散歩でひぐらし

2026年03月01日

建築会社の力量

thenew10new


何だか究極のテーマに切り込む宮本武蔵の心境でパソコンに向かうのは怖しい。笑
ことほど左様にこれは禁断のテーマと言っても良いような、悪いような、勝手にしやがれ状態ですが、その判断の基準が難しい。

建築をどう捉えるか、という問題が先ずあります。技術としての側面と美の基準としての側面と。技術は分かりやすいけれど美の基準となると曖昧模糊、しかし決してそれは人によりけりという判断に寄りかかってはなりません。人によりけりでは如何様にも逃げが効く。
ではお客様が家を建てたいと思う時、その基準となる良し悪しはなにをもって判断とするのか?ここが問題です。
また、お客様の移ろいやすい基準を基にしてそれは正解だろうか?とも思うのです。
技術は当然深いのですが、技術は職人の個々の力量という側面が大きい。が、それでも個人を超えた建築会社が求める技術の範囲が当然ある。
おかげさまで当社の仕事に携わってくれる職人は皆優秀です。それは優秀な仕事を提示することで成り立ちます。つまり、腕をふるえる仕事がまず必要なのです。それはお客様の思いを建築会社が受け止めてその思いに応える図面を導き出し、さらにその思いを凌駕する建築会社の創造力がこそ職人一人一人の力量をさらに高いところへと導くのです。
職人はみんな命懸けです。命懸けというのは家族を抱え、生活を支えるという意味で命懸けなのです。その命懸けの、それでもよい仕事をしたいという職人魂が職人という個人職を支えている、と思うのです。
簡単な仕事がいい、それでお金になるならそれだけで良い。しかし、と、職人は考えます。このタイルの貼り方で良いのだろうか?この鑿の掛け方で満足だろうか?これで美しいだろうか?これでお客様は喜んでくれるだろうか?
それはとても大事なモチベーションなのです。私たちはその一点に掛けている、と言って過言ではない。その集積が、その相対が、その溢れる思いが仕事に求められる技量の壁といってもよい。その壁を突き崩したいと職人は常に思うのです。

よい仕事への渇望。そこにはお客様の鋭い審美眼も必要とされるでしょう。何でも良いから建てばよい、では職人も建築会社も育ちません。しかし、そこにはまずもって建築会社の不断の努力でもってしてお客様に建築の醍醐味を味わっていただかなければなりません。私たちは「澪つくし」なのです。ほんとうにそう思います。
私どものブログ、「コモハウスの建築の作法、不作法」は一貫してそのことを訴えてきましたが、読んでくださる方が少ない現状では絵に描いた餅、しかしそれでも餅は餅屋。
ではこの餅屋はどれほどの力量があるのでしょうか?


これは難しいけれど、少なくとも目指す頂の高さは遥かに高い。私たちはそれほど意識したことがなかったのですが、ある時、他社の仕事の出来を見て初めて己が会社の力量の高さを思い知らされたことがあります。その会社も自然素材の家づくりが売りの建築会社だったのですが、えっ!こんな納まりでいいの?こんな材料を使って平気なの?それはある意味で衝撃的でありました。

実は、私どもコモハウスが標榜する「住まいはもっと美しくなる」また同時に「旧築提案の家づくり」の二本柱は、それは古材をあしらい、古いものと手を携えての家づくりとは微妙に汚れた、小さな傷があってもそれをあえて残す、その判断はとても難しいのですが、それでもそのことで心温まる家づくりを目指すというとんでもない力技なのです。

建築工事はクレーム産業だそうです。クレームが怖くて無垢材なんか使えない、という会社もあるやと聞きます。私たちは逆に、クレームが怖くて家が建てられるか!と思うのです。美しさは失敗や傷を肥やしにして花開きます。その事をお客様に理解してもらう事は私たちの大事な仕事でもあります。
遥かな冒険の旅路はそこを越えると喜びの歌が聴こえる。




comohouse at 06:46│ 日々これ精進 
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