原始的な建築散る日本

2025年04月05日

旭に匂う山桜花

ほんとうに久しぶりの快晴、晴れた日には永遠が見えると謳ったのは誰でしたっけ?^_^

永遠♾️は見えなくともせめて日本の先行きくらいは覗いてみたいもの。それというのも我々の仕事にしても職人不足が叫ばれてなんとはなし重苦しい気分がジワーッと背中にのしかかってきます。
職人は足りないのでしょうか?
足りているとはとても言えませんが、要は大工がいない、コレに尽きるのでしょう。長い間大工の偉大さを軽視してきた付けが回ってきた、と言って良いのでしょう。それは複合的な要因が重なり合って今日の事態をまねいたわけですから一朝一夕には解決しない。
先ず学校制度の改革が急務です。それは価値観の見直しです。汗水流して働くことの意味を子どもたちが考えて欲しい。いえ、考えるのは後からでいい、体を使ってなにごとかを成す、その喜び、その達成感を体で感じること、そこから始まります。小さなことをコツコツコツコツ、そう、小さなことから始めましょう。
わたしたちの周りの生活を見直すことも急務です。食事の時のいただきます。ご馳走様。食べ歩きはしない、買い食いはしない。こうした昔は当たり前に家庭で躾けられた行いが蔑ろにされてしまう。
勤勉とは何か、勇気とは何か?

「勤勉にとって固すぎる壁はなく、勇気にとって近寄り難い深淵はない」ノーバリス

こども心に父に教えられたこの言葉が今でも頭のどこかで鳴り響いています。たったひとつの教えを子どもに残す。それさへも私は成し得ただろうかと今更ながらに忸怩たるものがあります。
だからこそ、教育なのでしょう。

そのためには、まず親が人間の幸福と不幸について考う直す必要があります。
男は男らしく、女は女らしく。男子校や女子校の復活はもっと真剣に考えた方良い。昔は工業高校や商業高校が普通高校がありました。みんなが大学に行く必要はありません。その大学からして今ではただの遊学大学ではありませんか。大学の荒廃と教育の衰退。

かつて女子教育の重要性を訴えられた津田梅子女子。子育ての最前線で頑張るお母さんを正しく導く教えを女子教育が担っていた日本の教育制度。
女子を女子たらしめる教育。男子を男子たらしめる教育。
この教育の根幹が無惨に打ち捨てられたのはいったいどこに問題があったのでしょうか。
男女平等という悪き理想。男女不平等が許されるわけはありません。しかし、男女不平等の反対が男女平等ではありません。そこを履き違えた教育が今の教育の荒廃を生んでいる、と私には思えてなりません。

大工不足の原因は奥の深いものがありますが、まず大工は徹底した個人主義という点にその難しさがあります。大工職を極めるにはまるで求道精神の如く道を極める、そこに極意があっては誰も成り手は集まらない。ではもっと緩い精神で良いのかと問い詰められればこれもまた言葉がありません。
その中間でというほど世の中は甘くない。

しかし、そこに横たわる日本のものづくりの精神は、なるほど今風前の灯と言って言えなくもない。
いや、これはこれは今日のテーマが重すぎました。しかし、もっともっと考えなくては日本の明日は、日本の建築の明日は、住まいづくりの明日はない。

大工不足を嘆いていたら話はあらぬ方向へ。 
ふふふ

comohouse at 09:50│ 思いは遥か 
原始的な建築散る日本