2017年04月27日

建築途上の内覧会へご招待

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ご案内が遅くなってしまいました。(遅すぎるとお叱りを受けそうですが、、、)
ゴールデンウィーク中の建築途上内覧会、となりますが、来る4月29日(土)〜5月7日までの土日祭日。
完全予約制ですが、お電話、またはメールにてお承りますのでどうぞふるってご参加ください。

現地は、三浦市三崎町小網代です。
詳しいご住所はお申し込みいただいた皆様へ個別にお知らせいたします。悪しからずご了承くださいませ。
駐車場はございます。

海を見下ろす絶景に立ち上がったS様邸。ようやく外壁のウェスタン・レッドシダーを南京下見で貼り始めたところ。内部は羊毛断熱材がビッシリと。現しの梁や母屋、勾配天井の構造がよく見えて建築の勉強にも最適な状態です。どうぞご覧になってください。

ご予約は。
090-5524-7016 コモハウス
info@comohouse.com


4月29日(土)
4月30日(日)
5月3日〜5月7日(水〜日)

exhibition


















comohouse at 06:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年04月23日

塗装についてさらに一言

塗装にこれで良いという塗装はありません。塗料もまた発展途上。そう、これを味わいという観点から見ると移ろいやすい感性のおかげでこの味わいは微妙に違ってきます。
昔は塗料の種類も少なかったので迷いがなかったのかもしれません。なんでもそうですが、情報が氾濫すると正解が見えにくくなってきます。
木部の外部に塗る塗料となると腐れに強い塗料はなんなのか、これは難しい。一昔前までは外装の塗料といえばキシラデコールで決まりでした。今では百花繚乱、しかもそのどれもまだ「これだっ」と断言できるほどの実績がないわけですからさらに判断に迷うことになります。
今回外装部に使ってみたのは「ウッドロングエコ」です。完全なる水性の液体です。粘りは全くありません。ということは、その成分で持って木の繊維に浸透する腐りにくいなんらかの薬(有害無害を問わず、ですが)が含まれていると解釈して良いのでしょうか?残念ながら成分表は明かにされていませんが、無害であると謳われています。成分を明かにしないのはコピー商品を防ぐ意味から秘伝中の秘伝というわけです。原料は鉱物、植物、酸化鉄、ハーブを使用とあります。

そう。私もこれまで色々な塗料を使ってきました。リボスのタヤエクステリア、オスモの外部用の塗料ウッドステインプロテクター、ベンガラ、柿渋、久米蔵、ツバキオイル、キシラデコール、そしてバターミルクペイント。
柿渋の歴史は古く、平安朝にまでさかのぼることができるそうですから法隆寺にだって使われたかもしれない?わかりませんが、、、。?
ベンガラも古いでしょうね。インドから来た塗料ですからインダス文明の昔に帰れば気が遠くなる由来があるのかもしれません。久米蔵はよくわかりませんが、明治時代までは遡れそうですから江戸時代には既にあったのかもしれない?植物性の塗料はどれも古いのでしょう。日本の色の名称はそのほとんどが植物由来の名称が多いですね。古ければ良いというわけではありませんが、古いものに隠されたその精霊を信じたい、と思うのは科学ではなく、感性なのです。
実は住宅は、科学ではなく感性だと思うのは間違いでしょうか。建築基準法は感性です。えっ?そう、違いますよね。では科学か?と問われれば、これも?です。科学だと信じたい、と思う心が一方にあるのです。しかし、科学的に検証されているのなら「科学」と言い切って良いのでしょうが、残念なことにとってもファジーなものですから、その基準法の運用がどうしても曖昧にならざるを得ない。(もっとも法律はそもそも感性ではないか、とも言えるでしょう)
実は、「住宅」は感性で、「建築」は科学だと信じたいというアンビバレンツが住まいの難しいところなのでしょう。

さてそこで、塗装はまさに感性の拠り所。だから難しい。

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ウッドロングエコを米杉のラフ板に塗装している風景はなかなか壮観です。屋外で、こうして板を広げて塗るスペースがあるということがすでに貴重な風景です。全部で25枚の裏表。塗り終わる頃には陽にあたって色が変わってきます。夕映えの色がつく、といったほうが正解か。この色がなかなか得難い色で、くすんだ錆び色と言えば良いのでしょうか?実はこれに近い色がバターミルクペイントでも再現できそうです。何種類かの色を混ぜて作るのですがそれに近いのです。しかしこのウッドロングエコ、さっぱりとしてミルクペイントほど重量感がないところがまた良いですね。
さて、この色があんまり良かったので他の色を使うのが難しくなってきました。

で、問題はその防腐性能ですが、これは宣伝の謳い文句は最高の評価ですが、宣伝はあくまでアドバルーン。信じ込みやすい私ですが、実は色の出方がどことなく注入防腐土台に似ていなくもなさそうで、もちろん注入土台は薬漬けですが、(似ているということは、防腐効果も顕著なのかもしれない?)こちらは無害であること間違いないとして、その効果のほどは、嗚呼、半分神頼み?
塗装は難しい。



comohouse at 11:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年04月13日

ゼロエネルギー住宅

お上のすることはわからない。
お上にもわからないのかもしれませんが、エネルギー消費をゼロにするために高性能設備にお金をかけ、屋根に太陽光発電を載せてさらにさらにエネルギー消費をどこまでも限りなくマイナスに近づける。エネルギー消費をゼロにするのか、消費代金をゼロにするのか?エネルギー消費はゼロにはならないから、消費代金を劇的に下げるのが売りなのでしょうが、下げるためのコストは当然かかる。でも、だからこそ生活はスマートですよ。(ん?)今風で、かしこい生活はゼロエネルギーハウスなんですよォ。幸せは歩いて来ない。だから高性能設備が幸せをお届けするのです。どうせ新築時にローンを組むんだから、史上最低金利の今こそ住宅ローンでタダ同然に設備を整えて(?)、それこそなをいっそうスマートに!(以前、こんな記事を書いたことがあります。もうン年前の出来事ですがよく見ると、東日本大震災の直前の309でした。ヒェ〜。)

私なんか、それがどうした、と思いますが、そんなお題目が住まいづくりのメインテーマ足り得るとはとても思えない。ひところは盛んに「二百年住宅」の掛け声も勇ましかったお上ですが、近頃では「ゼロエネルギーハウス」だそうです。笛を吹いて消費者を踊らせ、いいじゃないの、今が良けりゃ。百年住宅も二百年住宅も、今ではさっぱり聞こえてきません。ふむふむ。しかし、二百年であれゼロエネルギーであれ、何れにしても住まいのその目的がそもそも間違っているんじゃなかろうか。???
そのエネルギーのほとんどすべては電力ですか?使っても使っても電力がタダにはならない。使わせること、浪費を促し、そのようにしてありあまるエネルギーを使っても人は幸せになれない。ゼロエネルギー住宅は、じつはエネルギーを存分に使わせることに力点が置かれている。
ゼロエネルギー住宅とは、ほんとうはゼロエネルギー思想と置き換えたほうが良いのではないか?つまり、いかにして最小限のエネルギーで人生を謳歌し、無駄なエネルギーを使わないように住宅を住みこなすか?
エアコンを使わない。テレビインターホンを使わない。LEDに代わってからわたしたちの暮らしの電気代は安くなりましたか?快適な住まいを外部の要因に任せるのではなく、内部の、家族のあり方に求めればまた違った住まいが実現するのではないか?
夫婦の愛情が確かであれば、エアコンなんていらない。テレヴィだっていらない。家族を育む住処はエネルギーがなくたって困りゃしない。(と、そこまで言いきれるかどうか、実は怪しいのですが、、、)

高性能設備で喜ぶのは家電業界だけ。音頭をとったお上は家電業界から感謝され、ますますお上がなければ業界はやっていけないだろうとうそぶくばかり。日本の家電業界が軒並み世界の競争力から置いてけぼりを食ったのは、実は製造物責任(PL法)の一見して消費者保護を謳いながらその実十年間の責任さえクリアすれば後は野となれ山となれ。十年過ぎたら買い換えましょう、国産で、という発想に消費者を誘導して家電メーカーは丸儲け。結果、商品開発の熾烈な競争から脱落したというのがこの十年のソニーの、パナソニックの、東芝の、日立の末路なのです。

ゼロエネルギーに目を奪われて、私たちはまた大切なことを置き去りにしてしまう。住まいはむずかしい。美しい住宅はそこらへんに落っこちているわけではない。ましてや経産省あたりの役人が花咲か爺さんのように振りまいてくれるわけでもない。
家づくりを私たちの手に取り戻す。ね。

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comohouse at 19:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年04月05日

光と影

青春の光と影。そんな歌がありました。なにごとにも表があれば裏がある。満ちる月に欠ける太陽。昔は裏日本、表日本という呼び名らわしがありました。今は裏日本とは如何なものか?というクレームがあったのか、あまり聞かない名称になってしまいました。しかし、裏があるから表がある。裏も表もまさに表裏一体。裏があるから表は輝く。表のせいで裏の陰影がくっきりとなす。建築にも裏があります、というとちょっぴりドキッとしますね。
谷崎潤一郎に「陰影礼讃」という本があります。「陰影」といううす暗いマイナーな世界に光をあてたという意味でも画期的なのですが、日本的な美があからさまな表現にではなく、奥ゆかしくほの暗い曖昧な光のたゆとうなかにこそ日本人の目指すべく美があるということでも、それをまた意識下に持ち上げたということの一点に谷崎の類稀な美意識がうかがえるのですが、建築もそうであるように、じつは私たちの生活もまたこの陰影礼讃と無縁ではいられない。

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この穿たれた壁の穴。切り取られた壁の洞穴。まず壁が厚いということが前提ですが、そういう意味ではなかなかこのような壁を作ることがそもそもむずかしい。
壁の仕上げはスペインの漆喰、パビスタンプです。かなり厚く塗っています。厚く塗ることで光が屈折し照明の灯りと影がくっきりと綾を為すのです。
しかもじつは、この漆喰壁、頑張ってお客様が自ら塗ったのです。パチパチパチ(拍手)。

壁を切り取る。空間を捻る。光と影のあわいを炙り出す。一般住宅でこのような壁を作るということは無駄をあえて表現するわけですから、できそうであって、じつは、なかなか実現しない。

家づくりは形のないものを空中楼閣のように提案してお客様を納得させなくてはならないのですから、結局はわかりやすい3LDKになってしまうのでしょうね。もちろんそれでも構わないのですが、立ち止まってもう少し考えてみませんか?それもまた、建築会社の提案なのです。わたしたちの「旧築提案」は温故知新のご提案、と言っていいのかもしれません。でも、分かりづらいですよね。
とはいえ私たちも建築会社。そこはそれ、けっして独りよがりの提案を差し上げるわけではありません。

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さて四月はそんな私どもの建築を実際に見ていただこうと久しぶりに「建築途上見学会」を開催します。ありがちな、「けんちくげんば」見学会ではありませんぞ。ふるって、フルフルふるって是が非でもご参加いただきたいと、この場をかりてのご案内です。 

日程はまた追ってご案内いたします。米杉と漆喰の美しい家。自画自讃ではありますが、(てへへ、^_^)😰乞うご期待。



comohouse at 17:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年04月01日

それからの、左右対称。

寒の戻りもこれで二回目?
われらが不満の冬。the winter of our discontent
震え上がるこの寒さ。氷雨ふる季節はずれの不満の冬。桜のつぼみも縮みあがってうっすらと涙目になって大寒子寒。嗚呼、その季節の左右対称。シンメトリー。
寒の戻りに耐える家、というものがあるのかどうか?季節の移ろいの中に佇んで美しい家というものがきっとあるはず。

しかし、そうは言っても建築会社にとっては雨は天敵です。田んぼのスズメ、リンゴに台風。大工は梁を高く掲げても、棟上げの雨はつらいもの。それでも遥かな彼方にうっすら射し込む雨雲の向こうの太陽の影。空を引き裂くシンメトリー。

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まだ若い施主様ご夫婦ですが(わたしからみると?)、信頼という二文字にささえられて今日までやってきました。じつは今回の建築はとってもシビアでタイトな計画となってしまいました。時間的な余裕がなく、追われるように図面を作りながら材木の刻みを検討し、意匠図の完成と構造材の刻みが同時進行というまさに板子一枚下は地獄。構造と意匠が左右対称で、まるで秤の上でバランスを保ちながらこのシンメトリーは成り立っているのです。ここまで来るのにまったく違う図面を三枚こしらえて、その三枚とも実は大好きなのですが、家は三棟は建てられない、
それでも最後に引いたくじが正解だと信じて今日があります。
そう。信頼。信頼は裏切れない。
 
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今日のコモハウスのベストが此処にある。此処から一歩一歩登って行く。きっと、きっと良い家が建つ。




comohouse at 20:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年03月28日

もう春ですね。
昨日の春の嵐が寒の戻り?今日は穏やかに晴れ上がって心ウキウキ、みんなブギウギ。
お天気が良いと背筋も伸びて、身長も1センチくらい伸びたかなぁ。

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基礎もこんな風に左右対称もめずらしい。(ほぼ、ですが) 基礎着工から棟上げまでの一瞬が嵐の前の静けさで、深く静かに潜行して、舞台裏では部材の最終選定やら発注やらでテンヤワンヤの大忙し。しかしこの、テンヤワンヤってその語源は何かしら? なんて余計なことに引っかかったりして。

そんな時はピンクフロイドでも聴いて、オイオイ、手が止まっちゃうだろう。ほらもうウットリしちゃって、頭の中はきっと空っぽだぞ。えへん。

ってそんな毎日の繰り返し 。これがルーティンワークだな。へいへい。(平身低頭。)
おなじことの繰り返し、しかし、考えてみると、人生はまさにおなじことの繰り返し。この繰り返しに耐えることが大切で、繰り返しを楽しむことも人間の技量とも言えそうな、そんな気もします。単純であることはとてもしなやかで強靭で、ありきたりの物言いですが、simple is the best.
このsimpleもあえてsimpleを目指すことは、しかもそれがあざとくなく、ごく普通の日常のごとく振る舞えるようになるにはそれなりの修練が必要なのです。
simpleに表現するために折り重ねた膨大な時間。広げて見るとそれは左右対称。

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コモハウスのそんな左右対称のど真ん中。どうなることやら。ふふ。



comohouse at 15:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)思いは遥か 

2017年03月23日

情けない話

人生楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて

長い人生には山あり谷あり、いいことばかりは続かない。また、悪いことだってながくは続かない。悪い時にじっと辛抱、布団をかぶってやり過ごすか、あえて自分を奮い立たせて何事かに挑戦するか。人は誰でも心が折れそうになるけれど、命までは取られないと歯をくいしばって、自分の道を踏みしめる。ほんとうにその通りですね。

自分の道。そのためにも、自分の茨の道をしっかりと視つめる必要があります。
建築会社には建築会社の責任というものがあります。その責任に向かい合いながら、良い家を建てたい。良い家の定義はとてもむずかしいけれども。

さて、先週、森友学園のことを書いたのですが、森友学園の教育方針は個人的には共感できるのですが、学園の嘘がつぎつぎと明らかになるにつれて、とても残念であるとともに、これは食の世界での食品偽装、建築の世界の耐震偽装などと同根の、教育の世界の経歴詐称、看板偽装とでも呼べそうでまあ、情けない話になってしまいました。しかし、報道されたこと、意図的に報道されなかったこと、その時の空気、その時の流れ。そうした全体が醸し出すムードにこそ細心の注意を払い、建築屋のブログで時事問題を扱うのは心しなければと今更ながらに反省しています。

人生勇気が必要だ、くじけりゃ誰かが先にいく
後から来たのに追い越され、泣くのが嫌ならさあ歩け

さて、さて。




comohouse at 17:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年03月17日

森の友

世間は森友学園の話題で持ちきり。
いったいこれはなんなんだ?
と思って早速ネットで調べてみると、、、


「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します。
剣道、ラグビー、スイミング、リズム合奏、そして日本の伝統文化である論語、将棋、そろばん、大正琴、日本太鼓、毎月良書選定して読み書き・読み聞かせに力を入れています。それらにより、より一層の人間力を高めています。」

森友学園とはつまりはこの塚本幼稚園のことです。いいですね。この教育方針はわたし、個人的には大賛成です。幼稚園から英語を教えたり、算数を教えるよりも、教育勅語を朗唱し、君が代を斉唱、剣道、論語、将棋、そろばん。これはほんとうに大事なこと。そんな大事なことを直球で教えてくれる、そんな幼稚園は滅多にない。おそらくは、昔の寺小屋もこのような形で教育が行われていたのではなかろうか。
剣道はほんとうに大事なことを身体で覚える、人間教育としてはこんな素晴らしい授業はない。と思う。
問題の本質がなんなのか?わたしはつまびらかに知らないので軽々に発言はできません。
しかし、わたしも中学時代、剣道部にいて、竹刀で叩かれながら礼儀や根性やそれより何よりも勝ちたいという、しかもきれいに一本取りたいという本能。きれいに一本取ることの難しさ。そこに至る努力。
そんな体験を幼稚園で学べる。挨拶、礼儀、友情、そして競争。

教育勅語というとまるで戦前の軍隊教育のごとく誤解される向きもありますが、これはもう本質的に違います。

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これは教育勅語の現代語訳。全文です。天皇陛下がこの国におられることに反対される人には何も申し上げることはありません。

戦前の修身の教科書(道徳教育です)を読めば、さらに私たちの為すべきことがなんなのか、心に深く思い至ることでしょう。
日本人として美しくあれと訥々と語りかける「修身教育」は、まさに森友学園の教育方針そのものではなかろうか。

わたしもつらつらと考えるのです。私たちの世代はかろうじて、そうした修身教育を受けた親に育てられた最後の世代なのです。そうしてどこかで、友達と仲良くしなさい、悪いことをしてはいけません。一生懸命自分の仕事に精を出しなさい。ものを食べながら歩いてはいけません。ものを大事にしなさい。というごくごく当たり前の教育を親から学んだ最後の世代なのです。

教育とはむずかしい事業です。我が子を育てることほどむずかしい仕事はない。子供を叱る。悪いことは悪いと叱る。素直に聞く耳を持つ子供に育てるのは並大抵の苦労ではありません。

世間の喧騒からはなれて、教育についてわたしたちはもう一度考えてみる必要があります。
いまこそ「修身教科書」の復活。これはとても大事なことです。小学校でこれだけを学べば、日本は心配ない。むずかしいことは何も書かれていない、人としてのあるべき姿。それほど偉大な教科書なのです。




comohouse at 19:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年03月16日

塗装のイロハ。

色。

その言葉の持つニュアンスは、実に様々です。
「色を付ける」文字どおり、素材に色を塗ることですが、取引の場面で色を付けるといえば、その色は千円だったり一万円だったり、ときには十万円、百万円だって取引の内容によってはあり得ない話ではありません。この時、色は銭色の鈍い光を放ちます。
「色目を使う。」これはまた幅の広い表現ですね。 うん。説明がむずかしい。仇名姿で色目を使う。色目とは、かならずしもその対象を限定しない。色目は、使う方も使われる方も先行きが曖昧で、その色彩はファジー色?
「色よい返事」これもまた、表現に味がある。色よい返事に味まで付けると、もうなんだか色即是空。(笑)
「色ごと」これはちょっと、人生が危うい。足元がおぼつかない。フィギュアフォ〜レッグロック。4の字固め。

いろ。文字通り色。七つ八つからいろはを習い はの字は忘れて色ばかり。
さて今日は、そんな奥の深い塗装についてじわりと学習したいと思います。まずはこんな塗装から。建具の塗装、外壁の塗装です。

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上の塗装では建具は茶、白、ブルー、の三色を順番に塗っては乾かし剥がし。仕上げにどろっとしたオイルをすり付けて薄汚れた古い建具の表情をつけます。白い壁は写真では分かりづらいのですが、まず羽目板をバーナーで焼いて焦げ目を作り、(バーナーもこの場合、立派な塗料なのです)つまり黒っぽく仕上げてからタワシで表面をこそぎ落とし、その上からマットな水性の白を塗ってさらにサンダーで落としていきます。

言葉の世界の色も華やかですが、色彩の世界の色もまたあやしいほどに狂おしい。
建築もまた、色はとても大事なのです。
日本建築は素材をあるがままに表現して 無塗装の素地仕上げが美しいと思われがちですが、法隆寺にしろ桂離宮にしろ、その色彩の艶やかなこと。時間もまた、塗料の如し。積み重ねた時間が色を為す。
ベンガラ、柿渋、砥の粉。久米蔵などはどういう色なのか皆目見当がつかない。尾張あたりで使われた塗料らしいのですが、その実態は謎。泥絵の具に近いものがあるらしいのですが、本当のところはよくわからない。放置しておくと腐ってカビが生えるけれども色彩としてはまったく問題がない。泥水みたいですが、それを雑巾で塗り付けて伸ばす。仕上げに柿渋を塗るとまるでワックスがかかったように艶が出る。昔は刷毛もあったのでしょうが、基本は手で塗りたくる。そういえば、アフリカあたりでは、漆喰もコテなど使わず、両手で塗りたくるのですね。
まことに手は偉大です。手で塗りたくると表現の幅がグッグッと広がるのです。微妙なニュアンスを表現しようと思ったら、手で塗ることです。

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此方は塗装の途上です。茶を塗ってから白を疎らに重ねグリーンを幾重にも塗り重ねています。茶色がところどころ見え隠れするように。傷つけ剥がしペーパーをかける。実はこの時は最終段階はまだはっきりとは見えていなかったのです。出来上がっていく過程を楽しみながらその場で判断していきます。

バターミルクペイントはアメリカの開拓時代に作られた塗料ですが、これもミルクの腐ったような臭いがする。やはり泥やミルクを混ぜて作られているようですが、独特の色合いが塗料とはまた違った表現の幅を呼ぶ。ねっとりして、塗っても均等には塗り広げられない。この均等に塗る、という常識をまず否定する。塗装は、均等には塗らない。ムラに塗る。ムラを作り出し、不均一な塗装を実現して味を創り出す 。色を重ね、まるで肌を重ねるようにして人生の色を表現する。人生に皺を重ねるように塗料を重ね、色を紡ぎ出す。

塗装はむずかしい。色は塗るのではなく、重ねるもの。剥がすもの。汚すもの。傷をつけるもの。
お客様によく尋ねられるのですが 、ここは何色になるんですか?
わかりません。
ふざけるな、と思われるのでしょうね。そのお気持ちはよくわかるのですが、なんせ頭のなかに色はある。しかし、その色を説明できない。お客様は不安になる。その不安が見て取れると、仕方がないのでよくある塗装で済ますしかなくなってしまう。白黒茶色、なんならクリアー。お客様には分かりやすいのでしょう。すぐに納得してくれます。しかし、残念なことに、それはただの塗装工事。わたしはちょっぴり舌を噛む、お客様の不安を解消できなかったわたしの手落ち、嗚呼。
 
しかし何人かの方は、それでもそんなわたしを信頼して「任せます」と清水から飛び降りてくださる 。
そうすると、わたしもその信頼を裏切れない。毎夜うなされるほどに色々色に付き纏われ。想像力をミキサーで絞り出すこの苦痛。詰まるところ、塗装は信頼なのです。

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信頼とは裏腹に、塗装の途中で心ここに在らず?(笑)それともただの怠け癖?足下には無造作に三本の刷毛が転がって。やれやれ ƪ(˘⌣˘)ʃ 。





comohouse at 08:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年03月11日

ささらゲタ

久しぶりに「ささらゲタ階段」をつくろうとおもったら、階段というのはまったく手に負えない、暴れ馬のような存在だなと、その取り扱いいかんで吉とも出れば凶とも出る。それくらい一般住宅の中では取り扱いに頭を痛める、そう、頭痛のタネなんですね。

映画なんかではこの階段のシーンが印象的な絵になって 、それは何てったって三次元でダイナミズムにあふれていて、転んだリ落っこったり、派手な格闘シーンにも欠かせない。二階から降りてくる女性の艶やな姿形  、身のこなし 、アップでも、足だけでも、いえいえ、影だけでも絵になるのはやはりこの空間構成が持つ光りと影が人生の綾を映し出すからかもしれません。
ジョジョの奇妙な冒険で、ポルナレフが階段を上ってディオに迫るあの身の毛がよだつ名シーン。吹き抜けの大空間に大理石でできた階段。静寂。緊張。光りと影。ずいっと一歩を踏み出すポルナレフ。その瞬間、その刹那 、ポルナレフの足は一歩下がっている。
ええっ!なんで!うっそー!ほんと!シンジラレナ〜い!

階段は人生のドラマ。人生の光りと影。が、しかし、住まいにあっては階段は、もっとさりげなくあってほしい。 生きるか死ぬか?十三階段を上るのは、もっと穏やかに、かろやかに、鼻歌気分で登りたいもの。
しかしだからといって、なんの変哲もなく箱階段、鉄砲階段、 う〜〜っむ、住まいはむずかしい。さりげなく、それでも私たちの生活にメリハリを付け、存在するだけでじんわりとありがたい。ときには人生をふりかえり、愛について考える。そんな階段を作ってみたい。そう。階段はやはり、わたしの南十字星。

ささらゲタ階段。笹の葉さ〜らさら。軒端に ゆ〜れる。おー星サーマき〜ラキラ金銀砂子。

sasara
 

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2017年03月05日

アメリカネズコ

米杉といえばウエスタン・レッドシダー。独特の芳香を放つ耐久性の高い木材ですが、けっして耐久性が高いとはいえない日本の杉からはちょっと想像がつかないのですが、その匂いを嗅ぐとなんとはなし理屈を超えて耐朽性に納得できるのが不思議といえば不思議なものです。

もう二十年近い昔の話になりますが、とある現場でこの材料を二階の勾配天井に使ったのですがウエスタン・レッドシダーといえば外壁に使う材料だと思われていたので、きっと防腐剤が入っているに違いないと思って色々調べてみると、ナント?完璧な天然の素材。仕上げがラフな材料ですからその荒々しさがきっと際立つと思ってさっそくにいざ施工。 
思えばこれが我が社の「旧築提案」のスタートラインだったのです。 それまでも様々な形で古材を使った建築を提案していたのですが、古材だけではなく、新材の荒削りな面を思い切って室内に使う、さらにそれを古めかしく見せるために古色塗料の「久米蔵」を使って雑巾で刷り込んでいく。
とにかく勾配天井ですから先ずは足場を組んで、 上を向いて歩こう。上を向いて仕事をすることの困難さを嫌という程思い知らされた、これはそんな最初で最後の苦行でした。中腰で作業するのはとっても体に悪いこと👎。そしてこの「久米蔵」。そう、塗料とはいえほとんど水のような液体。刷毛かローラーで塗るものと思っていたらとんでもない。とにかく見上げる頭の上ですからびちゃびちゃビチャビチャと刷毛につけた分だけ全部流れ落ちてくる。指先から手首、手首から袖の中、(袖の下なら歓迎するのですが)やがては顔に、真っ黒い塗料がびしゃびしゃと。ウワア、何なんだ。俺が何をした?
不安定な足場の上で体をねじったり、無理な姿勢でウェスを掴んだり、思い出すだけで体が痛くなる。そんな経験をあなたもどうぞ。笑。

家に帰ってシャワーを🚿浴びると、爪の中に入り込んだ塗料が一週間は取れませんでした。泣。
結局は雑巾で刷り込んでいくことにしたのですが米杉のラフ面に塗るわけですからなかなか塗料が染みていかない。とんでもなく時間がかかる。塗って刷り込む。塗って、刷り込む。いやはや。

さて、この体験は得難い体験で、良いものを作ろうとするととんでもなく手間暇がかかるというあたりまえがあたりまえではすまないことなのだという覚悟を思い知らされたのです。
昨今の建築がいかにお点前に作られているかの裏返しでもあるのですが、しかし、その先に実現する世界の美しさを一度体験するともう後戻りはできないのです。 

コモハウスの「旧築提案」は、新築であって新築にあらず、結局どんなに気張ってみても古い建築物にはかなわないという、古(いにしえ)の建築物が持つ膨大な時間軸をどうやって新しい建築に盛り込んでいくかの勝負を様々な搦め手を使って実現してやろうという心意気なのですが、その原点がこのウエスタン・レッドシダーと久米蔵にあったのです。
しかし。米杉。米杉とはその独特の赤みを杉になぞらえて名付けられた和名ですが、実際はアメリカネズコ🇺🇸。ヒノキ科の針葉樹で、 レッドシダーという英名もじつはヒマラヤスギのことで、「西部のヒマラヤスギ」だからウエスタン・レッドシダー。英語も日本語もなぜか杉にこだわって、その実その実態はヒノキという摩訶不思議。しかし正体がわかるとその高い耐久性に思わず納得。秀樹、感激!(古い。)

さて、こんどの新しい家づくりでは久しぶりにこの米杉を使います。たんと、たんと使います。屋外にも、屋内にも。ドキッ!
でも、もう久米蔵は使いません。(笑)
そう。もう頬杖はつかないってこと。 

その思い出のピクチャーをあなたにも。そうか、こんなにも塗ったのか。しかも、この丸太梁も、塗ったんだね。

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この写真は建築後10年ほどしてお伺いした時の写真です。竣工時とちっとも変わらない。それって、大成功だったんだね。


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2017年02月27日

なんたる快晴!サンタルチ〜ア!

日曜日は穏やかに晴れわたった絶好の地鎮祭日和。
そんな日和があるのかどうか?あるとすればまさにこの日がそれでした。
そんな地鎮祭日和に遭遇したわたしたちはまさに未知との遭遇。見晴るかす彼方の穏やかな入り江がそのまま空に溶け込んで、ああ、うっとり。
思わず、もう家は建てなくてもいいんじゃないですか、なんて不埒な軽口がでるくらいですからこの日は究極の床鎮めの日でした。

終わってからしばらく雑談。わたしたち(この日は家内も誘って地鎮祭潜入ルポを書いてもらおうかと)は施主様と別れて入り江に降りてブラブラしながら生わかめを買ったりして、ちょっと急段の階段をまたのぼるといい調子にお腹も空いて、建設地の隣のクレープ屋さんにはいると施主様ご夫婦も休憩中。
なんだかとてものんびりした地鎮祭の一日。
建て地ものんびりしているのは、もしかするとこの建物ものんびりした建物になるのではなかろうかと、なんとはなしにんにんです。
そう。たぶん、家にもおっとりした性格があるはずです。「ぽち」も「いえ」も、ついでに「クララ」も可愛いったらありゃしない。
ふふふ。


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空にむかって指をかざす神主様。もしかして、ナメック星が懐かしいのかもしれません。



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2017年02月18日

私たちの家づくり

長く曲がりくねった道。気がつけばもう後には引けないわたしのポジション。
色々と考えることばかり。
ルーティンワークが大嫌いで、いつもなにかしら違ったことをやりたい。家づくりも長い経験から割り出された方程式があって、その方程式に則って歩むぶんには間違いも少ないのでしょうが、新しいことに挑戦するのは多少の勇気とエイヤっの決断。その結果を引き受けるだけのぶ厚い経験の裏打ち。それはなにも建築だけとは限らない。建築も含めた人生のすべてがこの家に表現されてくる、という覚悟。
先日も左官のSさんと洗い出しの仕上げについてわたしの経験を話していたら、
「もう、なんでも自分でやらないでくださいよ」 
と、冗談半分で呆れられてしまいました。 

仕上げの段階に入るといろいろなことをやるわたしを見て、とある職人が、
「社長、社長はもともとなに屋さんですか?」 

 そうだよね。その質問は鋭いけれど、残念ながら答えている暇がない。少しでも良い家になるようにと、寝る間も惜しんで考える。考える。考える。
考えることをやめたら家づくりはそこまで。
家づくりには最初から一本の道がある。この家にこの一本。その道が見えるようになるには、その答えを追い求める他に道がない。だから考える。 考える。考える。
最初からすでにそこに在る、あの一本の道。

sugi

















杉板に塗装するとなるとオイルフィニッシュ仕上げか蜜蝋のワックス仕上げ、または柿渋で仕上げるのが無難な線?この写真はじつは杉板にリボスの石松を塗って5分ほどで拭き取っています。杉板の独特の赤みは消えてしまいましたが、この色合い、この古びたような濃淡がわたしは気に入っています。

 


comohouse at 21:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年02月16日

準備万端怠りなく

なにごとも備え八割、はじまる前が肝心です。
しかし、これが、言うは易く行うは難し。 
まもなくはじまる現場で使おうと思っている杉のフロアー材。あちこちの見本を集めては予算とにらめっこ 。ふふ。
床板に杉板を使うときはおのずと覚悟がいるものです。杉はそれだけで主張するとても個性的な木材です。杉板を使うということは、すでに杉材に囚われているということ。ではその杉材をどう使用して、どうまとめていくのか?
ありきたりのよくある杉板を使いましたという家は、実はキライなのです。生来のあまのじゃくが頭をもたげて 、杉がすでにその家を支配しているというあの「自然素材の家」が、じつは嫌いなのです。笑。

わかってもらえるかしら?
しかし、木材の性格として、杉はやはりとても魅力的な材木です。
杉の床板でこれまで使ったことのある材料としては四国の「こもれび」があります 。徳島の木頭杉の熱圧乾燥材。これが頭抜けてうつくしい。ただ、良いものは、当たり前ですが、高い。
そこで探し当てた末の究極の杉材。九州は日田杉。日田は幕府直轄の天領地で、昔から御用林の管理された山々から刈り出される 材木は下駄や生活用具に供され、また九州の三大美林、屋久杉、飫肥杉、日田杉と有名どころ、尚且つ、じつは、わたしのふるさと大分の杉ということで三法両得?まことにニンニン。もうコレダッ!(まことに単純、オイオイ大丈夫か?👌)

フローリングですから乾燥材を使うことになるのですが、この乾燥が曲者で、どうしても材の脂分が抜けて乾燥肌になってしまう。お手入れは大切ですね。このお手入れにオイルを塗ってオイルフィニッシュ仕上げ。なんだか鏡台の前でため息をつく女性の気分。あっ、ここにシミが。昨日はなかったのに。もう、いやね。コレだから、美白美容液はどこだったかしら?あらっ、ヤダ?

建築も仕上げの段階は人間といっしょ。人間もむずかしいけど、建築も、、、。おっ、いやいや、建築もむずかしいけど人間も、、まてよ、人間も、、ん?

 


comohouse at 07:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年02月12日

「ボクらの時代」

ぼくらの時代というテレビ番組がありました。ん?今もあるの?
そうか、ぼくらか。ボクら、ね。テレビがないのでよく覚えてはいませんが、何回か見た覚えはあるの。
ぼくらの時代という明快な定義に、きっと「ぼく」は入っていないのね?ぼくに時代があるように、かれらの時代も定義され、型にはめられ、その型がいつしか時代を作っていく。

この「ボクらの時代」はもちろん「われらの時代」というシチュエーションに導かれて編み出された時代の要請なのですが、われらの時代はヘミングウェイの失われた世代という先行する若者たちがいて、それは第一次大戦後の喪失感が生み出した世代だったわけですが、これが60年代に入ると大江健三郎の「われらの時代」が引き継ぐことになります。

ではわたしなんか、大江さんのこっちの世代かな、と思わなくもないのですがそれも微妙に違う。
では、「ボクら」に入れてもらいたいかというとそうでもない。ボクらとわれらの間にある暗くて深い溝。明治維新の時代には、龍馬も中岡慎太郎も高杉晋作も「ぼくらの時代」とは思わなかったでしょうね。「ボクらの時代」?ふざけるな。「拙者の時代」と言え。いえいえ。(笑)
時代はむずかしい。その時代にあって自分たちを定義する「なになにの時代」という冷めた目線が私たちにはなぜか寂しい気がするのです。
「同棲時代」という定義もありました。ばかやろー。

人間は時代的な産物です。時代が違えば人間の質も違ってくる。良し悪しの問題ではなく、畳に折り方があるように人間にも折り方があるということ。
建築にも折り方があるのでしょうか?あるのでしょうね。が、折り方を超えたところにある建築。ああ、それはとてもむずかしい。
わたしたちの時代。そろそろ霞んでくるのかもしれないわたしたちの時代。
ま、あえて言えば、共同幻想というフラワーチルドレンのかまびすしい「ヒッピーの時代」が、私たちの時代なのかもしれません。

照明器具も選ぶとなるととてもむずかしい。シンプルに主張せず、あるだけで心が落ち着く。

ph



  











comohouse at 21:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進