この時代に家を建てる意味ブログの終焉?

2026年07月15日

真夏の予感

帰ってきたあの夏の日、、、、
もうたくさん、と思うあの夏の日ですが、若さは真夏に全開となるのなら、私たちの夏は不似合いの夏?と言わなくてはならないのは忸怩たるものがありますが。
ま、要するに、もう若くはないという悲しい自覚、かしら。笑

さて、今年になって石油危機からナフサ問題に端を発し、断熱材の値上げと商品の受注停止と大混乱。イラン紛争の勃発は2月の末、ナフサが足りないと騒動勃発がまた間髪入れず、そして値上げと続くとこれは仕組まれた罠ではないかと疑いたくもなるもの。去年の米騒動を彷彿させる品薄の演出が業界にとっても果たして吉と出るのか凶と出るのか?ここに来てお米の大暴落が噂され、

「お主も悪よのう!」

笑えない悲喜劇に振り回される私たち消費者。建築不況はさらに喜劇の様相を濃くにじませてもう誰も信じられない。そもそも、お上が建築に口を挟みすぎるのが大問題なのです。高断熱?高気密?高建築費?のトリプルパンチがいったい誰のためなのか?

住まいの不合理は今に始まったことではありません。階段に手摺をつけろ!付けるなとは申しません。しかしお上が口を挟む問題か?と思うのです。バリアフリーもそうです。日本の住まいは元々段差があるのが自然なのです。先ず玄関からして段差がある。それは靴を脱ぐ習慣から自然に導き出された生活習慣なのです。靴を脱ぐ、だから日本人の生活は類まれな清潔感を保っている。
和室があたりまえだった時代には敷居が30mm、35mm上がって当然でした。
それが責められるべき悪弊でしょうか?日本には日本の生活がある、たとえそれが不合理であったとしても美しい日本の所作というものを疎んじてはいけない。

住まいは危険と紙一重、それもまた必然、人は不合理な社会を受け入れてこそたどり着く世界がある。世界は必ずしも秩序だってはいないけれども私たちは生活の知恵でそれを乗り越えていく。
美しさはあやういほどに危険である。手を切らないように最新の注意をはらいながら私たちは美しいものに憧れ、いずれは手に入れて心の平安を見つけ出すでしょう。

住まいはもっと美しくなる。それは危険なほどあやういバランスシートに載っている。




comohouse at 22:16│ 日々これ精進 
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