2017年05月26日

いろいろあるさ

家を建てるのは楽じゃない。
家づくりの契機はさまざまですが、哀しいかな、人は滅多なことでは家を二回建てられない。
この、二回は建てられないという事実が悲喜こもごもの哀愁を奏でることになります。二回建てられたら、胸の支えはかなり降りることでしょう。二回建てられない。つまり、それは一発勝負であるということ。
思えば大学受験も一発勝負のようなもので、別に浪人して再度挑戦できないわけでもないのですが、しかし、すでにその挑戦は1回目で勝負があった。
大学受験のために準備に三年かける者。二年かけて準備をするもの、一年で慌てて挑戦するものも、それはすでに勝負は決している。自分ではわからないけれど、はたから見るとすでに勝負あり。そう、先生はわかっているのです。

家づくりはそれに似ていますが、最大の違いはパートナーを探し当てるというまるで金塊堀のような水面下の努力がものをいうという、究極の他力本願。成功の最大公約数はハウスメーカーだと判断される人が多いのも、どうせ行くなら代ゼミで決まり、という判断と似ているのかもしれませんね。(笑)
でも、それは違います。

家づくりは住まいづくり、鳥の巣作りのように一本一本材料を運んできて、こどものために巣を作る。夫婦のため、自分のため。その営為の仕事を建築会社に託す。
残念なことに、それほどまでにしても家は飽きる。ただの家はさらにあっという間に飽きる。
飽きない家づくりがあるとすれば、それはどのような家づくりなのでしょうか?

住むほどに愛着が増してくる家。時が経つほどに美しく見える。時間を味方につけるには、わたしたちはなにを捨てなにを拾うべきなのか?答えは風に吹かれて舞っている。いいえ、答えはすぐそこにあるようで、、、見つかりそうで、、見つからない、。
全然関係はないのですが、わたしの好きな言葉。「美は乱調にあり」。

kito






















美しいフローリングです。四国の木頭杉。天然乾燥材。写真ではわかりずらいのですが、天井には九州日田杉の燻煙乾燥材、無地を貼っています。こちらもたいへん美しい羽目板です。




comohouse at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年05月22日

外壁を、塗る。

お天気に恵まれた晴天の日曜日。(これがなんと、真夏日の日曜日でしたが)先週に続いて今週も、お施主様のお手伝いを仰いで外壁のウェスタンレッドシダーの塗装工事でした。外壁が4面ありますから、1日2面。今週で完成です。
先週二面を塗ると思った以上に塗料を使い、足りなくなって慌てて買い足したオスモの外壁用塗料、「外装用クリアー”プラス”」。1缶で30m2って、ぜんぜん塗れないじゃん⁉️半分も塗れないぞ!
外壁塗料には珍しいクリアーな仕上がりで、オイルフィニッシュの外壁用といった趣ですが粘性度は強く、米杉の粗い粗面に塗り込んでいくのでちょっと、というか、かなり、というよりも、これがすっごく大変、でした。
何回も何回も刷毛を滑らせて、これがまた起毛に逆らって塗り込むわけですから刷毛も滑らない、染み込まない。無い無い尽くしでなんにも無い。
この苦戦を見越してあらかじめ最高級のオスモ専用刷毛を施主様と私の分と用意して、さあ、かかってこい!(おいおい)?
しかしなにごとも道具です。この刷毛は確かに素晴らしい。腰のしなりが全然違う。塗料もたれない。

外部の木材に使う塗料としては私はやはりオスモかミルクペイントが最高だと思います。劣化を防ぐ意味でということですが。ただ、ミルクペイントは広い面積に塗るにはちょっと不向きかな。塗料の量もなんだかすごいことになりそうです。ウッドロングエコも捨てがたいのですが、ただ、まだ検証されていないのでそれが正解かどうか、わからない。塗りやすさではこれがいちばん楽そうですが、尾垂がすごいでしょうから養生は完璧に。塗りやすい、とそうは言っても米杉のラフ面です。どうでしょうか?甘い、と笑われそうですが。

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はい、頑張る施主様。慣れない塗装ですからお疲れになったことと思います。
ありがとうございました。

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二人で悪戦苦闘です。午前中はもうひとり、心強いパートーナーもいましたが。三人集えば文殊の知恵。

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玄関庇の周りで四苦八苦。細かいところを塗り込んでいく。お腹もすいてまいりました。

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空の青さはまた信じられない広がりで、その吸い込まれそうなブルー。

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午前中に一面。午後に一面。パワーのある午前中に玄関周りをと思いましたが、やはり込み入った部位が多くてブーフーウー。午後は楽勝かな、と思ったのもつかの間海に霧深し。なにごとも忍耐です。
幸い一階部分だけの米杉の南京下見でしたから都合二日で終わりましたが、いやあ、お疲れ様でした。このあとは上部の左官工事で漆喰仕上げとなります。
塗り終わるとにんにん、です。うん、やれやれ、とも言いますが、です。(笑)

さてそこで今度は漆喰の色が悩ましいのです。安全を取るなら白ですが、(しかしそれは安心ではない、ってどこかで聞いたような、、、)それではあまりに芸が無い、と思い出すとさあたいへん。お池にはまったドングリの心境。三たび、やれやれです。






comohouse at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年05月13日

鋼鉄とグラス

GWも終わってみるとただの過去。あれほど待ち望んだとっておきの休日も、終わってしまえばただの過去。
パリの思い出も、スペインの思い出も、ロシアの思い出もモロッコの思い出も終わってしまえばただの過去。

しかし。

このただの過去に人は足元をすくわれて、いつまでも抜け出せず、あれやこれやと後悔先に立たず。あんな思い出、こんな思い出。極彩色に塗りつぶされたあの楽しかった思い出も、終わるということは、何もなかったことに等しいのかもしれない。
なんてことを考えていると、ふと思い出されるのはあの三島由紀夫の「豊饒の海」全四巻。最終巻の「天人五衰」の出家した聡子が遠い過去を振り返り、訪ねてきた本田が己や聡子と松枝清顕との経緯を詳述し、それを聞き終えた聡子の口から、「えらう面白いお話やすけど、松枝さんというふ方は、存じませんな。、、、きいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違ひますか?」というあの一言。
今となっては、その三島そのものが夢なのかもしれませんが。

すべては夢。建築も夢なのでしょうか?

夢のような建築というものがあります。ライトの「落水荘」。これはもうほんとうに夢のような建築だと思います。構図といい、その優れた構想、アイデア、建築が辿り着く最良の時間と空間。空間はさすがに建築では誰でも微に入り細に穿って魅力的な構成を考え出すものですが、最良の時間軸は生半可な努力だけでは勝ち取ることはできない。
落水荘、カウフマン邸は構想に10ヶ月、最初のスケッチを一気呵成に書き上げてからはそれはもうほとんどライトの頭の中では完成していたのでしょうね。あとはその想像力の検証に過ぎない。
私たちは建築会社ですからその構想の検証が仕事になりますが、どうしても想像力にはかなわない。形になるにしたがって削ぎ落とされて行く夢の時間。建築会社はいかにして想像力に対抗するか?それは素材と匂い、手に触れるその感触、実感、刻み、加工、人力によって付加される職人芸。そうした諸々の人の力以外に想像力に対抗する術はないのです。
建築は人間です。優れて人間的であるには私たちには何が必要かを考えなければならない。

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ステンドグラスは施主様が友人からいただいたという手づくりの贈り物。この小さなステンドグラスをどうやって建物に活かそうか?

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この黒皮の鉄板はどうしたものか。時が経つにつれ錆びていく鉄板が建物にどのような感触を運びこんでくれるでしょうか?それともくれないのか?

鋼鉄とグラス。 
 


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2017年04月27日

建築途上の内覧会へご招待

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ご案内が遅くなってしまいました。(遅すぎるとお叱りを受けそうですが、、、)
ゴールデンウィーク中の建築途上内覧会、となりますが、来る4月29日(土)〜5月7日までの土日祭日。
完全予約制ですが、お電話、またはメールにてお承りますのでどうぞふるってご参加ください。

現地は、三浦市三崎町小網代です。
詳しいご住所はお申し込みいただいた皆様へ個別にお知らせいたします。悪しからずご了承くださいませ。
駐車場はございます。

海を見下ろす絶景に立ち上がったS様邸。ようやく外壁のウェスタン・レッドシダーを南京下見で貼り始めたところ。内部は羊毛断熱材がビッシリと。現しの梁や母屋、勾配天井の構造がよく見えて建築の勉強にも最適な状態です。どうぞご覧になってください。

ご予約は。
090-5524-7016 コモハウス
info@comohouse.com


4月29日(土)
4月30日(日)
5月3日〜5月7日(水〜日)

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comohouse at 06:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年04月23日

塗装についてさらに一言

塗装にこれで良いという塗装はありません。塗料もまた発展途上。そう、これを味わいという観点から見ると移ろいやすい感性のおかげでこの味わいは微妙に違ってきます。
昔は塗料の種類も少なかったので迷いがなかったのかもしれません。なんでもそうですが、情報が氾濫すると正解が見えにくくなってきます。
木部の外部に塗る塗料となると腐れに強い塗料はなんなのか、これは難しい。一昔前までは外装の塗料といえばキシラデコールで決まりでした。今では百花繚乱、しかもそのどれもまだ「これだっ」と断言できるほどの実績がないわけですからさらに判断に迷うことになります。
今回外装部に使ってみたのは「ウッドロングエコ」です。完全なる水性の液体です。粘りは全くありません。ということは、その成分で持って木の繊維に浸透する腐りにくいなんらかの薬(有害無害を問わず、ですが)が含まれていると解釈して良いのでしょうか?残念ながら成分表は明かにされていませんが、無害であると謳われています。成分を明かにしないのはコピー商品を防ぐ意味から秘伝中の秘伝というわけです。原料は鉱物、植物、酸化鉄、ハーブを使用とあります。

そう。私もこれまで色々な塗料を使ってきました。リボスのタヤエクステリア、オスモの外部用の塗料ウッドステインプロテクター、ベンガラ、柿渋、久米蔵、ツバキオイル、キシラデコール、そしてバターミルクペイント。
柿渋の歴史は古く、平安朝にまでさかのぼることができるそうですから法隆寺にだって使われたかもしれない?わかりませんが、、、。?
ベンガラも古いでしょうね。インドから来た塗料ですからインダス文明の昔に帰れば気が遠くなる由来があるのかもしれません。久米蔵はよくわかりませんが、明治時代までは遡れそうですから江戸時代には既にあったのかもしれない?植物性の塗料はどれも古いのでしょう。日本の色の名称はそのほとんどが植物由来の名称が多いですね。古ければ良いというわけではありませんが、古いものに隠されたその精霊を信じたい、と思うのは科学ではなく、感性なのです。
実は住宅は、科学ではなく感性だと思うのは間違いでしょうか。建築基準法は感性です。えっ?そう、違いますよね。では科学か?と問われれば、これも?です。科学だと信じたい、と思う心が一方にあるのです。しかし、科学的に検証されているのなら「科学」と言い切って良いのでしょうが、残念なことにとってもファジーなものですから、その基準法の運用がどうしても曖昧にならざるを得ない。(もっとも法律はそもそも感性ではないか、とも言えるでしょう)
実は、「住宅」は感性で、「建築」は科学だと信じたいというアンビバレンツが住まいの難しいところなのでしょう。

さてそこで、塗装はまさに感性の拠り所。だから難しい。

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ウッドロングエコを米杉のラフ板に塗装している風景はなかなか壮観です。屋外で、こうして板を広げて塗るスペースがあるということがすでに貴重な風景です。全部で25枚の裏表。塗り終わる頃には陽にあたって色が変わってきます。夕映えの色がつく、といったほうが正解か。この色がなかなか得難い色で、くすんだ錆び色と言えば良いのでしょうか?実はこれに近い色がバターミルクペイントでも再現できそうです。何種類かの色を混ぜて作るのですがそれに近いのです。しかしこのウッドロングエコ、さっぱりとしてミルクペイントほど重量感がないところがまた良いですね。
さて、この色があんまり良かったので他の色を使うのが難しくなってきました。

で、問題はその防腐性能ですが、これは宣伝の謳い文句は最高の評価ですが、宣伝はあくまでアドバルーン。信じ込みやすい私ですが、実は色の出方がどことなく注入防腐土台に似ていなくもなさそうで、もちろん注入土台は薬漬けですが、(似ているということは、防腐効果も顕著なのかもしれない?)こちらは無害であること間違いないとして、その効果のほどは、嗚呼、半分神頼み?
塗装は難しい。



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2017年04月13日

ゼロエネルギー住宅

お上のすることはわからない。
お上にもわからないのかもしれませんが、エネルギー消費をゼロにするために高性能設備にお金をかけ、屋根に太陽光発電を載せてさらにさらにエネルギー消費をどこまでも限りなくマイナスに近づける。エネルギー消費をゼロにするのか、消費代金をゼロにするのか?エネルギー消費はゼロにはならないから、消費代金を劇的に下げるのが売りなのでしょうが、下げるためのコストは当然かかる。でも、だからこそ生活はスマートですよ。(ん?)今風で、かしこい生活はゼロエネルギーハウスなんですよォ。幸せは歩いて来ない。だから高性能設備が幸せをお届けするのです。どうせ新築時にローンを組むんだから、史上最低金利の今こそ住宅ローンでタダ同然に設備を整えて(?)、それこそなをいっそうスマートに!(以前、こんな記事を書いたことがあります。もうン年前の出来事ですがよく見ると、東日本大震災の直前の309でした。ヒェ〜。)

私なんか、それがどうした、と思いますが、そんなお題目が住まいづくりのメインテーマ足り得るとはとても思えない。ひところは盛んに「二百年住宅」の掛け声も勇ましかったお上ですが、近頃では「ゼロエネルギーハウス」だそうです。笛を吹いて消費者を踊らせ、いいじゃないの、今が良けりゃ。百年住宅も二百年住宅も、今ではさっぱり聞こえてきません。ふむふむ。しかし、二百年であれゼロエネルギーであれ、何れにしても住まいのその目的がそもそも間違っているんじゃなかろうか。???
そのエネルギーのほとんどすべては電力ですか?使っても使っても電力がタダにはならない。使わせること、浪費を促し、そのようにしてありあまるエネルギーを使っても人は幸せになれない。ゼロエネルギー住宅は、じつはエネルギーを存分に使わせることに力点が置かれている。
ゼロエネルギー住宅とは、ほんとうはゼロエネルギー思想と置き換えたほうが良いのではないか?つまり、いかにして最小限のエネルギーで人生を謳歌し、無駄なエネルギーを使わないように住宅を住みこなすか?
エアコンを使わない。テレビインターホンを使わない。LEDに代わってからわたしたちの暮らしの電気代は安くなりましたか?快適な住まいを外部の要因に任せるのではなく、内部の、家族のあり方に求めればまた違った住まいが実現するのではないか?
夫婦の愛情が確かであれば、エアコンなんていらない。テレヴィだっていらない。家族を育む住処はエネルギーがなくたって困りゃしない。(と、そこまで言いきれるかどうか、実は怪しいのですが、、、)

高性能設備で喜ぶのは家電業界だけ。音頭をとったお上は家電業界から感謝され、ますますお上がなければ業界はやっていけないだろうとうそぶくばかり。日本の家電業界が軒並み世界の競争力から置いてけぼりを食ったのは、実は製造物責任(PL法)の一見して消費者保護を謳いながらその実十年間の責任さえクリアすれば後は野となれ山となれ。十年過ぎたら買い換えましょう、国産で、という発想に消費者を誘導して家電メーカーは丸儲け。結果、商品開発の熾烈な競争から脱落したというのがこの十年のソニーの、パナソニックの、東芝の、日立の末路なのです。

ゼロエネルギーに目を奪われて、私たちはまた大切なことを置き去りにしてしまう。住まいはむずかしい。美しい住宅はそこらへんに落っこちているわけではない。ましてや経産省あたりの役人が花咲か爺さんのように振りまいてくれるわけでもない。
家づくりを私たちの手に取り戻す。ね。

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2017年04月05日

光と影

青春の光と影。そんな歌がありました。なにごとにも表があれば裏がある。満ちる月に欠ける太陽。昔は裏日本、表日本という呼び名らわしがありました。今は裏日本とは如何なものか?というクレームがあったのか、あまり聞かない名称になってしまいました。しかし、裏があるから表がある。裏も表もまさに表裏一体。裏があるから表は輝く。表のせいで裏の陰影がくっきりとなす。建築にも裏があります、というとちょっぴりドキッとしますね。
谷崎潤一郎に「陰影礼讃」という本があります。「陰影」といううす暗いマイナーな世界に光をあてたという意味でも画期的なのですが、日本的な美があからさまな表現にではなく、奥ゆかしくほの暗い曖昧な光のたゆとうなかにこそ日本人の目指すべく美があるということでも、それをまた意識下に持ち上げたということの一点に谷崎の類稀な美意識がうかがえるのですが、建築もそうであるように、じつは私たちの生活もまたこの陰影礼讃と無縁ではいられない。

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この穿たれた壁の穴。切り取られた壁の洞穴。まず壁が厚いということが前提ですが、そういう意味ではなかなかこのような壁を作ることがそもそもむずかしい。
壁の仕上げはスペインの漆喰、パビスタンプです。かなり厚く塗っています。厚く塗ることで光が屈折し照明の灯りと影がくっきりと綾を為すのです。
しかもじつは、この漆喰壁、頑張ってお客様が自ら塗ったのです。パチパチパチ(拍手)。

壁を切り取る。空間を捻る。光と影のあわいを炙り出す。一般住宅でこのような壁を作るということは無駄をあえて表現するわけですから、できそうであって、じつは、なかなか実現しない。

家づくりは形のないものを空中楼閣のように提案してお客様を納得させなくてはならないのですから、結局はわかりやすい3LDKになってしまうのでしょうね。もちろんそれでも構わないのですが、立ち止まってもう少し考えてみませんか?それもまた、建築会社の提案なのです。わたしたちの「旧築提案」は温故知新のご提案、と言っていいのかもしれません。でも、分かりづらいですよね。
とはいえ私たちも建築会社。そこはそれ、けっして独りよがりの提案を差し上げるわけではありません。

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さて四月はそんな私どもの建築を実際に見ていただこうと久しぶりに「建築途上見学会」を開催します。ありがちな、「けんちくげんば」見学会ではありませんぞ。ふるって、フルフルふるって是が非でもご参加いただきたいと、この場をかりてのご案内です。 

日程はまた追ってご案内いたします。米杉と漆喰の美しい家。自画自讃ではありますが、(てへへ、^_^)😰乞うご期待。



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2017年04月01日

それからの、左右対称。

寒の戻りもこれで二回目?
われらが不満の冬。the winter of our discontent
震え上がるこの寒さ。氷雨ふる季節はずれの不満の冬。桜のつぼみも縮みあがってうっすらと涙目になって大寒子寒。嗚呼、その季節の左右対称。シンメトリー。
寒の戻りに耐える家、というものがあるのかどうか?季節の移ろいの中に佇んで美しい家というものがきっとあるはず。

しかし、そうは言っても建築会社にとっては雨は天敵です。田んぼのスズメ、リンゴに台風。大工は梁を高く掲げても、棟上げの雨はつらいもの。それでも遥かな彼方にうっすら射し込む雨雲の向こうの太陽の影。空を引き裂くシンメトリー。

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まだ若い施主様ご夫婦ですが(わたしからみると?)、信頼という二文字にささえられて今日までやってきました。じつは今回の建築はとってもシビアでタイトな計画となってしまいました。時間的な余裕がなく、追われるように図面を作りながら材木の刻みを検討し、意匠図の完成と構造材の刻みが同時進行というまさに板子一枚下は地獄。構造と意匠が左右対称で、まるで秤の上でバランスを保ちながらこのシンメトリーは成り立っているのです。ここまで来るのにまったく違う図面を三枚こしらえて、その三枚とも実は大好きなのですが、家は三棟は建てられない、
それでも最後に引いたくじが正解だと信じて今日があります。
そう。信頼。信頼は裏切れない。
 
backinthewinter












今日のコモハウスのベストが此処にある。此処から一歩一歩登って行く。きっと、きっと良い家が建つ。




comohouse at 20:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年03月28日

もう春ですね。
昨日の春の嵐が寒の戻り?今日は穏やかに晴れ上がって心ウキウキ、みんなブギウギ。
お天気が良いと背筋も伸びて、身長も1センチくらい伸びたかなぁ。

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基礎もこんな風に左右対称もめずらしい。(ほぼ、ですが) 基礎着工から棟上げまでの一瞬が嵐の前の静けさで、深く静かに潜行して、舞台裏では部材の最終選定やら発注やらでテンヤワンヤの大忙し。しかしこの、テンヤワンヤってその語源は何かしら? なんて余計なことに引っかかったりして。

そんな時はピンクフロイドでも聴いて、オイオイ、手が止まっちゃうだろう。ほらもうウットリしちゃって、頭の中はきっと空っぽだぞ。えへん。

ってそんな毎日の繰り返し 。これがルーティンワークだな。へいへい。(平身低頭。)
おなじことの繰り返し、しかし、考えてみると、人生はまさにおなじことの繰り返し。この繰り返しに耐えることが大切で、繰り返しを楽しむことも人間の技量とも言えそうな、そんな気もします。単純であることはとてもしなやかで強靭で、ありきたりの物言いですが、simple is the best.
このsimpleもあえてsimpleを目指すことは、しかもそれがあざとくなく、ごく普通の日常のごとく振る舞えるようになるにはそれなりの修練が必要なのです。
simpleに表現するために折り重ねた膨大な時間。広げて見るとそれは左右対称。

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コモハウスのそんな左右対称のど真ん中。どうなることやら。ふふ。



comohouse at 15:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)思いは遥か 

2017年03月23日

情けない話

人生楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて

長い人生には山あり谷あり、いいことばかりは続かない。また、悪いことだってながくは続かない。悪い時にじっと辛抱、布団をかぶってやり過ごすか、あえて自分を奮い立たせて何事かに挑戦するか。人は誰でも心が折れそうになるけれど、命までは取られないと歯をくいしばって、自分の道を踏みしめる。ほんとうにその通りですね。

自分の道。そのためにも、自分の茨の道をしっかりと視つめる必要があります。
建築会社には建築会社の責任というものがあります。その責任に向かい合いながら、良い家を建てたい。良い家の定義はとてもむずかしいけれども。

さて、先週、森友学園のことを書いたのですが、森友学園の教育方針は個人的には共感できるのですが、学園の嘘がつぎつぎと明らかになるにつれて、とても残念であるとともに、これは食の世界での食品偽装、建築の世界の耐震偽装などと同根の、教育の世界の経歴詐称、看板偽装とでも呼べそうでまあ、情けない話になってしまいました。しかし、報道されたこと、意図的に報道されなかったこと、その時の空気、その時の流れ。そうした全体が醸し出すムードにこそ細心の注意を払い、建築屋のブログで時事問題を扱うのは心しなければと今更ながらに反省しています。

人生勇気が必要だ、くじけりゃ誰かが先にいく
後から来たのに追い越され、泣くのが嫌ならさあ歩け

さて、さて。




comohouse at 17:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々これ精進 

2017年03月17日

森の友

世間は森友学園の話題で持ちきり。
いったいこれはなんなんだ?
と思って早速ネットで調べてみると、、、


「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します。
剣道、ラグビー、スイミング、リズム合奏、そして日本の伝統文化である論語、将棋、そろばん、大正琴、日本太鼓、毎月良書選定して読み書き・読み聞かせに力を入れています。それらにより、より一層の人間力を高めています。」

森友学園とはつまりはこの塚本幼稚園のことです。いいですね。この教育方針はわたし、個人的には大賛成です。幼稚園から英語を教えたり、算数を教えるよりも、教育勅語を朗唱し、君が代を斉唱、剣道、論語、将棋、そろばん。これはほんとうに大事なこと。そんな大事なことを直球で教えてくれる、そんな幼稚園は滅多にない。おそらくは、昔の寺小屋もこのような形で教育が行われていたのではなかろうか。
剣道はほんとうに大事なことを身体で覚える、人間教育としてはこんな素晴らしい授業はない。と思う。
問題の本質がなんなのか?わたしはつまびらかに知らないので軽々に発言はできません。
しかし、わたしも中学時代、剣道部にいて、竹刀で叩かれながら礼儀や根性やそれより何よりも勝ちたいという、しかもきれいに一本取りたいという本能。きれいに一本取ることの難しさ。そこに至る努力。
そんな体験を幼稚園で学べる。挨拶、礼儀、友情、そして競争。

教育勅語というとまるで戦前の軍隊教育のごとく誤解される向きもありますが、これはもう本質的に違います。

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これは教育勅語の現代語訳。全文です。天皇陛下がこの国におられることに反対される人には何も申し上げることはありません。

戦前の修身の教科書(道徳教育です)を読めば、さらに私たちの為すべきことがなんなのか、心に深く思い至ることでしょう。
日本人として美しくあれと訥々と語りかける「修身教育」は、まさに森友学園の教育方針そのものではなかろうか。

わたしもつらつらと考えるのです。私たちの世代はかろうじて、そうした修身教育を受けた親に育てられた最後の世代なのです。そうしてどこかで、友達と仲良くしなさい、悪いことをしてはいけません。一生懸命自分の仕事に精を出しなさい。ものを食べながら歩いてはいけません。ものを大事にしなさい。というごくごく当たり前の教育を親から学んだ最後の世代なのです。

教育とはむずかしい事業です。我が子を育てることほどむずかしい仕事はない。子供を叱る。悪いことは悪いと叱る。素直に聞く耳を持つ子供に育てるのは並大抵の苦労ではありません。

世間の喧騒からはなれて、教育についてわたしたちはもう一度考えてみる必要があります。
いまこそ「修身教科書」の復活。これはとても大事なことです。小学校でこれだけを学べば、日本は心配ない。むずかしいことは何も書かれていない、人としてのあるべき姿。それほど偉大な教科書なのです。




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2017年03月16日

塗装のイロハ。

色。

その言葉の持つニュアンスは、実に様々です。
「色を付ける」文字どおり、素材に色を塗ることですが、取引の場面で色を付けるといえば、その色は千円だったり一万円だったり、ときには十万円、百万円だって取引の内容によってはあり得ない話ではありません。この時、色は銭色の鈍い光を放ちます。
「色目を使う。」これはまた幅の広い表現ですね。 うん。説明がむずかしい。仇名姿で色目を使う。色目とは、かならずしもその対象を限定しない。色目は、使う方も使われる方も先行きが曖昧で、その色彩はファジー色?
「色よい返事」これもまた、表現に味がある。色よい返事に味まで付けると、もうなんだか色即是空。(笑)
「色ごと」これはちょっと、人生が危うい。足元がおぼつかない。フィギュアフォ〜レッグロック。4の字固め。

いろ。文字通り色。七つ八つからいろはを習い はの字は忘れて色ばかり。
さて今日は、そんな奥の深い塗装についてじわりと学習したいと思います。まずはこんな塗装から。建具の塗装、外壁の塗装です。

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上の塗装では建具は茶、白、ブルー、の三色を順番に塗っては乾かし剥がし。仕上げにどろっとしたオイルをすり付けて薄汚れた古い建具の表情をつけます。白い壁は写真では分かりづらいのですが、まず羽目板をバーナーで焼いて焦げ目を作り、(バーナーもこの場合、立派な塗料なのです)つまり黒っぽく仕上げてからタワシで表面をこそぎ落とし、その上からマットな水性の白を塗ってさらにサンダーで落としていきます。

言葉の世界の色も華やかですが、色彩の世界の色もまたあやしいほどに狂おしい。
建築もまた、色はとても大事なのです。
日本建築は素材をあるがままに表現して 無塗装の素地仕上げが美しいと思われがちですが、法隆寺にしろ桂離宮にしろ、その色彩の艶やかなこと。時間もまた、塗料の如し。積み重ねた時間が色を為す。
ベンガラ、柿渋、砥の粉。久米蔵などはどういう色なのか皆目見当がつかない。尾張あたりで使われた塗料らしいのですが、その実態は謎。泥絵の具に近いものがあるらしいのですが、本当のところはよくわからない。放置しておくと腐ってカビが生えるけれども色彩としてはまったく問題がない。泥水みたいですが、それを雑巾で塗り付けて伸ばす。仕上げに柿渋を塗るとまるでワックスがかかったように艶が出る。昔は刷毛もあったのでしょうが、基本は手で塗りたくる。そういえば、アフリカあたりでは、漆喰もコテなど使わず、両手で塗りたくるのですね。
まことに手は偉大です。手で塗りたくると表現の幅がグッグッと広がるのです。微妙なニュアンスを表現しようと思ったら、手で塗ることです。

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此方は塗装の途上です。茶を塗ってから白を疎らに重ねグリーンを幾重にも塗り重ねています。茶色がところどころ見え隠れするように。傷つけ剥がしペーパーをかける。実はこの時は最終段階はまだはっきりとは見えていなかったのです。出来上がっていく過程を楽しみながらその場で判断していきます。

バターミルクペイントはアメリカの開拓時代に作られた塗料ですが、これもミルクの腐ったような臭いがする。やはり泥やミルクを混ぜて作られているようですが、独特の色合いが塗料とはまた違った表現の幅を呼ぶ。ねっとりして、塗っても均等には塗り広げられない。この均等に塗る、という常識をまず否定する。塗装は、均等には塗らない。ムラに塗る。ムラを作り出し、不均一な塗装を実現して味を創り出す 。色を重ね、まるで肌を重ねるようにして人生の色を表現する。人生に皺を重ねるように塗料を重ね、色を紡ぎ出す。

塗装はむずかしい。色は塗るのではなく、重ねるもの。剥がすもの。汚すもの。傷をつけるもの。
お客様によく尋ねられるのですが 、ここは何色になるんですか?
わかりません。
ふざけるな、と思われるのでしょうね。そのお気持ちはよくわかるのですが、なんせ頭のなかに色はある。しかし、その色を説明できない。お客様は不安になる。その不安が見て取れると、仕方がないのでよくある塗装で済ますしかなくなってしまう。白黒茶色、なんならクリアー。お客様には分かりやすいのでしょう。すぐに納得してくれます。しかし、残念なことに、それはただの塗装工事。わたしはちょっぴり舌を噛む、お客様の不安を解消できなかったわたしの手落ち、嗚呼。
 
しかし何人かの方は、それでもそんなわたしを信頼して「任せます」と清水から飛び降りてくださる 。
そうすると、わたしもその信頼を裏切れない。毎夜うなされるほどに色々色に付き纏われ。想像力をミキサーで絞り出すこの苦痛。詰まるところ、塗装は信頼なのです。

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信頼とは裏腹に、塗装の途中で心ここに在らず?(笑)それともただの怠け癖?足下には無造作に三本の刷毛が転がって。やれやれ ƪ(˘⌣˘)ʃ 。





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2017年03月11日

ささらゲタ

久しぶりに「ささらゲタ階段」をつくろうとおもったら、階段というのはまったく手に負えない、暴れ馬のような存在だなと、その取り扱いいかんで吉とも出れば凶とも出る。それくらい一般住宅の中では取り扱いに頭を痛める、そう、頭痛のタネなんですね。

映画なんかではこの階段のシーンが印象的な絵になって 、それは何てったって三次元でダイナミズムにあふれていて、転んだリ落っこったり、派手な格闘シーンにも欠かせない。二階から降りてくる女性の艶やな姿形  、身のこなし 、アップでも、足だけでも、いえいえ、影だけでも絵になるのはやはりこの空間構成が持つ光りと影が人生の綾を映し出すからかもしれません。
ジョジョの奇妙な冒険で、ポルナレフが階段を上ってディオに迫るあの身の毛がよだつ名シーン。吹き抜けの大空間に大理石でできた階段。静寂。緊張。光りと影。ずいっと一歩を踏み出すポルナレフ。その瞬間、その刹那 、ポルナレフの足は一歩下がっている。
ええっ!なんで!うっそー!ほんと!シンジラレナ〜い!

階段は人生のドラマ。人生の光りと影。が、しかし、住まいにあっては階段は、もっとさりげなくあってほしい。 生きるか死ぬか?十三階段を上るのは、もっと穏やかに、かろやかに、鼻歌気分で登りたいもの。
しかしだからといって、なんの変哲もなく箱階段、鉄砲階段、 う〜〜っむ、住まいはむずかしい。さりげなく、それでも私たちの生活にメリハリを付け、存在するだけでじんわりとありがたい。ときには人生をふりかえり、愛について考える。そんな階段を作ってみたい。そう。階段はやはり、わたしの南十字星。

ささらゲタ階段。笹の葉さ〜らさら。軒端に ゆ〜れる。おー星サーマき〜ラキラ金銀砂子。

sasara
 

comohouse at 14:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)思いは遥か 

2017年03月05日

アメリカネズコ

米杉といえばウエスタン・レッドシダー。独特の芳香を放つ耐久性の高い木材ですが、けっして耐久性が高いとはいえない日本の杉からはちょっと想像がつかないのですが、その匂いを嗅ぐとなんとはなし理屈を超えて耐朽性に納得できるのが不思議といえば不思議なものです。

もう二十年近い昔の話になりますが、とある現場でこの材料を二階の勾配天井に使ったのですがウエスタン・レッドシダーといえば外壁に使う材料だと思われていたので、きっと防腐剤が入っているに違いないと思って色々調べてみると、ナント?完璧な天然の素材。仕上げがラフな材料ですからその荒々しさがきっと際立つと思ってさっそくにいざ施工。 
思えばこれが我が社の「旧築提案」のスタートラインだったのです。 それまでも様々な形で古材を使った建築を提案していたのですが、古材だけではなく、新材の荒削りな面を思い切って室内に使う、さらにそれを古めかしく見せるために古色塗料の「久米蔵」を使って雑巾で刷り込んでいく。
とにかく勾配天井ですから先ずは足場を組んで、 上を向いて歩こう。上を向いて仕事をすることの困難さを嫌という程思い知らされた、これはそんな最初で最後の苦行でした。中腰で作業するのはとっても体に悪いこと👎。そしてこの「久米蔵」。そう、塗料とはいえほとんど水のような液体。刷毛かローラーで塗るものと思っていたらとんでもない。とにかく見上げる頭の上ですからびちゃびちゃビチャビチャと刷毛につけた分だけ全部流れ落ちてくる。指先から手首、手首から袖の中、(袖の下なら歓迎するのですが)やがては顔に、真っ黒い塗料がびしゃびしゃと。ウワア、何なんだ。俺が何をした?
不安定な足場の上で体をねじったり、無理な姿勢でウェスを掴んだり、思い出すだけで体が痛くなる。そんな経験をあなたもどうぞ。笑。

家に帰ってシャワーを🚿浴びると、爪の中に入り込んだ塗料が一週間は取れませんでした。泣。
結局は雑巾で刷り込んでいくことにしたのですが米杉のラフ面に塗るわけですからなかなか塗料が染みていかない。とんでもなく時間がかかる。塗って刷り込む。塗って、刷り込む。いやはや。

さて、この体験は得難い体験で、良いものを作ろうとするととんでもなく手間暇がかかるというあたりまえがあたりまえではすまないことなのだという覚悟を思い知らされたのです。
昨今の建築がいかにお点前に作られているかの裏返しでもあるのですが、しかし、その先に実現する世界の美しさを一度体験するともう後戻りはできないのです。 

コモハウスの「旧築提案」は、新築であって新築にあらず、結局どんなに気張ってみても古い建築物にはかなわないという、古(いにしえ)の建築物が持つ膨大な時間軸をどうやって新しい建築に盛り込んでいくかの勝負を様々な搦め手を使って実現してやろうという心意気なのですが、その原点がこのウエスタン・レッドシダーと久米蔵にあったのです。
しかし。米杉。米杉とはその独特の赤みを杉になぞらえて名付けられた和名ですが、実際はアメリカネズコ🇺🇸。ヒノキ科の針葉樹で、 レッドシダーという英名もじつはヒマラヤスギのことで、「西部のヒマラヤスギ」だからウエスタン・レッドシダー。英語も日本語もなぜか杉にこだわって、その実その実態はヒノキという摩訶不思議。しかし正体がわかるとその高い耐久性に思わず納得。秀樹、感激!(古い。)

さて、こんどの新しい家づくりでは久しぶりにこの米杉を使います。たんと、たんと使います。屋外にも、屋内にも。ドキッ!
でも、もう久米蔵は使いません。(笑)
そう。もう頬杖はつかないってこと。 

その思い出のピクチャーをあなたにも。そうか、こんなにも塗ったのか。しかも、この丸太梁も、塗ったんだね。

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この写真は建築後10年ほどしてお伺いした時の写真です。竣工時とちっとも変わらない。それって、大成功だったんだね。


comohouse at 18:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感 

2017年02月27日

なんたる快晴!サンタルチ〜ア!

日曜日は穏やかに晴れわたった絶好の地鎮祭日和。
そんな日和があるのかどうか?あるとすればまさにこの日がそれでした。
そんな地鎮祭日和に遭遇したわたしたちはまさに未知との遭遇。見晴るかす彼方の穏やかな入り江がそのまま空に溶け込んで、ああ、うっとり。
思わず、もう家は建てなくてもいいんじゃないですか、なんて不埒な軽口がでるくらいですからこの日は究極の床鎮めの日でした。

終わってからしばらく雑談。わたしたち(この日は家内も誘って地鎮祭潜入ルポを書いてもらおうかと)は施主様と別れて入り江に降りてブラブラしながら生わかめを買ったりして、ちょっと急段の階段をまたのぼるといい調子にお腹も空いて、建設地の隣のクレープ屋さんにはいると施主様ご夫婦も休憩中。
なんだかとてものんびりした地鎮祭の一日。
建て地ものんびりしているのは、もしかするとこの建物ものんびりした建物になるのではなかろうかと、なんとはなしにんにんです。
そう。たぶん、家にもおっとりした性格があるはずです。「ぽち」も「いえ」も、ついでに「クララ」も可愛いったらありゃしない。
ふふふ。


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空にむかって指をかざす神主様。もしかして、ナメック星が懐かしいのかもしれません。



comohouse at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)建築雑感