2019年03月14日

床鎮めの儀

床鎮め。
先日、よく晴れわたった土曜日の朝、地鎮祭に出席させていただきました。
晴天に恵まれた地鎮祭ほどありがたいものはありません。三月というのに上着を脱いで、風もなく、建築工事が無事滞りなく順調に運びますようにと祈念して。
なんとはなし、背筋がピンと伸びるものですね。
もう何年もこの仕事をやっているのに、考えてみると「地鎮祭」について深く考えたことが、ない。
地鎮祭は何のためにやるんだろう?地を鎮めると、字義どうりに考えればそれはそのとうり。それで良いんじゃない?
それで良いけれども、神職様が神様へ語りかける時、私たちは神様を感じることができるだろうか?地鎮祭は神様の降臨をお願いし、お越しいただくための儀式。
では地鎮祭って一体いつから始まったの?江戸時代にも地鎮祭ってあったのかしら?
江戸八百八町でたくさんの家が建っただろうに、映画 🎬 やテレビで 📺 地鎮祭が描かれるシーンを見たことがない。地鎮祭ってドラマに乏しいのかしら?式の祭典の裏側でおどろおどろしい人間模様が繰り広げられている。な〜んてことはないんだ。
神職様は一体なんて喋ってんだろう?
「う〜」とか「あ〜〜」とか 響き渡るように大きな声で、で、あれって何言ってんだ?

先日義母が亡くなって急遽長崎に帰えりました、葬儀場でお坊さんが般若心経を読経するのを聞きながら、事前に私たちにも般若心経がかかれた紙を手渡されているのですが、途中から式場の参列者が声を揃えて唱和しはじめるのを聴くと何だか心の底から深い哀しみが湧き上がってきます。

神さまどうぞこの地の降臨下されてこの地を祓い清めたまえ、この有難い日にどうか我々の穢れをとりのぞき、新しい住まいが幾久しく栄えたまえ。
地鎮祭も神職様が唱える祝詞(のりと)を書き写したものを出席者に配って唱和を願います。
で、一同、「う〜ぅ、あ〜ぁ、かけまくもぅ〜、ウぅ〜ああぁ〜、かしこみかしこみ〜、ウゥ〜まおスゥ〜。」

地べたから声が湧きいずるように全員で「ウゥ〜」。全員で「かしこみぃ〜」「あぁ〜」。
これはなんでも声に出してみることでその真意がスゥーと心に落ちてくるものなのです。

そんな地鎮祭を一度経験してみたい。

この日の地鎮祭は、通りかかるご近所の方々皆さま一様に「おめでとうございます」と声をかけてくださって 、施主様とご近所の皆さまの絆が窺えるようで温かい気持ちにさせられました。

地鎮祭





comohouse at 21:13|PermalinkComments(0) 建築雑感 

2019年03月05日

嵐が丘

町から本屋さんが失くなったことはほんとうに寂しいですね。
お肉屋さん(八百屋さんも)が失くなったことも寂しいですが、しかし何と言ってもレコード屋さんが失くなったのは愕然とするほど寂しかったです。
このレコード屋さんもいつとは定かではないのですが、気がついたら町にレコード屋さんが見当たらない。なんにでも予兆はあるもので、その何年か前からすでにレコードを買うこと自体が少なくなってきた。レコードからCDにフォーマットが変わった頃からいつしか次第に興味が薄れ、つまりそれは、蒐集の興味が薄れたことが原因のような気がします。優れたアーティストがいなくなってしまったのです。(私にとっては、ですが。)圧倒的な存在が見当たらなくなってしまった。
振り返ると、コールドプレイの三部作(X&Y 、Viva La Vida)くらいが最後のような気がします。
では、本屋さんにはなぜ行かなくなったのか?
子供の頃は貸本屋さんの棚のいちばん上にずらっと並んだ少年探偵団、怪人二十面相、明智小五郎。もう夢中になって読んだものですが、それから小学校の高学年頃からシャーロック・ホームズにはまり、中学では太宰治から夏目漱石まで、そして、外国文学では、あの「嵐が丘」と「漂白の魂」。

ま、そんなよくある読書歴ですが、コモハウスの建物に名前をつけるようになったのは、そんな子供の頃の読書遊び(?)の延長で、建築中の最も印象に残った出来事や発想や、そこからの想像力で勝手に名前をつけているのです。(お施主様、ごめんなさい)

Wuthering Heights


「嵐が丘」は家の名前としては決して無難な名前ではありませんね。(笑)もしかすると失礼かもしれない。これは、海を望むロケーションと、上棟直後の嵐のせいに違いありません。
わたしたちはこの建物を、「ワザリングハイツ」と読んでいるのです。

ワザリングハイツで思い出すのは、その昔、バブルの頃、初めてモンゴルを訪れたときのことでした。ウランバートルのはるか北方、北の方、テレジといったか、行けども行けどもどこまでもつづく草原の只中にある、まるで民宿か旅籠のような安ホテルで知り合ったオランダから来たというご夫婦。(小さい自閉症の娘さんを連れて、オランダからモスクワ、イルクーツクと列車を乗り継ぎ、会社から長期休暇を取って世界を旅して回っているという話でしたが、娘さんの病気治療もあったのでしょう。)その奥さんが、モンゴルの大草原を見ながら、「以前若い頃、イギリスのヨークシャーを旅してこのような美しい荒涼とした荒野を見たことがあります。」と、身振り手振りで微に入り際にうがって熱心にちょっと興奮気味にわたしに説明してくれるのです。その話を黙って聞きながら、わたしは思わず、「ああ、ワザリングハイツ、、、」。と言葉が口を突いて出ると、彼女はパッと顔を紅潮させて身を乗り出し、「そうそう、それです、ワザリングハイツです。エミリー・ブロンテの。」
私たちは同じような年頃だったのです、子供の頃に読んだ嵐が丘が、世界の東と西の果てで生まれも育ちも違う人間が、モンゴルの草原で嵐が丘を前に心を通わせている。

今更ながらにこんなことを思い出したのも、実は自宅の一室を図書室にしようと本棚のレイアウトを考えていたら、家内がたまたま「嵐が丘」の単行本を持ち出してきて、ああ、また読みたいなあ、と心すでに此処にあらず。で、パラパラと拾い読みしだしたら、これがなんと、憚りながらその訳文が気に入らない。(笑)ごめんなさい、翻訳者さま。
私が昔読んだ「嵐が丘」は子供心にもっと素晴らしかったぞっ!となんの根拠もないのですが。(やれやれ)

そこで色々と調べてみると「嵐が丘」には様々な訳文があり、もちろん私が子供の頃読んだ訳者が誰なのか皆目検討はつかないのですが、それでも調べるうちに永川 玲二さんの訳文が評判がいいけれども、しかしすでに絶版。アマゾンで調べると中古本で出ているのを発見。これだ。

明日くらい、とどくかしら?

今日はあんまりお天気が良かったので荒崎公園に寄ってきました。海が光って綺麗でした。ああ、もう春だな。

長井の海










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2019年02月25日

祝 ボヘミアン・ラプソディ

「ボヘミアン・ラプソディ」がアカデミー賞の主演男優書に輝いたのは本当に快挙です。
ラミ・マレックの演技は素晴らしかったですものね。
フレディを演じるなんて、フレディ自身が虚構のような存在なのに、その本人をどうやって演じるの?
ラミ・マレックはどんな魔法を使ったの?

この映画の素晴らしさは、フレディの人生を描くことに他の三人が熱中して、自分たちのことよりもフレディへの愛を表現した。これに尽きると思うのです。こんなバンドはクィーンしかない。

今日は余計なことは言わずにこの受賞を喜びたいですね。

  







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2019年02月17日

ますます時代は変わる〜変わっちゃうのね

毎日毎日ピリッとした寒さがつづきます。ああ、冬だな。と余裕を見せるのも最初のうちだけ。
寒い。ぶるっ。寒いのは苦手。とそう言いながら二月もはや半ば。つい昨日、お正月と喜んでいたら、(まだお正月と喜んでいる年頃なんですね?)もう今年も残すところあと十ヶ月と少々.(気が早い。早すぎるゥ〜)

消費税の増税で建築業界も駆け込み需要を当て込んでどこも大忙し、かな?三月いっぱいに契約すれば完工時期は問わず、だそうでこりゃ大変だっ!!
しかし、家は駆け込みで建てるものではありません。

消費税が初めて導入された時の大混乱を私はまだ覚えています。先ず3%、そしてすぐに5%、それからややあって8%へ。
3%の時はバブル景気も重なって仕事は掃いて捨てるほどありましたが職人がいない。
家は混乱の中で建てるものではありません。
今回の10%はさすがに混乱の様相はなく、ちょっと盛り上がってるのかな、って程度に納まっているのはまだ実感が湧かないせいでしょうか? そのうち混乱がやってくるのかもしれませんが。
家づくりの奥行きは深い。その深い奥行きを一人で解決するのは容易なことではありません。そこでパートナー探しをまずは住宅展示場で見繕い始めるのですがそこに無理がある。(笑) 😞ゴメンなさい。そこは家づくりの名人の巣窟ではなく、ネギを背負ったカモの狩猟場なのです。(爆笑)
カモにならないために私たちに出来ることがあります。それは猟師への逆襲です。😞なさい、猟師のみなさん。

家づくりは混乱の中で、じっと頭を冷やすものの上に勝利が微笑むのかもしれません。 頭を冷やして桂離宮を見に行くか?それよりも手っ取り早く「商売抜き」の建築本を買って読むか?

最近、ナイキを創業したフィル・ナイトさんの「シュードッグ」 というナイキ創業にまつわる自伝本を読んで、いやあ、とっても面白かったですね。これはまさに「商売抜き」のシューズ売り。「商売抜きの」靴造り奮闘記。日本人との深い関わり。面白いこと、自分が夢中になれることに「自分」を信じて取り組むこと。建築業に携わる者が心して読むと家造りもその要諦は同じ、かもしれない。

tile1





 


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2019年02月02日

立ち昇る階段

この小鹿田焼の里は、今では珍しい一子相伝の伝統を頑なに守る親から子へ、子から孫へ、変わらぬ焼き物のその造形美。変わらない、と決めることの潔さと変わりたいと願う欲望と。
しかし、人は変わるもの。


小鹿田4 















小鹿田6
















登り窯がだんだんと連なる様子は、そうかこれが登り窯かとトーシロはなんにでも感動するものです。 しかしこの窯の周りの手入れの行き届いた裏庭の様子はここの人々の生活のありようが伺えます。仕事場の手入れは何にでも言えることですが、その仕事に対する思い入れの強弱がうかがえる大事なポイントです。
登窯を見ていると、何と言ってもその造形美です。機能美です。焼き物の里を象徴する、その機能が全体を統一する。
家づくりでも、その様々な用途の中で何が住まいを決定づけるのかと日々考えるのです。小鹿田の登窯に匹敵する住まいの要素はなんだろう?何が住まいを魅力的にするのだろうと考えると、実はそれは階段ではないかと思うのです。
私たちの住まいをつらつら眺めていますと、階段があまりに無造作で、階段がただの階段で終わってしまっている。二階に上がるために機能すれば良いと思うとそれは大きな間違いなのです。上下をつなぐ、居間と二階を橋渡しする。階段で立ち止まる。トコロテンのようにただ押し出される通路としての階段ではなく、二次元を三次元に押し広げ、それは吹き抜けを通じて住まいを縦横無尽に駆け抜ける。
それは精神の解放であり、家族の関係を時には逆転させる、自由のもう一つの表現なのです。
だから、階段は私たちを解放してくれる。

階段は一歩登るごとにそこから見る風景を一変させる。私があなたになる。そのように階段をこしらえる。階段はリビングルームを差配する。玄関をつかさどる。二階への架け橋を無限に規定する。

もしも今住んでいるあなたの「住まい」が美しくないとしたら、それは階段のせいかもしれない、と疑ってみるのは一つの見識です。住まいは生き物です。そのことを如実に表しているのが、もしかしたらあなたの家の階段かもしれない。階段は怪談なのです。(笑)

コモハウスの住まいは実はこの階段を中心にして設計されています。そう言うと身もふたもないのですが、階段をどう表現するかに想像力を集中させる。ここが大事なポイントです。さて、そこから先は、私たちの人生にも似ている。だから、企業秘密。(笑)
ひとり階段を見上げる時、二階のその先のはるかな天を仰ぐ時、その住まいは美しく見えるだろうか?

階段1






















階段5






















ジョジョの奇妙な冒険で、承太郎とディオが対決するエジプト編。あの傑作シリーズで印象に残るのは、ディオの住む館に乗り込んだポルナレフが螺旋の大きな階段を一歩、また一歩と登っていき、その向こうにいよいよ目指すディオが待ち構えている。ポルナレフは幅一間はあろうかという豪壮な螺旋階段を、今まさに一歩踏み出す。その時、ポルナレフは、階段を一歩下がっている。
まさに衝撃的でしたね。こんなドラマティックな階段を私は他に知らない。
階段は時をさへ支配する。

階段3
















階段は演出するものではなく、身をまかせるもの。ローマのコロシアムの階段状の観客席は闘技場以上に雄弁にすべてを語っています。主役はすり鉢状の階段なのです。

階段7


















階段2























階段は人生の縮図。上昇も下降も、悲劇も喜劇も呑み込んで、私たちを豊かにしてくれる。

階段4
















小鹿田の登り窯を前にして、階段階段と一人呟く私は十分に可笑しなのでしょう。
おかしな私たちと、冬の日差しに干される焼き物の卵たちと。


小鹿田3 






















こうして天日で乾燥させてから窯に入れるのでしょうね。
窯から出てくるとこうなります。(笑)

小鹿田7


 












あらためて小鹿田焼のすばらしさに浸ることができたこの1日に感謝して。
ああ、もっと欲しかった、と思うのは人情ですが。






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2019年01月29日

山間の陶工たち

トンボ帰りで陽が暮れて、、、。
そんな慌ただしい九州行ったり来たり。
九重連山が連なる九州の背骨。その奥深い山の中に日田があります。昔から林業の盛んなところで御料林の連なる日田杉の産地です。

かっては幕府の直轄地で、私が子供の頃、叔父がこの日田の営林署の所長をやっていたのはもう遠い昔の話。子供心に遠いところ、寒いところ、冬は雪が降り積もるところ、なんだか黄泉の国の岸辺のあたり(?)、想像を絶するところ。今では高速道路であっという間にたどり着くのですが当時はほんとうに山間の山奥。九大線が大分と熊本をつなぎ、日に何本の列車が走ったのか?たどり着くのも難儀なところだったのですが、そんな山間の奥地で育まれた日田杉に今ではお世話になっているのですから人生はわからない。

しかし、今日は、日田杉ではなく、その日田の山肌を縫うようにさらに山奥に進んでいくと「皿山」という地名があり、ここに十件の窯元が昔ながらの製法で窯の火を守っておられるのです。
小鹿田焼きは子供の頃から馴染みがあるのですが、この小鹿田の里を訪れるのは初めてでした。
小鹿田は「おんた」と読みます。子供の頃はまずこれが読めなかった。行きたい行きたいと思いながらも字が読めないとチャンスもなく、だから字が読めるようになるとチャンスは自分で作るものと思うのです。
日田杉と小鹿田焼と。こんな素晴らしい組み合わせがまたとあるものか。
焼き物も素晴らしいのですが、小鹿田の里が、里そのものが格段の風情があり、開窯いらい四百年間、十軒の窯元が集落を形成し、今も変わらず窯の火を守っている。そんな焼き物の里は小鹿田以外には無いのではないか?
この集落の中を細い川が流れ、川の水を利用して臼をつくのはまるで水車の原理でここでは今でも機械は使わず、ろくろを回すのも、土を捏ねるのも、すべてが人間の手作業なのです。


小鹿田2














小鹿田5















どこもみんなこのような家々で、瓦屋根、真壁、そして漆喰壁。どこを見渡しても古い木製の窓窓窓。おもむろに入り口の引き戸を開けて、「もし、ご新造さんえ、おかみさんえ、お富さんえ、いやさお富!久しぶりだなあ」
なんだか芝居がかかって、そんなセリフが口をついて出てきますね。
to be continue (笑)

書き出すと様々なことがありすぎて纏まらない<苦笑









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2019年01月18日

バカもやすみやすみ言え!

徒然なるままに日暮らし。えっ?その日暮らし?

なあんてね。(笑)

バカも休み休み言え。この言い回しは秀逸ですね。馬鹿を立て板に水で宣(のたま)うと、聞いている方はたまりません。疲れます。昨今のどこかのお国との角突き合わせがこれに当たりますかしら。(笑)
 
しかしまあ、平成最後の年を迎へ、新しい御代を迎えるにあたって、考えて見るに万世一系のわたしたちの天皇譜系図は風前の灯、どう考えても次の代、その次の代は明るくはない。男子がいなくなれば女子がいるさ。そう?ほんとうに?二千年間繋いできた類い稀なる伝統を此処で断ち切るなんて、断腸の思いでは済まないでしょう。
時々ね、柄にもなく日本はどうなるんだろう?と考えるととても辛い。
 
稀勢の里が引退して、日本人横綱はまた居なくなった。それより何より、白鵬鶴竜の相撲を見ているととても横綱相撲じゃあない。バタバタと、なんだか破れ太鼓の音が抜けたような土俵の風情に引退は稀勢の里一人ではなく、白も鶴も危ないなあと、まあレベルの低い相撲内容に一体相撲はどうなってしまうんだろう?あの日馬富士の暴行事件とその後の大騒動と貴乃花の引退からまさかの貴野岩の引退まで、一方の当事者である白も鶴も心の底では深く傷ついたのかもしれません。

それにしても、、、。 
日本中で、いえ、世界中であらゆる風景の質が落ちている、と感じるのは私だけ?😔この劣化はどうしたことでしょうか。
 
今日はカインズホームでお買い物。駐車場を歩いていると女子高生が二人、アイスクリームを舐めながらこれ見よがしに歩いている。あゝため息が出ます。
私たちが子供の頃は「食べ歩きはしない」「買い食いはしない」と教えられたものでした。
中学生の時、お昼休みに友達三人で学校の外でパンを買って食べたのですが、終業後、担任の先生に呼ばれて理科の実験室に連れて行かれ、(担任の遠藤先生は理科の先生でした。いつも白衣を着ている、そんな先生でした)教室の床に三人並んで座らされて、思い切り殴られました。先生は泣きながら私たち三人を殴ったのです。
なんて言えば良いのか?What'd I Say .
「買い食いのどこが悪い」と今の人は言うのかもしれません。どこが悪いのか、それは自分で考える事です。そう、どこも悪くはないのかもしれない。ただ、人間には、大事にしなければならない品格というものがあるのです。
それは教えられて初めて気がつくものなのです。身をもって教える。横綱が身をもって教える相撲道。教えるという行為は事ほど左様に崇高なものなのでしょうね。
だからと言って私に品格が備わった、などとはとても言えませんが、ただ私は遠藤先生の教えを大事にしたい、と今でも思うのです。

2019年の台所リフォーム

新年最初の仕事始め。台所リフォームが完了しました。明るい台所は良いですね。
新しい年に明るい未来が。








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2019年01月14日

私たち「だけ」の家づくり

建築会社にもカラーがあるもので、いえ、厳密に言うと、カラーを持ちたいと思うもので、そのカラーを打ち出すことができずに討死する建築会社も数多あるものです。(嗚呼、わたしたちにそんなカラーはあるのだろうか?)
あなた色のカラーに染まりたい、と言うのも建築会社の一つの在り方かもしれません。 技術を磨き、正直を旨とし、なんでも出来ます、なんでも建てます。
それなのに私たちは、なんでもできる建築会社を目指しているわけではないというこの横着さ?こういう言い方が正確かどうかわかりませんが、残念なことに、やりたくないことが多すぎる建築会社なのかもしれません。(つまりは、ただの横着?それとも天邪鬼?それで建築会社が成り立つの?)

家づくりは本当に難しいですね。お客様のご理解と、わたしたちの、分かってもらえるだけの丁寧なご説明と明日を目指す目線。

材料の吟味。
その材料の使い方。
美しい家づくりのその基準は千差万別。
それでもやっぱり私たちはわたしたちのカラーに則って美しく仕上げていくということ。
誤魔化さないこと。
美しくない材料にもどこかしら美しい部分があるということ。
それを探すこと。
ぼんやりしていては見つからない。
いちばん大事なことは、変哲のないそのモノに新しい価値を与えてあげること。
厚かましい物言いですが、この「新しい価値を付与する」という一点に、建築会社のカラーがあるのだと手前味噌ながらそう思うのです。
「新しい価値」というとちょっと違うかもしれません。「新しい」ではなく、目線をずらすことで「違う魅力を引っ張り出す」と言ったほうが正解かもしれません。
隠れていた魅力を引き出す。
「美は乱調にあり」
「陰翳礼讃」
ああ、家づくりはむずかしい。

そんなむずかしい家づくりをわたしたちと始めてみませんか?
えっ?いや????(笑)「そんなむずかしい家づくりは!」

冬






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2019年01月10日

始まりました。

二十一世紀ももうそろそろ五分の一。
二千百年ももうすぐそこまで?時代は変わる。変わり過ぎかしら?
しかし、その時代についていくのも人間の宿命です。ついていけないと思うのは人情ですが、例えばコミュニケーションについて学ぶ場がこの時代ではスマートフォンだとなると📱これは考えただけでチョット苦しい。きっと、人と人の繋がり方が圧倒的に変わってきているせいなのかもしれませんね。
年賀状。
これも前世紀の遺物かしら?賀状が必要かどうかと考えると、これが近頃どうもよくわからない。印刷された賀状を見ると、これは確かにご挨拶なんですね。それを負担と感じるかどうか?
年賀状は出した人からの返信を期待しない。出したいから出す。此処が肝要なのですが、さてさて、凡人の哀しさかな。
しかしこの年賀状、今年は去年より一億枚減少とか。年賀状に限りませんが、今や受け取るハガキや封書はすべからく請求書のみ。🤔う〜ん。 

return to sender

そう言えば、今日はエルビスの誕生日だったかな、確か、、?
 
                                              

年明け早々、キッチンのリノベーションでフルスロットル。お天気に恵まれたのはありがたい事です。しかし、冬のリフォーム現場は寒い。(笑)
こちらの写真は去年キッチンを全面改装したH様の厨房です。今年頂いた賀状には、「インテリアを考えるのが楽しくなるキッチンです」とご丁寧な賀状のお言葉に、一瞬現場の寒さを忘れさせていただきました。
 
海辺のキッチン







comohouse at 06:19|PermalinkComments(0) 日々これ精進 

2019年01月01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜りありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

今年は初日の出を拝みにソレイユの丘へ。
朝焼けの太陽は美しかったですね。
今年が良い年でありますように、心の中でそっとお願い。

さて、2019年。コモハウスの新しい年はどんな年になるのでしょうか?美しい家づくりは成就するのでしょうか?乞うご期待。新年の仕事始めは一月七日から。改めて本年もよろしくお願いいたします。

2019 happynewyear






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2018年12月26日

今年もお世話になりました

一年のたつのは早いもの。
クリスマスが終わると師走が駆け足で過ぎ去っていきます。
今年もお世話になりました。家づくりに終着駅はありません。停車場で立ち止まり、線路の先をはるかに眺め、チョット身震いしながら心を新たにする。
家づくりを終の仕事にしようと思ってこの世界に飛び込んだわけではありませんでしたが、気がつけば此処を住処にもう後戻りはしない。キリリと身を引き締めて、その頂きをはるかに臨む。

「もう建築が大好きというのが見ていてわかります。」
「全身から家づくりの情熱が伝わってくるようです。」

憚りながら、そんなふうによく言われます。お客様からも、同業の皆様からもそう言われることがあります。嬉しいような、こそばゆいような、他人様から見ると、僭越ながら建築の神様が取り付いているのが見えるのかもしれません。肩越しに覗き込む神様を横にして自分にはなかなか気がつかないものですが、素材を前にすると、この材をどう活かせば良いのかと頭のなかで手押し車がカタカタと回り始めるのです。
様々な材料を端から端にいっぱいに広げて、それを手繰り寄せて一つの完成した未来を提示するのは建築の醍醐味でしょう。古きを訪ね、新しきを知る。新しいものを求めてはいない。
私たちの世界に新しいものは何もない。まさに、「太陽の下では新しいものは何もない」。過去につながる事で未来への橋渡しが可能になる。
だから、私たちは「旧築提案」なのです。

コモハウスの家づくりがみなさまに届きますようにと、師走の一日、冷たい風に吹かれて、しかし心はじんわりと熱気をはらんでまた来年も、よろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。

wooddeck






 

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2018年12月19日

帰り道

帰り道がわからなくなると、人は北を目指します。
北極星を目印に、極北の大地を目指すわけですが、家づくりがわからなくなると、私たちは古典に帰ることになります。
古(いにしえ)の住まいにその原点を探るわけです。私たちが生きたこの僅かの時間の中で目指すべき北極星を見つけた人は幸運と誦んでもいい 。ありがたいことに私たちには法隆寺があります。

法隆寺は百三十を超える建物群から構成されています。

houryuuji


柿食えば 鐘がなるなり法隆寺

正岡子規がはたして法隆寺を眼前にしてこの句を詠んだのかどうか、わかりません。境内の茶店で出された柿を食べていてこの句を詠んだとありますが、もちろんそれほど単純ではないでしょう。もしかすると、火鉢にあたりながらミカンを剥き、この句を思いついたのかもしれない。(笑)
鐘をならすのはどこがいいのか?万寿寺か、高野山か、まてよ、浅草寺はどうだろう?
しかし、子規は法隆寺を選んだ。
子規が法隆寺を選んだとわたしは今のいままで思っていたのですが、 もしかすると法隆寺が子規を選んだのかもしれません。子規はすでに抗えなかった。子規には法隆寺をはずことなどできなかった。
私たちが古典を持つということはそういうことなのかもしれません。日本人は法隆寺に大きな恩恵を負っています。飛鳥の工人に大きな恩恵を負っている、と言い換えても良いのでしょう。

houryuuji4


あの様な比類ない美しい建造物群をこしらえた人々の情熱と汗と涙。私たちにはとてもかなわない。叶わないのは未来を見据える視線といってもいいかもしれない。おそらく飛鳥の工人たちは法隆寺が千三百年の未来にも輝き続けるであろうことを見通していた。戦乱に焼き払われる可能性はもちろんあるにしても、時代を超えてこの建物群の持つ美しさは微塵も変わらない。
建築中に、彼らはそれを信じて疑わなかった。
私たちにはとても敵わない。

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壁の左官仕事も法隆寺で見ると自ずと違って見えてくるものです。この左官仕事はそれほど古いわけではないでしょうに。

houryuuji2

見上げれば五重の塔。ああ法隆寺。








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2018年12月12日

年の瀬の大放出〜蔵出し、ってか?

ブログに書きっぱなしの言いたい放題。
ですが、その後のフォローも大切です。

それなのに、その後はちゃっかり 「 頰被り」。
なんてったってあのアウロのグリーンで塗装した洗面所。
「上手くいかなかった、、、(笑)」はそのエピソードのさわりだけでハイ失礼。(笑)その結果を知らぬ存ぜぬでは申し訳ない。
それでは、「その後の、上手くいかなかった、、、洗面所編」のご報告です。
うっすらとした淡いグリーンが終着駅でしたが、木の葉が舞うでもなく淡くもなく、うっすらともしていなくて、出来上がってみるとしっかりしたグリーン。
そうそう、因みにこの下の写真の右側のドアが「ドレッシングブルー」で塗装した古びたドアの仕上がりです。
ふむ。「黒くぬれ!」も甲乙つけがたし。ややや!ですね???

ま、これも天の配剤。
after the lavatory

いらっしゃいませ。ようこそここへ。このラバトリーへ。
ささ、ズイートォ。

in the lavatory

嬉し恥ずかしラバトリー。う〜ん。どうでしょうか?
さっぱりとした、気性の穏やかな小町娘。歯を磨いても顔を洗っても何にも言いません。「あなた好みのラバトリー」。
朝、目覚めて顔を洗えば天国の調べ。
壁は漆喰仕上げ。焼き付け塗装を施したアイアンバー。洗面台はIKEA です。

on the minitap

この小さな小物置きのラップはミルクペイントの「イエローウィッシュホワイト」を丁寧に二回塗り。その上からハードオイルをまた二回塗ってしっかり防水。肌触りがとってもいいんですが、残念、二次元の世界ではタッチもままならず。
ブラケットの金具はかすれた黒のアンティック調をこれも「イエローウィッシュホワイト」で塗ってからうっすらとアンティークオイルを刷り込んでいます。

white blacket


さて、その感触を確かめたい方は即コモハウスへ電話。(笑)
新築への第一歩は実はこんなところから。棚からぼたもち。ぼた餅はどっちだ?!









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2018年12月06日

それからの、黒くぬれ!

年の瀬に 今年の仕事の 総決算
ご紹介します。

いつぞや「無作法」にも取り上げたチョコレートブラウンの三本の建具。
念願?叶ったあの「黒くぬれ!」の三本の建具。
黒とはいえ実はチョコレートブラウンに塗った三本の建具、しかし、それは、あくまで下地としてのチョコレートブラウン。仕上げのつもりでは毛頭ありません。が、その後、紆余曲折がありましてあららら。
実は古びた建具を再現するために仕上げは泥絵の具で塗装する予定で塗料を注文したら、お目当の塗料は在庫切れ。(これは後からわかったのですが、)しかも、入荷は一ヶ月後。しかもしかも念入りに塗料の名前が似ている「ドレッシングブルー」をうっかり間違えて「ドレッシングネイビーブルー」を注文してしまったのです。こちらの商品は在庫があったのが運の尽き。届いた缶を開けてみて初めて分かったのですが、慌てて電話をすると「ドレッシングブルー」は在庫がありません、と無情の世界。
嗚呼、神も仏もあるもんか。

さて困った。困った。困った。しかし困っても始まらない。このネイビーブルーがまた欲しかったドレッシングブルーとは似ても似つかない濃紺のブルー。それが丸々一缶手元にはある。深〜い深〜い海の底をおもわせるダークなブルー。これをどうしようか?

そこでこのダークなブルーを手元にあった明るめのグリーン、「ワイルド・ベイベリー」を混ぜて少しまろやかにしたつもりが、、、うーん、変わらない?

ここからが悪戦苦闘の連続で、塗装のひび割れを作ったり、アンティークオイルを刷り込んだり、で、それでも納得がいかないとばかりにサンダーで均してからBRIWAXというアンティークワックスをかける。

サンダーロード

BRIWAX2

何が違うのか違わないのか?

この違い わかってほしい あなたにも(チェルシー)

ツルンツルンとは言ってもほんのりマットなその手触り。手をかけた分だけドアはまた違った魅力があり、さて、しかし、これが結局はめぐりめぐって黒くはないけれど「黒くぬれ!」。

aftermath

いかがですか?
深い海溝の海の底、ひかりも届かぬ海のなか、まるでたい焼きクンのアンコのように漆黒の闇のなかの紺碧のダークブルー。?❓⁉️
クリックしてご覧あれ。
Paint It Black ! 黒くぬれ!

spaceworld







comohouse at 09:23|PermalinkComments(0) 日々これ精進 

2018年12月01日

師走

一年の計は元旦にあり、一年の計は元旦に、あり。しかし。
正しくは、やっぱり年末、十二月。但し。
十二月にはなってからではもう遅い。取り返しはつかない。すると。
やっぱり、一年の計は元旦にあり。

その元旦からすでに三百三十日あまり。今年も巡る師走の後悔。(笑)
いやしかし、このように師走は恐ろしい季節なのです。来年こそは。(笑)この癖が抜けない。

さてその師走に思い出深い一枚をご紹介します。
塗装の妙か写真の妙か?

strange gray

引き戸。この一枚のドアに塗装したアウロのグレー。散々迷った挙句にえらんだグレー。
正解かしら?

strangegray

二階のホールから見ると建具の枠はありません。漆喰壁に穿たれたような突然現れた穴に立ちふさがる一枚の建具。
この現場にこの一枚。「あんたは偉い大賞」受賞作品。(苦笑)
その名は「ストレンジグレー」。

さてさて、年末に向かって拵えなければならない図面が溜まっています。
お待たせしてしまった T 様の台所リフォームも詰めなくてはなりません。正真正銘の一年の計。
嗚呼仕事。

sky

 wishfull window

この写真はおまけです。「希望の窓」と名付けたいような。







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