梅は咲いたか 桜はまだか静謐な家

2022年02月20日

人生のピーク

人生は短いようで長い。長いようで短い。
結果を求めて精進しても必ずしも思うようにはならない。

さて、十代。その昔、美しい十代、という流行歌がありました。
えっ?知らない?三田明?し、しらない?笑

そうか、ま、ね。時代は変わる。しかし、はたして十代は美しいのか?それが問題だ!
子どもの頃、十代はけっして美しくはなかった。思い通りにならない結果に身悶えし、悔しい思いでなんど枕を濡らしたことか。うん。ま、ね。理想があるから結果が伴わない。十代で結果を残すには五歳で何ごとかを始めなければなりません。結果がでるまでには十年かかるのです。

では五歳でおのが道を歩み始めるには何が必要で、なにを捨てなくてはならないのか?

そんなことを考えるのも、北京オリンピック、例のワリエワ選手のドーピング問題で金メダル候補があえなく敗れて涙にくれるシーンを見ると、15歳で人生のピークを迎えることの幸福と不幸をあらためて考えてしまいます。
ロシアオリンピック委員会が彼女に内緒で薬を飲ませていたと考えるのは笑止千万。彼女は知っていて飲み続けた。なぜ?金メダルがほしいから。金メダルを取れば億単位のお金が手に入るから。たぶん。それがあの国の現実なのでしょう。

ソヴィエト崩壊直後のロシアをシベリア鉄道を乗り継いで旅をした思い出があります。
どこに行ってもロシアは貧しかった。食べるものも固くなった黒パンが少しに不味いチーズが一切れ。少女たちは売春をし、公営団地はどこも崩れかかった灰色のコンクリートの塊。しかし、人々はそこで暮らし、素朴な笑顔は悲しいけれど美しかった。列車のなかで乗り合わせた男の子に持っていたカップヌードルをあげると満面の笑みで「ママ、もらっていい?」と目で尋ねる。母親がうなずくと、少年はほんとうに嬉しそうにスパシーボ、スパシーボ。

 ロシア人は歌を唄い、自らを慰める

15歳のワリエワ選手のドーピングを責めることはできない。世界はわたしたちが思う以上に病んでいる。責められるべきはワリエワ選手の出場を認めたIOCにこそあります。IOCもまた世界の縮図。バッハ会長のどこがクリーンだというのか?オリンピック自体が金まみれで、もうわたしたちは「スポーツの祭典」を信じないほうが良い。

しかし、それでも十年、スケートに人生をかけることの意味は大きい。練習に明け暮れた日々は帰らない。その代償はきっと彼女を強く鍛え上げたに違いない。

3timesloos




comohouse at 18:45│ 日々これ精進 
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