2024年07月09日

再録 あれから二年

早いものでもうあれから二年。
またこのような形で当時のブログを再録することになるとは、気が重い。
しかし、わたしたちは忘れない。この事件の解決なしに日本が生き残る道はない。
だから何度でも再録しよう。
踏まれても、叩かれても。


「金曜日のお昼にネットで一報を聞いてから、辛い5時間でした。
安倍首相の暗殺事件は大変つらいものがありました。
おそらく多くの皆さまが同じ思いで固唾を飲んで見守ったのではないかと思います。

この警備の甘さは信じられないけれども、銃声と煙が上がってからの警護要員の信じられない体たらくと緊張感のなさが悔しさを通り越して腹立たしささへ覚えます。
これが例外ではなく、普段からこの程度なのでしょう。
 
多くの不自然な経緯を見ると、それはさらに疑問がわきます。
最大の疑問は反対側から道路を渡って近づいてきた不審な鞄を提げた犯人をなぜ誰も止めないのか?
道路を半分渡り終えて銃を撃ったとすると、道路が6m道路だとすると半分で3m。さらににそこから1m以上は離れている演説台の上の安倍首相。その距離4m強か?
4m以上の距離から精度のあやふやな手製の銃で、しかも歩きながら、または立ち止まったとしてもコンバット・スタイルで射撃する余裕はなく、そんな普通なら興奮した状態で発泡したとしてシロートが当てることができるのか?
確実に狙撃して目標を撃ち殺すことができるのか?(それができたのです?)

2回発砲して、1回で弾が2発出るとも6発出るとも錯綜した情報があります。いずれにしても1回目の銃弾はどこに飛んだのか?1回目はなにも当たらなかったのか?そうした大事な情報がなぜ出てこないのか?

1時間も経たずに犯人の名前が知れ、20年も前の古い経歴(海上自衛官)だけが明らかになり、住所が特定され、警察が急行し、マスコミまでが駆けつける。そこにはご苦労にも爆弾まである。
救急搬送された安倍総理のヘリコプターが病院に着き、そのヘリの様子をマスコミのヘリコプターが待ち構えたようにさらに上から捉えている。
警備はザルでもその後の経緯は完璧にこなされている。水も漏らさぬ事後処理の手際よさ。
さっそく動機が明かされて、政治的な動機ではなく、安倍首相の言動に腹が立った?
宗教がらみの怨念があった?

普通は動機など、これだけの大事件であれば慎重に捜査を進めるだろうに、なぜか奈良県警は事件から二時間三時間で犯人の自供を疑うこともなくべらべらとマスコミに開示する。
まだ安倍首相の安否もわからないというのに、まるで事件は一件落着?

私たちはこの不可解な暗殺事件をどう捉えるべきなのか?
事件後のこの後処理の不自然すぎる手際の良さはなにかを思い出させないだろうか?
犯人はほんとうに単独犯なのか?
他の可能性を排除してはならない。
ご遺体から凶器の銃弾は発見されなかった?銃弾が見つからないと犯人の手製の銃から放たれたのかどうかが確定できない。もしかすると他の銃からではなかったのか?それすらわからない?

少なくとも銃弾は安倍首相の下から撃ち込まれていて、懸命の回復処置にあたった担当医は首に二箇所の銃弾の跡があった。それは5センチくらい離れていた。傷は心臓にまで達していた、と、その日の会見で述べています。首から撃ち込まれた二発の弾丸は、おそらくはやや下から撃ち込まれたはずで、それがどこでどう曲がって首より下の心臓を傷つけたのか?
しかも、翌日の正式な死因の発表では首に一箇所と左の上腕部に一箇所の計二発であった。左腕の上腕部の損傷が決定的な死因であった。と。
緊急手術にあたった医師の首に2箇所に銃槍があったと、さらに記者に聞かれてその傷は5センチほどのずれがあったと明確に答えているのです。その時、のちほど致命傷の銃槍と発表された左上腕部の銃槍の件は全く触れられていなかった。

わたしたちは騙されてはいけない。

guuzenn?iie!

寸分たがわぬ新聞の見出し。
偶然?
いいえ、偶然なんかではありえない!

「重大な事件や事故に偶然はありえない」フランクリン・ルーズベルト
つまり、すべては仕組まれている。

 非業の死を遂げられた安倍総理大臣のご冥福をお祈り申し上げます

楊海英:
安倍晋三元首相という世界的なリーダーが暗殺された。官邸は速やかに国民に追悼などを指示し、半旗を掲げるべきではないか?外務省は在外公館に世界各国要人の弔問と追悼に対応するよう指示したか?こんな冷淡な扱い方でいいのか?

インドではモディ首相が7月9日を喪に服す日と定めました。
ブラジルではボルソナロ大統領が7月9日から三日間を国をあげて喪に服すと決定しました。
アメリカだってホワイトハウスを始め、すべての公館で半旗を掲げるとしました。
国連では15カ国の常任理事国の会合で全員が立ち上がって黙祷を捧げました。

で、わたしたちの国は?」

2022年7月10日 当ブログ「不可解な暗殺事件」より










comohouse at 06:58|Permalink 勝手にしやがれ 

2024年06月16日

リフォーム工事は今が佳境

数年前に新築工事を請け負わせていただいたお客様のご実家のリノベーションです。
お客様が子どもの頃に暮らした二階二部屋プラスに台所、トイレ、洗面台をまとめて2Kプラスユニットバスを付けて賃貸住宅に貸し出そうという計画です。
一階はこれまで通りお客様のご家族が利用するとして、さいわい二階が外階段で別になっています。
築四十年以上の住宅ですが平屋として建てられたその後に下駄を履かせて二階を載っけた住まいですから水道ガスが結構複雑です。

さて、すべての道はローマに通ず。
昔の建築は手が込んでいます。毀すのもなかなか容易じゃない。壁はすべてが真壁、そうして内壁はことごとく左官仕上げ。間柱はなく、貫で拵えた壁はなかなか頑丈で、左官の下塗りも厚くしっかりと拵えてあります。
つくづく昔の建築の頑健さに頭が下がります。

下地材も太く、しみじみ現在の木造工法とは違ってしまったものだと思いますが、現在の建築にはまた違った意味で頑健さが備わっているので一概にはどうこう云えません。ただ、昔の大工さんはテニヲハに忠実であったとは言えそうです。

今では大工も修行の機会が少なく、なにより建築基準法の厳格化で増築がほとんど不可能、増築がないと大工も勉強する機会がありません。腕を磨こうにもいきおい機械に頼った「ゲンゾウ大工」に向かうのも宜なるかな。

ああ、そうか。何事も、千里の道も一歩から。

さあリフォーム工事、今週が佳境です。

IMG_6236ユニットバス

wasitunomonoire





comohouse at 17:29|Permalink 日々これ精進 

2024年05月11日

底をつく大工

日々これ精進とは云えども精進する建築工事がすでに人の手を離れようとしている。
建築工事はこれからますますプレファブ化していくのではないか。
職人不足はわたしたちの住まいを画一化し、人の手を離れて中性化するのではなかろうか?

今更職人気質と言ってもすでに手遅れ。
いつでしたか、あのホリエモンが寿司職人をして、寿司を握るのに十年修行するのは馬鹿と言って憚らず、職人の修行の価値を貶めたときは心底驚き以外の何物でもありませんでした。

彼にとって、職人はすでに無用の長物だったのでしょう。
それは職人の本質を見誤っているからで、職人の対価を金銭でしか測れないから技術の深淵について思いが及ばないのです。
職人はお米を握るときにすでに何物かを感知している。この握り方で良いのだろうか?手に水を浸したとき、少し水分が多いのでないか?それがなにか寿司の旨さに影響するだろうか?

職人は考えるのです。そんなつまらないことにも技術の進歩はあるかもしれない。ないかもしれない。今日より明日のほうがうまく握れるかもしれない。
大工もまた考えます。
ノコギリの使い方は切って切ってまた切って、木に触れ、木に向かい合い、そうして少しわかる時がある。わからないときもある。
しかし、職人仕事もまた株価のチャートを見るように、日々その素材は違っている。

職人仕事を偉大です。昨日と今日の間に違いはないけれども、いえ、違いは微差であるけれども、その違いに思いを馳せる人間はすでに昨日と違っているのです。
そうして極める世界がある。
お金の問題ではなく、お金を超越した技術の深淵がある、信念がある。

美しさはすでにその深淵の縁に宿っている。それを職人は手にしたいと念じているのです。

建築行為はそうした人々の孤独な戦いのはてに薄っすらと見えてくるものなのです。
機械も道具も携えて、たわからこそ勤勉にとって硬すぎる壁はないのです。

そう、わたしたちは信じている。




さて、今日もフラメンコです。
先日ご紹介したローレ・モントーヤの若かりし日々。
あのアラブ歌謡を熱唱したローレのフラメンコです。



comohouse at 17:38|Permalink 日々これ精進 

2024年05月01日

日本の住まいは変わるのか?

戦争に負けて八十年。長い年月です。今や、若い人には日本が戦争に負けた、という事実すら知らない人がいるのかもしれない。いや、少なくとも、なぜ日本があの無謀な戦争に引き込まれたのか正確に知る人は少ないかもしれません。

「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。
残念ながら戦争ははしたなくも起きてしまうもの、起こしてしまうものなのでしょう。

戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。
住まいづくりが文化であるなら、わたしたちはどのような文化を育んできたのでしょうか?

さて、街へ出てみましょう。住宅街で足を止めて、わたしたちが目にする住まいの連なりを眺めて美しいと感じますか、それともなにも感じないでしょうか?
こんなものだから、という諦めはご法度です。
「美しい日本の私」と謳ったのは川端康成さんでした。これも先の戦争とおなじ、もうご存知ない方がほとんどでしょうが、「雪国」や「伊豆の踊子」で有名な作家です。日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家がストックホルムでの授賞式のスピーチで語った「美しい日本の私」。

個々に、私が美しくあるのは個人の節制と不断の努力で可能ですが、日本の街並みを美しく仕上げるのは建築会社のすぐれた審美眼以外にないでしょう。
私たちはたいへんな重責を担っている。その自覚。その責任。その使命。
そしてそれはお客様によって鍛えられると云って過言ではありません。建築会社にすぐれた審美眼が備わっていても、お客様がそれを求めていなければ宝の持ち腐れに終わります。

美しい街並みを作るのはわたしたちの努め。

さて、その美しいと感じる心に訴えかけるもの、それはまず素材です。美味しい料理がまず素材にあり、その素材を調理するシェフの腕に委ねられている。
ですからまず素材の正しい使用による建築を心がけることが一等大切です。

素材が本物であること。そこからスタートすればまず大きく踏み外すことはありません。
正しい素材を扱う建築会社は正しいものを積み上げて住まいを作ります。
その結果が美しい住まいなのです。

さて、では本物の素材とは何でしょうか?

ここからが本番ですが、ここまで読まれて「そうだ、本物だっ!」と感じ入られた方はもうすでに本物を探し始めているかもしれません。そう。「ほんもの」はご自分で探しあてるものでもあるのです。





今日はこんなアラブ歌謡をご紹介します。
ローレはスペインのジプシーです。フラメンコの歌手ですが、ここでは堂々たるアラブ歌謡に挑戦してアラビア語で見事に歌い上げています。





comohouse at 06:21|Permalink 思いは遥か 

2024年04月06日

4月になれば。

サイモンとガーファンクルに April  Come She Will「4月になれば彼女は」があります。
ガーファンクルがひとりで歌い上げる美しい歌です。
明日に架ける橋もガーファンクルがソロで歌いますが、こちらのほうが小品であるだけ更に美しく余韻がたもたれます。
さて、4月になれば彼女はどうするのか?
むろん英詩のなかでその後の足取りが歌われ、ふたりの恋の行方が暗示されるのですが、4月になれば彼女は、と歌われればそれはとてももの悲しく聞こえる。

昨日は寒かったですね。お昼時、昼食の用意もととのった時間に玄関をたたく声。若い女性が「あのう、、、」おはなしを伺ってもよろしいですか?
ショールームですからお断りする謂われもなし。どうぞと招じ入れると彼女、建築の勉強をしているとの由。

最近なぜかこういう方が多い。笑
別に困る訳ではないが、建築会社もにわかに人生相談の説法会社の趣、建築とは家を建てると同時に世相の万端を語り、住まいのひだに分け入り、それらを束ねて方向を示し、構想を語り、構造を築き上げるものなのかもしれません。
話を聞きながら、わたしはわたしで今計画している建築、平屋、土間があり、三和土を拵えるとなるとふさわしい玄関はどうなるのかと悩ましい。

さて、彼女、失恋したんですと、いきなりの告白。そうか?失恋か?
初めて訪ねてきた建築会社で第一声が失恋の告白というのも珍しい。
彼が建築の勉強をしているらしく、自分も建築が好きで勉強してきたけど彼を失って建築も失うのは嫌だと思った、それで川崎の自宅から自転車で海を見たくて三浦の地へひたすら走ってきましたと。

見れば素足でスリッパでペダルを漕いで、そぼ降る雨の中を。
若さはなんて素晴らしいんだ。
それでも建築を忘れずにiPadのなかにおのがスケッチ図を隠し持ってひたすらペダルを漕ぐ。
こうして出来上がる建築の素晴らしさ。
住まいはこうした心の襞の集積、心の壁の巣窟、幸せだけを思い描いて間取りを考えるのではなく、失恋の寂しさを膝を抱えるようにして図面に落とし込むことも大事ではないか。
すでに失恋の痛手を忘れてしまった当方にはたして美しい建築が作れるのか?
ハッピーエンドの幸せな家族の自画像だけが家造りではあるまい。


そうだ、玄関には引違いがふさわしいとしても、古い蔵の引き戸を据えたい。
その古い壊れかかった重い引き戸を滑らせるとき、わたしたちは幸福だけでなく、その古い蔵のなかで聞いた女たちの嘆きの声に耳を澄ますことも大事ではないか。
扉をあければ光は差すだろうか?
光は一条だろうか?
その光の影はなにを写すだろうか?

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comohouse at 06:51|Permalink 建築雑感 

2024年03月18日

転勤の季節だッ(恋の季節)?

三浦海岸では河津桜もすでに葉桜、一時の活気もとおに去り、京急沿線沿いの桜通りも静かな様子を見せはじめると、さて卒業シーズンがやって来ます。かと思うと転勤の報せも届いてお世話になった営業マンが去り、また新しい若い人が赴任してあらたな出会いがあります。

人の移動は新鮮な刺激をもたらしてくれますが、近頃あれこれと商品選びにあちこちからカタログを取り寄せ、ふむふむ🤨えっ?こんな商品があるんだと、これもまたびっくり仰天、アンテナを錆びつかせてはなりませんな、と、暫し反省。

商品開発も生き馬の目を抜く激しい闘いがあるもんです。
設備機器と云えばTOTO、INAXの時代が当たり前に永くつづき、ほかを探してみるかという情熱もなく、せいぜいが輸入品を当たるくらい、しかしまてよっと、改めて足元を探ってみると新たな視点で商品開発に取り組む弱小メーカーがいろいろあるもので(失礼な物言いでごめんなさい)、そのコンセプトをみると目から鱗。なるほどと思ったり、目は付け所なんですね。
そうかと思えば昔からある輸入サッシと云えばアメリカ製のアンダーセン。
以前は大手商社が手掛けていたのが次々と撤退、あらたに参入した地方の商事会社がチョット目線を変えて売り込みをかけます。その視点もまた同じものを売るにしても付加価値の付け所が違うものです。

建築の世界もいつまでも自然素材だ、無垢だ、手作りだでアピールしても時代はすでに先を行っている。
そんなことは当たり前、その先のストーリーを切り開かないことには誰も関心を持たない。
時代に迎合するのではなく、時代を先取りしつつ新たな価値観を提示する。生やさしいことではないけれど、この新たなストーリーが建築の地平線を切り開くことになります。

さて、それは奈辺にあるのだろうか?
それは家族にこそあります。
家族の構成の変化。家族の価値観の変化。もしかすると夫婦のあり方の変化にこそあるのかもしれません。
一世を風靡したあの「二世帯住宅」も家族の構成に目をつけた商品開発であったのかもしれません。

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comohouse at 05:49|Permalink 日々これ精進 

2024年03月01日

明治村へ行って来た。

先日九州に帰省するおり、途中名古屋で下車して名鉄線とバスを乗り継ぎ念願の明治村へ行ってきました。目的はただひとつ。あのフランク・ロイド・ライトの設計になる「旧帝国ホテル」を見たい、というその一念。

ついに念願叶う日がやってきたのです。

じつは名古屋は初めて。あの河村市長を生んだ名古屋です。さぞ個性的なんだろうな、と覚悟を決めていざ見参。名鉄線の電車の中で🚃興味津々、まるでオノボリさん。良い意味で名古屋という地方色豊かな土地柄がひと目でわかるようです。そうやって電車の中でもキョロキョロキョロキョロ。すると、あっ、いた、なんとも言えず個性が破れたような奴が。🤪

平日の午前9時台。まばらな乗客。四十前のちょっと摩訶不思議なサラリーマン風情のお兄さん🧑‍💼。下車するときの立ち居振る舞いがなんと言いましょうか?

いえいえ、とても私ごときの筆力であの破れかぶれの信長みたいな男性を描写することは叶わない。やすしきよしのやすしみたいな奴、と言ってもあたらない。う〜ん!兎に角可笑しい。ちょっとした仕草が笑っちゃう。愛らしいとも言えますが、いや、ここは、、、止めておこう!🤪

このままいくと明治村に辿り着かないかもしれません。


さて、気を取り直して明治村、その全体が見応えのある博物館?と呼べるでしょうが、いくつかのエリアに分かれていて、一日で回りきるのはちょっと難儀です。

幸いなことにこの日は快晴、風もなくまるで小春日和。真冬の寒い日はちょっと辛いな、なんてほくそ笑みながらニタリ。(笑)

山を切り開いてできた場内ですから自然の坂や階段もあり、東京ディズニーランドのようなわけにはまいりません。TDLが海っペリにできたのはそういう訳もあるかもね?ユニバーサルジャパンも海岸っペリ?

子どもたちには坂は向かない、では年寄りには坂は向いてるの?と、これは憎まれ口。🤪


さてさて、そのアップダウンをハチマキ捻ってテキトーに端折りながらも匍匐前進、とても制覇とまでは口が裂けても言えませんが、そこそこ堪能しながらも、いい按配でお昼です。するとまた、そんな時間にそんな場所に都合よく昭和のレストランがあるんです。明治村とはいえさすがに明治のレストランはありえない。それでも昭和の味を楽しみながら、制覇した古い建物にチェックをいれ、ああだこうだとウンチクを傾けて、さあ、お腹も満腹、さて、いよいよ佳境、汽笛一声新橋を。いざ、旧帝国ホテルは目と鼻の先、レッツゴー!


明治村を俯瞰してみれば、その配置の白眉が帝国ホテルであることは一目瞭然、その圧倒的な佇まい。わたしたち建築に携わる者にとって永遠の見果てぬ夢、尽きぬ泉、嗚呼、これが帝国ホテルなのか。
さすがに天井は低い。地を這うようにベターっと低空飛行を強いられて、そしてまた一転してダイナミックな吹き抜けの空間が、その対比が素晴らしい。そしてまた、石積みの壁に施された鮮やかなデザインとその意匠。よくぞここまで、とため息の出るその人間技に、根気良く伴走したライトの執念に脱帽です。デザインを考えるのは仕事ですから、しかし、それを実現させるのは人と人のぶつかり合いです。
建築会社をやっていると人を動かすことの困難さにイヤでもぶつかります。ライトはまなじりを決して百万人といえども我行かん!
嗚呼、その覚悟や如何に。

明治村の旧帝国ホテルはライトが実現した帝国ホテルの全貌のわずかに玄関ロビー部だけなのです。
かけがえのない宝物は夢のまた夢。
また行きたいな。

建築は偉大だなぁ.


teikokufranklloyd



comohouse at 18:38|Permalink 思いは遥か 

2024年02月02日

What'd I Say

三浦市内に最近できた古本屋さん。メインストリートにあるわけでもなく、山のように本が積まれてあるわけでもなく、自分の好きな本だけをならべてこじんまりと、控えめに。その潔い覚悟がこの空間に満ちている。まだ若い、三十代? 本好きにはたまらない背表紙の色褪せた佇まい。こういうお店を開きたい、というその願望を叶えてしまう。古家を借り、シンプルに徹した内装から彼、彼ら(ご夫婦)の生活が垣間見える。その古本屋さんの名前は「汀線」さん。ご興味がおありでしたら覗いてあげてくださいな。→ 三浦市南下浦町菊名493

当社も負けず劣らず本好きが昂じてショールームを「三浦文庫」と名付けてジャンルに構わず好きな本だけ並べています。一に建築二に読書。しかし、良い家を建てるのなら、「一に読書、二に建築」かな。そう、住まいは無造作に建ててはなりません。自分と家族を見つめるなかでほんとうに建てたい家が見つかるでしょう。そのためにも読書に励み、己を磨き、自分を見つめてふさわしい住まいの佇まいを手に入れることです。

さて、そんな年初の新しい人々の発見も素敵でしたが、一昨日は市内に住むという若者がお昼時、ひょっこり訪ねてきました。ちょうど昼食時だったのですが、「本をみせてもらってよろしいでしょうか」と聞かれてノーとは言えない。笑
若いご夫婦で、たまたま書棚の小野洋子さんの本を見つけたことからビートルズの話になり、そこから会話があっちいったりこっちいったり。若い奥さんの実家が高知県で、父親が大工さんだったり、実はその彼も大工になりたいと仕事を探しているという話し。
あいにくウチでは未経験の大工志望者を抱える余裕がなく、話しを聞くほどに応援してあげたい気持ちが募るですが、勢いだけで人を抱えるわけにもいかず。

ただ、その、なんと言うか、What'd I say . そう、レイ・チャールズの心境と言えば言えなくもない。
思わず熱を帯びた建築談義に発展したのもこの若いふたりの真摯な姿勢の為せる技。
帰りしな、若い奥さんのお腹が心なしかふっくらして、そうか、おめでた?
自分の息子より若い二人を、なんだか愛おしく、思わず抱きしめたい心境にかられたのも不思議とありがたいものだなあ、と、うん、うん、ありがとう。
こんな気持ちになることは滅多にない。





comohouse at 14:16|Permalink 日々これ精進 

2024年01月07日

あたらしい人

早いもので新年も今日で七日。七草粥をいただくまでに進んでくると春はもうすぐそこまで。
えっ?ちと早すぎますか?😁

秋の七草は山上憶良。憶良の歌にあるように、なくて七癖、転んで八島。(ナンノコッチャ?)

 秋の野に咲きたる花をおよびおり かき数ふれば七種の花(ななくさのはな)

万葉集の歌はそのリズムが素晴らしいですね。古今かぎらず詩歌は声に出して口ずさむところにその醍醐味があります。現代は不幸なことに流行り歌から見捨てられた時代。昭和の歌謡曲や50年代のロックンロール、60年代のポップス、70年代のロック。歌は世につれ世は歌につれ。デジタルの時代はAIの時代を経てわたしたちは何に自分を映せば良いのか?分からない。
分からないのは信じるものが無いからなのか?
若かりし頃、よく詩歌を声に出して読んだものです。アルチュール・ランボー、中原中也、寺山修司、アポリネール。

さて、今日は春の七草、秋の七草の副産物ではあるまいに春の七草は七草粥。

セリ、なづな、ハハコグサ、コハコベ、シソ科のホトケノザ 、キク科のコオニタビラコ、「すずな」はカブ、「すずしろ」はダイコン。

これらをお粥にして、そうね、梅干しを添えてしずしずといただく。ああ、日本に生まれてよかった。

springsevenglass

七草粥に無病息災を願う。
しかし日本人はいつでもどこでも何にでも願いをかける。路傍の石にも手をあわせ、何を叶えたいのかわからないが、手を合わせることが大事なような気がする。
では、コモハウスは今年は何を願うのか?
美しい住まいづくりに終着駅はない。どこまでも、どこまでも、見上げるだけでは美しい住まいには手が届かない。
いつまでも、いつまでも。見上げなければ美しい住まいには近づけない。


コモハウス・モバイルサイトへ



comohouse at 18:25|Permalink 日々これ精進 

2023年12月30日

師走の風、人生の風

師走の風が身体に響く。冷たい。

冷たくしないで。これはエルビス・プレスリー。

今の人はもちろんエルビスなんて知らない。
エルビスが歌手で、まさに元祖スーパースター。わたしたちはそんなでっかい存在に常に癒されてきた。こんなことを思うのも、世の中に大きなコアがなくなってしままったなあ、という感慨、いや、慨嘆か?
エルビスしかり、長嶋茂雄しかり、王貞治、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木しかり。サルトル、カミュ、三島由紀夫。大鵬、柏戸、アラン・ドロン、畑は違えど田中角栄、そして極め付けはビートルズ。
数えあげれぼ綺羅星のごとくならぶその道のスーパースターたち。それはわたしたちの人生のお手本と言ってもいい。
お手本を横において、真っ白い和紙に文鎮を置き、筆をかまえ、筆先に墨をはしらせる。お手本通りにはいかない。字をまっすぐに引けない。そこから駄目。
線をまっすぐに引けない。しかし、線をまっすぐに引くには思いの外技術が必要なことにわたしたちは気がつかない。
「線をまっすぐに引くには十年かかる」といったのはパブロ・ピカソ。
さらに彼は、
「子どものように自由に線をはしらせるにはさらに十年かかる」と言ったような?

わたしたちの仕事に即して言えば、ノコギリを真っ直ぐ挽くには十年かかる。
のこぎりで自在に切り刻むには二十年かかる、かしら? ほんとうに。
なにごともプロの世界は極北の氷の壁のように高く、厳しく、近寄りがたい。しかし、

「勤勉にとって硬すぎる壁はなく、勇気にとって近寄りがたい深淵はない」ノーヴァリス

今年は今更ながらにこの仕事のむずかしさを胸に刻んだ日々はなかった。圧倒的なお手本はもうわたしたちの周りには無いのだろうか?
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

今からでも遅くはない。古の歴史に学び、古建築の優美さに近づきたい。

今年もお世話になりました。
一年はあっという間。一年の計は元旦にあり。明日は総決算のお正月。さて、おつりはくるでしょうか?来る年が皆様にとって良い年でありますように。
新年九日からの仕事始めです。






comohouse at 23:03|Permalink 日々これ精進