2017年11月18日

モンゴルと日本

遠い国、ですよね。ウランバートルには高い建物は全くなく、二階立て、三階建てなんてあったかなあ?
もう二十年以上昔の話です。そろそろ三十年近くなるかしら。
素朴な美しい国、ステップ地帯のどこまでも続く平原のあちこちにゲルがあり、馬が走り、夜は遥かな闇の中で狼の遠吠えが聞こえてくる、人々はどこまでも美しく、喧騒とは無縁の世界で、そうか、モンゴロイドを持った我々の故郷がこの国なんだと、嬉しくてありがたくなる。そんなお国から、いつか大量の力士がやってきて、やがては日本相撲協会を圧倒してモンゴル人会を結成して日本人力士と対峙し、相撲の伝統は消え失せ、土俵下に突き飛ばして恬として恥じない。情けない。これは相撲でしょうか?
朝青龍なんて出鱈目な元横綱が今だに口出ししてニュースの紙面を飾る。朝青龍、日馬富士?こんな横綱が今までいただろうか?どこかの力士が国技を支えるのは俺たちモンゴル人力士だと真顔で言ったとか。
要するに親方が徹底的に鍛えないからこんな情けない風潮が出来上がってしまう。親方がすでに舐められている。
伝統はひとたび壊れると脆いものです。覆水盆に返らず。

酒席に同席した照ノ富士は日馬富士がビール瓶を手にしたのは見たが殴ったところは見てないと、おなじく白鵬はビール瓶を手にしたけれどすべり落ちたと証言しているそうです。この二人の証言を冷静に並べてみれば、つまり、ビール瓶で殴った、ということでしょう。ビール瓶を手にしたけれど、殴った瞬間は
(ボクは気が小さいので)恐ろしくて見れなかった?二十畳もある部屋なので遠くてよく見えなかった?横綱の握力で握ったものが手から滑り落ちる?もちろん事実は何があったのかはわからない。
ただ言えることは、そんな酒席の状況が問題なのではなく、こんな相撲取りを取り巻く状況を、力士道の理想を追求する貴乃花親方が苦々しく思っていたことは想像に難くない。抑えていたものが爆発した。そうだ貴乃花。とことんやれ。酒席でビール瓶で殴りかかるようなバカな力士は、そりゃあ中にはいるでしょう。しかし、それは間違っても横綱ではない。そんな奴が取る相撲は間違っても横綱相撲ではない。

昔、こんな記事を書いたのですが、あれ以来、相撲のことなど綺麗さっぱり忘れたいと思っていたのに、、、嗚呼、、


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2017年11月02日

家づくりの醍醐味〜鳥のように自由に。

何が辛いといってアイディアが枯渇することほど辛いものはない。考えても考えても良い考えは浮かばない。もう永遠に思いつかないのではなかろうかと気が焦る。限界だっ。じっと手を見る。👀。
とりあえず鉛筆を動かしてみようか。それも億劫なんだけどね。とにかく強引に線を引いてみる。曲がった線、ひねくれた線、そのうち形ができてくるさ。グチャグチャの形が魅力もなくそこにある。ため息交じりに外を見る。限界だっ。
図面を書くのと現場の仕事とどっちが好きかと聞かれると、現場と答えるけれど、それは現場は待った無しでもう悩んでいる暇もない。自分だけの世界に閉じこもっている余裕はなく、メクラ判を押すように次々と決定するその小気味よさ。迷わない、それは経験からくる。分厚い(ほんと?)経験が後押しするこれっきゃない世界。清水から飛び降り続ける快感といっていいかもしれない。そんなアクションの連続。とはいえ、実は図面の計画段階のあのまとまりのない混沌とした(まるでボッシュの絵の世界のような)、その段階も結構好きですね。

まずテーマが設定できるとそこから導き出されてくる形がある。このテーマを捕まえるのにエッチラホッチラ。引き出しはいくつかある。今回はこれかな?開けてみるけど微妙に違う。
三週間ほど前に房総半島の突端を小旅行してきたのですが 、そのとき訪れた南房総の由緒ある神社で社の破風の掛け方が面白くて心に残っていたのですが、今度の新しい計画で早速その応用で外観をデザインしてみるとこれがなんだか様になりそうな予感。そこからの連想で内部が少し形を成してくる。ウェルウェル、私たちの想像力は先人の仕事の上に乗っている。そんな謙虚な自覚を持ちたい。
オリジナルでありたいと願いながら、一方でオリジナルってなんだろうと考えることがあります。
「太陽の下では新しいものは何もない」 
新しいとおもった発見も実はすでに先人が成し遂げている。私たちはそれを半歩動かしたつもりになっているが、所詮はお釈迦様の手の上。古典は私たちの教科書。私たちの水先案内人。私たちの澪標。

先日、そんな事務所での仕事に疲れて近くのソレイユの丘に観覧車ができたので気分転換にといってきました。平日なので人も少なく子供たちの姿もなく時間が止まったようにゆったりして、観覧車が静かに動いています。そんなに大きな観覧車ではないのですが、こじんまりしたその様子がいかにもおらが町の観覧車然としていて高いところから見下ろす公園の様子に、荒崎の海の照り返しに、ああ鳥はいいなあ 🦅、こんな風に下界を見下ろし、行き交う人々を眺めていると、小さなことをああでもないこうでもないと思い煩う自分を笑い飛ばしたくなります。
さてと、獲物はどこに?

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うん。良い家ができそうだぞ。にんにん。


 


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2017年10月25日

天敵台風がやって来た!

建築会社にとっては台風ほど嫌なものはありません。台風が近づくと、慌てて現場に走り、養生シートをたたみ、建材から残材やらゴミやらと、仮設トイレまで飛ばないように用心に用心を重ね、祈るような気持ちで台風が通り過ぎるのを待ちます。もうすでに降り始めた雨の中、足場をよじ登り、またこんな時に限って足場は濡れて危険この上ない。縛ったシートが外れない、雨は顔に降りかかり、手はかじかみ、ええいままよ。

とまあ、これも家づくりの隠れた物語。(っていうほど大げさではありませんが)

実は建築中以上に気がかりなのは、お引き渡しした新築住宅なのです。
台風で巻かれる雨の結果は思いがけないこともあり、こちらもまた大丈夫だったかな、と気にかかるものです。
日頃のご無沙汰を兼ねてお電話で状況をお尋ねすると、皆様無事に台風をやり過ごしたようでこちらもホッと一安心。ついでに近況などもお聞きして(ついででごめんなさい)、またそうすると建築中の様々な出来事が思いなされてなんだかにわかに思い出のアルバム、です。

お子様が大きくなられたてなかなか外回りまで手がつかずまだ塀を作っている最中です、と Do it yourself が大好きでそんな様子が楽しそうなI様。建物は大丈夫ですが庭のプラムの木が一日でやられて枯れてしまいました。
そうかと思うと、夏に三崎に行く途中寄って見たのですがお留守でした、コモさんもお元気ですか?と気遣ってくださるS様。台風の被害はなかったけれども潮水で窓が汚れてこれから大掃除です、そんな近況のお知らせをいただいたH様。
台風一過も思わぬ近況のやりとりが折り重なって、そうだうちも事務所の窓を洗わなくっちゃ、なんておっとり刀でえっちらこ。
月曜の朝一番にメールをいただいたF&H様からは初めての台風の騒動が丁寧に綴られて、小網代湾の高台なので風がすごかったでしょうと心配でしたが、コモさんが作ってくれた家だからと安心して眠れました。そんなお心遣いのメールをいただいて、私たちはなんて幸せ者なんだろう、ああ皆様ご無事で何よりでした。

台風は怖いけれど、台風にまつわる小さな物語。家づくりはそんな小さな物語の積み重ねです。




comohouse at 09:04|PermalinkComments(0)建築雑感 

2017年10月17日

山火事と侮るなかれ

アメリカ、カリフォルニア州の山火事が連日のニュースで騒がれています。
スヌーピーの原作者のシュルツ氏の住宅も全焼したとか。犠牲者も数多く出て、日本から見るとまさに対岸の火事とはいえ謹んでお悔やみ申し上げます、ではあまりにもおざなりですが、言葉がありません。

ラスベガスの大量殺人、度重なるハリケーンの襲来といい、アメリカは辛い時代に入っています。

まさに全焼という跡形もなく焼け尽くされた街並みを見ていると、とても日本では考えられないような綺麗さっぱりとした焼け方はどうしたことでしょうか?防火という考え方が根底から皆無?まるでその昔、焼夷弾で焼け尽くされた東京大空襲のネガを見ているようでなんだか苦いものがあります。
あの時代の日本は、まさに火に対しては無防備そのもの。火と戦う家づくりという発想がそもそもなかった。江戸の昔からすべては対処療法。火は出たらどうやって延焼を食い止めるか?消すか?建物が火を防ぐためにできることはないのか?延焼を食い止める手立てはないのか?燃えにくい建材はないのか?ファイアーストップだ、不燃健材だという発想はこの国の長い歴史のなかで散々火に巻かれた困難な体験から培われてきた優れた挑戦だったのですね。今回の焼き尽くされたカリフォルニア州の山火事を見てみると、私たちの国のゆっくりと、しかし確実に根拠のある火事への対応が彼の国の反面教師として立ち上がってくるではないですか。まだまだ甘いという指摘はあるでしょうが、、、。

家は最小限家族を守るための箱。 しかし、山火事はそんな家族の願いを無情にひっぺがす。安全な住まい、というもう一つのテーマ。
阪神大震災の時も安全な住まいが声高に叫ばれましたが、あれから二十何年。災害は忘れた頃にやってくる。
心しなければ。 


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2017年10月08日

もういちど、有機的建築。

有機的建築といえばフランク・ロイド・ライト。旧帝国ホテルの設計で言わずもがなですが、日本にはライトの設計した建物が本国アメリカに次いで多いのです。
さて、ライトを持ち出すとことがおおごとになりますが、ライトのある意味ゴージャスな建物は向こうに置いといて、わたしたちは極東のちいさな島に栖むちいさな家の住人。

わたしたちには貧しいそれしか選択肢のない有機的な建築。貧弱な世界を押し広げて行くとその先に広がる有機的な建築。それは時代がル・コルビジェに代表される無機質のコンクリート打ちっ放しの「住むための機械」が時代を席巻する中で、そうした無機質の建築に抗いながら控え目に持ち出してきたこれっきゃ無い世界。しかし、それをすら跳び越えて広がるこの国の木造のゆたかな世界。
そういう意味でも日本の木造住宅はまさにライトの理想であったかもしれませんが、しかし、その私たちの建物を仔細に見るとまことによく考えられている。土壁はそののまま優れた断熱壁で、フラット35Sを凌ぐ性能を有している、かもしれない?。屋根の藁葺きは断熱材としてこんな圧倒的なものは現代では皆無。梁、桁、柱、そのどれをとっても二百年住宅、三百年住宅に負けない、かもしれない?。

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法隆寺を持ち出すのは禁じ手ですが、法隆寺は正確には百二十五棟の建物群からなる西院伽藍と東院伽藍からなる斑鳩の里。法隆寺という界隈。法隆寺という世界。法隆寺という結界。 ライトが目指した有機的建築の極北。しかしそれはライトの世界とはまったく異なる異次元の世界。

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家造りには集成材よりも本物の持つ無垢の柱が望ましい。
壁にクロスを貼るよりも、漆喰や珪藻土の方が気持ちがいい。
床は貼りものの、硬い集成材よりも、やわらかく傷が付きやすくても足裏になじむ無垢材がいい。
家は足し算よりも引き算がいい。
ハウスメーカーよりも町場の工務店がいい。
作り手の顔が見えるちいさな工務店ならなをさらいい。
小さくても山椒は小粒のコモハウスがいい。(笑)

家は美しくありたい。美しい家の定義はむずかしいけれど。
ただ言えることは、努力なくして美しい家は手に入らない。 その努力を払うのは建築会社だけでは難しい。

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若い人が建て売りに走るのもムベなるかな。家造りは根気と努力、そして勉強。しかし、勉強するには奥が深すぎる。美しい家が欲しいという不断の欲求を保ち続けるには、街に美しい建物が溢れていることが望ましい。美しい建物がなんなのかを実地で勉強できる環境こそが望ましい。
となると、やっぱり大事なことは建築会社の家づくりへの姿勢に限るのかもしれない。
斑鳩の里に建て売りはありえない。

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2017年10月05日

おはよう、ノーベルです。

さて、毎度この季節。そう、なにをかくそうノーベル賞の発表会なのです。じゃんじゃん。今年の外野の興味としては、あのボブ・ディランの貰うんだか蹴飛ばすんだかグダグダと迷走の果てにうっかりもらってしまった文学賞を、今年はプロの作家がどの顔してもらうのか?尽きぬ興味はこの一点に絞られて、冗談じゃない、ボブの後になんか貰えるかっ!という程のごっつい奴がいるのかどうか、?
揉み手でもらうようじゃ作家も落ちぶれたもんだなあ、と思うのはあまのじゃくな私だけ?
そういう意味では村上春樹さんなんかこのタイミングがぴったりかもしれません。
文学なんてもうこの世界には不要なのかと思うほど落ちぶれ果てた表現方法ですが、それを如実に示したのがボブさんの受賞でした。それは、おそらく、ボブさんがいちばんそのことを悲しんでいたのかもしれませんね。なんで俺なんだ。文学は、それは違うじゃないか。だから素直には貰えなかった?拒否するにはノーベル文学賞に失礼だろう。ボブさんはおそらく若い頃、様々な小説を読んで自分の血肉とし、そうやって自分の歌の表現を研ぎ澄ましてきた。文学に感謝こそすれ、否定する何ものもない。 

先日、本当に久しぶりにアルベール・カミュの「異邦人」を読み返して、ああ、小説ってなんて素晴らしいんだろうと改めて思い返したものでした。この情報化社会の混乱しきった世界では、誰もが小説家もどきになれるし、誰もがくだらない小説を書いて出版だって難儀じゃない。使い捨てのライターよろしく、誰も文学なんて信じちゃいない。作家が信じていないものを読者が信じるわけがない。

さて、で、もう発表? 


comohouse at 12:37|PermalinkComments(0)建築雑感 

2017年09月28日

えっ、冠水?

明け方の凄まじいまでの雨音、滅多に聞ける音ではないのですが、一夜明けると三浦市では信じられない光景が。
初声町入江ではとんでもないことになっていました。あるんですね床下浸水と言っていいのでしょう。被害に遭われた方には言葉もありません。
午後、ソレイユの丘の前の駐車場、第二駐車場が湖のように水をたたえて、いやしかし、コレが恐縮ですが美しかった。

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昨今のこの豪雨禍、家を作る側としては充分に注意してその対応を施すことが大事です。しかし、単純なことですが、先人は昔からこの国の特性を理解して、木造建物の耐性を鑑みて軒の深い建築を実践してきたのです。実際雨に耐えるにはそれしかありません。 
つまり、南欧風の庇のない建物は犯罪だということ。狭小敷地では避けられないケースもあるでしょうが、できる限り庇をのばす。(かくいう私もその昔、軒のない建物を粋がって建てた時代があるのです。深く反省しております、はい。)
庇を美しく表現する。美しい建物は庇と表裏一体だということ。とはいえ屋根の表情を美しく表現するのはほんとうに難しいですね。 

そんなこんなで屋根ばっかりスケッチしていると、家づくりは屋根からはいるという逆説がだんだんと頭にこびりついて、頭隠して尻隠さず。本末転倒の家づくりは意外と的を得ているのかもしれません。

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深い軒の出、法隆寺の建物群です。法隆寺は美しいですね。古典は尽きぬ泉かな。


comohouse at 20:43|PermalinkComments(0)思いは遥か 

2017年09月23日

難易度をます世界

イギリスの理論物理学者のホーキング博士が、人類に残された時間はあと百年と警告されたそうです。
人間って不思議なものですね。危機に立てば立つほどいきりたって自滅への道を突き進んでしまう。勇ましい中国も、鶏冠をたてる北朝鮮も 、ライオンのたてがみをなびかせて周囲を睥睨するアメリカも、その勇ましさは擊ちてし止まんぬ。

人類に残された時間があと百年なら、建築会社が負う社会的責任はとても曖昧になってしまう。それは建築物として百年持つかどうかの問題ではなく、住み続ける意志を持続させるために建築会社が積極的に果たさなければならない無言の責任を曖昧にしてしまう。
家が法律で規定された責任を果たせばそれで良いのなら、家づくりはとても虚しい。
平和平和と唱えても平和はやってこない。
幸せの家づくりを標榜して家づくりに励んできたつもりですが、それだけでは幸せは掴めない。

昔、初めてホーキング博士の本を読んだとき、我々が見ている太陽はすでに8分前の太陽なのだと教えられてハッとしたものでした。わたしたちは3次元の世界で4次元の宇宙を生きている。

そんなわたしたちにも残された時間はあと百年。

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」

しかしこのご時勢、梁を上げるのはクレーン車だったりして。

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2017年09月08日

ホームページのリニューアル

頑張らなくっちゃ〜!

やるやると言いながら先延ばしにしてきたホームページのリニューアル。昨日チョット時間があったので、イチから作り直すのはとってもしんどいけれど、リフォームなら何とかなるかもと、弄(いじ)ってみるとこれがいけそうな予感、なのです。じつは、先日、いちから作り直そうとパソコンの前に座ったまではよかったのですが、いざトップページのデザインを考えて頭のなかをひねくり返すとこれがもうまったく未知の世界、なんにも思いつかない。A4 の紙に全体像を書いてみると、こりゃダメだ👎嗚呼、なんてこった。ろくなアイディアが思い浮かばない。
そりゃあそうです。この道にはこの道のプロが控えているのですから生半可な経験くらいで素敵なサイトを構築なんてできるわけがない。とんでもない労力がいることはわかって居たのでなかなか手が出せなかったのですが 、それでも出しちゃう因果な性格。
現在のサイトはその昔、フリーウェイというソフトでいちから作り上げたものですが、あの時は情熱があったのですね。今は、もうない。(笑い)ただ、その情熱を補う苦労は並大抵ではなかった。あの苦労をもう一度、いえいえいえ。とほほ。
とその時、そうだっ、リフォームだっ、リノベーションだっ!そう、リノベーションです。リノベーション。(これっきゃない)
一から始めようと思うから手が出せない。今あるサイトのリノベーションならなんとかなるかも?
これまで作りためた画像やら何やらをひっぱり出してきて、あそこにペッタン、こっちにペッタン。きっと、きっとリノベーションならなんとかなる?あら不思議。なりそうですね。なっちゃうかな?ワオ!

近日公開。乞うご期待。

P.S.I Love You
アップしちゃった。まだまだ完成形ではないけれど、作りながら少しづつ更新していきますね。温かい目で見守っていただけたら幸いです。
とりあえずはチョッピリでも分かり易くなったかしら?えっ?ならない?



comohouse at 23:50|PermalinkComments(0)日々これ精進 

2017年09月03日

花をいける

台風のおかげか、過ごしやすい今朝の三浦。ところがどっこい、昨日は風は強かったですね。その逆風の中で建築会社は居住まいを正す。
先月、恥ずかしながらわたくし、誕生日だったのですが、家内が素敵なペンシルケースをプレゼントしてくれました。
小さくて持ち運びやすくて、何てったって三角スケールがキッチリ入るこの大きさが、これが無さそうでありそうで、、、ずっとひそかに探していたのです。うわっ、ありがとう。うん、ぼく、頑張る。とこうなると今度は十年ぶりにショルダーバッグが欲しい、欲しい、欲しいモード。(笑)
さてこれも、これまで散々探してきたのですが気にいる物が見つからなかい「欲し屋の三助」ですが、ペンシルケースがキッカケで探せば見つかるもの。なんと、ヤフオクで即落札。新品。本革で送料込でたったの xx 円。ホント!

PC&sb


シンプルで無駄がなく、必要最小限の機能がいい。さて、此れで営業体制は整った。(ホンマかいな?)あとはネタがあればいい。とびっきり新鮮なネタは何処にある?待てよ、ネタを料理するためにはエスキース用紙が必要?(設計用の方眼紙みたいなものです)オット、このショルダーバッグ、A4までしか入らないのが玉に瑕。A3、B4のエスキース用紙ならあるんだけど、A4はあるかしら?早速アマゾンで検索すると、ふふ、ありました。A4のエスキース用紙が。(今は何でも居ながらにして揃うんだね!)
Are you ready?
さてと、此処からが腕の見せどころ。狭小住宅から三階建てまで、美は乱調にあり。おお、そうだ、お客様?お客様はあるかしらん?アマゾンに?検索検索、あった!ネギを背負ったカモが。ん?あいつ、三角スケールを持ってるぞ?おっ、なんか親しげに手を振ったりなんかして、怪しい奴だな。(怪しいのはどっちだっ、)

さて、家づくりの心がけ。昨日読んだ本にこんなことが書かれてありました。生け花の先生のお弟子さんへの戒めの言葉。
「 花を生けるときは、無理に決まった形を作ろうとしてはいけません。花の命、花の美を見出して生かすことです。あなたは花を生かすための手段なのです。」
ひとりよがりを戒めて、本質を見つめること。心して。

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comohouse at 07:30|PermalinkComments(0)思いは遥か 

2017年08月30日

時代は変わる。(変わりすぎ?)

コモハウスのホームページを開設してもうすでに十五年近い歳月が過ぎました。一度大幅に刷新したのですがあとはズルズルと。

光陰矢の如し。

当初は熱心だったサイトの更新もいつしかだらだらと、更新も稀、新味は全くない、これじゃいかん。
わかってはいるのですが、時間がない、暇がない、熱意がないの無い無い尽くし。どこかでよっしゃとならなければホームページも宝の持ち腐れ。しかし、この世界も変わりましたね。昨今ではサイトの閲覧も圧倒的にモバイルから。デスクトップからの訪問者は数える程。これではサイトの作りもモバイル向けに情報を収集選択して訪問者のかたがたの見たいを絞り込んで提供することを考えるべきでしょうが、いかんせん、暇がない、時間がない、アイデアがない、スキルがない。ないないづくしで何にもない。

こんな建築会社でも、建築屋にも三分の魂。良い家を建てるスキルでは誰にも負けない。負けるかもしれないけれど、でも負けない。(と、そう思いたい)そう言えるだけの努力と美しい家づくりへの尽きることのない探究心は忘れないつもりです。
時代の周回遅れも明日はわからない。昨日のビリは明日のトップ。

美しい家の奥行きは深い。とてもその深さにまで降りていくことはできないけれど、そんな深みにとどきたい。

今日は事務所で支払いやら請求書の整理やらで一日事務仕事。相変わらず厳しい暑さですが、それでもそろそろ夏も終わりかな。人気の少なくなった三浦海岸で所在投げに歩く若者を見ていると、(ニースの海岸でもないのに)おっ、これはなんと、太陽がいっぱい。(笑)
しかし時代は変わる。アラン・ドロン扮するトム・リプリーはたった一人を殺めて完全犯罪を企み、成功したかに見えた彼の悪事が最後に来てどんでん返し。
アルベール・カミュの「異邦人」ではムルソーが一人のアラビア人を撃ち殺して裁判でその理由を問われ、「太陽のせい」。異邦人の結末は不条理というものの存在を見せつけて我々を圧倒しましたが、今やドイツでは介護施設の職員が八十人近い入所者のお年寄りを薬殺して戦後最悪の殺人事件と騒がれています。犯人曰く、「仕事が退屈だったから」。
退屈しのぎに八十人を殺す。もはや人間の条理も不条理もなく、心に葛藤がなくなってしまった。時代が変わったのか?状況が変わったのか?それとも人間が変わったのか?ああ。

今年の夏は「はじめチョロチョロ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」。そんな例えが当たっているのか外れているのか、秋はもうすぐそこまで。

あたらしい家



comohouse at 11:44|PermalinkComments(0)建築雑感 

2017年08月24日

ありがたい。

thanks

家が一軒建つまでの言うに言われぬ苦労の連続。しかし、実を言うと、ホントのところ苦労というのはあたりません。
「楽しきことのみ多かりき。」
好きなんですね、この苦労が。苦労が多いのはなんともはや、持って生まれた性分の「おなじことの繰り返しは絶対いや」 という天邪鬼のせいなのですから笑うに笑えません。家内にいつも言われます。
「やめといた方がいいわよ。最后は大変よ。」
大変さを知っている家内は一応そう言ってスカートの端を踏むのですが、聞かないことはお見通し。

家づくりはお客様にとっては一生の一大事。その一大事を任せられてはついつい建築会社としては無難にことを進めたいもの。あとでクレームとなりそうな芽は最大限摘んでおく。バッサバッサと摘んでおく。無難に無難に。魅力はないけれど、後ろ指も指されない。平凡?平凡でたくさん、その何処が悪い。 この居直りが大事になってくる。あとあとに。(笑)

平凡であることは素晴らしい。にもかかわらず、わたしたちの家づくりは、その平凡を超えた「普遍性」がいつでも家づくりの最大のテーマとなってきます。百年たっても古びない、百年前から変わらない、それをぜんたいどうやって実現すれば良いのでしょう?
「旧築提案」 
この看板を死守するためにわたしたちにできること。

一軒の家が完成し、お引き渡しする瞬間に脳裏をよぎるもの。その歓びが、わたしたちの仕事の原動力なのです。

お引き渡し日にお客様にありがとうございましたは当然のこと。それなのに、逆にお客様から素敵なお花をいただいて💐、いえいえ、それはなんてありがたいことなのでしょう。 
八ヶ岳南麓から届いたという無農薬で育てたという素敵な花束。

あらためて、ありがとうございました。😊

ohyeah






 

comohouse at 08:08|PermalinkComments(0)建築雑感 

2017年08月19日

家づくりの本懐

武士に本懐があるように、建築会社にも本懐があり、家づくりの本懐は「施主様の喜び」であり、さらには建物の一帯の皆様がこの家が建つことによって、存在することによって何とは無しに近所にこの家があることに喜びを感じる、そうした家づくりを実現することが建築会社の本懐といえば言えるのかもしれません。

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私たちはそのような家づくりを一体何件実現することができたでしょうか。
建築会社としての成熟。華やかさが自慢の建築ではなく、そこにあるだけで許される、そのような建築を目指してきたのですが、この度は施主様のご理解を得て、また一つ峠を越えることができたのかな、と、得心しています。

さて、弊社のオリジナルドアー。作れそうでなかなか作れない。まずはこのドアの本質をご理解いただけなければ作るに作れない。家づくりは普通にキレイで破綻していなければそれ以上を求めるお客様は稀なのです。
それ以上のドアづくりは、まず皆様がそれ以上のドアに思いをはせていただくことが前提になります。それ以上のドアは想像力で補う世界。生活の中ではそれ以上のドアを感じる機会がなく、それ以上のドアがこの世界にあることを知らない。ですから、それ以上のドアはお客様の感性によって左右され、コモハウスのオリジナルドアーの世界を求める人はまずもって少ないという事実。しかし、それでも、何人かの方々が私たちのオリジナルドアーを求めてリクエストしてくださいます。(慌てて付け加えますと、それ以上、という言葉はそれ以下を見下しているわけではなく、それ以外というニュアンスに近いかもしれません)
それは私たちにとってはとても得難い注文なのですが、時間も精神も極限まで張りつめた労働だけに終わるとなんだか全身の力が抜けてしまう。

作り始める瞬間まで迷いがあるのです。新築住宅で、普通にキレイなだけでいい、そう思っていらっしゃるかもしれないお客様にこのもう一つの世界を提示してしまう。本当に喜んでくれるでしょうか?確信はどこにもない。しかし、全くもって確信がないわけではなく、だからこそじゃあ作ろうか、と思い腰を上げるのですが、それでも私にはどこかで最初から確信がある、ような気もする。

ドア作りにも物語がある。ドアはすでに開かれている。それは出はいりとしてのドアであり、他者を受け入れる心のドアであり、感性の、喜びの、想像力としてのドアである、ということに思いがいたるとき、建物はまたべつの相貌をおびて立ち上がってくる。





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2017年08月16日

うん。上出来。

そこで、さらに色を重ねていくことになります。ここは慎重の上にも慎重に、そのくせ大胆にも程がある、と、そのくらいでちょうどいい。そのせめぎ合いが、さじ加減が、経験というものなのでしょう。
塗装の醍醐味はここにあり。
さて、クラップアップ塗料が乾いた上から今度は仕上げ色のドレッシングブルーを塗り込んでいきます。いよいよ佳境です。

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いっぽう、こちらは仕上げは白色です。イエローウィッシュホワイト。ドレッシングブルーと比べるとこちらの方が断然難しい。色をうまく載せるのがこれほど大変な塗料はありません。白のベタ塗り?さにあらず。この段階でこの色はその出来不出来が決定してしまう。塗りなおしで刷毛を入れようものならもうしっちゃかめっちゃか、あとはシーらない。(泣)

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手前はドレッシングブルー。向こうはイエローウィッシュホワイト。あっち塗ったりコッち塗ったり。三本一気に行ってしまおうかと。
う〜ん、慌てない、慌てない。

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こんなクラックが入ります。下地に塗ったこげ茶と白と黄色がうっすらと見え隠れします。

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最后のしあげにアンティークオイルを塗り、塗ったそばから素早くふき取ります。これがけっこうな力仕事なのですが、拭き取るのも微妙なあんばいが出来不出来を左右します。ブラス色の丸いノブをつけました。
うす汚れたドアの完成です。

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仕上がりをどうぞ。
で、実際に取り付けてみると、おっと、写真がない。(笑笑)





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2017年08月11日

エイジング塗装

色彩の魔術師。

なにやらおどろどろしくもあり、色彩を十本の指で紡ぐその華麗な世界。
色彩と書いて色と彩。「イロ」と言うのもなかなかですが、「アヤ」もまたなかなかで 一筋縄ではいかない。それは相手があってのことだからでしょう。相手は常に相手の欠点をうかがうもの。相手のスネと言ってもいいかもしれません。相手はいつでもむずかしいものです。しかし、だからと言って、相手がないとこの世界はなんとも味気ない。
建築もまた然り。相手に事欠かない。相手のオンパレード。相手にしだすとさあ大変。建築は一人ではできない。相手が材料の場合、これがまた焦らしても背中を向けてもダメ。材料とまず付き合ってみる。材料の加減を知るにはまず付き合って顔色を伺う。声をかける。たとえ相手が材料であっても、それは物ではなく、人間だ ^_^
 
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何事もベースとなる色が大事。この色が全体のトーンを決定づけます。
わたしたちの仕上げはこんなだらしない塗装からはじまるのです。

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ミルクペイントの黄色を適当に塗りたくります。大事なことは、適当に 、です。 てきとうに。しかし、この適当が思いのほか難しい。人生をてきとうに生きるのが難しいように、てきとうな塗装は匙加減一つ。わたしたちの人生も、結果的には適当に送る人生に過ぎないとしても鼻から適当な人生を送るわけではないのです。あくまで結果、不肖ながらも適当に送ってしまった人生という「うだつ」。

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さあどうだ。今度はなにを塗ったの?こ、これじゃあさらにきみの人生はうだつが上がらないことになってしまう。と誰かさんに言われてしまいそうですが。
猛暑のなかの塗装はありがたいことに重ね塗りには時間の短縮。乾くのが早いのです。 ここで大事なことは、重ね塗りは塗料だまりができないように薄く伸ばして伸ばして伸ばす。

しかしここまで見ていくと、なんとはなし、(ちょっぴりですが)ビュフェのタッチを思い出させます。(見ようによってはですが、、、)

で、ここでしっかり乾かしてから次の工程、クラックアップ塗料を塗るところで1日目はおしまい。建具作りからこれで三日。ローマは、、、ローマと比べるところがミソですが。






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