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人手不足です。ていうか、僕がもっとがんばればいいだけのことかもしれません。でもたぶん、それでもこれから数ヶ月経って、「やっぱり、相当やばいね」となるんじゃないのかなと不安です。お仕事を一緒にして頂ける方、そっと心の中でずっと探してます。HPでも募集告知をしていますが、もっと大きく募集をしなければいけない状況なのかもしれません。

僕はもう10年もすれば、口だけ達者なおじいちゃんになります。今からここでお仕事をしてもらう人は、 僕が次の世代へとバトンタッチした人と一緒に長くお仕事をして頂ける人でないといけないんだと思います。少ない人数しかいない会社なので、お互いにじっくり時間を掛けて合う合わないか判断できる、できれば学生の時からお付き合いができればいいなと思ってます。どうなんでしょうか。興味があれば是非お声掛け下さい。

子供への教育がよく話に出ますが、みなさんも知っての通り、ほとんどの場合、子供の教育水準は親の教育水準と比例します。本を読まない子供から本を読む子は育たないと思います。信号無視して車を乗る人の子供はやっぱり信号無視をしがちです。語学が苦手な親からは語学が堪能は子供は育たない。いくら「外で遊びな」と親が子供に勧めて、うちで遊ぶことが好きな親の子供はやっぱりうちでの遊びが好きなんだと思います。

以前に何度も書いてますが、なんでこの国の学校教育は年齢通りに進まないといけないシステムになってるんでしょか。地域になんで、大人を受け入れくれる、文科省認可の高等教育機関がないのでしょうか。地域の住民がお金を出し合っての、大人のための大学や短大、そして専修学校を作れないのでしょうか。子供の教育よりも、誰も知ってますが、大人の教育が先です。この国には大人が真面目に時間をかけて勉強できる機会が少なすぎる。例えば地域で作るコミュニティーカレッジで単位を取得し、それを4年制大学に持っていけるシステムとかがあればいい。地域のコミュニティーカレッジから東大やハーバードやMITに行ける道があっていい。なんで、こうも大人への教育が閉ざされてしまっているんでしょか。そこに、若い高校を卒業したての学生が来てもいいし、そして単位だけ取って、4年制大学に持っていければいい。移民した人、外国籍の人も受け入れて、多様性になればいい。そんな高等教育機関で大人が成長したら、そしたらきっとこの国に、考えられないようなはすごい子供が育つんじゃないかと思う。他の国からもどんどん人がやってきます。「もう一度やり直せる」と、大人に活路が生まれると、「地域に任せるんじゃなくて自分達でまずは頑張ろうよ」と、もっと社会作りに積極的になるんじゃないかと思うんです。

これは僕がもう25年も前に経験したアメリカでの教育制度です。あの国は、日本と同じくらいいっぱいの問題を抱えています。でも、「がんばったら大人でももう一度やり直せる」っていう教育システムが整ってる(どの世界にいっても、健康ならがんばらないとダメです)。「がんばったらやれるぞ」って社会じゃないとダメだと思うです。そしてその頑張りは色々な方向を向いてていいと思うんです。色々ながんばりがあるんだよと教えるの高等教育機関の存在意義であるべきです。

今日、もうすぐ行われる自民党の総裁選の討論を見てました。なんだか、「闇だな〜」って思っちゃった。だって、ぜーんぶ国がしてくれるって言ってんだもん。その制度にめちゃお金使う訳です。で、その制度から外れた人に回るお金はもう残ってないのね。「頑張りの評価基準が国が作る制度に沿っているかそうでないか」ってなるじゃん。吐き気がしました。評価基準が国の制度に沿っているかって、言葉にすれば誰でも滑稽だと思うと思います。でも、事実はそうなってる。大人が仕事を辞めて、大学戻れるのかよ、この国は。子供が3年間学校行かずに、アフリカで畑を耕すのがいいと大声で言ってくれる大人がこの国にはどれだけいるんだよ。この国の制度が嫌なら、他の国に行けばいい。その通りです。でも、それでいいのかな。総裁選を見てて、「大人、もっとがんばれよ」って思っちゃう。彼らがこれから僕らにしてくれることを評価するんじゃなくて、どれだけ、僕たちに社会を作る権限を与えてくれるのかを判断できる大人が増えれば、もっともっと子供も楽しめる総裁選になるんだろにと思います。そのためには、違う文化、考え方、肌の色が違う人、世界には僕らの知らないまだ見たことのない評価基準がものすごく多く存在してる、そう大人に教えてくれる教育機関がないとダメなような気がします。子供ファーストであるなら、まずは大人から。大人が変わらないと。