無垢にすべきか、集成材にすべきか、それが問題だぁあらためて断熱材についておさらいする

2025年02月09日

薄れゆく伝統

コモハウスを創設して25年、前身のワザリングハイツを含めると30年近く。
建築の世界も随分と変わりました。機械の進歩はすさまじく、技術の継承が機械の取り回しの技能に押されて、そうなると大工仕事の真髄が雲散霧消していくことは避けられません。人と人の関係も、進歩ではなく大きく横にスライドしていくのが技術の本質を見えにくくしてしまう。それは良いことなのか悪いことなのか?

技術の劣化はあるでしょう。かっての伝統的な上下関係が希薄になり、師匠と弟子の関係が霧消して横一線の平等化は良い点も在れば悪い点もある。
わたしたちの仕事はハウスメーカーとは違います。トコロテンのように押し出されてくる家が悪いわけではありません。しかし、それは、あえて云えば住まいづくりではない。無機質な家はわたしたちの家づくりではありえない。
住まいはすぐれて伝統的です。伝統的とは、立ち止まることと言ってもいい。立ち止まり、住まいの着心地をたしかめ、美しく、感動的であるかを問いかける行為が建築なのです。

今の若い人は「夕焼け小焼け」を知らないかもしれません。「荒城の月」を知らないかもしれません。いえ、もしかすると、「君が代」さへ知らないのかもしれません。
わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?
どこでもいい、と答えたあなたはわたしたちの大いなる遺産を食いつぶして、日本人であることの幸福に無頓着なのです。縄文の昔から紡いできた日本の伝統をわたしたちの世代で捻り潰していいとは思わない。

先日You Tubeで「サボテンの花」を聴きました。ああ、人はだれでもこんな情景に心を揺すぶられた経験をお持ちでしょう。こんなふうに男女が愛し合い、心の葛藤に身悶えする、その幸福と息ぐるしいまでのやるせなさ。人を愛することを知らずに育つとわたしたちは当然国を愛することも知らずに育つ。
中国人や朝鮮人やクルド人は自分の損得を考えることはできても祖国への愛を考えることはできない。それはそうです。彼らには延々と築いてきた祖国の歴史など無きに等しいのです。
中国三千年の歴史?(それは断絶につぐ断絶の歴史?)
朝鮮は?
ではクルド人は?

わたしたちは営々と祖国を次の世代へと、まるで灯火を手渡すように次々と、消さないように細心の努力を傾けて手渡してきたのです。
それを移民なんぞという不埒な輩にぶち壊されてよい訳がない。

はなしが横道にそれてしまいましたが、さて、国を愛するようにわたしたちはおのが仕事を愛してきたのです。日本人は働きすぎなのではなく、仕事をつづける中で希望を紡いできたと言っても過言ではないのです。
少しづつ、少しづつ良いものを作りたい。その一念が職人を鍛え上げてきた。今でもその志はかわらない、と私は思います。

伝統は絶えるのでしょうか?日本がつづくかぎり、起伏はあるでしょうが伝統の火は消えない。それは男が女を愛するように、女が男を愛するように、ただ人として素直であればいい。
自分に正直であればいい。家づくりは正直であることがいちばん大事なのです。
そこさへ踏み外さなければわたしたちは大丈夫だ。






comohouse at 09:51│ 思いは遥か 
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