2026年08月16日
スカートを履かなくなった女性たちへ
厳しい暑さがつづきます。頭がボーッとして何やら妄想がふつふつと。こんな日には冷たい素麺を食したい。
とここまで書いて半月放置していたら?台風のおかげでお盆休みの夏期休暇、うわあ、涼しい!
いやはやブログは三日寝かすなってかっ!?
ミニスカートの登場からかれこれ六十年だそうです。光陰矢の如し。時代はサーカスの像に乗って。
膝上10センチの衝撃。やがて15センチ、20センチ、二十、、、、いえいえ。ここはどこ?わたしはだ〜れ?
女性が女性らしくある。それは何もスカートを穿いた姿だけではないはずですが、しかし近頃巷でスカートを召す女性がめっきり減りました。ただ居なくなった訳ではありません。ごくわずかにいらっしゃいますがその大半はくるぶしまで覆い隠したロンングロングスカート。なにか理由があるのかしらと探っても詮無いこと。
女性らしくあることの価値が大事にされなくなったから?女性らしさも男性らしさもコインの表と裏。女性らしさに価値を見出すのは男性らしさの価値の復権。
ミニスカートが登場した頃、一方ではパンタロンが登場してスカートとパンツは手を携えて時代を歩いてきたのです。しかし、この時代、女性が女性であることをアッピールすることの方がリスクがあるのかもしれないと思うとこれは問題です。
女性は常日頃から男性にはわからない恐怖を抱えています。男性もまた過酷な世間から踏みつけられ、侮られ、ややもすると男の規律の前で萎縮する場面も往々にしてあります。人生は過酷な生存競争。私だって子ども頃からやられたらやり返す、やられないために虚勢を張る、そうした生存競争を繰り返して今日があるのです。
そして女性もまた、男性に虐げられないように毎日の生活のなかで身構え自分を守るために汲々としているのだとしたら動物の生存とはかくも過酷な様相を呈しているのだと自覚するほかはありません。女性が女性らしくあることがリスクであるとしたら、私たちはなんと寂しくむなしい現実にさらされていることか。
男性にしろ女性にしろ、らしさを発揮することがリスクになる時代。ボーダーが溶けていく時代。曖昧であることが美徳であるとしたらこれは淋しさを抱えて膝をつくしかないではないですか。
私たちは人一倍らしくありたいと念じて住まいを建てています。女性らしい住まいというものがあります。また同時に男性らしい住まいもあるのです。
では人間らしい住まいとは?
そこに私たちの永遠のテーマがあります。女性らしさとは尽きるところ人間らしさなのだとすると私たちは女性に大きな恩恵を感じずにはいられません。
太古の昔、この世には女性があった。男性は女性の傀儡。
女性が女性らしくある。私はそれを称賛したい。
comohouse at 10:16│
│勝手にしやがれ








