額にすると、三重県のこの地域だったら立派なおうちが1軒普通に買える金額になっていると思うんです。僕の脳は相当効率が悪くて、投資収益率は相当低いんです。だから投資相当分の立派なお家には住んでいません。アメリカで面白い調査がありました。脳にお金をかけることと、生涯年収の相関。脳にお金をかければかけるほど、生涯年収は高くなるのだそうです。例えばですが、高いお金をかけ、脳みそに学を押し込み、めちゃ学費の高い超一流の私立大学に行けば、そうでないカテゴリーの人と比べ確実に生涯年収は高いんです。誰でもそうなるということではなく、そのカテゴリーの平均です。だから、変な話し、両親が裕福で子供の学に対してとめどなくお金を使えるとしたら、その子供はそうでない子供と比べ、生涯年収は確実に上に行きます。これが、「金持ちはずっと金持ちだ」と言われる1つの理由でもあります。両親にお金があっても、子供の学に投資せず、別のところに投資をしてたりしたら話しは別です。子供の学に投資をしていたらという話しです。

脳への学びの量はその投資金額で大きく変わります。何もお金をかけないで、子供に学んでもらおうと思いたいですが、ちょっと怖くてある程度お金を掛けることなると思うんです。うちの家庭もそうです。どこの家庭でも同じだと思うのですが「お金を脳みそに投資してるんだ」って言って子供の学にお金を出している家庭はないと思うんです。でも、結果、お金を出さないと受けれなサービスであったり、機会であったり、施設であったり、お金を使わないで子供に健やかな学びを付けさせるってちょっと難しい世の中になってると思うんです。お金を払う訳ですので、子供にはちゃんとお父さんはお母さんはこういった理由で君たちにお金を払ってるんだと言うことしています。でも子供はピンときてません。

うちの家庭の子供への学びへの投資は別に生涯年収を上げて欲しいと思ってのことではありません。彼らが将来の道を決める時の選択肢を増やし、生涯に渡り好きなことができる幸せな人になり、周りの人も幸せんできる人になって欲しいということが根底にあります。ただ、その要素の1つとして生涯年収のアップが彼らの中にあったとしてもそれはそれでいいんじゃなかと思います。僕の中ではお金は手段であって目的になっちゃいかんだろと思っているところがあります。子供って「お金があると幸せになれる」とただ単純に思っちゃうところがあって、その部分はもう少し噛み砕いて教えたいと思っています。

先日、阪神競馬場で開催された「関西蚤の市」に子供達を連れていきました。長男は病気になっちゃって、帰ることになったのですが、次男は2日間ずっと残ってくれました。これまでは、「公園で遊んでて」って言っていたのですが、もう小学生1年なので、お金の勉強をさせてあげたいなと思ったんです。お金には常に「信頼」という文字が見え隠れしていることを覚えて欲しいのです。お金自体、信頼で成り立ってます。「千円札」って印刷された紙切れです。あの紙切れ、作ろうと思ったら、多分、1枚、1円もしないと思うんです。1円もしない「もの」を千円の価値のあるものと「交換」できるんです。あれは、「あの紙は千円の価値があるんだ」との人々の信頼があるからこそ成り立ってるんです。そのお金の価値は言ったら、信頼度の高さです。1円玉、と千円札、どちらの方が信頼が高いのか。千円です。千円の方により多くの信頼があります。信頼のおける高い金額を集めるためには、人々から高い信頼を得られるものやサービスを提供しないといけないんです。こう話しを進めると、子供は1円には価値がないと思っちゃう。信頼との交換という意味では1円はとても低い位置にいること間違いありません。でも、千円のものを買おうとした時、お財布に999円しかなかったとしたら。1円の価値は一気に千円と同じ価値になるんです。そんな力を1円は秘めてるんだと子供に話すようにしています。大きなお金を構成する小さなお金も全て大切だと話します。そしてもう1つ、お金には払ってもらった人の名前が書いてあると思えです。人は稼ぐ時、いろんなストーリーがあり、もらうお金は同じだけど、それぞれの生い立ちは違うことを知ってもらいたいと思っています。だから、今日は「1万円売り上げた」じゃなく、「あの人からこれだけ、あの人からこれだけ」って思い、お金をトータルで見ないこと覚えて欲しいと思っています。結果、銀行に預けた時は合計金額が記帳される訳だけど、そのトータル金額を見ることが楽しみになってはいかんと思っています。お金は目的であってはならないと思っています。

もっと他のことも色々話しますが、何度も、何度も繰り返し話してもよく分かってくれません。お金がない僕は時間でそれをカバーしようと、お金の代わりに時間を子供に投資ているんですが、それがいいのかどうか。てか他にチョイスないですから。必死です。これからもことある毎に話して行きたいと思っています。

男女平等

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この前、新聞で日本の男女平等度は世界で114位だということが書かれていました。普段の生活でこの数字を見て「そりゃそうだよね」と普段の生活から感じる方もいれば、「いやいや、思ったより低いぞ」と思う方もいると思います。この記事を読んだ後、僕が小さい頃に比べ男女平等がどう変わったかなと考えていました。いや、男女平等でなく、女性の社会進出を考えていました、正確に言うと。働く女性は確かに増えた、しかも以前なら「そこは男性だろ」というところにも女性が職を得ている。僕が大学生の頃だったか、トラックの運転手に女性が増えたことに驚きました。今では結構な数の女性がトラックを運転したりしてるので、それはそれでちょっと慣れちゃつた感じがします。

ここ20年くらいは海外に行くことが多いので、その場所で生活する女性と話したりして、男女平等とか女性の社会進出とかがどうなっているのかなと気にして話したりしています。気にしているのですが、僕自身が男女平等と女性の社会進出について、どの程度の理解が進んでいるかどうかについては、実は僕自身もよくわかりません。ただ、男子便所で用を足している時、お掃除をしているのが女性だと、ちょっと嫌だなと思ったり、スポーツジムで100kgのベンチプレスをあげている女性を見たりすると、そりゃすごいぞとは思いますが、「ここなのかな〜、その力を使うの」って思ったりしますが、普通に話をします。僕の男女間の違いとはそんな程度です。ただなんとなく、男女平等というのは、「お互いが僕たち、私たちは違うよね」と理解し合えた礎に成り立つんだろうとの考えが昔からあります。女性の社会進出で言えば(職を得ている女性の数だけの話しをすれば)、そりゃ女性の社会進出は増えたし、労働不足のこの国では当然なことなんだと思います。女性の社会進出は増える(量)、その進出した女性が職場で働き易いか(質)のバランスが取れているのが、男女平等なんだろうと思います。

僕ら40代後半が育った家庭は完全に男尊女卑が多かったんじゃないかと思います。そんな家庭で構成される社会はやっぱり男尊女卑だったんじゃないかと思います。今は70年代、80年代のあの時の男尊女卑さは相当下がってきているとは感じます。男尊女卑って、男性が女性に向けて、「女性は人の質として男性の方が上なんだよ」って言ってることなんだろう思います。そういった意味で男尊女卑だと大声で言える時代でなくなったというのは確かなことだと思います。そんな時代だから男だから、女だからと言って、大声で制度的に区別されることはほとんどなくなったんじゃないかと思います。ただ、小声で言ってる男性は大勢いると思います。

これまで何人も女性と仕事をしてきましたが、もちろん男性も。「その人によるな〜」です。仕事に関しては、性別は関係ないときっぱりと言える自信があります。人によるよ。基本的に努力していない人、性別がどうであれ、あまり好きになれない。努力って、自分が持っていない能力や技術や知識を取得することだったり、持っているそれらを伸ばすことだったりなど、わざわざ時間をかけて取り組まないと得ることが無理なことを、自ら進んで他のことを我慢しながら続けることです。これ、女性、男性、全く関係ない。はっきり言うと、僕はこのポイントが人を判断する上でもっとも大切な基準です。女性でも男性でも、「今のままでいい」とか「表面を取り繕う」とか、自分自身は何も能動的に変わらず、受動的に周りの変化に伴って、少しずつ環境に合わせていく様が苦手です。例えば、新卒で仕事をはじめ、営業部に入りました。営業がなんとなくできるようになりました。そして、言葉も少し覚えました。その次は経理部に回されました。貸借表を読めるようになりました。全部、当たり前ですよね、稼ぐために。そんな当たり前のことを、ずっと仕事をしているから手に入れた特別な技術だとか、能力だと言って、転職の際に色々職務経歴書に書きますよね。いいんです、でも、「当たり前ですが」という枕詞を入れてもらえないかなと思います(当たり前のことを当たり前に質を落とさず毎日やり続けることも能力のひとつだと思います。そこを強調するなら逆に好感度アップです)。与えられて得た能力と、自ら望んで苦しみながら得た能力は雲泥の差があり、僕は仕事をするなら、後者の能動的に自ら得た能力で仕事をしている人を選びます。僕の経験上、男性だから努力しない、女性だから努力するってことはありません。その反対もしかりです。この点、僕はきっぱり言う自信があります。努力する素質に性別は全く関係ない。そして、努力した者は必ず報われなければならいとの信条が僕にはあります。努力した者が報われる会社でありたいと思っていますし、そうなることで社会に貢献できると信じてます。

だったら、この努力のベクトルは性別で差があるのか。DNAで決まっていることはあると思います。同じ土、そして隣同士に朝顔のタネ、そして紫陽花のタネを植えました。同じ土ですが、できるものは必ず朝顔のタネからは朝顔、そして紫陽花のタネからは必ず紫陽花が咲きます。DNAに組み込まれている因子は絶対に変えれないと思います。言ったら、生まれ持ったものは絶対的優位にたちます。だけど、その土、太陽、肥料等の影響で、生まれ育ってからの発育状況は大きく変わるんじゃないかと思います。ここにも、DNAが絡んでいると思ってて、水、光、二酸化炭素、窒素、リン酸、カリとか一般的に植物に必要な要素を同じだけ、同じ種類に与えても、それでも、発育に差ができます。同じ種でもです。DNA的に、「俺は他のやつらより窒素がいっぱいいるんだよ!」ってやつもいるだろうし、「俺は、いっぱい水が欲しいんだよ!」って言ってやつもいるだろうし。

DNAで決まる性別からやってくる絶対的な優位性って何があっても変わらないと思います。だから、女性が男性的に、反対に男性が女性的に、なんて議論や、「おやじギャル」とか「男性の女性化」とか、どちらかがどちらかに寄っていって、なんとく男女平等が成り立つ的な雰囲気があるとしたら、それは間違っていると思ってます。

男性、女性、DNA的に変えられない特性がある。これは絶対的優位です。気性もそうだし、優しもそう。まずは、「男性と女性は違う」と絶対的に観念することが第一だと思います。それから、植物でいう栄養という、人間でいう教育というやつを、絶対的優位性を理解しながら適度与えていくという作業、反対に言うと性別からやってくる絶対的な優位性を教えながら、それぞれ個別に必要な「栄養」適度に与えることで男性と女性が理解しあえるようになると思います。男性も女性もそれぞれの「質」を認め合うということです。

写真のような素敵なランプがデザインされる国デンマーク。そして男女平等が進むデンマーク。ここ何年か何組かのデンマークの夫婦と濃く付き合ってます。うまくいってるカップルもあれば、そうでないカップルもあります。男女平等が進んだ北欧の夫婦でも、男女の関係で多くの問題を抱えています。いくら、女性の社会進出が進んでも、男性が育児家事に参加する機会増えても、男性女性問題というのは、解消されない。表面上では女性の政界への進出とか、社会参加への増加で、数字的には北欧の国は上位です。でも、それでも、多くの職場ではそして夫婦間では多くの問題を抱えています。なんとなく、北欧に行けば、男性/女性はうまくやっていってるなんて理想を描いている人がいるとすれば、それは間違った考え方です。彼ら、彼女らも毎日考え悩んでいます。ただ、日本と大きく違うのは、「男性と女性は絶対に違う」と根本を理解している人の数が圧倒的にあちらの方が断然多い。日本によくある「なんで女性は理解してくれないんだ」その反対で「なんでいつも男性はああなんだ」との声もあります。だけど「仕方ないよね、違うんだから。さて、その違いから何を生み出そうか」という次の言葉を多く聞きます。

日本は必死で、男性女性と合わせて「ミックスジュース」を作ろうとしてないかな。僕の考える男性女性の平等は「クリームソーダ」です。例えば、ソーダが男性、そしてクリームが女性。合わさることで最高の味。ミックスジュースは要素を粉々して、不均等に混ざり合わせ、最高の味。今のところ、僕がこれまで生きてきた感覚からすると、「クリームソーダ」型の性別社会が一番いいんじゃないかと思っています。クリームソーダ型社会ね、ソーダもクリームも同じだけ美味しくないといけないの。男性、女性ともに美味しくならないといけない。お互いに質が高くならないといけない。ミックスジュース型社会だと、わかんないでしょ、誰がダメでだれがいいか。責任の所在をはっきりさせてあげないと。DNA的に責任所在がはっきりさせられる社会に適合できない人も現れてくるかもしれない、そんな人もいるんだよと政府がはっきり言ってあげて、そういう人はできる人が助けてあげるのよとはっきり政府が言えばいいと思う。

インターネットを介した情報化社会は責任の所在がはっきりさせられる社会でもあると思っています。それが非常に簡単になる社会です。世界レベルでです。10年前にこれだけアメリカ大統領の日々の言動が海を超えた私たちに届いていたでしょうか。ありえなかった。責任の所在がはっきりしない、ミックスジュース的社会を心地いいと思っている人がこの国に大変を占めるようになっては、男女平等なんて絶対にこの国には成り立たない。日々の行動、言動が炙り出される社会なんです。そしてその行動、言動を世界の人が評価する時代なんです。男性、女性、がなんて言っている暇なんてないんです。男性も女性も同じだけ覚悟を持って自分の質を上げてかないと。もし、多くの男性が多くの女性のことを量で評価しているとしたら、その考えを改め、質で評価して、質が低い女性には低い評価を与える、そして女性は質に見合うだけの能力と知識を付け、男性を量で評価しているとしたら、質に評価基準を変え、質に合わない男性には低い評価を与える。男性も女性もその質という評価基準をもっとオープンにしていく。そうとう研ぎ澄まされた社会になりそうでわくわくします。こうやって書いてみて、実際そうなったら相当ぎすぎすする社会になりそう。何か正解はあるんでしょうかね。また考えます。

仲良しさん

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先週の週末に仲良くさせて頂いているあつみ建築( http://atsumi-a.jp )の近藤さんと、オーダー家具のタンペレ( http://www.tampere.jp )の出口さんとでご飯を食べに行きました。近藤さんが、私と出口さんが「なんだか浮かない顔してるからさ」っていうやさしい理由です。

建築のことだったり、家具のことだったり、建築そして家具を取り巻く環境の変化だったり、めちゃ喋りまくります。喋った中で、出口さんが「昔の人ってさ、誰でも鉋を引けたと思うんだよね」って言ってたのがちょっと頭に残っています。昔は必要だから。昔は機械がなく、家具をお家で作る必要があったり、ちょっとしたものって結構自分達で作っていたんじゃないかということです。ちょっと繋がりが難しですが、昔は近所に野菜のことをどう作るか知っている人がいた。天気のことも知っている人がいた。「この雲だったら、明日は雨だね」とか。なんか、そういった人達が羨ましいんです。もうほとんどいません。僕もそんな人たちの仲間じゃないんです。時事を語らせたらすごい近所のおじさんはいると思うんです。他に、「大根ならあそこのスーパーが安いのよ」って言うおばさんもいると思うんです。そうじゃなく、自然からの恵を生活に取り入れ、その恵とどう共存して行くかという術を知っている人達。今って多分、そういった術、無理して手に入れないといけないでしょ。だって、そんな術なくて生活できるから。スーパーにいけば、野菜買えるし、家具屋に行けば家具が買える、天気なんてiPhoneのアプリが教えてくれる。

仕方ないとは思いますが、なんとなく、歳が50に近いおじさん達にとっては、さみしんです。もっと寂しいのが、そんな「魔法」を僕たちはもうもっていないってこと、さらにもっと悲しいのは、僕たちの子供達はもう絶対にそんな「魔法」を持たないことがわかっていることです。

これからの人達はどんな術が生きる為に必要なんでしょうか。この前、家族と「なばなの里」にイルミネーションを見に行きました。20周年らしいです。人工的に彩られた自然に人工的なLEDが照らされている、そんな姿を僕たちはわざわざお金を出して見に行ってるんです。「綺麗だな」と思う気持ちに上下はないと思うんです。でも、なんとなく、いつも寂しい気分になります。どんな山奥に行っても、人が入ったということは、自然になんらかの影響を与えているということだ思うんです(例えば、土を踏みつける行為も自然の秩序を乱しています)。そう考えると、技術が進んで快適になったこの地球には、自然の恵と共存していくための場所って、人のためには残されていないんじゃないかと思い、「もう消えたい」ってまで思ってしまうのです。なんだか、最近そんなことを考えることが多くて、そんな考え込んだ私の顔を見て、近藤さんが誘ってくれた訳です。人は人でしか救われないのかもしれません。

多様性

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動物や植物の多様性って語られ始めて何年も経ってます。動物とか植物って、その土地固有の生態系があって、外から入って来た「外来種」にはめっぽう弱い。なんかね、人間ってどうなんだろうって考えるんです。日本には多分、アイヌ人も含め、ずっと日本に住み続けている人種っていると思うんです。それに朝鮮や中国や南洋から人が渡って来て、多様化になり、大陸移動で島になっちゃって、他との多様性が途切れたんだと思うんです。多分ね。違うかもしれませんけど。途切れてから相当の年数が経っちゃって、「その土地に住む人」例えば「佐渡人」とか「土佐人」とかの考えになって、明治維新をきっかけに「日本人」という概念が生まれたんだと、ずっと昔に読んだ本に書いてあったような気がします。そして今、多分その「日本人」というくくりが、血の繋がりでなく「日本に住む人」というくくりに向かわないとダメな時代になってきてるんですよね、多分。だって、この国はどんどん人が少なくなっていくから。

お店の裏には、小さな川があります。綺麗とはいえない川です。桑名は下水道が完備されていないんです。ほとんどが浄化槽での下水管理なんです。その浄化槽さえ持っていない古い田舎のうちもめちゃ多い。そんな浄化槽のないお家からの生活排水は裏の川等に垂れ流しなのです。でも、人口が減ったせい、そして家庭で使う化学薬品の多くが環境問題に則したものに変わって来てくれたおかげで、ずっと昔に比べると、相当綺麗になってるんです。その裏の川は多様性の宝庫です。知らない、海外の雑草が生い茂り、ミドリガメとブラックバス、そして鯉が泳いでいます。アメリカザリガニもたくさんいます。全部、外国からやってきました。日本の環境に則して生き延びたがんばったやつらなんだと思います。僕、この辺りずーと昔から知ってますが、以前はイシガメやハヤとか、以外と日本古来のやつらが川にいました。詳細に調べていないので分かりませんが、ほとんどいなくなった思います。

この川を見てると2つ思うんです。1つめは、「多様化は以外と早いな」と2つめは「田舎ほど実は多様化が早いのかな」です。さらに、人の多様化はどうなだろうか、そして動植物と同じペースで多様化が進むんでしょうか。そしてさらに思うのは、裏の川のように、外国からやって来た人でこの国が埋め尽くされてしまうのかなです。

多分ですよ、なにもしなかったら、今田舎の生態系にあるような多様化が国全体に進むんだと思うんです。多分、自然の流れです。でも、それを政治が必死で塞き止めてるって感じなんじゃなかと思うんです。だから、動植物のような早いペースで進んでいないんだと思います。でも、限界に来てますよね。もう、僕ら知ってますよね、限界に来てんの。今の経済力を維持したいのなら、外から人を呼んでこないと先は見えてます。

動植物みたいに、一度、「許したら」、この国は外国からの人に埋め尽くされちゃう。そして、自治が大変なことになる。こんなこと思っている人、多分いるんじゃないかな。アメリカの今の大統領もそう思っているかもしれない。でもね、考えてみて。人だよ。海外からやってくる人は人間です。新しい種類の動植物じゃない。「いや、日本人がイシガメだとしたら、外国からの人はミドリガメだよ。見てよ、あの繁殖力。日本人なんて、隅においやられちゃう」。ほんとかな。

今、選挙活動が行われてますけど、多くの政治家は僕らの子供が大人になる時にはもういませんから。裏の川の多様性、40年前の政治家に議論されていたでしょうか。多分、されてないよね。でも、勝手に進むの。僕ね、政治の人たちもそれ知ってんじゃないかと思うんです。「もう止めれないよね」って心のどこかで。だから、もっと今やらないといけないことの方に話が向けられるんだと思います。人の多様化はすごいスピードで進みます。どれだけ人々が「やばいよ」と言っても。

この議論って、「外国人が日本に住む」っていう議論じゃないと思ってます。性的少数者への対応への議論も同じなんじゃないかと思っています。要は自分とは違う人とどうやっていくかっていう議論です。学校教育で個性だ、個性だとの教育が盛んです。さて、個性が育ったあとの、その周りの反応はどうでしょうか。個性が育った子供達への対応が遅れているのは、そう子供達に教えた僕たち大人なんじゃないかと思っています。想定外の個性になった人へ大人はどう対応していったらいいんでしょうか。もう20年以上もアメリカに行っていないのでよく分かりませんが、住んで思ったのは、あの国表面上ある一定のプロトコールがあるんです。例えば「人前ではこのように振る舞う」とか「このように挨拶をする」とか「このような言葉使いはよいとされる」とか、形式張ったことが非常に多い国なんです。いろんな人が住んでるから、「皆が分かる良い振る舞い」の共通認識が高い。いろんな人種が集まっているからこそ、コミュニケーションのプロトコールが必要なんです。アメリカは自由な国なんだと言って性的少数者に対して、酷い言動をメディアがしているかというと、全くしていない。個人レベル(例えば、飲み屋のレベル)では酷いこと言っている人、たーくさんいます。でもね、公の場ではいいとされるプロトコールがちゃんと決まっていて、それを逸脱する人はあまりいないのね。

日本独自のコミュニケーションプロトコールの「少数者」へ押し付けはこの先、めちゃ危険になります。間違いない。「肩身が狭くなったな」と思われる人も多いと思います。でもね、これが国際化なんです。多様化なんです。この国はもう、その多様化に片足突っ込んでるんです。

数十年後、裏の川に色々な肌の子供が集まり、色々な種類の魚や虫や植物を笑顔で採っていたら素敵だと思います。そして、そんな子供の中に僕らの家族の一員がいたら最高にうれしいです。

誇りに思うこと

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昨日、ニュースで「オダギリジョー」さんのインタビューを読んで、そうだよねと思いました。舞台がキューバの「エルネスト」という映画が公開されるんです。監督の阪本さんが、ラジオに出てて知りました。先月くらいに恵比寿ガーデンプレイスでやっていたチェ・ゲバラが撮った写真の展示展が気になってしかたなかったのですが、行けなかったことでなんとなくキューバについて気になっていて、今回のインタビーに目がいったのかもしれません。

「仕事よりも楽しいことあるなら、そっちをすればいい」とありました。よくあるフレーズですよね。でも、愛する身近な人を亡くした人から発せられる言葉だと思うと重い、とても重い。彼、2年前に次男さんを亡くしてるんですよね。「人生いつ終わるかわからない」という言葉が見え隠れします。「人生いつ終わるかわからない」って言葉もよく聞きます。ただ、ほんとにその意味がわかる時って、そのことを目の当たりにした時だと思うんです。「人生いつ終わるかかわからないから、楽しく行こう」って意味じゃないよね。「人生いつ終わるかわからないから、大切に生きよう」ってことです。

「Tears from Heaven」を歌うエリック・クラプトンの亡くした息子さんの話は有名です。あの歌は名作です。何度聞いても涙が溢れます。

人の命はかけがえのないもので、亡くしたら2度と戻ってこない。このことってとっても大切で、「だからしっかり生きよう」とか「だから、人に思いやりを与えよう」とかをほんとに思えるんじゃないかと思うのです。そのために今、自分に何ができるのかってことを考える力って大切だと思っています。死が身近に感じられなくなった世の中になってしまったなと思います。生き続けることへの大切さが重んじられて、死はまるで避けることができるものだと思ってしまいそうになるほど、死が遠い存在になっちゃった。お葬式会場の広告はものすごく増えてるでしょ。あれ、どことなく、「年老いた人が使う場所でずっと先の話だ」と思っている人多いんじゃないでしょうか。広告のメッセージもそうだもんね、お年寄りが写真に使われてたりとか。でも、ものすごい数の子供が毎年、毎日、亡くなってて、そのお葬式場を使ってるんです。僕、はっきり言いますが、お年寄りの死は仕方ないと思っています。うちの母親もいつか死にます。悲しいと思います。でもね、「順番でしょ」と思います。順番じゃない死に方をした人の周りの人の気持ちって、想像がつかないほど壮絶だと思うんです。「かわいそう」なんて言葉言っちゃダメ。

周りに、早くにお父さんを亡くした子供がいます。毎晩、遺影を抱いて寝てるって。涙が溢れます。

死はいつでも、誰にでも、同じ確率でやってきます。年齢なんて関係ない。だからね、しっかり生きるんです。いつ死んでもいいように生きるんです。武士みたいでしょ。明治前の死亡率はすごい。街のどこかで、毎週かならずお葬式が執り行われていました。子供が10歳まで生きる確率って、びっくりするほど低い。大人も50歳で死ぬ。あの時代、死は相当身近だったと思います。武士もいつ辻斬りにあうかもしれない。生きる大切さと同じくらい、死への意識が高まればいいなとずっと思っています。

死の淵から生きてくれたうちの長男。彼は家族の誇りです。「生きてくれてありがとう」という言葉が毎日溢れます。今年の運動会はリレーも走ることができました。僕はより自分に厳しく、そして人に厳しくなったかもしません。「無駄に生きてんじゃねーよ。生きたくても生きれない人がこの世の中にはたくさんいるの!」って思いが僕の心から溢れているかもしれません。

雑貨屋イリケのイベント

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コンフォートマートの敷地内には「雑貨屋イリケ」という雑貨屋があります。5年程前に周囲の反対を押し切り、僕が独断で作りました。雑貨屋って簡単じゃないんです。「将来雑貨屋やりたい!」って考えていらっしゃる方がいたら、是非、やってみて下さい。大変。僕は雑貨が大好きです。特に古いもの(骨董の部類には入らない古いもの)が大好きです。また、このあたりの田舎にある大手のスーパー等では手に入らないちょっと小洒落たものも大好きです。子供の頃に遊んだ、おもちゃみたいな感覚だと思うんです。好きだけでは務まらないこと知ってて、雑貨屋イリケをオープンさせました。

僕は家具のお仕事で手がいっぱいなので、雑貨屋はスタッフに任せっきりになるんだろうなと思っていました。そして、それを何年か続けました。僕が行ってみたいと思う雑貨屋がいいんです。なんか、僕が買い物をしたくなるところ。同じ敷地にあるけど、僕のお店じゃない感覚が持てれば素敵だろうなと思っていました。その素敵なお店を僕とは違うスタッフが運営していたら、素敵だろうなと思っていました。そして、そのスタッフが「このお店買いたいです」とでも言ってくれれば最高です。

田舎の街にはほんとに僕がお買い物をしたいと思う、ちょっとおかしなお店がありません。「骨董屋」とか「アンティークショップ」とか「古道具屋」とか「一流品しかおいてないです」とか「刃物の専門店」とか。人口が少なすぎて、細分化していったニーズに絞った商売だとどうしても、アピールできる人が少なすぎて、利益が全然でない。だから、こういったこだわったお店は、ぜーんぶ、人が多い都会い行っちゃうんですん。お店がないから、そんなところでお買い物をした人が田舎にはとても少ないんです。「こだわったもの」を選ぶっていう感覚が全然、育たないの。育たないから、そんなことを考えてお店をする人が全然出てこない。また、立ち上げたとしても、こだわりの感覚が養われていないから、「東京ギフトショーでいい商材見つけたきましたよ〜」って、主体性じゃなく、「これかっこいいから、かわいいから売れるよね」っていう「自分は買わないけど、売れると思う」って感覚で商材をえらんじゃったりするんじゃないのかなと思います。こだわったお店、こだわりすぎてるお店、結局のところ、そのお店をしている人だったり、そのスタッフだったりが「これ欲しい」と思うものばかり集まっているお店です。だから、そのお店をしている人やスタッフだったりが、相当「おかしな人」じゃないと、お店は偽りのこだわりのお店になってしまう。

主体性を持って、自分を育てながら、お店も一緒に育っていく、それが理想です。これが、こだわりのお店の作り方の王道です。 僕ね、何年か待っていたんです。雑貨屋イリケで働いてくれてる人が、このことが分かることを。その何年間か優しく話していました。でも、僕の気持ちとは反対に雑貨屋イリケが街のスーパー化していくのが顕著になってきました。「これとは違う色はないんですか?」と尋ねられた時に「その形にはその色が一番いいと思うんですよね」から「お客さんは、そのお品どうやって使うんですか?」とかの話になっていくお店がいいのです。じゃなくて、雑貨屋イリケが「その在庫、取りせますね」のお店になってしまいました。そうなったら、それ小さなスーパーです。もう、僕がお買い物をしたいお店じゃなくなった。主張も何もない、ただ可愛い商材だけ。やっている人がそのものを好きとか嫌いとかじゃなくて、「売れるかな」と思う商材ばっかり。そんなお店、もう続けなくていいです。この4月でいままでのほとんどの商材を下げました。そんなの、大手ネットショップで買えるじゃん。また、お店が汚かった。商品にホコリがかぶってる。僕ならそんな商品、絶対に買わない。

雑貨屋イリケ、今でも続けています。これから続けるかは、働いてくれてる人と僕との関係にかかっています。雑貨屋イリケを続ける理由を何度も厳しく話しています。今回は全く優しくないです。僕の考えに合わないなら、ここで仕事をしなくていいと本気で思っていますし、言ってます。それはそのスタッフに限ったことじゃなくて、どのスタッフにも同じことを本気で思っています。合わないなら、辞めていけと思っています。独裁者みたいですよね。「会社の理念」が理解できない、実践できないなら、辞めなさいです。これは大きな会社でも同じです。どんなに社会が変わろうが、変わらない理念。その理念の元、派生する日常のことは相談しながら決めていきます。でも、理念については独裁者でいいと思っています。理念が存在しない、あるいは存在したとしてもそれにあまり厳しくない会社もあるかと思います。「理念に厳しいと従業員が窮屈だろうな」「その理念への厳しさのために従業員が辞めたら、会社が立ちいかなくなる」とかあるのかもしれません。従業員は理念に対して厳しくない会社を選びたければそちらにいけばいい。今はどこも人手不足なので、雇ってもらえるし、逆にそちらの方が幸せなら、それでいいじゃないかと思います。重要なのは、会社とその会社の理念、そしてその理念への厳しさへの自分のマッチングです。僕は僕の正しいと思う理念を持った会社がいい、そしてその理念に対して厳しい会社の中で自分の時間を犠牲にして理念の追求をしていくことの方が合っている人です。そうじゃない人とは合わない。完全に合わない。理念に対して賛同するから仕事を一生懸命する。でも、そうじゃなく、その会社の福利厚生だったりとか、ブランドだっりとか、お給料のことだっり、理念とかあまり関係のない、「今やめると、めんどくさいことになる」という理由で仕事をし続けていること、僕大嫌いです。僕は絶対しません。

小さい会社なんですが、厳しいのです。まず自が厳しい人間にならないと。その厳しさに拘らないと。その厳しさは自分の生活への厳しさに繋がらないと。いや、それが普通の感覚である人でないと田舎のこういったお店は続きません。そうとう濃い中身の人が、その濃さを薄めて、その人が好きな商品に添えて「伝えていく」というお仕事が雑貨屋イリケでの仕事です。「売る」じゃなくて、「伝える」仕事です。今回のイベント、スタッフにお願いしました。厳しく何度も話した末でのイベントです。うまく行ったかどうか、これからが答えです。

この前、このことを人に話していたら、「自分で始めて、自分で怒って、もうこのお店いらないっていうの、なんか、『おれ自殺するぞ。いいのか近寄るな』って感じで、面白いですね。結局、物理的や精神的に損するの君だけだね」って言われました。確かに。こんな面倒なこと、やらなければよかったかもしれません。だから、田舎では誰もやってないの。僕、左叩かれた、右を突き出して、「こっちも叩きな」と言う人なんです。いや〜、続けますよ。もっとよくなります、このお店。

始めるきっかけ。

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家具店を始めたきっかけって、たまに尋ねられるのですが、よくわからないんです。

いろんな職業に就いている人がいると思うのですが、歳をとった今、振り返ってみると、育った環境の影響なんだろうなと思います、就く職業って。

今でも裕福ではないですが、僕が生まれた時は相当裕福ではなかったと思います。でも、そんなことを感じさせないように育ててもらった親には感謝しています。小学校の時に友人のおうちに遊びにいくと、うちにはないものが沢山ありました。また、私が知らない作法があったりと、友人のお家に遊びにいくのがとても苦手でした。基本、外遊び。夏でも、冬でも外遊び。でも、ほんとはうちで遊びたかったのかもしれません。友人のおうちにあるようなものは何もありませんでしたし、おもちゃもありませんでしたし、狭い長屋に住んでいたので、遊ぶ場所もありませんでした。そして、父が怖い。もう、完全に外遊びしか選択肢がなかったというのが本音だと思います。

憧れです。お家もそうですが、お部屋。いいお部屋で生活をしたい。いいお部屋じゃないですね、「普通のお部屋が欲しい」そう思っていたんだと思います。何故だか、小さい頃僕は普通に「僕は自分の部屋を持つことはないだろうな」と思っていた節があります。自分の部屋を持つことは相当な贅沢で、そんな贅沢、うちでは絶対にできないと思い込んいたんだと思います。

だからなのか、自分のお部屋が持てた時の喜びっていうものは、その頃はもう多感で反抗的な思春期だったので、大声では喜びませんでしたが、「もうこの部屋で何でもできる!」(例えば、「食べる」も含めて)と「世界を征服!」にも似た(多分)感動が僕の中にはありました。反抗期にもかかわらず、母親に「ソファが欲しい、買って」って言ったのを覚えています。母が「お父さんがいいって言ってたよ」と言うのを聞いて、喜び勇んで近所の家具店に走り込みました。あの頃はこの街にも何件が家具店があり、その中でも一番有名店に行きました。

「もう、良くわかんない」。人生の中での初めての家具店です。あの友達のおうちにあった憧れの「ソ・フ・ァ」がよりどりみどりです。いや、ソファって呼んでなかったのかもしれません、「カウチ」と呼んでいたかもしれません。良くわかんない中、母から決められた価格上限の2人掛のソファを買いました。センスも何もない。ただ、僕の中にあったのは、「舘ひろしが座ってそうなリラックスできるソファ」。変な基準です。僕らの時代は舘ひろしなんです。ウレタンだけで成型された、型枠にカバーリングされているソファ。そのカバーはファスナーで取り外しが可能。おうちにやってきて、設置。でも違和感が100%で。結局、そのソファ、ほとんど使いませんでした。ていうか、自分の部屋にいることがほとんどありませんでした、結局。自分の部屋での生活にずっと慣れていないもんだから、テレビも家族が見る部屋、横になるのも居間。宿題、テスト勉強、そして寝る。それだけの部屋が自分の部屋でした。なんか、ソファがあれば、そこから何かが始まると思ったんですね。雑誌とか開いちゃって、ラジオを聴きながら、微笑んでる、そんな生活の絵が僕にはありました。全くありませんでした。

今でも思っていますが、先ずは調和の取れた設。見た瞬間、「素敵だ!」とやっぱり思えないと、そこで整った生活をしようと思わないと思うんです。若かりし頃、「コーディネート」っていう術を知っていたら、お部屋での生活は変わっていたんじゃないかと思うです。いや、あるいは、とっておきのソファがあれば変わったかもしれません。「ソファならなんでもいい、舘ひろしが似合うソファ」なんて、へんてこな基準じゃなく、もっと考えた結果買ったソファなら絶対に結果は変わったんじゃないかと思うんです。

家具がほとんどない家庭で育ち、部屋での家具は失敗。より、家具への憧れが募っていたんだと思います。別にインテリアのことなんて忘れればいいことですが、それをずっと考えてしまっていたのは、多分父親の影響です。父も裕福な家庭で育っていませんが、見るセンスがあった。質のいいものを見るセンスがあったと思います。父は長年、トラックの運転手をしていました。高速道路を良く走ったそうですが、道路から見える風景で一番多かったのが「屋根」。高いところに作られた道路が多い高速道路から見える街の風景はいつも上からなんです。ずっと自分のお家を持ちたいと思っていた父が大工さんに一番最初に注文したのは、屋根の形だったそうです。何十年も道路から見てきた屋根、その屋根の中で自分の中で「あの屋根だ」と思ったのがあったのだと思います。そんな屋根からうち作りをした父は、お洒落さんだと思います。そんな人、これまで聞いたことありません。良くも悪くも、自分のスタイルがあった父からの影響で、スタイルにこだわるっていうのが染み付いていたのだと思いますし、遺伝もあると思います。

職業にするかどうかは別として、家具は気になっていました。もう失敗したくない、いや、よくわからないから、逆に何でもいいや、でも毎回失敗。そんな感じの繰り返しでした。家具とは全く別の業界で職を得て、そしてその職を捨てる覚悟のきっかけは家具でした。ある深夜番組が、本革ソファの表面の劣化や穴あきを修復する特許技術を持った会社がアメリカにあり、その会社が定期的にその特許技術を教える有料のセミナーをアメリカで開催していると放送していたのです。「これだよ、これ」って思っちゃったんですね。新卒で働いた会社に満足していなかった僕は、「どうしようかな〜、これからの人生」って考えていたんですね。僕らの新卒の時代は、年功序列、終身雇用、そしてバブル経済の真っ只中。将来について、明るい兆ししか見えなかった時代です。会社をやめて転職なんて、考えられない時代です。転職したら、条件が悪いところにしか入れないというのが通例でした。新卒で入って退職まで勤めた方が昇給もいいし、退職金もいいし、それと、中途採用だと昇進が遅れるっていうのが当たり前の時代でした。「転職なんてないね。やめるなら自営だよ」って思っていました。そんな中、「これだ!」と思ったのが家具でした。そして、またソファです。それから紆余曲折があり、結果、家具をしています。生まれた環境、そして育った環境からいくつになっても逃げられない。そんな気がします。

去年の話になるのですが、あの前川國男氏がデザインしたクラブハウスを持つ名門ゴルフ場がこの近くにあります。この地域の名門諸戸家が経営に携わる「スリーレイクスカントリークラブ」。中で使われている椅子の修理、修復、張替えをしました。60脚くらいありました。1976年デザイン川上 元美氏デザインの「NTチェア」。「コントラクトもいけるぞ」っていう自信にもなりましたし、大きな物件でしたが、僕たちの腕を信じてくれて、価格ではないところで、お仕事を頂戴したというお話の始まりも僕達に勇気を与えてくれました。いまだに僕はずっと家具に憧れています。自宅のスペースは限られてる、もちろん使える予算も限られてる。でも、触れる家具の数は格段に増え、そしてその質もデザインも、そしてそれを含めたコーディネートも、経験値がものすごく高くなっています。だけど、自宅には到底それを全部網羅することはできないんです。素敵な家具に触れさせてくれるこの仕事は素敵であり、でも同時に埋めることのできない僕自身の現実とのギャップに毎日葛藤しながら、仕事を進めています。葛藤ですが、心が喜んでいるのが聞こえるんです。ほんとに素敵な仕事に就けたと毎日感謝しています。

うむ、楽しい。

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ちょっとHPの様子が変わったと思いませんか。そう、変えてるんです。この写真は私の姿ですが、スタッフを入れて、ちょっとしたコーディネートを楽しでいます。これがものすごく楽しいです。

今こんなに楽しいコーディネートですが、実は数年前には苦しみだったんです。良くわからないのですが、自分がしたコーディネートがダサい。ダサいというか、お店の中にあるものだけで必死でなんとかかっこよく見せたいと思っているのが見え見えで、気持ち悪くなってくる感じです。その考え方が超ダサい。そもそも、実生活では1店舗からの商材で全てまとまるなんでありえないですよね。あるかもしれない、例えばイケヤさんとかニトリさんあと無印さんとか、めちゃでかいなんでも揃うインテリアショップからの商材だったら、その1店舗の素敵な商材だけで素敵なコーデイネートができるかもしれない。でも、コンフォートマートのような、地方の小さなお店で全部揃うなんてあまり聞いたことがありません。

「今度はあの椅子のコーディネートをしてみよう」なんて思い、「季節はいつだ?」「時間は何時ころだ?」「何歳くらいの? 男性なのか女性なのか?」「疲れてるのか?」「元気なのか?」とか、ずっと考えて、雑誌を見たり、今日なんかはたまたま東京の有楽町に行ったので、無印さんに行ったり、頭の中で妄想しています。そして何枚も構図を線画で書いてみて、「あーでもない」「こーでもない」とか考えたりして。「こんな雑貨が欲しいな」とか「こんなラグだよ」とか思って見たり、実際に買ってみたり。相当楽しんでます。確か、こんな風なことを毎日できる仕事があるんですよね、コーディネーターという仕事。素敵ですね。あと、光が大切。自然光が最高にいいと思っています。でも、自然のものなので、日によって、時間によって陽の角度や強さ、色が違います。「こんなコーディネートならこんな光だよ」って頭のあるんです。でも、実際撮ってみると、「あれ、違うぞ」ってなります。もっと上手くなると思います、楽しいから。

会社勤めをしていた時によくお願いしていたカメラマンの方と親しくして頂いていました。車の撮影の専門の方で、有名雑誌をみると、今でも名前があるので、まだまだ現役で頑張っていらっしゃるようです。確か、大学を卒業されてから東京のテレビ局で制作をされていた方で、撮ってもらっているカメラマンより「自分の方がもっと良く撮れる」と思い、独立をされたと言っていた記憶です。「どこでカメラ習ったんですか?」と言ったら「えっ、習わなくちゃいけないの、これ」って笑っていました。すべて独学でした。助手がすぐに辞めちゃんですよね。独学な人だから(自分で覚えろよって人だから)。今はどうしているのでしょうか。「うまい下手なんて、人が決めることだからね。まずは、自分がいいと思うもの撮らないと。自分がいいと思うもんってなんだろって自問自答しないと。そして、その自分がいいと思う感覚を磨かないと。結局、自分って人間がよくならないと上手く撮れなよ。だから、同じ車撮るのも、以前の自分と今の自分が違うから、今の方が絶対にいい写真になってると思う。かっこいい写真なんてごまんとあるでしょ。今カメラがいいから、かっこいい写真なんて誰でも撮れちゃうし、良くわらないけどMacでどんどん加工できちゃうでしょ。自分のスタイルを磨かないと」って言ってました。カメラの話ですが、「いや生き方の話でしょ、それって」と思いなが、アメリカのテキサス州に車の撮影で行った時にほろ酔いで話してくれました。

あれから、15年以上経ちました。僕が写真撮ってると知ると、ビビるだろーなーって思い、写真撮ってます。だって、その人から「あ〜、センスないよね」って言われてましたから(笑)。予算ない中での海外撮影で、しかも助手がいないことが多かったので、レフ板は僕の仕事でした。レフ移動が下手らしいです、僕。で、「センスないよ〜」って言われいました。いやでも、楽しいから許して下さいね。

僕の知らない街

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この前、ものすごく久しぶりに朝早く、お店の周りを散歩しました。朝焼けの空、そして朝の空気は新鮮で身体の細胞がひとつひとつに「生命をもう一度吹き込んでくれる」、そんな感触です。僕はこの街に生まれ、24歳までこの街に住みました。そしてそれから10年程離れ、また戻ってきました。大人になってから、子供の頃に歩いた場所を子供の頃と同じように純粋無垢な気持ちで歩くことなんてできないですよね。僕もそうで、忙しい毎日の中、ほとんどは車で通り過ぎるだけの僕が生まれた街の風景を見て、「変わってねーな」と思いつつ、戻ってきてから15年を過ごしました。

でも、なんだかちょっと心の中に違和感があり、「できるだけ無垢な気持ちになれる早朝に歩いてみよう」って思ったんです。お店のある場所は、桑名の中でも田畑が周りにある場所。子供の頃は近くにある川に入り、そして田んぼに入り、虫を採ったり、友達とふざけあっていました。もうないね、そんな場所。知ってましたが、そうなんですね。この前に歩いて、実感しました。「僕の知ってる街はもうない」と思いました。

子供の頃に嗅いだ街の匂い、空気の肌感。全然違うものになってる。父に連れられ、よくカニを採った川辺。もう泥に埋もれ入る隙間がない。生えている木々、そして草花は僕の知らない外国からやってきたものばかり。川には、僕の頃にはいなかったらブラックバス、そしてミドリガメ。長良川に河口堰ができ、早朝の風物詩だったら赤須賀からの漁船もほとんどない。

相当悲しくなっちゃった。

人口が増え、そして今では減り、その間に色々な公共工事が進められ、市債が増え、きつきつの財政の桑名市。街角にあったあの定食屋はもうありません。なんかね、悲しいのね。僕はたまたま一旦外に出て母が住むこの街に戻ってきました。僕のように、大学も県外或いは海外、そして就職も県外或いは海外、そんな人はこの街にはもう戻ってこない。どんな理由で戻ってくるのかな。ないんじゃないかな。近い将来、介護で戻ってくる人は増えるんじゃないか思います。

この街は寝る場所になってて、暮らす場所になってない。あー、ダメダメ。他の地方の街も同じような感じなんじゃないかと思うんですよね。桑名市がどうこうっていうより、どこもそうなんじゃないかと思うんです。家族が住むこの街に住むことは間違いありません。お店もこの街にあり続けると思うんです。変わってるでしょ、このお店。たった14万人の人しか住まないベットタウンにあるお店なんです。高い意識持ちながらやらないと。「あの人とあの人に好かれるお店」でいいと思っています。だから、深く、深く、いろんな面で入り込むんです。「深さ」だと思うんです。「広さ」はいらない。お店の「こく」を分かっていただくため、まずは僕たちが「こく」のある人にならないと。大変だよ、大変。でも、最高に楽しい。街がダメだけど、お店がいいと言って頂きたいと思っていますし、このお店があるから、あの街に行ってみるかと言って頂きたいと思っています。今日もがんばりますね。朝焼けの中の散歩は最高です。

家具店であること

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「流行っているあれがあるお店」じゃないんですね。「家具に流行りすたりがあるのか?」と尋ねられたら「そりゃ、ありますよ」と答えます。家具が好きなので、多分、その流行りすたりはなんとく肌で感じ取っているつもりでいます。家具の展示会にも出かけます。出かけるわりには、新作家具っていうのはお店はほとんど並びません。心配性なのか、小心者なのか、新作というものについてちょっと臆病なところがあると思います。

毎年たくさん出る家具、めちゃめちゃかっこいいです。世界最大の家具見本市であるミラノサローネに出てくる新しい家具、ほんとにかっこいいなと思うものばかりです。でも結局、お店にあるのは、ずっと昔からある家具ばかりなんです。北欧のヴィンテージの家具に加え、色々なメーカーのお取り扱いがあるのですが、お店で販売している家具はそのメーカーの中でも、ずっとある家具なんです。お取り扱いのあるメーカーが出す新作、いつもいつも気になります。展示会にも出かけたりします。でも、結局、お店には新作の展示品を置けないんです。

買って頂く家具がずっと使われたら素敵だと思っています。とても強い気持ちでそう思っています。また、できれば、その家具が次の世代にまで引き継がれて欲しいと思っています。この気持ちも相当強いです。どうしてこうも強く思ってしまうのかは、良くわかりません。「持続可能な社会作りへの寄与」なんてちょっと今流行りの言葉では言い表せない気持ちが僕の奥底にあります。

買って頂いた家具がずっとそのおうちにずっとい続けることだとか、次の世代にまで持っていってもらえるとか、結果論だと思うんです。結果、「ずっと使ってるね」とか「お父さんの使っていた家具、今でも使ってるね」とかなんだと思うんです。将来を見越して、「次の世代まで」って、ちょっと僕、言えないんですね。結果論だから、自信がありません。

ただ、ずっと残っている家具って、その家具がこれからずっと残る可能性、ちょっと高い気がしませんか。いや、相当高いと思うんです。1949年にできたYチェア、1962年にできたKチェア、1956年にできたNo.42、半世紀以上経った今でも、ずっと使われています。だから、素敵に見えるのか、あるいは素敵だからずっと残ったのか、良くわかりません。ただ、見て座って、ただ単純に「素敵だな」と思うんです。

Yチェアを作っているカールハンセン&サンの中には、廃盤になってしまった家具、沢山あります。どうしてそうなったのかは、単純で「売れなくなったら」からだと思います。メーカーが世に出す家具、戦略的に「1年で廃盤にしてしまえ」とする場合もあるかもしれませんが、そのほとんどは「ずっと残って欲しい」と思っているに違いありません。でも、ほとんどが残りません。いろんな言い方はありますが、結果、誰も確かな理由はわからないのです。分かっていたら、次出てくる家具は全部残るはずですから。

「買った家具がずっとおうちにあり、そしてその家具が次の世代にま引き継がれる」。この姿が普通になれば、なんて素敵なんだろうと思うんです。だれも将来を予見できない。僕もその通りです。この僕の強い思いに応えてくれる家具って、「ずっと残っている家具」だけなんです。その家具は可能性として、これから先何十年、そして次の世代にま残っている高い候補にはなります。ここには議論の余地はないと思います。

かっこいいのよね、ずっと残っている家具。ほんとにしびれます。

でも、こういった家具、だいたい高いです。限られたお給与の中から絞り出すには相当覚悟しないといけない家具ばかりです。高いから、どんな人でも使える家具にはならないと思うんです。経営的にはちょっとダメな商材です。100人の人がいて、多分0.1人くらいしか買えない商材かもしれない。「経営的にはせめて100人中2人は買ってくれる価格帯のものをおかないと」と、とは思うのです。でも結果、お店にあるのはいつも「ずっと残っている、ちょっと高い家具」なんです。お店を隅から隅まで見てもらっても、ストライクを取りに行った商材がない。「あれも、これも、売るのちょっと難しいよね」っていうものばかりです。

僕、ずっとこの商売続けたいんです。残り続ける可能性の高い商材ばかりを扱いたい。なんとなく、素敵だと思うんです。田舎では、こだわりの商材を扱うお店がどんどん、ほんとにどんとんなくなってる。ほんとにないんです。社会貢献だとか、地域活性化なんても僕にとっては関係ありません。こだわり商材が売ってるお店がひとつもない街には暮らしたくないんです。ともて個人的な理由です。お買い物にエキサイティングになりたいんです。

お店に毎朝行きます。「いい家具だな〜」といつも思います。その家具を守るために、フタッフを含め、センスを磨く努力もしますし、その家具が壊れた時のための技術を持ちたいと思っています。家具を直せるところ、今、ほんとないんです。「いい家具ずっと」という覚悟なら、「直せないと」と思います。また、直すための道具や素材も残るにふさわしいものじゃないと、と思うんです。だから、使う道具やそして、素材(例えば椅子生地)もとても質の高いもの、そして、ずっと残っているものを用意しています。

この田園風景が広がるところにあるお店ですから「もっと手に取りやすい価格」を期待してご来店される方も多いかと思います。ごめんさない、ちゃんとしたのしか置いてないんです。そして、そのちゃんとしたものが欲しいとご来店頂く沢山のお客様のおかげで、なんとか続けられています。これまでのお客様がお買頂いた時の気持ちを大切にこれからも続けていきたいと思います。久しぶりにご来店頂き「変わったね」と思う時、「良く変わったね」と言われるよに、これからもがんばりたいと思っています。
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