January 18, 2009

≡Tri.Atman≡ photo vol.84

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2008.11
直島




人間って足のシルエットだけで
男か女か区別つくよね。


January 13, 2009

□ネオトロピカリア ブラジルの創造力□

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@東京都現代美術館









展示の中でも、やっぱりこの写真が一番かっこいいと思った。
青みがかったフィルムの色と、よくわかんないマントと、Caetano Velosoの表情がかっこいい。
この写真の作者のHelio Oiticicaは他にも変なマントとヘッドフォンを
壁にただぶらさげただけの作品も創っていて、
これまたブラジリアンポップが流れてるかわいい作品だった。

しつこいが、ぼくはブラジルのカルチャーがとても好きだ。

高校生のとき、フランス語だと思って聞いてたボサノバがポルトガル語だと知ってショックを受け
高校の美術の百瀬先生にジョビンの話をしたら「ジョビンはブラジルの美空ひばりだよ」と言われ
それ以来ブラジル音楽をたくさん聴いていたら、結局大学の卒業旅行でブラジルに行く事になった。

バリバリに活躍してたミュージシャンが文化大臣になっちゃう国って、やっぱスゴいと思う。
ミュージシャンが文化大臣って、おいそんな直球投げて平気かよ、って思う。

ヘニョニョひんまがった球ばっか投げて生きてると、そんなストレートなやつらが羨ましくなってくる。
というわけで、あぁ羨ましいぜという意味を込めて以下に断片的な小話を二つ。

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# Story 1 #
展示を見て、こんな視点で考えてみた。

 1.今ぼくは日本で異国(ブラジル)の現代アート展に来ている。
 2.もし、ブラジルで異国(日本)の現代アート展に来ていたら、どんなことを感じるだろうか。

おそらく、現代アートの中にその国のアイデンティティを探す。てか、感じてしまう。
だって、1.においてはブラジルの多くのアーティストが鮮やかな色使いでどう考えてもジャングルを
連想させるような作品が比較的多かった。2.の場合は、果たしてそうか。うーん、どうだろう。
そういう意味では、1.は想定の範囲内のモノが多かった気がする。アーティストのバックグラウンド
(大自然やリオの貧民街や、多様な人種が入り交じった社会)を直に連想させる作品てのかな。
今回の展示の作品がたまたまそういうもんだったのかもしれんけど。なんていうかこう、
日本の作品とかだと見えないところにそういうものが潜んでいてそれがそこにこうして。。。
みたいな感じになりそう。

でも考えようによっちゃ、そういうブラジルの作品の原色の使い方に表れるように
なんかもう言いたい事が「出ちゃってる」「モロ出し」な感じが、ラテンのかわいいとこなのだ。


# Story 2 #
そんな「出ちゃってる」「モロ出し」なラテンの現象を、先日日本にて偶然にも体験した。

五反田のカフェにて友人と雑話をしていたら、なぜかとなりに座っているおじさん
(リャマの柄が入った編み込みのセーターを着ていた)も混ぜて話をする事になった。
おじさんはひげを生やしていて、もう70くらいになるのだけれど、すごく優しくぼくらの話に
入ってきてくれた。良く聞いてみると、おじさんは昔キューバとペルーに永く住んでいたらしい。
名刺をもらうと、「ラテンアメリカ研究家」と書いてあった。
すごい、ラテンアメリカ研究家はやはり着る服から常人とは異なる。モロ出しだ。

おじさんは、メキシコのストリートチルドレンを守るNGOに所属していて
「セニョール、今度新年会があるからおいでよ、ムチャチャボニータがたくさんいるから」と、
ムチャチャボニータの意味は性格にはわからないが、
とにかく語感からメチャメチャかわいいということはわかったので、絶対に行く事にした。
ムチャチャボニータなんてコトバ、モロ出しの代表格だと思う。

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January 04, 2009

◇自分の仕事をつくる◇

自分の仕事をつくる
自分の仕事をつくる



就職活動時にとある先輩からもらって、すごく大好きだった本を読み返した。

仕事と遊びの間の距離感を、限りなく近くしたい、というか言ってしまえば、
仕事と遊びがシンクロしちまって何が遊びなのか仕事なのかわからんって状況が、最近少し出来てきた。

会社って組織に入ると、仕事とプライベートを大別する概念を
勝手に押し付けられるからあぁ趣味と遊び心のない大人たちはだから困る、と思う。
何言ってんすかどっちもぼくの人生の中ではさほど大きな区別はなくて
全部が生きるためのシゴトなんですけど。って話で、今年度も突き進もうと、再確認した。



January 02, 2009

≡Tri.Atman≡ photo vol.83

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2006.11
China.??






2009もカピカピの人間荒野をどんどん耕すぞー!


えっさえっさ


October 31, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.82

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2006.11
China, Lhasa




二年前のそれとこれとじゃ、驚くほどに色鮮やかさもなけりゃパンチも効いてねぇ。
今目の前にあるものを穴があくほどぐっと凝視して、本気で考えて、真摯に事実を受けとめて、打ちのめされてぇ。


October 22, 2008

♪Let's Go EveryWhere♪

吐き出しますオェオェオェオェオェオェオェオェオェオー

先週iPodを買い換えました。かつての初代iPodをここ4年以上使用しており、今となっては肥大なボディのそいつに愛着を覚えてしまい手放せなくなってましたが、まぁやっぱりあまりに古風なのも機能性が全くないと不便なものです。Apple storeで細身のnanoちゃんに目だけ浮気したものの手もつけずに重厚なバディからものすごい母性を醸し出していたiPod classic 120GBを購入しました。

高校時代、国語の授業で「移動の時代」という文を読んだ記憶がある。中村光夫だっけ。若者がウォークマンを聞いて町を歩く習性について批判めいたことが書いてあって(外の世界の音を排除し壁を作り、コミュニケーションを遮断しているとかなんとか)、当時音楽をとにかくMDに録音して毎朝登校時間ウォークマンで聴くMD選びのために10分くらいかけていたぼくにとってはそんな批判されてもどことなくしっくりこなかったのを覚えている。
今でもその感覚は変わっていなくて、会社に着くまでの30分間何を聴くかによってその日のムードが全然違う。ここ半年、iPodが調子わるかったせいでずっと朝はラジオだったけれど最近別所哲也の声にも嫌気がさしてきたところだったのでちょうどよかった、好きな音楽聴くだけで自分のテンション全然変わってくる。

今朝はMedeskiのLet's go Everywhereを聴きました。
Let's Go Everywhere
Let's Go Everywhere

あまりにかわいい感じなんで、もうほんとにどこにでも行っちゃってしまいたいものです。まず、ジャケがくそかわいい。左下のオレンジのファルコンみたいなやつは、ものすごい幻想的だけど怖さを兼ね備えている。幼い子供にしか書けない絵だ、なんていうか、ガキの残酷さ(アリとかの虫を好奇心からめためたに殺したりする、アレ)が全面的に出ちゃった絵、みたいな感じ。MMWは10/31にガーデンプレイスでライブみたいです、どこにでも行っちゃってしまいたい人は行きましょう。

昨晩は偶然Richard Bonaのライブが抽選であたったので行って来ました。どうしてこうも人間のリズム感って違うのかな、ってなことをアフリカ人見て思って、アフリカ人アーティスト探しててたどり着いちゃったのはあたしものすごい好きなJohn Lulieでした。この映像の、演奏後の握手するJohn Lurieの仕草がものすごい絶妙です。


でもってやっぱLounge Lizards見てJohn Lurieに惚れましたオェオェー昨日友達の友達がゲイだと言う事がわかりました自由だオェオェオェオェオェー



以上 失礼


September 30, 2008

#Travel →↓Milan,Basel,Paris,London↑←

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たまには仲よい感じの写真
 左:あみゃれん坊将軍(クルム)
 中:シャワールームは任せろ
 右:エロ目隠すな




しかしながらアレでございます。
世界は広いのか狭いのか、時間が経つのは早いのか遅いのか、ますますわからないでございます。
メタな視点を持つ事って何かと良しとされているような気がしますが、あまり物事を俯瞰して見すぎるのも切ないものです。
なんかこう、あっ!みたいなコペルニクス的な喜び、ちゃぶ台返しの迫力が無いっていうかなんていうか。

しかしながらどうしてアレなのかと言えば、小生意気にも土日を挟み10日の休みを取って友人訪問の旅に出てきて色々考えたからアレなのです。この一年半、月に一度のペースでスーツケースずるずるしてビジネスマンぶって出張していたぼくですが、久々にいつもの旅のお供のバックパック背負って空港で金融恐慌だのなんだのってなニュースにまみれながら あー だから実体のないモノはだから怖いんだー 地に足付けて生きよー って、達観したのか成り下がったのかわからぬ気構えで飛行機に乗り、座席じゃいつもみたいに格好つけて「日経ください」なんてこと言わずに迷わずSex and the city(ぼく的にはSFばりにフワついた映画だなと思った)見た後フテ寝して、ノンキにミラノに向かった。

ひとつ。
新しい生活というのは、なんとも希望にも不安にも満ちあふれた今にもなんかしらのバランスが崩れそうではじけそうでそれでいて明るい色をしたやたらとファンタジーめいた世界で、つかさもしょうごもミラノとパリでそんな世界にいるように見えて、嫉妬したと同時に勇気をもらった。新しい生活には出会いがたくさんあって(しょうごはあまりの出会いの多さに少し疲れている節もあったけれどw)本当に羨ましい事である。君たちの決断の勇敢さに感服するし(もちろんバンコクにいるいいがいくんもね)男はやはり競争が好きなのか、それともぼくが潜在的に本当は負けず嫌いなのか?なんかちょっと新しい事を始めている人を見るとなんか羨ましくなるものである。よく、春に感じるそれに似ている。
ぼくも会社に入り、一年半が経過したが、comoquiserはぼくとヒロを除く3人が海外へ行ってしまった。集合場所を選ぶのが難しい、いやはや困った。しかしこれを考えるのが、一番の楽しみでもある。
http://www.comoquiser.com/


ふたつ。
実はぼくは5年前にパリでこれまた生意気な人生初のランデブーをした経験がありまして、その時おそらく今までに一番甘かったであろう思い出の実を食べました。それはドロドロに熟しきった絶頂の甘さでして、たぶんぼくが体感した味覚の中でもっとも刺激的な味だったらしくく、長い事ぼくの味覚を支配していたようです。幸いにも?時は流れまして、私も少し大人になりました。やはり思い出の実は放って置くと酸化するらしく、今回は時の流れがもたらしたその甘酢っぱさをこれでもかというほど痛感したのでありました。というかもはや思い出の実は渋くなりかけていたというかなんというか、これ以上語ると本当に渋くなってしまうのでこの話はこれくらいにしておこう。
上記はおそらくあらゆる思い出に共通して言えることかと思います。これからも思い出の実をたくさん食べていくであろうぼくにとっては、これからも酸化のスピードに負けないくらいのスピードで思い出の実をたくさん作らなければならないのです。恋愛の思い出の実はよく酸化するので気をつけましょう。なので、ぼくはしばらくは友情の思い出の実を量産して、食いつないでいこうと思う次第でございます、ハイ。

みっつ。
ロンドンでは支部長の紹介でSimonという男と話したのだが、これまた良い刺激を受けた。23才のぼくは、得意の腰の重さ(新しい事を始める事に当たっての)を早速彼に見破られてしまった。23才は何事をするにも、微塵もtoo lateではないらしい。勇気をもらった。ただ、帰国してCarol KingのIt's too lateを聞いたのだが、これは相変わらず心にしみる。恋愛と仕事では話が別か。
支部長も、あいからずの偉そうな態度でぼくの機嫌を伺いながらネットでグラビア女優を検索しまくりながら皮肉を漏らしていたけれど、ぼくが風邪で一日以上も寝込んでいたにも関わらず、まぁ本当に見事なホストでした(おれの方が偉そう)。異常なまでの警戒心というか用意周到加減というか、そこが君の最大の魅力でもありダークフォースが出てると言われる所以なのだけれど、明らかに支部長からは何かロンドンで長い年月を過ごした自信と強さを感じました。早く、音楽業界で働いてね。

よっつ。
ダライラマは「1年に一度はあなたが今までに行った事の無い場所へ行きなさい」との言葉を残していましたが、まさにそれを痛感する旅でした。人生、いつまでもやっぱり旅はやめてはならない。
今回は3カ国、すべて知人の家に泊まるという旅でございました。10日間の旅でしたが、中の何日間かは無に等しいので、要約するとこんな感じで→ミラノで寝て、朝飯ピザ→スイスに立ち寄って昼飯パスタ食って湖見て寝て風邪引いて→パリで作家とパスタ、熱出してパリジャンとパリジェンヌとビール、寝てお茶して中華食って散歩→ロンドンで寝込んで寝込んで大学行って映画談義して海行って→帰ってきました。つまり、食と住ですね。生活感溢れる、新しい旅のスタイルでございました。
家があるってのは、やっぱすごいことだ。だからみんな家を欲しがるのか、こう考えると、サブプライムローンでとばっちりを喰らった人が本当にかわいそうになってくる。なんか違うか。

いつつ。
こんな感じで、これから生きていくのだろうなと思った。

さてさて、9月も終わりである。10月は雨のスタートのようですが、風邪を引かないように気をつけようっと。
予定通り、これからの自分の生き方を考える良いリフレッシュになった。ぼくはもっとたくさんの人間と、もっとたくさんの話ができるように日々練習を続けることにします。
「継続のみが力なり」を信じて、ゆっくり、いきましょ


September 13, 2008

◇リアルのゆくえ -おたく/オタクはどう生きるか◇

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書 1957)


東浩紀の新作(対談モノ)が出たので読んだ。

正直、何をとやかくケンカみたいなラチのあかない議論ばかりを繰り返してるんだってなやりとり(大塚英志と東浩紀)がつらつらと載せられています。けれども、繰り返される二人の議論の中に彼らの考え方が表されていて、ぼくはそれなりに楽しく読む事ができました。

ぼくは大学3年生の時に「動物化するポストモダン」を読んで以来、この人の考え方にものすごい影響を受けています。たぶん著者が意図するメッセージなんて、もしかしたらこれっぽっちもまともに受け取れていないような気もするんだけれども、それも受け手の自由だと思うのでまぁいっか。
「ゲーム的リアリズムの誕生」とか、他著書のいわゆる「オタク」カルチャーを細かく考察する部分(ライトノベルとかぼく詳しくない)は、正直ぼくの知識では理解できない部分が多いのですが、「大きな物語の凋落」や「データベース型消費」という考え方はぼくにとっては新鮮だった。

ぼくが大学時代に所属していた研究会の先生はポストモダンマーケティングを提唱?している人で、ぼくはそこに所属した時点から、ポストモダンとはなんぞやって、気になっていました。
東さんは表層的に捉えれば少しこの今の世の中に対して悲観的というか不干渉というか、半ば諦めに近いものを抱いているように受け取られかねない表現をしています。でも、私も少しそれに共感できてしまう部分があるのです。


ひとつ。著書と、ぼくが考えている事。

著書より以下。

「ぼくの基本的な考え方は、、、(中略)、、、今のポストモダン化し動物化した世界、あまりに肩肘を張って大人になろうが公的になろうとかするとむしろ鬱になるので、適当にぬるぬる消費者をやって、小さくハッピーに生きるべきではないか、というものです」
また、東浩紀は己の事を「多文化主義のポストモダニスト」と称する時があって、さらに「多文化主義のポストモダンな社会においては、基本的に思想は自由なんです」って言ってる。

以下は、ぼくが考えている事。

今のぼくの考え方もそれに少し似た部分があって、膨大な情報量に接する毎日の中で、何が正解なのかを判断する事もできず、ふんわり神話的な向かうべき方向の道しるべもなく、それでいて生殺しのような状態で「生かされている」(あくまでぼくの実感値)と感じる日常の中で、何を全面否定するにも全面肯定するにもものすごい方向から多数の矢印から攻撃を喰らいうるような状況を生きていて、そんな何かが急激に広がりすぎているように感じる世の中では少しこじんまりとファミリーだけで生きていくのも悪くないのかなとか思ったりするのです。たぶん東さんが言うインターネットの出現が与えた社会に対する変化の部分をぼくがちゃんと理解していないからたぶんものすごいチープな考えになってしまうのだけれど、現にぼくは上記のように感じるときがある。SNSやらに象徴されるネットワーキング行為も、もちろん人間のつながりを広げるってな外向きの力もあるけれどおそらくもっと有効に作用しているのはいわゆる内輪(ウチワ)の力である気がする。インターネット上で莫大な情報や考え方に接したときもそうだし、世界を旅していろんな人間の生き方を目にし考え方に接したときも、他者を見ると同時に自身を顧みて/考え直して、それで自分の生きているフィールドはこれくらいのものなんだ/ぼくがメッセージを自分の口で/表現で伝えられる限界はこれくらいなんだって、悲観的かもしれないけれど妙に広がりすぎた「何か」と広がろうとする「何か」に疑念を抱いた。
ちょっと飛躍するけど、無理に何かを広げる必要はないと思う。ただ、どうしても今の世の中はそれをしいている部分があるように感じられる。それは消費にも良く表れているし、正直広告代理店の業務は本質を見失ってその「広げる」行為を助長しているだけのように見える、時がある(守備)。



ふたつ。プロフェッショナル意識について。

ひとつめとは関係ないんだけど、論壇に立つ人のプロ意識ってもんを感じました。
前近代はどうだったかしらないけれども今のぼくらには他にもいくつかのコミュニケーション手段が提供されている(というか、自然に身に付けている)。ただ、そんな中でも言葉を己の唯一の表現手段として生きる人はやっぱりプロ意識がハンパない。自分が言葉を扱うことに対する自信と、それに伴って生じる責任が、ハンパない。何かの事象に対して、「こう思うんです」の結論を言ったら、しっかりその理由を説明する必要がある。人間はやっぱり、人から結論を聞いてそれが腑に落ちなかった場合、「なんで」を言ってしまう。もしそこで言葉意外の表現手段を己の武器だと考える人は、「えーとですね、こんな感じで」と絵を描いたり踊ってみせたり歌ってみせたりすることができるけれども、論壇に立つ人は純粋な言葉でしっかりと説明責任を負わなければならないんだなと、あらためて仕事に対するプロ意識というものを考えさせられた。それでもこの作品の中には「言葉は希望か、無力か」ってな章がある。この人たちでも悩むんだ、苦しいなぁ。


以上。14分。
反駁を受ければ笑ってごまかす、でしか対応できないこと間違いなしの私のたわごと。
でもやっぱり感じた事を何も伝えずモンモンしてるだけではズルいしむなしくなるだけだから、苦しいけれど書くことと伝える事は続けようと。そうしないと、絶望の中に希望がこれっぽちも見えなくなる。

September 02, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.81

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2007.3
Bangladesh, ??





大雨と雷が、思い出させた。

今年の秋は、少しカメラを持ち歩くようにしようっと。


August 06, 2008

□Google Map Street View□

□Google Map Street View□

業務中ですが、地図を見すぎて業務にならないので、とりあえず書きます。
バンコクにいる友人が一足お先に記事をアップしているのを見て、ぼくも追随。

昨日より公開となったgoogleのストリートビュー機能、バケモンす。

昨晩、友人とドライブしながらグイングインに曲がる高速道路を眺めました。
「でね、場所はここで景色はこんな感じよ、ポイ」


大きな地図で見る

みたいな投稿がこれから多発するのかなぁ。
このサービス、かなりスレスレな感じがします。大丈夫かな。。

マッシュアップがどんどん進んで、しまいにゃもうSFの世界ですね。
さらにインターフェースの開発も進んで、もうアラヨアラヨと我々は。。。

なんのために、人間はこういったものを開発しているんだろう。
ビジネスなの?それともただ技術の限界に挑んでいるの?


July 24, 2008

◇Being Digital◇

by : Nicholas Negroponte (1995)


iPhoneが発売されるってことになって、なんか知らないが
ぼくはインターフェースのことが気になりだした。

ぼくらの身を取り巻く馴染み深いモノたちがぐーんとSFチックになって実用化されてきたというか、
だってよあの電話ダイヤルボタン付いてないぞどういうことだ、みたいなこともう思わない。
タッチパッドってきっと指の油とかのせいで操作性を邪魔するからあんま普及しなかったんじゃない?
みたいな疑問や障害も、きっと多くの技術者たちが血汗流して解決したんだろうなぁ。

とか考えている折、ロンドン支部長と湘南のリリーフランキーと仕事中にこのことについて
メールをしてたら考えにふけってしまったので、整理するために本を読む事にした。
時代遅れ丸出しですけどこんな本読みました。
なんか、いつもすごい時代錯誤なモノばかり掘り出してるな。。。

同じITでも、こうして人間の知覚やコミュニケーションに大きな影響を与える事柄だったら
もっと能動的に勉強するだろうにな、とか思った。贅沢ですね。

少し、三つほど、ぼやきます。

1. まさにデジタルメディアってやつですか当たり前のようにぼくらの生活には染み付いているけれど
冷静に考え直してみるとすごいよね、機械に向かって話したり文字打ったりして
ぼくらコミュニケーションしてんの。なにそれ。
であればそんな無機質なデジタルデバイスたちが、限りなく現実味を帯びた形でぼくらにメッセージを
投げかけてきたらどうなっちゃうんだろう。。って、技術者はストイックだなぁ。

2. もはやメディアはメッセージではない。って、ネグロポンテさん言いました。
  マクルーハンのこと否定されちゃった。デジタルの事考え直すよい機会になりました。

3. インターフェースってコトバ、好きです。

最近この辺の話をしていると話が弾む事が多いので、以下にぼくが興奮するモノたちを記録しておきます。

● I/O brush


● Braintrain


June 30, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.80

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悔しい時と、酸っぱい時のぼく

2006.9
Greece, ??









ひとつ。
いきなり眠れと言われ、眠り始めてからようやく1年が経った。
もう眠るのに慣れてきた自分が怖い。もうほんと眠い。
もう足も治ったよ。解き放たれたい。
あと半年以上は眠らなければならないらしい。光を浴びるまで、もう少しの辛抱。
もう体はエネルギー満タンで、それでも寝床に無理矢理付かされているもんだから
この消化不良のパワーをどこに放ったら良いかわからんくて、んがー歯がゆい。我慢の練習。

ふたつ。
泥臭い事がしたい。
スクラッチから、右も左もわからん状態で、プレッシャーを全身に浴びたい。
新しい環境でがむしゃらにやりたい。滅びる寸前までやりきりたい。
テニスをやめてからというのもの、新しい事を始めることに臆病になった。
持ってしまったら、捨てるのが怖くなった。いつか、思いっきり捨ててやる。

みっつ。
どんなに考えてもわからない。けれど、思考の螺旋のスピードだけは止めないぞ。
もっと、暴れる事にした。I yaaam What I yaaaaaaam!!

あー もう7月だぞ!悔しい!
海行こ、海。

June 10, 2008

♪You Left me Sore ♪

by : Todd Rundgren (1972.US)



あまづっぺいよ


Love is infectious and I was a victim
The worst case you'd ever see
But still I know no doctor or nurse
Could cure what you gave to me
'Cause you

Really, you left me sore
You really left me sore now baby
You messed me up for sure and I don't mean maybe
'Cause you really left me sore

You didn't tell me and I didn't ask so there's
Nobody left to blame
But still I know no place I can go
That helps to relieve the pain

But now I know no good ever comes
From love on a one night stand


こちらも、よろしければ。
Virgin Suicideでパーティのシーンに流れてる曲。


May 27, 2008

‡記録‡ vo.2

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‡記録‡ vo.2

螺旋時計







一段落したので、記録。


ひとつ。
生きた心地、について。
こう、生きた心地がしない時ってのがある。
木村伊兵衛賞を受賞した写真家岡田さん写真集を見た。
リストカットの跡を赤裸々に写した作品だった。
リストカットをする人の心中を自分なりに考えてみた。
生きた心地をとにかくリアルに味わうために、リストカットするのかななんて思った。
鮮やかに流れる血の赤を見て初めて、生きた心地がすんのかな、とか。
そんな風に考えないと、社会において自分の存在意義も見出せないなんて、この世どんだけ怖いんじゃ。
誰に対して思いっきり何かをぶつけたって、みんなブラックホールみたいな吸収力でぼくを飲み込みやがる。
泣き喚いて悲しんで喜んで飢え死にするほど腹を空かせて本当に他人を必要として迷惑かけて、
こんでもかってくらい感情の起伏を味わうと生きた心地がする。
そんな自分に気付くと、これまた怖い。

ふたつ。
イベントについて。
人間がたくさん集まる空間で、みんな何考えて生きてんだろ、って思った。
行き場のないやりどころのない力の集合体みたいに思えた瞬間、少しあの場が滑稽にも見えた。
こうして敢えてちょっと批判的に考えることもできたりして、
いろんな意味であの場をつくったことは考えるとても良い機会となった。
祭りってなんだ、人を集めるって何だ。
今度は明確に何かのために、誰かのためにイベントを開きたい。
ともかく、como nosta 321人来てくれました。ありがとうございました。

みっつ。
今朝、通勤時間に考えた。数字について。
偶数と奇数について。ぼくは小さい頃から偶数が好きだった。
野球もサッカーの背番号も絶対偶数の方がかっこいいと思っていたし
マカオのカジノでも、ギャンブルは良くわからないぼくはとりあえずルーレットで
大好きな偶数のEVENに全財産をずっと賭けて破産しても、それでも偶数が好きだ。
ぼくの理想はすごい広さを感じさせる数字で、128とかちょうどいい。
ぼくを因数分解したらとにかくたくさんの因数がたくさんいるみたいな、そんなヤツになりたい。
一方で、友達には素数みたいなヤツ
2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71,
こういう友達がたくさん欲しい。
尖がってて、1かおれしかいないぜ、みたいなヤツ。

よっつ。
最近、自分の時間に対する感覚が変わってきたことに気が付いた。
その辺にある社会が共有してる時計はグニャってひん曲げて、自分の時計でちゃんと生きてくのは
なかなか難しいけど、これができたら苦労しねぇな。
変な時計、買おうかな。



May 17, 2008

※告知『como nosta』 2※

3a5530a4.jpg
Time : 2008.5.24
Place : Super Deluxe




そういえば、とうとうあの悪夢のような怪我から一年が経過しました。
ガラスに突っ込んだことでぼくの最初のキャリアも変わり
まぁこうして人生はぼくの力ではどうすることもできない大きな力に
操られながらどんどん道ができていくのでしょう。
2007の頭に東洋の男になると宣言して以来、本当に島国と大陸と半島を
うろちょろしています。どこに行くんだろう、ぼくは。

人間忘れる生き物だからか、ぼくがノー天気だからかわからないけれど、
残念ながらぼくは自分が怪我をしたってこと自体をもう既に忘れてしまった。
もう一回怪我する自信がある。

忘れる生き物ってか、慣れる生き物だな。
もう怪我した自分が自分の経験として主体に完全に取り込まれて
怪我っていう既成事実を客観的に見れなくなった。
怪我していなければ、ぼくじゃない。みたいな感じ。
キムじゃなくて木村だったらぼくじゃない。みたいな感じ。
こうして経験が染み付き人格は形成されていくんだな。環境は人を変える。

怪我して変わったことはと言えば、
 ‐し歩き方が内股になった
 ◆屮Ε汽とカメ」の話を聞くと物凄く感動するようになった
上記二点くらいでしょう。変わらないものはといえば、
 ー鬚琉み方
 como nosta
,亘困譴討ださい。で、本題に入ります。

しつこいようですが一週間後△如⇒靴咾泙后
年に一度の遊びなので、一応ちゃんと宣伝します。
△硫燭変わらないかって、こういうお遊びは死ぬまでやります。
5/24(土)暇な方はイベント時間内、フラっとお酒を飲みに立ち寄って見て下さい。
地下だから電波ないんで、地図見て
http://www.super-deluxe.com/2008/5/24/como-nosta2/

最近はダライラマの言葉の中で↓がグっとくる。
「7.あなたが間違いを犯したことに気づいたときには、それを正すための手を即座に打ちなさい。」
というわけで、そろそろ取りに行きます。いろいろ取りに戻ります。
あ、ヒコーキ
頭の整理&告知@北京空港10分


April 27, 2008

※告知『como nosta』※

c44edb81.png※告知『como nosta』※

Time : 2008.5.24
Place : Super Deluxe


5月は緑!

久々の更新、ちょっと告知です。

今年は少し開催が遅れましたが、やりますcomo nosta 3回目。
前回は
トラックレンタル搬入作業→オールナイトでcomo nosta遊ぶ→トラックで搬出作業→成田→サンパウロ
という強行スケジュールでしたが、もう仕事がある身分ですので今回はそんなムチャはしません。

で、オールナイトはやめました。
まったり音楽聴くもよし、のんびりお酒飲むもよし、踊るもよし、
ぜひ5/24(土)は夕方から夜更けにかけて、お友達誘って遊びにいらしてください。
como quiser=お好きなように 遊んでください。

↓前々回、前回のレポート↓
■como nosta 2006
http://www.geocities.jp/nostyle_web/nostyle/photo/photo/2006/como2/photo.html

■como nosta 2007
http://www.geocities.jp/nostyle_web/nostyle/photo/photo/2007/0207/photo.html

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como nosta

2008年5月24日(土) @ Super Deluxe (六本木)

開演/18:00 >> 24:00
※夕方開催、終電までの時間帯です
前売¥2,500(1Drink付き) 
当日¥3,000(1Drink付き)
※前売りチケットは下記サイトよりご予約願います。
http://www.super-deluxe.com/2008/5/24/como-nosta2/

「音楽」「デザイン」「人」の三つが織り成す空間で、
【Design】×【Live】×【DJ】がクロスオーバーするパーティー。
DJ音楽集団no styleとクリエイティブチームcomo quiserが主催。
今回のテーマは「緑」「森」「3」。

■■■Time Table■■■
18:00−18:45 DJ Issac
18:45−19:30 DJ Keita
19:30−20:00 cossami 【Live】
20:00−20:30 DJ Shirow
20:30−21:00 DJ Knek
21:00−21:30 Jazzin' park 【Live】
21:30−22:30 吉永祐介 【Guest Artist】
22:30−23:00 Jazzin' park 【Live】
23:00−24:00 DJ Nunu & Shogo

■■■Design■■■

como quiser
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コモキゼール。お好きなように。5人。ひとり女子。建築、空間デザイン、音楽、写真、広告。それぞれの道を邁進中。それぞれの表現方法を持ち寄り、最適な表現方法を探し続ける。人生を楽しくする。生き方をデザインする。
今回como quiserは三つのテーマ「緑」「森」「3」の構成を設計し、空間を演出します。木をデザインし、森をつくるのが僕らの仕事。
http://www.comoquiser.com

Graphic Team
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デザイン分野で活躍する面々が参加。空間内5つの壁面にGraphicを投影する。葉をデザインし、森をつくる。

■■■ゲスト Artist■■■

吉永祐介
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小西康陽氏のレーベル、readymade internationalを経て、2006年、solla株式会社を設立。CDジャケットを中心にファッションカタログ、エディトリアル、広告などのアートディレクションからフィニッシュまでトータルで一貫した制作活動をしている。又、DJとしても活動。レギュラーイベントは渋谷Organ barにて、森田昌典(STUDIO APARTMENT) らと毎月第1土曜日「La Verdad」。須永辰緒(Sunaga t Experience)、小西康陽と毎月第2金曜日「レコード番長」。
http://www.sol-la.jp

■■■Live■■■

Jazzin' park
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栗原暁と久保田真悟からなる2人組ユニット。06年1st アルバム「Jazzin' park」をリリース。都内大型レコード店では無名の新人ながらジャパニーズ・クラブ・チャート1位を獲得し話題を呼ぶ。DJプレイの枠を超えた9人編成フル・バンドのライヴ・パフォーマンスまでをこなし、J・クラブ系アーティストとしてワンアンドオンリーのスタイルを確立。
07年には2ndアルバム「We are together」をリリースし、本作品でもHMVジャパニーズクラブチャートで初登場1位、月間チャートで2位を獲得。HMVのクラブ系オリジナル・コンピレーション・アルバム「PLAYLIST 8 Nextfloor」への参加など、J-クラブ・ミュージックの新しい旗手としてクラブ業界のみならず、幅広い層にアプローチできるプロデューサ・チームとして評価を決定付ける。
また、クリエイティブチームRusca Nosta(ラスカノスタ)のメンバーとして渋谷Kahemi Cafeのプロデュース、渋谷 Ruby Roomで毎月第一土曜に開催中のクラブイベントNo Styleの主催、また自らのアルバムジャケットデザイン、web、ムービーなどのプロデュースワークをチームで手がけている。
http://www.jazzinpark.com

cossami
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小佐紘子と多賀みなみの女性ヴォーカルデュオ。デュオ名の由来は2人の名前、小佐とみなみから命名。高校在学中に2人が出逢い、2006年cossamiを結成。ライヴ活動を始める。透明感があり凛とした小佐の声と、存在感のあるみなみの声。対照的な2人の声が重なり生まれる、ハーモニーが魅力。
小佐、みなみはそれぞれがソングライティングを手掛け、オリジナル曲は既に40曲を超える。2007年になって、音源の制作に着手。7月には、みなみが「週刊朝日」の表紙(女子大生のグラビア)に掲載され、話題となる。2人の共通する音楽的背景としては、ノラ・ジョーンズ、コリーヌ・ベイリー・レイ、キャロル・キングなど良質なポップスが挙げられる。ポップスも、R&Bも、洋楽も、邦楽も、すべてを呑み込んで生まれる、cossami独自のオリジナルサウンドの制作を目指している。
http://cossami.com/


■■■DJ■■■

no style DJs
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Jazzin' parkを輩出したJazz、Funk、Soul、Brazil、Latin、Hip Hop、HouseをクロスオーバーするDJ音楽集団。毎月第一土曜日に渋谷the Ruby Roomにてレギュラーイベントを開催中。
http://www.geocities.jp/nostyle_web/nostyle/


■■■Supported by■■■

カラーキネティクスジャパン
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独自の制御技術で空間の色を変化させるLEDデジタルライティング・カンパニー
http://www.colorkinetics.co.jp/
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March 04, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.79

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2006.9
Germany, ??










本気で己の意志を貫いたことなど、ない。
漂うだけの雲に都合の良さを覚えた。

自分の存在を曖昧にしてばかりいたら、生きた心地がしない。
生きた証を記録していかないと、人は朽ちる。

自分の感性は自分で守るしかない。




February 22, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.78

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2006.9
Montenegro, Budva










昨日の投稿記事に対して、この24時間で電話やらメールやらで
たくさんの方々からご意見頂きました。
自分の書いている内容に反応してくれる人がいるという事は嬉しいものです。


今日は帰り道ひとりで夕食を食べながらこんな事を思いました。

卵の黄身を愛して止まない僕は
目玉焼きを食べる際、必ずきれいに黄身の部分だけを残して
先に白身を食べ尽くして、さらに他のおかずも食べ終わった後
黄身だけを一口で食べる。

今日はスンドゥブチゲの中の卵の黄身を
きれいに最後まで残そうと挑戦したものの
中盤あたりで誤って割ってしまい、
黄身はチゲの赤いスープと交わらざる終えなかった。
つい悔しさを表現するために嘆きの声「あぁ」を漏らしそうだったが
今日はすぐに落ちついた。

好きなモノは時間をおいて最後に味わって食べた方が
たとえそれがいくら冷めてしまったとしても格段においしく感じられる
という、ぼくなりの哲学に従ってこのような食べ方をしているわけだが
今日黄身を割った時、意外とこれも悪くないな
と、思った。

総じて、何が言いたいかと言えば
好きなものを先に食べるのも悪くない。と感じたのである。

そういえばぼくの姉はぼくと性格が真逆で、幼い頃から好きなものを何よりも初めに食べる。
そんなぼくの姉は、若くして近々結婚するらしい。

ただ、ぼくの好きなモノを最後に残す習慣は
きっとこの先変わらないと思う。

今日みたいに、先に食べるのも悪くないなぁと思う事もあるが
いやぁ時間にはやはり勝てん。食べれなかった時間がおいしさを育んでいるのだ。
とか言って、絶対に最後まで残す事に固執する。
我慢した時間、耐え抜いた経験には何も勝てない気がする。

こんな性格のぼくは一つだけ注意すべき事があって
それはときたま現れる悪魔のようにいたずら好きな父親の存在である。
ぼくの好物だとわかっていながら、満面の笑みで黄身を横取りほうばる。

こういった機会逃しが、ぼくの人生には起こりそうだ。
父親のいたずらへの対処法を思い出し、今後の人生において
こういった悪魔の存在に気をつけようと思う。

おいしさ溜めてるうちに、おいしさがどっか行っちゃったらモトもコもないですもんね。
大人になったら変わるんでしょうか。ぼくはこのままでいいです。

べー



February 20, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.77

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2006/8
Yemen, Shibam





ぼくにはどうしても勝てないものが三つあって

ひとつ 時の流れ
ふたつ 自然の力
みっつ 女

みっつめは若気の至りという事で目をつぶりましょう。(笑うところ)
先の二つは長い事ぼくを苦しめて来た。

時の流れと自然の力に逆らおうとする事は、どう考えても道理に反している気がして
これに勝とうとする事自体間違ってると思い、どうもしっくりこなかった。

ぼくは「ありのままを受け入れる」思考が強い。
気付けばいつの日かひどく「受け身」になっていたらしい。

すべての物事が、自分一人の力では到底変えられないことに感じられたその時から
何かを変えようとする力が鬱陶しくて不自然に感じられて仕方なかった。

最近は少し違う。

自分の流れは自分で生み出せるものだと、考えるようになった。
一人高らかに拳を突き上げ声を張り上げ己の主張と精神を貫けば、どうやら道は開けるらしい。
一人では無理かもしれない。ただ、一人の一声が契機となって
どうしようもないくらい大きな力に打ち勝つ事は起こり得るらしい。
ニュースを見ていて、仕事をしていて、そんなことを感じる。

社会を感じれば感じるほど、孤独は増していく。
そんな中でみんなたくましくひとりで生きているんだなぁと、思った。


あとはみっつめの命題をクリアする事が残っているけれど
これもいずれ答えが出るでしょう。考える事から逃げさえしなければ。

最後の二文も、笑うところです。


February 03, 2008

≡Tri.Atman≡ photo vol.76

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2006/11
China, ??




明確な四季のある東京という街で暮らしていると今日みたいな感動がある。
雪の日の朝の感動は幼少の頃から変わらない。
ただただ繰り返すだけの毎日だけれども、
雨が降ったり晴れたり、おまけに雪まで降って街の色が変わる。

人間弱いもんで目に見えないものを信じるのは怖い。
ぼくは未だに目に見えないものを信じられない。
先物取引ってなんだよ、今くれ。って感じ。

雪みたいに瞬時にドバっと空からわけの判らない物体を降らせて
視覚に何らかの変化を訴えかけられると、ものすごい気分転換になる。
ぼくの感覚はおそろしいくらいに目に従属しているらしい。

ぼくも雪みたいに目に見える形でドバっと何かを降らせたい。
まずは小さな記録から始めよう。記録を積み重ねて生きた証をたくさん残す。
いつかそいつをバケツで空から思いっきり降らしてやる。
そう思った。

ただ、雪も降りすぎると鬱陶しくなる。
腹八分目が大事だ、何かを降らせるのは東京の街みたいに年に一度くらいで十分。
腹八分目をわきまえて、たまにドバっと降らせる。

ただ、この腹八分目がなかなか難しい。

昨日も友人の結婚式の二次会で、すでにだいぶおなかいっぱいなのに
花嫁の友人が受け取ったブーケの花びらをついつい喰ってしまった。
きっとあのブーケには防腐剤だか農薬だかリスク回避の賜物みたいな化学物質がこれでもかというほど
まぶされていて、舌と歯と唾液と花びらみんながジャンキーになってた。
中国製ギョーザのニュースを少しだけ主体的に考えられる契機になったのでよかった。
けど、未だに口内がパチパチしている。後遺症が怖い。

今年のぼくは「腹八分目」をモットーに生きる。
おなかが満たされるまで食べ続けたって、
その先に待っているのは肥満がたたって動けなくなるだけ。
その先に何かあるんじゃないかってさがし続けたって、
その先にあるのはバベルの塔みたいに崩壊するだけ。

欲しいモノは手に届かないのか、それとも手に届かないから欲しいのか
これを考える。まずは全部腹八分目で留めてやる。そんでもう一回、考える。


December 16, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.75

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2007/11
Nepal, Kathmandu





いま

コーヒーとたばこ

以外、なにもいらない。

BAD TASTE, BLACK COFFEE!!

かっけー!


November 01, 2007

‡記録‡ vo.1

0c8da39b.png‡記録‡ vo.1

ボア



こんばんわ。ぼくの母親はかつて言いました。
「絶対に真夜中に手紙を書いちゃぁだめよ、ネガティブになるから」
手紙ではありませんが真夜中に思考を巡らし文字を綴ると
至極破滅的になることがこれから証明されようとしています。お母さんすごい。


脳みそをフル回転して10分くらい考えた。
最近頭の中だけで考えていることが多いのでこのタイミングで吐き出します。オェ

合理的に人に説明して納得させることなど到底不可能と思えるような複雑で難解な感情の複合体を抱えた時1.こんなことを人に伝えようとすることなんて無理(投げ捨て放棄)2.いやそうとは言え天賦のコトバの力で人間らしくコトバに思いを乗せろ(直進努力)3.人に感情を伝えること自体ナンセンスだよ(逃げ或いは超級にハイセンス)4.こういう感情をコトバじゃなくて違うメディアで伝えてみやがれ(乗り換え代替案)などと考えればエンドレスに僕の進むべき道のシナリオが挙げられます。結果的にここまで言語化したぼくは絶対的にコトバへの依存度が高いということがわかります。自覚しているからこそ文字化しているのかもしれないし気づかぬうちにコトバにする習性は悲しいかなもう身体に染み付いてしまったのかもしれません。そう考えると今あげた四つは順番どおりにぼくの中で起こっているんです。僕自身はまずはじめに1に陥って自暴自棄になるのですがどちらかといえば2の要素が強い人間でたまに3が優勢となりますが解決策として4に少し力を分散させてバランスを保って写真を撮りましょうとか思ったりしているねと思います。でだ。ここまできたところでぼくは2が強い人間だからやっぱりコトバにします。なんでこんなことを考えたかといえば台湾にて半分腐りかけた自分の精神を回復させるために一人喫茶店にて星の王子様を読んで驚くべき発見をしてしまったからです。というのもたぶん彼のストーリーをよくわからんがコンサルタントが分析するみたいな手法で紐解いていったら間違いなくつじつまあってないじゃんこれみたいなことになるわけだけどバカヤロウてめぃファンタジーに理詰めしてどうすんだよみたいなツッコミをされることは0.2秒後くらいに容易に想像できて驚いたのは断片的に章立てされたストーリーの中に意識されたのか意図無しに書かれたのか知らないが彼の哲学が散りばめられていることなんです。つまるところオムニバスの映画とかもそうだしもしかしたら複数のストーリーが同時多発的に描写される最近ありがちな時間軸めちゃくちゃな映画もただ表現方法が斬新なだけじゃなくてメッセージの運び方として一つ一つのメッセージを際立たせることを有効にする策なんだなと改めて思ったんです。※注1

要するにぼく自身は今日はシナリオ4までしか思いつかなかったんですけど、5.コトバの伝え方・表現方法をもう少し工夫・考える(挑戦)っていうのがあるんだなって気づいたんです。

(後記)
やっぱりこうして小さい文字でぎゅうぎゅう詰めにして文字を並べるだけだと内容は伝わらない、ということを自覚することが大事だと思いました。ただ、「不器用な表現」という存在自体、「愛らしい」ってなメッセージを発しているなぁと時たまぼくは感じるのが憎らしいところです。
やっぱりぼくらは活字を視覚的に捉えているわけであって、メディアが人間にメッセージを届ける際の最終的な形態はすごく大事だと再考しました。
マクルーハンは「メディア=メッセージ」と言いました。メディアすなわち伝えたい内容(メッセージ)を入れる箱自身、メッセージだと。そう考えると句読点と空白を最小限に抑えたぼくの上記の文面も「読むのめんどくさいだろ、読みづらいだろ」とか「これくらいのスピードで考えたんだぞ、いや書くスピードは到底思考のスピードには追いつかなかったんだぞ」とかいろんなメッセージを発しているなぁと思う。

戻ります。

疲れたので、今日は※注1を感じさせてくれたサンテグジュペリの
素敵な一章を紹介して寝ます。

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砂漠を縦断していくうちに、王子様がであったのは一輪の花だけだった。
花びらが三枚しかない、ごく地味な花。

「こんにちは」と王子様は言った。
「こんにちは」と花も言った。
「人間はどこにいますか?」と王子様は丁寧に尋ねた。

花はいつか、キャラバンが通るのを見たことがあった。

「人間」?6,7人はいるはずよ。何年か前に見たことがあるわ。
 だけどどこにいるかは誰も知らないの。あれは風に飛ばされるでしょ。
 根がなくて生きるのって大変よね。」

「さようなら」と王子様は言った。
「さようなら」と花も言った。

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ラジオのパーソナリティをやってみたい。

October 27, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.74

5f39aafb.jpg≡Tri.Atman≡ photo vol.73


2007.3.21
Brazil , Rio de Janeiro





最近のぼくはと言えば、溜めています。(写真参照)
やはり何事においても、タメが必要です。

無自覚(盲目)=バカ=揺がぬ自信の源



August 22, 2007

#Travel →↓KualaLumpur 2 ↑←

4e4da395.gif#Travel →↓KualaLumpur 2 ↑←


2007.8.19〜2007.8.25

← やる気を削ぐ世界地図





ひとつ。
昨晩の中華でもたれたはずのぼくの胃は必要以上の回復力を見せた。
ブッフェは例のごとくぼくを悩ます。腹八分目なんて無理だ。
負けじとシリアルだけで朝食を済ます。ホテルの朝食システムは罪だ。
朝食の席でなぜかDaLataが流れた。エキゾチックとエスニックの違いってなんだ。
ちょんまげがここにいたら朝から踊っているはずだが、耐えた。
調子に乗って手帳に頭の中のコトバを整理してみた。英語で詩を書いた。
Kick against authorityというコトバが急に頭に浮かんだ。


ふたつ。
ホテルに戻りテレビをつけると、BBC Worldでかのバングラデシュ、
Dhaka Univ.の学生たちがまさにKick against authorityな暴動を起こしていることを
知った。かなりの怪我人が出ているらしい。怪我はするもんじゃない。
今年の3月に二週間もすごしたあの大学のキャンパスで石ころと火炎瓶の投げ合いが
起きている。学生の投げた石を投げ返す警官、怪我はするもんじゃない。


みっつ。
世界で起きていることを把握して、どうなるのだろう。
ぼくはもっといろいろなことを知りたい。ただ、知った後どうなるのだろう。
こんなときは我が家のウサギ、ボーノさんの心中を察する。
彼にとってはベランダが世界であり、彼にとってのグローバリゼーションは
せいぜい我が家のリビング、玄関へと行動範囲を広げることかもしれない。
生きるフィールドは限られている。
マレーシアでバングラデシュのニュースを見て驚くが、今のぼくには何もできない。
地球儀を前に、広がる世界に期待を膨らませることもあれば
BBC World Newsを前に、無力さに呆然とすることもある。
そのあと、上記のしょぼい地球儀を見ると何がなんだかわからなくなる。


よっつ。
ひょんなことから「国際競争力」について考える会を友人と設けている。
ダボス国際会議、国際経営開発研究所などがランキングを発表しているが
常にシンガポール、マレーシアは上位にランクしている。
多言語・多民族国家が上位にランクする理由はいったいなんだ、
すれ違う人間の衣服・肌の色・宗教・コトバが違うことはどの程度、
人々価値観を形成するのに影響してるんだ。
人々の価値観を数値化してランキングに反映することは難しい。
これまた目に見えないから評価されない。
みんなこれが重要なのはわかってるはずなのに。


いつつ。
初めて仕事について少しばかり吐き出してみる。ぼくは何もできない。が。
業務にITシステムを導入して効率化を図る際、現行の業務体系とシステム導入後の
業務体系との間には変化が生じる。
以下、システム導入時に起きる確執の縮図。

 業務体系の変更を余儀なくされた従業員:
 「えー なんでそんなめんどくせーことしなきゃいけないの」
 システム導入メンバー:
 「ばかやろう こうしたほうがもっと仕事はやくなるしラクだぜ」

事件は現場で起きてるんだ!とアジア拠点にて織田裕二の台詞の影響力を痛感する。

ビジネスというのはどうやら二つ以上のものをつなぎ合わせることらしい。
平和と同じですか。いんやぁおカネがある以上、真の平和じゃない。気がする。
やっぱり戦争は終わらない。


むっつ。
仕事場にはインド人が6人いる。
未だに、いやいつまで経っても顔と名前が一致しない気がする。
どうしてインドのビジネスマンは皆、ちょびひげ+メガネ+ベージュのパンツ
なんだろう。



以上。
整理整頓。20分。
明日もクアラルンプール。東京より涼しい。
Cool and Pool。屋上にプールがあるが、それは許されない。
空港で買ったNewsweek「海外で暮らす」を読みたい。
さようならぼくの蒼い旅の記憶。


August 18, 2007

#Travel →↓KualaLumpur↑←

d3b80b3c.gif#Travel →↓KualaLumpur↑←


2007.8.19〜2007.8.25



臆病なぼくは、また逃げてしまった。

マレーシア出張に行って ま ま いってまれー

語尾からぼくの逃げ腰具合が伺えます。


July 30, 2007

♪Legrand in Rio♪

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by : Michael Legrand and his orchestra (1958.France/Brazil)







昨晩、東京の夜を真髄まで楽しむ遊び方を奇跡的に見出し、気分は絶頂。
日差しが適当な角度で差し込む昼下がりは快晴、夕食後友人に会いに車に乗った瞬間に雷鳴。
空模様と心模様と、あぁ神様は何がしたいんだろうとハンドル握りながら考える。

晴れた日曜の昼、Michael LegrandとPierre Barouhの歌声にお世話になりました。

なんてかっこいいジャケでしょう。ありえない。
ぼくも人生で一度くらい、海岸沿いで女をお姫様ダッコしてさらってみたい。
「へいガール、波にさらわれている場合じゃないゼ」
この夢は息子に託そう。ぼくには無理だ。

ぼくがNouvelle Vagueの映画とBossa Novaを無意識のうちに好きになっていたのにはきっとワケがある。
大学の授業で佐藤雅彦が言っていたリダクショニズムに沿って言えば、
間違いなく好きなモノに共通項はある。
好きな女もそうですかね。いや、違う気もするけど。と、真っ昼間に女のことを考えた。

どう聴いてもやる気がないようにしか聞こえない歌声がぼくを魅了してやみません。
Pierre Barouhは14才の時、ギター1本で世界を放浪したらしい。
こんな人 ↓ ギターはBaden Powel。声がかわいい。

とにかく、練習あるのみ。
Saravah!!

July 24, 2007

□世界報道写真展2007□

a9125692.jpg□世界報道写真展2007□

by : Spencer Platt, USA, Getty Images.
Young Lebanese drive through devastated neighborhood of South Beirut, 15 August



台湾出張に同行した上司と、東洋と西洋の境目はどこだろうという話で盛り上がった。
仕事が始まってからもこういった話が出来ることは、ぼくにとっては嬉しいことだ。

ぼくの一人の上司は日本に生まれ中国で学び平壌に思いを寄せ、
もう一人の上司はマカオに生まれアメリカで学び用賀に思いを寄せ、用賀にマンションを購入した。
もう一人の上司は毎日サスペンダーをしている。
そんなサスペンダーの上司は韓国に生まれ日本で学んだぼくを台湾へ送ってくれた。
以上、総勢四人の部署です。

そんな四人が集まればなかなか面白い話が出来ると思うのだが如何せん、みな出張で席を外している。
この二ヶ月で四人が揃った日は未だ累計で一週間もない。ぼくは留守番役です。

さて
留守番役はさみしいので



世界報道写真展に行ってきた。写真屋さんと一緒に。



アート・エンタテイメント部門の1位の作品がかなり興味深かった。
昨年見に来た時よりも、感じる事が多かったのはどうしてだろう。
以前よりも関心を持つ分野が増えているからかな。
ぜひ足を運んでください、感想を共有したいものです。

記録することにためらいを感じないのか。
人の心に衝撃を与えるその瞬間をカメラを持って記録する写真家の心とは
一体どんなものか、と考える。

無自覚であることが時として爆発的に力を生むことがある。
天然ボケだと自称する輩ヤツは天然ボケではなくて、
ウケを狙わなかったギャグのほうがウケたって時と同じ感覚。

自分が一生懸命になっていると感じた時点でゲームオーバーなのかもしれない。
一生懸命だと感じるのは、自分の満足度を測る一定のものさしがあるからであって
そんな基準なんて考えずにただ黙々と思うがままに自分のやりたいことに邁進する力には
基準なんて存在しないはずなんだろう。
無限に四方八方に伸びる立体的な力の方が可能性を感じさせる。魅力的だ。

報道写真家の、命を顧みることなくただただ目にした光景にシャッターを切るその行為は
そんな立体的な探究心があってこそなし得る行為なのだと、写真展を見ながら思う。

今冬にはマグナムに関する記録映画が日本にやってくるらしい。
今夏もカメラを持って好きな方向に好きなように歩く、自由な旅に出たい。


July 15, 2007

■Newport Folk Festival■

c78a0a7a.jpg■Newport Folk Festival■




by :   ?? 1966.US









Woodstockはツタヤでいつも貸出中で
MontereyのDVDは一万円以上もする。

そしたらBSでNewport Folk Fesが放送されてました。

ぼくはJoan Baezに惚れました。
脱力感なのか、神がかっているのか、その不安定さが魅力的なんでしょう。

Bob Dylanはこのライブで突然エレキギターで演奏して
大ブーイングを喰らったらしい。
この事実が、かっこつけのライナーノーツには
「FolkからRockへの変革の瞬間だった」
みたいに記されてる。

あんまり第三者の視点ぶるのも時々苛つくもんだ。
別にジャンルなんてどうでもいいじゃないか、と一蹴されたら終わりだ。

それよりぼくはSon Houseがブルースの精神を熱く語るシーンが好きだ。
インタビューで無駄に顔面に寄るカメラワークが良い。
Mike Bloomfieldは良質のワルって感じだ。友達に一人は欲しい。
 ↓ ヒマな人は是非 



台風の夜に家でこんな記録映画を見たら
少し元気になった。

暇つぶしでした。
あ 台湾行ってきます。飛行機飛ぶかな。




July 14, 2007

#Travel →↓台北↑←

835a15b3.gif#Travel →↓台北↑←


2007.7.15~2007.7.20





小職は明日より台北へ出張に行って参ります。

ひょんなことから海外出張の多い部署になった。
足を怪我して数週間前まで寝込んでいた僕は
回復するなり、台北に行くことになった。

しばらくはどこにも行けないつもりでいたのに。
まぁ 結果的にはタダでどっか行けるからいいか。

皮肉にも、ぼくを取り巻くほとんどの出来事が思い通りに進まない。
そんな時に思い出すのは、あの時のぼくの心。
あの時は、物事なんて思い通りに進むわけなんかないって、覚悟があった。

知らず知らずに人の心は移ろっていく。
感情に勝とうなんて、思ったら最後。

時と感情に身を預けて、ゆらりと生きる。

台湾って沖縄からこんなに近いんだ。。
また一つ、知らない世界に触れて参ります。




July 01, 2007

♪Djangology♪

8c933d79.png♪Djangology♪



by:Django Reinddardt (1949)






小熊英二が言っていたが、
ある社会的な構造の枠からはみ出して
言ってしまえば世俗的にはタブーとされるような存在
(ニューハーフ・ゲイ・隠し子・近親相姦で生まれた子供・在日など)
は「境界人」として輝きを放つことがあるらしい。

いわゆる「はみ出しもん」ってやつですね。


ジプシーなんて、はみ出しもんの極みだよね、だからかっこいいんかー。

ジャンゴは生まれながらにしてさすらっていたらしい。
ジプシーとして生まれた彼は幼い頃ヨーロッパを彷徨いながら
ギターの奏法を独自に習得したとか。

さらに彼は、幼少期に火事の被害で左手の指が二本動かなくなったんだと。
それであの早弾き。
どうりであのポーカーフェイス。余裕のくわえ煙草。なんか越えちまったんだろうなぁ。

7月に入り、夏に向けてちょっと元気になる準備ができてきた。
明日からはテンポの速い音楽を聴くことにします。

ヒマな方は、是非この動画でも見てください↓。唸ります。


June 25, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.73

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2006.11.13
China, ??




足を引きずって歩くぼくの姿に、おじさんは気付いていたらしい。
5分ほどの沈黙の中、タクシーは走った。

最近、ぼくの身体はおしゃべりだ。
怪我はコトバより立派な記号となり、話す前から十分メッセージを発してる。

救急車が対向車線を走りすぎた数秒後に、おじさんがおもむろに話だした。

運転手のおじさんは学生時代に競技自転車をやっていた。
ところが大会で他の選手に巻き込まれ転倒、左足膝を複雑骨折。
以後、足は元に戻ることはなく、まともに立って歩くことも難しくなった。

「タクシーの運転は右足だけでできるから、ぼくには天職だね!」



最近はこんなことを思う。


感情を記憶することなんて無理なんじゃないかと。
覚えているつもりで、ほんとは覚えてなんかない。

人は、忘れる。つらい思い出も、あの瞬間の喜びも、全部忘れる。
あの空がどんだけ青かったのかなんてことも、たぶん覚えてなんかいない。
忘れて消え去ったのか、心に染み付いたのか、わからない。
ただ、感情は形を変え、無常。流れるんだ。

だから、痛みだって忘れるんだ。
感情はそれくらい流動的で、柔らかくて実態なんかありゃしねー。
忘れないとやってらんねーぜ!って、ロックなこと言えるのも、忘れることを承知してるからだ。

消えない傷を身体に背負ったおじさんじゃないと、あんなこと言えない。
目に見えないと、わからんのか。

そうなのか!マルクス!

仙人タクシードライバーにぼくは感服、腓骨ごときで卑屈になっている自分を恥じた。


最近、自分を的確に表現するコトバに出会った。
「さみしがりやのひとりずき」
自分の力じゃどうにもならないような、でっかい力が働いてる。自然。

一人で、自然に、歩く。
森羅万象に、身を委ねる。


June 20, 2007

■My Life As a Dog■

27f4c650.jpg■My Life As a Dog■





by : Lasse Hallstrom(1985.Sweden)










韓国語の俗語で相手を罵る際、「この犬ヤロウ」(直訳)と言う。

思い起こせば、己の文化にこんな俗語を持っていながら、ぼくの従兄弟は
韓国人は犬肉を喰う野蛮な人種だと西欧諸国から非難されたことに激怒していた。
クソヤロウをおいしく頂くことは、矛盾を孕んでいる。

ここが変だよ日本人とは、よくできた番組だった。

さて

ぼくはようやく怪我が巻き起こした負のスパイラルから抜け出し
ダースベイダーなりかけで正常を取り戻した。

ひきこもりによって鬱積したぼくの陰のパワーは
あいもかわらず時折、ぼくの心を暗黒世界に引き込むが
ぼくはそれに負けずにゆっくり歩くことにした。ジェダイです。

映画を観た。好きな映画。4度目。

親元を離れ、里親に送られた少年イングマルは自分自身を不幸だと自覚した。
列車に乗り、空を眺めながらイングマルはつぶやく。
「あのライカ犬に比べれば、ぼくはまだマシだ」

人間の宇宙への夢を叶えるためにライカ犬は宇宙に飛んだ。
ロクに人間とコミュニケーションもとれないのにヘルメットかぶって宇宙に飛んだ。
宇宙で死んだ。

ライカ犬が満足してたらそれでいいけど、たぶんしてないだろうな。
幸と不幸について考えながらデスクに向かっても、全く仕事にならない。

今週は渋谷でゴッドファーザーがレイトショーで再上映。カウリスマキ作品も再上映。
自分の感覚が自分らしくあるために、自分で自分の感覚を養おう。
波には乗っても、渦に飲まれてはならん。

梅雨でまた陰る。時の流れには逆らえんなぁ。


June 10, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.72

a3af542a.jpg≡Tri.Atman≡ photo vol.72 by Shogo




2006.9.16
Greece.Santorini










人は、強くなると優しくなるし
優しくなると、強くなる。

らしい。

片足になって気付いた。


June 04, 2007

□虎ノ門病院□

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腓骨(腓骨神経は腓骨に沿うように足の指先まで走る)










最近好きな場所は虎ノ門病院です。
ビル風を一身に受けながら松葉杖を脇にたたずむのが好きです。
病院でイチゴオレを飲むのが習慣です。

左足腓骨神経を二本断裂しました。

ぼくの澄んだ心はガラスよりも透き通っていて
どんな障害も突き抜けるはずでした。(勘違い)

ガラスに突っ込んだ瞬間は9.11の映像が脳裏をよぎり、神風が吹きました。

カラスは道路にクルミを置き、通り過ぎる車のタイヤの力を借りて殻を割り身を食べることがあります。
カラスが天敵であるハトは誤ってガラスに突っ込む事があります。平和の象徴たる所以でしょう。

ぼくはハト派です。

しばらくは松葉杖の生活が続きます。
ぼくはこの機会にバリアフリーとハトと腓骨と平和について考える事にします。

今日、配属も正式に決まったので再度書き始める事にします。
とにかく健康な身体を取り戻す事から、のんびりと始めます。ゆらりと。

今のぼくを励ますコトバたち。

□「怪我の功名」
  当初は過失や災難と思われたことが、思い掛けなく好結果を齎(もたら)すこと。
  また、なにげなくしたことが、偶然にも好結果となること。

□「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
  虎が住む穴に入らなければ、虎の子供を奪い取ることはできない。
  転じて、大変な危険を冒さなければ、望みの物を手に入れることはできない。

虎の門と虎の穴は違うのでしょうか。


April 01, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.71

9e1fa0b5.jpg≡Tri.Atman≡ photo vol.71

2006.8.24
Yemen. Shibaam




しばらくは、吸収する事に夢中になるのだろう。
青く燃える情熱を胸に、吸い込みまくる。

とにかく吸い込みまくって
男になる。


March 30, 2007

≡Tri.Atman≡ photo vol.70

4855b3e8.jpg≡Tri.Atman≡ photo vol.70


Time : 2006.8.23
Place : Yemen, ?



眠りたいのに、眠れない。
ベッドの中なのに、バスの中にいる気分。

さて

Life誌が廃刊になるそうな。
ぼくのリンクに貼ってあるWebsiteは生き残るものの、雑誌は4月をもって廃刊になるとのこと。

すべて、移ろう。

最近好きなコトバ。
「Let it be」と「Drift」 。

March 27, 2007

♪僕の贈りもの♪

d65ae096.jpg♪僕の贈りもの♪



by : オフコース (1973)






ひさびさののんびりに動揺し頭の中が整理されていないので
脳内に断片的に転がったトピックだけを並べる。
今頭の中にある事を、限られた時間の中で止まらずに、並べる。
レッツ、支離滅裂。最近、オヤジギャグの調子がいい。

ひとつ。僕の贈りもの。
ここのところ、コテコテでストレートなものにメッポウ弱い。
大学生活、いくつかの言語に挑戦したけれどやっぱり日本語はぼくの心を刺す。
小田さんのストレートな歌詞にやられる。
大学生活、フラフラしていたがそのおかげで広いようで狭い世界を知り、本当に多くを学んだ。
お堅くでっかい国際情勢を知ろうとした努力が、ミクロな恋愛政治学の発見を生んだ。
よって、自分なりに恋と愛の違いが判るようになった。全部つながっていやがる。
「恋の喜びは愛の厳しさへの架け橋に過ぎないと」。今の僕はこんな感じで
帰り道、生温い風に当たりながら「僕の贈りもの」を聞くと、やっぱり春ってそういう季節だよね、と思う。


冬と夏の間に春を置きました  だから春は少しだけ中途半端なのです
このころはなんとなく 心楽しくて 知らないうちに誰かを 好きになったりします
それでも好きな人が できなかった人のために この歌は僕からあなたへの贈りものです

夏と冬の間に秋を置きました  だから秋は少しだけ中途半端なのです
このころはなんとなく 心寂しくて 知らないうちに誰かと すきまができたりします
それで好きな人と 別れた人のために この歌は僕からあなたへの贈りものです


ふたつ。春。
いつの日か、母がこんなことを言っていた。
主婦になり家にいる時間が長くなってからというもの、春が少し嫌いになった、と。
周りのみんなは新しい事の始まりに心躍らせているのに、自分だけ取り残された気分になる、と。
カウンセラーの母は、シュタイナーの言う「心を沈黙させる」ことに挑戦していたけれど
息子にぽろっと本音をこぼした。ぼくはいつも強い母の、不意に見せる弱音が好きだった。
そんな我慢の人、母をよそに、父はこんなことを言った。
過ぎた謙虚さは傲慢だ、と。
夫婦とは、やはりパズルなのか。

みっつ。ありのまま。
卒業式から立て続けに三日間遊び通し、今日になってようやくペースダウン。
今は完全に卒業ムードで楽し切なく、完全に過ぎた時間たちを想うsaudadeの渦中。
懐かしさに浸る、なんとも未練がましい性格。まぁそれもありのまま。
なくなろうとするモノに対して愛しさは生まれるらしく、過ぎた時間も過ぎた人も愛しい。
やっぱりありのまましかないと思う。
無理に自分を変えようと、自分の矢印を変える力を加えるのはどうも性分に合っていない。
ありのまま以外、なんでもない。ぼくはありのままで、それ以上もなければそれ以下もない。
就職活動の悩みを抱える後輩に会うと、いつもそんな思いが頭をよぎる。


記録に要した時間、12分。
急いで書く感じが、楽しい。


March 11, 2007

#Travel →↓Dhaka◇カーニヴァル化する社会◇↑←

e4eded71.jpg#Travel →↓Dhaka◇カーニヴァル化する社会◇↑←



Time : 2007.3.10
Place : Bangladesh,Dhaka






もうわけがわかりません。
ネット環境が最悪です、たまに電気が落ちます。とにかく急いで書く。

カーニヴァル、3連発。

二月の中旬にカーニヴァルを開きました。
前回ほどの集客は見込めなかったのが心残りではありますが
コストとパフォーマンスとのバランスを思い知るとても良い機会となりました。

翌日から本場のカーニヴァルを感じに地球の裏側へ飛びました。
一言で言うと、格の違いを見せつけられました。
己のケツの蒼さを痛感しながら、ビーチに溢れるケツに目をくらましました。

今、バングラデシュにいます。
ここで「カーニヴァル化する社会」を読みました。
今完全に頭がおかしいです。

ある程度の宗教的統制の中で自己を規定する「反省」がここには溢れています。
たぶん「差異」が生んだ消費構造の複雑化も存在しないんでしょう。

だいたい考えてもみれば、ネット上で頻発する「祭り」なんてものは
日常に「祭り」が溢れていれば存在し得ないんじゃないでしょうか。

それにしても人間、物質的に満たされる一方で何かを切望する気持ちは反比例に膨らんでいくのでしょう。
「祭り」もそんな傾向の中で肥大して生まれたんだろうなぁ。

欲しいモノは届かないからこそ欲するわけで、欲しいモノの存在が見えなくなれば欲望は狂いだすみたいです。

「我思う、故に我有り」。主我、客我。
反省と、再帰化する自己のモデルは、個人的にはクリーンヒットでした。悶絶

昨日ぼくが泊まっているダッカ大学の寮でpolitical leaderとみなされる42人の学生が逮捕されました。
おととい訪れた農村では一人の男性を相手に100円で売春を行っている女性たちと話をしました。
その前日に訪れた街では一日二食の食事にすらありつくことが難しい農民たちに出会いました。

今回はビデオカメラ持参です。
自分が目にした現実をカメラに記録する事は、想像以上に難しい事だと実感しています。

何がカーニヴァルなんでしょうか。

この文章を連ねてからわかることは、自分の頭が整理されていないという事実だけです。
もう少し整理したら、書きます。


February 15, 2007

※告知『おじさん』#Travel →↓BRASIL↑←※

15c67729.jpg※告知『おじさん』#Travel →↓BRASIL↑←※




Time : 2007.2.17
Place : Super Deluxe









しつこいようですが、あさってはcomo nostaです。
画像にあるような、ステキな黄色いおじさんに会いたい方は是非いらしてください。
あと、ゆらりと心地よい音楽も。

イベントの詳細はこちらをご覧あれ↓
http://blog.livedoor.jp/como_sung/archives/2007-01.html#20070129

我々como quiserは大学生活、お好きなように活動して参りました。
今回もお好きなようにやるんで、みなさんもお好きなようにやってください。

当日ぼくは人生初、無口な友達20人を乗せて2tトラックを運転します。
みんながトラックの荷台の中で暴れないかとても心配です。
ただ、会場では300人のおじさんが待っていてくれるので心強い限りです。

ゆらりと、遊びましょー。

会場は荷物預けるところがないから、なるべく軽装でいらしてください。
あと、ライブが0時2時にあるから、その時間はマスト。てな感じ。

Super Deluxeの地図はこんな感じ↓
http://www.super-deluxe.com/JP/map/index.php?m=02&y=2007&lang=JP

会場の真向かいにzabooありますから、飽きて疲れた方はそちらで体を癒すのもいいでしょう。


で、イベントの翌日からはおじさんの出身地であるBrasilへ乗り込んできます。
大学入学当時から卒業旅行はBRASILと決まっていました。
かねてから想いを馳せていた本場のSaudadeを味わってきます。オルフェ。
ぼくを魅了してやまないブラジリアンカルチャー、いっぱい吸い込んできます。

とりあえず、como nosta。是非、来てね。

February 13, 2007

♪You've Got a Friend♪

910d52a1.jpg♪You've Got a Friend♪


by : Carol King (1971.US)







いいものは良い。王道。ぼくの愛聴盤。Tapestry。
より、you've got a friend。

感傷的になる事が嫌いじゃない。
弱った心にストレートな歌詞が重く刺さる。
You've Got a Friend はぼくの永遠のテーマソングです。
昨日という日にふさわしい一曲。
痛んだ心をCarol Kingの歌声に癒して頂く。


研究会、最後の日。ポストモダンと別れと幸せについて考える。

テキーラの援護射撃を受けて、はじめて先生とポストモダントークを展開した。
大きな物語の凋落、高度経済成長の神話の崩壊、バブル、30分もない時間で精一杯話した。

ぼくにとって一番大きかった先生の一言。

「ポストモダンはプリモダンに似ている。」

歴史は繰り返すことをほのめかしているようで、先生はバブルは二度とやってこないと言った。
大きな矢印が拮抗していた時代から、変幻自在に伸びる複数の矢印たちが彷徨う時代に。
そこで先生は、「どうやって幸せな人生を送るのか」という落としどころに常に帰着していた。

先生は「人を幸せにするマーケティング」を強調していた。
思考の螺旋階段をぼくの何百回転以上も経験した先生はこの答えにたどり着いたのだろう。
ぼくのちっぽけな世の中に対する反骨精神が惨めに見えた。

先生に会う前に後輩と「幸せ」について語っていた。
幸せは目に見えないものだとぼくは仮定していたのだが、昨日誤りに気付いてしまった。
絶え間なく流れる時間に抵抗しきれず、過ぎ去った過去に対しての一定の執着心が「幸せ」だと思っていた。
ところが昨日はリアルタイムで幸せを感じてしまった。不覚ながらも。

別れの涙は嫌いではない。
どちらかと言えば好きだ。わんわん泣くのが好きだ。本気で泣くのが好きだ。
全部本気でやろうと再確認した。遊びも、勉強も、泣きも、全部本気でやろうと思った。
本気でやらないと、くそだ。肉体が倒れるまで、やってみろ。
精神は滅びない事を知っているんだ、考える事を本気でやれ。

風邪とアルコールとラーメンにすら打ち勝てず弱音を吐く己の脆弱な肉体の内で
果てしなく螺旋を巻き続ける思考の経験をあきらめず、屈強な精神を養い、死に際で聖人になる。
ポストモダンと別れと幸せから、この決心に至った。

激しい感情の起伏を経験した翌日は、虚無感に嘖まれる。
何かを「愛おしい」と思う気持ちは、なくなろうとするモノに対する執着心であり「幸せ」に近い感覚だ。

なくなろうとするものに対する「空しさ」が「幸せ」なのかもしれない。切ない事が幸せだ。

そんなことを今朝、思った。

感情が高ぶっている自分を記録すると、こんなことになる。実験でした。

とにかく、研究会のみなさんには感謝の一言に尽きます。
絶対無二の思い出と、仲間と、喜びを共有できた事を誇りに思います。
ありがとうございます。DVDも、アルバムも宝物です。


When you're down and troubled
And you need some loving care
And nothing, nothing is going right
Close your eyes and think of me
And soon I will be there
To brighten up even your darkest night

You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend

If the sky above you
Grows dark and full of clouds
And that old north wind begins to blow
Keep your head together
And call my name out loud
Soon you'll hear me knocking at your door

You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there

Ain't it good to know that you've got a friend
When people can be so cold
They'll hurt you, and desert you
And take your soul if you let them
Oh, but don't you let them

You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend