Comfort Mart 店長ブログ

三重県桑名市で北欧で直接買い付けたヴィンテージ家具、カリモク60、Yチェアなどのカールハンセン&サン、PPモブラー、ハーマンミラー、宮崎椅子製作所などを扱うお店の店長です。日々の出来事や考えていることを綴っています。そして時々、入荷情報などもお伝えしています。

雑貨屋イリケのイベント

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コンフォートマートの敷地内には「雑貨屋イリケ」という雑貨屋があります。5年程前に周囲の反対を押し切り、僕が独断で作りました。雑貨屋って簡単じゃないんです。「将来雑貨屋やりたい!」って考えていらっしゃる方がいたら、是非、やってみて下さい。大変。僕は雑貨が大好きです。特に古いもの(骨董の部類には入らない古いもの)が大好きです。また、このあたりの田舎にある大手のスーパー等では手に入らないちょっと小洒落たものも大好きです。子供の頃に遊んだ、おもちゃみたいな感覚だと思うんです。好きだけは務まらないこと知ってて、雑貨屋イリケをオープンさせました。

僕は家具のお仕事で手がいっぱいなので、雑貨屋はスタッフに任せっきりになるんだろうなと思っていました。そして、それを何年か続けました。僕が行ってみたいと思う雑貨屋がいいんです。なんか、僕が買い物をしたくなるところ。同じ敷地にあるけど、僕のお店じゃない感覚が持てれば素敵だろうなと思っていました。その素敵なお店を僕とは違うスタッフが運営していたら、素敵だろうなと思っていました。そして、そのスタッフが「このお店買いたいです」とでも言ってくれれば最高です。

田舎の街にはほんとに僕がお買い物をしたいと思う、ちょっとおかしなお店がありません。「骨董屋」とか「アンティークショップ」とか「古道具屋」とか「一流品しかおいてないです」とか「刃物の専門店」とか。人口が少なすぎて、細分化していったニーズに絞った商売だとどうしても、アピールできる人が少なすぎて、利益が全然でない。だから、こういったこだわったお店は、ぜーんぶ、人が多い都会い行っちゃうんですん。お店がないから、そんなところでお買い物をした人が田舎にはとても少ないんです。「こだわったもの」を選ぶっていう感覚が全然、育たないの。育たないから、そんなことを考えてお店をする人が全然出てこない。また、立ち上げたとしても、こだわりの感覚が養われていないから、「東京ギフトショーでいい商材見つけたきましたよ〜」って、主体性じゃなく、「これかっこいいから、かわいいから売れるよね」っていう「自分は買わないけど、売れると思う」って感覚で商材をえらんじゃったりするんじゃないのかなと思います。こだわったお店、しかもしょっとこだわりすぎてるお店、結局のところ、そのお店をしている人だったり、そのスタッフだったりが「これ欲しい」と思うものばかり集まっているお店です。だから、そのお店をしている人やスタッフだったりが、相当「おかしな人」じゃないと、お店は偽りのこだわりのお店になってしまう。そんなこと、ばれちゃう。

主体性を持って、自分を育てなら、お店も一緒に育っていく、それが理想です。これが、こだわりのお店の作り方の王道です。 僕ね、何年か待っていたんです。雑貨屋イリケで働いてくれてる人が、このことが分かることを。その何年間か優しく話していました。でも、僕の気持ちとは反対に雑貨屋イリケが街のスーパー化していくのが顕著になってきました。「これとは違う色はないんですか?」と尋ねられた時に「その形にはその色が一番いいと思うんですよね」から「お客さんは、そのお品どうやって使うんですか?」とかの話になっていくお店がいいのです。じゃなくて、雑貨屋イリケが「その在庫、取りせますね」のお店になってしまいました。そうなったら、それ小さなスーパーです。もう、僕がお買い物をしたいお店じゃなくなった。主張も何もない、ただ可愛い商材だけ。やっている人がそのものを好きとか嫌いとかじゃなくて、「売れるかな」と思う商材ばっかり。そんなお店、もう続けなくていいです。この4月でいままでのほとんど商材を下げました。そんなの、大手ネットショップで買えるじゃん。また、お店が汚かった。商品にホコリがかぶってる。僕ならそんな商品、絶対に買わない。

雑貨屋イリケ、今でも続けています。これから続けるかは、働いてくれてる人と僕との関係にかかっています。雑貨屋イリケを続ける理由を何度も厳しく話しています。今回は全く優しくないです。僕の考えに合わないなら、ここで仕事をしなくていいと本気で思っていますし、言ってます。それはそのスタッフに限ったことじゃなくて、どのスタッフにも同じことを本気で思っています。合わないなら、辞めていけと思っています。独裁者みたいですよね。「会社の理念」が理解できない、実践できないなら、辞めなさいです。これは大きな会社でも同じです。どんなに社会が変わろうか、変わらない理念。その理念の元、派生する日常のことは相談しながら決めていきます。でも、理念については独裁者でいいと思っています。理念が存在しない、あるいは存在したとしてもそれにあまり厳しくない会社もあるかと思います。「理念に厳しいと従業員が窮屈だろうな」「その理念への厳しさのために従業員が辞めたら、会社が立ちいかなくなる」とかあるのかもしれません。従業員は理念に対して厳しくない会社を選びたければそちらにいけばいい。今はどこも人手不足なので、雇ってもらえるし、逆にそちらの方が幸せなら、それでいいじゃないかと思います。重要なのは、会社とその会社の理念、そしてその理念への厳しさへの自分のマッチングです。僕は僕の正しいと思う理念を持った会社がいい、そしてその理念に対して厳しい会社の中で自分の時間を犠牲にして理念の追求をしていくことの方が合っている人です。そうじゃない人とは合わない。完全に合わない。理念に対して賛同するから仕事を一生懸命する。でも、そうじゃなく、その会社の福利厚生だったりとか、ブランドだっりとか、お給料のことだっり、理念とかあまり関係のない、「今やめると、めんどくさいことになる」という理由で仕事をし続けていること、僕大嫌いです。僕は絶対しません。

小さい会社なんですが、厳しいのです。まず自が厳しい人間にならないと。その厳しさに拘らないと。その厳しさは自分の生活への厳しさに繋がらないと。いや、それが普通の感覚である人でないと田舎のこういったお店は続きません。そうとう濃い中身の人が、その濃さを薄めて、その人が好きな商品に添えて「伝えていく」というお仕事が雑貨屋イリケでの仕事です。「売る」じゃなくて、「伝える」仕事です。今回のイベント、スタッフにお願いしました。厳しく何度も話した末でのイベントです。うまく行ったかどうか、これからが答えです。

この前、このことを人に話していたら、「自分で始めて、自分で怒って、もうこのお店いらないっていうの、なんか、『おれ自殺するぞ。いいのか近寄るな』って感じで、面白いですね。結局、物理的や精神的に損するの君だけだね」って言われました。確かに。こんな面倒なこと、やらなければよかったかもしれません。だから、田舎では誰もやってないの。僕、左叩かれた、右を突き出して、「こっちも叩きな」と言う人なんです。いや〜、続けますよ。もっとよくなります、このお店。

始めるきっかけ。

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家具店を始めたきっかけって、たまに尋ねられるのですが、よくわからないんです。

いろんな職業に就いている人がいると思うのですが、歳をとった今、振り返ってみると、育った環境の影響なんだろうなと思います、就く職業って。

今でも裕福ではないですが、僕が生まれた時は相当裕福ではなかったと思います。でも、そんなことを感じさせないように育ててもらった親には感謝しています。小学校の時に友人のおうちに遊びにいくと、うちにはないものが沢山ありました。また、私が知らない作法があったりと、友人のお家に遊びにいくのがとても苦手でした。基本、外遊び。夏でも、冬でも外遊び。でも、ほんとはうちで遊びたかったのかもしれません。友人のおうちにあるようなものは何もありませんでしたし、おもちゃもありませんでしたし、狭い長屋に住んでいたので、遊ぶ場所もありませんでした。そして、父が怖い。もう、完全に外遊びしか選択肢がなかったというのが本音だと思います。

憧れです。お家もそうですが、お部屋。いいお部屋で生活をしたい。いいお部屋じゃないですね、「普通のお部屋が欲しい」そう思っていたんだと思います。何故だか、小さい頃僕は普通に「僕は自分の部屋を持つことはないだろうな」と思っていた節があります。自分の部屋を持つことは相当な贅沢で、そんな贅沢、うちでは絶対にできないと思い込んいたんだと思います。

だからなのか、自分のお部屋が持てた時の喜びっていうものは、その頃はもう多感で反抗的な思春期だったので、大声では喜びませんでしたが、「もうこの部屋で何でもできる!」(例えば、「食べる」も含めて)と「世界を征服!」にも似た(多分)感動が僕の中にはありました。反抗期にもかかわらず、母親に「ソファが欲しい、買って」って言ったのを覚えています。母が「お父さんがいいって言ってたよ」と言うのを聞いて、喜び勇んで近所の家具店に走り込みました。あの頃はこの街にも何件が家具店があり、その中でも一番有名店に行きました。

「もう、良くわかんない」。人生の中での初めての家具店です。あの友達のおうちにあった憧れの「ソ・フ・ァ」がよりどりみどりです。いや、ソファって呼んでなかったのかもしれません、「カウチ」と呼んでいたかもしれません。良くわかんない中、母から決められた価格上限の2人掛のソファを買いました。センスも何もない。ただ、僕の中にあったのは、「舘ひろしが座ってそうなリラックスできるソファ」。変な基準です。僕らの時代は舘ひろしなんです。ウレタンだけで成型された、型枠にカバーリングされているソファ。そのカバーはファスナーで取り外しが可能。おうちにやってきて、設置。でも違和感が100%で。結局、そのソファ、ほとんど使いませんでした。ていうか、自分の部屋にいることがほとんどありませんでした、結局。自分の部屋での生活にずっと慣れていないもんだから、テレビも家族が見る部屋、横になるのも居間。宿題、テスト勉強、そして寝る。それだけの部屋が自分の部屋でした。なんか、ソファがあれば、そこから何かが始まると思ったんですね。雑誌とか開いちゃって、ラジオを聴きながら、微笑んでる、そんな生活の絵が僕にはありました。全くありませんでした。

今でも思っていますが、先ずは調和の取れた設。見た瞬間、「素敵だ!」とやっぱり思えないと、そこで整った生活をしようと思わないと思うんです。若かりし頃、「コーディネート」っていう術を知っていたら、お部屋での生活は変わっていたんじゃないかと思うです。いや、あるいは、とっておきのソファがあれば変わったかもしれません。「ソファならなんでもいい、舘ひろしが似合うソファ」なんて、へんてこな基準じゃなく、もっと考えた結果買ったソファなら絶対に結果は変わったんじゃないかと思うんです。

家具がほとんどない家庭で育ち、部屋での家具は失敗。より、家具への憧れが募っていたんだと思います。別にインテリアのことなんて忘れればいいことですが、それをずっと考えてしまっていたのは、多分父親の影響です。父も裕福な家庭で育っていませんが、見るセンスがあった。質のいいものを見るセンスがあったと思います。父は長年、トラックの運転手をしていました。高速道路を良く走ったそうですが、道路から見える風景で一番多かったのが「屋根」。高いところに作られた道路が多い高速道路から見える街の風景はいつも上からなんです。ずっと自分のお家を持ちたいと思っていた父が大工さんに一番最初に注文したのは、屋根の形だったそうです。何十年も道路から見てきた屋根、その屋根の中で自分の中で「あの屋根だ」と思ったのがあったのだと思います。そんな屋根からうち作りをした父は、お洒落さんだと思います。そんな人、これまで聞いたことありません。良くも悪くも、自分のスタイルがあった父からの影響で、スタイルにこだわるっていうのが染み付いていたのだと思いますし、遺伝もあると思います。

職業にするかどうかは別として、家具は気になっていました。もう失敗したくない、いや、よくわからないから、逆に何でもいいや、でも毎回失敗。そんな感じの繰り返しでした。家具とは全く別の業界で職を得て、そしてその職を捨てる覚悟のきっかけは家具でした。ある深夜番組が、本革ソファの表面の劣化や穴あきを修復する特許技術を持った会社がアメリカにあり、その会社が定期的にその特許技術を教える有料のセミナーをアメリカで開催していると放送していたのです。「これだよ、これ」って思っちゃったんですね。新卒で働いた会社に満足していなかった僕は、「どうしようかな〜、これからの人生」って考えていたんですね。僕らの新卒の時代は、年功序列、終身雇用、そしてバブル経済の真っ只中。将来について、明るい兆ししか見えなかった時代です。会社をやめて転職なんて、考えられない時代です。転職したら、条件が悪いところにしか入れないというのが通例でした。新卒で入って退職まで勤めた方が昇給もいいし、退職金もいいし、それと、中途採用だと昇進が遅れるっていうのが当たり前の時代でした。「転職なんてないね。やめるなら自営だよ」って思っていました。そんな中、「これだ!」と思ったのが家具でした。そして、またソファです。それから紆余曲折があり、結果、家具をしています。生まれた環境、そして育った環境からいくつになっても逃げられない。そんな気がします。

去年の話になるのですが、あの前川國男氏がデザインしたクラブハウスを持つ名門ゴルフ場がこの近くにあります。この地域の名門諸戸家が経営に携わる「スリーレイクスカントリークラブ」。中で使われている椅子の修理、修復、張替えをしました。60脚くらいありました。1976年デザイン川上 元美氏デザインの「NTチェア」。「コントラクトもいけるぞ」っていう自信にもなりましたし、大きな物件でしたが、僕たちの腕を信じてくれて、価格ではないところで、お仕事を頂戴したというお話の始まりも僕達に勇気を与えてくれました。いまだに僕はずっと家具に憧れています。自宅のスペースは限られてる、もちろん使える予算も限られてる。でも、触れる家具の数は格段に増え、そしてその質もデザインも、そしてそれを含めたコーディネートも、経験値がものすごく高くなっています。だけど、自宅には到底それを全部網羅することはできないんです。素敵な家具に触れさせてくれるこの仕事は素敵であり、でも同時に埋めることのできない僕自身の現実とのギャップに毎日葛藤しながら、仕事を進めています。葛藤ですが、心が喜んでいるのが聞こえるんです。ほんとに素敵な仕事に就けたと毎日感謝しています。

うむ、楽しい。

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ちょっとHPの様子が変わったと思いませんか。そう、変えてるんです。この写真は私の姿ですが、スタッフを入れて、ちょっとしたコーディネートを楽しでいます。これがものすごく楽しいです。

今こんなに楽しいコーディネートですが、実は数年前には苦しみだったんです。良くわからないのですが、自分がしたコーディネートがダサい。ダサいというか、お店の中にあるものだけで必死でなんとかかっこよく見せたいと思っているのが見え見えで、気持ち悪くなってくる感じです。その考え方が超ダサい。そもそも、実生活では1店舗からの商材で全てまとまるなんでありえないですよね。あるかもしれない、例えばイケヤさんとかニトリさんあと無印さんとか、めちゃでかいなんでも揃うインテリアショップからの商材だったら、その1店舗の素敵な商材だけで素敵なコーデイネートができるかもしれない。でも、コンフォートマートのような、地方の小さなお店で全部揃うなんてあまり聞いたことがありません。

「今度はあの椅子のコーディネートをしてみよう」なんて思い、「季節はいつだ?」「時間は何時ころだ?」「何歳くらいの? 男性なのか女性なのか?」「疲れてるのか?」「元気なのか?」とか、ずっと考えて、雑誌を見たり、今日なんかはたまたま東京の有楽町に行ったので、無印さんに行ったり、頭の中で妄想しています。そして何枚も構図を線画で書いてみて、「あーでもない」「こーでもない」とか考えたりして。「こんな雑貨が欲しいな」とか「こんなラグだよ」とか思って見たり、実際に買ってみたり。相当楽しんでます。確か、こんな風なことを毎日できる仕事があるんですよね、コーディネーターという仕事。素敵ですね。あと、光が大切。自然光が最高にいいと思っています。でも、自然のものなので、日によって、時間によって陽の角度や強さ、色が違います。「こんなコーディネートならこんな光だよ」って頭のあるんです。でも、実際撮ってみると、「あれ、違うぞ」ってなります。もっと上手くなると思います、楽しいから。

会社勤めをしていた時によくお願いしていたカメラマンの方と親しくして頂いていました。車の撮影の専門の方で、有名雑誌をみると、今でも名前があるので、まだまだ現役で頑張っていらっしゃるようです。確か、大学を卒業されてから東京のテレビ局で制作をされていた方で、撮ってもらっているカメラマンより「自分の方がもっと良く撮れる」と思い、独立をされたと言っていた記憶です。「どこでカメラ習ったんですか?」と言ったら「えっ、習わなくちゃいけないの、これ」って笑っていました。すべて独学でした。助手がすぐに辞めちゃんですよね。独学な人だから(自分で覚えろよって人だから)。今はどうしているのでしょうか。「うまい下手なんて、人が決めることだからね。まずは、自分がいいと思うもの撮らないと。自分がいいと思うもんってなんだろって自問自答しないと。そして、その自分がいいと思う感覚を磨かないと。結局、自分って人間がよくならないと上手く撮れなよ。だから、同じ車撮るのも、以前の自分と今の自分が違うから、今の方が絶対にいい写真になってると思う。かっこいい写真なんてごまんとあるでしょ。今カメラがいいから、かっこいい写真なんて誰でも撮れちゃうし、良くわらないけどMacでどんどん加工できちゃうでしょ。自分のスタイルを磨かないと」って言ってました。カメラの話ですが、「いや生き方の話でしょ、それって」と思いなが、アメリカのテキサス州に車の撮影で行った時にほろ酔いで話してくれました。

あれから、15年以上経ちました。僕が写真撮ってると知ると、ビビるだろーなーって思い、写真撮ってます。だって、その人から「あ〜、センスないよね」って言われてましたから(笑)。予算ない中での海外撮影で、しかも助手がいないことが多かったので、レフ板は僕の仕事でした。レフ移動が下手らしいです、僕。で、「センスないよ〜」って言われいました。いやでも、楽しいから許して下さいね。

僕の知らない街

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この前、ものすごく久しぶりに朝早く、お店の周りを散歩しました。朝焼けの空、そして朝の空気は新鮮で身体の細胞がひとつひとつに「生命をもう一度吹き込んでくれる」、そんな感触です。僕はこの街に生まれ、24歳までこの街に住みました。そしてそれから10年程離れ、また戻ってきました。大人になってから、子供の頃に歩いた場所を子供の頃と同じように純粋無垢な気持ちで歩くことなんてできないですよね。僕もそうで、忙しい毎日の中、ほとんどは車で通り過ぎるだけの僕が生まれた街の風景を見て、「変わってねーな」と思いつつ、戻ってきてから15年を過ごしました。

でも、なんだかちょっと心の中に違和感があり、「できるだけ無垢な気持ちになれる早朝に歩いてみよう」って思ったんです。お店のある場所は、桑名の中でも田畑が周りにある場所。子供の頃は近くにある川に入り、そして田んぼに入り、虫を採ったり、友達とふざけあっていました。もうないね、そんな場所。知ってましたが、そうなんですね。この前に歩いて、実感しました。「僕の知ってる街はもうない」と思いました。

子供の頃に嗅いだ街の匂い、空気の肌感。全然違うものになってる。父に連れられ、よくカニを採った川辺。もう泥に埋もれ入る隙間がない。生えている木々、そして草花は僕の知らない外国からやってきたものばかり。川には、僕の頃にはいなかったらブラックバス、そしてミドリガメ。長良川に河口堰ができ、早朝の風物詩だったら赤須賀からの漁船もほとんどない。

相当悲しくなっちゃった。

人口が増え、そして今では減り、その間に色々な公共工事が進められ、市債が増え、きつきつの財政の桑名市。街角にあったあの定食屋はもうありません。なんかね、悲しいのね。僕はたまたま一旦外に出て母が住むこの街に戻ってきました。僕のように、大学も県外或いは海外、そして就職も県外或いは海外、そんな人はこの街にはもう戻ってこない。どんな理由で戻ってくるのかな。ないんじゃないかな。近い将来、介護で戻ってくる人は増えるんじゃないか思います。

この街は寝る場所になってて、暮らす場所になってない。あー、ダメダメ。他の地方の街も同じような感じなんじゃないかと思うんですよね。桑名市がどうこうっていうより、どこもそうなんじゃないかと思うんです。家族が住むこの街に住むことは間違いありません。お店もこの街にあり続けると思うんです。変わってるでしょ、このお店。たった14万人の人しか住まないベットタウンにあるお店なんです。高い意識持ちながらやらないと。「あの人とあの人に好かれるお店」でいいと思っています。だから、深く、深く、いろんな面で入り込むんです。「深さ」だと思うんです。「広さ」はいらない。お店の「こく」を分かっていただくため、まずは僕たちが「こく」のある人にならないと。大変だよ、大変。でも、最高に楽しい。街がダメだけど、お店がいいと言って頂きたいと思っていますし、このお店があるから、あの街に行ってみるかと言って頂きたいと思っています。今日もがんばりますね。朝焼けの中の散歩は最高です。

家具店であること

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「流行っているあれがあるお店」じゃないんですね。「家具に流行りすたりがあるのか?」と尋ねられたら「そりゃ、ありますよ」と答えます。家具が好きなので、多分、その流行りすたりはなんとく肌で感じ取っているつもりでいます。家具の展示会にも出かけます。出かけるわりには、新作家具っていうのはお店はほとんど並びません。心配性なのか、小心者なのか、新作というものについてちょっと臆病なところがあると思います。

毎年たくさん出る家具、めちゃめちゃかっこいいです。世界最大の家具見本市であるミラノサローネに出てくる新しい家具、ほんとにかっこいいなと思うものばかりです。でも結局、お店にあるのは、ずっと昔からある家具ばかりなんです。北欧のヴィンテージの家具に加え、色々なメーカーのお取り扱いがあるのですが、お店で販売している家具はそのメーカーの中でも、ずっとある家具なんです。お取り扱いのあるメーカーが出す新作、いつもいつも気になります。展示会にも出かけたりします。でも、結局、お店には新作の展示品を置けないんです。

買って頂く家具がずっと使われたら素敵だと思っています。とても強い気持ちでそう思っています。また、できれば、その家具が次の世代にまで引き継がれて欲しいと思っています。この気持ちも相当強いです。どうしてこうも強く思ってしまうのかは、良くわかりません。「持続可能な社会作りへの寄与」なんてちょっと今流行りの言葉では言い表せない気持ちが僕の奥底にあります。

買って頂いた家具がずっとそのおうちにずっとい続けることだとか、次の世代にまで持っていってもらえるとか、結果論だと思うんです。結果、「ずっと使ってるね」とか「お父さんの使っていた家具、今でも使ってるね」とかなんだと思うんです。将来を見越して、「次の世代まで」って、ちょっと僕、言えないんですね。結果論だから、自信がありません。

ただ、ずっと残っている家具って、その家具がこれからずっと残る可能性、ちょっと高い気がしませんか。いや、相当高いと思うんです。1949年にできたYチェア、1962年にできたKチェア、1956年にできたNo.42、半世紀以上経った今でも、ずっと使われています。だから、素敵に見えるのか、あるいは素敵だからずっと残ったのか、良くわかりません。ただ、見て座って、ただ単純に「素敵だな」と思うんです。

Yチェアを作っているカールハンセン&サンの中には、廃盤になってしまった家具、沢山あります。どうしてそうなったのかは、単純で「売れなくなったら」からだと思います。メーカーが世に出す家具、戦略的に「1年で廃盤にしてしまえ」とする場合もあるかもしれませんが、そのほとんどは「ずっと残って欲しい」と思っているに違いありません。でも、ほとんどが残りません。いろんな言い方はありますが、結果、誰も確かな理由はわからないのです。分かっていたら、次出てくる家具は全部残るはずですから。

「買った家具がずっとおうちにあり、そしてその家具が次の世代にま引き継がれる」。この姿が普通になれば、なんて素敵なんだろうと思うんです。だれも将来を予見できない。僕もその通りです。この僕の強い思いに応えてくれる家具って、「ずっと残っている家具」だけなんです。その家具は可能性として、これから先何十年、そして次の世代にま残っている高い候補にはなります。ここには議論の余地はないと思います。

かっこいいのよね、ずっと残っている家具。ほんとにしびれます。

でも、こういった家具、だいたい高いです。限られたお給与の中から絞り出すには相当覚悟しないといけない家具ばかりです。高いから、どんな人でも使える家具にはならないと思うんです。経営的にはちょっとダメな商材です。100人の人がいて、多分0.1人くらいしか買えない商材かもしれない。「経営的にはせめて100人中2人は買ってくれる価格帯のものをおかないと」と、とは思うのです。でも結果、お店にあるのはいつも「ずっと残っている、ちょっと高い家具」なんです。お店を隅から隅まで見てもらっても、ストライクを取りに行った商材がない。「あれも、これも、売るのちょっと難しいよね」っていうものばかりです。

僕、ずっとこの商売続けたいんです。残り続ける可能性の高い商材ばかりを扱いたい。なんとなく、素敵だと思うんです。田舎では、こだわりの商材を扱うお店がどんどん、ほんとにどんとんなくなってる。ほんとにないんです。社会貢献だとか、地域活性化なんても僕にとっては関係ありません。こだわり商材が売ってるお店がひとつもない街には暮らしたくないんです。ともて個人的な理由です。お買い物にエキサイティングになりたいんです。

お店に毎朝行きます。「いい家具だな〜」といつも思います。その家具を守るために、フタッフを含め、センスを磨く努力もしますし、その家具が壊れた時のための技術を持ちたいと思っています。家具を直せるところ、今、ほんとないんです。「いい家具ずっと」という覚悟なら、「直せないと」と思います。また、直すための道具や素材も残るにふさわしいものじゃないと、と思うんです。だから、使う道具やそして、素材(例えば椅子生地)もとても質の高いもの、そして、ずっと残っているものを用意しています。

この田園風景が広がるところにあるお店ですから「もっと手に取りやすい価格」を期待してご来店される方も多いかと思います。ごめんさない、ちゃんとしたのしか置いてないんです。そして、そのちゃんとしたものが欲しいとご来店頂く沢山のお客様のおかげで、なんとか続けられています。これまでのお客様がお買頂いた時の気持ちを大切にこれからも続けていきたいと思います。久しぶりにご来店頂き「変わったね」と思う時、「良く変わったね」と言われるよに、これからもがんばりたいと思っています。

8月の旅行

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皆さんも同じかと思いますが、8月になると戦争で尊い命を亡くされた方への思いがなんとなく溢れてきます。桑名市で日本に落とされた原爆に関する写真展が開催されていました。ちょっとものたりない内容だったので、思い立って家族と広島に行ってきました。

平和記念公園には高校生の修学旅行で行った以来だったので、30年ぶりの訪問でした。原爆資料館は改装中で展示が少なくなっていたのですが、それでも子供に語るには十分の内容がありました。子供にとってはちょっときつい写真や展示もありましたが、それくらいがちょうどいいと思いました。

戦争を思い出す時、いつも「精神論だけがはびこり、責任のなすりあい」というのが頭に浮かび全然離れません。戦争なんてだれもしたくないと思うんです。国家が大義名分のもと大量殺人を企てることなんて、普通に考えたら絶対しない。限られた資源の奪い合い、経済圏の拡大、宗教間での軋轢がだいたいの戦争が始まる原因です。第二次世界大戦の終期になると、その原因とは離れたところの精神論だけで戦っていたと思うんです。赤紙と言われる召集令状がやってくると、近所の人が集まって「万歳」をしたと僕の母が言ってました。戦争の時、僕の母は小学生でした。

さて、この前の妻からの話ですが、お盆のお墓参りに行った時に、「車のあて逃げ」に遭遇したということです。お年を召した男性が、がっつり自分の車を隣の車にあてて、確認したあと「逃げた」ということです。お年的には多分戦争体験がある方なんじゃないかと思うんです。いろんな理由があったかと思うんです、逃げたの。でも、最終的に逃げることに決めたのは「言わなければ分からないから」だと思うんです。対物保険に入っていなかったからとか 、急いでいたとかあると思うんです。でも結果逃げた直接的な理由は「見てないから」だと思います。

中央とはずっと離れたアジアの僻地での戦火で戦った兵士達、中央からの命令なんてやってこないと思うんです。精神論だけで戦ったのだと思います。誰も直接的な命令を出していないので、具体的な責任を問われた時に、上部の人は「いや、私は命令を出していない」と言えると思うんです。また精神論とは別に生き残る為に、敵地で敵軍の人に遭遇したら、撃たれる前に撃つと思うんです。現場では精神論と生き残るための戦いが戦争なんだと思うんです。誰も見ていないところでの判断がものすごく多かかったのだと思うんです。誰も見てないところで、正しい判断ってどうやってすればいいんでしょうね。

先に当て逃げをしたお年を召した方、多分、究極の選択を迫られた時には身勝手な選択をする人なんだと思うんです。それって、その人が悪いのかな、と思うんです。その人が生きる過程での教育がそう結果付ける教育になっていたんだろうと思うんです。そうなると、究極的にはその当て逃げをした本人には責任はなく、その人を教育した人や社会になっていくような気がするんです。現実的には当て逃げをした人が罰せられるので、責任の所在がはっきりせぬまま、また同じ教育そして社会で育った人は同じ当て逃げをすると思うんです。

自尊心を捨て、周りの目を気にせず、誰も見てない状況で、正しい判断をする人を育てる教育や社会ってどう作ればいいのでしょか。「当て逃げ」と「戦争」、規模は大きく違いますが、責任の所在を誰も知らない人に押し付ける行為としては同じような気がしてならないんです。

子供には普段から「自分で自分の所業について責任を取れるようになったら大人だよ」と言い聞かせてます。当て逃げの現場には妻、そして同じ車には子供達も乗ってて、逃げる大人を見ていました。戦争の悲惨さを知らせる資料館も見せました。共に「所業について誰も具体的に責任を取らない過ち」だと思うんです。どうのように僕らは子供達に説明をすればいいんでしょうか。僕が言えることは「大人も間違うんだよ。責任を逃れたいと思う時があるの。」なんですね。そこには「大人」じゃない大人がいることを子供に伝えないといけないんですね。責任を逃れた「大人」じゃない大人へは僕は大声で、「その間違えから傷をつくのはいつも子供だぞ」です。大人だって間違っていいし、間違ちがうのです。責任から逃れたくなる時はあります。小さな間違いを繰り返し、その間違いの責任を取り続け、次は間違わないように何度も必死で修正する姿を子供達に見せてあげて欲しいと思います。修正する必死な大人の姿を見せてあげないと、次の世代でまた悲惨な何かが起こる気がしてならないんです。

夏休み

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このブログを書き始め10年以上が経ちました。以前は週に何度もアップしていましたが、最近は月に一度程度しかアップができないスケジュールになり、楽しみにしている方がいたら申し訳ありません。なんとなくもっと続けてたいと思っています。これからもお付き合いをよろしくお願いします。

キャンプも様変わりしたものだと、最近キャンプに行って思いました。僕がまだ小学生の頃や大学生の頃は、キャンプと言えば「不自由を楽しむ」そんな雰囲気があったんじゃないかと思います。探せばまだこういった場所はあるのかもしれませんが、そのほとんどは経営的に厳しくなっているんじゃないでしょうか。他に快適な場所ができて、そちらに人が流れているんじゃないかと思います。

自分に鞭打って、切磋琢磨して、自ら道を切り開き、自分に対して厳しい人って昔、結構多くいました。その人達は今は経済の一線で経営者になったりして、この経済を回しているだと思います。ものが溢れる時代になり、サービスでの勝負の時代に入ってもう何年も経っています。敏腕の厳しい経営者は世の中よく知っているから、自分自身は毎日水風呂で十分だと思っていたとしても、経営のために顧客には温泉を用意します。敏腕経営者だから、しかもとっておきの素晴らしいサービスと共にある温泉を提供します。温泉があったら人が来た、そしてその温泉の効能がああだからとかこうだからとかで人が来る時代はとうの昔に終わっています。温泉に治癒を求めてやってくる人達の数はぐっと減り、癒しを求めにやって来るわけです。治癒って、今なんていろんないい薬があるからね。敏腕経営者はこんなこと当たり前のように分かっていて、どんどん施策を打って来ます。

僕ね、こういったサービス、断ってもいいと思います。例えば、温泉にタオル忘れた。そうすると、温泉のフロントで「どうぞお使い下さい」とかね。あるところはもう手ぶらで温泉に来て下さいとかになってる。フロントに「タオル忘れたの」というと「あれ〜、どうしましょうか・・・・」とか「あっ、そうそう、この前タオルの忘れものがあったら、それ使ったらどうですか?」とかが昔のコミュニケーションだったんじゃないかと思うんです。今の敏腕の経営者の時代は皆そうだったと思います。

サービスを皆が断り出すとそのセクターで仕事をしている人が食べれなくなっちゃう。製造業がどんどん海外に出て行っちゃって、技術の進歩が進み、昔あれだけ必要だったら人は今は必要なくなってます。その溢れた人がサービスに従事する姿はどこの先進国でも同じです。この日本も例外ではありません。食べれなくなると、その会社もダメになるし、そうすると国の税収は減ります。お金がなく直せないからもっと壊れる橋が出て来る訳です。

今は当たり前のサービス、以前はお金で買わなくていけなかったものの多いです。富裕層だけが受けれていたサービスを今は一般の僕でも受けれるようになっています。

無料のサービスが多いところをネットで探し当てることができる時代になってます。「あそこは、こんなサービスがあったよ!」とかの書き込みで人が溢れます。

ただね、一度いいサービスを受けると、僕も含めてそれが「スタンダート」になっちゃうんですね、心の中で。だから、それをくれないところは「ダメなところだ」になっちゃう。人ってわがままです。iPhone の機能もそうです。一番最初についてた機能だけで十分でしょ。でも、どんどんいいサービスが付いて来ます。それに慣れちゃうともう最初のiPhoneに戻れない。あの画素数の少なかった画像にはもう戻れないんです。

こうも、いろんなサービスが進むと「シンプルが一番だ」との流れが現れます。ありますよね、そんな雰囲気。これって、複雑なサービスがある社会だからある現象です。だって、40年前って、シンプルしかなかったからね。それでも、40年前でも「もっとシンプルに」なんて考えている人は沢山いました。

多分、何年も経つと自動運転が始まります。「シンプル」ですよね。しかも、今の車の価格で買えるようになります。いいんですか? 事故が減る、そして環境に優しい。そうだよね、間違いない。でも、事故の原因って運転手の疲れだったり、飲酒であったり、そこんところ改善しないで、自動運転っていいの、って思っているのは僕だけじゃないと思います。分かってますよ、製造業が衰退していくこの国で雇用を創出するのは技術の革新ってこと。

この国はもともとミニマリズムです。資源の限られたこの国ではシンプルに生きることは太古の昔から推奨されています。今流行りのミニマリズムは日本の真骨頂です。そのシンプルの生活の中で規律と自己鍛錬で生活していたのが本来の日本の姿です。あまり語らず、忖度で物事が進むことが本来のこの国の姿だと思います。

もの、そしてサービスが溢れていることはなんら悪いことではないと思います。ただ、この国の本来あるミニマリズムを感じながら進んでいけばいいと思うし、それがこの国のアイデンティティーなんだと、多くの人が思えば、僕全然、将来心配しない。

キャンプ場で息子が「魚がいない〜」って叫んでました。だから、魚を放流して「つかみ取り」じゃなくて、図鑑出し、魚の説明をして、だからここにはいないんだよと教えてあげる丁寧さがもしこのキャンプ場にあれば、来年も来たいと思います。「魚の放流始めました」的な流れあるでしょ、なんとなく。そのサービスは拒否していきませんか。

ライフスタイル展と恐竜博物館

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もう1ヶ月も前の話になりますが、東京ビックサイトであった「インテリアライフスタイル展」に出展をしておりました。Sibast FurnitureとDanish Art Weavingをより多くの販売店の方にご理解頂きたくの出展でした。また出展する機会があると思っています。両ブランド共なんとなくその存在をご理解して頂ける機会が多くなってきたように思っています。デンマークからはヘルゲシバストの孫のディトレヴシバストとその妻のアナに来てもらって、色々助けてもらいました。販売店さんを訪問したり、そして会場では訪問して頂いた方とお話をしてもらったり、出版社へのインタビューやご挨拶をさせて頂いたり、めちゃ疲れて帰ったと思います。僕は僕で、彼らのアテンドやその他のお仕事との共務で、疲れちゃった。共にいい経験ができたと思っています。Sibast Furnitureについては、徐々にですが販売して頂ける販売店さんも増えて来て、嬉しです。僕らの規模やブランドの規模からすると、それほど販路を広げることができないのです、正直。「もっと買ってください!」と言いつつ、「ちょっと待ってくださいね」と言っているのが現状でして、変な感じです。ご興味を頂いた販売店さんにはじっくりお話をさせて頂いて、ちょっとずつ進んでいます。もっと早く進める方法があるのかな〜とか、もっといい方法があるのかな〜とか、色々考えながら、進んでいます。去年のちょうど今頃から国内でスタートしたブランドです。ブランド認知はゼロからのスタートです。ゼロからだからその比較は馬鹿らしいのですが、来年もそしてその次の年も「なんとなく去年と比べると認知度は進んでいるよね」と言っていられる状況を作っていけたらいいなと思っています。

Sibast Furniture、いいブランドだと思います。奥に入れば入るほど、中身がないブランドってあきちゃう。そのブランドを担っている人の人柄によると思います、結局。色々言ってるけど、結果「あなた、お金儲けしたいだけでしょ」って思う人がやってるブランドはやっぱりダメだと思う。あと大きな借金かかえて始めちゃったブランドもダメだと思う。余裕がない。「お金が欲しい」が透けて見えちゃう。日本の市場規模を見て前のめりになってしまうんですね。日本の購買力って今だに世界トップレベルです。だから厳しいよ、見る目が洗練されてるから。この国の購買行動の成熟度は他の国を圧倒していて、他の国の人はちょっと理解が難しいと思います。購買行動だけ見ると、デンマークとの成熟度は雲泥の差です。新しい経済学や行動経済学を作り出す源になっている国なんです、日本って。商売に非常に高い道徳が求められる、とても稀有な国でもあります。ブランドを進める上で道徳的に間違っていないかどうなのか、ものすごく大切な部分です。Sibast Furnitureの責任者が持つ道徳と日本の道徳は合っていると思っています。これからも、伝え続けたいと思います。そんなことが僕の仕事だと思います。

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先日家族で行った福井県にある恐竜博物館の前でポーズを取る次男です。「家族が興したブランド」と言いつつ、家族をないがしろにしている人がその責任者だったら、引きますよね。こういったところも道徳です。そういったブランドを扱っているからっていう訳じゃないですけど、家族をとても大切に思っています。ただなんでもかんでも家族が優先だっていう考え方は僕にはありません。例えば、お客さんとの大切なミーティングあり、その時ちょうど家族についての急用ができたとします。訳もなく「家族との時間を大切にしたいんで」とミーティングを断わることは絶対にない。家族には普段から、僕の優先順位は長い目で見た時のその影響力でいつも決まると分かってもらっているつもりです。長い目で見てフェアな判断をいつもしたいと心がけてます。間違ってる時もあると思います。でも、そのことにいつも注心していると家族に分かってもらおうと努力しています。うまく行ってるかどうか分かりませんが。「今日、仕事で嫌なことがあったから、朝言ってなかったけど、今から友達と飲み行ってくる」とかは、僕、昔からしないんです。「仕事で嫌なことあったたら仕事で取り戻せと」自分に言い聞かせ、「今日の仕事がうまく行かなかったからって家族との時間を減らすなんで、優先順位が間違ってるでしょ」って厳しく思ってしまうタイプなんです。家族との時間を減らす前に、仕事の質と効率を上げるためにもっと勉強するとか、戦略を考え直すとか、色々できることがあるとが思うんです。

脳にある情報ってすべて過去のものです。だから、僕らの行動とか言動って、かならず過去の情報がベースになってます。今この時間も次の瞬間、その次の行動を決めるベースとなります。今の行動は積み上がったもののほんの表層にすぎない。だから、過去のその人の行動を見ると、その人の将来が予想できちゃう訳です。「私こうだから」とか言ってる人いるけど、ばかげてる。それ変えたければ、今から脳への情報を変えればいいだけの話です。必ず変わります。他の臓器と違って、唯一細胞が入れ替わらないのが脳なんです。人間の体の中で唯一積み上げが可能な機能が脳です。積み上げたものは病気や老衰や怪我でないかぎり、なくらないない。家族への思いを具体化したいのなら、社会の中での家族との姿を思い描きどんどん脳に情報を与え続け、社会の中で生きる自分と家族との接点を模索し続ける姿こそが僕が理想とする姿です。もしその中に家族がなく、まずは自分の社会の中での存在を探すことに優先順位を置いている人がやってるブランドとは仲良くできない。絶対にできない。Sibast Furnitureをやっている人はそんな人です。だからうまくやっていけてるんだと思います。

フィンランドとアールトと女性の権利

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ちょっと暖かくなって、それを通り越して暑くなってきて、その気温の変化になんとなく身体が付いていかない、そんな季節です。5月この中部地区では最高の季節だと思っています。新緑が生い茂り、湿度も低く、日差しもなんとなく優しい、そんな感じです。カルフォルニアのLAを思い出させてくれる季節で、なんとなくカルフォルニアに住めたらな〜、なんてありもしないことを少しだけ妄想したりします。

アルテック(「Artek」)の家具のお取り扱いを開始しました。ですが、HPにセクションがないので、コンフォートマートがArtekの扱いがあると全然広まっていません。新しいブランドの取り扱いをする時、基本的にその生産工場に行くことにしているのですが、所用で今回は行けていません。来年くらいには行きたいと思っています。そのぶんアルテック関係の書籍で知識をカバーしようと思い読書に励んでいます。色々な北欧ブランドのお取り扱いが増えたので、北欧家具が世界で注目され始めた40年代、50年代の時代背景だったり、経済背景に明るくなり、本を読んでも理解にあまり苦しまなくなり、初めてのブランドの話もなんとなくすっと頭に入ってくるようになってきました。

Artekは4人で創業されています。その4人は芸術/美術の評論家、資産家/芸術のパトロン、建築家、そしてその建築家の妻です。芸術/美術の評論家は1940年代に戦死しています。建築家の妻は1940年代後半に病気でなくなっています。パトロンと建築家が残りましたが、会社経営には向いていなくて、別の人が経営者としてArtekの舵取りをすることになりました。60年代、70年代は他の北欧家具メーカーと同じく厳しい経営を余儀なくされ、80年代、そして90年代は少し持ち直し、現在に至っています。4人の創業者の中で一番有名なのがやっぱり、建築家のアルバ・アールト、そしてアルバを支え、デザイナーとしても活躍した妻のアイノ・アールト。アイノの経営センス(特に「コミュニケーション」)はピカイチで創業時のArtekの舵取り的役割をしていました。

書籍を読み進みと、昔(といっても、1920年代なのでまだ100年程度前)のフィンランドの生活習慣を垣間見ることができて、とても面白です。アールトの母親は彼が10歳の頃に病気でなくなっています。 後世、彼は講演の中で何度も亡くなった母親のことについて話しています。そんなところを見ると、母親の死は彼の人生に大きな影響を及ぼしているんだろうとなと思います。母親が亡くなってから1年も経たないうちに父親は母親の妹と再婚してるんですね。アールトは「心の支えになった」と言ってます。

いろんな「?」が僕の頭の中に浮かんできたんですね。「再婚、はやっ」「えっ、で、妹と?」「不倫してたの?」「子供達も『安心した』って、どんな心境なの?」「近くに住んでたの?」「妹さんって、いいなりなの。それとも、相思相愛だったの?」「そういうシステムなの、その時代?」「女性の権利って守られてたの?」とか。

それから、なんとなくその当時のフィンランドでの女性の役割が気になって、そんなことを思いながら本を読み進めています。

アールトの父親が子供の世話をしていたという形跡がまったく書籍からは垣間見れません。むしろ、母親だけが子育てをしてる感じ。これはアールトの妻のアイノも一緒で、アールトが子育てをしていた形跡がまっくない。アイノだけが必死で子育て。Artekから出ている子供用の家具、アイノがアールトのデザインからヒントを得てリデザインをしたものばかりです。1909年にヨーロッパで初めて女性の被選挙権が認められたフィンランドですが、家庭の中は何も変わっていなかったんじゃないか、そんな気になりました。つまり、男性はそのまま仕事に熱中、妻は子育てしながら、そのまま社会に進出。増えたのは女性の仕事だけ。男性はそのまま、変わらず仕事だけ。アールトの父親、ほとんど毎晩友人知人が訪れ、お酒を飲みながら政治的な議論をしていたと言います。そのお酒と肴を出していたのは、多分、母親だと思うんです。

本を読んでいる限りフィンランド、今はどうだか知りませんが、当時、女性の地位確立って相当難しかったんだろうと思います。創業者の1人である資産家/芸術のパトロンのマイレア・グリクセンも女性です。フィンランドの大会社「アールストローム」の創業者の直系です。びっくりするほどの資産家です。彼女は当時の女性としは希な人生を歩んでいて、大資産家の娘として生まれ、高い教育を受け、芸術にも秀でて、その芸術を目を持って、アールト夫妻を含め色々なデザイナーのパトロンをしています。独立性の高い女性として他の女性からは羨望の眼差しで見られていたんじゃないかと思います。多分ですが、資産家ですから当然、政界にもルートとあったと思うんです。こういった女性の働きもあり、フィンランドの女性の地位確立って現在にまでなっているんじゃないかと思います。

写真は無邪気に氷を食べている子供達です。全員男の子です。彼らが大人になるまでに、私達が大人になる過程で体験した以外のことも沢山体験するんじゃないかと思っています。両親が健康である家庭に限って言うと、僕たちの世代は「母はうち、父はそと」、こんな方程式が当たり前だったんじゃないかと思います。僕たちの子供が働く年齢になる頃には、そんなことは完全に過去のことになるんじゃないかと思います。そうだし、そうならないといけないんじゃないかと思っています。「母、父、それぞれ有機的にそととなか」になるんじゃないかと思います。残念ながら、僕たちは小さい頃、学校で「女性は家庭に、男性は会社に」と教え込まれた世代です。社会は男性によって築かれていると洗脳されています。

夜、お酒飲みに行きますよね。その中にいるほとんどのお客さんは男性です。「女性もお酒飲めよ」っていうことでなく、「『酒場に男性が大半』という状況っていいのかな?」と疑問を持ちながら、お酒飲んでいる僕ら世代の男性ってどれだけいるんでしょうか。この田舎の地元の友人の中でそう思っている者って誰1人もいないです。また、僕の友人の中でそれでいいと思っている女性が多いのも確かです。僕らが学んできたこと、そして教えてもらって来たことが、もうワークしない世の中になっていることって、どうしたら分かってもらえるんでしょうか。

アールトが何かの講演で「小さい頃に多言語の中で教育を受けたことは、人生の中でもっとも価値のあることだった。ものごとをまず『それって正しいの』っていう疑問の目で見る考えが養われた」って言ってます(彼の育った街では、フィンランド語、スウェーデン語、そしてロシア語が話されていました)。このお店を始めるずっと前、多言語の人が入り混じる、そんな街、国になればいいなと思っていました。なんとなく、そうならない雰囲気です。特に田舎ではそんな感じです。

アールトが少年時代を過ごした100年前のフィンランド、そして今のフィンランド。女性の地位確立はどう変わったんでしょうか。良くわかりませんが、多分日本よりも進んだんじゃないかと思います。それは、多分ですが、アールトの言った通り、多言語の文化の中で生活をしてきた国だから、上手く行ったんじゃないかと思います。「世間一般に考えられる男性/女性の役割分担ってそれでいいの?」っていう考えが多言語国家で育まれたんじゃないでしょうか。でもそうじゃない日本はこれから先どうなるんでしょうね。子供達の時代が楽しみです。多分、天国で僕は見てるんだろうと思います。

次に使う人のために

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昨日クルマの中でラジオを聞いていたら、動物が糞をする平均時間について言ってました。12秒だそうです。で、DJが人間だったらという話で「WiFiがあれば25分くらいかな〜」って言ってました。ちょっと笑ってしまいました。こんなところにもITの影響が出てるんだなと違う角度でのIT化を目の当たりにした瞬間でした。

この前、義父とお酒を飲みました。税金のお話になりました。僕も前々からおかしな話だなと思っていたのですが、どうして税金に税金がかかるんだろうと。不思議な現象です。これまで色々な外国に行かせて頂いていますが、こんなにお酒が高い(酒屋さんなどで)国はどこにもありません。デンマークしかり、アメリカしかり、ドイツしかり、イタリアしかり、タイしかり、韓国もしかり、そうだった。その国の物価によるところもあるかと思いますが、日本のお酒が高い1番の大きな理由の1つは税金です。税金が僕たちが払う金額の中に含まれています。間接税と呼ばれるものです。で、レジに行ってお支払いをする時に身近な直接税である「消費税」を支払います。8%。税金に税金がかけられています。この国では当たり前で昔からそうです。

一方、デンマークを見てみましょうか。消費税は25%。でも酒税はかなり安い。それでも、税金に税金がかかってる。税金に税金がかかっているに変わりはありませんが、それでもかなり安い。スウェーデンはデンマークより酒税が高いので、スウェーデンの人はデンマークに出掛けた時にアルコールを沢山買い込んでくるんだとか。現地の人とお酒を飲んでいる時によく聞く話です。ともかく、酒税が安いので海外ではアルコール飲料が安い。

僕ね、この国もっとはっきりすればいいと思うんです。この国は消費税の他にたんまりと他から税金を取ってるよって。たまに、諸外国の消費税から比べるとこの国の8%(今度は10%)の消費税はそれほどでもないってことを政治を司っている人たちから媒体を通して聞いたりします。そうだよね、確かに諸外国から比べると相当安い、消費税だけを見ると。総量の問題です。総量は相当もらっていますってなんで言ってくれないんでしょうか。

デンマークは住んでいるいる人が世界で一番幸せに感じる国だとよく聞く話です。幸せって人によって定義は違うと思うんですけど、僕はいつも幸せって「君が必要だよ」って自身の存在意義を感じれることだと思っているんです。自分の存在意義を周りの人達から認めてもらうことって、人生にとってとても大切です。この存在意義が完全に否定されると、人は最悪の場合、自らの命を断つことでその存在意義を周りに示そうとします。最悪でしょ。でも現実問題として、こうなんです。その国の幸せは、その国ために自分が役になっているかどうか、ここにかかっていると思うです。税金が安いから幸せか? 住むと自動的にお金が口座に振り込まれる国(そんな国はありませんが)が幸せか?ないよね。

デンマークの人々がその国に住んでいて幸せに感じる理由は、「自分の存在や働きは自国のためになっていると思う意識の高さ」だと思うんです。それは、例えば税金でもそうです。はっきりしてる。誤魔化さない。ものの価格と税金をはっきり国民に示す。国民が納得する税金にする。そして全国民が一律で支払う消費税率を決める。そしてその税金の行き先をはっきり示す。デンマークは資源がなく(今は北海油田がありますが)、ひよわな土で作物が育たない、気候も農業に適していない、基本的にものすごく貧乏な国なのです。人はその中で生活をしていかないといけない。皆が協力して国力を上げていかないと国が、そして家族が路頭に迷ってしまうのです。日本には天然資源があった(いまはコストが高すぎて利用できない)、四季があり農業に向いている、いい土が沢山ある。デンマークとは大きくそのベースが違うので、同じことはできないと思うんです。でも、日本は人口減でこれまで培ってきた国の資源を使ってもやっていけない時代に入ってきます。だからデンマークのモデルを使うのか、なんてことは必要ないと思うです。

ただ、みんなで力を合わせてやっていなかといけないと思うんです。かつてデンマークがやった、「やらないとこの国の将来はないよ」ってはっきりしてるんだから、もっと政治は国民に訴えかければいいんだと思うです。

もうすでに、言ってるかもしれない。でも届いていない。いや、そうじゃないんですね。僕たちが聞く耳を持っていなんです、相当やばいんだって。だって、実際、街中で食えなくて死んでる人見たことがない。でも、それが現実となる時代に入ろうとしていることを僕達は気付いて、政治に関わっている人達の言っていること、やっていることを丁寧に聞いてあげないといけないと思うんです。彼れら、彼女らも相当になると思います。政治をする人の質はその国民の鏡だと、よく言われることです。僕らの気付きが甘いから、ぼやっとした感じの政治家がふえちゃう。僕らが先です。常にキャスティングボードを握っているのは僕達だと、真剣にこの国のために知識を増やさないといけないと思っています。

先日、次男に僕が学生の頃によく被っていたキャップをあげました。そしたら、長男が「僕も〜」って言ったので別の帽子(これもよく学生の時に被っていました)をあげました。次男も長男もよく似合う。嬉しくてたまりません。よく考えたら、「あっそれ、お父さんも小学校の時に使ってた」とかはよく言ってましたが、実際僕が使っていたものを子供達が使ったのは初めてかもしれません。帽子、基本的に全てに思い入れがあります。ほとんど毎日被っていました(今は全然似合わないので全くかぶりませんが)。帽子のほとんどは僕が通った学校のロゴが入ったものです。思い入れがあるものを使ってもらうってこんなに嬉しいんですね。次に伝えるって考えていなかったですけど、次に伝えるために生活の選択することって、この嬉しさからすると、そうしたことへの自分へのご褒美になるし、僕の存在意義を周りの人が認めてくれったていう幸せな気持ちになります。いい選択をして、次世代にいろんなものを繋げることが多い国程、その国の幸せ度合いは高いのかもしれない。そんな国にしたいと、今日も正しい選択をするために正しく生きたいと思います。
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