130830_tamagoyakiron

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改訂履歴
2013/08/30 初版
2016/02/25 読み辛い箇所を修正
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サッカーの話題を取り扱っているくせに、サッカーでこの手の話をやってしまうと、どうも堅苦しくなってしまうので、今回は、サッカーを玉子焼きに置き換えて書いてみたいと思います。


玉子焼を食べようとする時、調味料は何を選択するだろうか。

醤油、ソース、ケチャップ、、、etc、何もつけずにそのまま食べる人もいる。

よくある話で、醤油派の人はソース派の人を否定したりするし、ケチャップと言われると不意をつかれて驚いたりする。

調味料の否定のし合いなんて、傍から見るとくだらないものだし、正直、どっちでも良いじゃないかという話でもある。

ただ、好奇心を絶やさずにいれば、そういう食べ方があるのか!と気づきを得ることができる。試してみて、ダメなら原点に戻ればいいだけの話だ。それは別に悪い事でも何でもない。 ソースはとんかつにかけるものでしょなんて言わずに、この人はソースなんだなと認識すれば良いだけの話だよね。

でも結局、どちらかを否定する人も、玉子焼きを美味しく食べたいと思うからこそ真剣になるのだと思えば、否定する気持ちを責める気になれないし、分かって欲しいなという気持ちはあるけど、最後は、まぁ自分なりに美味しく食べられればいいやと思うようにしている。

面白いなと思うのは、調味料の選択は地域性が出たり、育った家庭や大人になって出会った味で変わったりすることだ。

ちなみに私の実家は、父が東京出身でソース派、母は新潟出身で醤油派なので食卓には2つの調味料があり、別に好きな方かければいいじゃないかというスタンスだった。

そんな家庭に育ちながらも、私の場合は、友達の家が養鶏場をやっていて、そこで採れた卵で美味しい玉子焼きを振るまって貰う機会があったので、普段からあまり調味料はつけないし、新しい場所で玉子焼きを食べる時は、最初の一切れは、何もつけずに食べるようにしている。

そして今、沖縄にいると、玉子焼きにはケチャップが定番だ。

とにかくトマトが嫌いな私には抵抗があったのだけれど、食べてみるとそれはそれでありかなとも思うし、嫁が沖縄の人で、いつも食卓にあるので何か自然と慣れてしまった。

何が言いたいのかというと、調味料の選択も結局玉子焼きを美味しく食べる手段の一つなのだ。好奇心を無くさなければ、もしかしたらまだ最適な調味料があるかもしれないと探してみたくなるし、方法を知ってる人に会って話を聞いてみたくなる。

先に言ったように、美味しい卵で玉子焼きを作ると、何もつけずに食べる事ができる。なので良質な卵を探しまわる人もいるのかもしれない。それはそれでとても面白い。

でも、ごくごく一般の方は、最寄りのスーパーの卵で、美味しい卵焼きができる事を知っている。それがとても身近で安心する味だったりする。

焼き方に拘りたい、いや柔らかさに拘りたいと、調理方法に拘る人もいるだろう。自分で作りたい、プロの料理人の基本だよと言う人もいるだろう。いつまでも食べる側でいたい。料理なんかできない。それもありだ。

一人で食べたい人もいれば、大勢で食べたい人もいる。誰かにうんちく語りながら食べたい人もいれば、食事の時には喋らないという人もいる。

玉子焼きが好きだからこそ、食べ方の発想や、味の想像や、関わり方の発想ができる。それに関わる色んな事を考えることができる。

ただ、カレーが嫌いな日本人がいるように、もしかしたら玉子焼きを食べた事が無い人がいるかもしれない。

そんな時、どうやって玉子焼きをその人に勧めるか。

初めから素材を説明し、調理法を説明し、これがいかに素晴らしいものかを伝える方もいるだろう。普段家庭で食べている物を、家族の食卓に招いて出す方もいるだろう。

どちらが良いかじゃないし、別に自分が思う通りにすればいい。一生懸命に良かれと思ってやっている事だ。否定しちゃいけない。

私自身はどちらかというと、より大勢で、輪になってバカ話でもしながら勧めたい。否定する人と、フォローする人がバランス良くいるような集団で、ワイワイとそれを食べる時間も楽しみたいと思うタイプだ。

だからって、けして一人で食べたい方を否定はしないし、邪道だなんて言わない。そういう食べ方があるということを認識し、できるだけ尊重したいと思っている。

だって、それぞれが美味しく玉子焼きを食べられれば良いじゃないか。

ただ、それがいかに素晴らしいものかという伝え方でダメなら、身近なものだと伝えるアプローチに変える柔軟さは持っていたいし、その他の選択肢を提供できる引出しを持ちたいと思っている。

だから、調理法から、食べ方から、否定をせずに万遍なく知りたいと思っている。

なぜなら、それぞれに合うやり方で、美味しい玉子焼きを相手に食べてもらいたいからだ。玉子焼きの良さを伝えたいし、共有したいからだ。

そもそも、玉子焼きを知らなければ素通りしてしまうし、興味が得られなければ手を出してもらえない。


それだけは嫌だと思っている。


そして、玉子焼きは、高級料亭にいかなくても、居酒屋で、家庭で食べられるものだし、素材にこだわらなくても、最寄りのスーパーの卵でも十分に美味しい物は食べられる。


玉子焼きは身近な物だと伝えたい。


たまたま食べに行った玉子焼きが不味かったとしても、気の合う仲間といれば、楽しい時間を過ごせたりする事もある。
いや、色んな意見を出し合って、なんで不味いのか、どうやったら美味しくなるのかなんて議論したりもできる。

こんな事を考えてだらだらと文章にできるのも、それも、これも、玉子焼きがあればこそなのだ。身近なものだからなのだ。 

卵の素晴らしさを語る事ができなければ、玉子焼きは美味しく食べられないのだろうか? 


私は違うと思う。


大切なものである事に間違い無いのだけれど、当たり前のように、いつも朝食に並んでいて欲しい。

そして、食べる時は、作ってくれた人への感謝を忘れずに、美味しく食べたいと思う。


これが、いつもコミュサカが考えている事です。


※くれぐれもと、念を押しときますけど、玉子焼きをサッカーに置き換えて想像力を働かせて読んで下さいね(笑)


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