2024年11月23日
近頃のトレンド
建築工事もすっかりその様相が変わってしまいましたが、それはジワリと、しかし確実に。
あの山に登るんだ。 あの山の頂に国旗を立てるんだ。その情熱。ある時は損得抜きで一心不乱に技量の限りを尽くす。建築会社もお客様の言うなりにはならず、住まいの本質を目指す。
もう後戻りはできない。
やはり経済の失速がこの業界の仕事のあり方を変えたと言って良いのでしょうか?まず若い人が建築業を敬遠する。ものづくりの楽しさの前に効率という足枷が邪魔をして良いものを作りたいという職人の情熱を冷やしてしまった。
昔から職人になる人間は職人にでもなるか、という安易な気持ちからこの世界に足を踏み入れる人が多かったものです。先生にでもなるか、という戦後の一時期の流行とそれほどの違いはないのですが、違っていたのはやはり置かれる環境の厳しさでした。
教えてくれない。自分で覚えろ、があたりまえの世界。しかもその中身は深く、深淵と言ってもいい。職人は思考の世界です、考える世界です。手に職を持つ、とよく言いますが、それは手が考えるようになるまで自分を追い込むという理不尽な世界とも紙一重なのです。
そこまで自分を追い込むその動機はなんだろう?と考えてみると、、、
それはやはり良いものを作りたいという向上心の現れ?いいえ、それだけではなく、これまで連綿と作りつづけられてきたこの世界の永い歴史が指し示す頂き、というものがあるのでしょう。
それは例えば法隆寺、例えば関の孫六、例えば名もなき漆塗りの一品であったりもする。目を開けばそこここに転がっている珠玉の名品が職人を奮い立たせる。しかし、それはあくなき苦闘の世界。そこを耐えて耐えてその先にある栄光、しかし、それは誰も褒めてはくれない。一人己が納得し、密かに自分を褒めてやり、そしてそのささやかな喜びが明日の自分につながる。
そんな職人の世界に憧れる人は少ない。
今や職人は速さを競うアスリートの世界に近くなってきました。早く終わらせ、次の仕事が俺を待っている。稼ぐということはとても大事なこと。家族を養うためには犠牲にしなければならないことがある。
永い歴史が示す頂をそっと脇に押しやって、これも建築と納得すること。そんな職人の世界に憧れる人は少ない。
今や職人は速さを競うアスリートの世界に近くなってきました。早く終わらせ、次の仕事が俺を待っている。稼ぐということはとても大事なこと。家族を養うためには犠牲にしなければならないことがある。
とはいえ、私たちの周りで働く若い衆はそれでもまじめにコツコツと仕事に励んでいる。目指す頂がないのはオレのせいじゃない。そう、それは職人のせいではなく、違うのは、全体の目指す方向がはっきりと指し示されない、という不幸のせいなのでしょう。
あの山に登るんだ。 あの山の頂に国旗を立てるんだ。その情熱。ある時は損得抜きで一心不乱に技量の限りを尽くす。建築会社もお客様の言うなりにはならず、住まいの本質を目指す。
嗚呼、しかし、そんなうるさい建築会社は誰も求めない。 いや、しかし、、、
comohouse at 11:26│
│日々これ精進