日本の住まいは変わるのか?

2024年05月11日

底をつく大工

日々これ精進とは云えども精進する建築工事がすでに人の手を離れようとしている。
建築工事はこれからますますプレファブ化していくのではないか。
職人不足はわたしたちの住まいを画一化し、人の手を離れて中性化するのではなかろうか?

今更職人気質と言ってもすでに手遅れ。
いつでしたか、あのホリエモンが寿司職人をして、寿司を握るのに十年修行するのは馬鹿と言って憚らず、職人の修行の価値を貶めたときは心底驚き以外の何物でもありませんでした。

彼にとって、職人はすでに無用の長物だったのでしょう。
それは職人の本質を見誤っているからで、職人の対価を金銭でしか測れないから技術の深淵について思いが及ばないのです。
職人はお米を握るときにすでに何物かを感知している。この握り方で良いのだろうか?手に水を浸したとき、少し水分が多いのでないか?それがなにか寿司の旨さに影響するだろうか?

職人は考えるのです。そんなつまらないことにも技術の進歩はあるかもしれない。ないかもしれない。今日より明日のほうがうまく握れるかもしれない。
大工もまた考えます。
ノコギリの使い方は切って切ってまた切って、木に触れ、木に向かい合い、そうして少しわかる時がある。わからないときもある。
しかし、職人仕事もまた株価のチャートを見るように、日々その素材は違っている。

職人仕事を偉大です。昨日と今日の間に違いはないけれども、いえ、違いは微差であるけれども、その違いに思いを馳せる人間はすでに昨日と違っているのです。
そうして極める世界がある。
お金の問題ではなく、お金を超越した技術の深淵がある、信念がある。

美しさはすでにその深淵の縁に宿っている。それを職人は手にしたいと念じているのです。

建築行為はそうした人々の孤独な戦いのはてに薄っすらと見えてくるものなのです。
機械も道具も携えて、たわからこそ勤勉にとって硬すぎる壁はないのです。

そう、わたしたちは信じている。




さて、今日もフラメンコです。
先日ご紹介したローレ・モントーヤの若かりし日々。
あのアラブ歌謡を熱唱したローレのフラメンコです。



comohouse at 17:38│ 日々これ精進 
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