建築雑感

2024年04月06日

4月になれば。

サイモンとガーファンクルに April  Come She Will「4月になれば彼女は」があります。
ガーファンクルがひとりで歌い上げる美しい歌です。
明日に架ける橋もガーファンクルがソロで歌いますが、こちらのほうが小品であるだけ更に美しく余韻がたもたれます。
さて、4月になれば彼女はどうするのか?
むろん英詩のなかでその後の足取りが歌われ、ふたりの恋の行方が暗示されるのですが、4月になれば彼女は、と歌われればそれはとてももの悲しく聞こえる。

昨日は寒かったですね。お昼時、昼食の用意もととのった時間に玄関をたたく声。若い女性が「あのう、、、」おはなしを伺ってもよろしいですか?
ショールームですからお断りする謂われもなし。どうぞと招じ入れると彼女、建築の勉強をしているとの由。

最近なぜかこういう方が多い。笑
別に困る訳ではないが、建築会社もにわかに人生相談の説法会社の趣、建築とは家を建てると同時に世相の万端を語り、住まいのひだに分け入り、それらを束ねて方向を示し、構想を語り、構造を築き上げるものなのかもしれません。
話を聞きながら、わたしはわたしで今計画している建築、平屋、土間があり、三和土を拵えるとなるとふさわしい玄関はどうなるのかと悩ましい。

さて、彼女、失恋したんですと、いきなりの告白。そうか?失恋か?
初めて訪ねてきた建築会社で第一声が失恋の告白というのも珍しい。
彼が建築の勉強をしているらしく、自分も建築が好きで勉強してきたけど彼を失って建築も失うのは嫌だと思った、それで川崎の自宅から自転車で海を見たくて三浦の地へひたすら走ってきましたと。

見れば素足でスリッパでペダルを漕いで、そぼ降る雨の中を。
若さはなんて素晴らしいんだ。
それでも建築を忘れずにiPadのなかにおのがスケッチ図を隠し持ってひたすらペダルを漕ぐ。
こうして出来上がる建築の素晴らしさ。
住まいはこうした心の襞の集積、心の壁の巣窟、幸せだけを思い描いて間取りを考えるのではなく、失恋の寂しさを膝を抱えるようにして図面に落とし込むことも大事ではないか。
すでに失恋の痛手を忘れてしまった当方にはたして美しい建築が作れるのか?
ハッピーエンドの幸せな家族の自画像だけが家造りではあるまい。


そうだ、玄関には引違いがふさわしいとしても、古い蔵の引き戸を据えたい。
その古い壊れかかった重い引き戸を滑らせるとき、わたしたちは幸福だけでなく、その古い蔵のなかで聞いた女たちの嘆きの声に耳を澄ますことも大事ではないか。
扉をあければ光は差すだろうか?
光は一条だろうか?
その光の影はなにを写すだろうか?

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2023年12月03日

耐えがたき家

貧しき夕餉は家族の愛情で凌げます。
わたしたちはそうやって家族の愛情を確かめ合いながらさまざまな家族の問題 に立ち向かっていきました。貧しきことは良きことかな。
そんなわたしたちの暮らしの質がごとりと音をたててひっくり返ったのはやはりバブルの狂乱とその後の永い閉塞感がわたしたちを締め上げてきたと言って過言ではないでしょう。
バブルで浮かれた女たちがジュリアナ東京でこれ見よがしのボディコンがはち切れるように札束と一緒に舞っていたあの時代。しぼんでしまった夢と理想。うら淋しい現実とその後の永い低迷。
例えそれが小泉さんと竹中平蔵がこの国を奈落に突き落としたのだとしても。

人生は永いようで短い。短いようで永い。どちらも正解だとしても、わたしたちは本質を知るには余りにも短絡的に過ぎる。すでに学校で習う歴史が嘘にまみれている。
例えば豊臣秀吉。バテレン追放が彼らの人身売買にあったなどとはどの教科書にも書かれていない。日本人を騙して海外で売り飛ばしていた。これは紛れもない事実。つまりは真実は教科書には載らない。キリスト教の神父が世界各国で地獄の使者のように先遣隊として乗り込み、後につづく軍隊が皆殺しにしていく。こうしてアメリカ大陸は殺戮の地獄の様相を呈したなどとは歴史の教科書はけっして教えてはくれない。

歴史の教科書は嘘で塗り固められている。

アメリカでなくした夢、アメリカで見つけた夢。アメリカは罪深い。
子どもの頃、世界はもっとクリアで慎み深く、夢は破れてもあたたかく癒やしてくれた。さて、この時代。わたしたちは蚕のようなあたたかい住まいを手に入れることができるのだろうか?
それはどのような住宅なのだろうか?





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2023年07月23日

住まいは世につれ、、、外装もまた、

しかし、世は外壁にはつれない。笑

わたしが建築に携わり始めた頃、外壁といえば「モルタル下地スタッコ吹きっぱなし」か「こて抑え」または「リシン吹き付け」たまには「タイル張り」なんていう家もありました。

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それが何時からか外壁といえば「サイディング張り」。猫も杓子も「サイディング」サイディング。
サイディングだけは好きになれなかった。サイディングの外装もアメリカから来たのでしょう。アメリカの場合は横貼りのデザインが多く、かてて加えてそのデザインには窓のケーシングや破風の化粧板やら玄関ドアとドア周りの化粧枠などがセットになって彼らなりの伝統の美意識の延長にあったのですが、日本ではただその表づらだけをいただいてこの一枚だけで外壁なら楽チン楽ちん、オマケに手間要らずで安上り、こんな良いことはない。
しかもご時世はバブルの建築ブームの真っ盛り。
この不幸な建築様式が日本中を覆い尽くしてわたしたちはこの景観を一掃するのに百年はかかる。
 
それでも唯一手掛けたのは「ラップサイディング」。大甘に見てラップサイディングなら、ま、許せる?^_^
それからいく歳月が流れました。珪藻土、漆喰、そしてスペイン漆喰「パヴィスタンプ」へ。
ウェスタン・レッドシダー、国産の杉板貼り。
そこからはあまり変化もなく、乙女の姿しばし留めん。

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元々スペインが大好きで、フラメンコにハマってオレー!
スペイン風の家を建てたいとは思わないけれど、スペインの光と影ならぬ、人生の光と影をどう建物に投影するか?
と、そんなことばかり考えているのです。

人生は出会い。サヨナラだけが人生さ。
素材もまた人しれぬ出会いと、そこで触れ合う感性がわたしたちの住まいづくりを左右する。
今回はこの外壁に貼った岐阜(飛騨)の名も無い縦張りの杉板がすべてを決定づけたと言って言えなくもありません。

良い素材との巡り合い。ありがたい。
先日、送ってくれた岐阜の山元の材木問屋さんがひょっこり訪ねてきました。
「これはいい杉材だねえ。どこの杉?」と聞くと、
「いえもう、厚みと巾で挽ける材を探してきただけですが、でもこれ、ホント、良いですね。同じものを持ってこい言われても出せないですね」
「そうか、氏より育ちだね」

さて、その杉板にリボスのタヤ・エクステリアでお客様がコツコツと塗装を施しました。
漆喰は毎度おなじみのパヴィスタンプ「ローブル」色。玄関庇は同じく「グラファイト」色。
軒先の鼻隠しは杉の厚板にウッドロングエコで仕上げ。
玄関ドアは未だ仮ドアで「ベニヤ仕上げ?」にダークレッド塗装です。アッチャ!

玄関のドア枠もこれから現場塗装になります、乞うご期待!
玄関ドアは足場を外してから取り付けますが、こちらもオスモで現場塗装。
やれやれでんな!





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2023年06月30日

夏の家、冬の家

春すぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

「もうすぐ夏」
例年の梅雨明けは七月のいつ頃でしたか?七夕の頃は梅雨明けかしら?
しかし、雨は降っても日本のあの独特の蒸し暑いジメジメした、不快の極みのような梅雨はもうなくなりましたね。
いつごろからこんなに爽やかな?梅雨がやってくるようになったのでしょうか。つらつら思うに、田中角栄さんの日本列島改造論がその大きな節目であったのではなかろうか。もちろん角さんがブルトーザーのように日本列島を隅々まで耕して地形を作り替えたわけではありません。
ではありませんが、日本が大きく変わる転換点のその象徴が角さんだったのかもしれない。 
それまではあちこちにあった沼や沢や切岸や、昼なを暗い暗渠のような地形が姿を消して、光に姿を晒し、蛭やウジや藪蚊が私たちを悩ますことが無くなってきた。こうした未開の環境が確実に日本のあの圧倒的な不快の季節、梅雨の正体だったのかもしれない。
あの不快さも今や懐かしい過去の思い出。 

家づくりも隔世の感があります。
寂しいのは、住まいの質が構造に追いつかない。住まいの質、とは何だろう?
家づくりは自分探しの旅。そう、ふしぎ発見、というわけです。
建築費も高くなりましたがこの三十年間上がらなかったのが諸悪の根源?建築費も上がらなければ給料も上がらない。 
変わらないのは家づくりにかける情熱。住まいは深い想像力の彼方、考えて考えて、乾坤一擲、結局は人間力。己を鍛え、思考を鍛錬し、叩いて叩いて住まいの核を抉り出す。

そんな難しさもお客様には分からない。いや、分かってくれるかもしれない。きっとわかってくれる筈。
パズルのように組立てていくその先に、住まいの骨格が顕になる。

もうすぐそこに美しい住まいはある。
住まいはもっと美しくなる。


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2023年06月01日

住まいはもっと美しくなる

かっては「旧築提案」をキャッチフレーズに展開したコモハウスですが、旧いものと新しいものの融合がわたしたちの家づくりの大きなテーマでした。
とはいえ一歩間違えて、この提案が独りよがりになりがちで、充分に意図が伝わらない懸念もあるにはあったりして。笑😆

古材を使い、新しい素材さえも古びて表現するのが大好きなわたしたちはそのことをお客さまにご理解いただくのがこの「旧築提案」の究極のテーマであり、住まいづくりのおおきな課題でもあるわけです。

わたしたちの家づくりはこの二十年間少しも変わらない。恥ずかしいくらいに変わらない。しかし、時代は少しづつ変わってきた。エイジングなどが大手を振って外を歩く。わたしたちにはあたりまえの表現だったエイジングが今ではどのお店でも取り入れられて「古びたもどき」があそこにもここにもそれらしくあってちょっとこちらが恥ずかしくなるのです。
とはいえ「旧築提案」は本来住まいづくりの方法論に過ぎません。「新築提案」はどこの建築会社でもあたりまえの話し。
わたしたちは古(いにしえ)の建築にこそ敬意をはらい、住まいが新築では決っして到達し得ない地平線を目指して旅立つことの深い意味をもういちどおさらいしたい、と考えたのです。

だから、あえて、「住まいはもっと美しくなる」と大上段にふりかぶりたくなるというわけなのです。
さて、住まいはほんとうに美しくなるのでしょうか?
住まいはほんとうに、「もっと」美しくなるのでしょうか?

😁

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2023年04月24日

ゆく川の流れは、、、もう一度、何どでも

なんだか遠くまで歩いてきたような。
歳を取ると誰しも思うもの。霞がかかった古(いにしえ)の時代はとってもきれい。思わずため息が出るほどに美しい。そんな時代は幸せだったと言えるほど世のなかは甘くない。甘くはないけれど、しかし立ち止まることは許されない。

仕事をしていると川の流れに身を任せて、時には流れに逆らって、時には深く静かに潜航して、そうして自分を思い切り大きく表現しなければ成功はおぼつかない。成功の定義は何なのかは問わない。目指す建築の頂は高い。そんな高さを仰ぎ見て、時には帰りたくなるものですが、だが帰らない。
お客様商売ですから自分の好き勝手にはできないけれど、建築にはスタートからゴールまでの目に見えない遥かな道があります。その道は、わたしには朧気にわかっている。そこに導かれて歩いているのだとわたしには分かっている。しかし、お客さんには分からない。
この永遠のアンビバレンツ。

お客様のご要望をお聞きして、さて、その希望をどう切り刻み、換骨奪胎し、新しい地平を構築するか?お客様の要望はたいていは枝葉末節。そう言い切ると申し訳ないけど、大切なことは他にある。その大切なことを探す旅にわたしたちは遥かな旅に出るのです。
しかし、それはお客様には分からない。いつの間にか拐われて、新しい地平をお見せするにはお客様はまだ用意ができていない。 

しかし、いつか必ず分かってくれると信じて家を建てる。孤独の闘いに勝算はある。あると信じるだけのわたしの執念。 

 


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2023年03月27日

危険がいっぱい(愛もいっぱい)

わたしたちのまわりには落とし穴がいっぱいある。
知らずに歩きまわると人生の落とし穴にはまる。
さて、無論建築にも気をつけなければならない要諦がある。地盤にはじまり、屋根、外壁、人生の蹉跌は外周りからやって来る。抜き足、差し足、忍び足。かけたと思うと掛けられる。外掛け、河津がけ、命がけ 。

 地盤沈下が心配のあまり、かけなくても良い保険をかけて地盤調査で要注意判定。3年前、立て続けに4棟の新築で地盤に問題ありの判定をうけ、さすがに4件目でちょっと待った!
SS試験の結果に異議あり。ま、しかし、それも勇気のいる判断です。ですが、そのSS調査の会社が地盤改良工事までお任せとなると、はて、面妖な?

皆さん悪気はないのです。心配だといえばすべて心配です。安心に二股は不要と思うのもお客様から言わせれば心配のタネ。そこでわたしたちはプロとして大事な選択を迫られます。

予算。
潤沢な予算があるわけではありません。その中で地盤改良に掛ける予算の辛いこと。そういうときは思い切ってもう一社地盤調査をかけてみる。数万円の経費をかけても百万円の地盤改良よりは安くつくかもしれない。これは決して博打ではありません。医療にセカンドオピニオンがあるように、地盤調査にもセカンドテストがあっても良い。

さてコモハウスは永く独自の積算基準で建築費を見積もってきたのですが、同業他社はいったいいくらくらいで請け負っているんだろうと頭の中にハナマルがクルクルクル、で、便利なことに今はYou Tubeでそんな特集が組まれている。どれどれ?

うん。ハウスメーカの坪単価ベスト10。
ここでは詳細はもちろん省きますが、一番高いハウスメーカーは坪110万円。10位まで下ると85万円。そうか。もちろん中身までは伺うことはできません。昨今のウッドショックを乗り越えて様々な建築資材が値上がりする中では110万円も詮無いこと。
ただし、あくまで中身ですからその中身をどう考えるかで家造りの肝心要は様子が違ってくる。
そういえば以前大手ハウスメーカーと並んで隣同士で建築工事を進めていたとき、ふと玄関先を見るとお隣の、みなさんもよく知る某ハウスメーカーの大工がふたり、興味ありげに覗き込んでいるではありませんか。

「どうしたの?」
「あっ、いえ、あのう、すごいですね。こんな仕事、とてもできない。」
「よかったら、なか入って見ていく?」

職人ですから歓心が高いのでしょう。たしかにコモハウスの家づくりは困難な納まりが多いとわたしも常々自覚しています。できそうでできない、できないけどできる。そう、大事なことはチャレンジなのです。


しかし、つくづく思うのは、住まいづくりは想像力だということです。想像力が及ばない住まいづくりほど貧しいものはない。貧困な想像力で満足してはいけない。それはとっても窮屈な建築。
美しい住まいは坪単価で決まるのだろうか?
「材料に貴賎なし」とはフランク・ロイド・ライトの言葉。
そうか、材料に貴賎はないのか!

馬鹿と鋏は使いよう、材料と仕上げは頭で使う。
大工の腕を信頼して、想像力を羽ばたかせ、建築よ、今君は美しい。な〜んてね?笑

そんなコモハウスの建築現場をご覧になりたい方はいつでも見学オーケーです。

叡智を傾けた建築の粋をご覧あれ。

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2023年02月20日

ほんとうに、春一番

さて、この激動の時代。呑気に建築についてなんぞ語れない。
この圧倒的な現実は想像力を超えている。いやあ、ほんとうに、呑気に建築なんぞと語ってる場合か?
わたしはパンデミックは悪い冗談だと思っているが、しかしそれでもこのコロナの本質はなんだろうか?ワクチンはわたしたちを幸せにしただろうか?それとも不幸にしたのだろうか?
 
住まいは素晴らしい。住まいづくりはもっと素晴らしい。住まいについて考えることの幸福と、不幸と。
もちろん住まいについて考える喜びはなににも変えられない至福の時間。
だが、しかし、それにしても住まいづくりの幸福について考えるとき、わたしたちは何を捨て、何を拾い上げ、何を見つめ、何をそこに投影すべきなのだろうか?
この時代のパンデミックを抜きに建築は成り立つだろうか?そうした時代背景、というよりも時代のなかに無理矢理傲慢に入りこんできた不幸の傘がけ。
もうはや素直には住まいを考えることすらできない。
人と人のあいだに滑り込んできた異質な手触り。
コミュニケーションの断絶。

しかし、その一方で建築について考え、語り合うことはなんて幸せなんだろう。 こんな時代だからこそ考えるべき建築がある。そう信じたいけれど、嗚呼、そうとばかりは言えない幸福を奇数でかけて。
様々な疑心暗鬼がここに来てその姿を顕にするのもコロナとワクチンのおかげかもしれない。
常識が覆り、非常識が大手を振ってわがもの顔で練り歩く。
コロナに限ったことではありませんが、西洋医学は信じないほうが良い。検査をするから病気になる。抗癌剤治療はペテン。医者にして、すでに製薬会社から騙されている、かもしれない?

しかもそれは、今に始まったことではなかったのだと知らされるこの不幸。
それはなんだろうか?
身近な例をひとつ。例えば。

お昼はなにを食べようか、と考えるこの一瞬がたまらない。
しかし、去年目の手術をしてからこっち食べ物全般に目を凝らし、(目の手術をしたから?)安全な食べ物に深く思いをいたすようになったのもパンデミックの大嘘がひとつのキッカケかもしれない。
そう。例えば。コンビニ弁当は食べない。ごめんねコンビニさん。スーパーの弁当も化学調味料や添加物をチェック。もちろんひとつには、ワクチンもあります。これまで疑いもしなかった常識が実は深い闇に侵されているかもしれないと疑い始めたという訳です。

今日はスーパーで天丼を買ってきました。天丼ならエビとご飯だけだから変なものは入ってないだろうと考えた浅知恵なのです。
ところが。

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いやあ、ずらりと並んだ添加物の数々。天丼なんて単純な食べ物だろうと思うこちらの浅はかさを笑うように居並ぶ化学調味料の数々。わたしたちはこんな物を食べさせられている。


 


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2022年11月20日

住まいと健康

健康住宅

ひところ、この「健康住宅」という言葉が喧伝された頃がありました。
「健康住宅って何?」

しかし、その頃、わたしは健康には無頓着、暴飲暴食(笑。いえいえそこまで酷かったわけではありませんが。)
夜食、おやつと無節制。そうですね、確実に今より7,8キロ体重が重く、ある日、写真に写ったおのが姿を見てこれはイカン!
冷や汗モノで、久しぶりにあった職人から「三井さん、太りましたね。」と。
ま、多少太った方が健康そうに見えていい。たしかに。

しかし、体型の見た目の問題は別にしても、こと健康の観点から眺めると体型はスッキリ有りたいもの。平成の大横綱、貴乃花が引退後ダイエットに励んだのか体型がスッキリ、ええっと思うくらいに痩せて大丈夫かと思いましたがダイジョウブなんでしょうね。
先日、目の手術で一週間ほど入院したのですが、色々と考えさせられるものがありました。
何を考えたかというと、それは食事でした。入院食はそれはそれは、おい、しく、なかった。(泣)
その美味しくない食事、量の少ない食事をいかに美味しく食べるか?そうだ、噛んで噛んで、普段の十倍くらい、いえそれ以上に噛んで噛んで食事をすると、なにか違って来るかもしれない、なんて、しかも胃の負担、腸への負担だって一石二鳥、そんなことを知らずに考えさせられたというわけです。

このことがきっかけで、人生コトリと音を立てて一回転。
食事も十回噛むと疲れますが、二十回噛むとあれ?それを二日三日と続けると何だか腸がスッキリ、お腹も空かない、まさに、that's alright .
不味い食事、少ない品数、少ない量。噛めば噛むほど「良いじゃないか!」

それからは暇に任せて病院のベッドの上で食事の見直しをネットでサーフィン、いかに食生活が間違っていたか、これでもかこれでもかと勉強して分かったこと。食生活を見直すことが医者要らずの究極の王道であること。薬?ワッハッハ!薬を飲むくらいなら断食した方がよっぽど良い。

薬漬け。

実は紹介されて最初にこの病院に来て診察された時、先生が、荷物はそこに置いてください。あっ、無いんですか?
はい、何にも。
先生は一瞬怪訝な顔。お薬は何か?
いえ、なにも。
先生は薬を持っているだろうと思って親切に荷物はそこに、と気遣ってくれていたのです。

ああそうか、待合室で待っていた時、年配の男性が皆んなポシェットみたいなバッグを持っているので今時これが流行りかな?なんて思っていたのが、そうか、あれは薬を持ち歩いてるんだ、と初めて合点がいったのです。思えば私、大きな病気もないけれど、薬は飲まなかった。ワクチンも打たなかった。インフルエンザ・ワクチンもいちども打ったことがない。コロナ・ワクチン?ワッハッハ!

製薬会社は病気を治すために薬を開発しているのか、はたまた病人をつくるために薬を製造しているのか、分からない。そんな製薬会社の果てしない闇は置いといたとしても、人の体は薬では治らない。 早くそのことに気がついた方がいい。
西洋医学は薬漬け。
残念なことに、お医者さんは製薬会社のパペット。膨大なデータを示されてこの症状にはこの薬ですと洗脳されているのはまずお医者さんから。薬はすべからく薬害です。そのことを肝に銘じれば、大事なことは食事。そう、食事。
加工食品は摂らない。お米は玄米。十六穀米。牛乳は飲まない。豆乳を飲む。 間食はしない。ホンモノの食事。偽物は食べない。

健康住宅は先ずは食事から。先ずは食材から。ん?
違うかしら?
それって、家づくりの要諦?

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2022年06月14日

時代は変わる。ホントにかわる?

三、四日前になりますが、日経新聞におどった「Dハウス、住宅展示場を3割削減 デジタル営業に移行」。
Dハウスは全国に197ヶ所の住宅展示場があるそうですがその来場者数はコロナ前の19年に比べて50%減、来場をきっかけに成約した割合も従来は5割あったものが3割へと低下。人口減少で国内の注文住宅市場は20年で25%縮小しました。もう住宅展示場では家を建てない。

それは何かというと、家を建てると言う営業が、戦後七十数年間の移り変わりのなかで遂に住宅展示場営業の時代が終わった、という感慨が重く感じられる、と、そういう事実なのです。 

戦後長く、親戚や知人からの紹介で家を建てるという行動形式からお金を積み立て、頭金相当の預金を元手にローンを組むという相互保険形式の家造りから、銀行の住宅ローンの拡充に伴って、ついには複数の建築会社のモデルハウスを集めて集客し、ま、デパートの釣り着に袖を通して背広を買う感覚で家を建てる。 そういう時代が幕を開け、70年代からバブルを挟んで今日まで人は住まいを見つける前に展示場を見つけるという悪しき慣習にどっぷりと浸かって今日までやってきたわけです。
家を建てるという動機は少しづつ変わってきます。
家を持てれば満足から、持つ家に好みを求める時代へ。そして好みのうるささから事は住まいの本質へ進みます。本質を突き詰めればそこにはそれぞれの哲学がある。そのためにはほんの少しの背伸びが必要です。
深夜、一人椅子に腰掛けて、オレは(私は)どんな家に住みたいのだろう?ほんとうはどんな暮らしを望んでいるのだろう?それにはいったい何が必要なのか?いや、それ以上に何が不要なのか?
欠けているのは何だろう?過剰なものはなんなのだろうか?
心の満足とモノに囲まれる満足と。

住まいは衣食住を丸抱えにしてなを不足するものなのです。そして、そこにこそ安らぎがある。
その安らぎを求めて家を建てたいと思うかどうか?
家を使い捨てにすると、家から捨てられる。

家を建てる前に百か条のQ&A。

どんな外観?
どんな玄関ドア?
どんな屋根?どんな窓?どんな玄関ポーチのタイル?どんなフローリング?
下駄箱はいる?靴は何足?部屋数は?その広さは?

こうして百の疑問を並べ立てると、50個を過ぎたあたりからだんだんと本質的な問題が顔を出し始めます。
80個を過ぎるとそれは自分への疑問へと変化して、家とは何だろう?なんのために家を建てるのかの答えが見つかるかも知れない。
それで何かが変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。
変わるものがあれば幸いかな。変わらないものを大事にしたい。

住まいは結局自分自身なのだから。

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2022年05月23日

住まいづくりの楽しさ

いくつになっても住まいは希望。少しずつでも住まいに手を入れ、花瓶に花を活けるように小さな変化を楽しむことは大事なことです。
人間はだれも好みが変わります。変わらないものを追い求めるよりも、変わる自分を楽しむことが肝要です。
いくつになっても楽しめる住まい。それはやはり、つまるところ「素材」 と「調理」。ここに尽きます。
素材は高価である必要はありません。フランク・フロイド・ライトが言うように、材料に貴賤なし。
そう、まさに。 ものごとは眺める方向で善悪でさえ変わってしまう。美しさを引きだすのはわたしたちの仕事。美しい佇まいを追いかけることがとても大事なのです。
追いかける過程でこころに変化が芽生えます。
その変化を捉えること。
そう言えば、当社の家づくりでは改まった完了検査 と言うものがありません。もちろん厳密に無い、というわけではありません。住まいづくりを重箱の隅をつついて確認することほど惨めなことはありません。
当社の建築は現場での製作が圧倒的に多いので、大工仕事がハウスメーカーに較べて二か月は余分にかかります。いえいえ、わたしたちに言わせれば、ハウスメーカーがあっという間に終わるからコモハウスの建築は時間がかかるように思えるのですが、 大きなプラモデルとはわけが違います。
手間を掛ける。間をはかり、手を加え、そうして辿り着く世界がある。
大工仕事とはそういう仕事なのです。
先日も大工と話していたらいいことを言いました。
「今はみんな大工屋さんなんだよね。大工じゃないんだよ」

その手間を掛ける過程を共有するお施主様が、完了検査で重箱の隅をつつくはずかない。
つまり、工事の過程を共有することで知らず識らずに完了検査に立ち会っている、ということなのだと思うのです。
ひとつひとつの仕上がりに手間をかけたら、わたしたちにはもう確信がある。

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コモハウス・サイトへ



 

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2022年04月29日

楽しさも、中くらいかな オラが春

今年の春は寒の戻りがしっかりもので、寒い、しかもネコの目のようにお天気が変わりやすく、明日は晴れかな?そんな予報もしばらくすると雨マーク?明日こそは晴れそうだ、と安心していると夕方には雨マーク?
ふざけんな!笑
いやあ、この調子では予定が立たない。
その日の予報ならオラだってアタライ。な〜んて憎まれ口もたまには言ってみたいもの。
さて、そこでGWです。お天気予報は当たりますことやら?

ウッドショックのせいで材料が揃わないというこの究極の選択肢のなか、コモハウスはおかげさまで永いあいだ国産材を使い続けた実績で?外材が手に入りにくい状況下でもどうやらしのげる体制が整っていて、ウッドショックもどこ吹く風。(って、言いたいところですがもちろん影響は皆無ではありません)なんとか外圧をくぐり抜けて仕事に精を出しています。

しかし、確実に時代は不安定の中での安定をどう図るかというタイトロープの時代にはいってきました。
そんな時代に家を建てるということの意味をもういちど考えてみたいと思います。

必要なものは何なのか?ほんとうに必要な住まいの骨格とは何なのか?

時代に流されず、自分たちの寄って立つ価値観をもういちど見つめ直し、心の拠り所となる住まいづくりを目指す。
わたしたちもさらに住まいづくりの奥義をもとめてさらなる研鑽を積むことになります。

GW にもういちど。住まいづくりは読書から。

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2022年04月17日

家づくりの季節

暖かくなった今日この頃。
この二、三日、寒の戻りて冷え込みが厳しかったですね。そうこういう間に待ちに待ったGW。時の経つのは早いもの。 一年の中で、やはり此処が肝かもしれません。日本人はGWを基準にして生きている。笑

ウグイスの鳴き声を聞かぬ日はなく、ついでに台湾リスまで喧(かまびす)しい。
そんな日中にあの空をかけぬける疾風のような鳥。右に左に一直線。ああ、あの鳥は、そう、ツバメ。
帰ってきた渡り鳥。
あちこちの軒先に飛んできてはまた戻り、戻ってはまた飛んで来る。面白いですね。 彼らがGWの時期に長い旅から戻ってくるのはなにか意味でもあるのでしょうか?(もちろんありませんよね、ふふ、、)

不屈の精神で巣作りする彼らを見倣って、私たち人間様もこの時期、なぜか、家づくりに励むのですから世の中は面白い。
一年間で住宅展示場を訪れる人の数、成約者の絶対多数がこの時期に集中しているのは統計的に事実です。広い展示場のなかをあっちのA工務店からこっちのBハウスへ。はたまた大向こうのCホームか老舗のD建設か?しかし、私たち町場の工務店からすると、今でも住宅展示場に足を運ぶ人がいるという現実がなんだか不思議でならないのです。それは手垢のついた行動様式と言ってもいい。(ごめんなさ〜い)

住まいの質はなんで確かめるのでしょうか?(えっ?住宅展示場で、、、?)
その質とは何でしょうか?
構造?金額?見た目の良さ?

では、ツバメの巣づくりの最大のポイントは何でしょうか?
快適さ?広さ?断熱性?
いいえ。それは安全なのです。そこで、昨今の住宅メーカーの最大の売りは「安全性」です。
ツバメは私たちに様々な知恵を与えてくれます。

しかし、と、コモハウスは考えるのです。
あなたにとっていちばん大切なものはなんですか?
わたしたちはそれをこそご一緒に考えたいと思います。
住まいづくりは自分探しの旅。エンドレスストーリーの旅の始まり。
そこにコモハウスは居つづけたい、と思います。

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2022年03月29日

バラガン邸

初めてルイス・バラガンの自邸を見たのはテレビのなにかの特集でした。
テレヴィという存在も充分に衝撃的でしたが、バラガン邸の虚飾を排したその住まいのあり方がまさに衝撃的でしたね。
不思議な赤い壁、いえ、赤というよりもピンクに近い、赤とは呼べない赤。

そんな色を壁に使うその悪趣味が信じられなかったのですが、その紅色がまた摩訶不思議で、永遠に心に残る色彩というものがあるということに胸を打たれました。
思えば色で遊ぶということを教えられたのはバルガン邸が最初でした。色彩を建物に溶け込まさせる建築の奥深い企み。

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色彩は、ただ色を配置すればよいのではなく、その色が与える効果、色が多色と交わることで醸し出される効果。赤は赤ではなく、黒は黒ではなく、その色彩が他の色彩によって変化することを知ることがいちばん難しい。
バラガン邸はそうした色彩の持つ魔術をわたしに教えてくれました。

いつも、いかなる時も、住まいの色彩を考えるときは楽しい至福の時間ですが、難しいのはそのことを施主さんに伝えられないもどかしさでもあります。
「色はどうしましょうか?」
もうすでにその質問が間違っている。
「色はお任せください」
その姿勢の傲慢さがすでに間違っている。
「ご一緒に色彩について考えましょう」

さて、そこからの長い時間をわたしたちはどう過ごせばよいのか?
色彩の難しさはそれが人生の反映だからでもあります。家を建てたいというお客様と人生について語り合うのは大きなお世話かもしれない。

しかし、家はすでに色彩を持ち始めている。真っ白い設計図に一本の線を引いたその時から家は色彩を帯び始めている。
建物のテーマが絞り込まれ、一階と二階の関係性が見え始めた時、使う木材をして指定し始めた時、そこには目に見えない色彩が溢れ始めている。設備機器やドアやフロアーを決めている時、すでに色彩は住まいを覆い始めている。
しかし、それでもなをコモハウスの住まいは材料を塗装していくところから新しい段階に突入していく。それはさいごの二割。
人生はさいごの二割で決定づけられる。
それはまるで私たちのように。

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2022年02月06日

突然の吹雪(階段についての増補)

今朝は穏やかなお天気。風もなく、家内は早速和服に着替えてその辺りをお散歩。
このところ和服がたいそうお気に入りで、YouTubeで着付けを独学で学び、せっせと一人着付けして悦に入っています。
確かに上手になりました。そして何より早くなり、様になってきましたね。
そんなのどかな日曜日、午後の昼下がり、なにを思ったか突然の吹雪にうわー、うっそ!
これはすごい、すごいことになってきました。
(この写真でわかるかしら?)

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さて、そこで(笑)最近なにを思ったか、たてつづけに階段に関する本を読む機会があり、ああそうか、と目からウロコ。
こちとらがまったく気がつかないことがあるもんですね。
なかでもアッと思ったのが、日本には階段と言う考えかたが長く不在であった。つまり、階段はひとつの機能であって、そこに積極的な意味を見出すことがなかった。階段が権力の象徴でもなく、下から上へ、上から下へ、それはただの機能にすぎない。
なるほど。日本人は階段を梯子の延長として捉え、それ以上に積極的な意味を求めなかった。

そういえば、もうずいぶん昔ですが、姫路のあの白鷺城を見学した折、その桁や梁の大きく太いのにびっくりしたのですが、なぜか階段は貧弱で、やっと一人が上れる幅で、しかも急傾斜、確かにハシゴと見紛うばかりで何故なんだ?不思議だなあ、と思った覚えがあります。階段はあくまで高い所に上る手段でしかなかった。
これは驚きでしたが、なるほど。
そこには日本人の控え目な奥ゆかしさが影を落としているのかもしれない。

映画でも、階段が重要な舞台となることがない。芝居でも階段が印象的な大道具として登場したことがあまりない。
そういえば、「蒲田行進曲」で銀ちゃんの 階段落ちがありましたが、それくらい?
「風と共に去りぬ」でスカーレットが階段から落っこちるシーン。「ロミオとジュリエット」でラスト、領主が広場の階段で無理解な両家の大人たちを叱りつけるシーン。
「オール・アー・パニッシュト、オールアーパニッシュト!」 

いやいや、映画って、ほんっとにいいですね。 😁

なんだか話があっちいったりこっちいったり。明治時代の洋館建築までまたなければ階段は無用の長物だった?さて、階段。

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2022年01月24日

悲しみよこんにちは

今年の冬はきびしい寒さですね。久方ぶりのあの冬が帰ってきた。

「帰ってきた用心棒」「帰ってきたヨッパライ」「帰ってきた黄金バット」

待ち望んでいた冬。冬はやっぱり厳しいくらいがいい。ま、適度に、ではありますが。
気候温暖化が叫ばれたのは二千年代に入ってからでした。
地球は温暖化している?とばかり思っていましたが、いや、実は、温暖化はしていない?

それぞれにビジネスが絡んで世界は嘘で塗り固められている?ほんと?(笑)

しかし、寒い。この寒さよ😄こんにちは。

などと言ってられないのは、深刻なのは、日本の住宅の断熱性能の欠如なのです。
日本の住宅の一枚ガラスのアルミサッシではほぼ無断熱といって間違いではありません。
夏場、住まいに外部から侵入する熱の70%が窓からです。冬場、住まいから逃げていく熱の50%が窓からなのです。ガラスだけでなく、アルミの熱の伝導率の高さも問題です。しかもその上で玄関ドアもアルミです。
わたしたちは何も考えてこなかったのだろうか?笑い事ではなく、ことは深刻です。

さて、それでは建て替えで快適さを手に入れられる人は救いですが、建て替えもままならない人にとってはそれは重大です。緊結の課題です。そこでわたしたちに出来ること。

もっとも簡単な断熱化住宅のハウツーです。
先ずは窓から。いくら住まいを暖房してもその熱の50%は窓から逃げていきます。そこで大切なこと、それは カーテンです。それはもちろん2枚のカーテンなのです。
このカーテンで貧弱な窓を覆って熱の逃亡を防ぐのです。

みなさんのお住まいは、先ずレースのカーテンが一枚あり、つぎに厚手の生地の布が一枚。
このレースのカーテンを少し厚めの白いカーテンにする。これなら夏場もレースの代わりくらい果たしてくれます。 レースの生地では冬場は無きに等しいですから。
そして大事なことは床を這うくらい長くして、できれば窓の上も10cnくらい上から吊り下げる。大事なことは窓をスッポリ覆うことです。2枚目の厚手のカーテンも然り。
これを家中のすべての窓に施します。
普通の家は窓の数はだいたい18個くらいです。一箇所1万円で約20万円。気をつけたいのは腰窓も床まで垂らすことです。

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あとは玄関ドアです。玄関ドアの四周🚪をグルリとモケットの隙間ふさぎテープを張り巡らす。

これだけで室内の最低気温は 5℃か、いやそれ以上あがります。
その他には換気扇も大事です。お風呂場やトイレに換気扇があればどこか一箇所でもドアを開けて一日中回しましょう。

さて、如何でしょうか?
悲しみよさようなら。快適さよこんにちは。

あとは思い切って給気孔も塞ぎましょう。ホームセンターに行けばスプレー式の断熱材が売っています。ぜーんぶ塞いだって大丈夫。そんな寒い家なら黙ってたって隙間風は入ってきます。
換気は自然換気が作動しているというわけ。

さて、それにしても先ずは実行あるのみ。快適になること、請負います。
 
ホント❓ 笑

コモハウス・サイトへ




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2021年12月12日

外構工事が完成です。

懸案だった住まいの外回り。
ちょっとご報告が遅くなりましたが。

色々と考えるところもあり、予算とにらめっこして思いっきりシンプルに拵えました。

外構屋さんが素晴らしかったですね。
お客様に寄り添って、丁寧に、むずかしいことをやるのではなく、やさしいことをきちんとこなす。

画竜点睛。

その事がわかっているのでしょうね。こういう仕事が好きです。
私たちの仕事をさり気なくサポートしてくれる。
以前からお客様のお知り合いの外構屋さんだったので、そのお客様のお人柄が引き寄せたご縁だったのでしょう。
ありがたい。

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玄関ポーチのすぐ脇の寄植えのスペースが可愛らしいですね。

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散歩道が玄関へと誘います。駐車スペースとの兼ね合いで微妙にゆれています。

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この一本の低木が建物としっかり向かい合います。そこがいい。

砂利敷きの駐車スペースですが、最初はおがくずで作る案をお出ししたのですが、さすがちょっと引かれたのも理解できます。でも、砂利も素敵です。

にんにん。でした。
外構屋さん、ありがとうございました。






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2021年06月30日

ランバーは何処へ

花はどこへ行った

懐かしいフォークソングの名曲です。
Where have all the flowers gone?

フォークギターを小脇に抱えて、「ウェハヴォーザフラワーゴン」男も女も「ウェハヴォー〜」
それで盛り上がった時代は遠くに追いやられてしまいましたが、建築会社をやっていますと、今は切実に、
「ランバーはどこへ行った」
しかし、とてもギターを抱えて歌を歌う気にはなれない。(涙)

それほど深刻な事態がやってきました。
材木が倍々ゲームなんて、しかも金属だって上がっている。釘が三割アップだって?
ウッドショックも最初の頃はアメリカのコロナ後の景気刺激策で住宅重要が旺盛な回復をみせているのでヨーロッパの材木がみんなアメリカに流れて日本にやってこない、なんて真顔の説明でしたが、最近の話ではアメリカのランバー価格だって二倍に跳ね上がっているとか。日本と変わらない状況は、在庫の問題ではないということです。

食料問題も切実な様相を見せはじめていますね。欧州ではスーパーに食材がない、それも生産者の問題ではなく、農家は普通に生産して出荷しているのに流通の過程で蜃気楼のように消えて無くなり、倉庫やトラックの荷台で腐らせている、という情報があります。

前代未聞の世相は何を反映し、何を隠しているのかと、私たちは暗闇の中で戸惑うばかりです。

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夜明け前が一番暗い。関係ないかな? 笑






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2021年06月24日

流木。馬鹿と鋏は使いよう。

階段手摺りは厄介です。
厄介に考えるから厄介なのですが、単純に考えると、、、そう、身も蓋もない。よくある手摺壁なんか考えたくもない。(笑)
さて、では、コモハウスはどう考えるか?ふふふ。

流木を使った階段の壁手すり、これはこれは、しかしこれをどう魅力的に拵えるかというのが大命題。馬鹿と鋏は使いよう、と言いますが、しかし、この言い回しは今のご時世禁句かな?

もう十年以上昔になりますが、あの時、確か津久井浜の海岸で拾ってきた流木。
二本。真水でよく洗い、よく乾かし。さあ。

ジャン!

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形が難しいのをああでもないこうでもない。でも、こうしかならない。これがイチバン。

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ボードの部分は漆喰仕上げです。塗装は古色塗料、久米蔵です。
奇をてらっただけ、と捉えられると忸怩たるものがありますが、しかしこのアイディアを一回だけで眠らせるのはチトもったいない。

そこで今回十年ぶりに「シェーン、カンバック!」です。
さてさて、昔取った杵柄と参りますでしょうか?

乞うご期待!



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2021年05月30日

日本の建築会社

さて、ツイッターをうろうろしていたら、とあるハウスメーカーのこんなCMに出くわしました。鐘と太鼓でお通りだい!

 「with コロナ時代の『くらし』はどう変わるのか?」
 リモートワークが浸透したことで、家への意識に変化が起きている。
 我々の暮らしの価値観はどう変わったのか?
 新時代の「家」のあり方について再定義していく。

なるほど。なんとも頼もしい、大上段に振りかぶった冠りの見栄に大向こうから声がかかりそうです。
「よっ!成駒屋!」
もっともらしいこのうたい文句。これがTVやツイッターで流されて、それらしい専門家がご託宣を交えて、「私たちの暮らしの価値観は、、、」。

ふむ。しかし、こんなコロナごときでコロコロ変わってしまう私たちの生活って一体なんなんだろう?
それなら左遷されて、窓際族に追いやられて、出世街道から取り残されたら私たちの暮らしの価値観はどう変わるのだろう?
変わったからって、それで住まいがどうなるわけでもない。
家への意識?はて、面妖な?
それで変わってしまう意識ってそもそも意識が希薄だから変わるもなにも、結局は堂々巡り。変わるのは上澄みだけ。変えなければならないのは本質なのです。

住まいづくりを考えるとき、大事にしなければならないのは、私は「美しさ」だと思います。
美しさには人それぞれの基準があります。しかし、変わらないのは、心を打つ美しさです。
どのような価値判断であれ、人の心を打つ美しさは変わらない。

それは求めることで与えられます。求めなければ「美しい住まい」を手に入れることはできません。
ああ、ほんとうに、「美しい住まい」。どこかに落ちてないかしら?

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2021年05月12日

大混乱はやってくるのか?

この商売も長くやっていると、時々なんの前触れもなく、わけのわからない流通の爆発があるものです。誰かが仕掛けたのか?景気の流れが一気に洪水のように溢れかえって、どこかにしわ寄せがやってくる。
去年は武漢コロナのおかげで中国から設備機器が入ってこなくって大慌て。もう何年前かしら、ボードが突然入荷待ちでどうやっても手に入らない、なんて混乱もありました。神奈川県下のバッタ屋をあたってかき集めたのも今は昔。
思えばバブル景気も異次元の爆発ではありました。

さて、ここに来て、アメリカではコロナ対策で景気刺激策に大金を注ぎ込んだ煽りで住宅景気が加熱して世界中の木材はアメリカを目指す。高く買ってくれるところに資材は集まるもので日本は見向きもしてくれない。さあ、困った。外材がはいってこないからと国産のヒノキだ杉だに買いが入って流通は大混乱。上棟ができない。プレカットができない。
こういう混乱は相手が悪い。
まあね。

しかし良いこともあるもんで、風向きはじわりと変わってきたのかどうか、最近お会いするお客様がみなさん「マスクはいいですよ」という方ばかりで、誰もコロナなんて信じちゃいない。これは良い兆候です。もういいかげんこのプランデミックのウソに気がついたほうが良い。わたしたちはなにをやっているんだ。
コンナことを書くと腹を立てられる方もいらっしゃるかもしれませんが、しかし、もう一年以上騙されてきたわたしたちです。
コロナ?ふざけるな!

あゝ、ほんとうに、マスク無しでお互いを見つめ合いたいものですね。

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ちょっと過激なわたくしです。




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2021年03月25日

ほんとうに大事なこと。

住まいづくりを単なる住むための機械と考えるととても寂しくなります。
「住むための機械」とは、必要な間取りがあって、必要な設備機器があって、必要と思える機能を満たす動線が欲しい。それらが満たされた「住まい」が欲しい。
なるほど。どれも枝葉末節としては大事な要素なのかもしれません。
しかし、そのような欲望を満たしたとしても、その「家」はすぐに陳腐となって、中古住宅の坂道を転げ落ちていくのが関の山。
家を持つのは難しい選択です。どのような住まいを望むのか?住まいってなんだろうか?
住まいは人生の器。あなたの人生を包むハコ。そのハコを必要な間取りだけで仮借できると考えるととても寂しい選択になってしまうのです。
大上段に「人生とは?」なんて問いかけているわけではありません。
ただ、永い人生の伴奏者としての住まいを間取りや機械設備に預けて良いわけがない。
住まいは生き方。望むものを手に入れるのではなく、手には入らない喜びを表現すること。わたしたちはその人生の大半を手には入らなかった忸怩たる思いのなかで生き、そこから立ち上がる勇気を学びながら生きていく。
住まいはそんなあなたがたどり着く小さな港。そんなあなたがそっと錨を下ろす、ただひとつの港。住まいづくりはそんなあなたとの会話から始まる。
魂のキャッチボール。誰かがそんなフレーズを掲げたような気がします。
そんなふうにして、私たちは住まい作りのお手伝いをしたい。

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2021年03月19日

大事なこと

暖かくなりましたね。一昨日は彼岸の入り。明日は彼岸の中日。ぼやぼやしているともうすぐGW。青年老いやすく、学成り難し。デタッ!😁

さてこの季節は受験の結果も出て悲喜こもごも。「喜」はもちろんのこと、「非」もまたそれはそれで涼し、です。叶わなかった想いの果に人生の蹉跌がある。鉄は打たれるもの。打たれて強くなるものと覚悟を付けて、そこからが人生の出発点です。

これはいくつになっても変わらない真実ですが、そのことに気がつくには長い歳月が必要です。
なにごとも思い通りにはならない。建築もまた、思った通りには出来ないし、そこには携わる職人のそれぞれの思いもあります。そうした思いをすくい上げて一つの建築に昇華する。

その大きな流れを作ること。建築会社はその大きな流れを差配し、大きな渦を作ることが大切です。しかし、それはとてつもなくGIANTなのです。

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大分県立図書館 「磯崎新」





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2021年02月17日

花も嵐も踏み越えて

行くが男の生きる道。
そんな男子の心意気。明治どころか昭和も遙かな彼方に朧(おぼろ)に霞む今日この頃。男性の生きる道は狭くなりました。男であることの恍惚と不安とふたつ、我にあり。ん?
しかし、それは、同時に女性であることの恍惚と不安も朧になるということなんですね。

海の向こうのアメリカでは、ジェンダーレスが叫ばれて、女性だと思えば誰でも女性である。それを認めないのは差別だといきり立つ民主党政権は充分すぎるほど腐っています。
コロナワクチンも打たない自由があるのかと思うと、否、じわりと、打たない人間は人間にあらず。そう、非人なんですと。
コロナの死者数が例年のインフルエンザより少なくて、危機感なんてまるでない私も、(もしかしてほんとは)私たち日本人も、いやはやこれは困った。(ほんと?ほんとに困ってる?)
本音を言えばマスクですら不要だと思うのですが、近頃はスーパーでマスクをしていても向こうから来る若い子がわざわざこちとらの前でいきなり避けるように大回りしていく奴がいて、失礼な!まるで他人をバイ菌のように見下している、わけではないのでしょうが、、、、、
う〜ん?
そこに持ってきてワクチンです。
だって、インフルエンザ・ワクチンだって今まで一度も打ったこともないのに昨日今日のコロナでワクチン?それって、十分安全なの?
そりゃねえ、周囲でバッタバッタと人が死ぬ状況になれば考えます。見渡せば、周りに誰もコロナ患者はおりません。ただ不安を煽るマスゴミのスピーカーがまるで空襲警報のようにがなり立てるだけ。
すわ爆撃機かと表に飛び出しても空にはただ青い空がはたはたとひるがえるだけ。
思わず笑っちゃうのは私だけ?
ま、それまではミカンでも食べながら炬燵にはいって、コロナストーブの炎を見つめて芯を上げたり下げたりして、 ふむ、コロナかと、恍惚と不安とふたつを手玉にとって、ボクはワクちんちん。(笑)

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2020年09月26日

秋刀魚の歌

  • 「目黒のさんま」落語の演目のなかでも出色の噺。
毎年秋になると「さんま祭」が開かれるくらい有名な「目黒のさんま」ですが、もちろんこの古典落語にならって催されるようになったのですがそれは四十年ほど前からだとか。そうか、そういえばその頃目黒に住んでいたな?目黒のサンマ祭りなんてあったっけ?笑

例年なら9月の二十日頃に開かれる習わしですが、今年はあえなく中止。そりゃそうでしょう、このコロナ禍での開催はさすがに難しいでしょうということで。いえいえ、それもあるでしょうが、それ以上に今年はサンマが大不漁。提供する主催者は渡りに船?どうでしょう、わかりませんが。???

先日スーパーでサンマが食べたいなと覗いたら、一枚二百円。二枚で四百円。
サンマって、庶民の食べ物じゃないんだっ。
「目黒のさんま」ではやんごとなきお殿様が、遠乗りで馬を走らせ、出先の目黒で食したサンマの味が忘れられず、サンマさんま、サンマが食べたい、秋刀魚が食べたい。

しかし、秋刀魚といえばなんて言ったって「秋刀魚の歌」。
あの佐藤春夫の有名な歌。道ならぬ女性と結ばれて一緒になり、世間から指弾を受けて女性の幼い連れ子と三人で食卓に向かい、すだちの酢をかけて秋刀魚を食らうと、その侘しさに「さんまさんま、さんま苦いかしょっぱいか」。何だかさんまの庶民的な味が、その安魚との掛け合わせがなんとも滑稽で、哀愁とユーモアが食卓に吹き荒れる。
しかし、佐藤春夫はまぎれもない日本の大作家。その詩の格調の高さは何人も足元にも及ばない。「秋刀魚の歌」もその例外ではありません。

こんな歌があります。

 「海の若者」

 若者は海で生まれた。
 風を孕んだ帆の乳房で育った。
 すばらしくおおきくなった。
 或る日 海へ出て
 彼は もう 帰らない。
 もしかするとあのどっしりした足取りで
 海へ大股に歩み込んだのだ。
 とり残された者どもは
 泣いて小さな墓をたてた。

今日、九州から「かぼす」が送られてきました。ありがたいな。
そうか、明日はサンマだ。一枚二百円の、サンマだな!


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秋刀魚の煙が上っていく。米杉です。





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2020年08月30日

家づくりはヴァーチャルたり得るのか?

コロナ前、コロナ後。
もう私たちは「コロナ前」には戻れない。ネットをサーフィンしていると、そんなネット識者の声が声高に聞こえてきます。さて、その心は?

昨今のかまびすしい世間では盛んに「コロナ後」を定義しようという試みがなされて「コロナ後」を新たにやって来るニュー・モーニングとしてそれへの備えを呼びかける論調が増えてきました。
コロナ前でもアタフタと自分の足元が覚束なかったのに、コロナ後など論外でもう生きてはいけない。?お先真っ暗?
ソーシャル・ディスタンスもテレワークも、人と人の結びつきが敬遠されて社会が小さな枝葉に分かれていくのを押し進めているように思えてなりません。
幸せの定義を考えてみると、手を携えることがどんなに大事なことかが実感されます。
昔から言うではないですか、 I wanna hold your hand  
クィーンの歌には「手をとりあって」なんてのもありましたね。

幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだよ

建築の世界も御多分に洩れず、ヴァーチャル全盛の昨今ですが、それは家づくりの現場でも言えること。それがまた悲しいことに、等身大のキットで出来上がる家づくりですから「あっ」と驚いてしまいます。

家づくりはキットカット。笑
家づくりに限らないのですが、夫婦の関係も然り。丁寧に語り合うことで互いの理解が深まるように、家づくりこそは丁寧に語り合いたいものです。
わたしたちの建築は「旧築提案」を標榜して住まいをご提案してきましたが、その心は「旧(ふる)きを訪ね、あたらしきを知る」。
家づくりはおそらくは人類誕生の昔から、寝ぐらを求めて穴を掘り、屋根を拵えるところから始まって、人類の英知を傾けて少しでも快適に暮らしたいという文明の発展と軌をおなじくして進められてきた営為の努力でした。
そして、実は、家づくりは法隆寺の昔にすでに完成されている。現代の私たちは法隆寺の昔に敵わない。古(いにしえ)を知ることで心が豊かになれるのだとしたら、私たちはそのための方法を貪欲に取り入れていきたい。古材を使うのは一つの小さな試みにすぎません。そのことで、先人の人生を積み重ねるように住まいを重層的に捉えることができるかもしれない。
人は、古い息吹を感じることで心が満たされます。子供の名前におじいさんの名前の1文字を入れてみるのもわたしたちは過去に繋がりたいという欲求を抱えているからとも言えなくはない。
過去につながることで心の平安を得られるのなら、建築は、これほど素晴らしい営みはない。

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お客様を迎え入れる玄関の洗い出しと古材を使った式台の妙。



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2020年08月21日

真夏の夜の夢(真夏の家を考える。)

厳しい暑さがつづきます。こんな日々は寝転んで、カキ氷でもひき寄せてニタっーと微笑うしかありません。しかし、私たちは建築会社ですから、この想像以上の猛暑に住まいはよく耐えているだろうかと考えざるを得ません。
昔からスペインでは夏の暑さをやり過ごすためにシェスタの習慣がありました。今でもあるのかしら?
日中の酷暑を避けて仕事はせず、店は閉じて屋内でジッと昼寝。あまりの暑さにまぶたの水分が蒸発して目を開けていると痛い。(本当のところは知りませんが。)空を飛んでいるスズメがあまりの暑さに落っこちてくる、なんで話も聞きました。(本当のところは知りませんが。)一説では焼き鳥になっておっこちてくるとか?😂(笑)

スペインの建物は外壁はぶ厚い塗り壁ですから断熱性はあるでしょうがでは屋根は如何かしら?住居は回廊式で中庭を囲うように部屋が配置されているのは通風が大事にされているのか 、陽射しを遮るための工夫なのか?
昔の日本の住まいは夏の暑さは耐え難く、二階屋など暑くて上にはあがれない。昨今の住宅は断熱材の性能も良くなりましたから期待して良いのかどうか、分かりませんが、、、❣️ 
たとえば打ち水や簾や風鈴や其れこそ陰翳などまでを総動員して 全力で涼を獲得するその日本人の想像力には頭が下がりますが、しかし、時代は変わる。

コモハウスの住まいは断熱、通気、気密、換気、そして窓、それらを総動員してさらに図面から夏は涼しく、冬は暖かい 快適性を獲得する。それらはどれが欠けても実現されない。
断熱材だけでもダメ、窓サッシだけでもダメ、全力で立ち向かってはじめて実現されるものなのです。 
エアコンは一台あればいい。 そういう住まいを実現したいと思われる方はご相談ください。わたしたちがお手伝いできることはたくさんあります。

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勾配天井の二階の杉板が美しい。
塗装を施しているのですが、ちょっと不思議な塗装法です。
壁はコモハウス定番のスペイン漆喰です。



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2020年07月25日

家をたてるなら

家を建てるなら
 
       

家は小さく建てて、おおきく住みたいものです。
そのためには余計なものは置かないことです。余計なものをためこむと、余計なものに足下をすくわれて大事なものを見失います。 
しかし、またこうも言えます。人生は大事なものを探すながいながい旅。
家づくりもまた自分さがしの永い旅。家づくりは始まりにすぎません。
真っ白なスタートラインを前にして、建築会社はゴールテープを遥かに見やり、この家が長距離走者の優れた伴走者たり得るのかと心の中で自問します。 

建築会社にできることは小さいけれど、心のドアを開け放つ不断の努力の手助けになれればいい。
疲れはててたどり着いたとき、あたたかい心の棲み家になれればいい。




 


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2020年06月30日

天国への階段 〜 Part 2

今週なだれ込むように完成したT邸。
最後は相変わらずの怒涛の瞬間の連続技、あわせ技。笑
これがとっても too much. しかし、建築の醍醐味はこの最後の瞬間の怒涛のつじつま合わせにあるのかもしれません。(叱られそうですが、、、ニンニン)

さて、しかし、つじつま合わせと言ってもそんじょそこらのつじつま合わせではもちろんありません。ただ、計算外のひねり技を繰り出すという、それは「経験」の2文字以外では語れない建築の奥深い必殺技といえば言えなくもない。そう。わたしたちは必殺仕事人なのです。

家の大小に関わらず、建築工期はかかるものです。むしろ今回改めてわかったことは、家は小さいほど、予算が厳しいほど時間がかかるという事実でした。予算が厳しいからこんなものでいいや、と思えればこんな生易しいものはないのかもしれませんが、そこはやはりコモハウス。腐っても鯛。(この表現がふさわしいかどうか?ふさわしくなかったら、平に、平にご容赦を!)
その生きのいいタイの片鱗をご覧あれ。先ずは、階段編。わたしたちの世代はどうしたって階段といえば「天国への階段」。
Stairway to Heaven


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まずはここからスタートです。ここから玄関をおもむろに開けます。

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階段と下駄箱の連続したこのアイディアは早い段階から決まっていました。むしろこの建物は、この階段の構想から導きだされたと言っても良いかもしれませんが、しかし、無論それほど単純ではありません。

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踊り場に向かう動線と、踊り場から二階へ向かう切り返し。このあたりが玄関からどう見えるかがポイントです。

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Stairway 2

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この中央の六寸の柱。当初は二本連続して使う予定でしたが、そこはそれ、予算もあります。しかし、一本で良かったのかもしれません。

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踊り場から二階へ。

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この階段の醍醐味は、二階から下を眺め渡すとさらによく分かります。

Stairway Over

日田杉の42mm厚の階段板と腰壁板。そしてラワン合板、有孔板、紅一点(ン?)の白い漆喰壁。
はたして天国へはたどり着いたでしょうか?はたまた、、、?

  



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2020年05月17日

初めての家づくり

ドキドキ💓
永いあいだ家づくりに従事していると、当然トキメキとは縁遠くなるのは世の常、家づくりもルーティンワーク、これはいかん。しかし、住まいって何だろう?と立ち止まって空を仰ぐと様々な想いが押し寄せて、慣れ親しんだ青い空に雲を引き寄せるように妖しい暗黒の世界が空を覆う。
玄関はほんとうに必要なの?廊下は?ホールは?階段は?
住まいの中に居間を二つ拵える。三つ拵える。個室なのか、居間なのか、ホールなのかわからない。
家が全体でファジーになる。
最近は勝手口がなくなりましたね。しかし考えてみると、ほんとうの意味で使いやすい勝手口ってなかなかないものですね。いかにもそこから出たら便利だろうという安易に壁を開けただけの勝手口が多いです。生活の必然性から住まいは導かれて行くのだとしたら、その生活のスタイルを定義するところから建築はスタートしなければなりません。

初めての家づくりではもちろんそこまでの余裕はない。そこで皆さんが希望されるものは、使い勝手を良くしたい。広くしたい、明るくしたい。しかし、それは家づくりの希望にはなり得ない。
和室がなくなりましたね。畳が住まいから駆逐されていく。和室が飾り物になってしまったから何かのきっかけで追い出されてしまった。一千年以上つづいた私たちの生活様式が追いやられていく。
日本人が日本人であるために死守しなければならないものは何なのか?
 生活様式が変わっても精神は変わらない。それを住まいのなかに落とし込むとはどういう営為が必要なのか?
住まいはルーティンワークでは作れない。
美しい住まいづくりは一朝一夕には手に入らない。

ventilating fan


 

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