2018年05月13日

馬車馬日記

建築業に携わる我々は毎年一回県の建設業課に決算の報告をしなければなりません。十二月が締めの当社はその四ヶ月後までに報告が義務付けられているというわけです。これがまた気が重いことこの上ない。三月が消費税の申告やら確定申告やらがあって四月は決算の報告と都合二ヶ月間は胃が痛い。
で、だいたいゴールデンウィーク前には終わらなくて黄金週間が開けた今頃になってエイヤッとばかりに報告書をまとめ上げて横浜まで出かけなくてはなりません。
以前はそれも横須賀に出張所があってそこで受け付けてくれたのですが、何年か前にそこも廃止になって今では横浜の関内まで。ま、これも仕事。

今年は訂正や間違いもなくものの五分で終わりました。(これは初めてです。自慢にはなりませんが。)時間が余ったので前から行きたいと思っていた馬車道の県立歴史博物館に行ってきました。なんせ建物が明治に建築され、現在の建物は震災後に復旧されたものですが、その後も手を入れて往時を偲ばせる洋風館が再現されているのです。

yokohama

建物も素晴らしかったが展示されている内容も素晴らしかった。期待はしていなかったのですが(ごめんんさいね)期待外れに素晴らしかったです。
頼朝自筆の下し文など、そこに書かれた花押の見事なこと。これが自筆と聞くとしばしその場に佇んで、心ここに在らず。千年の時空を飛び越えて、ああこれは、とうっとりとするのが悪い癖です。(笑)

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しかし様々な昔の古文書やら日記などが展示されているのですが、みなさん書が上手い。当たり前に墨を磨って字を書くことがこれほど世界を豊かにするとは驚きです。書に限らないのですが、わたしたちの生活の隅々で、技術はとうにある領域へと達しているのですね。
建築もまた、とっくの昔に完成している。むしろわたしたちはその完成した領域へ近づこうと悪戦苦闘している。
歴史博物館に所蔵された古の人々の生活の足跡を追いかけながら、なんだか情けない思いに駆られるのはそれはなぜでしょうか?




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2018年05月07日

涙雨

GWまであと365日。(笑) なんにでも終わりはくるものです。終わりよければすべて良し、とは言い得て妙。しかし、わたしたちは、なかなかこの終わりを有終の美で飾ることができないものです。

GWも終わった今日は朝から雨。
 5月5日のこどもの日に、福井県のあわら市にある温泉旅館の「ベにや」さんが火事で全焼してしまいました。国登録有形文化財の建物三棟が灰塵と帰してしまいました。さぞや無念であろうと推察いたします。旅館のホームページを見ると、ご主人や女将の建物への愛情が伺えてさらに言葉もありません。
取り返しのつかない過ちというものがあるのです。しかもこの三棟は当時リフォーム中であったと聞くと、わたしたち建築会社も心穏やかではありません。最初の出火が屋根から出たとなると、屋根裏の電気配線かしら?と、咄嗟に思うもの。古い建物の火災の原因は電気系統に往往にして不備があるものです。
そういえば二年前の五月でしたが、横須賀市でも海軍ゆかりの料亭「小松」が火事であっという間に燃えて、今は寒々とした更地になってしまいましたが、あの原因はなんだったかしら?

つい先日、わたしたち夫婦と昔からの友人夫婦と四人で箱根に行ったのですが 泊まった旅館がやはり国登録有形文化財の古い旅館でした。古い旅館を守る人々も又古い人が多いもので、これが日本の今日の現実ですが、古い人ほど火を出さないということにどこかで鈍感になってしまっている、のかもしれません。
お年寄りだから、ということではなく、昔に比べると使用する電力量が圧倒的に違うことに気がつかないのかもしれません。なにごとも、基準がついつい古くなる。 昔は一戸で10Aなんて家庭もざらにありましたが今は60Aでそれでも足りないなんて、これは必ずタコ足配線があるだろうと思うとゾッとします。
大磯にあった旧吉田茂邸が火事で消失したのは平成二十一年のことでした。火災の原因はこれも確か電気系統であったような記憶があります。あの時もなんだか修繕工事中だったような、、、あやふやですが、どうでしたか?

我が家のタコ足配線を数えてみると、これがあるわあるわ。パソコン周りが計三カ所。三カ所ともパソコン周りというのもご時世ですが、コンセントの箇所数というのも、これは想像以上に必要なのかもしれません。

建物が有終の美を飾るということはどういうことなのか、少なくとも火事で燃やしてはいけない。ましてや二十年、三十年で 朽ちるに任せるような家を建ててはいけない。来年のGWが待ち遠しい。そんな家を建てていきたい。? 嗚呼、有終の美。

箱根




 

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2018年05月02日

節操、ということ。

先日、ネットニュースで賽銭箱から十円盗んだとして警察官の奥さんに袈裟固めで取り押さえられた男の話が載っていました。
賽銭箱。駐在所のおまわりさんの奥さんは柔道有段者。袈裟固め。
この三つがうまく組み合わさって一本のニュースが作られてしまう。しかも、犯人の名前も年齢も公表され、一方でお手柄の奥さんの名前も写真も大々的に取り上げられて、笑っちゃうけど畳に寝そべって袈裟固めを披瀝する奥さんまで写真デビューとはいやはや犯人には本当にお気の毒様。

一昔前なら説教されてそれで放免。
「こんなことするなよ」
「もう決してやりません」

世知辛い世の中になってしまいました。しかしまた、一方では、 国土交通省の役人が、転勤の辞令に引越しの荷物やら家具やら約30キロを山中に投棄したとして略式起訴。年齢35歳。氏名非公表。
この差は何でしょうか? 

なんだかなあ。一本芯の通った人格の形成がおろそかにされてきた結果がこの体たらく。わたしたちが取り返さなければならないもの。

建築も又、取り返すものがいっぱいあるのでしょうね。


 

comohouse at 07:41|PermalinkComments(0) 日々これ精進 

2018年04月19日

大事なことは、換気。

週末から月曜の朝にかけて、このところの大風は、しかし風も厳しいものですね。
ビュウービュうーびゅうーびゅうー。ガタピシガタピシ。思わず知らず、風の又三郎を思い起こします。暑さや寒さと違って普段は風に対する警戒心が薄いのは仕方がないのかもしれません。
しかし大風も止んでしまうと喉元すぎれば熱さ忘れる。私たちは都合よく出来上がっているんですね。

家づくりでは風の怖いのは軒裏や破風に対するダメージですが、風が吹けば桶屋が儲かる。しかしなぜ風が吹けば桶屋が儲かるのでしょうか?
それは、風が吹くと乾燥して桶の箍(タガ)が緩む。箍が緩むと桶から水が漏る。そこで桶屋さんに走って箍を締めてもらう。桶屋は駄賃をもらい、懐が潤う。風が吹くと、桶屋が儲かる。経済の原則。昔は何ごとも循環で、良いことも悪いことも補い合って生活が回っていたのですが、生活が豊かになるとこの循環に突然穴が空く。生活のシステムに穴が空く。

住まいの天敵は暑さ寒さ。この天敵をなんとかしのぐために断熱材だ、気密だ、サッシだと、外断熱だ充填断熱だとそれこそ右往左往して、さて最後に残る一番大事なこと。それが換気なのです。
昔はサッシもペアガラスが出始めた当時は価格が高いこともあって居室以外はシングルにしましょうか、なんて涙ぐましい意味不明の提案があちこちでありました。今ではトリプルガラスも廊下とお風呂、洗面所、トイレはペアで我慢にしましょうか?と、またぞろ涙ぐましい努力はそれは一体何のため?
断熱材に初めて羊毛断熱材を使用した時、羊毛はフィルムでくるんであるわけでもなく、剥き出しでしかも化学繊維もなく、チクチクするわけでもなく、その羊毛を千切ってはサッシと木材の隙間にマイナスドライバーなどを使って押し込んで詰め込んで家中隙間なく断熱材で包んでしまうことがどれほど大事かということを勉強しました。
さて、そうすると、家は、大事なことは、隅々まで均等に仕上げてこそその「能力」が発揮されるのだということ。木製サッシに、機密性の高い木製の玄関ドア、そして断熱材、これは三位一体ですからどれも欠かせない。
C値(すきま面積)を1.0以下に抑えて隙間風を極力なくしてから、そこで初めて私たちは換気にはたと手を止めることになります。すきま面積の1.0というのは家全体のすきまを全部集めると葉書一枚の⅔の大きさの隙間が家に生じているという計算になります。最も吸気孔の全部を数えてみればわかりますが、その開いた面積を足してみるとちょっと寂しくなります。

熱交換型換気扇といえば真っ先に思い起こすのがロスナイです。これは昔からあるのですが、ダクトが邪魔をして勾配天井やら梁の現しで建物をデザインするとなるとこれはちょっと具合が悪い。
そこでダクトレスの熱交換システムの出番となります。
排気の場合は室内の熱を逃がさづ、吸気の場合は室外の空気を室温に近付けてから取り込むというわけです。

家づくりの過程において、すきまをとことん失くすということは簡単なことではありませんが、まず隗より始めよ。換気換気換気。気密気密気密。職人が気密テープと発泡ウレタン充填剤を手にノズルを回してウロウロしてこそ家づくりの正しい姿勢と理解して、あとは優れたサッシと高い能力の断熱材。
高断熱高気密の家づくりは何も難しいことではなく、ドクがデロリアンを発明するよりはずっと単純なこと、要は「すきま風」を徹底して失くすというその姿勢がその後の家づくりを決定するということなんですね。



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comohouse at 10:05|PermalinkComments(0) 建築雑感 

2018年04月10日

灯台下暗し

今年はなぜだか鶯のなき声を聞きません。春になるといの一番に聞かせてくれるあの美しい歌声を、まだ聞かない。可笑しいな?鳥のナワバリ争いもあるのでしょうが、ウグイスの鳴かない春なんて、、、

なにごともアナウンス効果というやつで、春を知らせる鳥の声🦆、戦争を知らせる新聞🗞の声。(笑)
ちょっぴりギョッとしてしまいますが、これがあるんですね。
今読んでいるハーバート・フーバーの「裏切られた自由」。ちょっと大著ですが、そこに書かれたこんな一節。
『昔から、戦争によって まず犠牲にされるのは「真実」であると言われる。現在では、戦争になる以前に、プロパガンダによって「真実」は殺されるのである。
第二次世界大戦以後もアメリカ国民はプロパガンダ情報の洪水に晒され、洗脳されてきた。プロパガンダ情報を穏やかに表現するなら、「限りなく薄められた真実」と言ってもよい。』

ウグイスの美しい調べを聞いて、ああ春なんだ、と嬉しく心踊るように、何処かの国の圧政を報道で読んで、ああ、こんなことをされたら戦争だ、と、きっとそんな気持ちになるのかもしれません。

先日からお風呂のシャワーの出が悪くって、だましだまし使っていたのですが、コレは配管の中に錆がたまっているのかそれともサーモスタットが壊れているのか?と思いながらもこの寒かった冬を越して、暖かくなるとなぜだか思い腰が上がってきて、シャワー混合栓の金具を取り替えることにしました。
さて、古い混合栓を外すと出てくるわ出てくるわ、細かいサビのようななごみがチョロチョロと。これを歯ブラシで掻き出してさて新しい混合栓を取り付けようとシールテープをぐるぐる巻いて捻じ込んで、モンキーレンチで締め付けようと思うと、ワッとこれが合わない。私の持っていたレンチは三十ミリまで🔧。新しい混合栓のナットは三十ミリ超。慌ててホームセンターまで走って買って来てことなきを得たのですが、取り替えてみるとア〜ら快調。なぜだか洗面所のシャワー水栓も、台所の混合栓まで以前よりずっと出が良くなって「早くやればよかった」。

さて、快適なバスライフが戻って来て我が世の春を楽しんでいたら、昨日は突然 (suddenly 〜 、、、) ってやつですが、台所の換気扇が止まらない。動かないのではなく、止まらない。強弱の「強」の方のスイッチが「切る」を押しても戻らない。「弱」を押しても切り替わらない。止まらない、止まらない、カッパえびせん。
弱ったな〜、と思案投げ首、しかしファンは回っているんだからモーターは大丈夫。問題はスイッチだけれどなんせレンジフードはもう二十年以上前のシロモノ、当然生産は終了でしょうが分解するとスイッチはアルプス電気の製品、調べてみてもだからと言って部品交換もままならず。
さあこれは、いよいよ換気扇の交換か?しかし、待てよ、モーターは大丈夫。スイッチだけならなんとかならないかと思案投げ首。もうすでに首はシマウマのようになが〜くなって天井にまで届きそう。で、この「強」のボタンがダメなんだから「強」に繫がる配線を抜いてこれを「弱」につなげて「な〜んちゃって強」だけにすればいいんじゃない、使用頻度は「強」の方が多いんだから、ってことで無理やり繋ぎなおして「弱」は機能しなくなったけれど、ま、それでも一件落着、かな。モーターが壊れるまでは。

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※このオレンジ色の配線をブルーの配線と取り替えたってわけ。


てなことで、しかし、どこのご家庭でもこのような日常のトラブルはきっと多いのでしょうね。昔はなんでも直して使うが当たり前でしたが、このご時世ではなんでも交換。テレヴィを見れば新しいもの新しいもの、アマゾンで検索すればおニューはすぐにでも手に入る。これも日常のプロパガンダ。
そうか?家も交換交換。建て替え建て替え。でも、ちょっと待って。古いものを大事にすれば、古い精神が蘇ってくる。足元を照らしてみれば、リノベーションも、いいかもっ!

コモハウスです。( 笑 )

 

comohouse at 07:07|PermalinkComments(0) 建築雑感 

2018年04月04日

古い人 あたらしい人

春になるといろいろなことが動き出すものです。重い腰があがる。というか、腰がムズムズする、何かいいことないか子猫ちゃん。冷たい土の中から頭を出すつくしんぼのように、頑なな心を太陽の日差しが暖め、癒してくれる。まさに、待ちに待ったお日様だっ、here comes the sun. かな?

去年の暮れから行きたい行きたいと思っていた展覧会をふたつも見過ごしてしまい、それもこれも、ついつい寒さに心がかじかんで、ついでに腰も重くなり、気がついたら「あっ、もう終わってルゥ〜(泣)」 。
そんな反省もどこ吹く風、懲りない私たちは今度こそ。
しかし、探せばそれぞれに趣向を凝らしたいろいろな展覧会が東京のあちこちで演っているものです。こうした企画を立てるスタッフの熱意にも頭が下がります。そう、要は切り口なのです。
さて、そんな私を迎えてくれる新たに心温まる展覧会が六本木ヒルズの「森美術館」で4月25日から。

ジャン。

建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの

世界が魅せられた日本建築、その本質に迫る!

2018.4.25(水)〜 9.17(月)


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利休の茶室、待庵の原寸大による再現から丹下健三の自邸を1/3のスケールで再現した巨大模型まで。
現存する千利休の作と唯一伝えられる茶室、侍庵。利休自ら設計施工とは、なんと立派な建築会社の棟梁ですから驚きです。詫び寂びの極意を建物で表現したわけでしょうが、この原寸大の茶室が会場内に再現されてあるというのもオドロキ‼️必見でしょう。
まさに美は細部に宿る、その隅々の仕上げにまで目を光らせ、其処をもう一分、もう一厘、もう一毛、と利休のことですからさぞ煩かったことでしょう。


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原寸大の模型ですからもちろん魂は入っていない。魂を見に行くには六本木から京都の山崎まで足を伸ばさねばなりません。
山崎といえば秀吉が光秀を討った合戦場。天下分け目の戦いの後、利休が秀吉に茶を立てるために合戦場に僅かに二畳の茶室を建てたと言われるこの待庵。小さな空間に茶の本質のすべてを表現したのだとすると、利休おそるべし。
茶の湯の一滴がいくさの生き死にを左右する。

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小さな家は あな恐ろしい。私たちが「小さな家」を建てるとき、建築会社のすべてがここに表現されるのかもしれません。心して。


 






comohouse at 09:39|PermalinkComments(0) 日々これ精進 

2018年03月27日

桜の満開の木の下で


先週でしたが、地盤調査の立ち会いで、調査員の方が朝早くに千葉から来られたと聞いて、ついつい話題があの東北大震災の話になり、あの時はどこにいたのですか?などともうすでに一昔前のような遠い話になるのが自分でもびっくり。しかし、まだあれからわずかに七年。思えば阪神大震災からすでに二十数年(まだ二十数年)。
まさか、決して長いとは言えない人生でもうすでに二回も大震災を目撃しているわけですから、日本人の生命力のたくましさ、と言うべきか、懲りない日本人というべきか?その判断はまことに難しい。
阪神大震災の時点で専門家はすでに原発のリスクを噛み締めていたことでしょう。私たちは何も知らなかった。知らされなかった、ということもあるでしょうが、知ろうともしなかった、という事実もあります。無知は犯罪なのです。
東北大震災の時は、貞観地震(869年)以来の大地震と盛んに喧伝されていましたが、なんのことはない、明治の「三陸沖大地震」は明治二十九年。1896年でした。マグニチュード8.2-8.5。

東日本大震災以前まで、本州における観測史上最高の遡上高だった海抜38.2mを記録する津波が発生していたのは明治二十九年なのです。それほど遥かな昔でもなかったでしょうに、七年前のあの頃は盛んに貞観地震、貞観地震の大連呼。(意図的だったとは思いたくありません。)そんな昔の大地震の再来なら備えなくしても仕方がなかったのか。とさえ思わされましたが、わずかに百年前の教訓は静かに脇に追いやられてしまう。
つまり、原発被害は人災だった、ということです。

私たちの国民性はよくいえば穏やかにすべてを水に流し、だれも恨まない、すべては天命と己が身に引き受けて涙をこらえる。しかし、避けられた運命もあるのではないか?私たちにできることは他にもあったのではないか?

さて、それでも建築会社にできること。千年の津波には勝てないけれど、 せめて命を守る建築でありたい、と切に思うのです。

 
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2018年03月16日

それから、あれから。

先日何かで見たのですが、世界一古い革靴が、これがなんとアルメニアで発掘された約5,500年前の靴で、姿形は今時の革靴となんら変わりがない。大量の羊のフンに埋め尽くされたおかげで奇跡的に原形をとどめていたという、この気の遠くなるような古い古い革靴を見ていると、まるでこの世界では技術の進歩はほとんどないと言って良いのかとさえ思われます。しかし、技術は我々が思う以上にすでに深い世界に届いているのかもしれません。事実はどうかわかりませんが、これは恐ろしいですね。こんな靴を拵えるように、こんなふうに家を建てたい。

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日本人が革靴を履き始めてからまだわずかに百年。日本で初めて洋式の革靴を履いていた人物は坂本竜馬だといわれていますが、本当かもね。昔は草鞋、雪駄、下駄、足袋の類い。初めて革靴を買ってもらったのは高校生の時でした。私たちの時代は序列がはっきりしていて、中学進学で万年筆🖋、高校入学祝いで腕時計 、そして革靴でした。👞
初めて履いた革靴は今でも覚えているのですが、先の丸くなった焦げ茶色のちょっとチャップリン風の革靴でした。一足跳びに大人になったようで、なんだか嬉しかったなあ。文明はつま先からやってくる。歩くスピードよりほんの少し早い🚶。追いつけそうで追いつかない。追いかければ逃げて行く。
理想も愛も、なかなか追いつけない。立ち止まれば向こうも立ち止まる。手を伸ばせば届きそうな距離感が憎らしい。

家づくりも同じこと。理想の建築はすぐ目の前に見えている。なのに追いつかない。届きそうで届かない。良い家を建てたい、とそう思うのですが、良い家の定義はさらに難しい。
快適で、ちょっと不自由で、美しくて、チョッピリ欠点もある。まるで家は人間みたいに取り留めがなく 、奥行きがありそうで単純すぎる。「良い家」はほんとうに難しいけれど、「よい家」は裏切らない。

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2018年02月27日

家の作りよう、

人と住まいと家づくりと。

 家の作りようは、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。

「日本に住んで日本人のための住まいづくり」という、「家の作りようは夏をもって旨とすべし」というあの兼好法師の考察は、しかし、今でも生きているのでしょうか?果たしてそれはそうなのか?その根本をもう一度考えてみると。
それというのもまず、この日本列島が以前のように死ぬほどの蒸し暑い、ねっとりするようなあの不快な梅雨時のネトネトジトジトした季節が変節してかわってきたのではないか?ということ。列島が改造されて排水設備や川が整備され、山は切り開かれ、藪や、昔はどこにでもあった沼地や蛭や沢がなくなって、不快の温床が少なくなってきたという事実もあるのかもしれない。今の若い人たちは、その昔の(と言ってもわずかに数十年前に過ぎないのですが)日本列島の圧倒的な不快の季節をほとんど知らないのかもしれません。
つまり、日本の家はもう夏をもって旨とするだけの理由も無くなってしまった。とはいえ、真夏の堪え難い酷暑はふた昔前では考えられない熱帯の国を彷彿させる次元に突入しているとも言えますが、しかしそれは、兼好法師の「暑き比わろき住居は堪え難きことなり」と嘆いたあの不快とはちょっと違うような気がするのです。

さてそこで、日本の住まいを一年中ステテコのような身軽さで暮らそうにもそれでは冬を乗り切ることはできません。健康で快適な家づくりはまず冬の寒さを克服し、そのうえで夏の酷暑を乗り切る家でなくてはなりません。
そうこうするうちに、2020年までのネット・ゼロ・エネルギーハウスの実現が叫ばれ始めて改めて快適な住まいという目指す道のりがその遥かな先がくっきりと見えてきたことがきっかけとしては大きいのかもしれませんが、それは快適であることを不快の排除に据えるというコペルニクス的転回であるわけです。しかも、エネルギーを自足するために家庭で使うエネルギーの総量を抑制することでそれを可能にするというお役所的な発想ですが、それでもこの国のみすぼらしい家づくりの根本が変わるのなら歓迎すべきことでしょう。
何と言っても今日本の家が5800万戸として、その80%以上がほぼ無断熱と言ってもいい貧相な断熱材をまとった住宅なのですから。快適な住まいの実現が、エネルギーという切り口を得て、日本の住宅は大きく変わろうとしています。


日本の家



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2018年02月19日

もうすぐ春

寒さの峠も越えたのかしら、なんて思い始めると寒波襲来。暑さ寒さも彼岸まで。その彼岸まではまだまだ、まだまだ。

今年は寒かったのか、(寒かったですよね?)裏日本では記録的な豪雪?えっ?記録的は言い過ぎかしら?第一その裏日本って言い回しがすでに間違い?差別用語?、、、、そういえば近頃こんなテキストを見ることはなくなりましたね。わかりやすく、ズバリであっても、そういう言葉は往々にして本質を突いている分角が立つ。棘がある。
しかし人間世界は難しい。メクラ、ビッコ、ちんば、片端。全てご法度です。ネガティブな言葉を排除するのは言葉の差別であるのですが、小説や歌の世界で優れた作品が生まれなくなったのはすでに作者の側に心の規制がかかって本質的な表現ができなくなってしまったせいとも言えなくもありません。

「暗夜行路」のような世界はもう書けない。「異邦人」のような世界は差別だ。歌の世界も都はるみの「北の宿から」も、ましてや奥村チヨの「恋の奴隷」なんか、、、女性蔑視だって、、?

相撲の世界でも八百長は、おおっぴらには語ってはならない禁句です。そんな世界があることすらシーッ!政治の世界はもちろんのこと、建築の世界でも、食の世界でも、これだけはシーッってのが多過ぎます。東芝の会計偽装も、三菱自動車の燃費不正も、日産自動車の検査偽装も、神戸鉄鋼所のデーター偽装も、すべて嘘嘘嘘。世界はすべてが嘘で塗り固められている。(言いすぎかしら?)

しかし、そんな嘘が大手を振ってまかり通るこの世界だからこそ、せめて家づくりだけはくっきりとした視界の中で、靄のない、クリアな世界を堪能したい。 たとえ生活がクリアでなくっても(オイオイ?)、せめてクリアな世界に守られていたい。コモハウスです。って、そんな締めでいいの?(笑)

さて二月も後半。河津桜も満開で、梅も桜も咲きました。

skyfall




 


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2018年02月04日

胡乱な話し

さて二月。すでに旧聞に属するのかもしれませんが、年賀状で驚いたこんなお話。
毎年いろいろな賀状をいただくのですが、仕事柄、建物の写真を彩った賀状も中にちらほらあるものです。どれもみな素晴らしい建築物なのですが、そんななか、ひときわ目を惹く建物が、これが地方自治体の市庁舎なのです。最近竣工したらしく、豪華絢爛とはいいませんがこれが木造で、けっこう手のこんだ派手目の建物。さぞや裕福な市町村なんだろうなと羨ましいようなそうでもないような、でも待てよ、ちょっと調べて見ると人口が40,000人ちょい、市としては我が町三浦市程度の地方のさほどの特色もない九州の、どげんかせんといかんような田舎町。何か産業があるのかと調べてもとてもありそうにない。そんな、おそらくは財政もとても余裕は無かろうにと思える地方の市庁舎に贅澤税でも科したくなるような庁舎を何故?どうして?教えて?
人口衰退に歯止めをかけるために様々な施策をほどこし、若い家族を町に呼び込むのための窮余の一策? 
日本中で新しい発想、違う考え、これまでになかった横のつながりが求められている。

私の育った九州大分は、今では若い女性の憧れの町、あの湯布院も、私が小さかった頃は辺鄙な九大線の停まるただの田舎町、方言がキツく、しかも汚い言葉遣い。(ゴメンなさい、つい本音で) ここから通って来る高校生の柄の悪かったこと。ボンタンに角刈り。(その薄いカバンにはなにが入っているの?)どこを探しても魅力のみの字もなかった田舎町の、そんなジリ貧の町興しにと「湯布院映画祭」を始めたのは地域の若い人々と大分市内の有志の方々が手を携えて始めた小さな小さな映画祭だったのです。そういえば、私の姉もこの映画祭の実現のために走り回っていた記憶がうっすらとあります。当時は無名の映画監督の作品を上映し、手作りの映画祭を一から始めて、そうしたことが起爆剤になったのか、今度は商工会議所の若手を中心にまちづくりの勉強にドイツのとある地方都市を視察して小さな町が生き延びる方法を考え始めたのです。温泉はあるけれども温泉しかない。温泉だけでは別府にかなわない。利便性が良いわけでもなく、公共の交通機関に恵まれてもいない。ただそこには何もない空間が広がるだけ。しかし、、、。そこからの長い道のり。

なにごともことを成すのにかかる長い道のり、その時間、その積み重ね。美しい家づくりは1日ではできない。家づくりに取り組む姿勢も1日では形にならない。そんなことを教えてくれる一枚のハガキ。町づくりも家づくりも、通底する和音の調べ。


「どげんかせんといかん」そんな町の取り組みが、はいこちらから。 



 


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2018年01月25日

寒波襲来

毎朝起きるとリビングの温度計を確かめるのが習慣になってしまいました。午前6時。冬のこの季節、だいたい何時も一定で、20度です。一番寒い部屋で19度か、それを切るくらい。今朝はさすがにどうでしょうか?
リビングで19度、寒い部屋で❄️17.5度。窓の外に出てそっと温度計を置いて🌡待つこと10分。野外の気温2度。ウワッ、これは寒い。 この寒さの中で19度は合格、かな?
皆様も冬の寒さにめげている方はいっぱいいらっしゃるでしょう。さてそこで、誰にでも、すぐにできる今日からわが家も断熱住宅。といっても、厳密に今日からは無理ですが、少なくとも明日からの断熱住宅は決して夢ではありません。多少お金はかかりますが何十万もかかるわけではありません。さて、その秘密は?

とっても簡単なことなのですが、それは、実は、カーテンを見直すことなのです。もしも皆様の御宅の窓サッシがアルミで、おまけにガラスは一枚で、壁の中の断熱材の厚みは何ミリかもわからない。天井裏には断熱材なんて入っているのかしら?と素朴な疑問。冬はいつも布団のなかで凍りついて起き上がるのが億劫で堪らないのなら、まずはカーテンを見直すことです。
できればカーテンボックスが欲しいところですが、(カーテンボックスがあるとそれだけで窓の上部の隙間をカーテン生地で塞ぐことが容易いのです)それがなければ先ずカーテンは二重は必須です。その一枚目もできればレースはやめて薄手でもしっかりした生地で、レールは壁にベタ付け。一枚目が壁にぴったりくっつくようにして、サッシの上端より数センチは上に取り付けること。生地の下端は床を擦るくらいにして窓全体を覆い尽くすことが肝要です。そして二枚目はその一枚目のさらに上部に取り付けて 一枚目のカーテンをすべて覆い尽くす。これは窓ぜんぶをこの方法で征圧すれば完璧ですが、先ずはメインの部屋からだけでもやってみることをお勧めします。そうそう、障子も障子の組子の上から一枚だけでもカーテンで覆うこと。
問題は玄関ドアです。玄関ドアにもカーテンが欲しいのですが、床をするのが嫌でしたら夜だけ床部分にダンボールをL字に被せてその上に厚手のカーテンを吊る。この場合は一枚でもオーケーです。

さあ、これで完璧とは申せませんが、間違いなく数度は気温が上がることは請け負います。カーテン生地もバカになりませんが、なるべく目のつまったしっかりした生地を選びましょう。
断熱材改修工事は100万円。さらにサッシを内窓にするとうん十万円?カーテンの取り替えなら10箇所で30万もあればなんとかなります。先ずはリビングの一番大きな窓からだけでもやってみる?
その価値は皆様でお確かめください。保証します。



 


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2018年01月18日

昨日今日明日

身の丈を知る。
わかるようでわからないのが己のこと。人様の欠点にはすぐに目が行くけれども、自分の欠点には目が泳いでしまう。素知らぬふりでやり過ごしたい。できることなら目を瞑り、上書きして塗りつぶし、虚勢を張ってしらを切りたい。(笑)

よくあることで、正したいと思いながらもズルズルと、、、。これが、建築会社にも言えることで、建築会社もまた人格を持っているんですね。自分の会社の欠点を自覚することは、これがまた大変難しいけれども、実は薄々気がついているからまた辛いものがあります。

昨今のゼロ・エネルギー・ハウスもこれにどう取り組むかという課題は会社の明日を決定づけてしまいます。建築会社はどこもこの命題と睨めっこしなくてはなりません。
ご時世なんです。時勢のせいばかりにはできない建築会社の責任。

ゼロ・エネルギー・ハウスは二つの取り組みからなります。まずはエネルギー消費を少なくするために建物に体力をつけること。頑健な体に頑健な精神が宿るわけです。冬は住まいから熱を奪い、夏は住まいに熱が溢れかえるのは貧弱な壁とお粗末なサッシからくるわけです。壁が貧弱なのは壁の中の断熱材の性能が低いから。断熱材の厚さが足りないから。サッシがお粗末なのはそれがアルミでできており、熱伝導率が異常に高く、おまけにガラスから熱が逃げ、夏は逆に熱が呼び込まれてしまう。
もう一つは自らエネルギーを創り出していくこと。

コモハウスで家づくりを始めた何時頃からでしたか、サッシはこれは絶対に木製サッシだなと、そしてガラスはペアガラスだと思いました。アルミサッシなんて犯罪だ、と思ったのです。その当時は(今でも)アルミサッシが当たり前で、もちろんガラスはシングルでした。冬場に家のなから逃げて行く熱の実に48%は窓からなのです。
木製サッシを研究し、ローエン・ウィンドウズ社、ノード社、マーヴィン、アンダーセン、ペラ、アメリカのメーカーにメールをしてカタログを送ってもらい、その頃は日本で展開しているサッシメーカも限られており、アメリカから直接輸入しようと考えていたわけです。(そういえば、あの頃並行輸入なんて言葉がちょっとしたブームでした)イタリアのサッシメーカーにもEメールをするとすぐにカタログが送られてきました。池袋のジェトロの事務所で色々と調べているとアルメリアだったか、直接取引しませんかというサッシメーカーがありコンタクトを取ったのを覚えています。納期は1ヶ月ほどでさして難しい話ではなく、価格も驚くほど安かったですね。が、結局選んだのはアメリカのノード社のアルミクラッド木製サッシでした。外部は木製の枠にアルミで被覆しているのです。日本のアルミサッシよりも安いくらいでしたが製品はしっかりしていました。アルゴンガス入りのペアガラス。確か、インドネシアから運ばれてきたのはあちらに工場があるからでした。木製サッシも完全オートメーション化していて製作が難しいわけでもなく、ただ日本人にはどうしても木製サッシと聞くと雨に弱い、劣化が怖い、火が心配と「心配心配症候群」が頭をもたげ、とても選択肢に選ばれないという情けない時代が長く永く続きました。その頃もPVCサッシがあったのですが、なんだか木製サッシのイミテーションのようでどうにも納得できなかったのはわたしの持ち前の偏屈のせい?です。
建物を頑健にする第一は先ず窓なのです。第二は、断熱材です。これも今では高性能断熱材が華やかに横並びで競い合っていますから選択肢は豊富ですが、あの頃は羊毛断熱材くらいしかなかったのです。そして最後に換気がありますが、換気の話はまた次回に。(換気の問題も奥が深いのです。)早いものであれからすでに二十何年。

さて、そんな時代も過ぎ去って、世界の風景は一変し、世は挙げて「ゼロ・エネルギー・ハウス」の時代。私の場合は意識して省エネを目指したわけではなく、美しい住まいの条件として優れた断熱材、美しく高性能な木製サッシ、その先に快適な住まい作りがあると信じていたのです。その信念の屋台骨をぐらつかせたのは皮肉なことに建築基準法の防火基準の厚い壁でした。準防火地域では選択肢はなく、ただアルミ・サッシの灰色の世界が広がるだけ。防火認定の取れている木製サッシはわずかにケースメントくらいでは話にならなかったのです。
思えば世界中で、サッシに防火の認定を与え、それを強要するのはこの国だけかもしれませんね。しかし、それは必ずしも間違っているわけではないのです。階段に手すりをつけろというのは大きなお世話だと思いますが、サッシに関してはこの国のながい経験が活きている、のかもしれない。木製サッシがこの防火の基準を凌駕するのはいつの日となるのでしょうか?

使うエネルギーをゼロにするには建物の省エネだけではもちろんできません。建物が自らエネルギーを作り出していく。その方法は残念ながら今のところ太陽光以外に選択肢がありません。屋根にあのパネルを乗せて電気を作る。屋根に太陽光パネルを乗っけるのを厭わなければコモハウスの家は「ゼロ・エネルギー・ハウス」となります。


comohouse at 16:36|PermalinkComments(0) 日々これ精進 

2018年01月11日

ふるさとの家

ふるさとは遠きに在りて想うものなり。

近くで見るふるさとは、遠い日の思い出が嘘のようで、その変わりようは腰を抜かすほどでわたしの時代の大分はきっと夢なんだ。と、そう思います。
磯崎新の有名な県立大分図書館が出来た時、そのあまりの斬新さに腰を抜かしたものですが、(わたしは子供の頃からよく腰を抜かすタチなんですね。笑) その図書館も今は古ぼけて、斬新さを脇にやると建物の本質が見えてくるのかもしれません。

磯崎新

とは言え、わたしにとってはやはり大事な思い出とともに今もそこにあるのは嬉しい限りです。
(上の写真の渡り廊下の地下が自転車置き場になっていて、ああ、よく自転車でここにきたものです。)図書館の向かいにはあの府内城の城址公園があり、その敷地内に文化会館が落成したのも同じ頃だったかしら?落成したその年にスプートニクスという北欧のエレキ・バンドがやって来て当時の大ヒット曲「霧のカレリア」 なんて曲を演奏したのが嬉しかったなあ。そう言えば、同じ年の秋にザ・タイガースがデビュー直後に文化会館にやって来て、文化会館で野球をやったのは、、、(笑)わずかに二、三十人の観客を前に歌い跳ねながら演奏したのも懐かしい思い出です。それでもなぜか黄色い歓声が上がるもので、あくる年の春に「モナリザの微笑」が大ヒットして一気にスパーク。そのスパークする直前で、持ち歌もなかったのでローリング・ストーンズの曲ばかりやっていたのが嗚呼、これも懐かしい。その文化会館も今は取り壊されて、強者どもが夢の跡。時の経つのは早いものです。

足場府内城
文化会館の跡地にあったのは、はい、これがあのイルミネーション府内城の化粧を落としたお姉さんの素顔です。

さて、では、私たちの家づくりは果たしてこの時間軸に勝てるのか、どうか?大分の実家ももうかれこれ四十年近い古家となりましたが、大工の腕が良いのでしょう、寸部の狂いもなく、丁寧に棲みついできたおかげで室内はまるで新築(ちょっと大げさですが)、壁は左官壁でほんとうに美しいですね。ただし、寒い。どうしようもなく、寒い。断熱材は?入っているのでしょうが当時のことですからせいぜい20ミリ程度の名ばかりの断熱材でしょうね。サッシはアルミで、結露はありませんがシンシンと寒さが募ります。着てはもらえぬセーターを、、、(おっと、これは違います)
そう。これは、犯罪です。「日本の家は三十年、住宅ローンは三十五年。」なぜこのような家しか作れなかったのか?これでは建て替えたくもなるでしょう。
そういえば杵築の城下町で築百年の一松邸を見学してきました。優に百坪はある木造技術の粋を集めた平屋の豪邸ですが、こんな寒い家に人は住めない。「技術の粋」は快適さを求めず、粋を求め、趣味に走る。欄間の技術が、組子の障子の職人技がいかに素晴らしくても、とうてい人は住めない。

家を住み継ぐとは、まず快適さが前提に立たなければ誰も継ぐ人はいない。快適であって初めて人はその家を守る決意を固める。いやまだまだ。快適であって、そしてさらにその家が魅力的であること。三十年を超えて愛されるために建築会社がやらなければならないこと。ゼロエネルギーハウスは当たり前。その快適さの先に私たちが求めるもの。心の琴線に触れる家づくり。それはとんでもなく難しい。しかし、とんでもなく素晴らしい。




comohouse at 09:11|PermalinkComments(0) 建築雑感 

2018年01月08日

松の内は過ぎたけれど

早いもので今日はもう正月八日。
みなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます🎍。戌年の本年もまた、よろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。
さて、正月早々、ちょいと風邪気味のコモハウス代表ですが 、ほんとうに久しぶりの風邪引きさん。くしゃみ三回ルル三錠。
昨日の日曜日大分から帰って来てバッタンキュウ。今日は午後から仕事もあったので必死の体で槍を構えてサク、サク、アサクサくさくさく。 
しかし、嗚呼しかし、とっても心温まるご家族にお会いできて、正月早々私たちはなんたる幸せ者。初めての打ち合わせも気持ちの良いあっという間の二時間でした。

さあ、今年もお正月から故郷大分に帰省して、今年の大分の目玉は国東半島の古い城下町、杵築でした。町全体でこの城下を育てていこうという意気込みが垣間見えて嬉しくなる、そんな思いにあふれた田舎の城下町。城下のあちこちに無料駐車場があり、先ずは来ちょくれんかい。来ちみよ。違うでえ。
杵築藩は三万二千石の小さな小さな領国ですが松平家の長い治世にあって安定した国づくりが行われたのでしょうね。 武家屋敷街、商人街 、石畳の緩やかな坂道、古い土塀が街並みに延々とつづく。代を重ねる古いお味噌屋さん、着物を着て歩くとどこも無料で見学できるという粋なサービスに、家内は「ほら、だから着物を着てくればよかった」と悔やむことしきり。大分は百花繚乱、山あり海あり、温泉あり、郷土料理に海の幸、高原あり、草原あり、別府湯布院宇佐神宮。体を清めて魂まで清め、なんて素敵なトコなんだ。あっ惚れ。
しかしこの杵築。てっきり漁師の町だとばかり思っていた私の認識不足。そうかこんなふるさとを持っていたなんて、ゴメン矢野。

杵築の城下町


大分は不思議な街で、大分駅が新しくなっていたのはびっくりですが、その駅のイルミネーションがとってもグー!

大分駅

そんな夜の大分市内を走っていたら、なんと、府内城址の中にいまは消失して跡形もないあの幻の府内城天守閣が忽然と夜の闇の中に浮かび上がっているではないですか。ええっ、なんだあれは?

府内城

これは、これは。文献通りの四層の天守閣。夜目にも美しいこのイルミネーション府内城は、再建したら30億円。足場板で作れば300万円。いや、その発想が素晴らしい。
こんな風にわが町大分は、とっても素敵なふるさとなのです。ふふふ。(笑)


 


comohouse at 20:55|PermalinkComments(0) 日々これ精進