2025年01月29日
無垢にすべきか、集成材にすべきか、それが問題だぁ
家にテレビはないけれど、You Tubeはチラチラ見る。自然と建築関係に目が行くのは仕事がら身についた習性というやつか?
で、つらつらつらつらはしごをしていると近頃のトレンドが何となく分かろうというもの。
そうか、巷では無垢材か集成材かで喧々諤々、喧しいたらありゃしない。(笑)
しかし、そうは言っても少なくとも木の特性について興味津々というのはありがたい話です。
一昔前までは無垢材なんてとんでもない、反る、曲がる、ねじれる、三拍子揃って良いことなんかなんにもない。(笑)
そんな認識だったのは、実を言うと、建築会社こそがその程度の理解であったのはなんとも皮肉で言葉もありません。しかし、時代は大きく変わりました。
集成材も今や無垢集成材なんて言葉もあるくらいですが、それでも無垢よりも集成材のほうが強いと微に入り細に穿ち、様々な実証的な例を上げて説得にかかります。かと思えば無垢材信者は真反対、集成材は絶対だめだと口角泡を飛ばし今にも飛び掛からんばかりの勢いで自説を滔々と述べて勝ち誇る。
いやはや面倒くさい。ではお前はどうなんだ?と聞かれれば、弊社はもう三十年来の無垢材一辺倒ですから集成材には縁がない。とは云え仕上げや化粧には集成材にもお世話になる身、あたら悪口は云えません。問題は、なんのために無垢材にこだわるのか?集成材にこだわるのか?そこの一点にこそ問題の核心はありそうです。
しかし、こと強度に関して言うならば、一本の矢より三本の矢。
戦国武将、毛利元就の三人の息子に伝えた「三矢の訓(みつやのおしえ)」。
一本の矢は折れやすいが三本束ねると折れにくいの例え通り、集成材はまさにこのことを地で行く生きた教訓でしょう。
そう、105mm角の柱が無垢で一本よりも20数ミリで四枚張り合わせたほうが強い、と言われればその通りでしょう。接着剤がいつまで保つか?という意地悪は脇において、素直に集成材に軍配を上げて良いと思います。ただ、それは一本の柱の例に過ぎないのです。
ではなぜコモハウスは集成材ではなく無垢材を使うのか?
それは必ずしも単体での比較や強度のみで結論を出すのを潔くしないというわたしたちの住まいに対する考え方、姿勢にこそあります。
単純に建物の強度を考えるのなら木造よりコンクリートでしょう。しかし、わたしたちは木を選ぶ。木に癒されたいから、木の国根の国の物語。
密閉されたコンクリートの空間よりも木の細胞に包まれていたいからわたしたちは木造を選ぶ。一本の柱の強度が集成材に劣るのなら、三寸五分を四寸で組めばいいじゃないか。二間半のスパンを無垢の梁で組むのは心もとないなら背を大きく取ればいい。それで天井が低くなるなら低い天井を魅力的にこしらえれば良い。天井高が八尺なら七尺五寸で組めばいい。
さて、それでもわたしたちが無垢材に拘る理由は本当はもっと違うところにある。
切り刻まれた木材よりもすっくとそびえ立つ健気な一本の木が持つ風格を大事にしたい。その一本の木がヒノキであればなをのこと、一棟の家を建てるとう行為の積み重ねがその一本の木の風格によってわたしたちを律するのです。
わたしたちはそれによって、それをよりどころとして建築という営為の積み重ねを可能にする。昨日よりも今日の方が、今日よりも明日のほうがわたしたちは強く在りたい。
良いものを建てたいという念仏がこの仕事を支える大きな柱。三寸五分より、四寸より、集成材も無垢材も超えてわたしたちは美しい建築を実現したい。

comohouse at 06:41│
│建築雑感








