2026年03月01日

建築会社の力量

thenew10new


何だか究極のテーマに切り込む宮本武蔵の心境でパソコンに向かうのは怖しい。笑
ことほど左様にこれは禁断のテーマと言っても良いような、悪いような、勝手にしやがれ状態ですが、その判断の基準が難しい。

建築をどう捉えるか、という問題が先ずあります。技術としての側面と美の基準としての側面と。技術は分かりやすいけれど美の基準となると曖昧模糊、しかし決してそれは人によりけりという判断に寄りかかってはなりません。人によりけりでは如何様にも逃げが効く。
ではお客様が家を建てたいと思う時、その基準となる良し悪しはなにをもって判断とするのか?ここが問題です。
また、お客様の移ろいやすい基準を基にしてそれは正解だろうか?とも思うのです。
技術は当然深いのですが、技術は職人の個々の力量という側面が大きい。が、それでも個人を超えた建築会社が求める技術の範囲が当然ある。
おかげさまで当社の仕事に携わってくれる職人は皆優秀です。それは優秀な仕事を提示することで成り立ちます。つまり、腕をふるえる仕事がまず必要なのです。それはお客様の思いを建築会社が受け止めてその思いに応える図面を導き出し、さらにその思いを凌駕する建築会社の創造力がこそ職人一人一人の力量をさらに高いところへと導くのです。
職人はみんな命懸けです。命懸けというのは家族を抱え、生活を支えるという意味で命懸けなのです。その命懸けの、それでもよい仕事をしたいという職人魂が職人という個人職を支えている、と思うのです。
簡単な仕事がいい、それでお金になるならそれだけで良い。しかし、と、職人は考えます。このタイルの貼り方で良いのだろうか?この鑿の掛け方で満足だろうか?これで美しいだろうか?これでお客様は喜んでくれるだろうか?
それはとても大事なモチベーションなのです。私たちはその一点に掛けている、と言って過言ではない。その集積が、その相対が、その溢れる思いが仕事に求められる技量の壁といってもよい。その壁を突き崩したいと職人は常に思うのです。

よい仕事への渇望。そこにはお客様の鋭い審美眼も必要とされるでしょう。何でも良いから建てばよい、では職人も建築会社も育ちません。しかし、そこにはまずもって建築会社の不断の努力でもってしてお客様に建築の醍醐味を味わっていただかなければなりません。私たちは「澪つくし」なのです。ほんとうにそう思います。
私どものブログ、「コモハウスの建築の作法、不作法」は一貫してそのことを訴えてきましたが、読んでくださる方が少ない現状では絵に描いた餅、しかしそれでも餅は餅屋。
ではこの餅屋はどれほどの力量があるのでしょうか?


これは難しいけれど、少なくとも目指す頂の高さは遥かに高い。私たちはそれほど意識したことがなかったのですが、ある時、他社の仕事の出来を見て初めて己が会社の力量の高さを思い知らされたことがあります。その会社も自然素材の家づくりが売りの建築会社だったのですが、えっ!こんな納まりでいいの?こんな材料を使って平気なの?それはある意味で衝撃的でありました。

実は、私どもコモハウスが標榜する「住まいはもっと美しくなる」また同時に「旧築提案の家づくり」の二本柱は、それは古材をあしらい、古いものと手を携えての家づくりとは微妙に汚れた、小さな傷があってもそれをあえて残す、その判断はとても難しいのですが、それでもそのことで心温まる家づくりを目指すというとんでもない力技なのです。

建築工事はクレーム産業だそうです。クレームが怖くて無垢材なんか使えない、という会社もあるやと聞きます。私たちは逆に、クレームが怖くて家が建てられるか!と思うのです。美しさは失敗や傷を肥やしにして花開きます。その事をお客様に理解してもらう事は私たちの大事な仕事でもあります。
遥かな冒険の旅路はそこを越えると喜びの歌が聴こえる。




comohouse at 06:46|Permalink 日々これ精進 

2026年02月02日

散歩でひぐらし

その日暮らし?
ではありません。笑
日々の日常に思うことは様々あれど、いちいちブログに書くのも憚られ、世の中のものの哀れになにを思う?と、それほど悩み患うわけではありませんが、昨今の風潮や世相の移り変わりに思うことが無いわけではない。ですが、それもまた詮無いこと。
まだまだ半生をふりかえるには半人前、いく手を遮るものもなく、未来が素晴らしくひらけているとも思えない。しかしそれもまた人生、と思えるくらいの達観に達したのかしらと思わぬわけでもない。
ええい、鹿詰めな。なにを言いたいのか自分でもおぼつかないこの不安定な自分。
仕事柄、それにも関わらず最近の建築の流行り廃りにはそれほど心が動くわけではなく、皆さんの家づくりを傍観して、そうか、とへんに気合が入るわけでもなく、家づくりには実に様々な想いが溢れているものだと感心することしきり。良い家に巡り逢いたいけれど良い家は容易に姿を現してはくれません。

ブログの世界も変わりました。ライブドア・ブログを始めて二十何年?投稿数も600件を超え、書くことも無いと言えばないしあると言えばある。笑
同じことの繰り返しはわたしが最も嫌うところ、なのにブログの内容は、、、、?
同じことを二十年言い続けてきたような、、、、、
それでも住まいづくりに終点はない。しかも歳を重ねる程に家づくりは深く巧妙に、確かに確信へ近づいているという実感がある。これは奇妙なことで、普通は音楽でも絵画でも文学でも若い感性が作品に圧倒的な存在感と未来を本能的に捉えて有無を言わさぬ力技をふるって周囲を平伏させるものです。若者こそが芸術の未来を切り拓く試練を与えられ、歳を取るほどにその感性は衰えていく。残念なことにこれは歴史が証明する事実なのです。
それにもかかわらず、建築は歳を経ることが欠点にならない稀有の表現形態と言っても良い。建築は年寄りにこそ相応しいのかもしれない、と考えると、それは有り難いようで多少むず痒い恍惚と不安のふたつ我に有り。笑
さて、私も去年より確実にひとつ馬齢を重ねて去年より今年のコモハウスに乞うご期待。そんなふうに考えると人生まんざら捨てたもんじゃない。
いやあ、建築って、ホン〜トにおもしろいですね。それではご一緒に楽しみましょう、サヨナラ、サヨナラ、さよなら。

abc202311





comohouse at 21:47|Permalink 思いは遥か 

2025年12月31日

一年の計は元旦にあり

暮れになると思い出すことがたくさんありますが、後悔は決して先には立ってくれません。一年を振り返り、ああすれば良かったこうすれば良かった、しかし、それはすべて後の祭り。祭りの後、、、。
思い出は通り過ぎるけれど、仕損なった後悔は、過ぎたるは及ばざるが如し、と達観するには軽薄な輩にはなかなかそれは難しいもの。

一年の計は元旦にあり。今年の初めに元旦になにを思ったかはすでに遠い過去の話。年の初めに「決意の重い覚悟」が一年を決定する。しかし往々にして凡人は年の初めを無為にやり過ごしてしまう。そうして十二ヶ月を過ぎた頃、おもむろに年の初めの覚悟を思いだし、過ぎたるは及ばざるが如し。後悔は残るが、覚悟の程はおぼつかない。

住まいづくりは難しいですね。歳を重ねるごとに年々難しくなりますが、しかしそれ以上に日々新たに楽しくてしょうがなくなる。この楽しみを手放してなるものか。
住まいづくりに終着点はありません。途中下車もまた楽し。そんな気楽な気持ちも大切です。
積み重ねた自分の人生を大切にすることが住まいの骨格。
そんなことを思いながら「日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日は流れ、わたしは残る」
いよいよ今日は大晦日。

今年も一年ありがとうございました。よい年をお迎え下さい。

thenew10new



comohouse at 05:36|Permalink 日々これ精進 

2025年11月01日

そして誰もいなくなった

空がこんなにも青いから僕は泣けてくる、と歌ったのは誰でしたか?
時代は変わる、それも劇的に。劇的であることすら悟られないように、世界は巧妙に、音も立てずにわたしたちの背後ですり替わって行く。
思えばダイヤモンド・プリンセス号が横浜に入港してから時計の針がコトリと音を立ててあらぬ方向へ転がり始めたのかもしれません。パンデミックの嵐はあっという間に建築の世界にも暗い影を投げかけています。

デフォーの「疫病流行記」をご存知ですか?
ある日、一通の至急伝がマルセイユの港に飛び込んできます。客船の船内で原因不明の疫病患者が出た、と。
それはまるで世界の終わりを告げるような恐怖の幕開けだったのです。やがて船はマルセイユへと近ずいてきます。死の影が疫病の名を借りて忍び寄ってくる。船を迎えるマルセイユ港ではパニックの輪が徐々に広がり、、、ここまでお話しするとまるでダイヤモンド・プリンセス号のコロナパンデミックを彷彿とさせるような出来過ぎた話ではありませんか?

コロナは(ワクチンは)日本をどう変えたのか?
経済だけではなく、長引くマスクへの執着は日本人の生活を劇的に変えてしまった。
友人の息子さんが高校生活でのマスク生活から恋人ができない、あの子いいな、と思ってもマスクを外した時の顔が想像できない。そんなあやふやな対面で恋は成就できない。マスクを外した時の落差を受け入れられない時はどうすればいい?そんなの嫌だ!
これは逆も正なりで、女子だって自分の想いを受け止めてくれるこの人こそと信じたくとも素顔が見えない相手にマスクを外すと出っ歯じゃないの?そんなの嫌っ!
少子化がとまらない。そもそもこのような状況下で結婚する男女が劇的に減ってしまった。これでは子どもができる筈がない。私たちの若い頃は目の色を変えてオンナ女オンナ。女子だって男オトコ男。それは自然な恋の駆け引き、人が人の絆を確かめ合う壮大な儀式。人と人の思いが入り乱れてこその人生ではありませんか。

住まいはその絆を確かめ合うためのパズルのピース。大事なピース。結婚という絆の終着駅と言ってもいい。男女が互いを確かめ合えない世界に愛の巣をかける理由もなく、ひとは散り散りとなって世界は崩壊の一途を辿るだけ。わたしたちはそのような世界の淵に立たされている。そうとは気づかぬ内に、静かに、劇的に、寂しさを抱きしめるように。
そのような世界をわたしたちは受け入れるのだろうか?それが人間の運命である筈がない。

空があんまり青いから、ぼくは泣けてくる。



comohouse at 05:45|Permalink 日々これ精進 

2025年09月13日

恋の季節

時間があれば美術館や美しい建築を訪ねてみたり、本を読んだり絵を描いたり、たまにはギターをつま弾いたり(エレキですが😇)
遊びやせんと生まれけり。(笑) なに、どれも中途半端でものになった試しはない。(泣)下手の横好きってやつですな。

しかし、人生はなんでも肥やし。建築は食も健康も読書も娯楽もスポーツも、そのすべてが血となり肉となり、住まいづくりの栄養となって天地を駆け巡るとあら不思議、家づくりの土台が心なしか頑健に力強くなるものですから何ごとも無駄じゃない。
さて、そんな私たちもこの所のこの圧倒的な猛暑にはたじろぎ心挫け肉体は白旗をあげ、夏は仕事は休みだとばかりにはい今日は美術館、はい今日は名所旧跡を見て回ってあっちいのー。笑

しかしなぜこうも暑いのか?地球温暖化?今地球は小氷河期にはいったと言う説もあります。なにが本当でなにが嘘なのか?飛ぶ鳥を落とす勢いだった電気自動車もここにきて失速、中国の BYD やEVに前のめりになったドイツのベンツなども今や顔色真っ青、やっぱり内燃機関は強かった。トヨタなんぞはさらに水で走る自動車の開発を始めたとニュースになりましたね。
この水で走る自動車、実はすでに三十年前に実用化されていて、発明したスタンリー・メイヤー氏は闇に葬られたと言うまことしやかな話があります。(90年代には日本でも実用化されましたがいつの間にか闇から闇へ)

さて、建築はどうでしょうか?建築はどうしようもなく技術革新の最後尾にあってあいも変わらず十年一昔、構造はなにも変わらない。これで良いのか?と思うほど変わらない。木造住宅は木造住宅。大工が刻んでぽちぽちと。
しかし、これでいい。これでいい、と思える家づくりはこれほど強いものはありません。
しかもコモハウスに至ってはさらに昔に帰りたいと思うほどで、しかし、それでも、
そんな私たちにも一丁前に悩みはあります。
これがまた最大の悩みが職人不足、技術の継承とあってはさて、長い月日の中で失われた技術の膨大さにわたしたちは思わず息を呑むことになります。
 


comohouse at 11:27|Permalink 建築雑感 

2025年07月29日

過去から逃げてくる

暑いですね。
こんな暑い日に玄関先で父と水浴びをしてはしゃいだのはもう遠い日の思い出。
記憶もうっすらとして夏の日の太陽の彼方に陽炎のように浮かんだり沈んだり。
光陰矢の如し。

そう言えば結婚して最初の子が出来たばかりの頃、夕方になると親子三人で夕涼みに表通りの暗くなった歩道を散歩するのが楽しみでしたが、その表通りというのがじつは東京の井の頭通りでした。近くにロイヤルホストもあったりして、そこまでてくてくてくてく子どもの歩調に合わせて行って帰ってくるだけ。たまにはお店でコヒーを飲んだりしたのかしら?

先週の土曜日、小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行こうとこの井の頭通りを車で走ったのですが、すっかり今浦島でまるっきり変わってしまったのにびっくり仰天、何てったってこんなに道が狭かったの?まだ家々の間も隙間だらけで空はもっと大きかった。
一緒に散歩した子も今ではすっかり大きくなって、変わらないのは家づくりに七転八倒するお父さん(わたし)だけ。

 わたしの上に降る雪は
 熱い額に落ちもくる 
 涙のようでありました

先日とある建築雑誌を読んでいましたら、
「建築は経験学だと考えている。建築家は誰も、自分が体験した建築から影響を受けている。」
と建築家の神谷昭雄さんがおっしゃっている一文に目が止まり、まさに言い得て妙、建築に携わるものはひそかにこうした想いを胸に抱いているのではあるまいか。
過去に手掛けた建築は背負いこむものが多すぎて押しつぶされそうなほど深く刺さっているのですが、しかし、もちろんそれは経験という分厚い肥料としてその後のあたらしい展開の支えになっているのは間違いありません。建築は日々発見なのです。意図した道筋があらぬ方へ自分たちを導いていく。自分の考えたことであるにもかかわらず、新鮮な発見に心踊らされる日々の連続。
ひとつには、建築は、携わるものにとっては大量生産品のように次から次へとこなせるものではない、という事実があります。そして、そのひとつひとつがその建築独自の成立要因を抱えており、そのひとつひとつを克服するのに膨大なエネルギーを費やしてきた、という側面があるのです。
良いものを愚直に追い求めれば追い求めるほど抱えるトラウマは限りないものになってしまいます。
それらをひとつひとつ解決し、新たな地平線を切り開いていくことの醍醐味は何にも変えられない喜びでしょう。
しかし、建築はこれも仕事と割り切ればなにもそこまでしなくても、という悪魔の囁きが聞こえてくるのですが。
コモハウスの建築は設計施工です。なにも書かれていない真っ白い紙に鉛筆を立て、絵を描くように描き込み造形し、その上で今度は実物を作り込んでいく。作り込む過程で選択肢は百通り。そのどれを選ぶにしてもそこには葛藤がある。

こうしてひとつひとつの経験が建築を掘り起こし、その経験の後押しであたらしい仕事に臨むことができるのです。この一棟をながして建てればその経験は浅く、心にも残らないでしょう。
そう。わたしは建築が好きなのです。

 わたしの上に降る雪は
 真綿のようでありました
  
 中原中也










comohouse at 06:39|Permalink 建築雑感 

2025年07月07日

七月七日の七夕もすぎて、

最近読んだ本で感激したのは「知られざる前島密 日本文明の一大恩人」。
横須賀に住んでいれば芦名の浄楽寺側の「前島密翁終焉の地」の碑が海岸線の道路の脇にひっそりと建ってあることはご存じでしょう。前島密が郵便制度の父と呼ばれているのもご存知の方が多いことと思います。
では、前島密が生涯をかけて築き上げた郵便制度についてあなたはご存知でしょうか?いや、あなた以上に私こそが実はあまり詳しくは知らない、というのが実情でした。

前島翁の郵便制度の創設にかけた想いと実現への苦難の道、そして郵便制度が実現することで我々が蒙った多くの恩恵を詳らかにすると、小泉純一郎の郵政改革がいかにデタラメで百害あって一利もなかった改悪であったことかが身に染みて分かります。
開国時に雪崩を打ってやってきた欧米人がすでに我が国で郵便事業を始めていたという事実。それも治外法権で日本国の行政の蚊帳の外、郵便や貨物が送られてきて、それを日本の代官所がチェックできない。何が運ばれてこようが欧米はいっさい日本の官憲の手配を受け付けなかったのです。それが麻薬であろうが武器であろうが日本の国内を堂々と流通して行く。さらに国宝であれなんであれ郵便の名目でなんであれ国外に持ち出すことが可能であるというこの事実。
これは不味い、と前島密は考えました。ここは日本である以上検閲はあってしかるべきでしょう。しかし、当時郵便制度もなく、飛脚に頼っている現状では大事な郵便も満足に届かない、江戸大阪ならまだしもそこから少し離れて兵庫だ姫路だというともう手紙はどこに行くのか当てもなく、行き先は飛脚に聞いてくれ状態では国の根幹も危ういではないか、と前島密翁は考えたのです。

そこから始まる郵便制度は物流の一大改革を伴って、やがて日本通運、日本郵船といった国策企業の誕生へと大きく発展してついには今につながるヤマト運輸や福山通運といった一大流通網の発展が日本を大きく変えていきました。
しかも前島翁は当時から現金の運搬も考えていたのですから驚かされます。

そうした長い歴史を断ち切って郵政民営化などと私たちを騙した小泉純一郎の悪行を改めて深く考えさせられてしまいました。民でできることは民で?民営化で郵便局は便利になりましたか?
国が自腹を切ってもやらなければならない事業はあるのです。警察を民間に移行して世の中が安定しますか?民間の軍事会社が国家を守りますか?利益の出ない国土防衛など民間の軍事会社がやる訳はありません。

今また農協の解体が小泉氏の息子さんの進次郎によって弄ばされていますが、私たちは小泉親子に騙されてはいけません。

前島密男爵は隠居後芦名に住まいを移して晩年を横須賀で終えたのですが、日本の郵便制度というものがこれほど素晴らしいものだとはこの本を読むまで知らなかったし、興味すらなかったのですから私もほんとうにバカでした。




comohouse at 20:51|Permalink 日々これ精進 

2025年06月15日

家が建たない

今年は梅雨入り前からよく降りましたがいよいよ梅雨の真っ盛り。
こうお天気がすぐれないとなんだかブルーな気持ちで鬱陶しさが増して良くありません。
窓から外を眺めながらそんなお休みの日曜日、気分転換にとYouTubeを見てみたら、最新の住まいの設備器具を紹介する某建築会社さんの番組が目にとまり、ながら視聴では申し訳ないのですがこういった設備器具にわたし、灯台下暗しで最新情報に通じていない。恥ずかしい話ですが、昨今のシステムキッチンなんてな〜んも知らない。自慢にもなりませんが、いや思い返せば最後にメーカーのシステム・キッチンを使ったのはもうすでに四年前?
ええっ、そうか、パナソニックのシステムキッチンってこんな風に進化?(変化)してるんだ、と目から鱗。
天板が人造大理石でシンクまで一体になってシームレスに成形されおり、つまりはゴミ溜まりの目隠しがないのがウリなんですね。IHクッキングヒーターも凹凸がなくお掃除が楽。それがウリ。それらのウリの詰まるところは何なのか?
はい、その売りのシステムキッチンがこれです。




時代は変わりました。
無意識をデザインしたそうです。便利だそうです。
「作業や動線を妨げない」 「必要不可欠なテクノロジー」 「美しい家具として一体化」
「人と空間に調和するデザイン」

これはいい!かしら?と、ここがコモハウスのむずかしいところ。^_^
つまり、便利だと、楽チンだと、それがわたしたちが住まいに求める究極の機能だろうかとつい思ってしまうのです。だれでも掃除がラク、便利となると飛びつきたくなるものですが、ではそれが住まいを美しく保つ秘訣かといえばそうでもない。

「住まいはもっと美しくなる」
わたしどものキャッチフレーズからは、必ずしもこうした最新設備が美しいとは感じられないのです。
「旧築提案の家」
これはもうひとつのわたしどものキャッチフレーズです。新しいことはいいことだ。(ホント?)
わたしたちが追い求めるコモハウスの家づくりは、美しさの基準が少し違う。
「大切なことはね、目に見えないんだよ」あるいは、
「美は乱調にあり」あるいは、わたしはセザンヌよりもゴッホをとりたい。

では何をもって住まいづくりの中心に置くのか?
それは、美しさを打っちゃって、便利な生活に背を向けて、必要最低限に絞り込まれた肋骨(あばら骨)のような建築。スルメのような建築。貧しいメザシのような建築を飛び越えて豊かな世界を築きたい。それは必ずしも間違ってはいない、と思うのですが。






comohouse at 08:35|Permalink 勝手にしやがれ 

2025年05月21日

建築のすすめ(学問のすゝめ、風に)

家を見て歩くのが好きです。

家を見る、建築をみる、それはまるで福沢諭吉の「学問のすゝめ」のように人は生まれながらにして平等であり、学問を通じて己を研鑽し、社会における自己の存在意義を高めることに似て、建築を知ることで心が豊かになるかもしれないし、世界をよりよく知る手立てになるかもしれないという希望でもあります。
普段から様々な家を見ていると「住まい」の良し悪し、足りないもの、過剰なもの、愛情深い家、冷たい家、寂しい家、暖かい家の必要条件が朧げにもわかってくるものなのです。
家は、建てたいと思ったその日にさて、どんな家を、と考えて思いつくものではないのですが、欲しいと思うと後先を忘れてしまうのも人間の悲しいサガです。

先日、Xで「ナチュラルハウス」についてちょっと触れたら一気に「ナチュラルハウス・ブック」のことが思い出されて久しぶりにページを繰ってみましたら、1990年代のことがあれこれ思いなされて懐かしかったですね。 出版されたのが1996年。バブルが弾け、いよいよ不況の長期化が顕になった頃、山一證券が倒産し、社長が涙の記者会見を開いたのが1997年でした。
コモハウスの方向性を系統立てて明らかにしたいと勉強に余念がなかった頃のことです。住まいを美しく彩るのは何が大事なことなのかと考え続け、それは素材を正しく調理することだ、しかし正しく調理するとは どいうことだろうかと分からないことだらけ。その時に出会った一冊の本、それが「ナチュラルハウス・ブック」だったのです。
まだオーガニックという言葉もなく、「自然素材の家」などという謳い文句もなかった頃、 私たちが目指した方向はまさにナチュラルハウスだったのです。

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土、鉄、漆喰、材木、石、陶器。
ゲル、法隆寺、桂離宮、パルテノン神殿、銀閣寺の荒びた風景。
わたしたちは小さな家づくりに臨むしがない建築会社に過ぎないけれど 、わたしたちが目指す建築は摩周湖のように深く、透きとおった永遠を顧みることができる木造の家。
きっとどこよりも美しく、どこよりも深い感動をおぼえる、そんな家づくりの遥かな道が銀色に輝いているに違いない。 
それまで材木問屋から仕入れていた構造材を、山から直接仕入れることはできないだろうかと考え東濃檜と巡り合ったのですが、バブル後の不況の時代に山の産地もまた販路を問屋を通さずに広げたいという思惑と合致したのでしょう。
サッシも建具も断熱材も問屋を通さないことでより自由な選択が可能になったのも時代なのでしょうか。それまでのガッチリと組み込まれた流通の中では見えない世界があまりに多かったのです。 

東濃檜だけではなく、断熱材をニュージーランドに求め、木製サッシの情報を遠くアルバニアやイタリア、アメリカにまで広げることができたのは インターネットのおかげでした。Windows95やiMacの爆発的な普及が後押ししてくれたのです。
 
ナチュラルハウスからの長い道のり。それらの素材を調理する職人たちとの出会い。組み込まれた流通は素材だけではなく、職人もまたそうした流通に組み込まれ、自由な出会いが阻まれていたのかもしれません。そしてそれは、家を建てたいと望むたくさんの人たちにも新しい世界を提供することになったのです。
では、わたしたちは、ナチュラルハウスの門口に立てたのであろうかと今は静かに自問して、そっと唇を噛み締めているのです。


 




comohouse at 13:03|Permalink 日々これ精進 

2025年05月01日

家づくりの原点

流行(はやり)の歌があるように、流行の建築もあるのでしょうがこの建築の世界にどっぷりと浸かっていると昨今の住まいの流行り廃りがさっぱり見えてこない。
無頓着なのかもしれませんが、住まいの流行り廃りから身を引いて、その建物がこれから三十年四十年建ちつづける明日を思えば昨今の流行にこだわってはいられません。

家造りはお客様があって建築があります。だからこそお客様と語り合うことが一等大事になことだと思います。
語り合う。さて、ここに力点をおいて、お互いに住まいのテーマを掘り下げることからスタートするのですが、ここで面倒くさがってはいけません。わたしたちの仕事は家を建てること。しかし、ただ家を建てるのではお客様に失礼です。下請けで家を建てない工務店ですが、お客様にお引渡しする建物は最上の二文字でなければならないと、これはわたくしどもの執念です。
ではなにが最上なのでしょうか?

機能、デザイン、頑健、この三つを兼ね備えることはもちろん簡単なことではありません。建築はパルテノン神殿の昔から、法隆寺の昔から連綿とつづく技術の伝承と経験の蓄積があります。
それでもわたしたちはその僅かな上積みしか知らない。その薄っぺらい知識を総動員してわたしたちが立ち向かうものが今ここにある建築計画なのです。
だからこそ、わたしたちは話し合わなければなりません。
言葉が悪いのですが、わたしたち以上に皆様は知識が浅いかもしれない。知らないことを補い合う、なによりもあなたの存在を、あなたの希望を、あなたの喜びをわたしたちは知りたいのです。

そしてそれは、あなただけではなく、あなたのご家族にまで広がります。
どのような家を建てたいのかは、どのように住みたいのかという意識にまで遡ります。そこになにを求めるのか、その結果はどういうスタイルが在りうるのか?
わたしたちの建築への思いもお伝えしなければなりません。
近ごろ巷を見ていると、黒い建物が多すぎます。これは何なのか?これが流行りなのだということは分からないではありません。しかし大事なことは、なぜ黒をまとうのか?というその思いなのです。
わたしたちは、あえて言えば流行り廃りに惑わされたくないのです。
なぜなら明日もこの家はありつづけます。明日もあさってもこの家は在りつづけ、唯一無二でありつづけたいとわたしは思うのです。これはあなたたちだけの家づくりです。
だからこそ、わたしたちは話し合わなければなりません。

美しい住まいづくりのために。

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小網代の森に建てたS様邸の窓から、




comohouse at 07:12|Permalink 建築雑感